あるがままに生きる

あるがままに生きる

PR

×

Profile

島ペン

島ペン

Archives

2026.07
2026.06
2026.05
2026.04
2026.03

Comments

草枕(レンマ学)@ 数の言葉ヒフミヨ(1234) ≪…阿字の子が 阿字のふるさとたちいでて…
坂田正敏@ 雨よけブルーシートに関して 島ペンさんへ ご返事有り難う御座います。…
島ペン @ Re[1]:躯体建築が終わりました(02/03) skyfishさんへ 休眠中の当方に・・・ 久し…
skyfish@ Re:躯体建築が終わりました(02/03) 初めまして、私も2x4でセルフビルドを志し…
島ペン@ すっかり 無沙汰(03/23) COCOさんへ おはようございます。久しぶり…
COCO@ Re:琵琶茶? の効能(03/23) ご無沙汰しております。 その後、いかがお…
まりりん@ Re:夏季シーズンの予約開始(04/01) 島ペンさ~ん♪ お久しぶりです たった今…
守破離@ Re:修・破・離(しゅはり)(11/21) 守破離、守破離、守破離

Calendar

2009.06.17
XML
カテゴリ: アセンション

ようこそ、お越し下さいました。



鉛色の空と海が続いています。

雨粒は、あまり落ちてはきません。


いまだに、いい天気悪い天気と言っている人を見受けます。

無意識に、晴れた日をいい天気と言っているのでしょうが、

今までの世界の癖をつけさせられた一例ですね。

人間の都合で良い悪いを決めています。

天気そのものは、自然の営みの中でのバイオリズムの調整で、

全てが調和の運動なのですが・・・

まったく、変な癖が付いたものですね。

雨を恨んだり、不運と思ったりすると、そこに不調和が生じます。

不調和は、即カルマを生じさせ、その人に被さります。

アセンションを意識している人は、そういう想念は発しないと思いますが、

気を付けないといけませんね。



さて、人間の罪についての私の所感を述べてみたいと思います。

キリスト教では、原罪という教えがあるようですね。

私はクリスチャンではありませんから、

一般論程度しか知りませんので、あしからず。

アダムとイブが禁断の木の実を食べた事から始まったとされる原罪。

この辺りのキリスト教での解釈や教えは、未だに腑に落ちていない所です。

だから、私流の解釈で進みます。


人間は弱き存在で、過ちを犯しやすい存在である事は確かですね。

ですが、弱いも強いも判断できない、生まれたばかりの赤ちゃんにも

生まれながらに背負っている罪があるという原罪。

アダムとイヴの子孫だからそうなのか。



これは、過去生からの連綿とした絶対調和に戻す為の宇宙の真理です。

1歳の赤ちゃんが、この1年間に罪を犯したという事ではないですね。

過去生において、未清算の不調和が残っていたからなのでしょう。

だから、この世に誕生するという事は、

やり残した宿題があるという事です。


太陽系以外の星から、何かの使命を持って地球に転生された魂さんも多いはずです。

私の場合は、この組に入るらしいです。

間もなく、その全貌が明らかにされることでしょうけど。

その魂さんの使命も、その目的を遂げる事によって調和に戻ると言う仕組みでしょう。



キリスト教では、輪廻転生という概念は無いようですね。

私の考えは、輪廻転生無くしてはまったく前へは進めませんから、

そこがキリスト教の腑に落ちない所なのでしょう。

しかし、「罪」という言葉は「悪」に結びつきます。

本来は、善悪は無いと、このブログでも書いています。

(親鸞さんのお話の中で)

5月10日の記事

私流では「罪」を「不調和」と置き換えます。

「罪」と言うと、否定的な言い方ですね。

「罪人」「罪深き」「穢れ」・・・


『人から出て来るもの、それが人をけがすのである。

 すなわち内部から、人の心の中から、悪い思いが出て来る。

 不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、邪悪、欺き、好色、妬み、誹り、高慢、愚痴。

 これらの悪はすべて内部から出てきて、人をけがすのである』

 (新約聖書・マルコによる福音書7章14~15節・20~23節・口語訳)


これらが悪であり、罪なのだと。

しかし、悔い改める事で、許されるという教えもあります。

ここで言われている事は、罪を負っていると言う罪悪感よりも、

罪を許すという事を教える為の原罪ではないでしょうか。


これらの罪と言われるものも、全てが本人に帰ってゆくのが摂理です。

物を奪われたりした人も、自らの不調和の結果でそうなって、

損をしたり傷ついたりして絶対調和に戻していただける神の計らいなのですね。

あえて「罪」と言う言葉で言うなら、

「絶対調和の統合意識から離れた心」 がそれでしょう。


「これをやったら罪だ」

「あれをやったらいけない」

と、過度に思うことは大きな不調和をうむことになります。

親鸞聖人が、比叡山に見切りをつけたのも、

この辺りの本音と建前の矛盾があるようですね。


本来は、100%自由がこの地球学校です。

どういう選択も自由なのです。

勿論、選択した事の反作用を受けるのも当り前の摂理です。

「罪」と思える選択をしたとしても、

それを批判する人は大きなカルマを生んでしまう。

「悔い改めよ」と、他人に強要は出来ません。

アダムとイヴが禁断の木の実を食べたと言う選択も、

本人の自由意志であり、

それによって三次元の制約の世界を作ったとされるなら、

三次元の学びをする為の選択だったといえましょう。



そして、もう一つの「罪」と言われているもの。

「他の生命を殺さなければ生きてはいけない」ということについて。

この話は、次回と致します。

6月の夕日.jpg

田代島の向うに沈む夕日。









お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2009.06.17 06:42:20
コメントを書く
[アセンション] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: