ウクレレ日記っぽくないウクレレ日記🎶

ウクレレ日記っぽくないウクレレ日記🎶

PR

Profile

とっこ♪♪

とっこ♪♪

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

詳しすぎない【BOSS … New! いちむらmanさん

地域イキイキ!ウク… ウクレレ満ちゃんさん
フラダンス好きのペ… こばっち21姉さん
The club room of an… edge ball 2号さん
かえのぼちぼち日記 かえ6965さん

Comments

miyas@ Re:私が愛した車 (別れ、そして、出会い編!?)(04/22) 車の修理に、100万円は出せないですね。 …
とっこ♪♪ @ Re[1]:太陽の塔と吹田の街並み(11/01) miyasさんへ 阪神タイガースファンでは無…
miyas@ Re:太陽の塔と吹田の街並み(11/01) 阪神タイガース、やりましたね。 そのピ…

Calendar

Free Space

設定されていません。
2024/08/07
XML
カテゴリ: 普通の日記
私は戦争を知らない世代ですが、

母は、終戦時に12歳くらいでした。

今で言う中学1年生くらいだったのであろう。




生前にもっと話を聞いておけば良かったと

今更ながら思いますが、

私が聞いた、少しの話が、次の時代に伝わるか、

また、何かの役に立つかはわかりませんが、

私だけの中でなく、

ここらでちょっと、






その1

中学生の母でも、あの天皇陛下の玉音放送を聞いて、

意味がわからなかったらしいですが、

母や、母の周りにいた大人達が、聞いた瞬間、

泣き叫んでいるのを見て、

日本が負けて、戦争が終わった事を察したらしいです。




その2

以前にも語りましたが、

母は小松基地からわりと近い場所に住んでおり、

絶対、爆撃を受けると思って過ごしていたらしいのですが、

ある日、米軍機が飛んできて、覚悟したものの、



「ここは金沢なども近く、

貴重な建物があるので爆撃はしません」

と書かれたビラだったそうです。

ただ、全く信じていなかったらしく、

その後、



次は石川だ!!と思っていたら、

通り過ぎて富山方面に爆撃して行ったそうです。

戦争が終わってみて、あのビラは本当だったんだ!

と思ったそうです。

どういう意図でビラを巻いていったのかはわかりませんが、

もしかしたら、憎むべき相手の中にも、

優しい人がいたのかもしれません。




その3

当時、祖父母は建築関係のお仕事をしていましたが、

戦争時は家を建てる人もいなく、

更に、祖父は海軍に行っていたらしく、

仕方なく、祖母がアイスキャンディを作り、

売り歩いていたそうで、

小学校高学年だった母もついて行っていたそうで、

小松基地の空軍の隊員の方もよく買ってくれて、

ずいぶん仲良くなっていたのですが、

母が「◯◯さん、最近見ないね?」と言うと、

隊員の方が「あいつ、こないだ飛び立ったよ、、」と言い、

1人1人、飛び立って居なくなっていくたびに、

何とも、切なくて悲しかったと言っていました(涙)




爆撃を受けなかった地域とはいえ、

母の戦争体験はもっとあったのかもしれませんが、

私が聞いた話はそれくらいです。

それだけでも、

戦争は悲しみしか生まない事がわかります。

戦争の無い世の中になってほしいものです。

母から聞いた、戦争のお話、おわり。


















お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2024/08/07 05:43:15 PM
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: