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仮に私が通学部の大学生だったら、、、たぶん、先輩という人たちに、だいぶしばかれた気がする(笑)。理由は、生意気だから(爆)。中学生のころから、この「生意気」と私は、大の仲良しだ。おかげで、いい意味でも悪い意味でも、目立ってしまうらしい。ただ、運の悪いことに、この「生意気」さ加減を、ご自身は理解していない。だから困るんだよって周りの友達にも何回も言われてきた。でも、私は、本当のことを言ってしまうか、自分の思った通りに発言してしまうだけで、罪の意識が皆無だから、変わり様がない(笑)。だからってわけじゃないけど、いろいろな私の登場場面、たとえば不良同士の間でも、先輩後輩の壁は取っ払ってきたりもした。これは社会に出てからも当然に、キャリアの違い、年齢の違い、職種の違い、障害の有無、性差やその他もろもろの違いを認めること、それがため差別をしない自分として、今も胸を張れるところだと思う。通信教育の中では、はっきりいって、その人がどれほどのキャリアを持っていようが、賢かろうが、年が上だろうが、関係ない。入学初年度だろうが、卒業間際だろうが、みな同じ、学生の枠組みでしかない。これが痛快で、私と話している人は、ある大企業の社長だったり、どこかの学校の先生だったり、面白いのは、「窓口で暇してる公務員を利用したらいいんだよ」と私が言った相手が公務員だった(爆)なんてこともしばしばだ。だから、上から目線の人には、通信教育って向いてないと思う。周りが大人なので本人は気付かないだろうけど、上から目線の人は、厳密に言うと、嫌われる。当たり前だよね。だって、その大学の枠組みで同列だって置かれているのに、社会の中或いは会社の中での自分をアピールされても、「へぇ、それで?」って思うのが普通。むしろ、いつも一緒にバカができて、いつも謙虚な人が、社会では一流といわれる人間だったら、「やっぱり、一流は三流社会でも一流だ」と納得してしまう。偉そうな人が偉いのではなく、偉い人が偉ぶらないのが偉いんだって。隣で大笑いしてた学友が、大企業の社長(が必ずしも偉いとは限らないけど)だったら面白いじゃない?隣で爆笑してた学友が、聖職者だったら面白いじゃない?そういう人と、私は友達でいたいと思う。
2010.05.03
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今日は、昨夜、ふと思ったことがタイトルです。みなさんは書籍を購入したあと、どうしますか?って、アホか、普通に読むに決まってんだろ、書籍って本だぞ?というご意見は、軽く無視させていただきますが(笑)、今回のエントリーは、その当たり前さ具合と向き合うお話。小説や漫画ならば、ストーリーがありますから、私は通読します。っていうか、そうしないと、意味がないのが文学作品(漫画が文学か?という意見もこれまた別の機会に)だというのが私の考え。では、自己啓発本の場合は?といえば、私の場合、基本的に手にしてみて食いついたものだけは、知らない間に読破していますが、手にしたものの肌に合わない場合は、、、そのままお蔵入り(積読にもならない)してしまうことしばしば。また、肌に合いすぎたものは、バイブルとして常に手に取れる位置に配置します。それでは、本題の、学習用の文献は?たとえば、大学時代のレポート作成時には、どのように通信科目を消化したのか、という点では、通読を一度もしたことがないというのが本当のところ。。。あ、まずい、超勉強家的イメージを崩壊させるこの瞬間(爆)。え?そんなイメージ、そもそもなかったって?・・・・・・・・おかしいな・・・・・・超勉強家をイメージしていただくためのブログにしたかったのに(爆)。レポート作成の際、学習を始めた当初は、通読するものだと思っていましたし、本来的にはそれが望ましいのかもしれないということを前提に置いておきます。ただ、私の場合、通読は困難でした(爆)。何でって、知りたいことではない場合、飽きちゃうんですもん。しかも、それを後押しするかのように、子どもたちも今より幼かった。おかげさまで、じっくり通読する時間というものがあまりなくって(笑)。その代わり、分かりやすいのが、同じような内容を取り上げる似たような文献であっても、表現が分かりやすかったり、事例から分析していくような文献の場合、時間を忘れて通読状態になることもしばしば。。。要は、その文献の面白さに読み手の読み方は依存するってわけです(当たり前過ぎます?)。つまり、レポート作成の際は、情報読みと呼ばれる斜め読みばかりをしていました。ですから、参考文献数は、常に5冊(テキストを除く)は読めましたし、或いはそれで十分だったことは私が卒業したことで証明できていると思います。本の読み方としては、ありきたりですが、全体像を把握するために、目次を見ます。目次で大方の内容を把握するのです。それからは、たとえば必要な情報を目次からさらって該当箇所を読み、それが目次のどの位置にあるのかを確認しながら読み進める。何が言いたいかというと、法律学の文献って、面白いものとそうではないものの幅が大きいので、基本的には斜め読みから入って、二度目にもう少し濃く読むようにして、三度目には課題の答えからその科目の全体像を見直せるように読むだけで、通読よりも効果があったりするということです。そして何より、問題意識を持ちながら読み進めないと、理解が進まないなんてことも大アリでした。要するに、課題も知らないで文献だけ読んでも、読んだ先から忘却曲線の彼方~なんてことになる。って、あれ、これって、私だけですか?(爆)。人間は、忘れる生き物ですから、私だけじゃ・・・・ないはず・・・・(苦笑)。
2010.05.20
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