追憶

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age@ 拾えばいいじゃん べっ、べつにあんたなんかに興味は無いん…
乗らない騎手@ ちょっとは木馬隠せw あのー、三 角 木 馬が家にあるってどん…
うほ@ もう一度見たいドラマランキング 私は・・・ 1ラスト・フレンズ 2ブラ…
Dec 23, 2007
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カテゴリ: ドラマ
中国:中央電子台制作 1997年 
 秦末から楚漢戦争を描いた作品の最終巻 項羽がついに滅び、劉邦が皇帝となる

 あまり目新しい話しもなく、史記に従って話しが進んでいるようで、まるで司馬遼太郎の「項羽と劉邦」をそのままドラマ化したのではないかというような終盤でした。
 狡猾な劉邦は、あの手この手で項羽を追い詰めていくが、戦争とは本来そうしたものかもしれません。対する項羽は、目先の戦闘には強いが戦略とか政策とか、そういう大局を見る目がなかった、または部下を信用せず、大局を見てアドバイスをするような部下を持たなかったということが勝敗を決めることとなったのだろうと思う。
 劉邦にはキラ星のごとく有能な部下が増え、それらの人たちがそれぞれ十分な能力を発揮していた。あるいは発揮できる処遇を劉邦が与えていた。そして公正な目で評価し、その功績に報いた。これが漢の天下を決めた最も大きい要因であったのだろうと思う。

 日本の戦国時代で言えば、天下をとるまでの劉邦は秀吉に似ている。出身が身分の低かったことも、狡猾で勝つためには相手を調査し弱みを探り、つけこんでいくとか、部下や諸侯を調略し、その気にさせてうまくつかうところなどはそっくりだ。ただし秀吉は負けたことがないので、戦にも強かったが、天下人になってからの秀吉と劉邦も若干ちがう。 秀吉は、力の抜きん出た家康を処分しなかったが、劉邦は危険な野心家と判断した韓信を処分した。このちがいが、長期政権か短命かの差となった。天下人となってからの劉邦は、家康のようにしたたかであったかもしれない。
 韓信の戦での活躍は、秀吉の参謀・黒田如水に似ている。知略、軍事、人望、政治力どれも一流であり、決断さえすれば韓信の天下になっていたことは明白。 一方の如水も、隠居生活をしていたが、関が原の戦のとき、一夜にして九州を平定してしまい、両軍の対峙が長引けばその隙をついて攻め上り、天下を盗るための機会をうかがっていた。不幸にして一日のうちに家康の勝利が決まったためこの計画は実現しなかったが、わずかな領地と兵があれば天下をとる才能があり、人望も政治力もある人物である。如水は晩年秀吉に警戒されていることを悟り隠居したため、韓信のように粛清を免れた。
 また、張良は、私欲がなく、策を鮮やかに決めるところなどは、秀吉に仕えたもうひとりの天才軍師・竹中半兵衛に似ている。張良は、韓信とはちがい、天下平定後は地位や領地も辞退して故郷に隠遁した。半兵衛は、惜しくも秀吉の天下取り前に亡くなったが、もし生きていても、張良のようにすぐさま隠居したのではないか。
 忘れてはいけないのが蕭何である。蕭何は軍事的な活躍はないが、元、秦の官僚らしく、民や劉邦配下に対する行政では第一人者であり、負け続ける劉邦に兵や兵糧を送り続けた。巴蜀や関中を安定して治めていたことが、劉邦が天下に打って出ることができた第一条件であり、劉邦は天下平定後、蕭何の功績を第一とした。事実、彼がいなければ、項羽との覇権争いなどは最初からなかったということだろう。 文官として活躍した人はいるでしょうが、そういう蕭何に相当する人物を日本で探すのはなかなか難しい。

 項羽が楚の名門の出ということと、柴田家の祖先が織田家と同族の家老という点や、戦略、智謀というより、武勇が目立っている、一時は天下を狙う勢いを見せたが、最後は敗れるべくして敗れ、華々しく散った ということを重ね合わせると似ているように思える。
 では家康は、信長は、というと、この中から探すのが難しい。


 ----- 5巻のあらすじ -----
 楚の本拠地・彭城で項羽に大敗した劉邦は榮陽に逃げ込んだが、項羽は榮陽に総攻撃をかけようとする。このままでは攻め殺されてしまう劉邦は、降伏すると見せかけて、裏から少人数で逃げ出し、関中に戻った。劉邦のいない榮陽はすぐに陥落してしまった。
 漢軍の別動隊として出発し、すでに北方の魏、代、趙の3国を手中に治めていたにも関わらず援軍に来なかった韓信に、劉邦はグチたらたらである。しかし張良は、韓信に不満を言うのではなく、うまく使わなければいけない、と劉邦を諭す。
 韓信の軍功は大きい。特に趙では20万の大軍に、わずか3万の兵で圧勝していた。劉邦と張良は策を用いて修武に駐屯している韓信の陣中に乗り込み、韓信に対し新たに斉を攻略するように命じて、軍兵は没収して自らの軍を増強し、奪われた榮陽の奪還に向かう。さすがの韓信も劉邦と張良の不意打ちになすすべなく、命令に従うしかなかった。ただ、もともと劉邦から預かっていた軍であるから文句は言えないが、功績に対する恩賞が何もないことには韓信の側近は不満である。
 劉邦と張良は、南方で楚に反抗している盗賊あがりの彭越に、韓信から没収したうちの2万の兵を援軍としてを送り、楚の彭城を攻めさせ、その隙に榮陽・成皐を奪還し、双方で項羽軍を疲れさせるという作戦に出る。
 この作戦は当たり、成皐を奪還した劉邦軍は、広武山で項羽と対峙し、戦線は膠着状態となる。互いに挑発し合い、激怒した項羽が放った槍が劉邦の胸に当たり重傷を負うという危機も起きる。
 一方、韓信は、儒者・レキ食其を犠牲にしながらも、斉の攻略に成功する。そして国内を安定させるため斉王になることの許可を劉邦に願い出る。 激怒しそうになった劉邦だが、ここで怒って韓信に背かれては元も子もないので、何とか冷静を保ち、許可する。 
 すでに魏、代、趙を下し、さらに斉王となった韓信は、楚、漢に並ぶ大勢力となった。韓信、劉邦、彭越に囲まれては滅亡するしかない項羽も、韓信に使者を出し、漢に味方しないようにそそのかす。側近も、功績の大きすぎる韓信は、天下平定後には劉邦や他の者に妬まれ、疑われ、結局は身を滅ぼすしかない、ここは楚、漢のどちらにもつかず、天下を三分する道を行くべきだと進言する。それも最もなことで(実際に韓信は、後に罪を訴えられて死刑にされる)あり、韓信は悩むが、恩義のある劉邦を裏切る勇気はない。
 陳平と張良は、楚軍の不利な状況を見て、広武山の鴻溝を境として楚・漢で天下を二分するという項羽との見せかけの講和をすることを劉邦に進言し、これを実行。

 しかし様子見の彼等は集まらず、逆に劉邦は途中で項羽に敗れ、またもや窮地に陥る。
 張良は
「彼等を援軍に来させるには、名誉と利益を与えることだ」
と進言し、劉邦は彼等にそれぞれ王の地位と領土を与えた。
 これによってついに韓信が大軍を動かし、それに合わせて彭越も英布も駆けつけ、大勢は決まった。

楚軍の兵糧は底をつき、さらに張良の「四面楚歌の計」によって項羽配下の楚兵の逃亡が相次ぎ、伯父の項伯まで逃亡してしまう。 項羽は残ったニ千の兵だけで、八十万の漢軍に立ち向かう決意をする。
 このときに最後まで項羽に付き従った虞美人(虞姫)に対し、「----虞や虞や汝を如何せん」という、虞姫を劉邦軍に奪われることを懸念し、泣く泣く死を迫るという項羽の詩が残っている。 項羽が泣く泣く虞姫を刺し殺したとも、虞姫が自ら命を絶ったとも言う逸話があるが、このドラマでは、虞姫が自ら命を絶つことになっている。(なお司馬遷の史記にはこの虞姫の話そのものは存在しないらしく、後世の創作らしい) 
 嘆き悲しむ項羽だが、部下に即されてその夜のうちに包囲突破に打って出る。しかし兵力の差はどうすることもできず、ついに烏江で自刃して滅びる。
 項羽を天下の英雄として手厚く葬った劉邦だが、斉王で元帥でもあり、功績の大きすぎる韓信の処遇に悩む。
 しかし結局、最も恵まれた地・斉は返上させ、故郷の楚の王となるように説得し、もはや戦のない世では不必要として元帥の地位も廃止した。韓信が他の諸将に妬まれたり、疑われないための処遇だ、決して感謝の念を忘れたり、疑っているわけではないと、劉邦は韓信に大変な気のつかいようである。
 そして、その上で、劉邦はついに定陶で、韓信ら諸王・諸侯に推されて帝位につき、「大漢」の初代皇帝となり、このドラマは「完」。

 もう少し先までやってほしかった。韓信のその後や、劉邦の後継を巡る呂后や呂氏などの動きなど、見どころは尽きないが、しかしそれは「劉邦と項羽」という題名からやはり外れているかな。





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Last updated  Dec 24, 2007 03:17:57 PM
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