訳も無く文芸春秋を手に取る
去年の夏日本からの友人が持ってきてずっと居間に放置されていたものだ
紙の活字を読むのはなつかしいようなやっかいなような変な感じ
最近PCの上でしか文字を読まなくなっている
新聞も止めてしまったし
本など読まなくなって久しい
目次には大きく第139回芥川賞発表とあった
「時が滲む朝」 楊逸
楊逸は中国人で22才だかで日本に留学しそのまま住みついた女らしい
浩遠(主人公)と志強という同郷の若者が大学統一試験大学を受ける(1988年)、めでたく同じ大学に入学の1年目に中国民主化のうねりに巻き込まれ、あの天安門事件を受けて運動は霧散、指導層は国外に逃亡、2人(3人)はヤケ酒を飲みに出て店で客とケンカ、あっけなく逮捕・拘留・退学処分、建築現場のきついアルバイト・・・、残留孤児の梅に惚れられて結婚、日本へ、子供まで生れる、印刷工場でアルバイトをしながら(中国)民主同士会に関わる、ひどく不器用に、8年後服飾デザイナーになって日本に招待された志強と再会、その年の暮れ、大学の若い教授で民主化運動の指導者だった外国に亡命していた恩師が中国に帰る途中、1日だけ東京に寄る、かつての運動のマドンナとその子を連れて、迎えに出た浩遠はかつてのヒーローとヒロインの10年の時間を確認し翌朝妻・2人の小さな子供たちと彼らを見送る、見送りながらやっと言葉を話せるようになった下の子が「ふるさとって何?」と訊く、「ふるさとはね、自分の生れる、そして死ぬところです。お父さんやお母さんや兄弟たちのいる、暖かい家です」と答える浩遠・・
芥川賞ではじめての日本語を母語としない人の受賞とか
小説という微妙な言い回しがフル回転する世界で他国語で勝負しようとする図太さにまず感心
ちょっとおかしな言い回しは散在するものの気にならないし
よくもまあ、ここまで日本語で表現できるものだと、さらに感心
とにかく無骨ともいえるくらいの荒削りの熱気が前半を覆う
古すぎる言葉だろうが青春の青いエネルギーが煮えたぎる
早朝の湖畔で吠え叫び獣になってのた打ち回る2人
急テンポで話しは進む・・(でもこの熱気とテンポは終盤ではすっかり消える)
選者の何人かがこの作品は芥川賞より直木賞モノじゃないかという
そうだな、とも思う
でも受賞者インタビューを読むと
そんなことこの人にとってはどうでもいいんだよな、と感じる
激動の中国、そして違う国日本でのがむしゃらな毎日を生きてきたこの女・母にとっては
平成(を実は私は知らないのですが)を生きる日本人にはたぶん恥ずかしくて書けないような古めかしい"青春"を真正面から熱く描く小気味よさと
マンガ"三丁目の夕日"のようななつかしさを味あわせてもらったことは確かだ
何年か前、19歳と20歳の少女2人の同時受賞があった芥川賞
その新鮮さと文章のうまさに甚く感じ入ったものだが
それらも所詮は平成の世の感覚の先端
日本という世界の突出した感性だった
芥川賞と日本語の国際化もおもしろい始まり方をしたような気もする
(でも相撲よりずっと遅れている気もしますね)