2010/04/25
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○  人はだれでも、毎日いろいろな場面で物事を判断し、選択したり決断したりしながら生きています。しかし、人間は一生のうち右か左か、重大な決定を迫られる岐路に立つことがあります。イエス・キリストを十字架刑に処すと判決したローマの総督、ポンテオ・ピラトの場合もその重大な立場に立たされました。当時イスラエルはローマの支配下にあり、ローマ政府の派遣した総督によって統治されていました。イエス・キリストは、この地上で完全無欠の聖よい正しい生活をしていました。ですから、当時のユダヤの腐敗した宗教家たちにとっては、キリストはけむたい存在であり、彼にに対する妬みもあったのです。彼らはキリストの正義と聖よさの前には決して立ち向かうことが出来ないのを知っていましたから、策略をもって、キリストを落とし入れようと企んだのです。

 ピラトは原告のユダヤの祭司長や長老たちが口々に不利な証言を申し立てているのに、一言も弁明しようとせず、じっと立って表情一つ変えずに、狂いたけっている群集とは全く対照的な柔和な姿の被告(イエス)見て、不思議に思い、非常に驚いたことが聖書に記されています。そして、ピラトは直感的に、この人は善人であると分かったのでしょうか。ピラトは、イエスを何度調べても罪(ローマの法律における罪)を認めることはできませんでした。ピラトはイエス様の無罪を認めながらも、自分の任地であるユダヤの有力者たちの機嫌を損ねては、自分に不利になると思い、自己保身のために妥協案を出したのです。それは、「キリストと当時の評判の囚人バラバとどちらを赦してほしいか。」というものでした。それは祭りのたびに群集が願い出る囚人一人を総督が赦免する慣例になっていたからです。

 ピラトは、これならさすがの群集もイエスの釈放を要求するに違いないと考えました。バラバとは、その当時名前を聞いただけでも恐ろしがるほどの凶悪な罪人であったからです。しかし、ピラトの予想に反して、群集はバラバの釈放を求め、イエスを十字架に付けるように要求したのです。人々は全く罪のない聖よく正しいイエス・キリストではなく、罪人の中でも極悪な犯罪人を釈放するように望んだのです。イエスが罪のないお方であり、当然、十字架の刑などに処すべき方ではないと分かっていながら群集は、なおもピラトに対し、イエスを十字架につけることを要求し続けたのでした。そして、イエスを有罪者として扱い、祭りの特赦でイエスを釈放しようと考えたピラトの計画は完全に失敗しました。

 ピラトは、とうとう自分の意志に反して、イエスを釈放したいとの思いがありながら、自分の地位や名誉や立場を守るために、また、人を恐れてイエスを死刑にする宣告を下してしまいました。ピラトは、自分の利益と一致するなら喜んでこの世的な正義を行おうとしましたが、大きな犠牲や損失が伴なうなら止めるという態度を取ったのです。そして、彼がいつも自分自身に問う質問は、「私の義務は何か。正義は何か。」ではなく、「私の利害関係は何か。」であったのです。ピラトはこの事件後、間もなくあれほど執着していた地位から追放されて、やがて自殺をして果てたと伝えられています。これは、私たちに対する大きな教訓ではないでしょうか。彼の魂は永遠に救われる機会を失ってしまいました。

 しかし、一見矛盾するように見えるこの出来事の背後に真の神様の愛に満ちた救いのご計画が織込まれていたのです。つまり、イエス・キリストは、バラバの身代わりになっただけでなく、歴史上のすべて人類のの罪を負って、十字架で身代わりに死んでくださったのです。あなたは、「私はバラバのような極悪な者ではない。バラバよりは善人だ!」と考えてはいないでしょうか。聖書は「すべての人は罪を犯したので。神からの栄誉を受けることが出来ない。」(ローマ人への手紙3:23)と厳粛に告げています。神は天からこの地を見おろして「彼らはみな、離れて行き、だれもかれも腐れ果てている。善を行う者はいない。ひとりもいない。」(詩篇14:3)と言っておられるのです。

   さて、このピラトの口から発せられた「では、キリストと言われているイエスを私はどのようにしようか。」ということばは、すべての時代のすべての人々に投げかけられた厳粛な問いなのです。ピラトが民衆に尋ねたこの質問は、私たち一人一人に対する大切な質問でもあるのです。あなたも、私も一人も逃れることのできない重大な質問です。これは、私たちの永遠を決定する重大問題なのです。この質問に対する答え如何によって、私たちの運命が決定されると言っても過言ではないほど厳粛で、重要な質問なのです。ピラトにも良心があったのです。しかし、彼は良心に従ったのではなく、民衆の声に従ってしまいました。ピラトは最終的に、もう永遠に取り返しのつかない決断を下してしまったのです。あなたは、イエス・キリストにどのような態度を取られるでしょうか。

 真理を真理として受け入れることこそ、純粋な本物の信仰なのです。たとえ、自分にとって、不都合なことも不利なことも、真理はどこまでも真理です。真理とは、ものごとの真の姿を表すものです。だれも、真理を変えることはできません。また、それを覆い隠すこともできません。イエス・キリストを信じたら「出世できるだろうか。」とか、「結婚できるだろうか。」とか、「金儲けができるだろうか。」などと、打算が入って来ると、純粋な正しい信仰をもつことができないと思います。あなたの心の中で、良心の声とサタンの声が戦っています。どちらの声にあなたは従うでしょうか。あなたの罪のために十字架にかかって身代わりに死んでくださったイエス・キリストを信じて永遠の滅びから救われて下さい。どうか、あなたの目先のことではなく、永遠を考えて正しい決断をなさってくださいますように。





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最終更新日  2010/04/25 05:43:49 AM
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