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来年のワールドカップ・ドイツ大会で日本代表が着用する新ユニフォームを発表!今回の日本代表ユニのコンセプトは「日本刀の“刃文”」。うーん、刃文かあ。それに今までの「青、白、赤」に『水色』が追加されてる。JFAの公式サイトによると・・・『淡いブルーを融合させることで世界という次なるチャレンジに向け、大空高く羽ばたくことを意味しています。』はあ、さいでっかー。胸番号も今までは中央部だったのが、右側に。フォントとかもなんか70、80年代っぽい気がするけど(^_^;まーまーまー、全体的に見てもワルクはない。02年以降、シンプルなデザインだったから、今回のはオレ的にはOK。99年から日本代表はアディダス製だけど、アディダス製の歴代のユニでは01年のが一番好きだなー。92年10月から96年3月末まで使用された、通称「ドーハモデル」。これは当時の日本代表サプライヤーであったアディダス(デサント)・プーマ・アシックスの3社が代表ユニフォームのコンペで決まり、アシックスのデザインだったもの。JFAのシンボルであるヤタガラスの羽をイメージ。やっぱ代表ユニっつーたら、ドーハユニっしょ!(^O^)今でもありがたく着させて貰ってます、さすがにボロボロだけどー。96年4月から98年3月末まで使用され、『ワールドカップ初出場を決めた』ユニでもある、通称「炎ユニ」。これは日本代表サプライヤーであった上記の3社に、Jリーグで公式グッズを作成していたソニー・クリエイティブが加わり、4社でコンペが行なわれ、新規参加のソニーのデザインに決定。そして、98年度に使用されたのが「フランス大会炎ユニ」。この時のサプライヤーはアシックスで、デザインもマイナーチェンジしたものに留めた。99年からはアディダスがずっと提供している。各年代の代表ユニフォームのデザインは↓で見れます!http://www.adidas.co.jp/jfaをクリック!出てきたアディダスのサイトで、「ENTER」をクリック、「PRODUCT」にある「HOME JERSEY HISTORY」をクリック!98年のフランス大会後、78年4月より98年度までは3社により、日本男子・女子代表、オリンピック代表・ユニバー代表、ユース代表の3カテゴリーに分けて、3社が1年ずつ各カテゴリーを持ち回る形をとっていたが、それを止め、世界でも主流だったサプライヤー契約1社に絞りたかったJFAがサプライヤーを募集。契約金をがっぽり儲けたかっただけ(笑)アディダスと同じくドイツに本社のあるプーマ、日本企業唯一のアシックスは早々とレースに破れ、最後に残ったのは新規参入ナイキと古豪アディダスの一騎打ち。そして5年で30億円でアディダスと契約。ナイキはたしか、10年で400億を提示したとか何とか・・・ちなみに3社持ち回りの時は1社につき1億5000万だったとか。ま、韓国サッカー協会がナイキと契約してたから、ドイツのアディダス本社からは絶対にナイキに負けるなとの指令があったらしい(^_^;金額的にはナイキが上だけど、ナイキは新参者でアディダスとは古い付き合いもあったから、義理と人情を大切にする日本サッカー協会のお偉方はアディダスに決定したんとちゃうかと思ったり(爆)・・・アディダスとの契約は99年から5年間だったが、いつのまにか契約は更新されてたみたいやね(汗)ネット検索しても、そういった記事が出てこない・・・で、99年から00年の2年間使用された代表ユニのコンセプトは『パラレルユニバース』。「シャープな2本のラインを赤色のパイピングと共に力強く広げたデザインが、ユニバース(全世界)への無限の可能性を表現。またそれはJFAのシンボルであるカラスが、大きくはばたくことをイメージしたデザイン。」だそうな。このときの戦果は99年にワールドユース準優勝、00年のアジアカップ制覇など。01年。ワールドカップ前年となった01年は1シーズンのみの使用となったユニフォームのテーマは『フューチャープログレス』。「フューチャープログレスとは「日本代表が近い将来に更に大きく羽ばたいてほしいこと」、「ユニフォーム自身が常に革新しつづけること」を示した。」と謳っていますが、極めてフツーなデザイン(爆)ところどころに世界初の加工や技術を使っているらしいが(^_^;このユニのデビュー戦ではフランスに0-5とボコボコに!しかし、その後コンフェデレーションズカップ2001で準優勝。まさにユニのテーマどおりに世界へ羽ばたいた(のか!?)。そして、21世紀初にしてアジア開催初、共催も初となった「初」づくしの2002年ワールドカップ。各メーカーも日本や韓国の6月といった気候にあわせ、襟がなくなり、軽量化に伴い、デザインもシンプルに。デザインコンセプトはなんと『富士山』。「オリジナリティーあふれるデザインを創出。首から袖にかけての両サイドの赤ラインにより、富士山の輪郭を表し、身頃部の切替えデザインで、湖面に映る逆さ富士を表現しています。」ホンマにシンプルで発表された時は、こんなんイヤやーと思ってしまった(爆)オーセンティックはホンマに軽いし、インナーシャツと一体化してて、プレーヤーにはエエんかもしれんが、なんかヤワくてあまり洗濯できんなと感じた一品(笑)ワールドカップではベスト16。なんといっても「初の(共催だけど)自国開催」となった記念すべきユニフォームとなりましたな!03年のコンフェデでは無残だったが(汗)代表ユニは60万枚も売れたそうな。まさに02年はジャパンブルー一色でした。ちなみに98年のフランス大会はたったの?3万枚だったそーですワ。03年10月。なぜかアウェー用ユニフォームだけが新調。「ドイツで行われる2006FIFAワールドカップへ出場するためのカギとなるアウェーの予選時、日本代表選手が着用する非常に重要なユニフォーム」とか言ってるクセに、なんの変哲もないアディダスの世界モデルのタイプ。ただ、今までのアウェーユニは白だったのにコレはベージュ色で、名前は数字の色も青から紺色にと、ビミョーにマイナーチェンジ(笑)04年2月からはなんと濃い青と淡い青を使い、縦縞に!!ま、これもアディダスの世界モデル・・・ただ、ジーコの要望で首周りに赤色を配されたとか。このユニは中国でのアジアカップ連覇、無観客試合となった北朝鮮戦で「自力で2回目のワールドカップ出場を決めた」という、これまた歴史に残るユニに。・・・とまあ、02年以降はあまりデザインにコンセプトがなくなり、「世界モデルに日本代表色にしただけ」とゆー、しょーもないユニだったけど、今回は「刃文」。そして新たに「淡いブルー」っつーか、水色を配し、斬新になったアディダス製2006年日本代表ユニフォーム。でも、これも「世界モデル」だろーなー!(爆)アルゼンチンにスペインとかフランス、ドイツもこのモデルの色違いなら笑える!ドーハや炎ユニの時は「オリジナリティ」がありすぎるほどあったけど、今や、どこの各国代表ユニも「モデルは同じで色違いなだけ」と個性がないっつーか・・・さすがに今回のユニでも一つだけ注文が。>また、ジャージーの袖部には"チームスピリット/共に戦えば、強くなれる">という思いを込めたフットボールシグニチャーを配しました。そんなん、いらんやろ(爆)各大会でワッペンつけることもあるねんから、わざわざそのスペースを埋めるような事はせんでもエエと思うねんけどー(汗)ナイキのあの「マルに90」のトータル90みたいなモンなんかな??とまあ、なんにせよ!サッカーにおいてユニは重要なファクターを秘めている!どんなデザインでも勝てば、カッコよく見えるもんだ!(笑)このユニを纏った日本代表が来年、ドイツで(02年の韓国以上に)活躍しますよーに!(-人-)ナムナム・・・今日の日記は「日本代表ユニに関する備忘録」になってしもた(汗)
2005.11.07
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31日から東アジア選手権が始まる。Jリーグが中断に入り、ヨーロッパ各地のクラブがジャパンツアーを行い、そして31日からは日本代表の試合も始まる。前回の第1回大会は日本開催ながら、初代王者を韓国に持っていかれてしまった。この時、横浜国際での日韓戦を見に行ったんだけど、大久保(マジョルカ)が退場になっちゃったっけ(^_^;ゴール裏のチケが手に入らなくて、アウェーゴール側寄りのメインスタンド2階で観戦。初めてメインスタンド2階で見て(いつもは1階、または2階ゴール裏)、まず思ったのが、ピ ッ チ が 遠 い ・ ・ ・ (笑)こんなに遠かったっけ?と思うぐらい(汗)ままま、横酷の思い出はともかく、東アジア選手権ですよ!!今回は韓国での開催、女子代表も同時開催!!男子も女子も東アジア王者目指して超がんばれ!!!日本代表は今回海外組はいないけど、コンフェデレーションズで見せた「アジア標準」ではない「世界標準」のプレーを出せば勝てる!はず!(笑)
2005.07.29
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勝ったぁぁぁぁぁあああああああ!!!!!!18位(神戸)と17位(大分)の「降格ゾーン対決」は大分出身のアツと兵庫出身の吉田のゴールが生まれたが、苦労人栗原が押し込んで、ユ ニ バ で 久 々 の 勝 利 !!アツのFKは良いコースに飛んだ。キレイな弾道を描いてたねー(^ー^)クリのゴールはオフサイドじゃないかと、線審をずーっと見てたので、喜びが周りより2テンポぐらい遅れた(爆)つーか、ちょっと涙が出てしまったぜぃ(^_^;あまりにも嬉しかったので、クリの前所属チームのサポの方にメールしてもた(笑)い や あ 、 ホ ン マ に 勝 っ て 良 か っ た !!しかし!シースンパスの機械(カードリーダー)が1台しかないってのはいい加減に改善してくれ。1台しかないから、処理する回数が多くて熱を持つ、屋外だから夏場で暑くて冷却できない。熱暴走で機械不調、処理できない、多数のサポが待ちぼうけ(;´Д`)レイソル戦でもそうだったが、今回も熱暴走で機械が不調でなかなか入れなかった。時間がドンドン経って、優先入場の意味がない!スタジアム内のMFCブースの機械で処理することになったんだけど、これまた熱暴走(笑)ローソンへ氷を買いに走らせるヴィッセルスタッフ、慌てて買いにいくバイト君。・・・ったく、ドンくさいなあ!いい加減に対策講じろや(゚Д゚)ゴルァ!!んで。今回は前座試合に「ヴィッセル神戸10stars(OBチーム)vsTASAKIペルーレFC」戦が。母体の川崎製鉄サッカー部でJFLを戦って、ヴィッセル設立後には1、2年で退団していった、川鉄の選手らも出場はタマランかったです(笑)ミスター神戸・永島氏も「すぽると太り」で見せ場が無く・・・(^_^;子供らに教えているコーチらはさすがにまだ動けてたね(笑)旧ヴィッセル神戸を支えてくれた、95年から03年までの選手・スタッフ等の皆さんに感謝。ヴィッセル神戸10stars全選手・GK石末龍治(95~98年所属、初代キャプテン。ヴィッセル育成部GKコーチ)・DF前田浩二(02年所属、ヴィッセル強化ディレクター)幸田将和(95~98年所属、ヴィッセルスカウト)加島(大橋)進一(95~96年所属、ヴィッセルJrユース監督)酒井靖雄(旧川鉄選手。95~96年所属、ファジアーノ岡山キャプテン※04年シーズン、現在?)・MF安部雄大(98~00年所属、ヴィッセルJr監督)長谷部茂利(98~00年、3代目キャプテン。プロゴルファー)内藤潤(95~97年所属、ハーバーランドフットサルスタジアムGM、株式会社アイ・ディアル社長) 岡本浩司(95~98年所属、バンディオンセ神戸所属※04年シーズン後に引退?)春永代志(01~03年所属、ヴィッセルサッカースクールコーチ)石川隆司(97~98年所属、神戸FCコーチ)原川民雄(96~97年所属、神戸FC)丸野憲二(旧川鉄選手。95年所属、現在?)竹島大介(旧川鉄選手。95年所属、現在?)・FW永島昭浩(95~00年所属、2代目キャプテン。JFAアンバサダー)長田道泰(99~00年所属、ヴィッセルJrユースコーチ)江口倫司(95~97年所属、ヴィッセルサッカースクールコーチ)立花雅人(98~99年所属、神戸FC)矢野マイケル(97~98年所属、シンガー)河野真一(96~97年所属、サッカースクールコーチ?)藤井秀樹(旧川鉄選手。95年所属、現在?)後藤福一(旧川鉄選手。95年所属、現在?)丸野勝一郎(旧川鉄選手。95年所属、ファジアーノ岡山)奥井雄二(旧川鉄選手。95年所属、現在?)
2005.08.27
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はー、8年ぶりっすねぇ。アジア地区最終予選。今日は語っちゃうよー!(爆)12年前の1994年アメリカ大会は「ドーハの悲劇」で幕が下りた。1993年。Jリーグが開幕し、日本はサッカーブームに沸いた。日本代表はエースストライカーのカズを筆頭に、スーパーサブ・ゴン中山、司令塔のラモス瑠偉、ボランチの名を定着させた森保。闘将・キャプテンの柱谷に守護神・松永。そして、彼らをまとめあげたハンス・オフト。プロサッカーリーグの開幕、オフトの戦術の浸透。今まで苦渋を舐め続けたワールドカップへの道。親善試合では勝ったことのある韓国代表にも、この最終予選で初めて、日本代表は勝った。しかし、最終戦・イラク戦の後半ロスタイム。同点。この結果、日本は得失点差で韓国に抜かれ、初のワールドカップ本戦出場の夢は叶わなかった。 「世界に一番近づいた日」、1993年10月28日。過熱したJリーグブームも去り、ヴィッセル神戸がJ昇格した1997年。1998年フランス大会のアジア最終予選が行われた。前回はセントラル方式だったのが、ホーム&アウェー方式になった。広大なアジアでこの方式に批難の声もあったが、公平さを期するために導入されたらしい。オフトのあと、ファルカン、そして加茂と監督が替わっていったが95年に就任した加茂監督はドーハ組を徐々に減らしていき、Jリーグで活躍した選手とそして28年ぶりの出場を決め、ブラジルを破った「マイアミの奇跡」を起こした96年のアトランタ五輪世代を融合させる。カズ、高木、城、前園、中田、名波、山口、森島、井原、秋田、川口・・・・3バックを試したり、97年3月の1次予選後に西沢や平野、中田など新しい戦力を試すも、依然として「決定力不足」が当時の加茂JAPANにつきまとう。97年9月から始まった最終予選。カズの4ゴールなどで初戦のウズベキスタン戦に6-3で快勝し上々のスタートを切る。 その後、アウェーでのUAE戦はドロー、ホームの韓国戦では帰化したばかりの呂比須を投入し、山口の芸術的なループで先制するも逆転負け。アウェー連戦となったカザフスタン戦でもドローを喫し、JFAは加茂監督の更迭に踏み切る。コーチから監督に昇格した岡田JAPANの第1戦となった、ウズベキスタン戦でも後半ギリギリになんとか追いつく。久々のホームでのUAE戦は呂比須のゴールで先制するも、またまたドローに。遂にサポーターの暴動がこの試合後に起きた。まさかの引き分けに納得のいかない一部のサポーターが、引き上げる日本代表選手に、生卵などが投げつけられ、グラウンドには発煙筒や空きカンが放り込まれた。5試合連続無得点に終わったカズは、国立競技場の玄関を出る際に「もうやめちまえ」などの罵声を浴びせられたほか、目の前にパイプイスまでも投げ込まれた。車に乗り込んでからもビンやカンが投げつけられ、これに切れたカズがサポーターを一喝。一触即発のムードの中、30分以上も競技場から出ることができず、やむなく別の出口から別のタクシーに乗り込んで脱出。また、関係者出入り口も500人以上に取り囲まれ、選手の乗ったバスが出られなくなり、数台に分かれて競技場をあとにする始末。「長沼を出せ!」とヤジを飛ばす者、サポーター同士で殴り合う者なども続出し、国立競技場の周囲は異様な雰囲気に包まれた。暴動には伏線もあった。UAE選手が何度もピッチに倒れて、2度も担架が運び込まれるなど露骨な時間稼ぎを展開。にもかかわらず、後半45分を20秒回っただけで、試合は打ち切られた。これに対して、カズや北沢らが主審に詰め寄り、観客も大ブーイング。試合中にはエキサイトした両チームの選手が何度かもみ合う場面もあった。2位の座をかけた直接対決で、引き分けてしまった事により日本の自力2位はなくなってしまった。第7戦、アウェーでの韓国戦。韓国はすでにグループB1位を決めており、韓国世論には「2002年共催のためにも日本に勝ちを譲ってもいいのではないか」という声も。真っ赤に染まったチャムシルスタジアム。ホン・ミョンボを欠く韓国代表の動きは決して十分なものではないという印象だったが、日本はここに来てやっとベストパフォーマンスを発揮できたと言っていいゲーム展開。2-0。名波と呂比須のゴールでした。しかし、この試合でカズと呂比須の2人が通算2枚目の警告を受けてしまい、次の最終戦に出られなくなってしまい、次の試合、誰を起用するかが課題に。ホームでの最終戦、カザフスタン戦。数年ぶりの代表召集となった中山が城と2トップを構成。ずっとスタメンを外されていた高木も復帰。結果はゴールラッシュの5-1。3点目をたたき出した中山は32番のユニフォームの下に着ていた、カズを11番のユニフォームをアピール。途中出場の高木もゴールを挙げた。これにより、アジア地区第3代表決定戦進出を決めた。日本は、通算3勝4分け1敗の勝ち点13とし、UAEが最終戦に勝っても勝ち点12にしかならないため、日本のグループBの2位が決定。Aグループ2位との第3代表決定戦に勝てば、本大会初出場が決定。マレーシア・ジョホールバル。セントラル開催となった、日本-イラン戦。先手を取ったのは日本だった。前半40分、中田のスルーパスを受けた中山が左足で先制。しかし、後半に入るとアジジ、ダエイの両エースに立て続けに得点されて逆転を許した。ここで、岡田監督が大胆なさい配をみせた。カズ、中山に代えて、城、呂比須を投入。これがピタリと当たり、後半30分に城のヘディングシュートで同点。勝負を決めたのは、最終予選初出場の岡野だった。延長後半13分、俊足を飛ばして、GKがはじいた球に滑り込み、ゴールにねじ込んだ。岡野自身にとっては、つらい最終予選だった。初戦から最終戦まで毎回召集されながら、試合には1度も出る機会がなかった。カズや呂比須が警告の累積で欠場したカザフスタン戦も、スタメンの声はかからなかった。しかし、腐らずにその時を待った。そして迎えた大一番、最高の舞台で出番がやってきた。延長戦からピッチに立つと、これまでのうっぷんを晴らすかのように、走り回った。延長前半13分には、GKと1対1になりながら、パスを出して逸機した。久々の出場で弱気になっていたが、このミスで吹っ切れた。がむしゃらに駆け回った先には、フランスへの道を切り開くゴールデンゴールが待っていた―――― ドーハの悲劇から4年、初めて予選に挑んだ1954年から43年、10度目のチャレンジで、アジア代表切符をつかんだ。「世界への扉をこじ開けた日」、1997年11月16日。あれから8年。前回はワールドカップ開催国ということで、予選免除。8年ぶりの最終予選。あの時を知っているのはGK川口とMF中田のみ。改めて、初心に戻って戦わないと・・・ワールドカップ本戦より難しいのが地区最終予選。あん時は初めて、サッカーで胃が痛くなった(笑)ぶっちゃけ、就職活動なんかやってられなかった(^_^;韓国戦とカザフスタン戦を見に行ったけど、山口のループにゴンゴール。もうアレは最高だった。あの3ヶ月は天国を地獄の両方を味わったよ・・・・今にして思えば、なんでホーム全試合とソウルとジョホールバル行かなかったんだろ・・・後悔。って当時はカネなかったしなー。でもなぁ。8年前のようなスゲー高揚感が自分には無い。あの時の高揚感はもう絶対に味わえない。だって、「ワールドカップ初出場をかけた最終予選」じゃないもの。
2005.02.08
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