「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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詩人たちの島
倉田良成『新年の木』を読む
時間に関して、倉田良成の『新年の木』は次のようにノートしている。
「(痛みのないとき)極論をいえば、時間を何かのために《使用する》のは勿体ない。
時間はそれ自身として感じられたままに、いかなるもののためにでもなく過ぎてゆき、
その経過そのものが味わわれるべきだ。もっともこういう極論は痛みの《無さ》によって
もたらされたもので、痛みが実在するときにはこれのまったく正反対のことがいえる。
痛みのさなかでは《過ぎないこと》が時間の本質であり、逆にこのなかで痛みとは、
(あえて地獄とはいうまい)
信じがたい奇跡のようにこの世で実現している、小さな彼岸にほかならない。」(「ジャンゴ」より)
おそらく人は〈痛み〉なしであることは不可能であろう。だから、われわれは時間を時間そのもの経過として感じられたままに味わうことはできない。おのれの痛みに引き戻されるとき、時間はそこに凝固し、《過ぎないこと》がその本質であるかのようにわれわれに対峙する。しかしよく考えてみると、このような語り手の感慨は誰にも訪れるものではない。とどまろうが、過ぎて行こうが、日常の生では、われわれの「おしゃべり」とともに時間はいかなる意味でも、それとして意識され記憶されことはありえない。ハイデガー流に言えば、そのような日常の〈頽落〉のなかにわれわれの生はある。ある危機がそこに切断や転回を持ち込む。
三部に分かたれた詩集の〈ⅲ 入院記〉が彼の言う「小さな彼岸」であり、痛みとともにある時間である。言葉の触手はここからのばされており、全編を覆う基調音となる。倉田の好きなジャズで言えば、ベースが刻みキープするリズムのようなものになっている。〈ⅰ 街をめぐって〉・〈ⅱ 新年の木〉は、「小さな彼岸」から見つめられた此岸―時間はそれ自身として感じられたままに、いかなるもののためにでもなく過ぎてゆく、そんな〈この世〉の生である。そのように時間が流れて行くので、そのなかで、せめて人は愛し、別れ、傷つけ合い、飲食を繰り返すことしかできない。時間の凝固した〈小さな彼岸〉にいて、語り手の言葉はアドレッセンスの時間(「梅屋敷」)を象るが、同時に「信じがたい奇跡のようにこの世で実現している、小さな彼岸」にいるということを忘れない。サックスが高校時代の闘争の破片を歌う、それをピアノが「きみ」とよぶ相手と二人で梅屋敷界隈を歩いている現在を叙述する。機動隊の制止に遭い、十五歳の少年達は逃げ出す。昂揚からわれにかえると「漆黒の街は、催涙ガスの刺激も消え失せて、しんとして何もなく、子供は帰らねばいけない」。「学生服のズボンから、しわくちゃな百円札を取り出して切符を買い/各駅停車の京浜急行をえんえんと乗って、梅屋敷で降りて、家まで歩いて帰った」。そして現在に戻るが、そこにはどこか遠くからの視線が届いている。
京浜急行が瞬く間に走り去る梅屋敷に、春が来て、秋がまた行くことを思わず
きみと私が降り立って、まるで千年の春秋を行くようにいま商店街を歩いているけれど
しんとした闇にいる子はいつか家に帰らねばいけない、ドトールのある光(かげ)深い界隈を
私がきみを連れて、きみが私を連れて (「梅屋敷」より)
現在のなかにアドレッセンスが呼び戻され、あるいはその逆の形のように重層した時間の構造がここにはあるし、他の作品にもよく見られるが、それをこえて通底しているものがあることを言いたいのだが、うまい言葉が見つからない。すべてが振り返られている。そこから全編がレクイエムの様相を帯びると言えばいいのか。(あえて地獄とはいうまい)と記した詩人の「痛み」に対する人間的な品位―decency
に相応して、その回想にはべたつくルサンチマンのかけらもなく、どこまでも澄明さを失わないものだ。
たまたまナット・ヘントフの本(邦題『アメリカ・自由の名のもとに』2003年・藤永康政訳・岩波書店)を読んでいたらジャンゴ・ラインハルントの名前が出てきた。ヘントフがカントリー・ウェスタンの歌手マール・ハガードのことを書いているエッセイ。ハガードはヘントフに対して次のように答えている。
ほら、俺がのめり込んだジャズ・ミュージシャンをひとりだけ挙げろと言われると、ジャンゴ・ラインハルトだと答えるね。…じっとしているのが嫌いな彼にレコーディングさせる、そのためにマネージャーたちはひと苦労したらしいじゃないか。彼が自由な心の持ち主だったことの証拠さ。ジャンゴにしてみりゃ、スケジュールなんて意味ないんだ。プレイしたいところでプレイする、それがジャンゴのやりたいことだったんだ。俺も似たようなものさ。
「ⅲ入院記」に収められた先ほどの「ジャンゴ」という詩で倉田は次のように書いている。治療室で音楽
が鳴る。
第一音でジョン・ルイスの「ジャンゴ」と判る
初めてこれを聴いたのは十五歳のときだったが
次に何が来るか、私は、そのインプロヴィゼイションのすべてを
完全にそらんじている自分に驚いている
―しかし、と、病室に戻る途中の、日の差す渡り廊下で考える
ジャンゴ・ラインハルトという天才が、ジョン・ルイスとその仲間にとって
どういう存在であったか、正確に理解するまでに(この病院に至る)
あと三十数年を要するのだとはそのころ、思いもしなかった
十五歳の倉田少年に三十数年の時間は容赦なくふりかかるのだが、ラインハルトの「存在」の意味とは実は「自由」そのものということではないのか。ここでは明らかにされてはいないのだが、死んだ彼や相方のジャズメンなどのことを「彼らの生よりも死を想い、恋人みたいに死を抱きしめた天上の音楽を考えていると/ほとんど狂ったような幸福な気持ちになった/痛みがないとはこういうことなのか」と続くフレーズを読むと、「自由」の幻影のために闘ったわれわれも含めての十五歳の少年はここで初めて死と差し違えるような幻影ではない「自由」そのものを実感したのではなかったか。それはおそらく倉田良成という天才が「わたしたちの/色付けられない身体へは凝る寒流が喚び込まれ/…わたしたちのうちがわをくるしい図形が走ってゆくだろう」(「夜の距離に」・1975年・ユリイカ11月号)と書いた時点では予想も出来なかったような「苦しい図形」すなわち具体的な「痛み」と差し違えた「自由」である。この生と隣人と食事を慈しみ、味わうことは、この世界に寄せる愛である。彼が獲得した「自由」はそのように働くであろう。
典型的なオーキー(貧乏な、ど田舎オクラホマ出身者のこと)であったハガードは二年半の刑務所暮らしを経験しながら、音楽シーンでの名声を得た人物である。「成功しても、良いことばかりじゃねえ。誰もが知っていることだが、俺は刑務所にいた。出所して以来、何をしたのかって考えると、二度と出られない刑務所に入ってしまったような気になることがあるんだ」と前掲のインタビューで答えている。とすれば、実はこの現在の日常そのもののなかに、常にわれわれは自由を取り戻すべく「小さな彼岸」の痛みの時間を生き生きと想像し創造しなければならない。その痛みが流れ出し、それを忘れるほどまでに。たとえ、私は不可能でも、絶えず愛する者に次のように呼びかけなければいけないのだろう。
(きみは、忘れなさい) ―「春のいそぎ」より―
(注)この文は坂井信夫・倉田良成らの雑誌「索」に掲載予定のもの。倉田さんの許可を得て、ここにも公表する。
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