「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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瀬戸際40代
瀬戸際40代に忍び寄る「思秋期」の恐怖
生殖性で危機を転機に変え、新たな山頂を目指せ!
40代ビジネスマンの立場が、“ヤバい”ことになっているらしい。
「40代の多くの社員は、そのまま惰性で過ごしていると、会社のお荷物になるってことが分かっていない。しかも、何も考えなくとも、周りがお膳立てしてくれる社会で育ってきた影響からか、責任感が極めて希薄だ。次を任せようと思える人材になれるか、それとも人員整理の対象となってしまうかは、自分たち次第だってことを分かっていないのが多すぎる」(ある企業の50代の役員)
「40代は仕事ができない人が多いと思う。二言目には、バブルの頃は良かったなどと言うし、大きいことばかり言うけど、リアリティーが全く感じられない」(某大手金融機関に勤める30代の男性社員)
私と同年代が悪く言われるのは決して気分の良いものではないし、すべての40代に当てはまるわけではない。でも、残念なことにこのような芳しくない評判を聞くことが多いのだ。
今の40代の社員は、「名前さえ書けば即採用」などといった真偽の定かでない噂まで飛び交ったバブル時代の申し子である。30代の社員が指摘するように、求人倍率が2倍以上という“超売り手市場”の下、本来の実力以上に評価されて、運良く有名企業に入社できた人もいるだろう。
採用面接に行くだけでご飯をごちそうになり、テレホンカードを山ほどもらい、内定が出た後には「地方研修」と称する旅行やディズニーランドへの遠足に連れていってもらう──。
人材確保に躍起だった企業から「蝶よ、花よ」と歓待を受け、様々なわがままが通った“過去の栄光”を忘れ去ることのできない人がいることも事実だ。
リストラされる不安を最も感じているのは40代
だが、40代の多くは、周囲が想像する以上に強い危機感を抱いている。
それは、40代を対象とした様々な調査結果からもうかがえる。例えば、連合総研が発表した最新の職業短観によれば、40代の社員が非正規、正規にかかわらず「リストラ不安」を最も感じていると報告されている(連合総研が2010年4月に実施した「第19回勤労者短観」)。
その中で紹介されている「勤労者の仕事と暮らしについてのアンケート」の調査結果(速報)によると、「今後1年間に失業する不安を感じる」との問いに対して、「かなり感じる」「やや感じる」という回答の合計は全体の23.9%と、前年同月の調査結果に比べて0.4ポイント上昇した。
世代別では40代が34.4%(前年同月比2.5ポイント増)でトップ。これは、ほかの世代に比べて10ポイント以上も高かった。
また、2009年の調査(「第17回勤労者短観」)では、40代のストレスが増加していることも明らかになっている。「1年前と比較して仕事や職場でのストレスが増えた」との回答が40代で67.3%に達し、全体の55.5%を大きく上回っていたのだ。
そういえば大手出版社に勤める大学の同級生も、40代のせつなさを漏らしていたことがあった。
「自分もひょっとしたら…。そんな不安はうちのような割と安定している会社に勤めていても感じるよ。でも、だからといってどうしたらいいのか分からない。若い時のように仕事にガムシャラになれるかといったら、そういうわけでもない。だって1日徹夜したら、3日は引きずるでしょ。それに何となく自分の行く末も見えるから、いろんな意味であんまり無茶をしないようにって、妙な保身には走っちゃうよね。本当にこれでいいのかといったら、そんなことはないと思うんだけど…」と。
40代に入って否が応にも肉体的なピークは過ぎ、気がつけば“ライン”に残っているのは一部のエリートたちだけ。ポスト不足の時代だから、課長という肩書きがついていても部下はいない。
つい数年前まで担当していた新人の教育も、いつの間にか30代に取って代わられ、新規事業が激減するこのご時世では、新しいプロジェクトが始まることもなければ、プロジェクトリーダーを任されることもない。自分の存在価値が薄れていっているような気がしてしまうのだ。
そう。上から下からヤイヤイ言われなくても、40代は自分の立場の危うさを知っている。本人たちが一番、行き詰まりを感じているのだ。
何も“バブル入社組”だからという理由だけではない。20代や30代ではなかなかできなかったが、40代に入ってようやく自分を“客観的”に見られるようになった結果、自分の能力の限界を痛感し、どうしようもない無力感にさいなまれているのである。
終身雇用や年功序列が保証されていた時代であれば、自身のキャリアを“会社任せ”にしても、問題はなかった。だが、もはやキャリアは会社に依存するものではなく、働く人自身が自ら設計しなければならない時代に突入した。
そこで今回は、40代のキャリア、について考えてみる。
40代の多くが直面する「キャリアの危機」
「気が滅入り、落胆した状態。あるいはガソリンが切れて、モチベーションを失った状態であり、彼らは彼らの仕事に興奮を得られず、もし経済的に実行可能なら劇的なキャリア転換さえ夢見る時期である」
これは、米国の組織心理学者エドガー・シャインが、40代について評した有名な言葉である。この状態は中期キャリアの危機と呼ばれている(
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組織で働いている40代の多くは、この時期、キャリア・プラトーと呼ばれるキャリアの高原状態に達してしまい、それまでの自分を超えられない、伸びしろのない状態に陥ることが多い。
キャリア・プラトーとは、
・これ以上の出世は望めないだろう
・これ以上、自分の能力を伸ばすことはできないだろう
・これ以上、新しい仕事に取り組むことはできないだろう
といった、いわば自分への諦めの感覚である。
組織のヒエラルキーを最後まで登っていくのは一握りで、ほとんどの人が強制的に山登りを断念させられる。その結果、キャリア・プラトーに襲われる。
本来、キャリアは年齢とともに発達していくものだが、キャリア・プラトーに陥って高原状態にあり続けると、キャリアの発達も止まり、次のステージへの道筋が遮断され、キャリアの後半戦が退屈なものとなる。
だが、キャリア・プラトーに陥っても、それを危機だと認識して、そこから脱する努力をすれば、高原は人生のターニングポイントと化し、さらなるキャリアを開発することが可能になる。
つまり、中期キャリアの危機とは、キャリア人生の後半を転機にできるか、そのまま干上がってしまうかの分かれ道なのである。
40代でもアイデンティティーを探し求める
ところが、40歳という年齢にはいくつかの“ワナ”があるため、“危機”をマンネリ化させ、ターニングポイントにできないまま干上がってしまうケースが多い。
例えば、40代ともなれば、よほどの新しい仕事を命じられない限り、たいていの仕事はソツなくこなすことができる。そのため、キャリア・プラトーに陥って気が滅入っていても、何とか日々をやり過ごすことができてしまう。
しかも、徹夜をすれば3日間は疲労が取れないといった肉体的な衰えに加えて、家庭における子供の進学問題など、仕事、肉体、家庭の節目が40代では複雑に絡み合う。その結果、キャリアから目をそらして無難に生きようとする傾向が強まることもある。
さらに、40代になると同窓会が復活する、という話を聞くことがあるが、自分と同じような境遇にある同年代と接すると、「自分だけじゃない。もう若くはないから仕方がない」というように、キャリア・プラトーを無意識のうちに容認してしまうのだ。
終身雇用や年功序列が保証されていた時代であれば、自身のキャリアを“会社任せ”にしても、問題はなかった。だが、もはやキャリアは会社に依存するものではなく、働く人自身が自ら設計しなければならない時代に突入した。
以前、45歳で大手商社の部長のポジションを捨てて転職したものの、職安通いを強いられた知人の話を紹介したことがあるが、彼が転職という決断に至った動機の根底にあったのは、「社会にとって、もっと意味を持つ働き方をしたい」という気持ちだった。
商社の部長というポジションで、キャリア・プラトーに陥っていた彼は、まずは大学院に通い、それまで彼が培ってきたキャリアを体系づけたうえで、それを社会に還元するために、いや、できる場を求めて次なる山に向かった。
ジェネラティビティーとは、自分という枠を超えて、後輩の育成や地域の発展に役立つ努力を行い、それを生かす働き方をすることである。彼の場合には、たまたま会社を変えるという選択が加わっただけ。いうなれば、会社を変えなくとも、働き方を変えることはできる。大切なのは、それまで培ってきたキャリアにすがるのではなく、それまでとは違うキャリアと向き合うことなのだ。
自分を慕ってくれる“部下”を持て
例えば、組織図に示される部下がいなくとも、自分を「師」と仰いでくれる部下を持つことは、最も簡単なジェネラティビティーである。自分の業績を上げるためだけに、自分のためだけにキャリアを積み重ねるのではなく、後輩たちと一緒にいい仕事をしようとか、後輩がいい仕事ができるようにしようとか、損得勘定なしで関与しようとするだけでいい。
「自分が自分が」という意識を捨てて、縁の下の力持ちとして働けるかどうかであり、「困ったときには、〇○さんのところに行こう」と若手社員が慕うような関係性を周囲に作れるかどうか、なのだ。
部下が慕う、清濁併せ呑む技量を持った人間になれれば、成人期の発達課題はクリアできる。そうすれば、世話という美徳の中に職務上の満足感を見いだし、少しだけイキイキと働けるようになる。満足感を得られれば、「自分もリストラされてしまうかも」といった不安も払拭されることだろう。
自分を慕う部下を持つ人のキャリア人生は、実に豊かだ。会社を辞めた途端に、年賀状も来なくなり、つながりが途切れるような人間関係では寂しいものである。会社で出世した人ほど、リタイアした後に孤独感に襲われることがあるが、役職と関係なく自分を慕う部下たちとの縁は、たとえ会社を離れたとしても、そうそう簡単に途切れることはないはずだ。
自分が20代だった頃、40代は明らかにオジサンに見えた。だが、実際に自分がその年齢になると、まだまだ若い気がしてしまうものである。
深層心理の研究で有名なスイスの心理学者ユングは、40歳を人生の正午に例え、「午前の太陽の昇る勢いはすさまじいが、その勢いゆえに背後に追いやられたもの、影に隠れてしまったものがたくさんある。それらを統合していくのが40歳以降の課題だ」としている。
どんなに自覚できなくとも、40歳は人生の折り返し地点。肉体的なピークは過ぎ、20代の頃に目指していた山をそれ以上昇ることができるのは、ごく一部の人だけである。だが、知力だけは年齢を重ねても衰えることがない。険しい山を昇る体力はなくとも、自分の知力を生かして昇れる山を目指せばいい。
とかく険しい山ばかりを目指してきた人にとっては、「え、こんな山?」とがっかりするかもしれない、退屈に思えるかもしれない。だが、実際に登ってみると、その景色の見事さに感銘を受けることだろう。それが、“美徳”といわれるものだ、と思うのだ。
ユングが「統合」という言葉を用いたのは、人生は光と影があって初めて1つの人生となり、午前と午後があって初めて一人の完全な人間になれると考えたからだ。キャリアも、1つの山を登りきるだけでなく、隣の山を目指して再び歩き出さない限り、完成しないのかもしれない。
会社のお荷物になってしまう前に、自分にばかり向けていたベクトルを次世代の後輩に向けてみてはいかがだろうか。きっとジェネラティビティーの山の傾斜は緩やかで、ところどころに今まで見すごしてきた小さくてきれいな花が咲いていることだろう。お互いに干上がらないように、何とかせねばいかん、ですね。
(出典:日経ビジネスオンライン 2010年5月20日)
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