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2005年01月26日
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ベトナム戦争において米軍はジャーナリストの従軍取材を殆ど無制限に許したので、この戦争は殆どリアルタイムに全世界に向けて実況中継される戦争となった。

インドシナ半島には世界中から様々のジャーナリストが集まったが、当然彼らの犠牲も大きく、第二次大戦終結後の第一次インドシナ戦争、ベトナム戦争、中越戦争に至るまでに170人余りのジャーナリストが落命した。

彼らジャーナリストが命と引き換えに、命をかけて報道した戦争の実態はやがて大規模な反戦運動をもたらし、結果として米国は世論に押されたこともありベトナムから敗退せざるを得なくなった。

一方でジャーナリスト達が「なぜそんな危険な戦場に赴くのか?」と問われた時、うまく答えられないらしい。今もベトナムに拘る石川文洋さんは幾つかの思い当たる理由を書いておられるが「使命感というものはあまり無く、自分を鍛えたい、冒険したい」という点を挙げておられる。併せて「バカだから行けば何とかなるだろうと思った」とも言っておられる。

ピューリッツァー賞受賞の有名な沢田教一カメラマンはひたすら「もっと見応えのある写真」を求めていたようだ。

少し話が逸れるが、アメリカの世論を変えたと言われている一枚の写真があり、これは市街戦の最中に南ベトナムのロアン警察長官が捕虜の頭に銃弾を打ち込む瞬間を撮ったショッキングなものだが、撮影した米国人写真家エディ・アダムズはこれによりピューリッツァー賞を受賞した。先日この写真について薄倖の美人大学院生と論じたのだが、その直後にアダムズが亡くなったという記事を読み、奇遇に驚いた。

この写真に接した米国民の多くが大きな衝撃を感じ、米国が南ベトナム政府を支持するこの戦争は誤りではないのかという疑問を膨らませた。一方で撮影したアダムズはそのような意図を持って撮影した訳ではなく、反射的にシャッターを押したこと、写真を見た米国民の反応にとまどったことを述懐し、あわせてロアン長官の悪名を高めたことに後悔の念に近いものを覚えたようだ。この部分は少し分かりにくいかも知れないが、ロアン長官は何よりも徹頭徹尾勇敢な軍人として畏敬の念をもって見られていたようで、この人を題材にしたと思われる開高健の短編小説「怪物と爪楊枝」には怪しい魅力に溢れた人物として描かれている。

いずれにせよ、一部の既に名声を確立していた人達を除き、どこの馬の骨とも分からぬ若者が殆ど無一文で戦場に飛び出し、多くの衝撃的な報道を世界に届け、世論を動かし、ジャーナリストとして自らの名を高め、そのうちの170人余りが落命した。

よく知られているように沢田カメラマンは薄暮、無防備で車で移動中にゲリラに射殺され、「地雷を踏んだらサヨウナラ」の一ノ瀬泰三は消息を絶ち、生還した文洋さんは忠告されたにも拘わらずゲリラの出没する道に「見たい!」という衝動のまま乗り出して九死に一生を得、小説家の開高健は何百人かの部隊の密林での作戦に従軍し、帰還した時の生き残りは17人だった。



前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。

ベトナム戦争における報道の自由が世論を動かし撤退に結びついたことを教訓として、湾岸戦争以来、米国の軍事行動の取材は厳しく制限されるようになったとはよく言われているところだ。このやり方は非常に有効なようで、アフガニスタンで、イラクで、何が起こっているのか全く分からない。

分からないところがどうなってるのかと思う人がいるのは当然だろうし、見てみたいと思う人がいるのも当然だ。どうも困ってる人達が沢山いるらしいと察して、何とかしたいと思う人がいるのも理解できる。そうして何人かの日本人達がイラクへ行き、捕まり、生還した人、しなかった人、それぞれの運命を辿った。捕まったとの報に接した人達の反応は、概ね彼らの行動に対して批判的だった。

どうしてだ? 

彼らを直接知る人達が「心配かけやがって!」と生還した彼らの横っ面を張り倒す気持ちはもちろん理解できる。生還できなかった人達の肉親の嘆きようは想像が出来ないほど大きかろう。しかし、どうして我々が彼らの行動を批判できるのだ? 

「分別」を欠いた行動だったからか? なるほど、彼らの行動は一般に言われる「分別」を欠いていたかもしれないが、そもそも「分別」とはなんなのか?

私は多少「分別」を欠いた行動を取ることがあるが、概ね弁えていると思う。私にとっての「分別」とは、それを欠いた行動を取ることによって何かを失うことを恐れているということではないかと思う。その臆病さが私に多少の「分別」を弁えさせているのだろう。

だから私は冒険することが出来ないし、なんとなく平和に毎日をこじんまりと過ごしている。一方で「分別」を弁えない「行ってみたい」「見てみたい」「なんとかしたい」という気持ちに突き動かされた冒険に、私にはそれが出来ないと知りながら憧れる気持ちもあるし、突き動かされて飛び出してしまった人達を責める気にはなれない。

「衝撃的な報道で世論を動かした」「世界的な名カメラマンとして名を高めた」「ピューリッツァー賞を受賞した」「何事も為すことなくゲリラに捕まり怯える姿を撮影された」「撮影されて殺害された」という彼らの「分別」を弁えない行動の「結果」により評価が分かれるのは、どうしても解せないところだ。

また、私個人は彼らから直接迷惑を被ったことはない。私が納めた税金が多少、彼らの為に使われたかもしれないが、どこへ消えたか皆目分からない使われ方をするよりは、そういう使われ方をする方がありがたい気がする。

そういう人達も含めて国民全体を保護する為に使われるのが税金ではないかと思うし、逆に言えば、国や権威の言うこと、大多数の言うことを聞かない人達は保護の埒外に置かれるべきなのか? 彼らの存在を許してはいけないのか?



以上、昨日の日記で紹介した報道写真の数々を見ながら思ったこと。





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最終更新日  2005年01月27日 11時34分07秒
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