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2005.08.06
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言わずと知れた広島の原爆記念日。

母が広島で原爆にあったのは8歳の時だそうだ。
祖母はために亡くなっている。

我が家では、毎年この日の祈りを欠かさない。

昨夜のTBSの筑紫哲也による原爆関連番組は、よく取材していい番組だったと思うが、ある特定の「平和主義」に彩られたものだったとも言える。
その点、疑問な点も少なくはない。

例えば、原爆投下は防げたか、という問題は今後の政治のあり方を追究する上では有意義な問題ではあるが、「防がなかった」当時の為政者を非難する色合いがありありと見て取れた。
政治という個人に帰結できない現象を、個人に帰結させて論ずるとすれば、問題はそれで終りである。

もちろん、核兵器の使用を認めた米国の為政者や、日米開戦を回避できずまた核兵器使用の事態を許してしまった日本の為政者は、当然その責任を問われるべきであるが、「平和主義」「反核」の美名によって彼らの苦悩を断罪することは許されないだろう。


問題は、その決断の過程のどこに過失があったのかを明らかにすることであって、個人に罪をなすりつけることではないはずである。

原爆開発のプロジェクトメンバーだった米国の科学者を招き、被爆者と対面させたというのも、有意義ではあるが結果としてつるし上げにしてしまったのだからアンフェアである。
そして、結果として被爆者個々の怒りという個人的感情を以て、開発者個人の感情と対峙させただけに終わってしまい、そこからなんの問題解決の糸口も見られなかった。

彼の科学者は原爆の開発や投下に「罪を感じない」と言った。
それを非難するのは、被爆者としては当然としても、彼にとってはいい迷惑である。
彼は、国策としての原爆開発にかかわったのであり、米国もしくは連合国の兵士の救済のためにそれを開発・投下した。
米国の科学者としては、当然「是」とすべきことであろう。

彼がそれをしなければ、米国や連合国の兵士が多く亡くならざるを得なかったことは間違いない。
忘れてはならないことは、彼ら兵士が徴兵であったこと…つまり兵役に就かなければただの庶民だったということである。

彼らにとっては「サル以下」であった多数のJAPの生命と引換に、「人」である米国民の生命を守ったに過ぎない。

大体、世界人類がみな等価値だという人類愛の観念が普遍化したのは戦後、しかも今からせいぜい30年前のことであって、その現在的認識で当時を断罪しても無意味である。


なぜなら「敵を探し撲滅する」というのは闘争そのものだからである。
真の「平和主義」はガンジーの無抵抗主義以外にはないのである。
それは、自身の防衛すらも放棄することを意味しており、精神的・肉体的に非常な困難を伴うことを意味してもいる。

もし、無抵抗主義を非現実的だと捉えるのならば、その時点で真の平和はあり得ない。

現在の「平和運動」の背景には、自己を正義とする「正義主義」が横たわっていることを見逃すわけにはいかない。


果たして、「正義」を背景になんらかに罪を負わせ、怒りの応酬だけ(それは武力の使用を伴わないものだとしても)で済ませてしまおうという「平和運動」や「反核運動」は、真に被爆者の慰霊になるのだろうか?

むしろ、現在の「平和運動」「反核運動」は、犠牲者の霊を自己の正義の道具としているに過ぎないように感じられる。
それは、慰霊どころか、犠牲者の霊を愚弄することと変わりない。

真にそれを希求するのなら、「正義」を離れて、もう少し奥深いところで問題を考えるべきではないか。

…広島の現実体験のない、それでも被爆二世としては、核兵器の存在への怒りとともに、この時期の軽薄な平和・反核のキャンペーンに疑問を持つものである。





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最終更新日  2005.08.07 15:00:47
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