長野オフ2005(後)



 2機のコンロの一方はこすりつけが、もう一方はPCBがみていた。彼らは風を送って火力を強めたり、炭の位置を変えて隅々までいきわたらせたり、それぞれが起こしたコンロの火気管理責任者として働いていた。
 PCB機はカラコとミミが囲み、野菜やホイル焼きなどのどちらかというとサイドメニュー的な料理が置かれた。対照的にこすりつけ機のほうには、網の目がみえないほど全面に牛肉が敷きつめられ、肉汁が派手に音をたてていた。
 フランスは両方のコンロの中央に座していた。「野菜も食べなきゃダメよ?」などと周囲に諭されていたが、ほとんど牛肉にしか手をつけなかった。

 外で火を焚き、肉を串に刺して焼いて食う、のがスタンダードなバーベキューの楽しみ方であるとするならば、薄くスライスさせた肉を網の上であぶるこの食べ方は、どちらかというと「焼肉」に近い。しかも電子ジャーで炊かれた銀シャリが、ほとんど無尽蔵に出てくるという点が、従来のキャンプスタイルとはほど遠い。
 とはいえ食事はそれぞれが、好きなものを好きなように食べるのが一番おいしかろう。そこで私も豚肉のパックを開けた。これがバーベキューであろうと焼肉であろうと、牛肉だけが不動の主役の座をほしいままにしている。豚でも鶏でも、鮭や鱈があってもいいはずだ。とりわけ牛より豚のほうが好きな私にとって、牛肉至上主義を地でゆくような、こすりつけ機の状態はいかんともしがたい。
 そっと豚肉を忍び込ませた。一つだけ色や形の違う肉が中央で孤立したようになった。
「なんやこら、ここは牛専用ゆうのがわからんか、しっ、しっ」
 とフランスは、箸でなにか汚いものをつまむようにして、虎の子の豚肉をどこか向こうへ追いやってしまった。

 食事を楽しむために酒をたしなむか、酒を楽しむために食事をつまむか、私はまぎれもなく後者だ。しかし彼らはふんだんにある肉と白米で腹を満たすと「ああ食った」「もう食われへん」などと言って一人また一人とテーブルから離れていくのだった。そう言ってテーブルから離れても彼らは飲み続けた。飲みきれるか危惧したほど買ってしまったかと思われたおびただしい量の酒は、逆に残りの本数を心配しなければならないほどだった。

「そろそろキャンプファイヤーでもやるか?な?やったらええがな、やったらええがな。おいジャージなにしとん、はよ火ぃつけろや。それからおまえわしのギター持ってこい、ダッシュやど。PCB悪いけどな、パンとコーラ買うてきてんか。」
 中央に居座ったままのフランスが次々と命令を展開させていった。ギターの用意を命じられたのは私だった。キャンプファイヤーへの点火を命じられたジャージは、身長ほどの高さほどまで井桁状に薪を積み上げたキャンプタワーに灯油をかけていった。ギターを手渡されたフランスは独唱で「燃えろよ燃えろよ、ほのおよ燃えろ」と歌いだした。歌いだしからキーを設定し、旋律にあわせて次のコードを探していった。そうしてフランスは「もえろよもえろ」のコード進行を全て掌握した。
 姿勢を低くしたジャージがタワー点火した。チャッカマンの火は灯油をつたってまたたく間に燃え広がり、火柱となって全ての薪を覆いつくした。パチパチとした木の割れる音や、酸素が炎にからめとられる音がする。タワーの倍の高さまで舞い上がる炎の勢いに気圧され全員が固唾をのんだ。
「もえろよもえろーよ ほのおよもえろ ひのこをまきあげ 天までとどけ」
 フランスが覚えたてのコード進行でギターをかき鳴らしながら、ものすごい音量の声で歌い始めた。2番以降の歌詞があるのかないのか、知らないだけなのか、同じフレーズを延々とリピートするフランスにつられて歌の波は伝染してゆき、やがて森林のステージは「もえろよもえろ」の大合唱につつまれていった。夜空に鳴り響く大合唱とギターは森に影響し、キャンプファイアの炎が放つ光や熱量が人の感情に影響しているようだった。

「これほどのキャンプファイヤは、なかなか見られへんで、な?思い出になったやろ、な?」
 全ての手柄は自分にあるような口ぶりでフランスは自我自賛したが、キャンプファイヤを設計し、一連の構築を担ったのは全てジャージであり、フランスは命令していただけだった。ただ彼の強い意欲とリーダーシップがなければ、我々は果たしてこれを出来たかどうかわからない。
「ほんなら今度はプロ直々におまえらの写真撮ったる。キャンプファイアをバックにええ写真撮れるんとちゃうか?おいこら不思議、いつまで豚肉食ろうてんねん、おまえのペンタックス持ってこい」
 まだ名残惜しく残った肉を焼いていたが、フランスの命令が下ると拒絶できないようになっていった。網の上におき忘れた肉は、焦げて誰かに引き上げられた。

「おい、おまえわしのこと撮れ。」
 プロの技を見せるといってもってこさせたカメラにはまず自分が写りたがった。ハロゲンとキャンプファイヤの光量を照明にして、ギターを構え、視線を横にそらしたキザなポーズをフランスはとった。光量が少なくてシャッタースピードも遅くなった。写真はほとんど手ブレしている。手ブレがなくなるまで何枚も何枚も撮らせられた。何枚目かの仕上がりを見たフランスは「ま、この程度やな。」とだけ言った。それでも嬉しそうに「わし自分のことめっちゃ好きやねん」といいながら、背面の液晶に映し出された自分の姿を、何度も何度も確認していた。


■8 ~フォークダンス~

 ワゴンの屋根に上ったカラコはキャリアのエッジに足をかけてぷらぷらさせていた。スカートの中に穿いたスパッツの裾が小さなレース状になっていた。なにげない表情を撮影しようとカメラを向け取るたび、カラコは必ずカメラ目線になった。そして2回に1回の割合でピースサインになった。子供のころからカメラを向けられたらそうしなさいよ、と躾けられているに違いなかった。そのうちミミもルーフキャリアに上った。2人は飛んだり跳ねたり腰を振ったりしてワゴンを揺らし始めた。まるで子供のようにおおはしゃぎしているところにカメラを向けると、やはりカラコは動きをすぐ止め、カメラ目線でピースするのだった。
 高いところからカラコは、ポップコーンを焼くように命じた。こすりつけはキャンプファイアの炎に直接アルミをかざして調理に挑んだ。まだ燃えさかる炎の熱は高く激しく、アルミごと黒こげになってポップコーンどころではなかった。

 フランスは私が持ってきたデジタル一眼レフが大のお気に入りのようだった。
「おい、おまえ上半身裸になれ!キャンプファイアの向こう側に立って『飛び込んでこい!』っていってみろ!」
 またフランスが無茶な命令を私に課した。「なんだよそれ、なんのまねだよ。」と抵抗してみたが、もはや抵抗にもなっておらず、なかばあきらめ顔でシャツを脱ぎ裸になった。
「なんやよ、やあらへん、友和と百恵の『潮騒』知らんのかボケ、いいからはよう」
わけがわからず裸になって火のそばに立った。熱が直接素肌を照射して痛気持ちいい。1枚撮っては液晶を見てできばえを確認し、気に入らなければ調整してもう一枚、さらにもう一枚、ということを繰り返した。
「バカにしとったけど、結構便利やなこれ、おれもデジカメ買っちゃおうかなえへへへへ?!」
 フランスは《私の》デジタル一眼レフを、ひどくお気に入りのようだった。

 ふと、アコーディオンのような音が奏でるメロディーが流れてきた。見るとカラコがワゴンの屋根に乗って、ラジカセのボリュームを調整していた。この曲の名前は「マイムマイム」。メロディーもタイトルももなんとなく人を小ばかにしたようなこの曲で、フォークダンスを踊った淡くて切ない8月の恋心を思い出すにはちょっと年を重ねすぎたかもしれない、そんなセンチメンタルな気分に浸る間もなく、7人はいつの間にか輪になってキャンプファイアを取り囲んでいた。ところが誰一人として昔踊ったステップを覚えておらず、手をつないだままの輪は、とまどいがちに右往左往するだけだった。
 おぼろげな記憶と染み付いた感覚から、部分的にステップを思い出した誰かが「こうだったんちゃう?」「そやそや」とかいいながら見本を示し、リズムに乗せて踊ってみる。そうして8小節ほどの振り付けが完成した。
「決まったな、じゃ最初から通しでいこうか」
とまるでダンスレッスンのインストラクターのようにフランスが号令する。不思議と誰もが、「通し」で踊ることを楽しみにしている顔になっていた。フォークダンスを踊りたくて踊りたくて、仕方がないような気持ちになっていた。

「右に廻ってキック、左廻りでキック、はい前ー、うしろ下がってー、クラップキック、クラップキック」
 中央にキャンプファイアを据えて手を繋いだ7人の輪は極めて小さく、予想以上に火に近かった。そのためかなり苛烈な運動量を強いられることになった。「はい前ー」のところでは中央の火のごく近くまでひっぱられ、拷問のような熱さに耐えることになった。それでも必死にステップを踏んだ。火の回りをぐるぐると回り続けた。こんなに辛いのに、どういうわけかみんな笑っていた。ほとんど宗教的体験をしたといっていい。

 「オクラホマミキサー」ではまず男女一人ずつがペアになった。男が女を迎え入れてエスコート、やがてくるっとまわしてハイさようなら、を延々と繰り返す。これって実は非常に楽しいダンスだったんだな、としみじみ思う暇などない。なにしろ3組のペアしかおらず、それがキャンプファイアの周りを取り囲んで回転するから、ほとんどダッシュで移動しなければならなかった。もしかしたらもっとゆったりとした振りのダンスだったのかもしれないが、立ち戻って一から振り付けを検証し直そうとは、もはや誰も思わなかった。

「ジェンカ」だった。
 カラコが用意したCDには3曲立て続けに入っていて、一つのダンスが終わっても休む暇なく次のダンスを踊らなければならなかった。果たしてこれらをダンスと呼べるのかどうかとか、踊るという表現が適切かどうかは別にして、とにかく「ジェンカ」だった。肩に手をかけ数珠つなぎになって、「右、右、左、左、前、後、前・前・前」を延々と繰り返す。ジェンカってこんなにハードだったっけ?というほど消耗もしたが、目前に輝く白い光や幻をも見た。これが奇跡体験でなかったら、きっと酸欠だったに違いない。


■9 ~祭のあと~

 何の前触れも合図もなく、打ち上げ花火を打ち上げたのはPCBだった。「手に持ってはいけません」と注意書きされているはずなのに手に持ち、「人に向けてはいけません」と書かれているはずの花火を人に向けた。PCBが放つ花火はこすりつけの鼻先をかすめ、フランスの頭上に降り注いだ。全員が驚き戸惑ったが、それが開始の契機となった。
 さまざまな色に変色する閃光が打ち上げられた。火花が流星のように宙を舞った。戦場のような十字砲火が展開した。怒号と嬌声と笑い声が錯綜した。天の岩屋戸が開いた。ドラゴンが羽根を広げて地上に舞い降りた。解放感や恍惚感につつまれた。伝説のドラゴンが飛び去っていっても、我々の興奮は止むことがなかった。
 全員が一斉に花火を手にした。聖火を点すようにしてキャンプファイアの炎で点火した。なかなか点火せず、手や顔からジリジリと音が出そうになった。全員の花火に火がともった。そしてぐるぐると回転させた。閃光の残像が、輪になって空中にひるがえった。闇に極彩色の模様が浮かび、森の夜を彩った。
 花火は夏の終わりを惜しむように舞い、そして散った。私は、奇妙でデタラメなこの友人たちと過ごすこの時間が、永遠に続いてくれたらいいなと思った。

 カラコはワゴンの屋根から降りて、肉やコップや紙皿を片付け始めた。花火の残骸はバケツの中に入れられた。そろそろ祭りが終わる時間になったのかもしれなかった。ミミは慌てたようにウイスキーのボトルを取り出した。「もっと酔いたい」といってロックで飲み始めた。「片付けとか面倒なことは明日にしたらええやん?」といいながらジャージは椅子にふんぞりかえって頬杖をついてそのまま固まって動かなくなった。
 フランスは歌った。
 曲目はミミやカラコのリクエストによって決められた。フランスは歌本を用意してきていたが、10年前までの曲しか載っておらず、選曲は困難を極めていた。客席は暗がりに椅子を並べて設けられた。椅子と椅子との感覚はなぜか2メートル以上開いていて、浜辺でボサノバでも聴くような、優雅で贅沢な空間でフランスの歌をきいた。
 客席がどんな状態であろうとフランスはロックを歌い続けた。クラシックギターにはエレキ用の弦が張られ、1曲ごとにチューニングが狂うほど激しくピッキングされた。知らないコードをカンニングするため、しばし演奏が途切れたが、それらが一連の流れのようにも見えた。フランスはあたりかまわず歌い続けた。永遠に歌い続けて欲しいと願った。かくも短き過ぎゆく夏の調べとは、エンヤヤーレンソーラン、愛の言霊。

 どのぐらいの時が経ったのかわからなかった。遊びつかれたのかいつの間にか一人ずついなくなった。ピックを草むらに投げてフランスは、指でギターを弾き始めた。ボリュームが抑えられた。喧騒の音を気にしだすほど夜が深まっているのかもしれなかった。かまわず私は飲み続けた。この祭りを終わらせたくないと願った。朽ち果てるまで飲み続けようと誓った。フランスは歌い続けている。残ったビールは1本だけになってしまっていた。

 ミミがボトルのウイスキーを注いだ。琥珀が浸した氷のグラスをしばらく眺めて呷ったミミは立ち上がりわけのわからない踊りを踊り始めた。
「今ならなんでも出来るような気がする!」
 そういってミミはふらふらなステップを踏んだ。
「ほんならおれと一緒に風呂入ろか?」
 フランスがいった。
「まじでー、えー」
「なんでも出来るゆうたやんけ、こいつも入れて3人で入ろか?な、そうしようか?」
 こいつ、とは私のことだった。
「なんでー、わたしだけリスクー?」
 ミミは完全に酔っていたが、拒絶も承諾も先送りにした。したたかさだけは失われていなかった。

 「カラコ入浴中」という情報がもたらされた。その報せを聞いたフランスは一瞬カメラを持ちかけて潜入体制を布こうとしたが、さすがにためらった。
「おいミミ、カラコの入浴シーン撮ってこい、なんでも出来るゆうたやろ、撮ってこい」
「えー、できなーい」
「あほ、ミミが一番許してもらえる確率高いんや、な、ミミならできるがな!!」
 説得というよりも強制に近かった。しぶしぶカメラを持って潜入を試みたようだったが、脱衣所手前まで行ってひきかえしてきたミミは「やっぱり無理!絶対無理!」と逆ギレしてしまった。

 ビールが完全になくなったところで祭りは終わった。
家の中ではPCBとこすりつけがもう床についていて、ジャージも寝る気まんまんだった。洗いざらしの髪のまま台所の片づけを終えたカラコもパジャマを着ていた。フランスが風呂に入っていた。今朝の仕返しと思い入浴シーンを撮影しにいったが、戸惑うわけでも怒るふうでもなくフランスは、「チンコ撮るなよ」とだけいってポーズをつくった。返り討ちにされたような気分になった。つぶれて寝ていたミミはベッドに運ばれ、やがてジャージもカラコも床に就いた。

 リビングには私とフランスの2人しかいなくなった。
「なんやもうみんな寝たんか、まだ飲み足りんやろ、な、おまえもうちょっと付き合え」
 付き合うのはかまわなかったが、ビールが残っていなかった。仕方なくカクテルジュースをあけて飲んだ。リビングは散らかっていた。明日にはきっときれいに片付けられるのだろうと他人事のように思った。そして我々は退室する。明日のことを考えると、少し寂しくなった。しかしここで遊びつくしたという満足感も確実にある。
 付き合え、といった割にフランスは、さっきから一言も口をきかず、携帯をいじっているばかりだった。反省会をしようというわけでもないのだろうか。不審に思ってフランスを見ると、
「これジャージのケータイやねん、イタ電でもしよか?」
 タバコの煙を大きく吐き出しながらフランスはいった。「しよか?」ということは私は誘われている。どこかへいざなわれようとしている。悪魔の誘惑に違いない。でも天使のささやきにも聞こえてしまった。


■10 ~博覧会~

「な、やっぱりメールにしよか?今1時やろ?返事かえってくると思う?微妙やな、おまえこの中から誰か選べ」
 ジャージの携帯を差し出してフランスはいった。いたずら電話ではなくいたずらメールになった。確かに、携帯の持ち主本人になりすまして相手をだますには、電話よりメールのほうが簡単そうだった。
 「標的」の性別は女性に絞られた。悪戯の効果や衝撃が大きいのは、同性より異性だからだと思う。メール送受信の回数や、その日付が近いかどうかなどが標的抽出の条件となった。名前で性別を判断し、文面で親密度や距離感を測った。
 やがて一人の候補があがった。「小笠原 綾」という名前だった。
「よし、あやちゃんいっとこか。どんなメールにしたろ?」
 フランスがメールを入力した。表情は次第に鋭利になっていった。当人に深刻な被害を与えるかもしれないいたずらを仕掛けるときにフランスは必ずこんなになった。今朝風呂で盗撮していたときも同じような表情をしていたことを思い出した。そうかあれは今日の朝に起きたことだった。破天荒な行動、抑制の効かない思考。フランスを脳科学で分析したらきっと、犯罪者として分類されるに違いない。

「できた!!おくっちゃう?な、おくっちゃう??やっぱやめとく?どうする?」
 フランスが躊躇した。判断をゆだねられても困る。この件に関しては極力責任を放棄したい。常識的に考えたら止めるべきだろう。しかし続きが楽しみでもある。
「あー送ったった、送ったった!!どないしよ、大変なこっちゃー、大変なこっちゃでー!」
 どうする?と聞いてきたのは、躊躇っていたわけではなく、コントの中の1フレーズだったらしい。送信した後、「大変なこっちゃ」と慌てたように言ったが、むしろ楽しくてたまらなさそうだった。勲功をみせびらかすような面持ちでフランスは、綾ちゃんに送ったメールを見せてくれた。
『そんな話はどうでもよいので、とりあえず今すぐチンコしゃぶりにきてください!!』
 とりあえず、大笑いした。

 余韻の静まる間もなく、次の人選が始まった。リストから「標的」を抽出するのが、どういうわけか私の仕事になっていた。受信フォルダだけではなく、送信フォルダにも着目した。口説き途中の女がいないか調べるためだった。すると、
『ダブルベッドが届いてやっと部屋らしくなりました。快適ですが、ひとり寝の寂しさが身に沁みます。』
 というメールを見つけた。
 要約すると、「私の部屋に泊まりにきませんか?」ということだった。しかも同じ文面で5人の女に送られていた。「こいつ悪いやつだなあ。」と思わず口をついて出た。
 たしかに、それほど悪いこととは思えない。同じ男だからよくわかる。しかし女の倫理観で照合すると、大罪になる行為だった。おねいちゃんと遊ぶことに罪はない、でも彼女にバレたら大変だ。それと同じ理屈である。
 フランスも同様の反応を示した。
「なんやこいつ!同じメールを5人に送っとんのか!必死やながはははははは」
 ふと見ると1件、微妙に違う文面のメールがあることに気付いた。
『・・・身に沁みるとです。。(ヒロシ風)』
 語尾がヒロシ風になっていたのだった。それを見たフランスは、
「ヒロシ風やて!明日ジャージの前でさりげなく、『○○するとです。。カッコ・ヒロシ風』てゆうたろか?わざと。あいつ気付くと思う?」

 ジャージの携帯が鳴った。ドラクエの主人公がレベルアップしたときに流れるファンファーレだった。
「なんや、返事きたのか!」
 フランスは大喜びした。受信フォルダには「小笠原 綾」とあった。『今すぐチンコしゃぶりにきてください』というようなことを送った相手だった。
『無理です!そういうことは河上先生にしてもらってください!』
 真っ向から拒絶されていた。大笑いした。
『無理は承知のお願いです!!もうパンパンに破裂しそうなんです!!』
 フランスはすぐに返信した。そういったやりとりが何度か交わされた。その都度、ノリのいいシャレのきいた返事が返ってきた。
 ふと、調子がよすぎる、と思った。女だと思っていた「小笠原 綾」は実は男なんじゃないかという仮説が立てられた。

 フランスはメールを送り続けた。送信ボタンを押すたびにフランスは、
「あー送ったった、送ったった!!どないしよ、大変なこっちゃー、大変なこっちゃでー!」と必ず言ったが、大変なことをしている自覚は最後まで芽生えなかった。
『大人のチンコ博覧会のチケットを2枚入手しました。もしよかったら一緒に行きませんか?大人のチンコ博覧会に。』
と送ったメールの返事は、『はあ?』だった。
 確かに「はあ?」というしかない。最もまっとうな反応に、フランスは大喜びした。私も大笑いしてしまった。フランスのイタズラは確実に誰かに伝わっていて、その影響は計り知れなかった。

「最後にイタ電して終わりにしよか?おまえこのユキちゃんに電話かけろ」
 ユキちゃんは、ジャージの携帯の中で、近頃最も頻繁に送受信が行われていて、かつジャージのことを尊敬しているような態度を示す女の子だった。「標的」としては、一番得点の高いところにランキングされ、すでにフランスのいたずらメールは送られていたが、それに対する反応はこれまでになかった。
「マジっすか隊長、私には無理であります。」
「いいからはよかけろや、歯磨いてくるから、その間にかけとけよ!」
 フランスによる最後の命令が下った。
 兵士が戦場で、「右を向け」と命令されたとする。
 なぜ右を向かなければならないのだろうか。右を向く行為がここで本当に必要なのだろうか。そもそもこの命令は信頼がおけるのだろうか。そもそもなぜ命令に従わなければならないのだろうか。というようなことを延々と考えていたら、確実にアタマを撃ちぬかれる。だから兵隊は、上官の命令に即座に反応するためのトレーニングを繰り返して、命令にたいして即座に反応できる身体をつくりあげる。そうしないと生命を維持できないからだ。

 電話をかけた。3コール目で相手が出た。「はいもしもし?」女の声がした。知らないはずの女の声が懐かしく感じられた。自分の声がこれから誰かに影響することになるかもしれないと考えたら怖くなってきた。
「まいど」
 ジャージの声色を真似て言ってみた。すると女は深夜2時、迷惑がる風でもなくむしろ嬉しそうに「まいど」といった。こんなに嬉しそうに、深夜2時の電話を受けてくれる女がいるだろうか。すこしジャージに嫉妬した。
「めっちゃ好きやねん」
 下手な関西弁を真似ていった。これはイタズラだ、ということはわかっていた。わかっていたはずだったが、電話の声がいつまでも耳に残っていた。めっちゃ好きになったのかもしれなかった。

「どや、かけたんか。」
「うん、かけた。」
「なんてゆうたんや。」
「めちゃめちゃすきやねん、て。」
「そしたらなんて?」
「知らん。切った。」
「あほか!」
 フランスは、ジャージの携帯を正確な元の位置に戻した。
 そうして夜は終わっていった。


■11 ~長野オフ~

 3連休最終日の中央道の渋滞の中にいた。松本でジャージや大阪の連中と別れてから3時間近く経っていた。赤く灯るテールライトが長い列を作っている。東京に着くのはまだ先だろう。
 胃のあたりが気持ち悪い。今朝温泉へ行く途中の山道では、運転していたにもかかわらず、急カーブの連続と安定しない速度感のため、クルマ酔いしてしまった。昨日おとといと、飲みすぎたことも原因だろう。今日は一日中、胸やけと胃酸過多に苦しんでいて今もまだ治らない。
「今日はみんなテンション低かったね。そば屋のときなんかシーンとしちゃってたし、どうしようかと思って」
 助手席のミミがいった。確かにそば屋では皆、口数が少なかったようにも思う。

 ガラス工芸の観光施設で、「思い出グラス」を作った。
 紙に書いた絵をグラスに貼り付けて切り抜く。切り抜いたところに粉塵を照射すると、絵が刻み込まれる。世界にたった一つだけしかないグラスを作った記念。それが「思い出グラス」。
 それぞれがまず日付と名前を書き込んだ。「アイラブ長野」のようなメッセージや、好きなイラストを描いた。各自のメッセージが込められた思い出グラスは、そば屋に入ったときに集められシャッフルされた。そしてランダムに配られた。
 私のところには、フランスが描いたグラスが届いた。パンツを下ろしてチンコを出して飛ぶアンパンマンに、「半パンマン やっぱり座位が好き」と注釈されていた。使いようも、飾りようもないグラスだった。

 胸やけや胃もたれに苦しんでいたものの、グラス交換では結構盛り上がったはずだった。
「でも昨日あんなに盛り上がってたのに、今日はみんなどうしちゃったのってかんじ」
 ミミはいった。昨日は確かに異様な盛り上がり方をした。ただ毎日あれをやれといわれても困る。盛り下がりがあるから盛り上がりが際立つ。第一、毎日があんな調子だったら身体がもたない。
 実際、わさび農園では緑色の「わさビール」の匂いをかいだだけで、胃液がこみあげてきそうになるほど私の内臓は疲労していた。

 「わさび農園」はわさびの栽培場を観光客用に解放していた。わさびは、川に盛り土され水に浸かって植えられていた。幅50メートル、水深15センチの川は、全面を水温の上昇を抑えるための黒い幕で覆われていた。それが脈々と果てしなく続いてきていて、最上流を確認することができなかった。観光客用に川の水に足を浸せるスペースがあった。残暑厳しいこの時期でも、川の水は凍りそうなほど冷たくて、2分と浸かっていられなかった。

 空気がきれいだからガラス工芸が盛んだとジャージが言っていた。わさびもきれいな水がなければ栽培できないのだろう。水も空気もきれいな安曇野に暮らすジャージは、見方によればかなり贅沢な暮らしをしている。
 都市に自然は必要ない。自然がどんなものなのかを知ってるだけでいい。自然という「情報」だけがあればよくて、実体は必要ない。だから都市には自然はない。
 ガラス工芸やわさびをつくるためとか、具体的な自然が持つ機能が暮らす人にとって必要だからこそ安曇野には、実体としての自然が存在していた。

 みやげ物を少し買い、セルフのガソリンスタンドで給油した。3台のクルマから降りた7人は輪になって、会えたことの喜びをかみしめ、そして別れを惜しんだ。
「じゃあ次のオフはいつにする?」
 幹事のカラコはもう先のことを考えていた。
「春やな、春。」
 フランスが言った。
 このオフも、実は春ごろから話が持ち上がっていたはずだった。ということは、またこのぐらいの時期にずれこむかもしれないと誰もが思った。

 この旅はカラコによって「長野オフ」と名づけられていた。
 ネットの回線上に電気信号が流れている状態が「オン」として、回線を切って生身の人同士が会うのが「オフ」。ネットで交わされる文字の「情報」だけでは絶対に伝わらないことは、考えてる以上にたくさんあった。それは「実体」としてこうして、会ってみなければわからないことでもあった。「長野オフ」には、都市と自然、オンとオフ、情報と実体、といったような二元的要素が多く詰め込まれていた。
 高井戸料金所を通過して渋滞を抜けたキューブはスピードを上げた。増えてゆく街灯やネオンライトの光はただの電気信号にしか見えないし、月がどこにあるのかわからない。手や足や目や口から神経細胞をつたう信号として、脳内に戻ってきたような感覚になった。
 また明日から、実体のない世界で、情報だけをたよりに暮らすことになる。

「オフレポ書くんやろ?どこに書こ?」
 フランスが言った。
 正直、これだけの自然や、実体としての友人らと過ごした体験を、「情報」に変換することはほとんど不可能だし面倒だ。
 でもきっと書くことになるのだろう。
「おれのことはカッコよく書いとけよ!!がははははは!!」
 フランスの命令だから仕方がない。


  ~おしまい~


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