PR
Keyword Search
Calendar
New!
三国4077さんComments
Freepage List
阪神淡路大震災の直後
自分が納入した医療機器のメンテナンスで神戸の病院をあちこちと
東京から夜行で早朝大阪の近くまで何とかたどり着いてもそれから先へは進めません。
それからやっとのことで大阪天保山からのフェリーだけが三宮に行けることを聞いて、
どうやって行ったのか港までついて。何時間も待ってフェリーに乗って、
三宮港から被災の爪痕や 瓦礫の中を歩いて市民病院や国立病院や大学病院を回りました。
何百年も前に建てられた有名な神社も、毎日人の乗り降りする駅も街のアーケードも
つぶれていて、
ビルがお互い寄りかかっていたり、まだ煙の出ているような焼け跡や
とりあえず屋根にブルーのシートをかぶせた町並みや
なんだかあんまり恐怖に直面すると自分が被災されなかったせいなのか
ただ事務的に仕事を続けることしか考えませんでした。
重い機械を両手と背中に背負って汗とホコリにまみれて歩いていたら
炊き出しのおばさんたちが湯飲み茶碗とおにぎりを被災者と思って差し出してくださいましたが、間違っても受け取るわけには行きません。
ただ大学病院で器械が順調に動くことを確かめた後先生から
「これで安心して怪我をなさった方たちの治療が続けられる、ありがとう」って
言われ、アンパンを一つ頂いた時は始めてほほが緩み、そのパンとパックの牛乳を
むしゃぶり食べてしまいました。夕方になっての今日始めての食事でした。
それなのに自分が直接傷を負ったわけじゃないからでしょうか
どうして記憶の中から遠のいていってしまうんでしょうか。
今日はあの日の一日を思い出して
お亡くなりになった被災者の皆さまのご冥福をお祈りさせていただきました。