倫理の進化

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若樹

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2006-10-17 01:55:56



犬猫の殺処分、人間中心の世界のあり方に、反対します。

私は汎神論者です。

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倫理の進化と言う法則があります。

人間の倫理観念は、段階を経て成長して行き、全ての生命に倫理を持って接す

る事が出来た時、初めて完成に至るのであると。


現在、この倫理の進化は、最後の進化の段階に来ています。

人類は、道徳的完成を迎える、一歩手前にいるのです。

この進化は、初め、白人男性のみを対象にされていて、その他の存在は、全て

差別と迫害を受け、倫理的判断の、適応外とされていました。

倫理の進化は、その理論によれば、その後女性から、そして有色人種に、その

対象を拡大して行き、最後にアニマに至る事によって、倫理的精神の、完成

を見るのです。

我々は、前時代、マハトマ・ガンディーや、キング牧師ら、有色人の、精神的

指導者達の指揮によって、彼らが白人の偏見から解放され、人種差別は浄化さ

れ、倫理が一つ、進化を成し遂げたのを、この目で見ました。


そして今、我々は、倫理の最後の波を待つ、アニマ達の前に立っているので

す。


彼らアニマに、女性や有色人達に対して行って来たのと同様、偏見の浄化と

社会的地位の、根本的見直しを図れない限りは、人間の倫理は完成せず、放置

しておけば、倫理はまた、後退の一途を辿るのです。


人類が遂に、道徳的完成を成し遂げられるかどうか、全ては、最後の進化を担

う、この時代の我々の手にかかっています。


同じ目標を持つ全ての人と、この仕事を成し遂げて行く事を、願っています。


画像 037.jpg


2012年5月13日、自由欄改訂。

今、人類が変わらなければ、何もかもが、手遅れになります。




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2020.09.15
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カテゴリ: 思想




帯に数学は論理である、と書いてあった。
論理なら大得意なので、買って見たものの、余りに多忙な時で、結局読まずに終わってしまった。

それが、二年程前に改めて読み返して見た。

まあ、何を書いてあるかは置いておいて、腑に落ちなかったのが、中で紹介されている、「ユークリッドの公理」の説明である。

公理は第一から第五まであって、第四迄で平面に円を描く事が出来る。
次の様なものだ。

1.任意の点から任意の点へと直線を引く

2.直線は延長が出来る

3.任意の点と距離(半径)で円を描く

4・直角は全て相等しい
(直角とは、円内に十字を置いて上下左右を作った場合の直角の事)

ここ迄で円が完成する。
問題は次の第五公理。

5.1直線が2直線に交わり、同じ側の内角の内側の和を2直線より小さくするならば、2直線は延長されればその先に於いて交わる

数学では、この第五公理が今一つ意味不明で、これを「平行線の公理」と呼んでいると言う。

著者の説明によると、例えば正面に二本の線路があるとして、それを延長して行くと、交わる様に「錯覚」すると言う事であるが、錯覚だったら「交わる」文言は必要無い。

それに図画で言えば同じ様に線路が消失する風景画を一点画法で描くが、その様に見えても実際は消失してないのである。

二点画法で描けば、線路は平行線のまま交わらない。

これって数学者が言う様に、本当に平行線の公理なんだろうか。

文章をどう読んでも平行線の公理にはならない。
府に落ちない・・・。

最も、後で調べたらユークリッドの幾何学言論は他にも20幾つの定理他ある。
だから、幾何学原論を全て読まないと説明が足りないのかも知れない。
しかし、数学嫌いが間違っても読む様な代物ではない。
だから、この五つの文書のみで全て判断しているんだけど、それでも論理的に言っておかしい。

これは「平行線の公理」を書きたいんだと言われたら、「そう言おうとして文章説明に失敗したんだな」と思って終わるのであるが。

でも、文章を読むとどう読んでも、これは「収束の公理」である。

そこで考えて見たのだが、「平行線の公理」でなかった場合、ユークリッドは平面上に著した円(面積)を、{いかにして}今度は消失させるかを説明しようとして見たのではないか。

問題は、第五公理は三次元の立体的空間を持った世界の収束法を指摘しているので、(と言う事にしておいて)二次元平面の円の面積は普通この用に収束しないと言う事だ。

数学は元々エジプトで発達したと言うが、それもナイル川沿いの肥沃な土地を各自に分割して耕作するが、年に一回ナイル川は氾濫して新たな土が運ばれ、以前の場所が埋められてしまうので、また新しく面積を求めなければいけないそうで、その為に数学が必要とされたと聞く。

(これは前述の本には記載されていない)

だから、ユークリッドの第四までの円の面積が消失する場合は、やっぱり押し流されるのが妥当な消滅法だ。

ただ、もしユークリッドが例えば平面ではなく、上下に空間を持った世界の真ん中に面積を持つ円を横に書いて、その円から例えば下方の空間が消失する公理を書きたかったのなら、そもそも「円」を作るのではなく、「螺旋」状の球体を作らなければいけないのである。

半円球の真ん中が前述した平らな丸い面積として、その下方(或いは先)も同じ様に半円球を描き、頂点に向けて収束するなら、その説明は公理として成り立つ。


私がこんな風に思ったのは、実は随分前に自分で宇宙空間の全貌に付いて考えてみた事があるからだ。

考える時には当然天文学に関する本は読まない。
答えを教えられては敵わないからだ。
だから以下の事は全て私の思考によるもの。

自分で考えた場合、論理的に言って宇宙は螺旋状の球体を取る筈であった。
今はまだ、その途上の状態にあるのではないかと思う。

宇宙空間の外に空間は無いと思われる。
空間の外は空間の内部と言う、マクロ宇宙に対するミクロ、小宇宙の別空間が中にあって、この二つはメビウスの輪の様に繋がっているのではないかと思う。

こう言う事を昔考えていたので、第五公理を読んで、これは実は宇宙の様な、空間の消失を説明した「収束の公理」だったのではないかと思ったのである。

大体、第四公理まで読んで、いきなり第五の「平行線の公理」が出てくるのは「非論理的」ではないか。
第四までで面積を持つ円が出来上がる。
と、なると普通それに続くと考えられるものは、その面積を持った円の今度は消滅を説くものであって、いきなり「平行線」は無いんじゃないかな。

論理的に考えるなら、第五は円、丸い面積の世界の(を真ん中に持った球体空間の)収束の公理だ。

と、私は思えてならない。
何故「数学とは論理である」と言う一文に安心して読んで、ここまで非論理的な文章が出て来るのか悩んでしまった。

こっちは数学嫌いだが論理家である。
もう何年も前に考えていた事を、何故急に今書いたかと言うと、今年コロナ災禍で少し時間に余裕が出来たからだ。

何の活動も出来ないし、全く東京へも帰れない。
ふと思い出して、綴って見る事にした。

第五公理は「平行線の公理」なのか、懐疑派を自認する私としては、是非知りたい。

周りに数学が分かる人が全くいないので、大学の数学の教授に質問をして見ようと思ったが、「質問したい事があります」のメールに対してから返答もなかったので、聞けなかった。
勢い、欲求不満で久しぶりにブログに書いてみた訳である。

誰か分かる人がいたら、手紙を書いて・・・

と、思ったけど、コメント対応で再びfc2ブログを開きました。
(前のブログのパスワードが分からなくなって・・・)
楽天はコメント欄は開きません。
悪しからず。

「fc2ブログ倫理の進化コメント」で開きます。と思います。

只、私は以前と違ってネット環境の無い所に住んでいます。
お犬様達と・・。

パソコンを見るのはせいぜい一週間に一回、図書館にて。
ですので、数学に詳しい方、コメントの対応は非常にゆっくりのなのでご了承下さい。






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Last updated  2020.09.15 16:02:58


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