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駒返る草や主来ぬ畑にはや 埋めてある大根の掘り出しや、白菜、キャベツ、ニンジンなどの収穫の為、山の高台にある畑に久し振りに行きました。 今の季節、畑の仲間と会うことはほとんどありません。 みんな収穫だけで短時間で帰ってしまうからです。 仲間の畑が赤くなっているのが見えました。 ホトケノザが蘇って花を咲かせていました。 畑にも春はやってきているようです。 10日から11日に掛けて、雪か雨の予報が出ています。 それ自体は大歓迎ですが、草も元気を取り戻し、草との闘いを予感させます。 2月の終わりの頃になると、いよいよ馬鈴薯の植え付けの準備が始まり、春の農作業のスタートです。
2022.02.08
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雪嶺の掘られた跡の襞哀れ 大寒の日に平地は降りませんでしたが、武甲山には雪が降ったようです。 家から見える武甲山の正面は北を向いていて、雪が降ると何時までもとけず、石灰岩を掘った跡がハッキリと見えるようになります。 昭和53年に中生代三畳紀後期(約2億年前)の二枚貝化石が報告され、武甲山石灰岩は中世期三畳紀後期の地層に相当すると考えられています。 長い間眠っていた石灰岩が、大正14年から掘り始められ、関東大震災から復興する東京のセメント需要にこたえるかたちで掘り続けられました。 昭和47年、当時の浩宮殿下が秩父を訪れた際、山肌がむき出しになった武甲山の姿を危惧された感想文が新聞に掲載され、全国的な話題になりました。 石灰岩鉱山における緑化対策が研究され始め、ベンチカット採掘法で石灰岩採掘を行い、階段状になった残壁の平坦部に土を盛り、樹木を植えるという方法が基本ですが、岩場で北向きの為、霜による凍死や根の浮き上がり、種子の流出などで、非常に難しいようです。 秩父のどこからでも見える武甲山は、秩父の人の心の支えになっていますが、その後も掘削が続けられ、私が子供の頃に見ていた兜の形をした山から、ずいぶん山容が違ってきてしまいました。 霞がかかり山襞を隠してくれる春が、早くやってきてほしいものです。
2017.01.23
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宮地屋台本町屋台完成 祭当日の宮地屋台と上町屋台先人の技の組まれる秩父山車 昨日の日曜日は秩父夜祭に向けて、各町会で屋台(山車)の組み立てが行われました。 屋台の収蔵庫が開けられ、1年ぶりに運び出されました。 と言っても、4枚目の写真のような屋台ではなく、各パーツに別れた数多くの箱ですが。 秩父神社例大祭は昔から行われていましたが、屋台を曳く付祭は寛文年中(1661~72)に始まったと伝えられています。 名匠藤田大和によって宮地屋台は建造されましたが、大和は忍藩江戸御上蔵の普請も手がけたと言われています。 釘を1本も使わないのが特徴で、木と木を組み合わせていきますが、長い間受け継がれてきた技です。 昨年ユネスコの無形文化遺産に登録され、国重要有形民俗文化財に指定されているので、慎重の上にも慎重に取り扱われます。 他の町会を覗くとちょうど昼休みで、お弁当や味噌汁お茶などの接待を受け、この時は緊張も解けて笑顔や冗談を言う姿もありました。 組み立てを終わった屋台はまた収蔵庫に戻され、12月2日と3日には、今度は美しく装飾した4枚目の写真の姿で町を曳行されます。 秩父神社では12月1日から御本殿清浄の儀、 御神馬奉納の儀、新穀奉献祭と神事が進み、12月2日の宵宮、3日の本祭と盛り上がっていきます。 金子兜太さんのお父さんの金子伊昔紅(かねこいせきこう)さんが中心になって作った「秩父音頭」に次のような歌詞があります。 ・・・・秋蚕仕舞って麦まき終えて 秩父夜祭待つばかり・・・ 屋台が組み上がり、太鼓慣らしの太鼓の音が夜風に乗って聞こえてくると、各家庭でお客様を迎える準備が忙しく始まります。
2017.11.27
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春北風のさなか庭隅福寿草 昨日は吹かなかった風が、今日は一転して辺りを吹き抜けていきました。 そんな中で福寿草が開き始めました。 この側に太い松の木があり、1月中旬に業者に根元から伐ってもらいました。 一応踏まないように弓の支柱を刺しておきましたが、太い幹や、枝、松の葉などが折り重なって落ちてきて、今年は駄目かなと半分諦めていました。 風が吹き抜ける中で庭の見回りをすると、黄色い花が見えました。 よくぞ生き伸びていてくれたと、思わずニッコリしてしまいました。 元日草とも呼ばれるお目出度い花ですが、今になって咲いてくれたことに感謝です。 当地は山に囲まれて盆地なので、あまり風の被害は出ない所ですが、ニュースを見ていると風の影響で飛行機が欠航になったり、鉄道などへの影響や工事現場の足場が崩れたり、各地に被害をもたらしているようですね。 これからまだ強い風が吹く予報ですが、これ以上の被害が出ないよう願っています。
2025.02.13
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裏庭の荒れ地明日葉生き残る 裏庭の乾燥した荒れ地から明日葉が顔を覗かせていました。 退職した時、社宅の横にあったものを鉢に移して持ってきたものです。 別名八丈草と言われるように南の島の植物で、寒い山国の盆地では育たないだろうと思っていましたが、毎年芽を出し育ってくれます。 天ぷらやお浸しなどで食べていますが、何時もと比べて今年は元気がありません。 雨も雪も降らず乾燥しきっていて畑の野菜も軒並み育ちが悪く、テレビなどでも生業の農家の方が嘆いている姿が映し出されますが、本当に深刻です。 水を撒き、不織布を掛けて寒さから守っていますが、このまま明日葉が育つかどうかわかりません。 昨年の種が落ちているはずなので、もう少し暖かくなって別の場所から芽生えてくるのを待ちたいと思います。
2025.02.14
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