写真俳句ブログ 0
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山歩き切り上げ湯屋へ秋暑し 月1回のペースで行っている、昔の職場仲間とのハイキングは、川越の日帰り温泉での納涼としました。 ハイキングはアリバイ的に行い、すぐに温泉に直行しました。 冷たいビールで親睦を深めましたが、この頃前回のハイキングから1ヶ月しか経っていないのに、昔の職場の誰かの訃報を聞く事が多くなりました。 お互いそういう年齢になったんだなあと改めて思い、健康に気を付けて9月も会いましょうと約束をして別れました。
2015.08.10
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消させない少女の笑顔長崎忌 今日は長崎忌です。 私のブログ名の元になっている近所の薬師堂の大修理で、隣組の人と一緒になって腐食している床板を根太ごと全部切り出したり、コンクリートを敷く作業をしている途中で、止めてある軽トラックから聞こえてくるラジオに向かって、頭だけを下げました。 長崎平和記念像の作者の北村西望は、昭和20年3月から昭和23年まで、秩父長瀞町矢那瀬の高徳寺に家族と共に疎開していました。 寺の裏にあった竹を使って考案したのが、竹の骨組みに石こうを直接塗って仕上げる、「石こう直付け法」で、粘土原型から石こうで型取りする従来の技法より、大型作品の制作に適していて、昭和30年に完成した平和祈念像(高さ9.7メートル)の制作に活かされたと言われています。 疎開中、畑でキュウリやトマトを育てながら、地元の祭りや行事に積極的に参加し、地元住民との交流を深め、資材不足の中で制作した書や絵画も含めた作品が、長瀞町の町内には150点残されいると言われていて、今年の2月末から3月のはじめにかけて、その内の80点が長瀞宝登山神社で北村西望展として展示されました。 上の写真は「喜ぶ少女」という作品です。 70年前、この少女のような笑顔が一瞬に奪われたのですね。 70年後の現在、世界の核兵器はずいぶん増えてしまいました。 唯一の被爆国の日本は、もっと積極的に世界に訴えなければならないと思いますが、安全保障関連法案の法文上は核兵器の輸送が可能だとした防衛相の答弁や、首相挨拶も、広島では非核三原則の堅持を盛り込まず、批判されて長崎では盛り込むという一貫性のない姿勢が伺えます。 語り伝えていく人もだんだん高齢になり、どのように継承していくかが課題だとテレビで放送していましたが、私も含めて、日本の将来について、真剣に考えなければと改めて思いました。
2015.08.09
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立秋の風に捗る農作業 今日は立秋です。 暑くなるまでに作業を終わらせようと、朝早く山の畑に行きました。 馬鈴薯を掘った跡地が草ぼうぼうで、今まで暑くて手を付けられませんでしたが、その草を取り始めました。 空は曇っていて、時折涼しい風が吹いてきました。 何時もは午前10時頃になると、強い日差しが照りつけ、作業を中止して帰ってきますが、今日は予定していた以上の面積の草を抜く事が出来、おまけに耕耘機まで掛けられました。 お昼のチャイムが鳴ったので帰って来ましたが、昨日までの猛暑が秋という言葉を聞くと、どこかへ行ってしまったのが不思議です。 このまま涼しくなってくれれば、農作業も捗るのですが。
2015.08.08
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陰りても熱は剥がれず都会灼く 所用で東京へ出掛けました。 帰りに池袋から秩父への直通電車に乗ろうとしましたが、乗り換え時間が合わずに出てしまいました。 次の電車を待つ間に、池袋駅東口に出てみました。 ビルの谷間で陰になっていましたが、アスファルトの照り返しは消えず、熱気が充満していました。 山国も気温はあまり変わりませんが、土とアスファルトの違いは歴然としています。 そう言えば、人の歩く速さも随分山国とは違っていました。 私も9年前までは、東京駅近くの職場だったので、人混みの中を何の違和感も感じずに歩いていましたが、今では人にぶつかりそうになり、歩く速度も遅くなってしまったようです。 それでも残り少ない人生、ゆっくり歩むことにしました。 明日は立秋ですが、秋はまだまだ先のようですね。
2015.08.07
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過ちの言葉薄れる広島忌 今日は広島原爆の日です。 テレビに向かってですが、遠い山国から黙祷を捧げました。 広島には二度、長崎には一度行ったことがありますが、ご存じのように原爆死没者慰霊碑には、安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬからと刻まれています。 70年経つと、いろいろな意味で風化していっているようですね。 昨日のNHKの「クローズアップ現代」では、長崎の被爆者が中学生を前に語っている時、「この死に損ないが・・」と罵声を浴びせられたと報道していました。 安全保障関連法案をめぐり「誤った報道をするマスコミには広告は自粛すべきだと発言した同じ議員が、党本部で開かれた原子力政策に関する会合で、原発に批判的なテレビのコメンテーター(解説者)らに関し「個別にどんどん正確な知識を知らせていくべきだ。各個撃破でいいからぜひ行って、皆さんの持っている知識を知らしめてください」と資源エネルギー庁の幹部らに求めたという報道もありました。 別の議員は自らのツイッターで、安全保障関連法案に反対する学生団体について、「『戦争に行きたくない』という自分中心、極端な利己的考えに基づくと非難していたことがわかった」という報道もありました。 撤回はされましたが、「法的安定性は関係ない」という補佐官の発言など、「思想及び良心の自由」が脅かされた戦前に回帰するするような発言が、次から次へと責任政党から出ています。 この写真俳句ブログも、いつか検閲が入るのではないかと、よけいな心配まで出て来ます。 今日高校野球100年の筋目を迎える97回大会が開会されました。 戦争によって中断された時期もあったと解説がありましたが、その間戦死したり、空襲で亡くなった高校球児もたくさんいたようですね。 元気に行進する高校球児達が、バットを銃に持ち替えることがないよう願うと共に、孫の為にも平和が続くようにと思いながら見ていました。散った子も歩む100年甲子園
2015.08.06
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胃カメラを飲んだ後先夏痩せる 7月31日に人間ドックを受けましたが、今日は残った検査の胃カメラの検査を行いました。 朝食抜きで、水も口を湿らせる程度に飲んだだけで病院に行きました。 朝からの強い日差しで、車のクーラーも効きません。 麻酔、血管収縮剤などの処置を行っただけで、かなりの疲れを感じましたが、胃カメラが胃の中で動く段になると、相当な体力を消耗したような気がしました。 あまりやりたくない検査だと、誰に八つ当たりする事も出来ずに外に出ると、ちょうど病院の送迎車が着いたところでした。 介護士に支えられて、車椅子の患者さんが次々に下りてきました。 その不自由そうな様子を見ていたら、自分の不満などは些細な事だと思いました。 なるべく介護のお世話にならないように、自分で健康は守らなくてはいけないと、改めて思いながら帰ってきました。
2015.08.05
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空蝉や空き家の増える過疎の町 庭の隅の木賊に、蝉の殻がありました。 この間見た時にはなかったので、最近生まれたようです。 7月のはじめに生まれてくるものもあれば、もうすぐ立秋という時期に生まれてくる蝉もいて、蝉の世界も大変ですね。 山梨県境に秩父市大滝という集落があります。昨年2月の大雪で孤立した集落です。 昨年3月に閉校した大滝小学校の利用者募集の記事が、市のホームページに載っていました。 農業や林業で暮らしていた町ですが、高齢化に加え、猿や鹿などが作物を食い荒らし、農業ではやっていけなくなってきました。 林業も衰退し、若者が都会に出て行くお決まりのパターンになりました。 限界集落という厭な言葉が、現実味を帯びてきました。 秩父市の中心地でも、高齢化と国道沿いに進出してきた大型店舗の影響で、旧商店街のシャッター街化が進んでいます。 何とかしてほしいと思いますが、「自民党の武藤貴也衆院議員が自らのツイッターで、安全保障関連法案に反対する学生団体について、「『戦争に行きたくない』という自分中心、極端な利己的考えに基づくと非難していたことがわかった」というニュースなどを見ると、地方を何とかしてくださいという主張も、「日本全体を見ないで自分中心、極端な利己的」と言われるかもしれませんが(;_;)
2015.08.04
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うち続く炎暑に狂う人と花 毎日猛暑が続いています。 朝早く山の畑に行き、10時頃には帰って来るようにしています。 日中は休養し、午後3時過ぎに畑に行くようにしていますすが、午後から雷が鳴ってきて、予定が狂ってしまう事がしばしばです。 今朝も畑に行きましたが、夕べの雷雨で畑はぬかっていて、泥に足を取られて思うように作業が出来ません。 予定の半分ほどの作業を終えて帰ってくると、庭の藤の木に3房藤の花が咲いていました。 猛暑で人間も狂わされますが、花も季節を違えて咲き出してしまいました。 もうすぐ立秋ですが、この猛暑も収まってほしいものです。
2015.08.03
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いかだ師も転けて笑いの川涼み 荒川の上流で秩父青年会議所主催の「荒川源流いかだコンテスト」が行われました。 消防団や企業、個人など20チーム以上のいかだが参加しました。 スタートからゴールまでの200mのタイムと独創性を競うものですが、順調にスタートしたと思っても、波のある所へ差し掛かると、いかだが壊れて転覆してしまうものもあり、川岸から大笑いが起きていました。 厳しい日差しが照りつけていましたが、川に足を浸けていると、涼しさが伝わってきました。
2015.08.02
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梅干して辺りに満ちる日の匂い 梅を干しました。 今日で二日目ですが、猛暑がよく乾かしてくれます。 雷が近付いてきたので、慌てて取り込みましたが、ベランダには温められた梅の匂いが充満していました。 明日干せば終わりですが、気の抜けない三日間です。
2015.08.01
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七月の終わりに閉じる日記帳 暑中御見舞い申し上げます。 本日で今まで続けてきた写真俳句ブログともお別れです。 日々の出来事を綴ってまいりましたが、見返してみると、懐かしいことばかりで、ずいぶん励まされました。 写真俳句ブログ事務局の皆様、ブログのお仲間の皆様、閲覧してくださった皆様、本当に長い間ありがとうございました。 明日から楽天写真俳句ブログへ正式に移りますが、楽天ブログのスタッフの皆様、楽天写真俳句ブログの皆様、今後ともよろしくお願い申し上げます。 まだまだ暑さは続きますので、どうかご自愛の上お過ごし下さい。
2015.07.31
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鳥獣に隠せぬ程にトマト熟る 山の畑のトマトが次々に赤くなってきましたが、カラスやハクビシンが狙っています。 鳥獣除けネットを張って防いでいますが、いつまで通用するかわかりません。 秩父市のもっと山奥では、猿や鹿、イノシシの被害で、農業を止める人が出て来ています。 動物愛護という考え方との狭間で、市の方としても困っているようです。 先日動物除け電気ネットの事故が起こりましたが、被害に遭われた方にはお悔やみと御見舞い申し上げます。 管理がキチンとされていなかったようですが、動物除けネットは動物から農業を守る為に、これからますます必要になってくると思います。 獣との共存は無理なので、設置する人も、通り掛かった人も、お互いに注意していく必要があると思います。
2015.07.30
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そつと来て急に鳴き出す油蝉 網戸でいきなり油蝉が鳴き出しました。 ちょっとビックリしましたが、そっとカメラを向けてマクロ撮影する事にしました。 カメラを近付けても、生きている時間を惜しむかのように、お腹を動かして鳴いています。 この場面はどこかで見た事があるぞと、過去の写真俳句ブログを見返してみました。 2012年8月2日と2013年7月29日に、ほとんど同じ写真が掲載されていました。 同じ蝉が来るはずもなく、今年生まれた蝉なのでしょうが、この網戸が好きなのでしょうか。 日々の出来事を記録しておくと、新たな感動を覚えます。 必死で鳴いている蝉に、何となく哀れを感じました。 しばらく鳴いていましたが、満足したのか網戸から飛び去っていきました。
2015.07.28
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明け方の眠りを破る雷雨かな 明け方にシャッターを叩く雷雨で目を覚ましました。 最近は、遠雷で終わったり、いきなり頭上で1回鳴って終わる雷が多かったのですが、今朝は久しぶりに雷らしい雷で、次から次にやってきました。 玄関を開けると、道路の水が庭に勢い良く流れ込んでいました。 先日は植木のプランターを土嚢代わり並べて防ぎましたが、今朝はどうしようもありません。 雨雲ズームリーダーを見ると、しばらくすると止みそうなので、畑仕事はお休みにして、高校野球埼玉大会の決勝戦を見ることにしました。 こちらでは暢気な事を言っていられますが、九州などではこうした豪雨が降り続いたようなので、産地の野菜などはどうなっているか心配です。
2015.07.28
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大河へと旅立つ細き山清水 武甲山の登山口にある、延命水という湧き水を汲みに行きました。 今日は月曜日なので水を汲みに来る人も少なく、ゆっくり汲む事ができました。 この樋の湧き水の3mくらい上流に水汲み場はあります。 武甲山からの湧き水ですが、これが生川(うぶかわ)という渓流に注ぎ、横瀬川と合流し、横瀬川は荒川に合流し、やがて東京湾に流れ込んでいきます。 全国には分水嶺になっている山もたくさんあり、太平洋や日本海へと水は旅立っていきます。 清らかな水が汚染されることなく、ずっと湧き出し続けたら良いと思いながら汲みました。
2015.07.27
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山里に祭太鼓の響きけり 地元町会の子供達の柿沢祇園まつりが行われました。 安政2年の「祇園祭事帳」などから、幕末期から行われていたことが推測され、明治19年の「祭禮事務課簿」に傘鉾(山車)を牽引した事が窺え、この頃から祭りの形が整ってきたようです。 昭和17年から20年までは戦争によって祭典のみが行われ、その後付祭も復活しましたが、昭和38年から諸般の事情により再び祭典だけに戻りました。 平成になってから地元の育成会、青年部が中心になって付祭の復活の機運が高まり、今年で傘鉾復活20周年を迎えました。 傘鉾に飾られている紙の花も、2ヶ月くらい前から、育成会をはじめ、シルバー友の会、民謡クラブ、町会役員、秩父夜祭関係者などが、決められた日の夜に公会堂に集まり、一つ一つ作ってきたものです。 40°近い猛暑の中で、囃子子(山車の上から囃す)、拍子木係、曳き子、太鼓連の子供達も元気に頑張っていました。 もう60年も前の話になりますが、私もこの傘鉾の囃子子をやりました。 ちょうど背中におできが出来ていて、背中が傘鉾の高欄に触れると、飛び上がる程の痛さを感じましたが、夢中で「ホーリャイ、ホーリャイ」(蓬莱へ)と声を張り上げているうちに、おできが破れて、白い襦袢が血膿で真っ赤に染まりました。 当時の事ですから、「お陰で医者にも行かずに早く治った」と、父母が喜んでいたような気がします。 孫のような子供達が元気に囃していくのを見送りながら、遙か昔の事を思い出していました。
2015.07.26
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峰雲に激しく弱く遠太鼓 山の畑にいると、武甲山の向こう側から峰雲が生まれ、だんだん大きくなってきました。 明日は地元の子供達の柿沢祇園祭りが行われますが、今日は傘鉾(山車)復活20周年を記念した前夜祭が公会堂で行われます。 その後、育成会、青年部の祭り関係者が、公会堂の下から湧き出ている清水を汲み、町内の各所に撒いて清める儀式があります。 これ以上雲が太らないで、無事に儀式が終わる事を祈っています。 遠くから聞こえる、子供達の太鼓の練習にも熱が籠もってきたようです。
2015.07.25
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