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2026.03.19
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3月19日
「夜行列車」
この時期になると「夜行列車」を思い出す。高校卒業後福岡の大学へ行くとき、50年ほど前はJRではなく国鉄の時代で徳島から福岡へ行くルートは2つあり、徳島を夕方に出て高松で宇高連絡船に乗り宇野で降り、宇野から岡山、岡山から博多までのルートと、高松から関西汽船で大分別府へ、別府から日豊線で博多までのルートである。別府ルートも関西汽船の乗船時間は夜の8時頃で別府には翌朝に着き、博多駅には昼前に着く。別府ルートの関西汽船は、夜間航行なので風光明媚な瀬戸内海の風景を観ることなく寝るしかない。別府ルートはあまり利用せず、高松~宇野~岡山~博多ルートをメインに利用した。当時は橋も無く、船に乗るしか四国から出る方法は無かった。あの当時の 夜行列車の始発駅は京都からで、岡山では夜10時頃に乗り朝の7時前に博多着だった記憶があり、乗車券以外に急行料金が300円必要だった。あの当時急行料金は200キロまでが200円、200キロ以上が300円だった。ただ、夜行の急行は座席に座ったままなので疲れる。この夜行列車の急行は数回利用後、疲れない寝台列車に変更した。あの頃の昭和40年代後半当時の岡山博多間の新幹線はまだ工事中で、昭和50年の春に開通したが、昭和51年春に初めて博多から新幹線に乗り就職先の大阪まで乗った。当時の記憶で、宇高連絡船の船内で夜食として食べた讃岐うどんは美味かった。


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最終更新日  2026.03.19 16:20:04
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