PR

×

カレンダー

プロフィール

やまんば岩木in青森

やまんば岩木in青森

バックナンバー

2026年08月
2026年07月
2026年06月
2026年05月
2026年04月

コメント新着

やまんば岩木in青森 @ Re:10種類を心がけて野菜と果実のジュース(11/08) とみたりつこさんへ 朝食にこだわりジュー…
とみたりつこ@ 10種類を心がけて野菜と果実のジュース 豆乳ベースにケール、ビーツ、バナナ、リ…
やまんば岩木in青森 @ Re[1]:ぶらり弘前~浅草焼き(07/14) 佐藤裕香子さんへ お返事遅くなり申し訳ご…
佐藤裕香子@ Re:ぶらり弘前~浅草焼き(07/14) はじめまして。過去の記事をみて、あん巻…
やまんば岩木in青森 @ Re:こんばんは★(03/25) bo-sloveさん ブルーインパルスが見られて…

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2016年11月25日
XML
カテゴリ: おすすめ弘前!
訪れたのは8月18日。卯年生まれの一代様のひとつ「 弘前天満宮 」さま。

長勝寺をはじめ、三十三のお寺が並び立つ禅林街のすぐ近く。
不思議なトンネルを見つけました。
車は通れず、人だけが通れる小さなトンネル…まるでミステリーゾーンへの入口のようです。

実はここ、「 長勝寺構(ちょうしょうじがまえ) 」の痕跡のようなんです。

(「構(かまえ)」とは?・・・構=「 惣構(ソウガマエ) 」とは、城下一帯を城郭と見立て、濠や土塁で囲い込んだ防衛施設のことを言うそうです。)

15年、新城建設に着手した二代藩主信枚は、堀越並びに近隣地域の寺院神社に対して新しい城下町に移るよう命じた。そしてこれらの寺社は、城下の要衝に配置されたが、 西南の押え となったのが長勝寺を中心とする寺院街である。
元和元年( 1615)1 月、南方の 茂森山 が城郭より高く城を見下すという理由からこれの切崩しにかかった。また同年 3月から 長勝寺門前と茂森山の間に濠を掘り、土居を築き、桝形を設けた。 寺院街はその西に置かれ、曹洞宗の寺院だけ三十三ヵ寺で構成された。その周囲、 北から西にかけては崖地で、自然の要害となっている 。これが弘前城の外曲輪、長勝寺構である。
城下町弘前の歴史と、津軽藩の宗教政策を知るうえで重要な地域である。 (「 津軽氏城跡 - 弘前市 」より)


トンネルをくぐると、すぐに大きな赤い鳥居があり、ここが神社の入り口であることがわかります。


鳥居をくぐって、振り返って見たトンネル。


天満宮 卯年一代守護神の石碑
天満宮 卯年一代守護神
学業成就 諸願成就の神
御祭神  菅原道眞朝臣命 (すがわらのみちざねのあそみのみこと) 文殊菩薩
    少彦名神(スクナビコナ) 若木神 倉稲魂命
末社 稲荷神社 若木神社

開祖は菅家(かんけ=菅原氏の家系)の末裔(まつえい)重珍丸(珍重丸?)の十二代の後胤(こういん=子孫)にあたる大行院栄尊といふ人で、京都三法院、後に越後の東光院に居たのを慶長三年(1598)京都近衛家の要請 津軽右京大夫為信の招きに應じて南部大根子村(現田舎館村大根子)に祈願所をもうけ仮堂とし 長永寺松峰山 大行院 (だいこういん)と称し 津軽の 山伏 報恩寺 (ほうおんじ)造営に付き 宝暦四年(1755)津軽藩薬草院のあった西茂森町の現在地に屋敷繰替。明治四年 修験道 (しゅげんどう)の廃止により神道天満宮となる。御祭神さまと本尊の文殊菩薩は代々大行院の代神として祀っていた御神体と又 種里(たねさと=鯵ヶ沢町) にあった大浦家の先祖が祭っていた 館神 (たてがみ=2代藩主 信牧 (のぶひら)が太閤豊臣秀吉の木像を御神体として安置した場所)。慶長十五年 信牧公の時 弘前城に移し 天神さまと称し その後信政(のぶまさ=4代藩主)公の命に依り植田村(現弘前市愛宕) 橋雲寺
 平成十五年津軽ダム建設のため西目屋村砂小瀬(すなこせ)鎮座の稲荷神社 同村川原平(かわらたい)鎮座の稲荷神社を合祀する。

春の祈願祭 四月二十五日
夏季例大祭 六月二十五日
秋の感謝祭 十月二十五日」


「菅公千年祭記念碑(従二位藤原朝臣承昭謹書)」
天満宮は「 菅原道真(すがわらのみちざね) 」を祭神とする神社のため、明治35(1902)年は菅原 道真の千年忌にあたり 千年祭 が行われ、建てられたものと思われる記念碑です。。

津軽 承昭 (つがる つぐあきら)は、 陸奥国 弘前藩 の第12代(最後)の藩主。
生誕:天保11年8月12日(1840年9月7日)
死没:大正5年(1916年)7月19日

津軽氏側の主張によれば 奥州藤原氏 を祖とし、十三藤原氏(十三湊(とさみなと)に住み 十三氏 (十三藤原氏)を名乗った)の藤原秀栄(藤原秀衡の弟)を始祖とする系図を「津軽家」の系図としているようです。なので「藤原朝臣承昭」との署名に。


弘前天満宮の境内


手水場


拝殿に向かって左側に建つ、 稲荷大明神 のお社。
平成15年に津軽ダム建設のために西目屋村 砂子瀬鎮座の稲荷神社、同村 川原平鎮座の稲荷神社を合祀」したのだそうです。(「 卯年一代守護神 弘前天満宮 (弘前市西茂森) ( 青森県 ) - くぐる鳥居は鬼ばかり - Yahoo!ブログ 」より)


「正一位 稲荷大明神」の扁額。

「お稲荷さん」の「正一位」ってなあに?
神様の位で、「正一位(しょういちい)」は最高位です。もともと天長4年(827)に淳和天皇より「従五位下」を授かってからだんだん上進し、天慶5年(942)に「正一位」になりました。因みに正一位の神階を授かっている神様は稲荷大神様だけではなく日本全国に多くおられます。」

なぜ「お稲荷さん」は「朱塗り」なの?
朱色は、魔力に対抗する色ともされていて、古代の宮殿や神社仏閣に多く用いられています。当社に限って云えば稲荷大神様のお力の豊穣を表す色と説明されています。
ただ、お稲荷さんだけが朱塗りではなく、朱塗りの神社は他にも多くあります。
また朱の原材料は水銀=丹です。これは昔から木材の防腐剤として使われてきました。(「 よくあるご質問|伏見稲荷大社とは|伏見稲荷大社 」より)」


キツネ様がたくさん奉納されていました。

「お稲荷さん」ときつねの関係は?
「稲荷大神様」のお使い(眷族=けんぞく)はキツネとされています。但し野山に居る狐ではなく、眷属様も大神様同様に我々の目には見えません。そのため白(透明)狐=“びゃっこさん”といってあがめます。
勿論「稲荷大神様」はきつねではありません。」

全国に稲荷神社はどのくらいあるの?
約3万社あるといわれています。その中の「伏見稲荷大社」は総本宮です。」

「お稲荷さん」のご利益は? 古くは朝廷が、雨乞いや止雨と共に五穀豊穣を願われたり、国の安穏を願われるなど公の願い事が多く記録されています。 平安時代には良縁を願ったり、秀吉は母親の病気平癒を真剣に願い、おかげを受けています。 時代が下って商売繁昌・産業興隆・家内安全・交通安全・芸能上達の守護神として信仰を集め、今日もなおこれらの信仰は続いています。」(「 よくあるご質問|伏見稲荷大社とは|伏見稲荷大社 」より)」


弘前天満宮の本殿。


弘前天満宮の拝殿(遠景)。奥に本殿。左手に稲荷神社。


弘前天満宮の拝殿(近景)


弘前天満宮の拝殿内部。窓で光って見えないですね。


おみくじ100円。
「願石みくじ」は「キャッツアイ石入り」!
「キャッツアイは決断を促し、有機を与えてくれる石。」「七色のいずれかの願石が入っています。」


拝殿側から見た境内


向かって右側は、口を開いた、角(つの)の無い「阿像(阿形・あぎょう)」で「獅子(しし)」でオス。


拝殿に向かって左側が、口を閉じた角(つの)有りの「吽像(吽形・うんぎょう)」で狛犬(こまいぬ)はメス。という配置なのですが、角は見つけられなかったなぁ。口をキリリと結ぶ凛々しいお顔。でもどこか愛嬌があります。

「獅子・狛犬」は、「神社に奉納、設置された空想上の守護獣像」なのだそうです。(「 狛犬とは何か? 100万人の狛犬講座 」より)

阿(あ)・吽(うん) の形は日本で多く見られる特徴であり、 仁王 像と同様、日本における仏教観を反映したものと考えられている。(「 狛犬 - Wikipedia 」より)」

結婚式の「角隠し」も、ここからきているとも?


境内の左側には、句碑がずらりと並んで建てられています。


「千葉山月句碑。江戸時代後期の弘前藩士で俳人でもある千葉胤任は「艸々庵(そうそうあん)山月」と号しました。三谷句仏の高弟で明治期の弘前俳壇の第一人者。「大洋に月一輪やほととぎす」(明治33年)(「 卯年一代守護神 弘前天満宮 (弘前市西茂森) ( 青森県 ) - くぐる鳥居は鬼ばかり - Yahoo!ブログ 」より)」


「「しばらくは花のうへなる月夜かな」芭蕉句碑(天保14年・150回忌・明治24年艸々庵社裡外有志建立)(「 卯年一代守護神 弘前天満宮 (弘前市西茂森) ( 青森県 ) - くぐる鳥居は鬼ばかり - Yahoo!ブログ 」より)」





「「野の末や川に柳に遠霞」片谷呉江句碑(享和2年初秋)。片谷呉江は東長町の弘前随一の豪商。(「 卯年一代守護神 弘前天満宮 (弘前市西茂森) ( 青森県 ) - くぐる鳥居は鬼ばかり - Yahoo!ブログ 」より)」


「「春のよは桜に明けてしまひけり」芭蕉句碑(寛政5年建立)。(「 卯年一代守護神 弘前天満宮 (弘前市西茂森) ( 青森県 ) - くぐる鳥居は鬼ばかり - Yahoo!ブログ 」より)」


「「蘆弾草坡(内海草坡)翁碑」(裏には「ほととぎす夜の霞の天の川」天保11年)。
蘆弾草坡は五所川原生まれで弘前の酒造店内海家の養子。碑は草坡の3周忌に門人によって建立されたもので、大正4年までは弘前中学(現弘前高校)の校庭にあったものです。(「 卯年一代守護神 弘前天満宮 (弘前市西茂森) ( 青森県 ) - くぐる鳥居は鬼ばかり - Yahoo!ブログ 」より)」


「「どこからも 岩木山見え 花林檎」増田手古奈句碑。昭和52年5月建立。(「 卯年一代守護神 弘前天満宮 (弘前市西茂森) ( 青森県 ) - くぐる鳥居は鬼ばかり - Yahoo!ブログ 」より)」

「西分団第一部発足記念碑」
「茂森町消防頭歴代記念碑」


平尾魯仙 (ひらおろせん= 弘前を代表する画家 )翁碑」と、「鶴谷有節(つるやありとき)翁碑」など。


津軽一代様「 卯年一代守護神 」だそうです。

「津軽地方には古くから、生まれ年の干支を一代様とする信仰「 津軽一代様 」があります。(「 津軽一代様~十二支守り本尊~子 | 青森の魅力 」より)」
天満宮では「 三人寄れば文殊の知恵 」と言われる知恵授けの「文殊菩薩」様も祀っているそうなんです。「 道真と文殊菩薩 」を祀る神社ということは、「学問の神様」ということ。合格祈願にぴったりの神社が、弘前にあったとは!
また、「文殊菩薩は、卯年生まれの守り本尊」なのだそうで、ここ天満宮は「 卯年の一代様 」として、例年、たくさんの方々が参拝に訪れるのだそうです。(「 卯年と学問と「弘前天満宮」ーつがるみち18 -のんびりとじっくりと! 」より)


「「大行院(だいこういん)のシダレザクラ」と呼ばれる、樹齢500年以上といわれる枝垂れ桜(青森県指定天然記念物)と、「芭蕉翁碑」(明治24年艸々庵社裡外有志建立)」のある境内の小さな公園。桜の季節はさぞ綺麗でしょうね。


「大行院のシダレザクラ」とも「天満宮のシダレザクラ」とも。
大きいです!


天満宮のシダレザクラと、「 若木(わかき)神社」。
桜の幹がごつごつ、ぼこぼこ!根っこもすごいです。



「大行院(だいこういん)のシダレザクラ」の建て看板。
県天然記念物
天満宮のシダレザクラ
 平成十年四月二十二日指定
 ここは、修験道の寺(大行院 ― 天満宮の前身)があったところで、江戸時代から保護されてきており、大正期の「 全国大桜番付 」にも記載され、広く一般市民に親しまれている。
 推定樹齢は、五百年以上とされ、全国的にも貴重な桜の古木といえる。
 管理者 宗教法人天満宮
 弘前市教育委員会」


枝垂れ桜の傍らには、 少彦名神 (スクナビコナ=国造りの協力神、常世の神、医薬・温泉・禁厭(まじない)・穀物・知識・酒造・石の神など多様な性質を持つ)を祀る「末社(まっしゃ)若木(わかき)神社」があります。「 麻疹 (ましん=はしか)の平癒に利益があるという祠(ほこら)」だそう。

「一般には、「摂社(せっしゃ)」はその神社の祭神と縁故の深い神を祀った神社、「末社」はそれ以外のもの」と区別されているそう。(Wikipedia「 摂末社 」より)


天満宮「 合祀記念碑
「中津軽郡西目屋村砂小瀬鎮座の稲荷神社は、数百年間に亘り、氏子の心の拠り所として、地域の産土様として大切にされてきた。
しかし、津軽ダム建設工事に伴い、神社建物境内地及び全住民の家屋が完全に水没することとなった。コレに伴い、神社の御祭神(倉稲魂命)は宮司の本務社である天満宮に合祀することになり、地域住民は平成十三年より十五年にかけて西目屋村田代地区・弘前市・岩木町に移住した。
このことを後世に伝え残すとともに、大神様の益々の御神徳と仰ぎ、旧砂小瀬住民の御安寧を祈念し、御祭神合祀壱年を迎えるに当り、茲に(ここに)記念碑を建立するものである。
平成十六年六月十二日
天満宮 宮司 宇庭定憲」


天満宮境内 遠景


天満宮 二の鳥居


天満宮 一の鳥居





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2016年12月18日 12時40分40秒
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: