全146件 (146件中 1-50件目)
崔ジンシル(漢字は真実か?)が自殺した。もうこのことは日本でも報道されているし、あえて私が言うことではない。私も結構この話を聞いた時はなぜかショックだった。別にファンであったと言うわけではない。ただショックだった。それでも彼女の出た映画は何本か見たことがある。特に90年代は韓国最高の女優であっただろう。結構私のような人が韓国人の中でも多いのではないだろうか。特にファンと言う感じではない。でも彼女は韓国文化の中で自然と人々の心の中に入り込んでいた。彼女は所謂女優的美人タイプではない。さわやかな清純派と言う感じである。ただ演技力はしっかりしていた。ただそれは単なる演技力とも違っていた。聴衆に共感を与える、或いは同じ空間に存在すると言うような感覚を与える、ある面独特の女優であった。演技力では定評のあるチェシラやチェジウ等にも見られない独特のものだった。彼女の自殺はある面韓国社会にショックを与えるものであった。自殺とは一番無縁そうなタイプであった。苦労して育ってきており、浮ついた雰囲気がなかった。またその背景にはちょっと前では野球選手趙ソンミンとの離婚。その後のいざこざ。うつ病になっていたそうである。そして一番の理由はネット上での噂。1ヶ月ぐらい前に死亡した俳優にお金を貸していたと噂を立てられ、それで苦しんでいたと言う。その真実性は明らかになってはいないが、名誉毀損で警察も捜査していたほどのものであった。最近の韓国ではネットでの噂、或いはデモと民衆がやりたい放題になっている。私はこれにははっきりと警告しておきたい。官僚的、独裁政権はよくないが、民衆が度を越えてきたら、それは民主主義ではない。民衆狂気主義である。再三ここで言っている韓国の反日感情も、これによって歪曲されているところがある。結果として日本が必要以上に悪に立てられて、在韓日本人はストレスに。日本にいる人はそこまであまり感じないだろうが。一部韓国メディアでも今回の自殺はネットでの噂話が生んだものであると報道している。アメリカでもそんな報道があったそうだ。だが私はここで信じきれない。一般国民は自分の責任ではないと思っている。ちょっとこれは怖い。日本でも有名人の自殺はよくあるが、国民が自殺に追いやるなんていうのはない。あり得ない。李明博大統領もさすがに自殺はしなかったが、国民に突き上げられて、やりたいことも何もできない状態に。先進化が進む韓国。民主主義的自由主義的雰囲気も強くなっていく韓国。でも元々が責任とか義務と言う意識は薄い国民である。度が過ぎることも多い。ここは韓国人に一人の自殺を通して、何かの警告を悟って欲しいような気もする。何て日本もあまり人のこと言えないのだが・・・・。
2008.10.04
コメント(0)
今日の夜のオリックスの試合で清原が引退する。ポストシーズンもあるが、そこで出るかどうかは微妙であるし。日本の野球界の中で、長島、王に続いて、ここ20年程カリスマを誇ってきた清原である。成績は二人には及ばないのだが、記憶に残る選手だったのだけは間違いない。昔は川上、金田、今ではイチロー、松井、松坂とまさに野球界を代表する選手はいる。だがここまでトップを張る選手はそうはいない。清原の場合、とにかく西武時代の4番バッターとしての役割がすごかった。まさにこれぞ4番と言う感じだった。特にここ1番での一発は、まさにカリスマ。ところが巨人に移ってから、何かが狂い始めた。巨人にいるからなのか、それとも30歳以降の体調管理に失敗したのか、或いはそれ以前のふるまいのツケでも出たのか・・・・・・。怪我ばかりするし、三振は多いし、打率は低すぎる。体を鍛え上げてマッチョになったのはいいが、どう見てもその影響による体重過多であったし。また野球のプレー以外での言動ばかりが注目された。K-1のイベントに顔を出す清原には西武時代の野球のカリスマは消えていた。逆に人間くさい番長路線に走ってしまった。その人間くささも面白いと言えば面白かったが。同じPL出身の桑田のような野球カリスマのイメージで引退できなかったのは正直ファンとしては残念である。よく清原桑田をKKと呼び、同い年(67年生まれ)をKK世代と言ったものだった。今の松坂世代みたいに。佐々木、佐々岡等いい選手が多かった。だがその世代ほどカリスマはないが、一つ下の68年生まれを見ると面白い。金本、下柳、矢野・・・。そして野茂、また韓国で今活躍中の高津・・・。高津はたまにテレビで見かけるが、頑張っている。球は遅いのだが、コントロールとシンカーの切れで十分迎えの役割を果たしている。67年生まれの清原や佐々木は裏の情報では野球界で評判が悪い。やりたい放題の生意気な行動等。一見親分肌の人間には見えるのだが、野球で人をひきつけると言う感じがあまりない。その反対に地味だった68年生まれはまだ現役の第一線でこつこつと頑張っている。40になったというのに。清原も佐々木も野球人なら野球で物言って欲しいような気もする。豪快な性格と新人類らしい歯に衣着せぬ言動はいいのだが、どこかでねじが外れているようにも見える。私はPL時代と西武時代の清原は好きだったが、巨人以降の清原はあまり好きではない。今も好きではない。正直引退、ご苦労様なんて気持ちもない。単に引退か程度で。それでも世間は騒ぎまくっているようだ。だが清原がいなくなれば、昔気質の選手はいなくなると言えるかもしれない。それはいい意味でも悪い意味でもあると言うか。野球人、野球で見せる、というより新しい世代のイチロー辺りには期待したい。いつの時代も、世の中が移り変わっていくのであろう。
2008.10.01
コメント(2)
久しぶりである。約2ヶ月ぶり。その間オリンピックがあった。竹島(独島)問題もあった。ちょっと日本にも行って来た。その間のことは置いておくとして。韓国ではモンナッタと言う言葉がある。簡単に言えば、できない奴、ダメオみたいなものである。逆に反対の言葉としてチャルナッタというのもある。これはまさにできる人間、いかした奴と言うことである。この言葉のニュアンスは日本語では表しにくい。ただ日本人も人を見るとき様々な要素で、その人のレベルを計っている。ただそのことを具体的にあらわす単語は日本語には見当たらない。日本人の場合、人間のレベルを言葉で表すのは差別的となるのかもしれない。ただ基本的には心の中で人のレベルを計っているということでは、韓国人と差はない。最近家内が言ってきた。ある有名な韓国の作家があなたと同じことを言っていた。「人間、モンナンのは別に問題ではない。モンナン人がチャルナンふりをするのが問題なのだ。」日本人は比較的(あくまで比較的だが)、自分がレベルが低いとしたら、それを素直に認める。そして別に格好つけることもなく、無理にレベルの高い人に見せようなどとはあまりしない。そんなことやったところで恥ずかしいだけだし。ちょっと無理して、肩をいからせて、背伸びする人もいることはいるが、韓国人ほど露骨ではない。韓国人がその逆の人が多いと言うのは、このブログの一貫したテーマであるから、ここではあまり言及はしない。さて今日はここからが本題である。最近息子の小学校のクラスのホームページの掲示板にこんなことが書いてあったそうだ。担任の先生が授業中「お前ら貧乏だから、勉強もできないのか」と言ったと。それでショックだったと言うことである。これは実名で書かれるので、誰が書いたのかも分かっている。女の子であった。実は以前も先生が授業中同じことを言っていると少し噂になったこともあった。ただこの小学校、零細民のアパートがあるので、貧乏が多いのは事実である。また成績が他の小学校より低いのも事実である。前もブログに書いたが、この小学校が嫌で、横のレベルが高い小学校に越境入学させる親も多い程の小学校である。事実は事実である。その事実をここまで露骨に言う先生はまずいないだろう。この先生、このブログでもちょっと書いたことがあるが、変わった人である。よく言えば、権力や世論に屈しない信念派、悪く言えば攻撃的といった感じであろうか。校長にもよくたてつくと自分で言っていた。前の学校ではいろいろやりすぎて、1年で追い出されたとも。父兄にも勉強なんか気にするなと堂々と言い、試験の時も直前まで進度が追いつかず、そのときは家内も少しいらいらしていた。その辺で文句言った父兄もいたようである。でも教育には熱心で、土日に青空教室みたいなのもやっている。うちの場合、父親が日本人と言うことで、逆によくしてもらった所もあるので、特別感情的なものはない。私自身も、韓国の先生には期待していないし、悪口言われる中でもしっかりやっていくぐらいじゃないと世の中生きていけないと言う私の考えの下、多少のことは、相手にしない主義である。だからこの先生を問題だと思ったことはない。よくあそこまでやるなあとは思うが。貧乏だから勉強ができないなんていうのは、常識的に禁句であろう。ただ私はその辺で、何か意図を感じてしまうのである。いくらなんでも、この先生、そんなこと言うの人道的によくないとはわかっていると思う。分からないとは考えられない。他のえらそうにしている傲慢のかたまりみたいな教師たちでも、心の中では思っても、そんなこと決して口にはしないだろう。私は正直思う。このレベルの低い子たちと、当然レベルの低い親たち。そこでレベルが低いからとえらそうにする人も時々いる。いやよくいる。レベルが低いがゆえに、えらそうにしてレベルが低くないふりをする親も多い。だが人間、自分が仮にレベルが低いとしても、それが事実なのである。それ以上には中々なれないのである。韓国の場合、人前でえらそうにしておけば、ごまかせる場合が多いが、それはレベルの低い人たち同士での間である。事実を直視することが必要である。上記のモンナン人はそれを認めないといけない。そして私はこう言ってあげたい。モンナンのは悪いことではない。モンナン人がチャルナンふりをすると、見苦しい。横にいる人も、疲れる。もちろん、韓国ではそうせざるをえない部分もある。黙っていたら、もっとモンナン人と思われる。でしゃばって、でかい声だして、知ったかぶりしていないと、ばかにされる時もあるだろう。そういうので人を判断する人が韓国ではまだ多いのも事実である。でもこれでは韓国の社会が疲れる社会になるだけである。事実を事実以上に見せようと、虚構の塊になってしまう。今この国のしらけた空気はこの辺からも来ていると思う。虚構ばかりで中身がない社会。中身がないから自信もないし、喜びや幸せも感じにくい社会。事実を直視して、認める。そして認めたうえで努力する。事実に落胆するのもよくない。息子の担任。どんな意図があったのかは知らないが、この人意外といいこと言っていると思う。貧乏人は自分が貧乏であることを素直に認める必要がある。認めないと、そこから上がっていけないのである。知ったかぶりしたり、えらそうにしても虚構で表面を飾っているだけで終わる。これは極論である、かなり厳しい見方であることは分かる。でもそれが現実である。私も正直心の中だけで、感じている。決して人にこんなこと言ったりはしない。息子の担任、頑張ってくれ。と言いつつ、自分だったらああ言うふうにはしないと、思っている。今日は厳しいこと言いすぎたかな。
2008.09.04
コメント(4)
最近よく考えていること、と言うか韓国に来てから今まで10年以上常に考えていること。実に当たり前のことなのだが、日本人と韓国人の違い、である。日本人と韓国人の違いについては、このブログでもよく書いているし、よく言われることでもあるが、私が今の環境の中で韓国人に対してよく感じることがある。「世の中が見えていない」と言うことである。特にどの部分で感じるのかと言うと、これははっきり言うが、主婦たちに対してである。簡単に言うとおばさんである。もちろんおばさんたちだけの問題でもないであろうが。おばさんに関しては数年前からいろいろ感じたりもしていたが、最近は特に感じるようになっていた。断っておくが、おばさんとの付き合いがあるわけではない。最近私の仕事や行動が昔よりおばさんたちに出会う機会を多くしているというのはないことはない。それよりも家内を通じておばさんたちのいろいろな話を聞くことが多くなったからである。今長男が4年生なので、家内も父兄という人たちと付き合い始めて、3年を越えてきた。大半は母親である。その前の幼稚園時代も多少は付き合いがあったが、本格的な父兄連中との付き合いは子供が小学校に入ってからと言うことになるだろう。韓国のお母さんたちの教育熱は強烈であると言うのは有名ではある。あまりにも強烈なあまり、様々な弊害があるというのは想像に難くない。ここでは具体的なことは省略するが、あまりにも、何と言うか、言葉では表しにくい風潮である。まあ自慢、嫉妬、ヒステリー、不安・・・・こういうのが渦巻く世界であると思っていただければいいと思う。誰それの子が成績何点で(韓国では小学校でも中間期末試験がある)、誰それが何を表彰されたとか、自分の子はだめっだたとか、或いは賞をもらったとか・・・・・・・。特に子供の勉強、リーダーシップへのこだわりは日本人にはやはり異常に見えてしまう。韓国人でも異常だと思っている人も結構いたりもする。また夫が日本人だということで言われるぶしつけな言葉もたまにある。かと思えば日本人への好奇心丸出しのことを言われたり。この辺は今日のテーマからすれば、愛嬌みたいなものでもあるが。さて元々が韓国人でありながら、どこか韓国人的でない部分がある家内である。ましてや私から日本人化洗脳も結構されている家内には受け入れがたい風潮が多い。当然ストレスもたまる。そしてストレスがたまると私に言ってくる。他の人には言っても理解してもらえないからである。韓国人の知り合いなかでこのストレスを理解してくれる人は少ない。ただ他のおばさんたちもこんな強烈な世界の中でやはりストレスはたまっているようである。それを解消するためにおばさん同士集まり、それによってもっとおばさん的風潮がもっと加速されてしまう。そんな中家内は他のおばさんにそのストレスをぶつけることはできない。して欲しくもないが。やはり日本人化の洗脳をしてしまった者としては、聞いてあげる義務もあると思い、私はいつも聞いてあげる。だがその話を聞いて、そのおばさんたちの話を聞いただけの私も、だんだんストレスがたまってくる。韓国のおばさん、いい加減にしろと。お前らまともな人生観ないのかと。それで家内に言った。俺も話を聞くだけでもいらいらするから、韓国のおばさんたちの話は俺にするなと。だが家内も私にでも言わないとたまってしまうと言われた。それでストレスためられすぎるぐらいなら、聞いた方がいいし、これも韓国研究だと割り切って聞くようにはしている。さてその研究結果の中間発表である。中間発表と言うことはまだ分からない部分がたくさんあるということだが。なぜ韓国のおばさんたちはああなってしまうのか。いろいろ理由はあるだろう。その中の一つとして。「世の中がみえていない」からではないか。世の中を生き抜く現代人は、世の中を生きていくにおいて何が大事なのかいろいろ考えていると思う。そこでは勉強、つまり学歴は大切であることは十分分かるだろう。リーダーシップが大切なことも分かるだろう。だがそれだけで世の中生きていけるものでもないことも分かると思う。確かに韓国もちょっと前までは学歴と口、つまりリーダーシップがあれば、世の中を生きていけたかもしれない。日本もかなり昔はそうだったと言う。だが現代社会はそうはいかなくなっている。時代は変わってきている。それだけで生きていける世の中ではなくなっている。私の足りない人生経験で言うと、それ以外にも責任感、忍耐力は必修であると感じられる。また欲をいえばきりがないが、人間関係力、主張と妥協の調和等・・・。本当にきりがないが、これも言わないと。夢、意欲、情熱。まさに人徳教育みたいな言い方で申し訳ない気もする。そんなこと理想論だと言う人も多いかもしれない。特に韓国人の中では。でもこれらを幼い頃から植えつけてやらないと、学歴でプライドだけの人間で終わってしまう。実際そんな韓国人も多く見てきた。また学歴がなくてもプライドだけはソウル大と言う人も多く見た。意外と日本人はこのことが分かっている様な気がする。まさか日本人がそんなこと分かっているなんて、と反論も多いかもしれない。だが私は思う。韓国人よりは分かっていると。今日アメリカ帰りの韓国人と話をした。彼が言うには、アメリカは自由社会と言うイメージがあるが、法意識、法則、義務意識がしっかりしており、その上での自由社会であるのであって、良心がしっかりしていると。おそらく今日この人と話したことで、このブログを書く気になったというのはあるだろう。このことが分かる韓国人に会ったということは、極端な例だが、砂漠の中のオアシスのような出来事だったので。韓国人でも人によってはその辺の意識があったりする。勉強とリーダーシップだけでは生きていけないと悟っている人もたまにいる。世の中がそうなりつつある。この辺を感じ取るのは韓国のおばさん、特に主婦たちには苦しいようである。肌で世の中を感じきれていないので。せめて夫が横で引っ張って上げられれば、そうもならないとは思うのだが、なかなかそうも行かない。いや夫も世の中が分かってなかったりもするし。はっきり言って学歴さえあれば生きていけるという発想は後進国の発想である。こんなこと韓国人に言っても簡単には理解してもらえないだろうが。そういいつつ家内も子供に勉強はしっかりさせようと努力はしている。そしてそれだけではだめだという私の意見も受け入れてくれているのは幸いである。つくづく人生考えさせられる今日この頃である。
2008.07.06
コメント(6)
久しぶりの更新。最近忙しく、余裕がなっかた。忙しくても、考えるのはできる。いろいろ考えていることはあるのだが、それを文章化するのが非常な労力を要する場合も多い。今日は何とかトンネルをくぐり抜けて、久しぶりにコメントする気になれたと言うことである。さて今夜はサッカーデイだった。韓国では8時から韓国と北朝鮮の試合が。日本では7時20分から日本とバーレーンの試合が。この2試合はもうワールドカップの最終予選に進出が決まった国同士の試合と言うことで、正直緊迫感にはかける、親善試合に近い試合ではあった。ただそれでもアジアではそれなりのレベルの国同士の試合でもあり、両国でも多少は盛り上がった試合であった。ご存知の通り、日本はラッキーゴールで勝った。ただ内容的にも割りと押し気味で、その延長線上のラッキーさと言う意味ではまあよかったのではないであろうか。まあ日本もバーレーンも数人メンバーか欠けているという意味では、ガチンコ勝負とは言えないが、前のアウェーで負けていたので、勝っておきたい試合であった。一方韓国と北朝鮮の試合は得点なしの引き分け。多少韓国が押していたが、北のスピードのある攻撃は結構驚異的である。日本も3年前の予選で北との試合は苦労したが、今回も要注意である。さて27日に最終予選の抽選がある。今回のアジア予選は5チーム2組で行われる。今回の予選はまた今までの中と比べても激戦になりそうである。アジアの4強(日本、韓国、サウジ、イラン)に加え、ヨーロッパレベルの豪州が加わり、5強担ってきた。そしてその他の国のレベルも前より上がっているような印象である。北朝鮮、バーレーンはここ数年アジアの強国を脅かしつつあるし、イラク、カタールなども結構強くなってきた。またUAE,ウズベキスタンも以前とは違いそう。ただ私がここで一番恐れているのは、韓国との対戦がある可能性である。サッカーチームとして怖いのではない。どっちみち韓国か豪州のどちらかは当たらなければならない。ワールドカップの予選で韓国とやる時は、在韓日本人にはやりにくい日々が続く。悪夢の97年を思い出す。東京で日本が韓国に負けた時を。韓国にいて、日本に韓国が勝った時の韓国のテレビ、また市民の反応・・・・。日本人には地獄である。また93年、ドーハの悲劇。この時は韓国に勝って、ワールドカップに出かかったのだが、その次イラクとロスタイムの失点で引き分けてしまった。日本人には天国から地獄に突き落とされた時であった。韓国は地獄から天国に上がった時であった。ただこの時のことだが、結果的には在韓日本人にはよかったかもしれない。日本が韓国に勝って、ワールドカップに韓国でなく日本が出ていたら、私は韓国人にいじめられたかもしれない。韓国人は、韓国が日本に負けたとしても最終的にワールドカップに出られたので、日本人である私に接する時に勝者の余裕があった。実力では日本に負けていたと、ほめてくれる人もいた。実際この時の日本が一番怖かったと言うサッカー選手もいた。ラモス、カズ等を防ぐのは実に困難だったと。時代は10数年でかなり変わってきたが、もし今回韓国と同じ組に入ったら・・・。ロウソクのデモなんかで狂い始めている韓国人が日本にどう出てくるか。やっぱり在韓日本人には避けたいシチュエーションである。ただ韓国以上に他の国との試合が大切になってくるだろう。相手は韓国だけでないことは忘れないように。ユーロ2008の最中、またサッカーが私のブログの意欲を呼び起こしてくれた。ロシア、オランダに勝ってしまった。ヒディンクはやっぱりすごい。韓国も豪州もヒディンクでないのなら、そこまで怖がる必要もないだろう。
2008.06.22
コメント(4)
最近中国がうるさい。例のチベット問題で聖火リレーでのデモ行為など世界は大騒ぎ。日本でも冷凍ギョーザ問題、ガス田問題等中国で本当にうるさい。韓国でも聖火リレーの時は中国を問題にしていたが、日本ほどうるさくはしていない。中国と言う国は大国としての可能性は充分(すぎるくらい)認められていた国だったのだが、その国の現状は日本や世界では一般にはあまり意識されずに来た。それが世界では中国の急速な経済発展や北京オリンピックの開催も近づいてきて、その存在を無視することができなくなってきた。日本での中国に対する意識も似たような現状であったが、2,3年前ぐらいだったか、中国で強烈な反日デモが行われて、その過激さと滅茶苦茶な行為に日本人は驚かされ、同時に中国に対する警戒心が強くなり始めたような気がする。今では一部の中国通や政治通だけでなく、一般日本国民たちが中国の現状を知り、よくない印象を持ち始めている。今世界の中でも思想統制、情報統制、人権無視と言う観点で中国と北朝鮮が世界のトップクラスを行っている。もちろん北朝鮮の方が閉ざされているが。日本だって島国根性とか言われながら、閉鎖的な国だと長い間批判(悪口)され続けてきた。戦前の軍国主義の頃は完全にそんな国であったと言うことだろうが。ただ今では世界でも有数の民主主義の国であると私は自負している。韓国だって中国や北には負けていない。やはり80年代前半頃までは軍事政権で、今でも国民の目に見えない統制は続いている。発言の自由はある民主主義の国だが、親日的発言をすれば法では裁かれないものの、民衆によって裁かれてしまう。この国では他人の目によって言動が統制されてしまう。ある面中国や北朝鮮とも似た国である。民主主義の国と言うことなのだが。チェホンマンも軍隊問題で国民からの冷たい視線を浴びて、引退さえも取りざたされている。国民感情(韓国人は国民情緒と言う言葉をよく使うが)というもので統制されることが多い国である。日本にとって今後アジアは生命線になっていく地域である。いや日本だけでなく、世界では今後アジアを制するものは世界を制するとなっていくであろう。中国はもちろん、東南アジアにも人口大国はたくさんある。ベトナムやインドネシアなど。中国や韓国とつきあって行くと言うことはどういうことなのか、今後うまく考えていかないといけない。日本のように世界の流れを理解したうえで国際関係を考えると言う高度なグローバル感覚はない国々。相手の話を聞いて主張しないと負けだと、声をたからげてくる国々。そんな中ここ1ヶ月の間韓国の大統領と中国の首相が日本に訪れた。韓国も中国も日本に何やかんや言いながらも、日本を無視することなんか不可能である。韓国を訪れる日本人の減少は韓国としては困ることだし、中国製品の輸入が減ること、或いは日本からの投資が減るのは中国としても困るのである。アジア共同体とは何か。どうすべきか。私もまだ考えている段階で結論は完全には出ていない。
2008.05.08
コメント(4)
ついに来てしまった。先程発表があった。スンヨプ2軍行き。韓国では予想していたかのようで、そうショックと言う感じではない。むしろ2軍で調整する方が言いと言う意見も多くなりつつあった。以前もそういうことはあったので、もう免疫になっている部分もあるだろう。私も韓国人との会話をうまく進めるためにイスンヨプの話をよくするのだが、最近はこの話題ではちょっと苦しくなっていた。松井やイチローがスランプの時は、私も慢性的ストレスになったが、正直スンヨプが少々の不調でもそう影響はないというのが本音ではある。それでも韓国人の気持ちは分かる。特に去年の松坂は私に結構ストレスを与えてくれたが、それと似たようなものでもあるし。韓国でも政治や経済のことを考えると頭痛くなるが、スポーツで海外で活躍する韓国人選手がかなりそのストレスをやわらげてくれる、と言うのは日本と同様である。以前はメジャーのパクチャンホの活躍がそうであった。最近はマンチェスターユナイテッドのパクチソンと巨人のイスンヨプがその役割を果たしている。そのパクとイも去年辺りからぱっとしない状況が続いていて、結構これは韓国のファンにはストレスになっているところである。イスンヨプは日本でもう5年目であるが、ちょっと日本野球をなめ始めているのかもしれない。2年前41本ホームラン打って、日本でもいけると、安易に考え始めたかもしれない。シーズン前に他の大会に行っても、シーズンではいけるだろうと、安易に考えていたのではないかと私には感じられるのだが。そんな甘い考えでは日本のプロでは結果を残せないと思う。或いは実力がよりイメージが先走りすぎたかもしれない。ホームランを打つ能力は確かに日本ではトップクラスである。でも今の日本で40本打ったことのある選手はたくさんいる。松井も最後は50本打った。はっきり言ってまだイスンヨプは日本でホームランの第一人者にはなりきれていない。外国人助っ人の中でもトップではないし、日本人でも彼よりホームランを打った経験のある選手は数人いる。松中、中村、小久保・・・・・・・・。彼の潜在能力は私も認める。波に乗れば日本でも50本以上打つかもしれない。ただ実際問題として、そこまで打ったこともない。打っていない以上、それ以上の評価はしてあげない方がいいと思う。50本以上の潜在能力のある選手なんて、日本でも数人いる。所詮その程度の選手なのである。日本ではいい選手と言う程度なのである。とはっきり言ってあげた方がいい。彼自身日本で右に出るものがいないスーパースターだと勘違いしてしまっている。正直今後彼がメジャーに行けるとは私は思わない。韓国人にはお世辞で「来年当たりはスンヨプもメジャーですね」と言ってあげるが。バッティングはメジャーでは中の下。ホームランも彼のパワーでは苦しいと思う。遠くに飛ばす感覚はあるが、パワーははっきり言ってそうたいしたことはない。メジャーでは感覚だけでなくパワーがないとホームランにはならない。それでいて、守備は特徴はないし、一塁しか守れない。走るのはだめ。日本でスター扱いされすぎて、その辺あいまいになってしまった。と言うのが本音なのだが、やはり日本の野球を韓国でもテレビで見たいので、やはり彼の活躍は大切である。まあここまで落ち込めば後は上がるだけなので、ペースさえつかめばそれなりの活躍はし始めると思う。ただそれより明日の朝韓国のケーブルテレビでヤンキースとボストンの試合がある。先発は松坂。一番の本音は、この試合で松坂が快投、松井がホームランなんてのがいいということである。野球ファンとしては幸せなことである。
2008.04.13
コメント(4)
韓国で国会議員を選ぶ選挙が昨日あった。昨年も大統領選挙だったが、またかと言う気もしないでもなかった。嬉しいのはその日は休日になるということなのだが、あいにく雨が降り結局外出もままにならなかった。2年前韓国の永住権をもらったので、今回の選挙投票権がもらえるかなと思ったが、通知は来なかった。大統領選挙も外国人は永住権があっても投票権はないが、国政選挙も同様のようである。地方選挙の投票権があるのは確からしいが。まあ国政選挙は韓国人のためのものであり、地方選挙は住民のためのものともいえるのであろう。住民ならば、外国人でも住民ではあるので。結果は日本でも少し(本当に少し)報道されているが、与党のハンナラ党の勝利で、最大野党で前、前々政権の民主党は敗北と言うことであった。まあこれは最初から予想されていたことではあった。国民の間では経済問題が強く叫ばれている。特に若年層の就職は氷河時代になって久しいし、出費だけがかさむような社会構造、風潮などなど。前政権と前々政権がこのように作り上げたと言う不満の中、現政権のハンナラ党の優勢は避けられない状況であった。だがそこもなかなかうまく行かないもので、結局ハンナラ党の圧勝と言う感じにはならなかったし、投票率は過去最低で50%以下である。日本と似たようなものだが、結局国民が政党を信じていない、政治家を信じていないと言うことである。今後韓国がどのような方向に行くのかは私には予測しがたいところだが、少なくとも日本との関係だけはうまく保って欲しいと願うばかりである。とにかく日本ほどは面白くない韓国の昨晩の選挙開票ショーであった。
2008.04.10
コメント(6)
最近エロ系のコメントが多すぎて困っている。少し遮断したのだが、中々とまらない。楽天からのみ書き込みを受け入れるようにした人もいるようだが。何か久しぶりにコメントいただいて、やっと日記を書く気になった。アシガンさん、ありがとうございます。コメントがなくとも自分の思いを整理し、残すために更新は続けるつもりでやっているが、人からの意見でもないと中々動けない自分でもある。人は人から助けられて生きるようになっているのだろうか。日本人の韓国語シリーズはやるつもりではあるが、ホットなイシューで一言。先日3・1節であった。つまり独立運動の記念日である。敵国は日本である。1919年3月1日柳寛順女史中心としてが日本の支配から独立しようと立ち上がったのがこの日の由来である。別名万歳運動とも言われている。韓国では1年の中で日本関連の休日が2回ある。3・1節と8月15日光復節である。8月15日は日本では終戦記念日なのだが。とにかくこの日は日本人には緊張感が伴う日である。テレビを見ても日本の残虐さが一日中紹介されている。外に出て知り合いにあったりでもしたらどんな目で見られるか心配にもなる。当然大統領のコメントなんかがあるものだが、毎年それを聞くと日本人としては重くなって仕方がない。ところがその日のyahoo.koreaをみていたら大きな見出しが。李明博大統領、未来志向の韓日関係、を述べたと。1月日本にいたとき日本のネットで次期大統領(当時)李明博氏は日韓関係は未来志向で行くと言ったとあった。そのときは日本に都合のいい記事を日本側で選りすぐって来ただけではないかと勘ぐりもした。だが今回の発言でそれが嘘ではなかったことが確認できた。李大統領は現代グループ出身の企業人、経済人出身なので、実利的な発想ができる人なのかもしれない。特に大企業の人などは韓国にとって日本ほど重要な国はないということは痛いほどよくわかっている。未来志向のパートナー、特に経済パートナーと日本を見ることが大切だと言うのは世間で表立って言わなかっただけで定説であった。ちなみに正直な私の生の感覚を一言。韓国で反日を叫ぶ人は社会的にはいいクラスでない人が多いような気がする。ハイクラスの人たちが反日を主張したりするのはあまりみたことがない。何となくであるがローレベル(とみなされるだけで、その人たちを個人的に見下す気はまったくない)の人たちが普段のフラストレーションを反日というもので爆発させているような気もする。生活や精神的に余裕のない人はとかく他人の行動に批判的である。反日感情の爆発もその感覚とあまり差がないような気がする。まあ八つ当たりとでも言うことはできるが。これはあくまで私の実感である。統計でそう言うのがあるわけではない。そんなことを考えながら、2,3日前また別の記事がyahoo.koreaに。アドレスは忘れたのだが、内容はこうである。韓国在住20年の日本人女性が3・1節を迎えるにあたって、昔よりよくなったと回顧する記事である。昔はこの日は外を歩くのもためらったとあった。韓国もそろそろ叫びまくる反日感情から脱皮する気配が芽生えたのだろうか。明らかに昨年までとは違う3・1節の雰囲気であった。もう一つ。息子が4年生になったのだが、新しい担任から父親が日本人だろうと早速言われたそうである。ただ結構いい感じで言っていたみたいで、お父さん、つまり私のことだが、いつか学校に来てくれたらいいんだけど、と言うことだったそうである。自分も日本語少し勉強したんだとか、お前も日本語できるのかとか・・・。息子はあまり喜びを見せないが、多分嬉しかったようである。自分からこの話をしてきたので。ただ私はあまり学校には行きたいとは思わない。私の知り合いの日本人(男性)は学校で息子のクラスで日本の話をしてあげたことがあると言っていたが。日本人の子だと言うことでいろいろ問題のある子もいたりするそうだが、逆に得をした子もいたりと。日本人の子だといじめられたと言う話も聞いたことがあるが、友達からうらやましがられたと言う話も聞いたことがある。というところで、結び。ただこの程度では反日感情の問題が収まったとは言えないのは当然である。今後も韓国の変化を見守って生きたい。
2008.03.04
コメント(12)
今日の内容は複雑怪奇な内容であることをまず申し上げておく。要は韓国語の発音のことなのだが、発音の話、特に韓国語の発音の場合実に複雑なのである。韓国語の分からない方には御理解いただけない内容であるかもしれないという断りを入れておく。今日小さなスーパーに行った。そこでコーヒーや飲み物を少し買ったのだが、袋も欲しかったので言った。「ポントゥ チュセヨ」軽い気持ちであまり発音も気にせず言ったのだが、最初聞き取ってもらえなかった。もう一度発音を意識しなおして「ポントゥ」と言ったら分かってもらえた。そして「うちは言われなくても差し上げますよ」と言われた。最近韓国では袋は有料(と言っても10ウォンとかそこらだが)なので、言わないともらえない場合も多い。ポントゥと言うのは正確には封筒であるが、小さな買い物の袋もポントゥと言う。私はこの言葉の発音でよく苦労した。ポントゥくれと言っても、何のことか相手が分からないことが多かった。この言葉分析してみると日本人には言いにくい発音構造になっている。ポンのンはgのつくパッチムつまりngだが、これは日本人の場合意識しないとnになる。知らない人にはngとnの差なんてあるのかと思う人もいるだろうが、これ結構な違いである。特にポンの後ろがトゥなのでngよりもnになりやすい。それでngを正確に言おうとすると、前のポの発音がpoでなくpeoになってしまう。実際のところnとngの違いぐらいなら韓国人も聞き取ってくれないことはないのだが、oとeoの違いになるとちょっと違和感をもたれやすい。だからngの発音は多少は無視してeoの母音を意識した方が実際には聞き取ってもらいやすくなる。またngのパッチムのこだわりすぎると前のポだけでなく、後ろのトゥも正確な発音であるtooでなくteuになりやすいと言うのもある。パッチムngの前のpoと後ろのtooがpeoとteuになるとこれは聞き取ってもらえないようである。多少発音が間違っても聞き取ってもらえる場合が多いが、ポントゥの場合は前後の文脈も弱いので、発音が崩れると中々聞き取ってもらえない。だがこのngも正確に発音したいと言う韓国語をマスターした日本人としてのプライドからかよくこだわってしまう。だがこのngパッチムにこだわりすぎると、前後の母音がくずれやすくもなる。ここまで来ると何か発音の迷路である。昔は買い物したら袋にそのまま入れてくれたので、ポントゥと言う発音の難しさを私は意識しなかった。この言葉を使うこともあまりなかったと言うわけである。他の場面でポントゥと言う言葉を使う場合でも前後の文脈があると、それなりに理解してくれたものだった。だからその発音の悪さをそのままにしてしまったようである。だが最近は買い物をしても言わないと袋に入れてもらえない場合も多くなった。そこで買い物と言う場面でポントゥと言う言葉を使わなければいけない場合も多くなった。私は袋をもらっておくと、あとで車の中のごみ捨てに使えるので必ずもらうようにしている。それで最近になってこの言葉を使う場面が増えたようである。韓国生活の中で前半期はこの言葉の発音の難しさを考えたこともなかった。だが最近になって、このような環境の変化から、この言葉を使うようになり、それで初めてこの言葉の発音の難しさを意識し始めたようである。スーパーでの場面だが、店員からしたらレジを打っている最中にいきなり発音のよくないポントゥと言われたも中々分からないようである。ただ余裕のあるレジの人は結構聞き取ってくれる場合が多いような気もする。レジを打つのに忙しい人はそうなりやすいようである。最近は私も意識してポントゥを言うようにしているので、前よりもしっかり通じている。だがスーパーに行くたびに意識することもできないし、子供と一緒の時など私も精神的余裕がなく、発音まで中々意識できない場合もあったりする。以前末っ子とスーパーに行ったとき、やはりポントゥが通じなかったが、私も幼い子の相手をしながらで精神的余裕がなく、通じないのでいらいらしてきたら、レジの相手がポントゥですねと言いながら、こちらを蔑むように接してきた。まあこのレジの女の子がちょっと礼儀のないタイプであったのだが、あとになって発音の重要性を実感したりもした。ただこんな場合、こちらが日本人だと分かっていれば理解してもらえるものだが。一番いいのは意識しなくても自然とポントゥの発音ができるほどに練習したりとかすればいいのだろうが、実はこれ結構難しいのである。これは説明しようとすると、言語学の領域になってくるのだが、大人になって外国語を習得した人には無意識で完璧な外国語の発音ができるようになると言うのはかなり苦しいのである。実は言語学の研究もしたことがあり、関心のある部分でもあるのだが。今日は久しぶりにポントゥの発音のことを考えたが、機会があれば日本人の韓国語シリーズでもやって見たいと思う。人間の言語活動と言うものは実に複雑な要素が入り込んでおり、これ結構研究すると面白いのである。それこそこれだけで数回は更新できると思うのだが。
2008.02.21
コメント(2)
数日前韓国のあるサイトに倖田來未のことが出ていた。正確な出所は申し訳ないが忘れた。まあとにかくあの羊水発言に関するものではあった。日本のトップ歌手だから、韓国でもそれなりに人気があるもので、少し騒がれている(当然日本ほどではないが)。さて私が読んだのはyahoo.koreraのどかかで見たものである。私にはその内容がかなり目に留まった。題目は正確なのは忘れた(忘れたぐらいなら本当は日記にするべきではないかもしれないが)。まあこんな感じだった。「韓日芸能界の行為への許容度の違い」。これは私があくまで思い出しながら考えた題で、やはり正確ではないのであしからず。さて本題である。この記事の概略だが、つまり日本と韓国でも芸能人の失言や失態は時々あるが、それに対する世間の態度である。日本ではマスコミが騒いで、問題が大きくなり、活動自粛、謝罪会見・・・・となる。そこではモーニング娘の何とかちゃん(名前忘れた)が20歳前で引退同然になったことも紹介しながら、日本では芸能人のマナーには厳格であるとなっている。一方韓国では、芸能人のスキャンダルや問題発言、行動が時々報道されるが、なんとなく本人も知らないふりをしながら、活動をそのまま続けたりと、と言うのは多い。最近では人気のバラエティー「無限挑戦」のチョンジュンハ(このおじさんうちの子も大好きなのだが)がルームサロンをやっていると明らかになり、問題になったが(詳しい事情は忘れた)、結局お咎めらしいものはなく、今も番組に出続けている。どちらがいいとか悪いとかは結論付けていなかったが、日本とはそんな国なのだなあと紹介しているような記事であった。なんとなく韓国もそうなるべきだと自戒の念を持っているようにも感じられる文脈ではあった。日本人と韓国人は違う。その中でも違いが大きい分野として、マナーと国意識ではないかと思うことがある。国意識。ここではシュテーマでないから簡単にするが、韓国人は韓国人としてこうすべきだと言うのが多いし、そこでは許容性が低い。男は軍隊に行かなければ行けない(法律でもあるが)。スポーツ選手のインタビューでは国民の声援にこたえるようにがんばると言う(金太郎飴みたいなインタビュー)。日本を褒めてはいけない(もちろん今は褒める人も多い)・・・・・。日本人は。日本人でもいろんな人がいて、いろんな価値観があるものだ。オリンピックは自分のためだと言ったり。日本を批判するのがインテリだと・・・・・・。次にマナー。別に芸能人でなくても、日本では国民がマナーがない、或いは常識がないという行動には、徹底的にマスコミに批判される。一般生活でも隣人のマナーには敏感である。韓国ではどうか。マナーの意識が違うと言うのもあるだろうが、お互いマナーは破りあったりと。堅苦しい事は抜きにしてみたいに思っているのか、マナーは破りまくる。誰かがどうだったとか噂もよくあるが、そんな人韓国ではたくさんいるので、その他大勢程度にしかならないし。日本と韓国の社会のマナー感覚、常識感覚における許容度は明らかに韓国が高い。日本では結構レベルの高い国民意識が望まれる。韓国人はその高さに最初はレベルが高いというよりも、息苦しさを感じるだろう。日本人は韓国人はマナーがないと批判してしまったりと。だが韓国に住む日本人の中でこの意識レベルの低さが逆に楽だと言う人もよくいる。気を使わなくていいと。私ではないということはこのブログをそれなりに読んでくださった方はお分かりいただけると思うが。ただそんな私も日本ではしないようなことは無意識でしていることだろう。最近は韓国でもマナーチャンと言う言葉があったりする。マナーのチャン、つまりマナーに長けた、マナーのいけた人みたいな言葉である。私の感覚では90年代からソウルの特に会社員などではマナーがかなり重要になっていたような気がする。これらの人たちはマナーや意識の感覚は日本人とあまり変わらなかった。いや下手な日本人よりはマナー感覚があるかもしれない。ただこれは世代、地域、学歴などによって同じ韓国人でも雲泥の差がある。いまだにマナーを気にせず私の気分を害してくれる人は多い。特に名節の時など・・・・。田舎の人と会う貴重な経験の場である。ただ結局はマナー感覚と言うのは各自それぞれ、国それぞれで違うものなのでなんともいえない。とにかく倖田來未の一件でいろいろ考えた。ちなみに私はよくいるオヤジ倖田來未ファンと言うわけではないことは明らかにさせておこう。
2008.02.12
コメント(6)
3週間日本にいて、いろいろ思うことがあるが、少しずつ思いだしながらするとして。今日は日本から韓国に戻ってくる時に船でのエピソードを。ここ数年、家族で日本に帰省するのは費用もかかるので、船で行き帰りしている。船だと飛行機の半分ぐらいで済むので。それでだが、ここ1,2年、3時間で行くビートル、一泊するカメリア、関釜フェリーとどれも韓国人が急増している。それこそ90%以上は韓国人が乗っている。今回は下関から船に乗った。前日の日記のとおり、日本滞在で疲れきってしまっていた私は、船の中で電動のいす式あんま機でマッサージしていた。すると横に4,50代ぐらいの韓国人のおじさんが来て、話を始めた。見た感じ韓国によくいるうるさいだけのおじさんと言う雰囲気である。仕事もできそうには見えない。内容はすべて覚えていないが、残念ながら俗語の多い低俗な会話であった。まあはっきり言えば日本人の蔑視語である「チョッパリ」と言う言葉を使いながら、日本こき下ろしの内容だった。家が小さいだの、国民は貧しいだの、細かいことばかり考えて非人間的だの・・・・。まあ韓国人によくあるステレオタイプ的日本の悪口を言っているだけであった。まあ日本に行ってきたと言っても、日本の何がどうなのか自分の頭で判断する知性のない人だからこんなことしか言えないというのは明らかだが。今回の日記ではあえて反論しない。話す価値もありそうでないので。さて今回この件で二つのことを考えた。一つ目。隣に座っている私が日本人だと気づいていた発言だったのか。まあおそらく気がついていなかったのだろう。この時の船も圧倒的に韓国人が多かったし、残念ながら私は日本人には見えなくなってしまっているようである。日本人を横にそんなこと言えるような度胸のある人間にも見えなかったし。あるいはひょっとしたら日本人だと思ったが、韓国語なら分からないとでも思ったのだろうか。とにかく船の中という解放感の中ただでさえ配慮には弱い韓国人だが、周りとの配慮感覚もなくなっているのだろう。まあこれは船に乗るたび、毎度のことであるが。二つ目。こんな言葉を横で聞いていながら、怒っていない自分を発見した。我ながら不思議だ。まあ正確には怒っていないと言うよりも、相手にしないだけの要領と言うか度量が私にも少しついたようである。それは話すと長くなるので、今回は省略するが、昨年の特に後半は仕事上年配の韓国人を多く相手にしたので、理解できていたと言うか、免疫になっていたというか。すべての年配の人がそうではないのは当然であるが、この国はまだやはり精神的には先進国になりきれていないのである。それは年配の人では顕著である。もう時代的に先進国の感覚を身に着けるには難しい人々なのである。本人たちも年配者の風格にはこだわりながら、無知な自分であることも分かっており、どうしようもない面もあるのである。日本でもそうだが、年齢の上下にうるさい韓国では、年配者も大変なのである。えらそうにしないと年下に対して年長者としてのプライドが保てないのだが、知性や教養は明らかに劣っている世代である。実は今回悟ったことなのだが、私の両親も旧世代だと言うことを実感した。私は東京にもいたのだが、そこで出会った知性と教養の高い立派な年配者のイメージが強く、両親はその点、頭が固いなあといつも思っていた。だが今回よく観察してみたが、日本でも田舎の方では60.70代ぐらいでも、かなり昔の感覚である。私の親だけでもなさそうである。団塊の世代あたりがちょっと境目なような気がする。それ以上の人は日本人でも頭が固いところがある。「昭和一ケタ」とか「石頭」みたいなもので。ただ私の親からすれば私は新世代、いや新人類と言うことなのだろうが。私だって、今の日本の10,20代は感覚の違いに戸惑ったりりすることもある。それは韓国の若い世代にも感じるが。そんなことを考えながら、韓国の上の世代の石頭も、そんなものだと受け流すことができたようである。まあ韓国人が日本の悪口を言うときは自分にストレスをためている人が大半であると言うことは最近感じている。金持ちや自分に満足している人はあまり日本のことを悪く言わないということも最近は感じている。上記のおじさんも、年配者(と言ってもまだ高齢者ではないが)にもなって、船程度でしか日本に旅行にいけない、しかもやっとこの年で初めて日本にいけると言う自分のレベルに対するストレスもおそらくあるのではないかと思ったりもした。もしそうなら・・・・、私はそのおじさんに言ってあげたい。私だって船でしか日本に帰れない貧乏なんですよ。自分のことあまり気にしなくてもいいですよと。とか考えながら、今回は受け流すことができた。私も少しは成長したのかな・・・・。
2008.02.02
コメント(2)
先月(1月)は更新一度もなし。理由は。日本に3週間行って来たので、と言うところであろう。あとはいろいろ精神的には忙しい日々でもあったと言うことでもあるだろう。仕事はそうでもなかったのだが(でなければ日本に3週間もいられない)、何やかんやと忙しくなってくる。日本にいても普段とは違う忙しさが。毎日とにかく家族で出かけた。これ結構苦しいのである。母からはものすごく遊んでいると皮肉を言われたが、母が(父も)ストレスをためないためにも子供たちを日に一度は外に連れ出す必要がる。家の中で過ごしていると、昼過ぎぐらいには母の表情が変わり始めるのが分かる。これ以上家にいたら母がたまり始めると言うのは分かる。子供といたら。24時間子供と(しかも元気盛りの男3人と)過ごすのは日本滞在中ならではである。遊ぶのは楽しいが、仕事をするほうが楽でもあったりする。母も孫がかわいいと言いながらも、24時間はついていけない。私には皮肉を言うが、私としては母のために外に出て遊びまくるのである。経験がある人は分かるだろうが、毎日子供と一緒に遊びに行くのは、ものすごい労働である。家にいても大変だが、外に連れて行くのも相当な体力、精神力が必要になる。それでも数年前よりはよくなったが。今韓国に戻って数日。やっと日本でためた疲れがとれ始めた。今回の日本滞在もいろいろあったが、それを振り返るにはまだ精神的余裕が出ない。今の徒然である。
2008.02.01
コメント(4)
今月の徒然と言うわけではないが、そろそろ何か書き込まないとやばいだろう。最近のサボりようはブログへの情熱が薄れたわけではなく(薄れていないとも言えないが)、韓国への情熱が薄れたわけでもない。怠惰な自分と言えばそれまでではある。ただ逆に韓国に対して、もっと正確に言うと韓国人に対して様々な思いはここ1,2ヶ月かなり持っている。それを整理して書き込むにはまだちょっと何かが・・・・・。時期と言うかタイミングと言うか、何と言うか。とにかくいろいろ感じているのは事実である。本題。今は忘年会のシーズンである。一山越えてきたが。日本人には日本人同士の忘年会もあったりする。そこで年配の日本の方と席を共にした。それで普段思っている実に率直な疑問を尋ねてみた。「日本っていつ頃から先進国になっていたのですか?」その方は悩みこんでいたが、数十秒後考えを整理してから「70年代かな」と答えられた。正直私は先進国でない(なかった)日本というものがよく分からない。話は聞いているが、直に体験していないので分からない。それでもスポーツや文化等で世界に引け目を感じていた日本人の頃は覚えている。今の若い人は世界に出てもほとんど引け目を感じないようだが。韓国にいるとよく考えることがある。今の韓国はいつ頃の日本と似ているのだろうか、と。先の大統領選挙で当選した李明博氏も世界7大経済大国を目標に掲げていたが、つまり名実共に先進国にしようと言うことである。韓国も本格的に先進国と言うものを意識し始めている。物質的には韓国も日本にはかなり追いついてきている。若干日本に歩があるとは思うが。ただ物質の中にある文化性はまだ日本より遅れていると思う。10年遅れているのか20年遅れているのか・・・。最近はサムソンや現代などもデザイン戦略などといって物の文化性を打ち出したりはし始めているが。またよく言われることだが、国民意識は日本人のいつ頃と似ているのか。日本人並みの意識を持っている階層もいれば、まだ数十年前の日本人のような意識レベルにしか見えない人もいたりと、この辺は難しいところである。車の運転のマナーなどは遅れているとかの問題でなく、民族性の問題だと言う人もいるが。韓国内でも釜山はソウルより10年遅れているとか言う意見も聞いたことがある。地域による差も大きいものである。それは世代間での差、男女間の差(これも結構ある)、階層、学歴による差(こういうものを言いたくはないが)といったものともたいした違いはないだろう。韓国人の国際マナーは日本ではよく問題になる。日本人の国際感覚がすぐれているかどうかは疑問だが、韓国人よりは国際的なものの見方はなれていると言うのは明らかであろう。他国に行っても韓国式でやろうとするのは国際マナーとしてよくないことだと悟り始めた人が今すこしずつ増えてきたと言うのが実情であろう。つまりその感覚さえも分からない人が未だに多くいるのである。この辺で日本ではマナーを知らない韓国人というイメージになってしまっている。分野によって違いはあるが、日本も韓国もあまり差がない分野、まだ歴然とした差がある分野とヨロガジ(いろいろ)である。ネットのブロードバンド環境は韓国が進んでいるとも言う。日本に行ったことがある韓国人の中でこういう人も結構いる。日本も韓国もあまり違わないと。日本と言うと先進国なのでとてつもない科学的で整った国と思いながら日本に言ってみると、基本的なインフラや構造はそうたいした違いはなかったと言うのである。車も韓国にあるし、バス汽車も同様。繁華街も韓国にあるし、高層ビルも韓国にもあると。はっきり言える傾向は、物質的には日本に近づいてきた、意識面みたいなものはまだ差があるという大雑把な構図は立てられると思う。ただ先進国だからといって偉いわけではない。日本だって短所はある。それは欧米の先進国でも同様。昔の人間くさかった韓国が今よりよかったと言う人もいる。今よりよかったはずはないのだが、今の韓国にはない何かがあったのも事実である。日本だって昔がよかったはずはないのだが、昔はこうだったと最近はよく言われている。さあいよいよ韓国も先進国になる時代である。来年以降の韓国はどうなるのだろうか。経済大統領李明博氏に期待したい。
2007.12.27
コメント(13)
日記未更新1ヶ月。最長記録(?)になってしまった。理由は?もう意欲もないのか。やる気がなくなったのか。怠惰なのか。まあスランプというのはあるが、一番の理由は忙しいと言うことだろう。ここ数ヶ月仕事なり何なりといろいろ忙しく、なかなか自分の思いを書きとめようとなることができないでいる。人間何やかんや言っても食べていかないといけないので、それが生活の中心になることが多くなる。現代人は特に食べていくため、簡単に言うとお金が中心になってしまう時があると思う。他の国はいざ知らず、日本や韓国では食べていくための涙ぐましい現代人の一面がうかがえる。ただそんな中で一部の余裕のある人や、金銭的余裕を捨てた人たちは、お金以外の何かを先立てて生きていこうとしたりもする。夢、愛、趣味、自由、家族等等・・・。そしてそんな人は2,30年前よりも明らかに増えている。特に日本で。韓国はやっとそんな人たちが少しずつ現れ始めた、と言ったところだろうか。だからまだ社会的にそんな生き方をする人への理解度は日本よりも低い。だがそんな生き方を望んでいるわけではないが、仕事が得られず結果的に仕方なく時間的に自由な生活を送っている人々も多くいる。日本のニートもそんなところはあるだろう。韓国はもっとひどいような気もする。ニートと言う言葉は韓国にはないが、前から仕事をせずにさまよう若者は街にうじゃうじゃしていた。その中には高学歴者もいたりして。別にニートと言う特別な言葉を使う必要もないのが韓国なのだろう。若年失業者などと言う言葉をニュース等で使う場合はあるようだが。また若者だけでなく、中高年の中にも毎日のように昼間から暇をもてあましている人をよく見かける。子供の教育費等で大変だと思うのだが。ちなみに韓国は先進国の基準であるOECD加盟国の中で家計に占める教育費の割合が一番高い国である。そんな中高年の人たちはもう稼いでしまって、休んでいるのだろうか。そうは見えないのだが。まあ人により事情は違うので一概に判断はできないが。忙しいとついいろいろ考えてしまう。楽したい、余裕を持ちたい・・・。でも現時点で、世界は働けるだけでもありがたいというのが現状である。もし忙しくなければ、忙しくてもいいから稼がないと、となるものである。人間、たまには初心に帰って働けることに感謝しないといけないのかもしれない。そう思いながら韓国の晩秋も終わり、冬に入ろうとしている。といっても今年の11月後半は寒かった。ただ今日は暖かくなったが。
2007.11.29
コメント(0)
一日早いが今月の徒然と言うことで。こんなのでもしないと最近は更新もしなくなってしまっているので。今月は今回を含めて4回しか日記を書いていない。うち韓国関連は1回しか書いていない。それもキムタク来韓ということで、何か韓国のことを書くのに情熱が薄れているようである。まあそれだけ最近は韓国の生活は平穏であるということなのだろう。教科書問題や竹島問題が起こるといらいらして仕方なくなるのだが、そのストレスがブログ更新のエネルギーになっているとは自分では思いたくないのであるが・・・。先日は亀田問題で私のブログでは珍しく、厳しいコメントもいただいたりもした。人間反論されるといろんなことを考えるようになるが、最近、特に夏以降日本に対する批判めいた内容を書いてきた中で、少しその辺突っ込みすぎたのがこういう形になって現れているのかもしれないのかと感じたりもする。韓国在住の私には普通の日本人的感覚が崩れている面もあるかもしれないが、その辺では貴重な空間であると受け止めている。日本の話は在韓日本人よりも普通の日本人の方がシビアである。日本のことはさておき。韓国生活10数年。正直10数年間、韓国を批判し続けたわけではなかった。楽しいと感じながら生活をしていた時期もあったし、日本帰国は避けられないと韓国を嫌いに思った時期もあったし。特にここ2,3年は韓国に対する感情はよくなかった。それは私の生活の環境の変化もあったであろうし・・・。仕事、居住地、子供の入学・・・・。安倍政権から福田政権と韓国に対しては軟化政策であるが、その中で韓国の反日感情が収まっていると言うのはあるだろう。或いは大統領選挙を控えて、日本の批判をする暇が韓国にはないのかもしれない。そんな中私も何となく韓国に関しては平穏な日が続いているようでもある。正直今は韓国に住みながら韓国への興味が薄れている。そんな時期であるのだろうが、10月は野球の最盛期なので仕方ないのかもしれない。関心ごとがそちらに行ってしまう。毎年のことだが。松坂、岡島、Wシリーズ優勝おめでとう。ただそれを世界一になったと言うのはあまり認めたくない。あくまで今の世界一はWBCで優勝した日本なのだから。2年後の次のWBCまでは世界一は日本だと私は思いたい。そして今日本シリーズを見ている。韓国のケーブルテレビで。今中日が大差で勝っている。このまま行きそうな雰囲気もあるが、日本ハムも応援したい。巨人ファンの私ではあるが、中日にはうらみはない。だが私にはチームカラーがしっくり来ないのでどうも応援する気になれない。何かあまりにもスマートないい野球をやると言うか。だから強いのではあるが。名古屋の方ごめんなさい。そういえば韓国はSKが韓国シリーズ優勝した。昔は韓国の野球も楽しんでいたのだが・・・。韓国野球は国際化の波の中で日本以上に人気が落ちている。11月からは野球もお休み。季節は寒くなり始める。でも楽しんでいきたい。
2007.10.30
コメント(0)
今回も韓国ネタはお休み。最近は亀田大毅とその父親がマスコミをおお騒がせ。まあ悪いことしたのだからしかたがないとは言え、何か私にはしっくり来ない。朝青竜の騒ぎの時も感じたのだが、何かマスコミが必要以上に悪童作りにいそしんでいるとしか見えない。亀田一家と朝青竜の共通点は周りをかえりみない過激な言動である。あまり普通に世間で受け入れられるようなタイプではない。特に日本人には受け入れられにくい。そういう部分もあるのかもしれないが、マスコミは亀田一家や朝青竜を現実よりももっと悪い存在に仕立てたがっているようにも私には感じられる。実際あそこまで全マスコミにたたかれたら、いくら岩の心臓である朝青竜もノイローゼにもなるというものである。あのふてぶてしい彼が失敗を犯した瞬間に、ノイローゼにもなるほどに追い込みたがる意図でもない限りあそこまでバッシングはしないものである。亀田一家や朝青竜は家まで張り込みされると言う異常事態になっていた。まさに全精力で追い込んでやろうとしているかのようでもある。安倍前首相もマスコミ操作から四面楚歌になっていったような気がする。最後はノイローゼ寸前でおやめになったわけであるが。亀田の件では対戦相手の内藤選手は試合後は怒りのコメントもあったが、亀田の落ち込んだ姿を見て、あれだけ落ち込めばそれでいいじゃないかとさっぱりしたものだった。マスコミが何とか亀田への憎しみのコメントを内藤から引き出そうとするのだが、内藤選手はもういいじゃないかと・・・。挙句の果てに「内藤選手はいい人ですね」とほめ殺しのFテレビのAアナウンサーみたいな人もいた。私は思った。「あなたがいい人でないだけじゃないか」日本の社会の構造的問題で感じることはある。詳しくは次の機会にするが、一言で言うと「いじめ精神」。日本人はやはりいじめがすきなのである。誰かの失敗をあげつらいたがる性質があるのは否めないのではないかと感じる。すんだことは水に流してと言えるスポーツマンシップの「いい人」内藤選手。どこまでも地獄のそこに叩き落すまで批判しようとするマスコミと一般人。私は失敗はしたが、一途に行こうとした亀田一家は好きである。一途過ぎたのだろうが。お父さんもおそらく純粋な方なのであろう。純粋すぎてああなってしまうのかもしれない。結果が失敗であったとしても挑戦しようとした姿勢は好きである。失敗が嫌で、仲間はずれが嫌で一途さ純粋さを失うことの多い世間一般人よりは亀田家のほうがなぜか好感が持てるのである。人間挑戦もしなければ失敗もない。挑戦を避けて人を批判しまくる人が世間にいかに多いことか。特にマスコミ界。今後軌道修正は必要ではあろうが、亀田一家はそのうち本当の成功を得るのではないだろうか。本当の成功にいたるには避けられない今回の亀田家のミスであったのだろう。苦しいだろうが、頑張ってほしい。朝青竜も。
2007.10.21
コメント(6)
今日はまったくの個人趣味で。松坂。今日もだめだった。今日は直接韓国のケーブルテレビでポストシーズンを見たが、球は悪くなかった。だがまさに今年の松坂を象徴するかのように、突然乱れて、カウントを悪くし、ランナーが出ては、気を使いすぎたり・・・。体の調子はどうなのか。まあこの時期に疲労のない選手などいないが、彼の場合体の問題ではないように見える。明らかに集中力が欠けている。すべるボールを異様に気にしたり、ランナーに気を使いすぎたり・・・。顔の表情にも、何かにいらいらしている。私が彼の事情についてとやかく言うのは、門外かもしれない。ただ昨日の松坂への記事を見て気になったことがある。「リラックスできている」と言うコメント。この松坂のコメントを今年は何回聞いたか分からない。だがシーズンならともかく、ポストシーズンの大一番を前にリラックスばかり強調すると言うのは、おかしい。人間大一番、つまり重要な仕事、場面で緊張しないと言うのはおかしい。もちろん過度の緊張からつぶれる選手もいるが、適度の緊張感は集中力を高め、逆にいい精神状態を保ってくれるものである。私に言わせれば、大一番の前は緊張感と同時に、それを越えて出てくる気合が必要である。緊張感もない中で、気合など入りきれない。そんな中リラックスしていると言うコメントはお門違いである。今年は一年中「緊張はしなかった」「リラックスしている」と言うコメントばかりであった。彼からしたら、リラックスすると言うことは、おそらくリラックスした状態で自分の力を見せればいいと言う思いであったのだろう。だがそこで私が感じることがある。あくまで私が勝手に感じるものではあるが。彼はリラックス状態、いわゆる日本での彼を出そうとしていたのではないかと。そしてそれにこだわり過ぎたのではないかと。彼は今までの日本人メジャー選手の中では一番実力に確信を持ってアメリカに迎えられた選手である。野茂は日本人がどうなのかも知れぬ中でアメリカに行った。イチローも日本人の野手はメジャーではどうかと思われながらメジャーに行った。松井は日本の強打者がアメリカでどうかと思われながら・・・。だが松坂はそのようなメジャーでの日本人選手の成功の元にアメリカに行ったので、誰もが実力は問題なく、自分のものさえ出せば大丈夫と思っていた。そんな雰囲気の中で自分を出すことが大切だと、つまり日本にいた頃の自分を出しさえすればいいと彼が思いながらアメリカに渡ったのではないかと感じられる。だがそのような精神状況が、彼に外国で暮らすことの鉄則を無視させることにつながったのかもしれない。外国で暮らすことの鉄則。大げさな言い方である。あくまで私が10数年前韓国に来て経験した者なのだが、私なりの外国生活の鉄則がある。外国では日本にいた頃の感覚とは違う。日本ではこうだったが、何でこうできないのか、何でこうなのか、と言う思いが強くなると苦しくなる。また日本ではこうしていたと言うことで、捨てないといけないことも出てくる。何かあまりにも単純なようだが、これ非常に大切であると私は思う。これができないがゆえに韓国から逃げたと言う人も実際いる。私の場合、日本のテレビと書籍の生活ができないのが苦しかった。NHKーBSは見られるが、民放がみたくて仕方なくなることがあった。日本の本がある本屋もあるが、最新の雑誌等はないし、量だけで内容は普通の日本人もあまり詠みそうにないものが多かったりと。問題はこの時、なぜ日本のような書籍が韓国にないのか(私は出版文化は韓国は日本より数十年遅れていると今でも思っている)、また日本の書籍をどこかで扱わないのかと、どんどん不満は高まっていく。だがこれは韓国に住む限り、仕方のないことである。書籍やテレビを日本にいるときと同じくらい楽しむと言うのは無理な話である。今ではどうか。韓国に来て数年後ぐらいには、あきらめ切れていた。その代わり日本に一時帰国した時はホント雑誌を買い込んで数ヶ月は暇にならないようにとか、要領も得てきていた。今ではネットで韓国にも取り寄せることもできるようになったが。テレビも人気番組はネットで入手できる。とにかく捨てる部分は捨てると言うことが何とかできるようになった。日本にいるのとまったく同じ生活は外国にいる限りありえないのである。松坂の場合、他の日本人選手と違って、日本時代そのままでいいと自他共に、また日本米国両国でも思われてしまって、そこから外国生活の鉄則から外れてしまったようなものではないかと私は推測する。野球であろうがなんであろうが、外国生活の基本は同じである。守る部分、捨てる部分、あわせる部分、あきらめる部分(?)の要領が必要になるのである。また日本時代の彼を出すこともそうだが、もっと挑戦者としての姿勢もあったらと思う。スポーツはリラックスもそうだが、「気合」である。気合が入って、集中力も高まっていたら、ボールがすべるとか、ストライクゾーンが違うとか、その辺はあまり気にならないものである。まだ今シーズンは終わっってはいないが、もっとがむしゃらに戦う姿勢を持ってほしいと言うのが私の松坂への言葉である。届くはずはないが。まあ人生試練があるから面白いのだろう。それは松坂に教えられたことである。
2007.10.16
コメント(0)
木村拓哉が先日韓国に来たのは、多くの方がご存知であろう。釜山映画祭で特別試写会があり、ゲストで呼ばれたとのことである。その時も100mの赤のカーペットが敷かれ、特別待遇であったそうである。ファンとのミーティング(だと思うが)も5000人来たと言う。韓国のマスコミ上でもそれなりに騒がれており、注目度は結構あった。中にはヨン様に対する質問もされた模様だが、彼はプロであり、特にライバルとは思わないとかわしていた。筋肉だけはヨン様みたいにはなれないと冗談言っていたが。ただそれでも報道の熱はまだ日本の方が高かったような気もする。ヨン様を日本に迎えた時のように、国をあげて迎える、と言う雰囲気までは行かなかった。ただ今回韓国でもそれなりに日本のスターとして注目してくれたのに時代の流れを感じざるを得ない。韓国では数年前まで日本の大衆文化が禁止されていたが、その当時でも闇の世界(?)では日本マニアがたくさんいた。木村拓哉もはっきり言って有名だった。ただ公の場で騒がれていなかっただけの話である。それでも今回公の場で木村を迎え入れた韓国の姿勢は明らかに昔とは違っていた。日本のスターは意地でも認めようとしない風潮から、変わってきている。いくら日本人であっても、スターはスターであると言うことを公の場で示したことは日本人には嬉しいものである。まあ最近ヨン様やビョン様等が日本で受け入れられて、韓国のほうも日本のスターを受け入れるだけの余裕ができたと言うのもあるかもしれない。自分たちが日本で受け入れられていないのに、日本のものを自分たちが受け入れるのはしゃくだという微妙な感情が以前はあったと思う。そういえば最近車も日本車が人気が出始めている。レクサスやアコードは街中でよく見かける。猫も杓子もウリナラだった韓国もだんだん国際化の流れの中で変わりつつあるようなきがする。もう日本が昔のような野蛮な国ではないということをかなりの国民はもう悟っている。いっそのこと私も韓国で日本文化を紹介したい。特に影のJ-POP。お勧めは佐野元春と山下達郎。この辺のマニアでも開拓したい気分である。年がばれたか・・・。
2007.10.08
コメント(4)
今月はまだ一回しか日記を書かなかった。それも安倍首相辞任の話(今は福田さんになったが)で、韓国関連の内容ではなかった。最近仕事が忙しいのもあり、更新をサボってしまった。だが、月の終わりに何か書こうと思った。特にテーマはないので今月の韓国徒然なるままにということで。たまにはこんなのもいいだろう。本当の日記みたいで。さて韓国ではいわゆる韓国固有の名節「秋夕」が終わった。ただこれは日本でもお盆があるので、韓国固有と言うのには私は抵抗があるが。このブログでも時々取り上げた韓国の名節。私も1泊2日で行って来た。まあよくもなく悪くもなく、と言う感じであった。ただまだ家内の母が家内にちくちくとうるさく言ってくる。まあどうしてそういうのかは大体分かるのだが、お母さんとしては意地を張っているところもあり、仕方ないと言うところである。ただお母さんのことも含めて、いろいろ考えていもいる。他の韓国人の場合、最近は名節でもうちに行かない人もいたりする。特に娘夫婦や次男、三男以下の息子の家族、家族がいなくても本人等、名節に実家に行かない人もそれなりにいる。私たちは娘夫婦でありながら、去年までは2泊3日行っていた。家内とお母さんがけんか状態になったので、1泊2日にしたのであるが、それでも行かないなんていうことはしていない。そこまでして実家に行かないといけないかなと思ってしまったりもする。特にお母さんがあそこまで意地を張るのなら。お母さんに関しては年をとって、いろいろうまく行かないことへのジレンマがあるのは分かっている。人間自分にジレンマがあると、他人にそれをぶつけたりもするものである。私の親もそんなところがある。そんな両家の親を見ながら、感じる。年をとってからの人生はそれまでの人生の決算でもあり、清算されていない何かがあると、清算しないといけない。ここで言う清算と単なるお金の話ではない。人生の貯金、人生の借金とでも言おうか。非常に微妙な言いかたしているが、用は簡単である。本当に言い生き方をして来た人はとしをとっても、自分への誇り、満足感を持てる。だがどこかで自分をごまかし、見過ごしてきた人は、としをとってから、自分のアイデンティティーを持つのが簡単ではないようである。何か親の盲点をあげつらうようでもある。だが正直な思いである。特に意地でも子供から尊敬されようと、力ずくでも言うことを聞かせようとする年老いた人の行動は正直見ていて苦しい。本来尊敬とは自然とされるものなのだが。これは韓国人にも感じる部分である。対面を気にする多くの韓国人は相手から尊敬されようと、力ずくの行動に出る場合も多い。自分を尊敬しろ、みたいな感情をぶつけてくる人もよくいる。昨日もとあるショッピングセンターで喧嘩している韓国人がいた。40代後半ぐらいに見える夫婦と、30代前半ぐらいにみえる男が言い合っていた。見た感じは年上の方は一応声を張り上げながらも、礼儀は分かっているように見えた。一方年下の方は癖のありそうな男に見えた。年上の方が「いくらけんかだからと言って、年上にパンマル(ためくち)使うのか」といっていた。私には正確な状況は分かるものではなかったが、年上だからと言う論理で相手を押さえ込もうとする年上の側、たとえ喧嘩の場でも年上に礼儀をもてない年下の方。人間もっとお互いを尊重する風潮を持たないと、この国で生きるのは苦しいだろうなと思った。
2007.09.29
コメント(8)
最近仕事が忙しくなり、また涼しい気候の中で(今日は暑いが)、サボりがちであったブログであるが、何か言いたくなる出来事が起こってしまった。安倍首相辞任!まあこの方の辞任はいつになるかの問題で、ほとんど予想の範囲内ではあったが、いきなりこの時に、と言う感じである。この是非は私にはよく分からない。ただ今後うまく行って、最悪の状況から脱出に成功の安倍政権なんと言う日が1,2年後に来ないかなとも期待していたので残念ではあった。あっ、私は自民党の支持者としてこんなこと言っているのではないのだけははっきりさせておくが。韓国に住んでみて、外国から日本を眺めながら、或いは韓国から日本を眺めながら、一つ思ったことがある。日本ほど国の顔が替わる国はないと。考えてみよう。アメリカは4年任期で再選もある。よっぽどのことがない限り辞任もない。クリントンさんは女性スキャンダルがあってもやめることはなかった。イギリスは最近首相が替わったが、その前のブレアーさんは10年ぐらいやっただろうか。その前のメイジャーさんは短かったような記憶があるが(と言っても数年だったと思うが)、サッチャー首相も確か長かった。フランスも最近替わったが、その前のシラク、ミッテラン氏とやはり長かった。ロシアもプーチン大統領は今何年目なのだろうか。もちろんエリツィンも長かった。中国も長い間江沢民氏だった。韓国は無条件5年である。ノムヒョンさんなんかは人気もなく、日本だったら持っていたかどうか。日本の議会民主制はイギリスを真似たものである。首相が国の代表に成るのはいいと思う。ただ日本の首相と言うのは日本の顔である。私は日本人だからそこまでではないが、外国の人は日本の顔がよく替わるので、分かりにくいだろうと思う。日本の顔が見えないと、その国が見えにくい。おそらく日本の世界のイメージは政治よりも、経済やアニメなのだろう。でもそんなに替わる日本お顔のような首相みたいなものはどうなのだろうか。昔は1,2ヶ月なんてのもあった。日本の首相は議会の代表で、民意がある面では一番反映された国の代表かもしれない。民意がいいと言ったら、すぐ評価され、民がだめと言ったらすぐ切られ・・・。でもこの一貫性のなさが世界でどう見られているのかは気になる。それとも世界最高の民主主義の国だと誇るべきなのだろうか。かの小林よしのり氏は国民が変わらない限り、誰が首相でも同じだとよく言っている。今回は安倍さんの失敗と言うよりは、大臣の失敗が多かった。任命者の責任だなんて皆言うが、今どき問題なく大臣になれる人はまず自民党にも、他党にもあまりいないであろう。また小泉政権がうまく行き過ぎて、そのとき見過ごされたツケが来ているという見方もある。年金問題なんていうのは、はっきり言って今の問題じゃなく、ここ2,30年の問題であり、安倍さんの直接の問題ではない。私は人がいいので(?)、安倍さんご苦労様でしたと言っておこう。こんな舵の取りにくい時期の国政の中で、ストレスがたまったでしょうと。私は参院選で惨敗した後も、がんばっていこうとした安倍さんは好きだった。何であの選挙程度でやめなければいけないのか、逆に理解できなかった。どうも日本人は周りから突き上げるのが好きなようだ。特に自民党は。トップがやると言ったら、そこで支えようとすべきではなかったのか。身内も守れないとは、もう政党として機能は働いていない。安倍さんはある面自民党につぶされたようなものだろう。或いは党内での勢力争いか何か見えないところで動いているのだろうか。日本は経済界を中心として民間の力で名を上げた国だから、今後も大して変わることもないだろうが。ただ誰が首相になっても根本的には変わらないのは目に見えている。まあ政治なんてのはイメージ作戦だから、そんなものなのだろう。
2007.09.12
コメント(2)
実に分かりにくいタイトルにしてしまった。と言うことで私の日本滞在中に感じたことのシリーズもあと僅か。だがもうモードは韓国生活モードになり、日本のことも感覚は忘れつつあるのだが。今回日本滞在3週間で、それまでもあまり見なかった光景に2回出くわした。車からのごみのポイ捨てである。一台は私の車の前の車で、スポーツカーみたいな車だった。暑い中エアコンを入れているのか、車の窓はほとんどの車で閉まっていた。が、突然窓が開いて、缶か何かそれなりのごみを捨てた。そして何もないかのように窓を閉めた。それも市街地の片道3車線の大通りで。あれ日本でこんな人いたかなあと思った。家内も日本人はマナーを守ると思っていたので驚いていた。韓国では車からのタバコのポイ捨てはまだよく見る。つばもよくはいている。ここまではもう私もどうしようもないとあきらめている。だがごみを堂々と車から捨てる人には今だ会ったことがない。ひょっとしたら見たことはあるのかもしれない。だがどう頭をひねっても記憶にない。考え込んでしまった。私は昔は日本で運転したことがない(韓国で車に乗り始めた)ので、昔のことはよく分からない。日本でも昔はこんな人がいたかなあ、と頭を絞ったがよく分からない。幼かった頃、ごみを山や道路で捨てないようにみたいなキャンペーンコマーシャルをテレビで見た記憶がある。と言うことは70年代ごろはそういう問題も日本で多かったのか。それとも日本が変わり始めているのか。最近の日本人は自己主張がどんどん強くなっていると感じているのは、時々ここにも書いた。ただマナーも気にせず自分のやりたいようにすると言うのを自己主張と勘違いしている人もいると感じているということも。特に若い人・・・。そうこうしている内にもう一件車からのポイ捨てを見てしまった。もちろん日本で。この時の状況ははっきり覚えていないが、またかと驚いたのだけははっきり覚えている。それまでほとんど見てこなかった日本での車からのポイ捨て。3週間で2度も見てしまった。日本は韓国に比べて国民全体で見ると、明らかに平均的にはマナーを守る。韓国は平均的にまだマナーの感覚が弱い。それは韓国でもマナーを守ろう見たいなキャンペーンがあるのを見ても分かる。守らない人があまりにも多いから、キャンペーンがあるのである。車の運転も同様。韓国では上記のタバコポイ捨て、唾吐き、割り込み、逆に入れてやらない・・・・・・・。ホントいらいらすることもある。だがなぜか車からごみを捨てるのは見たことない。日本でも個人的にはあまり見たことがなかった。ここで今日の結論。マナーを一概に善と悪にするのはちょっと極端だが、こんな構図になった。平均的善の中に極端な悪が時々出る日本。平均的悪の中に目立った悪にはなりきれない韓国。日本は犯罪なんかも、驚くような犯罪がある。それはごく一部の人ではあるが、国民も驚くぐらいの犯罪がたまに起こる。そのニュースが韓国で報道されると韓国人もおったまげるほどの犯罪である。最近は頻発になってきた感もあるが。だが韓国では小さな犯罪は多いが、国民を震撼させるような犯罪は日本ほどではない。まったくないわけではないが。韓国人は日本のやくざの話をする人もいる。怖そうだと。私も一度じかに見たことがあるが、ホント怖かった。だがそれは社会の中の隠れた部分に普段は潜んでいる。普段はマナーをよく守る(あくまで韓国人より)日本社会。普段からマナー意識が足りず、ギクシャクした韓国社会。でも凶悪犯罪の程度は残念ながら日本が上を行っている。どちらも私には怖い社会である。今日の日記は極論であるのは承知しているが、正直な感想と言うことで、タイトルのように結論付けた。「極の悪と平均の悪の差」
2007.08.30
コメント(4)
今回もまた日本滞在時感じたことを。韓国に住んでいると、いろいろと気を使うことが多い。特にものを買う時(売る時も)、或いは何かを申請したりする時等は気を使う。「交渉」に。今回日本にいながら、あちこちに行ったが、行く先々で「交渉」に気を使うことはなかった。物の値段はほとんど表示されているし、しかも安くなっている。また制度、システムが整っているので、そのレールに乗っかって、買ったり申請するだけである。これが韓国だったら。価格が示されていない店も多く、いくらか聞かないといけない。ところがそこでふっかけて来たりもする。市場価格が分からない時などはホントだまされる可能性もある。だからうまく「交渉」しないといけない場合も多い。日本でも昔は値切りの交渉みたいなことを日本人もよくやっていたような気がする。だが、最近は店の方も安くしている代わりに、値切りは受け付けないと言う雰囲気である。実際最近は値切りする日本人はあまりいないのではないだろうか。大阪あたりでは値切りは日常茶飯事だそうだが。その辺最近の韓国はどうなのだろう。私はあまり値切りもしたことがないのでよく分からないが。ものを買う時は、韓国では店の人とお客とのかけひきであり、まさに「交渉」である。これ結構プレッシャーになったりもする。或いは何らかの申請ごともそうである。日本では申請時に「そこを何とか」みたいなのはあまりやらないし、やったところで簡単には受け入れてくれないとも思われる。規則は規則だからと。だからといってサービスが悪いと言うことも特にも感じないし、そのまま受け入れるのがほとんどの日本人だろう。韓国では申請する側が声を張り上げたり、いろいろしながら、相手になんとか自分の願うとおりにさせようとするのは多い。そこで喧嘩になることもあるが、実際大声を出されて、言うことを聞いてしまう公務員なども結構いたりする。日本人はこれピンと来るかもしれない。日本の官公庁の感覚で韓国で何らかの申請をする時相手がだめだといったら、素直に聞いてしまう。また立場の弱い外国人なので、よけい言うことを聞いてしまう。だがあまりにも対応がひどく、思わず大声で抗議したら、急に態度が変わって聞いてくれたりと言う経験のある日本人は多い。この変わりように日本人は違和感を感じながらも、韓国では言わないとだめなんだなあと思うようになる。交通事故なんかも、そうである。3年前日本でちょっと車にぶつけられたのだが、携帯で写真とって、保険会社に連絡で終わりであった。ただ父だけは警察で処理しろと私と相手を怒鳴り散らしていたが、警察でも保険会社とうまくやってくださいと言うだけ。結果は7対3で相手が多く保険料を払った。これは最近の韓国でも同様である。実は今年も車のブレーキが壊れて他の車にぶつけてしまったが、全て保険会社任せであった。人身事故でなかったので、相手もああそうかと言う感じで何の文句も言ってこなかった。だが6,7年前の事故の時は大変だった。私も生まれて初めての交通事故で相手と状況がこうだったああだったとやりあったが、保険会社で車の写真見て、状況判断して終わり。言い合う必要はまったくなかった。やはりこのときも7対3で相手が多く払ったのだが、病院に知り合いがいたのか、偽装入院までしてきた。事故の程度からして、それだけは嘘に決まっていると保険会社に言ったが、相手の運が悪いとしか言いようがないとのことだった。こう見ると私も交通事故が多い。運転には気をつけているのだが、やはり気をつけないと。ただ事故の時は家族連れの時ばかりで、幼い子供に神経使いながら、どこかで運転が不注意になっているのかもしれない。とにかく、日本では生活の中で「交渉」と言う感覚があまりない。システムにしたがって生きるだけでもそう不都合はない。韓国では「交渉」しないと、自分が不利になる場合はやはりある。だから常に「交渉」ができるような心の準備が自然とあったりする。システムは自分で変えるぐらいの感覚の人も多いかもしれない。言えば分かると。日本人の場合、ただでさえ整った社会システムの中で、比較的気楽に来たので、「交渉」と言う感覚が弱い。また韓国にいると「交渉」するにも、言葉の問題で実に大きなハンディキャップがある。大声で相手を張り倒す勢いで、たくさん話さないと勝てない韓国の「交渉」。これは日本人には苦しい。世界の中で日本は交渉下手な国であるとは皆思っている。いつもアメリカの言うなりだと。国民性もあるし、社会状況も違うので、ある面仕方がないとは思う。また例えば、中国なんかもやはり交渉社会だとよく聞く。「交渉」によっていかに支払いを遅らせるのかが、中国でのビジネスマンの能力の一つだとも言われているそうである。また官庁とのコネで簡単にビジネスも進められると。まあ最高の「交渉」上手な国は北朝鮮であると言う人も多い。何やかんや言って、あそこまでの支援を約束させるわけである。私は日本人として日本の社会に誇りを持っているし、ここまで国民が安心できる国はないとも思う。最近は年金問題などでそんなことないと言う人も多いかもしれないが。だが世界の中では国民があまり「交渉」みたいなことに気を使わなくてもやっていける安心できる社会であると思う。だが世界に出るとそうも行かない。お隣の韓国だけでもそんなものである。もっとひどい国は多いだろう。その辺の世界情勢と私が言うと大げさだが、少なくとも日韓情勢は理解しておかなくてはいけないかもしれない。
2007.08.27
コメント(6)
今日も日本編で。今回日本に帰って、改めて感じたことはいろいろある。その中の一つ。日本は遊ぶには最高の国だなあ、と言うことである。以前韓国でとある日本人と話をした。私は「韓国人はボーリングと卓球、ビリヤードは本当に上手ですよね。あと歌、インラインスケート、それからサッカーも」すると「それしかやることないからじゃないですか。日本だったらもっと多様な遊びや趣味がありますから」と。この時の会話、妙に納得してしまった。確かに部門別で見ると、上記の種目は韓国人が平均的に日本人より上手である。しかし国民のほとんどがそれ以外はよく知らないと言う感じでもある。また日本人が韓国に来て感じることの一つ。山によく行く。また実際頂上まで登る。日本では登山と言うのは一部のマニア、登山家のやることのようになっているが。これにけちをつける気はまったくない。登山はいい趣味である。でもここまで国民全体が山に登ると言うのも、すごいと言うか何と言うか。特に中年以上の人はかなり山に行く。そこでふと思った。私も韓国に住んでいると、他にやることがなくなる場合がある。山に行く以外に。他のことは飽きてしまって。そして実際山に行く。うちのすぐ裏の山に。ただし奥の方とか、中腹でとどめておくが。それはそれでいいものである。それは確かである。さて本題に。今回の日本滞在は3週間ほどであったが、実に密度が濃かった。といっても遊んだ密度の濃さである。山にも行った(ただし車で、しかも登山目的ではなく)。海にも(実家は海の町である)プールには3回。ショッピングセンターは大きいところ、小さいところ合わせたら2日に1度は必ず。その他レジャー施設・・・。まだ行きたいところもあったが、時間と財布を考えて、多少は控えた。特に今回は為替レートの関係で日本での出費がかなり割安になった。おかげでいつもより少し多めに遊べた。外食も韓国と比べれば逆に安い。ものも安い。特にあちこち回っていると、食べ物からいろりろと安い掘り出し物がごろごろ。今回の日本での出費を韓国のウォンにしたら、あまりたいした出費ではなかった。2,3年前の10倍から今7.5倍となり、日本滞在はかなり楽になった。ただ数日の円高で8倍になったが。そう言えば韓国に戻って、家内がアパートの知り合いと夏の休暇の話をしたそうだが、休暇でペンションに行ったら、100万ウォンかかったそうである。3,4日から5,6日でそんなにかかるのなら、日本に旅行に行った方がいいかもしれない。お金の話はこの程度で。韓国は誰から右といったら、皆右に行く国民性がある。だから趣味や遊びも4千7百万人皆似通ってしまう。一方日本は、オタクに代表される趣味天国である。韓国人ほど趣味や遊びで人には影響されない。自然と多様な趣味、遊びが出てくる。それに加えて、世界でも最高の精密正確さを誇る民族性である。遊びの質も実に深いところまで入っていく。韓国人は日本に旅行に行っても、そこまでは見極めるのは難しいかもしれない。電気製品見て、100円ショップ行くぐらいでは分かりにくいと思う。私も韓国でそうであったが、その国の真髄が見え始めるのに、住んで3年はかかると思う。それもあくまで見え始めるというだけで、簡単には見えてこない。この日本の遊びや趣味などの奥の深さは日本人、もしくは日本に長年住んだ人でないと分かりにくいかもしれない。それを3,4日程度の日本旅行で、金銭の事情の中で韓国人が理解するのは、ちょっと無理かも知れない。それぐらい日本の遊び、趣味の世界は奥が深く、多様で洗練されていると感じた。もし人生の目的が遊ぶことであるのなら、即日本に帰った方がいいだろう。本当にそう思った。ただ3週間の滞在と住むということはまったく違うものであろうが。もう日本で住む感覚も忘れてきている。といいつつ、韓国に戻ってきて思うこと。韓国は韓国でいいんじゃないかと。日本が日本でいいのと同じように。日本人として日本で遊ぶことを楽しめるのは幸せなことである。ただそれを知らない韓国人も韓国を楽しめばいいと。人それぞれ道が違うのだから。こういう発想はごく日本人的であるのだろうが。と言うか、さすがに3週間も遊んだら、何か頭がおかしくなりそうな気もした。しばらく韓国なりの楽しみ方で人生を楽しもう。せっかく住んでいるのだから。
2007.08.23
コメント(4)
今日は日本ブログと言うことで。しばらくそうなるだろう。いつまでかは分からないが。昔韓国に旅行ではじめてきた時、観光バスの中に物売りのおじさんが入ってきた。片言の日本語で財布を売り始めたが、日本には到底ない押しの強い売り方で、これが韓国かと思ったのを覚えている。その押しの強さにあるツアー同行のおばさんが買ってあげていたのも頭の中に残っている。当時はそれが新鮮で面白いとも思った。その後旅行や出張で数回韓国に行ったが、行く度に似たような感じであったし、私もそれを楽しんでもいた。だが韓国に住むことになった。すむとなると旅行とは違って、生活の感覚から韓国を経験するようになる。そうなると目に付くのが・・・、いいこと悪いこといろいろあるが、韓国人の不親切さは日本人ならば感じざるを得ない点であろう。だがこれは今になって分かることだが、韓国が不親切というよりは、日本が超親切な国であると言うことである。いろいろ話を聞いても、韓国だけでなく、世界どこに言っても日本ほど親切な国はないと日本人は皆感じているようである。それは中・後進国だけでなく、アメリカやヨーロッパなどの先進国に行ったことのある日本人も皆言っている。特に客に対する親切さは世界でも群を抜いていると言えるのではないだろうか。回りくどくなったが、日本は親切な国である。日本人としてそれは本当に誇らしいことである。だが今回も日本に帰って、ごく一部なのだが不親切な人に会った。そして日本人でこんな人いるんだなと感じたりもした。今回某都市でタクシーに乗った。その時のタクシーの運転手は語調、態度といいまさに韓国でよくいるような人だった。低い声と言うといい言い方だが、これは客に対してちょっととどうかなと私も声を聴いた瞬間に思うような語調だった。また子供3人先に乗せて、家内と私はトランクに荷物を詰めていたのだが、車の中に入ってみると子供たちのようすがおかしかった(そうである、私は気がつかなかったので)。なにかおびえているようにも見えたと家内は言っていた。後で子供に聞いたら、おじさんから座席に足上げるなと注意されたそうである。まあ落ち度はこちらにあるとも言えるが、このおじさん私に対する話し方からしても、かなり不親切に子供にも声をかけたのは想像に難くない。上記のようにまさに韓国でよく見るタクシーの運転手の雰囲気そのままだった。何か韓国人みたいだなあと変に懐かしくもあったりとしたが。いや韓国でも愛想のいい、親切な人もいるので、韓国人以上の不親切さだったとも言えるかもしれない。この某都市のタクシーの運転手。何回も乗ったが、ここの運転手は全体的に無愛想である。韓国ほどではないと思うが。たまにいい人がいたりもするということもあるが。ただ私は地元ではタクシーには1回しか乗ったことがないし、東京時代も移動は大衆交通(韓国的いいかたであるが)での移動がほとんどだったので、日本のタクシーの運転手のことはそんなに知らないと言うのも今回気がついた事実であるが。私は今回のことで思い出したことがある。昔東京でタクシーに乗った時、基本料金で済むところに行ったら、運転手が料金いらねえと怒ってしまった。日本でもそんな人はいるものである。韓国に住んでいると、日本の感覚が失われてくる。そしてそのうち日本のいいイメージが誇張し始めてくると言うことがよくある。そしてその感覚で、韓国と比較してしまう自分があるのかもしれない。実際の日本はそこまで完璧な国ではない。もちろん韓国より日本の方が親切である。それは間違いない。ただそれは全体的にそうであるというわけで、個々で見るといろいろあるわけである。日本でも不親切な人がいたり、韓国でも親切な人がいるというのは当然である。また今回タクシーに乗った某都市。昔から時々行き来しているが、改めて振り返って見ると、個々の人は強い人が多いような気もする。対応もぶっきらぼうだし。ショッピングセンター等でもあまり譲らない人が多かったし。日本も地域、都市、町によって結構違ったりするのは最近も感じていたが、今回も感じたところである。このテーマは次回にするとして。自分も韓国にいながら、日本のことで誇張している部分があるのは否めないと思った。そういう発見はたまにでも日本に帰らないと分からなくなってしまう。ただ最近は韓国でも親切運動、マナー運動みたいなものが起こっている。何かマニュアル的でぎこちなさもあったりするが、確実によくなってきている。日本の方が親切であるというのは明らかであるが、うかうかしていられないというのは強く感じる。日本人の親切さは、世界に誇られるものなのだから、大切にしたい。グローバル化の流れの中で、世界の中でも自己主張ができるようになった日本人である。だが日本人的なものに魅力を感じる外国人も少なくないのであるから。さて上記(この日記の出だし部分)の私が昔旅行中に会った韓国の物売りのおじさん。こういうのは親切とはおよそかけ離れた行動である。だがこう言う感覚がある面韓国の魅力でもあった。親切にはなってほしいと思いながらも、昔ながらのこういう韓国的なものもあってもいいなと思うのは私のわがままかもしれない。
2007.08.19
コメント(2)
なぜか韓国に戻ったのを帰還としてしまった。別に日本が戦場だったわけではないのだが。いや戦場は私にとっては韓国かもしれないが。とりあえず3週間の休暇を日本で送った。今回も韓国とに比較を中心にいろんなことを思った日本滞在であった。ありすぎるので、今後少しずつ日記に出していくとしよう。韓国に住み始めて10数年。その間日本にあまり返らなかった時期、年に数回帰った時期等いろいろである。一つ言えることは、日本に帰るたびに二つの観点でいつも発見があるということである。一つは生活の主戦場を韓国におきながら、韓国との比較でいろいろな発見があるということである。もう一つはかなり忘れかけた日本の感覚を思い出しつつも、日本って、或いは日本人ってこんな部分もあったのだなと言う、日本に対する新しい発見である。若くして日本を離れてしまったので、日本社会のことでまだ知らないまま過ぎてしまったこともあるようである。或いは日本人が昔と変わってきて、新しい発見があるのかもしれない。「あれっ、日本人でもこんな人いるのかな」と感じながら、昔もこんな人はいたかどうか考え込んでしまう。でも10数年経つと細かいことは忘れているので、昔の日本人の感覚等は到底思い出せない。昔もこんな人はいたのかもしれないが、意識せず暮らしていただけかもしれないし。韓国に長くいると、ステレオタイプ的日本観、日本人観の影響を知らずに受けてしまう。生で見ていないと感覚なんていうのはすぐさび付いてしまう。逆に韓国人観では生で見ている部分が多く、日本でよく言われるような様な韓国人観とは違う部分も見えていたりもする。今日は抽象的文章でとどめておくとする。頭の整理がまだできていないと言うこともあるが、まだそれを文章にするには、脳が動かないので。
2007.08.16
コメント(2)
ただいま日本に帰省中。ネット環境がよくないので、しばらくお休み。と言っても、その前から休んでばかりだったが。管理もあまりできない状態です。またお会いできる日を楽しみにしつつ・・・・・・。
2007.07.31
コメント(6)
おとといの日記は主婦と言うテーマであったが、早速昨日家内が小学校で会った学父母(韓国式だがいわゆる父兄のこと)でいらいらしながら帰ってきた。1年生の息子の教室の掃除をしにいったのだが、試験の話ばかりで盛り上がり、自分の子が何点だったと自慢する親もいたり・・・・・。また図書館のおばさん(普通の父兄)との間で息子がトラブルがあったのだが、その接し方等、あまりにも非常識で、ちょっと声を高めてしまったそうだ。それでも自分の非はなかったと言う前提で押しまくってくる相手の態度にもうあきれ返ると言う始末。さて今日のテーマは階層である。今私たちはアパート(これは日本で言う高層マンション)に住んでいるが、いわゆるいいアパートではない。そしてその小学校地域に零細民アパートがある。これは何ならかの理由で貧乏になってしまった人たちに国が援助と言うことでほとんどただで住まわせるアパートである。もちろんこんなアパートであるから、非常に小さかったりする。当然だがこのアパートに住む人は社会の底辺の中の底辺層に近い。さてそうなるとどうなるかと言うと、この地域の小学校はレベルが下がると言うのことなのである。実際成績は他の小学校よりよくない。またうちも経験したのだが、やはり問題も多い。うちは子供の自転車を盗まれ、犯人を探し出したが、この零細民アパートの子だった。別に脅すつもりもなく親に一言言いに行ったら、その子のお母さんはまったく悪びれるもなく、謝ることもなかったそうである。そして末っ子を連れている家内を見て「おたく弟がいるんですね。いいですねえ。」と世間話が始まったと言うことである。家内も別にこの地域のことはうわさで聞いており、喧嘩するつもりもなかったので、もう相手にもしなかったそうだが。そしてその自転車を探す過程で、その子が通う学院(いわゆる塾)にも寄ったが、そこの院長先生も、「あの子はいつもああなんです。大目に見てくれたらありがたいです。」と言う感じであったそうである。もう皆この地域はこんな感じで、あきらめていると言うのが現状である。ちなみに今年2番目が入学したが、同じクラスにこの親の娘が、つまり自転車を盗んだ子の妹がいたそうである。その親も家内を見て会釈ぐらいはしたようである。まったく悪びれるでもなく。こんな感覚なのである。このアパートの子が今息子の小学校に一番多くいるそうである。そうなると、どうなるか。当然この小学校はレベルが下がる。それで引っ越す親も多くなる。こんな小学校に通っていたら大変になるかもしれないと親が心配になるのである。勉強もそうだが、雰囲気が悪いのではと心配になる親が多い。まあ韓国では子供の教育のため引っ越すと言うのはもう通説であるが。或いは越境入学で、隣の小学校に子供を送る人も多くなる。うちのアパートでもかなりいる。少しでなくかなり。2番目の息子と同い年の子は半数程度、隣の小学校に行ってしまった。この隣の小学校はこのあたりでは一番いいアパートが密集している地域で、地価も高く、当然小学校もレベルはかなり高いと思われる学校である。ソウルの江南に匹敵するかもしれない。道一つ隔ててまったく違う地域になってしまうものである。今は引っ越したが、以前家内が親しくしていたおばさんがいる。その人も娘を隣の小学校に送った。それである時、家内と学校の話をしたそうである。話を聞くと明らかに違っていた。成績なんかはかなり違っていたと思う。通う学院の数も。それだけではなかった。こんなことも。家内 :うちの学校の親たちは集まって子供の前で酒を飲んでいた。もう私はその親とは仲良くするのやめた。Uオンマ :えっ、酒を。うちの学校の親は集まって、教育の話をするわよ。家内 :あのお母さんたち集まってもダイエットの話とか、自慢したりとか・・・。Uオンマ :えっ、こちらのお母さんは立派な教育の話が多いわよ。どこの学院が言いかと言う話だけでなく、教育論とか・・・。私はこの話を聞いて、韓国は階層社会だと直感した。それ以前から、何となくは感じていたが。考えてみれば、会う人によってまったく違う印象を持つこともあったので。極端な民族性のためかとも思っていたが。地域、レベル、階層によって韓国はまったく違ってしまうようである。その後階層のことを考えながら人と接するようになってしまっていた。こんな意識で人と接するのはよくないことなのかもしれないが。すると見事に、韓国では階層によって、違うと言うのが見え始めた。そして階層を越えた付き合いもあまりないようで、それぞれの階層は自分の階層の感覚が全てであるかのようにも見えた。日本でも階層と言うのはないとは言えないが、ここまではっきりしているようには思われない。うちも正直引越しを考えることもある。子供のことよりも、そこで付き合うおばさんたちが理由で。家内はストレスである。私は・・・、実は私も・・・。例えば洞事務所のジムで会うおばさんたちとか。だが引っ越したからといってよくなるとも限らない。また息子は今の小学校で満足している。時々引っ越したいかと聞くと、友達が好きだといっている。まあ親の事情を優先させて引っ越すと言うのもどうか。今のところ引越しの予定はない。上の子が小学校の入る前、家内もやはり心配していた。それで他のあるおばさんにそのことを率直にきいてみたら、こう言った。零細民アパートの子はチョリオプタ(まあしっかりしていないということ)かもしれないが、心は純粋だ。ちなみにこのおばさん、おとといの日記にも出てきたHおばさんである。子の頃は家内も大分お世話になっていた。最近ちょっと(かなりかも)うるさくなっていると言うことだが。後は日本人である私は、いくらなんでもその程度で越境入学などするなと言う意見であった。日本ではそこまでしないと。そんなことばかり意識していたら、教育にもならないと。だが今日本でも有名私立中学、小学校の入学が盛んであると言うこと。それはそれで仕方はないのだろう。しかし家内は何でこうも韓国のアジュマとあわないのだろうか。同じ韓国人でありながら。まあ一応大卒で仕事もしてきた人間だから、それが分からない人間と合わないのはあるだろう。だがひょっとして。私の影響を受けて日本人ナイズされているのかもしれない。だとしたら私も罪な人間かもしれない。
2007.07.19
コメント(6)
韓国はこうだとか言うことはよくある。だが韓国と一言で言っても、そこには様々な人間、様々な職業、境遇、様々な地域がある。そこに全体的、一般的傾向はあるだろうが、一様ではない様々な人間模様がある。まあそれは日本も然り、世界どこでも同じである。何かドキュメンタリーの出だしのような文章になってしまった。今日の要点は韓国人でも人によって感覚の違いは多いと言う、実に単純なテーマである。こんなこと別に韓国だろうが、日本だろうが、どこでも当然のことであるが。昨日家内が息子の親同士で食事と言うことで行って来た。私は最近家内がそのような場に行って、大丈夫か少し心配になるのである。理由は。他の親、というかおばさんと合わなくてストレスためてくるんじゃないのかと。このブログでは日本人としての私の立場からの韓国観が多いが、家内を通して韓国人同士の韓国観みたいなものを研究させられることもよくある。難しい言いかたしているが、韓国人同士でもこの国での人間関係は簡単ではない面もあるということである。ここ数年、正確には家内が主婦になってからであるが、それまであまりなかったような人間関係のストレスが起こり始めた。それまでの独身時代や、子供ができるまでの新婚時代まで家内は働いていたので、いわゆる主婦と言われる人たちとはほとんど付き合いがなかった。この頃の人間関係は学生時代の友達や、田舎の友達が多く、しかもそれは基本的にはお互いが性格的に合うような関係がほとんどである。会社での人間関係のストレスは当然あるものだが、それは会社であるから何か割り切れる。会社の場合24時間近くにいるわけでもないし、極端な場合誰それが嫌いだとやめることもできる。実際家内も新婚の頃、会社の上司が嫌で、うちに職業情報誌を買って帰ってきたことがあった。その時は私がなだめて、結局その後妊娠、出産まで会社には残った。だが子供ができて、仕事をやめ、いわゆる主婦になってから、人間関係は一変した。主婦になると基本的には24時間(とまではいかないが)うちにいる。そうなると隣近所の人間関係ができ始める。そうなると、これはもう基本的なパターンのような気もするが、必ず合う人間合わない人間と出てくる。そして必ず出てくるのが、自分に有利な人間関係を作るために、人の悪口を言ったり、嘘ついたりと・・・・。私たちも結婚後数回引越しを経験した。そのたびにそんな人間関係が出てきた。そのとき家内が他の主婦に一番ついていけなかった部分は何か。夫と子供の自慢しまくり(中には自分の自慢しまくりもいるが)の主婦が多かったことである。夫がこんな成功したとか、うちの息子がほめられたとか、100点取ったとか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(この点の長さはそれぐらいこんな話が多いと言うことである)。特に上の息子が2年前に小学校に入学してからはどうか。家内は他の親と話しながらストレスをためてうちに帰ってきたことも多かった。家内がアパートで一番仲良くしている人がいる。そのおばさんも最初はそうでもなかったのだが、付き合い始めて3年、最近息子自慢が露骨になってきた。そして最近は私のこともさげすんだような言い方を露骨にして来るそうである。例えば家内 :子供に英語を勉強させようと、アッパ(パパ、つまり私のこと)が少しやった が、時間がないので1ヶ月でやらなくなってしまった。Hおばさん:あなたのだんなさんが英語教えるったって日本人は英語の発音悪いじゃないか。家内 :日本人も韓国人も発音の悪さはおなじでしょ・・・・・・・。(あなたの英語よ り1000倍上手よ)ちなみに私はアメリカ人と友達になって意見の交換程度はできる。通訳なんてごめんと言う程度でしかないが。まあそんなことそのHおばさん知る由もないだろうが。ちなみに韓国人は日本人の英語の発音をばかにする。これは全国民の通説になっている。だが私に言わせれば、英語が通じない度は日本人が100なら韓国は80か90程度、つまり韓国人の英語の発音も決してよくはない。そして韓国人のほとんどはそのことに気がついていない。私も馬鹿らしくてそのことを韓国人に指摘してあげたこともないが。これだけでも詳しく書くと、日記がかけるのでこれ以上は省略。本題に。最近家内の周りではこんなことが日常茶飯事である。私も韓国人はそんな部分があるとは分かっていたが、主婦たちはそこまでやるかと思った。まあ私も韓国の主婦と個人的な付き合いは当然なかったし(あったら問題である)、そんなこと気がつかずに韓国で暮らしてきた。だがある日なぞが少し解けた。家内が父兄の学校の掃除に日に学校に言ったら、他の主婦たちが何の連絡もなく日を替えてしまった。そこに来ていた数人の連絡のなかった親(家内も含めて)唖然とした。そこであるおばさんが言った。「~オンマは社会生活(基本的には仕事)したことがないのか、世の中のことが分からないのね、こんな連絡もしないなんて」このことをうちで聞いた私はそこでなぞが解け始めた。「ああ、そうか。社会が分からないんだ」つまり韓国で主婦なんかになるような人は社会に出て、世の中を経験したことのないような人が多い。学歴があったり、仕事をそれなりにしていた女性は、結婚後は当然、出産後もそのまま仕事をし続ける人が多い。そんな人たちは人間関係の基本、つまり露骨な自慢や蔑みなどは当然しない。私もどちらかと言うとそんな人と多く接してきた。そしてそんな人たちはアパートや子供の学校での付き合いもほとんどないので、今の主婦になっている家内と会う機会もほとんどない。家内も大学も出て一応学歴はあるし、仕事もしっかりしてきた。だからいわゆる世の中のことが分からないような主婦みたいな人と付き合ったこともなかった。自分の自慢はともかく、夫や子供の露骨な自慢や、さげすみ的発言をする人が世の中にここまで多いとは思ってもいなかったのである。もちろん私もここまでとは知らなかった。だがこれは韓国では普通の人である。ちょっと心ある人や、教養ある人はそんなことはないのだが、社会の中でかなりの数を占めているタイプの人たちである。前から感じていたが、韓国は意外と階層社会である。付き合う階層によって、天と地のような感覚の差がある。そしてお互いが階層をこえてまで付き合うこともないので、おなじ階層の中での感覚が全てになっていく。ちなみに私は日本人と言うことで、比較的高い階層の人と付き合うことが多かった。仕事も学歴もしっかりしている人がやはり多かった。だがその中で感じるのは、本当に高い階層の人は人間もできている人が多いと言うことである。例えば大企業の社員や幹部など。幸いなことにそんな人ともお会いする機会があった。だが中途半端に自分は大学出たとか、自分は会社員だみたいな人は底辺層でないだけで、鼻だけが高い人間も少なくはない。どの職業がどうだとかの私なりの研究内容もあるのだが、ここでは職業差別になるので、控えておくとする。さて最後に。昨日の家内の会食である。上述した家内の仲のいいHおばさんも来たのだが、昨日も一人息子の自慢していたそうである。だが周りも深く相手にするでもなく、気にもするでもなく・・・。そんな人がいるのは当然と言う感覚であったそうである。ただ自慢をした人はHおばさんしかいなかったそうで、やはり普通の感覚がある人はそこまでやらないのかも。私もまだ韓国社会を学び続けている。それは韓国で生まれた家内も同様である。人生生涯勉強である。
2007.07.17
コメント(10)
韓国人の表情シリーズの完結編が残っているのだが、寄り道ばかりである。今日はこれで。「アジアカップ」あまり関心のない方も多いだろう。中にはそれ何と言う人も多いと思う。だが無類のサッカーと野球好きの私には、非常に大切な大会である。そういえば去年のワールドカップがきっかけでこのブログも始まったものである。サッカーにしろ、野球にしろ私がスポーツが好きなのはそこに真実があるからである。政治家を代表として、殺伐としたこの世の中。ニュースを見るたびにうんざりするのは国民の素直な感情であると思う。日本でも韓国でも。嘘をつき、人をだまし、知らないふりをし・・・・。だがスポーツは違う。真摯に取り組んだだけ結果が出るようになっているのである。不思議なことに。実力は結果に出る。そこにはだましも何もない。そしてその実力を出すための精神力。その精神力をつくるための日頃からの努力。またサッカーのアジア大会である。日本も韓国も、どうあがいていてもアジアの一国家である。地域の一体化は必要である。サッカーを通じてアジアを知ることも楽しい。特に日本や韓国からはまだなじみの薄い東南アジアや中東の国々。何よりも、アジアのサッカーはこれから30年で見たら一番発展する可能性はある。5年や10年では苦しいかもしれないが。そんな中おとといから始まったこのアジアカップ。嬉しいのはタイがイラクと引き分けたり、ベトナムがUAEに勝ったり。今まで東南アジアは世界でも一番サッカーの弱い地域の一つに見られていたが、これはアジアサッカーファンとしては嬉しいところである。そして去年の日本戦での大勝が記憶に新しい豪州。実力的には2連覇中の日本以上に今大会の優勝候補である。ところがオマーンと引き分けであった。後半のロスタイムの同点ゴールで。そして今日の日本。カタールも帰化選手がいて、前よりも強くなったよいうであったが日本が押しまくった。だが後半の42分に同点にされた。FKだったが名前がセバスチャンとなっていたが、アルゼンチンかスペインかそのあたりからの帰化選手のようであった。カタールは陸上でもケニヤの選手を帰化させて、世界選手権で金メダルを取ったりしている。昨年はアジア大会をドーハで開催させている。そのドーハ、日本にはドーハの悲劇で有名な都市だが、最近の都市の発展振りはすごいものである。未来都市的な感覚は今世界でも随一である。アジアサッカーは日本、韓国、サウジ、イランの4強で来た。だが、豪州がアジアに加入、北朝鮮、バーレーン、オマーン、カタールなどの成長。まだアジアでの日本の優位性は変わらないが、ここ10年ほどの優位性ではなくなりつつある。さて明日は韓国がサウジとの試合である。今日の日本の引き分けは悔しいものだが、韓国にはがんばってほしい・・・とは別に思わない。負けろとも思わないが。アジアのサッカーを純粋に楽しみたいと思っている。日本と韓国の政治のストレスから解放されるためにも。
2007.07.09
コメント(4)
韓国人の表情シリーズは完結編が残っているのだが、ちょっと寄り道を。先日の日曜日、某ショッピングセンターのモールに入っている紳士服の店に行った。一応ブランドを構えて、店舗もその商品だけを扱っている店で、その辺の屋台や市場とはちょっと違う店である。ただしまったく有名ではなさそうな店であるが・・・(後にそのことははっきりした)この店に行った理由は1ヶ月ほど前この店で買ったズボンのことである。買った時は何の問題もなかったのだが、はき始めて2,3回目でチャックが壊れて、ひどい時には自分でも知らずに社会の窓(韓国では南大門)が全開とまではいかなくとも半開に近くなると言う状態になってしまった。それでも意識していれば何とか人の目はごまかせるのでしばらくはいていたが、やはり不便なのでズボンを直そうと思った。チャックを直すのは3000ウォンぐらいなのだが、買って2,3回はいただけでチャックが壊れると言うのは何か納得がいかない。一応ブランドものでもあるし。とりあえず、一度店に持って行ってみようということになった。ただ変な予感はあった。正直私はズボンを買ったときの店のおばさんの印象が余りよくなかった。そのおばさんの応対の仕方、またいわゆる今このブログのテーマでもある表情など、誠意はあまり感じられなかったので。ただ夏物のズボンが早急だったので、そのときは買ってしまったのだった。普段はこんな人からものは買おうとはしない。ちなみにその後忘れていたが、この店では裾あげはしてくれなかった。まあそういう店もあるだろうということだが、今になって考えれば、それなりの店舗も構えていて裾上げもしてくれないというのも、やはり今一歩の店だったと言える。近くのショッピングセンターでもなかったので、1ヶ月ぐらい経ってしまったが、とりあえず足をのばした。店での応対は家内に任せて(韓国での交渉事は韓国人の家内に任せるほうがいい)、子供をつれて本屋コーナーに行った。しばらくして家内が来たが、ズボンはかえてくれるとのこと。そして帰ろうかと言うとき、妻が納得いかないと言い始めた。何かと思ったら、また3000ウォンを払わないといけないとかなんとか。何か意味が分からなかったのだが、また店に行って3000ウォンもらってくると言って行ってしまった。しばらくして携帯に家内から電話が来た。「3000ウォンはもらえなかった。また自分たちで3000ウォン払って裾あげしないといけない」そこで分かった。最初も裾あげで自分でお金払ったが、また裾あげでお金払わないといけない。つまり2回裾あげのお金を払うと言うことである。事情を悟った私は家内に叫んでしまった。「そんなんあるか。なんでこちらが2回も裾あげ代払わないけんのや。店はあんなズボン売ったことに対する責任感もないんか」家内:「言ったけどだめだ」私 :「何や、そんなことも言えんのか。 俺がいったるわい」このときは昔と違って、ものが言えなくなった妻であると再実感した。まあ主婦になってしまって10年近くなるので、感覚が鈍っているんだろう。昔は家内が外で交渉事で喧嘩して、私がなだめたり、加勢したりする立場が多かったのだが。だがそんなことよりも店には一度はっきり言いたいと思ったので、行った。最近は韓国人と喧嘩しないようにとこんな場は避けていたのだが。まあ言いたいことは言ってやった。が、おばさんはやはり3000ウォンはくれなかった。一度やらないといったら最後まで曲げないのか、さてはプライドか、或いは3000ウォンが惜しいのか。そのうちこちらに声を高め始めた。そして韓国人によくある自分の話だけを聞けという態度。こちらの言うことは無視。いくら年上でも、こちらは顧客である。話しながらだんだん私も頭に血が上り始めた。その後爆発・・・。私もたくさん物言ったのだがこれだけ紹介。「こんなチャックの修理は3000ウォンですよ。こんな小さいお金が惜しいんじゃない。顧客に2回も裾上げさせて、仕方ないで済ませようとするのが気に入らないんですよ。お金じゃなくて心の問題なんですよ。」そこでおばさん:「じゃあ、こちらで自腹きって裾あげしてやるからまたとりに来てくださ い」 妻 :「えっ、そうですか。それならそうしてください」だが私は一発ここで言ってやったおばさんの顔を見にまたここに来るは嫌だし、大体うちからは近いところではない。またここまで来ても3000ウォンをやると言うのがプライドで許せないようなおばさんの態度にもう辟易した。それで私:「もういい。チャックは自分で直します。チャックをかえるぐらいの3000ウォンなんか惜しくはないが、私が大切なのは心なんですよ」ここまでの説明で私の久しぶりの韓国人とのけんかの雰囲気はあまり伝わってこないと思う。いやこれ以上書くのはは勘弁してほしい。私もあそこまで言わなくてもよかったのだがと言う自責の念も今少しあるので・・・。けんかと言うのはやる時はいいのだが、後で気まずさが出てくる。夫婦喧嘩もそうだろう。ましてや韓国である。日本人が喧嘩したとばれたら、どんなに正しい喧嘩でも冷たい視線しか来なくなる。私も今まで何回か、いや1年に一回か二回か、それ以上になってしまった時もあったが・・・・、韓国で喧嘩したが、ちょっとやりすぎたなと言うのもあった。だが大体はいってやってよかったと思うけんかがほとんどである。それでも喧嘩した後はやはり気分がよくない。ただ昔は喧嘩ぐらいがなんだと結構気が座っていたのだが、私ももう若くはないのだろう。喧嘩はしたくないと思うようになった。不思議なのだが、日本では相手の失礼な態度、言動も我慢する、いや我慢できる。韓国ではなぜか言ってしまう。まあ日本人からすると滅茶苦茶な論理で来るので、喧嘩にまでなると言うこともあるが。正直口げんかになったら日本人には勝てない。引き分けには持ち込めるが。表面的には勝ったようには見せないが、日本人はなかなか負けない。韓国人の場合絶対に勝てる。論理で攻めたら韓国人は逆上してくるので、その時点でこちらの勝ちである。或いはいわゆる負けるが勝ちもある。相手に勝たせて、利と得と名を得る事ができる。そういえば数年前私の知り合いの日本人が駐車場で韓国のおばさんに声を張り上げていたのを見たことがある。そのとき韓国で喧嘩する日本人は私だけじゃないんだと安心しながら、その知り合いをなだめてあげたが。ふと思い出した。私が小学生の時、街で事故に遭ったが、父がそのとき相手の男とやりあっていたのを思い出した。数年前その時の話を父にしたら、相手はチンピラだったと言っていた。私はあまりよく覚えていなかったのだが、そんなチンピラみたいなのとよく喧嘩できたなと思う。まあ昔のよき時代での一こまであって、怖い現代社会ではけんかもできないかもしれない。私もその父のDNAが多少は入っているかもしれない。今回は久しぶりの喧嘩だった(本当に)。だが昔とは明らかに違う。もう喧嘩なんてしたくないと思う。それは多分若さの血気が衰え始めているからだろう。そういえば韓国でも街中で喧嘩することが少なくなってきた。昔は月に数回見物できたものだが。平和が一番である。
2007.07.03
コメント(10)
さて昨日の日記の続き。前だったらいくら長文でも、一回で書ききったのだが、久しぶりの更新でなかなかそうもいかない。とりあえず、なぜ私が韓国人の表情と言うことを意識し始めたのか、いきさつを書いてみたいと思う。こんなことを考え始めたのに、大きくは二つの理由があった。近因と遠因となるが。まず遠因。6,7年前のことだった。当時の職場である韓国人が私にこんなこと言ってきた。「・・さんは韓国人みたいですね。何と言うか緊張感のない雰囲気というか・・・」これは韓国人からしたらほめ言葉である。韓国人は韓国にいる外国人が韓国的な言動をとったら、韓国人のようだ、或いはあなたは韓国人だと言ってくる場合がよくある。私はこの時、ほめられたと言うのは分かっていたが、あなたは韓国人みたいだと言うような韓国人からのほめ言葉は腐るほど言われたことがあったので、もう嬉しくもなんともなかった。ただそこで緊張感のない雰囲気と言う言葉には引っかかった。確かに韓国人は言動、しぐさ等、緊張感がない。そしてやはり考えてみたら日本人は緊張感がある。言葉だけで表現するのは難しいが、韓国人の場合、緊張感のないリラックスしたしぐさや表情が親近感をあらわすようなところがある。だがその時のしぐさ、表情を仮に日本でやったら、どう思われるだろうか。かなり違和感がある。無神経、ぼけ、マナーのないやつ等々、思われかねないものである。もちろんそれ以前から民族性の違いとして分かっていたこの雰囲気の差だったが、これ以降具体的に緊張感と言う言葉で、この民族性の違いを意識し始めた。ただこの頃まではまだ雰囲気の違い程度の意識であって、表情と言うものまで具体的に考えはしなかった。とはいっても意識していなかっただけで、日本人と韓国人の表情が違うと言うのは、もちろん分かっていた。まあ自分の周りに空気があるのを意識するかどうかみたいなものだった。そして近因。2年ぐらい前だったと思うが、最近韓国ではただで運動できる公共のジムや施設がある。毎日運動するほどではない私はジム(韓国ではヘルスと言うが危ないものではない)にお金払ってまで登録するのももったいなかったので、週に1,2,3回ほど利用していた。ただし時間制限があって、夜のゴールデンタイムは職員の管理ができないので、開いていない。さてただでできるジムとなると、しかも昼しかできないとなると、どうなるのか。年寄りが多くなるのである。私はここで年配の人にまぎれて、時には周りとは違和感を持ちながら、筋トレをやったりしていた。おしゃべりの多い老人、特にハルモニたちの中で明らかに私は異質な存在だった。と言うよりも異質なのは失礼だが私でなく、老人たちではあるのだが。これも話すと長くなるのだが、主テーマではないので・・・。ある日私が必死にベンチプレスやっていた。今まさに重いベンチを全身全霊であげようとしていた。その瞬間1,2m横でベルトマッサージをやっていたハルモニが私の方に顔を向けてきた。ちなみに1,2m横で、ベンチ台で横になっている私には、その顔は私の視界の4分の1を占めるほど近くにあった。その顔を見て一瞬力が抜けそうになった。そのままベンチを持っていたら、危なかっただろう。直前で挙動をとどめたが、その顔には参ってしまった。どんな顔だったのか。まさに緊張感がないのである。悪く言えば、かなりぼけーとした顔。正直言葉では言い表せない。そして必死に運動している時に、真横の至近距離からこんな顔が目に入ってきたら、しかも私は横になっていて、上のほうからこんな顔が目に入ってきたら・・・。普段道端でよく見る韓国のハルモニの顔も非常にグロテスクに見えてしまった。まず私が運動しているのなら、その顔を私の頭上近くに向けないでほしいと思う。そこで100歩譲って、もし顔を近くで見せるのなら、運動する場にあまり違和感のない表情と言うのがあるだろうが。まあハルモニたちはジムに運動よりも遊びに来ているのではあるが。この時韓国人の「表情」と言うものを具体的に考え始めた。この出来事が2,3年前だったから、ここ2,3年は表情をテーマとして韓国人のことをよく考える。長くなったので続きは後日。いい加減にしろと思う方もいるかもしれないが、私が2,3年いつも考えてきたテーマなので、簡単には終わらせられない。
2007.06.29
コメント(8)
久しぶりの更新。しばらく仕事が忙しく、生活に余裕がなかったが、やっと一山超えてきた。一度サボり始めるとなかなか元のペースを取り戻すのができない。やっとブログの管理ができるようになった。さて今回のテーマだが、まだ完全にまとまっていないので、一応シリーズで2,3回に分けてやってみようと思う。結論から言うと「人は見かけにもよる」である。日本では人は見かけにはよらないとよく言われる。外見だけで人を判断してはいけないと言う。私も少なくとも韓国に来るまでは、この教え(?)を忠実に守ってきた。だが韓国に来て10数年、時が経つにつれてこの教えにも反語的部分がないといけないと思い始めた。その人の人となりは顔に出ると。韓国人の顔、もっと言うとその表情は明らかに日本人とは違う。一言では言いにくいが、韓国人の場合、表情管理を日本人よりしないと私は思う。日本人の場合よそ行き用の服があるように、顔もよそ行き用、或いは外出用と言うのがある。うちの中での表情とう外での表情はかなり違う場合が多い。特に人前での印象と言うのは日本ではかなり大切なので、服装、態度、しぐさ、行動とともに表情もしっかりとするようにするものである。そして日本人にはそれは別に当然のことであり、そのような表情作りみたいなものを自分がしている自覚さえもない人がほとんどであろう。私も昔は表情管理をして生きるなどと意識したこともなかった。一方韓国では、これも韓国人自ら意識はしていないだろうが、人前に出るぐらいで顔の表情を整えるような感覚はもっていないように私には感じられる。もちろん韓国人でも職業、場面によっては表情管理をする場合もある。あくまで一般論としての話である。人前では、服装、車、所有物等で人からどう見られるのかを意識する韓国人だと昔の日記にも書いたことがあるが、顔の表情はあまり意識していないように感じられる。今日は結論だけ書いた。なぜ最近こんなことを考えるようになったのか、そのいきさつは後日アップしていきたいと思う。できれば明日。ただ最近の私の状況からすると、明日更新すると保障することはできない。ウォーミングアップまでに久しぶりの更新であった。
2007.06.28
コメント(2)
今日もこうなると韓国ネタはお休み。今9日午後11時20分。日本のテレビで見たのだが、桑田がメジャー合流のため飛行機に乗ろうとしているということである。このニュースでもライブネタの報道だと言っていた程のニュースであり、公式発表もされていないとのこと。テレビで言っていたが、日本のおじさんたちを喜ばせるニュースだと言うことである。まさにその通り。彼の野球人生を思うと、感動ものである。174センチと言う野球選手としては小さい体格をものともせず、野球に邁進し、80年代後半から90年代までは日本最高クラスの投手として活躍。しかしその後巨人でなかなか使ってもらえず、プライドも傷つけられるような扱いもされて、最後は半ば解雇扱いで巨人を退団。それでもメジャーに挑戦した。39歳の年齢で。メジャーでも最初はオープン戦でまあまあの活躍をしていたが、不慮の事故で足のじん帯を損傷。としも考えたら、そこで終わりになるかもしれない中で焦らず(いや焦ってないわけはなかっただろうが)、じっくりとリハビリし、復帰してきた。マイナーで数試合投げて、まあいい感じでいたので、メジャーにももう少しで行けるかなと思い始めた矢先、ついにメジャー昇格。彼を見ていると、野球とはいいものだなあ、人生とはまだいいものだなあと思えてくる。野球に対する一途で真摯な姿勢。見栄ではないプライドを守る姿勢。最近人の心を動かせる人が少なくなっている。政治家や官僚などには辟易している日本人。ワールドカップでしか感動できなくなっている韓国人。そして日々の生活に埋もれていく自分に幻滅する人々。最近この歳になってきて実感することがある。夢のない人生ほどつまらないものはないと。歳をとって夢が薄れてくるのはまだ分かる。若いときから夢のない人が多くなっている。特に韓国の若者。石原慎太郎東京知事はオリンピックでもう一度日本人が夢を持つようになってほしいと言っていた。オリンピック誘致の是非はいろいろ言われているが、夢を持つと言うことの大切さを彼は忘れてはいない。今の世の中日本も韓国も夢を持ちにくい国になりつつある。他の国は知らないが。経済発展されてきて、這い上がっていこうとする環境もなかなかなくなってきた。私もここ数年、いや10数年、いや20数年かもしれないが、夢と言うことをあまり考えたことがなかったかもしれない。だが最近夢を持つことの大切さを実感している。そう言えば私の小学校のころの夢は野球選手だった。中1の頃早速あきらめたが。先日あるアメリカ系韓国人と会ったのだが、彼は30代後半だが夢を持っていた。その姿に感銘を受けた。そして今回の桑田。イスンヨプも夢を求めて今年はアメリカに行っていたら、という思いもある。まあ彼は巨人が居心地がいいのだろうが。それはそれで在韓日本人としては嬉しいものだが。その彼も今日は6番打者に降格。今年はなかなか調子が出ないが、彼が夢を持ち続けているのかは正直疑問である。何か夢を忘れた今の韓国の風潮ともダブってくる。いや人のことはいい。私もおっさんの夢をもう一度取り戻さないといけないかもしれない。桑田、頑張れ。
2007.06.09
コメント(9)
昨日ブログ開設1周年であった。われながらよく続いたなあと思う・・・、ほどでもないが。1年前の最初の日記には長く持つだろうかと言う疑問から始まっている。それはその前に個人ホームページ、ブログと失敗したので、今回も似たようななものかなと思ったからであった。ここで言う失敗とは長続きしなかったと言う意味であるが。そのときはとにかく失敗ブログになってもいいので、その時の思いを記録に残せるだけでもいいからと思ってブログをはじめた。特にその頃はワールドカップを中心として、また教科書問題、竹島問題と韓国に対するストレスがたまっていた。なので最初の数ヶ月は韓国に対する私の不満みたいなものが噴出している。そのうち秋口頃からは多少ストレスから解放されて、不満は少なくなっていった。そして冬場あたりからは更新率が下がってしまい、最近は・・・・・・。ただ今までの経験からすると、長続きさせるためには、自分のペースでやるのがいいと思う。無理ならば、更新率が低くなるのはかまわないと思っている。そしてこのブログに対するコメントなどが大きな力になった。これに対しては心から感謝したいと思う。まだまだ1年と言うのは短いと思う。韓国が今後どのように変化していくのか、と言うのをこの目で確認するには1年では無理である。ただあまり期待しすぎないようにしないといけないだろう。韓国が今後どう変わるかが問題ではなく(大きな問題ではあるが)、自分がどう生きていくかがの方が今の自分には重要かもしれない。
2007.06.06
コメント(10)
今日は日本のネタで。先日ネットで見たニュースがある。まあ簡単に言うと先生が生徒に教室で罰でおしっこさせたと言うことである。多くの人がまた教師か、と思うかもしれない。もちろんあってはならないことではあろう。しかし私はこの教師にまだ希望を感じるのである。まずこのことを自分から校長に報告したと言う。多くの官僚、教師、公務員等など、人間は自分の不祥事、非は誰も気がつかなければ、知らないふりをしようと思うものである。この教師はまだ自分から報告して、知らないふりをしようとはしなかった。それは良心から来るものなのか。それとも万が一生徒が親に話したら、問題が大きくなると思って、最低限の自己防衛のため、恥をさらしても、それ以上の問題にならないようにした行動なのか。その辺はとく分からないが、少なくともこの教師は「恐れる」と言うものがあったことは想像に難くない。もし問題になったら、と言うような「恐れ」の気持ち。現代人にかけてきている一つの要素だと思う。「恐れ」を知らず不祥事を起こす官僚を代表とする社会人。「恐れ」を知らず犯罪を犯す人々。もっと言うとこんな世の中であるのに、「恐れ」も感じず政権にしがみつくOOO党。挙げればきりがない。怖がりやというのと人生や世の中の「恐れ」を知ると言うのは違うものである。私は人間が生きていくうえで「恐れ」の感情も必要なものの一つであると思う。「恐れる」がゆえに悪い方向に行こうとしなくなるブレーキがかかる。この教師は今ネットや新聞などで騒がれて苦しいところだろうが、敢えて世の中を恐れる気持ちを持っていたことに、私は救いを感じる。大体昔は先生なんて「怖い」ものだった。怖いから言うことを聞いていたものだった。生徒は悪いことしたら、たたかれて当然。先生側も生徒をたたいて、怪我させるなんてことはなかった。限度や節度は分かっていた。体罰だけでその先生が嫌われることもなかったし、親も騒ぎもしなかった。やり方の問題ではあったろうが、休み時間にトイレに行っておかない子をしつけるというのは私的には理解できる。小学校3年生だそうだが、そろそろそういうことを理解させる必要のあるとしである。しかしその子もたいしたものである。先生が教室で用をたせと言ったからと言って、本当にするとは。ネットでの報道はその子が今登校拒否になっていないと報告している。でもあまりにも子供や父兄の立場ばかり尊重していたら、教育は崩壊してしまう。韓国でもそうなりつつある。韓国などは昔の権威主義的教師像がまだ残っているが、かなりなくなってきた。昔がいいとはまったく思わないが、自己主張ばかりする父兄もどうなのか。ただ父兄がうるさくしておかないと、先生もやりたい放題にならないとも限らないので、先生も父兄もお互いがにらみをきかせておく必要もあるだろう。正直昔の学校が懐かしくもある。かと言って昔の教育がよかったかどうかはいろいろな意見があるだろうが。だがこんなのがニュースになるのは日本ぐらいではないだろうか。普通教育委員会ぐらいでとどまる問題であると思うのだが。しかもYAHOOのトップニュースに出ていた。よの中は難しい。教育も難しい。実感する。
2007.05.30
コメント(5)
最近韓国でよくあること。「こいつおっさんだなあ」「こりゃおばさんだわ」(言葉悪いが)と思った人が自分より年下の場合が結構ある。正直気持ちよくもあったりする。自分が若いようで。ただよく考えてみると、他人も私のこと「おっさん」だと思っているかもしれない。正直そんなこと考える人生の時期になってしまった。実際のところ私は韓国で年齢よりも若く見られる。私だけでなく、他の日本人も年齢よりは若く見られる場合が多い。逆を言えば韓国人は日本人よりも老けて見えるとも言えるかもしれない。韓国人は「韓国人のほうが貫禄があって、大人っぽく見えるんだ」と言いたがるかも知れないが。先日あるアメリカ育ちの韓国人が言っていた。韓国では30代ぐらいになると、みんなおじさんになってしまう。もちろんよくない意味で。韓国人と歳の話になった時、大体女の人には実際に思っているのよりも5~7歳ぐらい若く言ってあげる。ただ歳を指摘されることはよくあるが、してあげることはあまりない。日本のテレビ番組でSMAPの中居がチェジウ(その時30歳)に20代前半に見えると言ってあげていたが、本心はどうだろうか。おそらく30前後とは思っていたのではないだろうか。だが男の場合はちょっと違う面もある。やはり日本のテレビで、パクヨンハがとある番組でやはり中居から年上に見えると褒められていた。男の場合は年上に見られるくらいが男らしく、貫禄もあると考える場合も多い。私も高校、大学の頃あたりは年上に見られることもよくあったが、気分は悪くなかった。この頃は結構硬派な雰囲気でもあった。ただそう思うのも若いときだけかもしれない。最近はとしはとりたくないと正直思う。韓国のおばさんあたりは私に何歳ぐらいだろうと言ってくることがよくあるが、大体数才若く見られた。実際韓国の同年齢よりは若く見えるのはあるだろうが、今考えるとそのおばさんの言い方からして、わざとさばを読んでくれていたのかもしれない。女の人の感覚からして、若く言う方が相手も気分よくなるだろうと言う考えもあった可能性も高い。えっ、韓国人ってそんなに歳のこと聞いてくるのと思う日本人も多いかもしれない。多いのである。特に若い人は初対面から歳を聞きまくっている。韓国では年齢の論理がある。1才でも年上なら、自分を「ヒョン(兄貴、にいちゃん)」、「オンニ(お姉さん)」と呼べと言う。そして年上はえらそうにし始める。その辺は日本と似ているようで、ちょっと感覚が違うところでもある。昔若かった頃は年上の韓国人からえらそうにされてもあまり気にはしなかった。だが最近は頭にくることもある。特にこちらが日本人だと気づいていない場合も多く、ガキを扱うような態度でくる年配者もよくいて、いい加減にしろと思うこともある。日本人の場合、服装、雰囲気、髪型、そしてトーンの高いやさしい語調の韓国語で本当に若く見られやすい。ただアメリカなどでも日本人は似たような理由で若く見られるとも聞いたことがあるが。また特に韓国語が上手な場合、外国人だとなかなかばれない。それでいて、若い子のようなトーンの高いやわらかい韓国語になると、これはなめられやすい。いっそのこと下手な韓国語で日本人とばれた方が相手の見方も変わってくる。日本人なのにここまで韓国語を話すのかと。私もほとんど日本人だとばれなくなってきたが、この語調だけはなかなか韓国人のようにはできない。あの低い声は日本人には出しにくい。ヨンさまやビョンさまの低い声を聞けば分かるだろう。あれが韓国では普通なので。ただ家内に言わせれば私の声は低いと言うことだが。ただ韓国人のようなドスの聞いた声は出せない、と言うか敢えて出さない。それでもやはり若く見られるのは気分いい。いやそう思うようになったこと自体が、・・・・・・。去年日本の回転寿司で店の女の子から「おにいさん」と呼ばれた。それが妙に気分よかった。ただ後で考えた。「おじさんと」呼んだら、私が気分悪くするかもしれないので、そういったのかもしれない。そう言えば、昔韓国に着て間もない頃、マクドナルドで注文しながら、アガシ(お嬢さん)にアジュマ(おばさん)と言ってしまった。当時はアガシと言う単語も知らなかったのだが、もちろん応対は悪くされた。何でこんなこと考えたのか。先日息子の小学校の運動会に行ったのだが、私がお父さんたちの中で一番とは言わなくとも、どう見ても若く見えるのが気分がよくて、そんなこと考えていた。自己満足かもしれないが。
2007.05.19
コメント(13)
韓国でドーム球場の建設が決まった。野球人気が高く、それなりに経済発展もしてきた韓国でドーム建設は少し遅いかなと思われるぐらいである。韓国でドームを作ることになったきっかけは、日本のドーム球場である。日本のドーム球場、またその他野球場の施設を見て、韓国にも一つくらいは世界に誇れる野球場がないといけないと韓国人も常々考えていた。知っている人は知っているが、韓国のプロ野球のフランチャイズ球場は日本で言えば、地方の野球場程度であった。同じ地方でも宮崎のサブマリン、松山の坊ちゃんスタジアム、長崎、長野の野球場の方が韓国の球場よりも施設はいいかもしれないぐらいである。韓国ではサッカーや総合競技場はオリンピック、ワールドカップの名残で、立派な競技場がたくさんある。陸上競技兼用の総合競技場ではソウルのチャムシル、釜山、大邱等がある。サッカー専用はソウルのサンアムを初め各都市に結構いいのがある。いわずと知れた(?)韓国のKリーグ。残念ながら閑古鳥が鳴きまくっている現状だが、サッカー場は結構世界的に見てもいい感じのスタジアムが揃っている。これで観客が揃ったら、まあまあ世界にも誇れるリーグにもなれるのだが。ソウルあたりでは5万人入場者の新記録も出たりもしたが、現状はまだまだ・・・。それに比べ野球は以前よりも人気が下がったとは言うものの、Kリーグよりも観客は入っている。ただ球場があまりにもプロと言うにはお粗末なものであり、日本やアメリカの中継をテレビで見ながら、その球場を韓国人もかなりうらやましがっているものである。世界的に見ると、サッカーのプレミアリーグ、アメリカのメジャーリーグなどは施設の面でも、或いは空間としての文化性としても最高のものである。そこにいるだけで空気を感じ、文化を感じ、楽しむことのできる施設。日本のプロ野球ももちろんいい線いっている。Jリーグも・・・。はっきり言ってKリーグより数倍盛り上がっている。スポーツとは施設と競技によってそれが観客と一体となって、ひとつの文化が成り立っていく。先日とあるアメリカ帰りの韓国人と話をした。アメリカもそうだが日本もスポーツを楽しむんでしょうと言われた。私も多少正直に、韓国でもスポーツを文化として楽しむ風潮がもっと必要だと言ってあげた。と言うよりも向こうも私のその言葉を待っていたかのようでもあった。久しぶりに韓国人といい会話ができた。今回のドーム球場、建設が決まっただけだが、韓国に新しい風を吹き込むものとして期待したい。スポーツは国家の威信だけでやるものではないと言う新しい風を。ただ一言。ソウルから少し離れた、中都市、安山(アンサン)に作ると言うことである。日本で言えば、八王子、相模原、大宮(今はさいたま市だが)みたいな感じのところに作るようなものである。西武の何とかドーム(名前忘れた)も立地の問題で集客がうまく行っていない面もあるそうである。所沢をけなすつもりはまったくないが。フランチャイズ球団の問題、交通の問題、集客の問題・・・・。この辺は正直言って、今一歩かなと言う気がする。いやソウルの衛星都市である中都市、アンサンの発展にはいいのかもしれない。そう思うことにしよう。またアンサンは別として、大邱でもドーム球場の建設は推進していく方針である。こちらの方がまだ立地的にはいいかもしれない。地域の代表都市であるし、野球人気も高く、三星ライオンズと言う人気球団もあるし。そうなったらイスンヨプがこの古巣に戻ってきたりして。そうなると韓国でもう巨人戦の中継が見れなくなってしまう。日本の地上波と違って、試合の最後まで中継してくれるありがたい韓国のスポーツ有線放送。この辺は日本のテレビも学べと言いたい。
2007.05.14
コメント(6)
最近日記の更新をサボってしまった。日本への一時帰省など、特別の理由なく3週間休んだのは初めて。このままこのブログも自然消滅、とまでは思わなかったが・・・。理由としていくつか。1年の中でどうしてもものを考えるのがだめ、というか物思いの脳が働かない時期がある。ちょうど4月から5月にかけてはそんな感じだった。もっとさかのぼると今年の初め、或いは昨年の秋からそんな傾向はあった。あとは仕事が忙しかったり。運動のし過ぎでオーバートレーニング状態であったり。計算してみたら3年ぶりの腰痛も。まあ私のブログは重く長いので、ちょっとリズムが狂うとそんなに書けないものでもある。今日は軽いつもりでまさに日常の日記と言うことでキーボードを打った。まあ腰がよくなりここ2,3日ジョギングできて、体の調子もよくなり、それにつれて気分も少しよくなってきたと言うのもあるだろう。或いは、松坂がやっといい投球をしたから、気分がよくなっているのだろうか。新緑の季節を満喫したいこの頃である。あまり韓国のことも考えすぎないで・・・。
2007.05.10
コメント(4)
週1の更新は守ろうとは思いつつ、ここ最近サボっていたが、衝撃が・・・。アメリカの大学で射殺事件。死亡者32名。驚いた。しかも犯人はアジア系の男だと言う。まさか日本人や韓国人ではないだろうと思った。そしたら日本でも。長崎市市長がやはり射殺。選挙運動中での惨事だった。死亡したのは朝知った。それ以上に・・・・。アメリカの事件はなんと韓国系の学生が犯人だったと。驚愕である。韓国でも今驚愕の最中にある。同じ韓国人としてどうこの事件を捉えるべきか、苦しいところであろう。今日ばかりは私は韓国人よりになってあげたい。アメリカはもとより、日本でも韓国人バッシングが怒らないよう願うところである。私もいろいろ思うところはあるが、今日はコメントのしようがない。とにかく世界平和を望むだけである。
2007.04.18
コメント(4)
今日は韓国ブログはお休み。最近は忙しいので、なかなか更新が進まない。今は韓国のことを考えるのもそうだが、野球の新しいシーズンにはまっている。特に松坂の快投。これはテレビで見た。韓国のケーブルテレビで。ただし朝の3時からは無理で、5時から見たが、それでも2イニング松坂の投球が見れた。韓国でもこの試合は注目を浴びていたのだ。松坂は韓国でも有名である。ここ数年間の彼の投球が変化球がよくなっているのは知っていたが、見事な変化球の投球だった。気温が2度だと言うことだったので、速球主体のピッチングは無理もあっただろう。今後もっと速くなっていくだろう。さてその後の午前中(現地では夜)のヤンキースとタンパベイの試合も韓国のソジェウンが登板の試合だったので、韓国でも中継。一日に松坂も松井も岩村も見られるとは、いい日だった。この試合ソ投手はそういい感じでなかったが、それでも最初は何とか抑えていた。ただある選手が相手打者の時、私が見る感じでは、明らかにいい投球をしていた。松井である。松井の打席の時は、外角、内角、低目と最高のピッチングであった。他の打者の時はここまでいい投球ではなかった。ここでもかのWBCの時と同様、日本人にだけは負けたくないとなってしまうのだろうか。私はテレビのまえで独り言。「何で松井の時だけあんな言いピッチングなんだ」そしたら、松井が2打席目でヒットを打った。その後ソ投手は打たれまくった。そして降板。敗戦投手にはならなかったが。以前の日記にも書いたが、スポーツの場で、過度の民族意識、国民感情を持っていると、精神的にはあまりいい影響はもたらさない。特に韓国人の反日感情は、私にはスポーツで正常な精神状況をもたらすとは思えない。基本的なパターンとして、日本(或いは日本人)には実力以上の最高のパフォーマンスで勝ったりもするが、その反動で次の試合ころっと格下のチーム(選手)に負けたりするということが韓国(或いは韓国人選手)の場合よくある。スポーツと言うのはある面文化である。非常に精神世界が大切な分野である。憎しみをを土台にした精神状況と言うものはスポーツにはいい影響を及ぼさない。悔しさやライバル意識とは違うものである。ソ投手もそうだが、スポーツ選手としての精神世界を韓国人は考える必要があるかもしれない。愛国心だけでやっていけるものではない。そんな中、最近の韓国のスポーツでも新しい風が。フィギュアスケートでの金ヨナ。彼女は日本の同い年の浅田真央とも仲がいいことで知られている。また水泳の世界選手権で韓国人初の金メダル、しかも男子の自由形ではアジア人初の金メダルの朴テファン。スピードスケート500mで世界記録出した・・・・名前忘れた・・・。彼らからは典型的反日韓国人の匂いがしない。彼らは純粋にスポーツを楽しみ、スポーツの挑戦している、「普通」のスポーツ選手の香りがする。まあ野球やサッカーは日本と韓国の実力が拮抗しているのでどうしても、特に韓国の方で民族意識が高まってしまうのかもしれないが。野球では日本でのイスンヨプぐらいしか海外でいい活躍をしていない現状で、韓国人選手も何が大切なのか考える必要があるのではないかと思ったりもする。日本人メジャー選手があれだけ活躍しているのは実力もさることながら、理由がある。韓国人選手にはない何かが。スポーツを楽しむ心である。サッカーで朴チソンがマンチェスターUで活躍していると言うのもある。彼は今までの韓国のサッカー選手とは違う。引退後は実業家になりたいからと、英語と経営のことを勉強しているそうだ。そしてサッカーは楽しんでやる。国の威信をかけてなど、ほとんど感じられない。結構そんな選手がうまく行くものである。過度の日本人に対抗意識を持つソジェウンなどはその辺、早く気づかないと、数年後は韓国の人気が落ちまくったプロ野球に戻るしかなくなるのではないか。結局今日のはスポーツ日記ではなく、韓国ブログになった。今題目を「韓国で迎えた野球シーズン」に変えた。
2007.04.07
コメント(4)
最近従軍慰安婦の問題でうるさくなっている。韓国は元より、アメリカでしかも議会のような場で、日本を糾弾するようなことがあり、日本でもニュースなどに出始めている。ここでこの慰安婦問題に対する個人的意見は控えるとする。と言うか私にはなんとも判断しがたいものであるのも事実である。ただ日韓両国でどんな意見、見解が出ているのかはかいつまんで、確認はしている。慰安婦の問題で、焦点になっているのは、それが旧日本軍(韓国では旧日本軍でなく、単に日本軍)による強制であったかどうかである。韓国では、いや韓国を代表とした中国(中国は慰安婦問題で韓国のようにうるさくはないようだが)、アメリカ、果てはオランダなどでは何の疑いもなく、日本軍の強制連行であったと言う考えで一致している。だが日本では一部の学者、評論人、また有名な小林よしのり(私はこの人の漫画好きであるが)等が、強制であった証拠はないし、むしろ韓国の親などが娘を売ったと言うのが事実であると言っている。確かに証拠はないのである。いや韓国等では当時慰安婦だった、今ハルモ二(おばあさん)になっている人たちの証言が証拠だと反発するだろう。ただこれは確実に証拠にならないのも事実である。正直人間嘘なんていくらでもつけるものである。日本で何でここまで証拠にこだわるのか。それは戦時中の中国であった、南京大虐殺が、中国の意図なのか、被害が拡大されていると言うことがほぼ明らかになってきたからである。中国では30万人大虐殺となっているが、多く見積もって、数万人(これでも大虐殺だが)。少なく見積もって数百人か数千人。30万人と言うのは原爆被害の広島より多いので、これは物理的に不可能であると言うことである。こういうこともあるので日本側としては、慎重にならざるを得ない。これは日本としては当然である。そうかといって、日本でよく出ている、強制でなかったという意見も証拠はないのである。残念ながら、過去の歴史と言うものは事実を証明することはできないのである。その事実を知っているのは、当時の慰安婦になった女性たちと、当時の日本軍の幹部だけである。そしてその人たちの発言を事実かどうか証拠立てうるものはない。私は正直日本、韓国どちらの側にもつくことができない。実は家内のおばが昔、従軍慰安婦にされそうになったと言っていたそうである(本人が)。その話が出た時、その父親(つまり家内の祖父)が無理やり、16か17のとしで嫁に嫁がせて、戦場に行かなくてもいいようにしたと言う話であった。おばはその話をしながらも、夫が日本人である家内に気をつかってか、日本の悪口を言うことはなかったそうである。いやこんなこと言っていたそうである。日本の権力について悪いことをしていたのは韓国人だったと。家内のおじは昔近所にいた日本人の警官と仲良くしていたとも言っていたそうである。そう言えば、昔の日帝時代を直接経験した上の世代の中で、当時のことを懐かしみながら、日本のこと、特に日本人の先生の場合が多いが、よく言う人が多いと言うのは私も経験したことがある。逆に日本のことで一番いい言い方をしない世代が、その下の世代(大体50、60代)であると言うのは皮肉でもある。その世代は日本から解放された韓国で反日教育が一番徹底された世代でもあると言える。しかも日帝時代の時の生の日本経験はない人たちである。正直この慰安婦問題が出るたびに、まさに「遺憾」である。もうその当時のことを証明する何ものもないのである。いずれにしても、慰安婦だった方々がその後の人生、儒教精神による汚れた身という考えの下、結婚もせずにそのまま高齢者になってしまったと言うことは、残念なまさに「遺憾」なことである。このまま歴史の中に埋もれていく可能性が高いこの件。事実がどうであれ、強制であったにしろ、なかったにしろ、その事実の結果には遺憾の気持ちを忘れないようにはしておかなければならないだろう。これは日本と韓国の政治家に是非理解してもらいたいことである。日本のみならず、韓国の政治かもこの辺は文句さえ言えばいいという適当な考えしかないのだから。やっぱり政治家の問題か。
2007.03.30
コメント(10)
最近ブログをサボっているので、無理やり日記を。主テーマである「考える」は今はできない状態でもあるので。息子が骨折した。と言ってもひびが入った程度なので、そうひどくはないが、足なので、生活の全てに支障が出ている。歩くのは何とかできるが、かなりびっこを引きながら歩いている。そういうことで毎朝私が学校に車で送り、そのまま出勤、昼もうちに帰ってきて、息子を学校まで迎えに行く。こう生活を始めて、2週間目に突入。ちょっと私も疲れ気味か?ちょっとブログも面倒くさくなってきた。ちなみに彼は2年前も左手の小指を骨折したことがある。今回のはテコンドーの道場でサッカーをしている時のものであるが(韓国のテコンドーの道場はサッカーしたり、ゲームしたり・・・)、2年前のも遊んでいる時のものであった。熱中すると、我を忘れる性格は、男の子としてはいい面もあるが、時に過激になりすぎる場合もある。私の母も息子の遊ぶ姿を見て、これだけ過激に遊んで、よく怪我しないなあと言っていたが、怪我しているものである。私も見ていて怖くなる時がある。彼は今後も怪我と付き合いながら、育っていくのかもしれない。大怪我だけはしないように願うものである。まあ怪我を乗り越えることも人生の中で大切かもしれない。怪我して学ぶこともあるかもしれない。親としてはそう肯定的にとらえようと努力している。そんな中、例の担任は相変わらず、嫌味を。「・・・・君は体が軽いから(これはやんちゃと言う意味らしい)、怪我したのね」こんな担任、相手にせず、親は頑張らないといけない。ちなみに私は家内によく言う。「学校の先生が、息子によくしてくれると期待するな。被害さえなければありがたいと思え。先生がどうであろうと、教育は家庭で自分が責任を持つと思ったほうがいい。特に韓国では」最後のは私の韓国に対する嫌味であるが。あなた韓国人の奥さんにそんな言い方するのかと言われそうである。するのである。私は。この毒舌ぶりはどこから来ているのか。ちなみに父は教師出身である。PTAの集まりで嫌味を父兄によく言ってやったそうである。「子供の教育は家庭でしなさい。学校に教育してくれなんて思わないでください」父はかなり父兄から嫌われたかもしれないが、私もその言葉は正しいと思う。私だったら、そんなこと言わないが。昔の学校、しかも田舎の学校だったから、父もそう言えたのだろう。私の毒舌も父から来ているのかもしれない。そんな私も外では韓国大好き人間で通っている。内弁慶なのである。まあいいんじゃないか。韓国が好きでもあるんだから。韓国が嫌いでたまらなかったら、14年も住みはしなかっただろう。
2007.03.27
コメント(2)
今堀江氏の判決が出て、日本はそれで大騒ぎ。懲役2年6ヶ月と出た。今日は誤解を覚悟して、一言。私ははっきり言って、堀江寄りである。彼が日本に吹き込んだ新しい風は、全てがいいとは言えないものの、今後の日本に新しい動きを呼んでくれると思っていた。日本人に欠けている部分を、彼は持ち合わせていた。毒舌はいいか悪いかは別として、思ったこと、本音をそのまま出す姿勢。ちょっと攻撃的に走りすぎている部分はあるが、人の目を気にして建前的なことしか言わないというようなことはしない。無分別にも見える部分はあるが、新しいことにどんどん挑戦していく姿勢。やり方に問題はあったろう。法を犯したのは悪いことである。ただ彼のようなことは、ばれるばれないというだけで、やっている人、企業は多いと言うのは、誰もが分かっている事実である。彼は権力に嫌われ、メスを入れられたのだと言う人も多い。いわゆる「出る杭は打たれる」と言うものである。今西武ライオンズ球団が、裏金問題でいろいろ言われている。ただこれもファンはみんな分かっている。どの球団でもやっていると。ばれるかばれないかの問題だけである。新井将敬という政治家が自殺したのは何年前だったろうか。彼は誰もがやっていることをやっただけだが、法に引っかかり、それを暴かれて、結局自殺にいたってしまった。生きて時間をかけて、自分の正当性を証明できなかったのかと言う、冷血なコメンテイターや同僚政治家も多かった。無理である。一度あんな風にたたかれた政治家がもう一度立ち直るなんて、120%不可能である。彼は最後言っていた。自分が在日韓国人出身だから、やられたんだと。そうかもしれない。自民党の若手のホープとして、人気があった彼だが、もともとは韓国人のくせにという周辺の視線はあっただろうとは想像に難くない。私も堀江氏が日本の権力につぶされたのだろうと言う意見に同じである。ちょっと彼は攻撃的な態度をとりすぎたのかもしれない。楽天の三木谷(だったかな)社長のように、紳士的な一般的企業人のような態度であったら、ああはならなかったかもしれない。また部下にも恵まれなかったという意見もある。簡単に裏切られてしまった。まあ彼が部下の心をつかみきれていなかったと言う意見も多いが。自分で蒔いた種である。彼がそれを処理しないといけない。ただまた日本が新しく生まれ変わる機会を逃してしまったなと言う気が私にはする。既存の権力には国民は嫌気がさしているのだが。堀井氏をたたきまくっている、このまま変わりたくない、既存の権力、或いは既存の世代。それでも堀江には期待する、変わりたい、新しい世代。私の実年齢は別として、私は自分が新しい世代であると実感している。いやいつになっても私はガキなのかもしれない。こんな私が日本の親と考え方が合わないのは当然である。韓国の親には理解してくれなどとは当然期待もしない。でも夢、希望は持っていたい。いつまでも。こんな私だから堀江氏寄りになってしまうのだろう。今日本のテレビを見ながら。年配の人は一部を除き、堀江氏の批判をし続けており、若い人は残念がっている姿ばかりが出ている。ちなみに韓国は日本よりもっと権力社会ではある。ただネッティズンの力も強くなっており、既存の権力も昔のようにはいかないところもある。ただ私はネティズンはそんなに好きでもないが。人間新しく生まれ変わるなんて、簡単ではない。生まれ変わる必要性を感じてない人も多いし、変わりたくない人も多いし。変わりたいと思っていても、変われるものでもないし。私はよかれ悪かれ、韓国に住むことで、自分がかなり変えさせられてしまった。変わりたいとも思ってもいなかったが、変わってよかったと思うこともある。堀江氏、私は別にあなたのような人が好きなわけではない。友達にしたいタイプでもない。そのスタイルも。でも頑張れとは言ってあげたい。ライブドアで被害を被った方々には、申し訳ない内容であった今日のブログであった。
2007.03.16
コメント(4)
韓国では3月から新学期なので、子供のいる人は新しい出発である。うちは長男が勉強が難しくなると言われる3年に進級、次男が小学校入学、末っ子がオリニチブ5歳クラス(日本で言えば満4歳になる学年)に入り、特に家内は目を回している。先週早速韓国で親が先生に会うには一番いい機会である、父兄による教室の掃除に家内が2回行ってきた。そこで3年生の担任と掃除の後、他のおばさん数人も含めて、お茶を飲んだ時。うちの息子は幼くて子供みたいだと担任に言われた。また他の子に泣かされて、かわいそうな雰囲気で泣いていたと言う先生の話。いじめられたのか・・・。親としては気になる。一方他の子の母親には先生が激励するような雰囲気であって、何で自分にだけあんな言い方するのかと少しご機嫌斜めでもあった。だが先生にそんな言い方をされたりすると、不安の方が先立つのは母親の心理。ところが後でうちで息子に聞いてみたら、泣きはしたが、口から血が出たので涙が出ただけだと、けろっとしている。自分も相手をたたき、悪口言ってやったから、大丈夫だと言う。何か担任の言うこととはちょっと違う。やんちゃと言うか幼いと言う指摘はあっているだろうが。ちなみに先生は50手前のおばさん。雰囲気としてはしっかり者と言う感じだそうだ。私の経験上、韓国50代以上は、曲者が多い。上から下の人間を押さえつける癖もある。ここまで読まれた方の中で、韓国では先生が父兄にそんな言い方するのかと思った人もいるかもしれない。するのである。韓国では。長男は10月生まれで、遅く生まれたほうだというのもあるが、はっきり言って、やんちゃのガキである。幼稚園のころから、小学1年生、2年生とずっと幼いと言われ続けてきた。ただ毎年2学期になると、態度がよくなってきたとほめられたりもした。話を元に。私が家内を元気付ける。「そんな先生の言うこと、ほっとけ。そいつら男の子の育て方が分からんやつらや。おりこうさんになれという教育ばかりされたら男の子はうまく育たん。まったく韓国はその辺わかっとらん」(注:私は関西人ではありません)先週、家内はある幼稚園の先生出身のおばさんと会ったそうだが、そこでいかにおりこうさんに育てるかという即席講演会(?)をされたそうである。またオリニチブの先生からも末っ子が幼いと言われた。実際遅生まれで幼いのだが。そして長男の新しい担任。家内が先週心がかなり揺れていた。不安がっていた。不安がる家内を見て、私も気になった。だが私は正直、家内よりも教育に関しては自分なりの哲学がある。だからそんな話を聞いても、家内ほど不安がりはしない。特に男の場合、こういう面があってもいいと思う。「ワンパクでもいい。たくましく育ってほしい。oooハム。」また次男が早速先生に怒られたよと笑いながらうちで話していた。誤解のないように言うが、怒られたのは自分は遅い方だということであり、本人の話ではやんちゃではないとのこと。まあ怒られたと言うよりは注意だろうが。その話を日本の母に電話でしたら「男の子は怒られながら、育つんだ。いいねえ。」それで私も100%吹っ切れた。さすが日本の母は違う。男二人育てただけある。そして家内にもう一言。「外での子供への評価なんか気にすんな。多少ワンパクでもいいんや。」(またなぜか関西バージョン)その影響かも知らないが、家内は最近男の育て方、女の子の育て方に関する本を読み始めた。韓国の本だが、作者は日本人だそうである。日本の人は意外に思うかもしれないが、韓国もいい子に育てようとする傾向が強い。やんちゃ、ワンパクはそんなに評価されない。大人の言うこと聞いて、勉強して、いい子にしなさい・・・という先生、親が多い。この風潮のおかげでうちの息子はよく問題児扱いされた。時と場合のもよるが。昔の日本(特に田舎だろうが)は外で遊べ、喧嘩でもしろと言うような感じがあった。ただ最近の日本の親はどうなのかは知らないが私は、勉強もいいが、スポーツしたり、自然の中で遊ぶ経験も貴重だと家内には常々言っている。勉強しか知らない人間は人生を豊かには送れない。そして韓国で、特に20,30代でそんな勉強、試験でいい点取ることしか、考え切れない若者も増えてきている。そんな子は当然、社会生活がうまく行かない。ある大学教授で幼稚園を経営している人が言っていた。自分の娘は韓国で一流大学に入ったが、勉強しかしてこなかったので、行き詰ってしまい、中退してしまった。その経験上、幼稚園ぐらいは遊ぶことが一番の子育てになると。家内の知り合いのおばさんは、自分の夫がこう言ったと言ったそうである。子供はやんちゃの方がいいと。勉強のできた優等生とやんちゃな子がいて、学生時代は優等生がほめられたが、20代、30代と生きていきながら、社会でうまくやって言ったのは、やんちゃ出身の方だったそうである。その優等生だった子は本人(知り合いの夫)であるそうである。教育と言うのはその人の主観がかなり入ってくるものであるから、私の考えが典型的日本人の考えではないかもしれない。いや典型的日本人とはおそらく違うだろう。私みたいに変なやつは。また男と女でも考え方は違う。息子か娘かでも育て方は違ってしまう。ただそんな中で私が感じtる韓国の子育て。男親は、子育ては母親のものだと、金は出すが手は出さないと言う感じを受ける。それで子育ての大部分は母親の仕事になる。また幼稚園、小学校の低学年と、女の先生が多い。ところが女性は、子供にはおりこうさん、いい子になることを期待する。もちろん勉強も含めて。それはそれでいいことである。ただそればかりでは、特に男の子はどうかなと言うのが私の個人的印象である。いや男の子に限らず、女の子でも、なんと言うか・・・・難しいのだが、もっと心の育った子供に育てることを考えないといけないのではないかと思う。意欲、思いやり、勇気、克己心・・・・・。まあとにかく韓国では人の言うことにはあまりまどわされないほうがいいと言うのが私の結論。そのためには自分でしっかり、研究して、時には人の意見も参考にして、しっかりとした教育観、人生観を持っていないといけない。そのことを悟った家内は、人生、考え方の新しい世界を開いた喜びが少しずつできてきているようである。しかもそれは日本人の夫、日本人の書いた本によって悟り始めたものである。それと同時に、またいっそう韓国のあり方に疑問を持ち始めている。韓国人でありながら、そうなるのは結構楽ではない。親も子育てしながら、学んでいくのである。偉そうなこと言っているが、もちろん私も学んでいっている。人生生涯修行である。
2007.03.12
コメント(8)
今日も家内が実家でなぜうまく行かないかシリーズ(だったのか)で。今日はずばり「比較」で。先日家内が近所のおばさん連中5,6人と食事をした時のことである。旧正月の後は韓国人同士集まると名節の話になりやすく、その時も名節の時のストレスの話になったそうである。そこで家内は他の人にこんな質問してしまった。「名節の時の苦労(特に嫁)と言うが、自分は正直よく分からない。いったいどんなのが苦労なの」同じ韓国人同士でこんな質問が出るとは他の人は思いもしなかったであろうが、家内のシデク(夫の実家)が韓国にないことはその場の人には知られたので、つまり夫が日本人だと知られたので、そんな質問をしてしまったそうだ。ブログにも時々書いたが、名節の時、家内もいろいろ気苦労が多いとは言うが、それでも自分のうちなので、根本的には、嫁の苦労みたいなのはない。それで本当に、名節時の嫁の苦労が実感として分からないそうである。私は逆に少し分かったりもするのだが。話がそれたが、その場にいた人の共通の意見。料理が大変、シオモにとの関係等いろいろあるが、「比較」がストレスになると言うことであった。特に兄弟やいとことの比較である。誰それはどこどこ会社に勤めている。誰それは学校の先生である。誰それはどの大学に入った(出た)。誰それがアパート買った。誰それは給料がいくらである(韓国人は結構お互い公開しあう)。誰それが車買った。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。ここまででも私はうんざりモードである。それに続いて、子供の比較が始まる。誰それちゃんは勉強、何番。誰それちゃんは走るの一等(これはうちの家内しか言わない。韓国人は徒競走一等なんて何の価値も感じない人がほとんど)。誰それちゃんは背が後ろから(前から)何番目(うちの長男は小さいので、背の高いおじさんがそんなに背が低いのかと、自慢げにうちの子に説教始める・・・・(私はため息))。誰それちゃんは学院(塾)に通っている。それもどんな塾に通っているか。英語か、国語か、算数か、ピアノか・・・・・・・・。ある韓国人は自嘲気味に言っていた。韓国で学院(塾)をはやらせようと思ったら、おばさん連中に誰それがこんな学院に通っているとうわさを作ればいいと。そうしたらすぐ焦り始めて、自分の子も通わせるとなる。韓国人でも分かっている人は分かっている。ただ持てるものはこれは別にストレスではない。持たざるものはうんざりと言うよりは、歯ぎしりモードになる。正直に言うが、私の家族は、家内の他の兄弟よりも、現在うまく行っている。学歴だけでなく、経済力(誤解のないように、あくまで他の兄弟よりというだけである)、対社会的なもの、国際性(・・・・?、毎年日本に行くのはうちしかない)、体重(?、私のダントツだが)等など。その時点で家内が他の家族との付き合い方が難しくなるのは、もう仕方ない面もあるような気がする。出る杭は打たれると言うのは日本より韓国の方がひどいところもある。ただ家内は世間的にみた時、大して出ている杭ではないのだが。私はと言うと、もともと日本人と言うことで、のけ者にされていた面もあるので、仕方ないもくそもない。まあいつも馬鹿のように、端っこにいたので(今も)、逆に私には嫉妬も何もないようである。家内は一族の中でも昔から目立っていたので、余計目につく。その程度なら、他の兄弟によくしてやって、うまく対処すれば言いと、お叱りも受けそうだ。他の事情がなければ、私たちもそうできただろう。他の事情と言うのは、ここでは秘密にさせていただく。韓国では一筋縄ではいかないのだ。持たざるものがそうなるのは韓国の特徴である。いや世界どこに行っても程度の差こそあれ、そんなものである。時として貧乏な文化人が金持ちを見下している場合があるのも、日本を初めとした少数国家かもしれない。ただ以前は私の家庭が持たざるものであった時期もある(今もちょっとよくなった程度で)。その時私も家内も、他の兄弟を嫉妬したりはしなかった。弟も昔は商売で当てた時期があったが、その時、月いくら儲けるとその奥さんが言っていたが、家内も私もすごいなと逆にほめてやったものだ。このころの弟は私たちと付き合う時も、余裕があった。だがいったん商売が傾くと、その奥さん、会うたびに顔の表情が変わっていった。家内はだんだんキツネみたいな顔になってきたと、嫌がっていたものだ。日本の場合、いとこどころか、兄弟でもなかなか顔をあわさない人も多くなっている。当然お互いの比較などする場も限られてくる。30,40代は以下は兄弟も少ないし。それがいいかどうかは別問題だが。また兄弟に会ったところで、お互いの比較などそんなにしないだろう。あまり干渉し合わないようにもするし。それがいいのか悪いのかは、私は明言を避けるが。韓国の場合、家族間の関係が強く、いろいろと人間の価値を決めたがる韓国ならではの、お互いの「比較」という現象であろう。この時は私は日本で生まれて、日本の考え方で育ってよかった面だと思ったりもする。他人との競争はいいと思う。また他人を参考にするのも大切だと思う。だがお互いの比較の中で、よき人生と言うものは生まれてくるとは思えない。もちろん日本人も比較と嫉妬の民族だと自嘲する人もいるだろう。最近アントニオ猪木の本を読んだのだが、彼はブラジル移住時代に、同じ日本人からだまされて、他のイタリア人によくしてもらったそうだ。開拓と言う厳しい環境の中で人の足引っ張りたがる日本人の器のなさを著書の中で嘆いている。韓国人もアメリカにいる韓国人同士結構助け合ったりしているそうだ。あくまで聞いた話で、細かい真相はよく分からない。まあ韓国人が海外でそうなるのは想像がつくが。あくまで韓国人が、うまく行かないのは逆に本国韓国に住んでいる人たちなのかもしれない。韓国人がそうなってしまうのは、民族の血ではなく、その土地の風土、風潮なのかもしれない。その社会で生まれ、育ったものがならざるを得ない姿なのかもしれない。私もこの国で生まれ育っていたら、そうなっていたかもしれないと思いながら、そんなことを感じた。
2007.03.05
コメント(2)
前回の日記でも書いたが、家内がお母さんとうまく行かないと言うことであるが、実は先日の旧正月の実家訪問で、結構よくなってきた。まあお母さんの方も意地があったようだが、もう意地だけではやっていけないという感じで家内に白旗を揚げたような感じである。さてどうして家内がこういうふうになるのか、と言うことだが、前回の日記でチラッと書いたが、日本人の妻になったと言うこともひとつあると思う。ただいろいろな要素が絡み合って、うまく行かないものであり、日本人と結婚と言うだけではそうもなるわけではない。ここですべてを述べることはできないが、その理由のひとつになる要素を今回考えてみた。「学歴」である。この問題は結構タブーになる面もあるが、敢えて取り組んで見たいと思う。まあ韓国で暮らして行く中で、特に社会生活する中で、避けられない問題でもあると思う。家内は大学を出ている。だがお姉さんと弟は大学を出ていない。その夫と奥さんも。そして私は大学院を韓国で出ている。大学は日本で出た。つまり家族が集まると、高学歴なのは家内と私だけで、後の人はいわゆる「普通」である。それぐらいで問題になるのかと言われそうだが、もちろんこれだけで問題にはならない。だがこれが問題になることはあまりないとも言いがたい。韓国での学歴意識はなかなか根強いものがあって、これが人間関係の根底をなす場合も少なくはない。意識無意識のうちにお互いの学歴によって、人間関係の構成がされていく。一言で言うと、学歴がないものはある人間に対して、どうしても壁があると言うことである。院まで出た私が言うのは皮肉のようで申し訳ないのだが。他の兄弟もそれでやりにくい面はあるのだろう。最初はあまり気にしなかったが、長年付き合っていくと、何かその辺の壁が見え始めてきた。英語(片言でもまったくできない人にはぺらぺらに見えるようだ)も韓国語も日本語(当然)も話す私は相当インテリに見えるだろう。しかもいくら反日感情があると言っても、先進国日本から来た人。これで学歴まであったら、かなり付き合いにくいのだろう。弟の妻は昔専門大学(2年生の短期大学)に一度入ったと言っていたが、後で分かった話しでは願書を出しただけで、合格もせず通いもしなかったということだった。大卒の家内の前で、少しでもよく見せようと思わずそう言ってしまったのだろう。またお母さんも娘が大学にも出て、自分のしたことのない都会生活、社会生活も経験して、しかも日本にも何回も行っている家内に、人生指導、社会指導できないジレンマが大きいのだろう。ただ正直お母さんが娘にそこまで指導したがるのもどうかと思ったりもするのだが。昔家内が大学に入った当時、家内の田舎のドンネ(町内)の女で大学に進学したのは家内が2人目であったそうである。ちなみに一人目は家内より10年早く大学に行った、家内のいとこのお姉さんだった。家内は大学に行くといった時、お母さんから反対されている。それでもごり押したのは、家内の強さだったのだろう。ちなみに高校に進学する時も、お父さんから、高校なんて行かなくてもいいんだと言われたそうだ。一方家内のお姉さんは、中学までの成績なら家内よりよかったそうである。いわゆるおとなしく、勉強ができて、親の言うことをよく聞く「優等生」であったそうである。あまりにもいい子だったので、親の言うとおり、女子商業高校に進学し、就職した。ちなみに弟は下から1,2番を争っていたらしく、お母さんもあきらめてしまった。今だったら2年制の専門大学には入れるだろうが。だが社会に出て、都会に出てみると、都会では女子でも大卒はそれなりにいて、地方の国立大学を出た家内もたいしたことはなかった。それどころかお姉さんは自分が「普通」の学歴であることが引っかかっていたのは、韓国の学歴感覚を知っている人は分かると思う。特に昔自分が勉強ができただけに特にそう思っただろう。実際結婚した後、30歳ごろだったか、放送大学に入ることをかなり考えていた。結局放棄したが。韓国ではこの放送大学に入る人がかなりいる。そのほとんどが、大学に行けなくて(行かなくて)、それが「怨(はん)」になって、少しとしをとってから入る人である。試験はない。学費も安い。だが半分以上、或いは大半は勉強が厳しく卒業できない。最近は2年生の専門大学は募集が厳しく、年長者や社会人を無試験で入学させる場合も多い。4年生の大学でも、一部そうらしい。ちょっと話がそれたが、家内のお姉さんは、結婚相手も自分で見つけてきたが、高卒のバイト公務員だった。お母さんには職業は公務員だとうそを言ったが(バイトだったと言うのは私も最近はじめて知った)、さすがに学歴はごまかせず、そこで反対されている。お母さんは婿は大卒でしっかりした人でないといけないと思っていたようである。まあ韓国では普通のお母さんだろう。それでも結婚して、その後夫が仕事を辞めてから、人生が狂ってしまった。お母さんがいろんなところに行って、うちの婿何とか就職させてくれといったが、学歴のない人はだめだと言われ続けた。その後の紆余曲折の中、お姉さんが妹である家内に複雑な思いを持っていたであろうとは想像に難くない。言うことを聞かずに大学にも行った妹がその後うまく行くのを横で見るのはかなりつらかったであろう。よく知られているように韓国は強烈な学歴社会である。日本も学歴社会だとよく批判されるが、韓国のほうが強烈である。ただ世界では学歴社会でない国はない。アメリカなどは正確な数値は知らないが、大学進学率は世界トップである。80%とも90%とも言われている。ちなみに韓国も今は80%は大学(2年制も含む)に行くそうである。ただ日本(韓国も)と違うのは、学歴だけでやっていけるものではないというところである。学歴と言うのは仕事につながるものであると日本人は思うだろう。だが私は韓国に来て、学歴観が変わってしまった。と言うか、韓国人の学歴観による人間観の影響を受けてしまった。もっと正確に言うと、韓国人が学歴によって、どのように自己認識をし、他人を認識するのかと言う観点が分かってしまったということである。つまりこれぐらいの学歴の人なら、韓国では人からはこう見られると言うのが分かってきたということである。もちろん学歴とは仕事につながるものではあるが、韓国の場合それで人間の価値も判断されるところがある。昔のヤンバン時代の影響もあるのか、勉強こそが人間の価値を決めるみたいなところもある。手に職を持つ人が認められた日本とはちょっと違うところである。私もよく経験したのだが、私が大卒だと分かった瞬間に、態度が変わるというのをよく経験した。と言うか妙に学歴に関する質問をされた。正直このおかげで私はかなり助かった面もある。日本では就職以外ではそんなに影響はなかったが。自分には学歴がなく、いい就職ができないと嘆く人も韓国では結構いた。また日本で大学に行った韓国人も時々いるが、彼らは韓国で大学に合格できなかったので、日本に行った人が大半だそうである。だから日本で大学出たと言っても世間は意外と冷たい目で見たりもするという。アメリカの大学ははくがつくようだが。家内のお母さんは最初のころ私の韓国語がつたないので、大学にもいけなかった、いわゆる韓国式に言う、モンナンサラム(できないやつみたいな感じ)と思ったそうだ。お母さん流に考えれば、韓国に来て、数ヶ月したら、韓国人並みになると思っていたようだ。こんなに韓国語ができないやつは大学にも行けなかった頭が悪いのに違いないとでも思ったのだろうか。学歴はないが事業などで成功した金持ちの人が韓国でもいる。また仕事はさえない仕事(ちょっと差別であるが)でも大学を出たインテリも時々いる。私が個人的に感じた中では、前者より後者の方が私と接する時、余裕があり、話しやすかったと言う印象がある。学歴がない人は、誠意や人間性はよかったりもするが(実はこちらの方が大切なのであろうが)、どうしても私と話す時、無理をしてしまうような気がする。インテリ的、教養のあるような話し方をしようと。家内もの知り合いの中でも、今になって大学に入りたがるおばさんたちがちらほらいるそうである。同世代ならまだしも、若い人はほとんど大卒になりつつあるので、引け目を感じるのもあるのかもしれない。私はここで学歴なんて人間の価値において、たいした影響はないとはあえて言わない。社会を生き抜くためにはあったほうがいいものが学歴である。いや学歴なしにはやっていけない職業もたくさんある。そして学歴のために精を出す韓国の親の気持ちも分かる。自分が学歴がないので、せめて子供だけはと思う親の気も分かるような気がする。なければないなりに、幸せの道もあると思うと言うのは、院まで出た私が言うのは最高の皮肉かもしれない。学歴がない人は学歴さえあればと思うかもしれないが、学歴があろうとなかろうと、努力なしにうまく行くことはないのは同じである。ただ学歴のある私だから、こんなのんきなことを言えるのかもしれない。ここ数年間、韓国の学歴意識のことをよく考える私である。
2007.02.27
コメント(6)
先週の週末は旧正月であった。うちの家族はいつも2泊3日にするところを1泊だけの日程で家内の実家に行って来た。もちろん日本の実家には行っていない。正直なところ1泊にしたのは理由がある。まず家内とお母さんの関係がよくないこと。去年の秋、チュソクの後喧嘩になったのだが今でも続いている。ただそれ以前からその前兆は見受けられていたので、チュソクだけが問題ではなかったのだが。また他の理由として娘の家族が名節の間居座っているのはよくないと言う考えのもと、1泊にした。やはり名節の時は長男とその家族が親と一緒にうちを守ると言うのが韓国でふさわしいあり方だと思う。これは他の誰でもなく私が数年前から言っていることなのだが。決して家内の実家に2泊3日いたくないという理由からではなく、うちの秩序は守るべきだと私は思っていたので。ただ家内の兄弟は弟しか男がいないので、長男も何もあったものではないが。ここで詳しいことは書かないが、韓国の家庭と言うのもなかなか難しいものがある。そんな中皆が自分の事情、情に流されて、何が大切なのかを失いがちになると私には感じられる。私は秩序を立てることが大切だと思う。そこには私的感情が先立ってはいけないし、それができないがゆえに、家族間の問題も大きくなっていく。自画自賛のようで申し訳ないのだが、少なくとも家内の実家に行くたびにその辺をわきまえているのは私しかいないような気がする。本来秩序だって回転していく韓国の儒教的家族制度なのだが、それを理解しているのは日本人である私だけと言うのは残念なことである。みな自分の事情、自分の情ばかり先立てて、自己満足に走っている。或いは自己充足(意味が分かりにくいが)に走っている。私にたしなめられている家内はしっかり抑えているが。今日は自慢しすぎかな。ただ正直な本音である。まあ家族によってあり方も違うのであろうから、一概には言えないが、少なくとも家内の実家は今後うまく回転していくとは考えにくい。うまく行かない理由を他人のせいにばかりしているこの風潮。私もそうだが家内はかなり我慢している。同じ韓国人、家族として避けられないものである。日本人の私は、しかも男である私は結構逃げ道があるものである。日本で暮らしていた方が幸せだったかなと思ったりもする。いや日本に行っていたら逆の思いになっていたかもしれない。私の方が避けられないので。実家からの帰りの車の中で、家内と良心の話をした。韓国人は人の評価を気にしすぎるあまり、良心が分からなくなっているというのがいつもの私の主張だが、もちろん家内もしっかり理解してくれている。もちろん韓国でも家族によって、人によって違うし、地域の差も大きい。田舎の人は昔の風潮が強く、変わり行く韓国の波についていけない。都会と田舎の考え方の差、感覚の差・・・。まああまり気にせずいくことが韓国ライフの秘訣でもあるが。周りを気にしすぎないと言うことを私は韓国で鍛えられたような気がする。そんなに悪い人生でもないなあと思いつつ。今日の日記は意味不明のささやきであった。名節疲れで倒れたのが私だったと言うのは何のこっちゃろう。
2007.02.22
コメント(4)
明日から韓国は旧正月に入る。民族の名節と言うもので、秋夕(韓国式お盆)と並ぶ2大名節である。数日前からまた「セヘポクマニパドゥセヨ」と言ってくる人がちらほらいるが、1月1日の新年の時も言われて、旧正月の時期も言われて何かしっくり来ない私である。韓国人にとっては本当の年明けはどちらかと言うと旧正月の方のようである。今回は土、日、月と休みになるので、一般的サラリーマンはなんとも悔しい連休である。韓国の休日は日曜日と重なっても代価休日はないので、実質休日になるのは月曜だけである。4,5連休ぐらいにはなることの多い名節の中で、今回は実に残念な、民族の名節となってしまうわけである。ただ残念がっているのは、男たちや、子供たちだけかもしれない。長い連休の間、夫の実家に行って、料理を作ったり、シオモニから小言言われたり、親族との付き合いにストレスをためたりする女性にとって短い連休がどう言うものなのかは私にはよく分からないものである。また今年はこよみの計算上、旧正月が2月の中旬に食い込んでしまい(例年1月の後半から2月初旬)、子供たちは学校を休むことはできなかった。大体今日から春休みに入った学校がほとんどである。大学生は12月の中旬から2月までは冬休みなので関係なし。私は大体1月から2月に日本に帰省することが多いが、それを理由に旧正月、家内の実家に行かないこともよくあった。だが、最近はなかなかそうもいかなくて、ここ数年は旧正月にも行っている。と言うことは、あまり行きたいものではないと言う事であるが。まあ正直韓国人でもそんなに行きたがるわけではない人も多い。人間関係を中心に様々なストレスがあるのが基本である。両親はこの時期は当然子供や孫の顔を見たがるものだが、あと親戚のまえでいい顔したがる物好きもよくいて、ここぞとばかり点数稼ぎの行動に出る人もいたりする。家内の親戚にもいるのだが、その人が来た時は私は地獄である。ある人が点数稼ぎをするということは、何かを押しのけてやろうとすることがその基本にある場合が多い。つまり私を押しのけて自分がいい格好しようとするわけである。勘のいい人はそんなことをしようとする人が私とどんな関係にある人かは分かるかもしれない。年々変わりつつある名節の様子。昔ながらのいいところは続けてほしいが、何かが変わらないといけないような最近の名節の風景である。さて今年はどうなるのであろうか。
2007.02.16
コメント(4)
今日も記事ネタ。http://kr.news.yahoo.com/service/news/shellview.htm?linkid=447&articleid=2007020813301540001&newssetid=1270要約すると、インドが韓国を抜いてアジア経済大国3位になる模様ということである。今年のインドの経済成長率は中国に次ぎ2位で、GDP 12位から11位の韓国を抜くのは確実と言うことである。そしてロシアも石油開発の効果で14位から10位に上がるだろうということである。記事には出てないが韓国は06年度は前年の11位から13位になるという計算である。よく知らない人は「韓国って世界で11位だったの」と驚く人もいる。GDPでは11位、サッカーのFIFAランキング11位で行くと、例えばスペイン、パラグアイ、デンマークあたりの感覚である。これは比較にならないか。もしこんな比較をしたら、経済大国アメリカはサッカーのブラジルみたいなもので、経済大国2位の日本はサッカーのフランス、アルゼンチン、イタリアみたいな感覚である。やはり比較にはならないが。ちなみに中国はGDP5位だが、今回イギリスを抜いて4位になるのは確実で、このまま成長が進むと数年内に欧州最高の経済大国ドイツをも抜いて3位も見えてくる。10年ぐらい前中国がGDP世界で7位だと知って、そんなにいいのかと驚いたことがあったが、その後予想通りに発展してきて、世界の経済を左右する存在になっている。今回の記事の主役インドは世界の10大経済大国から、10年後ぐらいには世界7大経済大国になり、数十年後には世界トップ5、トップ3となるかもしれない。また密かに経済発展の可能性を持っているのが、ロシアとブラジルである。俗に言うBRIC`s(ブラジル、ロシア、インド、中国(China))である。これらの国は人口が多いので可能性も高いというわけだ。その昔NIES、アジアの4竜といわれた韓国、台湾、香港、シンガポールだが、長期的に見たら、成長の可能性を秘めているのはBRIC`sの方が上である。日本が何やかんや言って、世界でその名をとどろかせて来たのは、世界経済第2位という事実が大きかった。アニメやゲームも日本の位置を高めている。WBC優勝は大して影響はないが。韓国も11位というのは気分が悪いものではなかった。しかしその位置が今後も安住とは限らないというのは、経済音痴の私でも分かる。何となく今後韓国よりも、インドとブラジルに注目しておいた方がいいかなと思いつつ、基本的には私がまだ生きているであろう20年後を考えてみた。1位アメリカ、2位かろうじて日本、3位中国・・・・・6位インド、7位ロシア、8位ブラジル、韓国16位・・・・。ここまで生きていれば悔いはない40年後。1位それでもアメリカ、2位わずかの差で中国、3位かろうじて日本、4位インド、5位ロシア、6位ブラジル・・・、韓国・・・・予想不可能。韓国はは上がる時は上がるし、下がる時は下がる。とてつもない技術で、技術力は日本を凌駕しているかもしれない。逆に行き先を間違って、40年前インドとロシアとブラジルとうまくやっておけばよかったと後悔しているようになっているかもしれない。或いは40年後世界の期待の地域東南アジアに対し「40年前東南アジアの国を馬鹿にしなければよかった。もう韓国からの投資は死んでも嫌だと言われてしまった」とやはり後悔するようになっているかもしれない。
2007.02.08
コメント(2)
全146件 (146件中 1-50件目)