不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

2007/04/16
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カテゴリ: 日本旅行記
聖神社 から自転車で地図を見ながら進みました。
あまり地図も具体的には書かれていないので、曖昧に進んでいくしかないですね。
『玄忠寺』の看板があるので進んでいくと『因幡・景福寺』と 後藤又兵衛父子之墓 の碑がありました。
後藤又兵衛は元黒田家武将。
大阪夏の陣で豊臣方として小松山の合戦で戦死した。

お墓ですから、何かあるわけではありませんね。
鳥取の有名な人の墓もあるみたいです。
全然分かりませんけど、看板はありましたね。
鳥取b1後藤又兵衛

『景福寺』から進んだ所に『玄忠寺』があります。
荒木又右衛門資料館 もあります。
入館料は300円だったかな?
荒木又右衛門は伊賀上野の鍵屋の辻において仇討ちし本懐を遂げさした人物。
日本三大仇討ちのひとつ。
鳥取には13日に入り28日に急死しました。

昨年の正月に「徳川三代の陰謀」の話に出てきた荒木又右衛門の墓ですね。
あの正月時代劇は仇討ちの話としては面白かったですね。
資料館は寺の方の拝観と共通です。
寺の方には庭園と襖の絵などの説明を聞かせてもらえます。
資料館はテープでの解説です。
意外と遺品などが残っていますね。
でもほとんどは、その後の物ですね。
鳥取c1荒木又右衛門


三重旅行3 伊賀上野・名張・津
三重旅行3(五)鍵屋ノ辻


鳥取旅行は、まだ続きます





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Last updated  2007/04/16 07:22:20 PM
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“後藤又兵衛基次”・・・  
日下 草香  さん
〔大坂夏の陣〕にて華々しく討死をし、武士として本望だったのでしょうかね。
流浪時、“黒田長政公”に呼び戻され、〔関ケ原役〕後、一万六千石の城持ちとなり、宿老にまでなるが、
“長政公”と不和になり、出奔し、“長政公”より〔奉公構え〕となり、他家への仕官が出来なくなり、このまま朽ち果てるよりは、大坂の戦で“名”を、と、考えたのではないでしょうかね。
当方、“黒田家”には少々、惹かれるものがあり、
“後藤又兵衛基次”も好きな侍大将の一人です。
よい写真を見せていただきました。
でわでわ (2007/04/17 11:26:26 AM)

Re:“後藤又兵衛基次”・・・(04/16)  
やにゃん  さん
日下 草香さんへ
◇訪問&カキコありがとうごあいます。
関ヶ原以降の話ですので後藤又兵衛の名前は知っている程度ですね。
知っているかも知りませんが、なぜここに墓があるかといいますと『遺髪を夫人が持っていて岡山の実家・三浦家に戻りました。その後、岡山藩主池田公が因伯二州を領する事になり城代家老もこれに従い鳥取に移る時に菩提寺も当地に移った。家臣も菩提寺として初めて当墓地内に又兵衛の遺髪を埋める』景福寺の看板を略して書きました。
境内の入り口の看板には藩士としてではなく剣豪となっています。
また訪問してください^^。 (2007/04/17 08:31:47 PM)

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