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長らく続けたやぽねしあんの楽天ブログですが、この度、Bloggerへ引っ越すことにしました。今後はhttp://yaponesian.blogspot.com/でお楽しみください。
2011.04.26
経済成長なき社会発展は可能か?――〈脱成長〉と〈ポスト開発〉の経済学セルジュ・ラトゥーシュより成長という幻想が、自然や貧しい人々からの窃盗を隠蔽し、資源の欠乏を創り出しているのに、それを成長と偽っているヴァンダナ シヴァ(食糧テロリズム) 幸福な人は抗欝剤を消費しないし精神科医の診察を受けることもない。自殺をしようとも思わないし、商店のショーウィンドーを壊すようなこともしないし、高価で役に立たないものを丸一日かけて買うこともない。つまり社会の経済活動には少ししか関わらないのである。エルヴェ ルネ マルタン あらゆるビジネスと宣伝広告活動は、生産物の山に埋もれた世界の中で需要を創出することを目的とする。そのためには生産物をより迅速に流通させて消費する必要がある。つまり大量のゴミを矢継ぎ早に製造し、ゴミ処理活動をしてゆかねばならないのだ。ベルナール マリ消費社会が悪魔の輪舞を踊り続けるためには三つの要素が必要である。消費欲を刺激する宣伝広告、消費手段である信用貸し付け、そして需要を更新するために生産物を短いサイクルで計画的に使用不可能とすること、である。
2011.04.17
もう一つ、アメリカンランドスケープの思想―ランドスケープ・デザインを志す若人へのメッセージから。同じくランドスケープアーキテクトのDan Kileyのことば私は自然やエコロジーに関して何ら問題があるとは思いません。禅の哲学のようなものでしょう。それについて気にしたり考えたりする必要はありません。実行するのです。気付くのです。自然やエコロジーが何であるか、答えようとすること自体が問題なのです。自然が何であるかの答は私にはありません。いかに生きるかだけです。 哲学者のRalph Waldo、自然主義者のHenry David Thoreauが美について述べています。「もし、あなたが美を求めるならば、あなたは幾分か病的になる。美を求める代わりに真実を求めなさい、そうすれば必ず美がそこから見えてきます。しかし、美と呼ばれる何物かを求めてはいけません。」あなた方がしているのはデザインなのです。人びとが使うためのデザインをしているのです。人びとが有している問題を解決することが最も大事です。
2011.04.13
今読んでいるアメリカンランドスケープの思想―ランドスケープ・デザインを志す若人へのメッセージより、ランドスケープアーキテクト・Garret Eckboのことば今まで使われたすべての言葉を無視しても、自然が何を意味するのかは、だれも理解できないと思います。われわれ人間が自然を破壊しているというのは簡単です。しかし、われわれは自然から発生してきたのです。一番簡単な定義は、毎朝、太陽が昇ったとき、自然とはそこにある世界そのものなのです。それは人間を含んだすべての世界です。そして、その世界をもっと現実的に見てどのようになすべきかと考えるのです。しかし、それはひとつの世界です、それに対して観念的になる必要はありません。
2011.04.13
忘れられた日本人 (岩波文庫)わずか60年ほど前までは、日本はこんなにプリミティブな国だった!現代日本人のメンタリティを理解するうえでも、「このような時代を経ての今なのだなあ」、と新たな発見ができる。これからの日本の行方を考えるにあたり知っておきたい日本のルーツという気がする。モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか人に薦められて読む。論旨はもっともなのだけれど、私にはどうもこういうビジネス啓蒙書は、面白くもない部類かな。悪霊 (まんがで読破)このシリーズで、ドストエフスキー、ダンテ、ゲーテ、ヒトラーなどを読んだ。原典を読むのは始めから挫折が目に見えているけれど、どんなことが書かれているかざっくり知りたい、という古典にはおすすめ。でも、原典を知ってるニーチェや芥川龍之介をこれで読む気には到底なれないから、やっぱりドストエフスキーなんかも、これじゃダメなのかもしれない。金閣寺の燃やし方 (100周年書き下ろし)内容は三島由紀夫と水上勉の金閣寺小説の考察。タイトルがちょっとあざとい感じですが、実際私もそのタイトルにつられて読みました。やぽねしあんおすすめ本をもっと見る
2011.02.25
経済成長なき社会発展は可能か?――〈脱成長〉と〈ポスト開発〉の経済学セルジュ・ラトゥーシュ (著), 中野 佳裕 (翻訳) を図書館で借りてきて読んでいる。多くの学者は既にこういう学説、提言をいろいろ出しているみたいなのに、政治家は私利私欲を満たすので忙しいから、実社会にはちっとも反映されてきませんね。メディアは相変わらず市民の声として、「早く景気回復してほしい」なんて意見ばかり垂れ流してるし。「右肩上がりの経済成長なんて、もう終わってるんじゃないの?」「じゃあ次はどうやってくの?」ということが、ホントの一般市民の知りたいところだと思うんだけれど。この本には、面白い言葉、提言がいろいろ出てくるのだけれど、見開きページの半分近くまでに用語解説やら参考文献が書かれているし、学術論文の中にさらに別の論文の引用文が頻繁に出てきたり、と専門家でない私のような人間には読みにくいことこの上ない。でも読んでると、「やっぱりそうだよね~」と思うところが幾つも出てくる。『〈ポスト開発〉/〈脱成長〉のこの公式は、一般的には人々の理解をたやすく得るところではない。なぜなら、この時代を生きる人にとって、経済が一種の宗教であることを自覚することは困難であるからだ。「厳密に言えば、無神論を語るがごとく、無成長について語らねばならない。」』 『〈脱成長〉社会は、希少性、[依存的な]欲求、経済的計算、合理的経済人(ホモ・エコノミクス)といった抑圧的な想念の中で生産・消費活動を行うことはしないのだ。経済制度の基底を成すこれらの想念は、根本から問い直さなければならない。』などなど。 トランジションタウンwww.transitiontowns.org、レジリエンス、パーマカルチャーなどのキーワードもメモしておく。
2011.02.21
よみうりオンラインより今季の調査捕鯨を中止、切りあげ…反捕鯨妨害で 南極海で調査捕鯨船団が反捕鯨団体「シー・シェパード」の妨害を受けている問題で、鹿野農相は18日、3月中旬まで予定していた今季の調査捕鯨を中止し、船団を帰国させると発表した。読売新聞の朝刊によれば、中止の理由は他にもあるようだけれど、シーシェパードの妨害活動が「船員の生命を脅かし」ているらしい。シーシェパードは、クジラの命を守ることには熱心だけれど、日本人の生命はずいぶん軽んじている、と感じないわけにはいかない。よく、捕鯨問題は人種問題も絡んでいるというけれど、まさにクジラにかこつけて公然と日本人を蔑視している行動と思う。クジラを、海洋生態系を乱すほどに乱獲すべきではない。しかし、そもそもクジラの数が激減した原因は、日本人その他の鯨食文化民族の捕鯨よりは、西欧諸国が鯨油を石油以前の燃料として得るために行った捕鯨だ。それを今になって、日本人を悪者に仕立て上げて勧善懲悪のヒーローぶられても、と日本人の私は思う。動物を野生動物と家畜動物に分けて、野生動物は保護するけれど、家畜は人間の食料とするためにまるで工業製品のように工場で大量生産することも厭わない、という西欧の狩猟民族的価値観は、農耕民族の末裔の私には、ひどく傲慢なものに思える。もっとも、現代においては日本人も、魚一匹すら「気持ち悪い」と言って自らさばくこともしないのに、他の誰かが屠った子牛のフィレステーキだの、子羊のポワレだのと平気でやっているのだから、どっちもどっち、なのかもしれない。
2011.02.19
『影絵の世界 (平凡社ライブラリー)』(埴谷雄高)『死霊(1) (講談社文芸文庫)』(埴谷雄高)『ゲーテ読本 (潮ライブラリー)』(アンソロジー)『悪貨 (100周年書き下ろし)』(島田雅彦)『ヘヴン』(川上未映子)『光媒の花』(道尾 秀介)『フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略』(クリス・アンダーソン)『いつか、すべての子供たちに――「ティーチ・フォー・アメリカ」とそこで私が学んだこと』(ウェンディ・コップ)『「社会を変える」を仕事にする 社会起業家という生き方』(駒崎弘樹)『人間の安全保障 (集英社新書)』(アマルティア・セン)『英文版 東京現代建築ガイド - Twenty-first Century Tokyo: A Guide to Contemporary Architecture』『意識 革命 宇宙』(埴谷雄高、吉本隆明)『蠅の王 (新潮文庫)』(ゴールディング)『Light on Life: The Yoga Journey to Wholeness, Inner Peace, And Ultimate Freedom』(B S K Iyenger)『道元禅師〈上〉 (新潮文庫)』(立松和平)『小篇5・雑纂・年譜・著作年表・題名索引 (和辻哲郎全集 24)』やぽねしあんおすすめ本をもっと見る
2011.02.13
暫く前にマスメディアを賑わしていた「タイガーマスク現象」。悪意ではなく善意だから、否定するつもりもないけれど、かといって美談とは言い切れない、底知れない薄気味悪さを感じていた私は、こういう意見を見付けて薄気味悪さの原因がなんだったのか、納得。風土病それにしても、こういう意見が他にさっぱり見当たらなかったのは、一体何故なんでしょう?二年前に、五年ぶりの日本で「痴呆症」が「認知症」という言葉にすり替わっていたのを発見した時に感じた薄気味悪さと似た何かを感じます。そういえば、小沢問題と大相撲八百長問題も、何だか似たような底流が働いているようですしね。
2011.02.08

大豆大好きな私は区で開催されたイベント健康づくりサポーター講習会「さぁ始めよう、大豆栽培!」~中野で楽しむ大豆の食育活動~に行く。講師は、大豆100粒運動を支える会の山下啓義氏。(なんと、あのジャズミュージシャン山下洋輔氏のお兄さん!なので大豆100粒運動のテーマソングは山下洋輔氏作曲)さて、大豆と一口に言っても、実はもともと日本各地でその土地にあった品種が作られていたそうで、東京にはちゃんと「東京八重生(とうきょうやえなり)」というのがあるのだそうです。講習会では、その東京八重生の種を頂きました。それをみんなで育てて、出来た大豆は食べ(夏にはビールの友枝豆です)、大収穫できれば豆腐やら味噌にも挑戦し、翌年分の種も残し、さらに種の一部を区にお返しして、みんなで大豆を作って食べちゃおう!という企画です。私的にも、バリにいる頃から「食料自給率1%計画」というのをマイ・テーマにしていたので、この活動には大賛成!と興味津々出かけたのだけれど、来ている方々は圧倒的にご高齢者ばかり。まあ、予想はついていたけれど。お役所というのは旧態依然として新しいことには疎いところと世間一般では思われがちですが、実は意外と先見性のある活動をしているのです。社会的問題は大学などで研究され、地方自治体などと協同でフィールドワークされたりするので、時代を先取りして社会問題に取り組んでたりするんだけど、先取りしすぎて流行にもなっていないので気付かれない、という事がままあるのですね。そういう社会問題を、芸術家やらプランナー・デザイナーなんかが上手い事何かの形にして提示したり面白い解決策を生み出していくことで、だんだん社会に流行として認知されてくんですね...。でも、大体最初はオシャレでもかっこ良くもない。さて、中野は意外と大豆に縁のある土地らしく、講習会には信州一味噌のみ子ちゃんおじさんも現れて、宇宙大豆のお話なども聞けました。日本の大豆自給率はわずか5%。戦後アメリカが、自国の小麦や大豆を日本に買わせるためにやったことの名残がいまだに続いているのだそうです。(昔の学校給食がパンばかりだったのと根は同じなんですね)わたしも春になったら、大豆を撒いてみようとおもいます。鳩やカラスに食べられないように、上手く育つといいのですが。
2011.01.15

昨年末、図書館にて「収監の作家・文化人」という企画展を見た。中に埴谷雄高の名が並ぶのを見つけ、年末年始は20代の頃に読んで以来の再読。思想とか哲学の本というと難解な物と思われがちだけれど、私はそういう本を読むことで、自分の中でモヤモヤと形にも言葉にもなれずにいるものに形が与えられるのが面白いなあといつも思う。そして、今回埴谷を読んで初めて気付いた、驚いたこと。埴谷が薄暗い頭蓋の中で「死霊」の構想を練り上げたという豊玉刑務所は、今現在では私がヨガの練習をしている公園になっていた。この場所に、あの永久運動の時計台の元となった刑務所の時計台もあったのだなあ、と不思議な気分になる。一年の半分の寒い季節は公園ヨガを休んでいるけれど、公園へ刑務所の名残を見に行く。あっは!ぷふい!
2011.01.05
タイトル;マングローブで、日本人もハードにクリーンアップ! 「クリーン・アップ・バリ(CUB)」 今年度2回目の海岸清掃を実施いたします。過去の海岸清掃とは異なり、今回はサヌールの環境問題に取り組んでいるSBGMという組織の方より協働で海岸清掃をするよう申し込みが有りました。参加グループは、サヌールのホテル、旅行関係、ロータリークラブ、又、この村の人々、お寺の関係者、マングローブセンター、BIWA等多数のグループからの参加が予定されています。我々日本人グループも、頑張って、参加したいと思います。清掃場所は、かなり酷い状態です。従って小さい子供さんには、無理だと思いますので、今回の参加はお子様同伴の場合、小学校高学年以上で、お願いしたいと思います。 日時; 2010年10月31日(日曜日)午前7時30分集合 8時より開 始集合場所; サヌールの南のPantai Martasari の更に南側 Pura Pengembak Area(補習校に行く時、クタ方面に向かいパイパスでUターンすると ころの少し手前で、Jl.Tamblinganへ入るJl.Poso を通り過ぎ、直ぐ を左折し、橋を渡り海岸に出ます。その突き当りを、右折し、又、 橋を渡ったところ)(目印は日本人会の旗を設置しています。) 持ち物は、各自、大きめのビニール袋2枚、御用意をお願いします。足場が悪いので、汚れても良い長靴か靴。(直ぐ脱げるサンダルは不可)帽子、軍手は必須。若しあれば、ゴミを拾うシャベル、熊手のような道具。(クリーンアップバリのTシャツをお持ちの方は着用お願い致します。)アクアや少しのおやつは此方で用意いたします。このようなボランティア活動への日本人の参加が、少ないとよく耳に致します。是非、皆様も、家族や知り合い、又、企業の方は、同僚や夫々の従業員も誘って御参加下さい。今回の海岸清掃の参加登録をお願い致します。氏名(複数の場合は代表者のみ)、人数(大人子供別)連絡先以上を日本人会事務局に、10月26日までにお申し込みをお願い致します。以上Clean Up! Bali(ゴミボランティア)より代表;石橋正光(連絡先Tel 081-337-826-386)
2010.10.19

これは夕焼けではなく朝焼け。といっても最近の写真ではなく、5月のゴールデンウィーク撮影。朝5時過ぎはまだこんなに暗い。一面のクローバーもまだ生えかけ。今は、5時におきて公園に行くともう既に日は昇って暑いし、クローバーは既に盛りを過ぎて枯れてきている。朝の空気はもう、夏が終わって秋の匂いがしている。朝の青空ヨガは、寒くなったらできないので、今だけの楽しみ。
2010.08.10
今日は六本木の東京ミッドタウンへ。ヨガエイドチャレンジというチャリティヨガイベントに参加。12名の先生たちによるインストラクションが一度に楽しめる豪華なセッション。芝生の上、青空の下、気持ちのいいヨガでした。
2010.05.01

4月10日の青空個展の様子次回フリマ参加は、5月30日(日)ヨガフリーマーケット「よぎの市」at YAFFA ORGANIC CAFE 渋谷
2010.04.30
英会話ローン牛丼ハンバーガーここはどこかのすべての駅前(吉竹純 河出書房新社 歌集『過去未来』より)
2010.04.25
明日はまたてづくり市に出品します。お天気も大丈夫そうです。会場は桜の名所だそうなので、まだ残っている桜も見物できそうです。世田谷てづくり市in世田谷観音http://www.aozorakoten.com/日時:2010年4月10日(土) 10:00~16:00場所:世田谷観音(世田谷区下馬4-9-4) 三軒茶屋、祐天寺、目黒駅から黒6系統バス「世田谷観音」下車 渋谷駅西口から渋32系統バス「学芸大学付属高校」下車
2010.04.09
仕事帰りに花見で賑わう公園を通り過ぎる。頭の上には薄墨の幽玄な桜の花。その下には安っぽいブルーシートの上で乱痴気騒ぎを繰り広げる人々。この東京の空と地面の間で、あまりにも対照的な聖と俗がくっつきあって積み重なっているのが不思議に思える。去年の今ごろいたバリ島では、そういうのは当然の日常だったが。普段の東京ではありえないようなあの世とこの世の入り乱れたかのような混沌とした景観に、ふと安心する。
2010.04.04
暖かくなってきました。久しぶりに、手作りフリマに焼き物を持っていきます。屋外なのでお天気次第ですが、お時間ありましたらぜひお立ち寄りくださいませ。バリで作った土器たちとお待ちしております...。 渋谷てづくり市/青空個展http://aoblo.exblog.jp/13824174/日時:2010年3月20日(土) 9:00~16:00場所:代々木八幡宮参道 小田急線「代々木八幡駅」・千代田線「代々木公園駅」下車徒歩5分 世田谷てづくり市in世田谷観音http://www.aozorakoten.com/setagayahp.htm日時:2010年4月10日(土) 10:00~16:00場所:世田谷観音(世田谷区下馬4-9-4) 三軒茶屋、祐天寺、目黒駅から黒6系統バス「世田谷観音」下車 渋谷駅西口から渋32系統バス「学芸大学付属高校」下車写真はバリ島でのオーガニックマーケット出展時の様子
2010.03.13
よく人から、「やぽねしあんてどういう意味なの?」ときかれるので、その語源となったヤポネシアという語についての解説ページを設けました。http://plaza.rakuten.co.jp/yaponesian/14000/ヤポネシアという造語の作者である島尾敏雄は1961年ごろにヤポネシアという言葉を文章に使用するようになり、それは当時沖縄復帰問題とともに「琉球弧」が議論された時代に、多くの知識人に引用された言葉のようです。閉塞感のある日本という括りでしばるより、この呼び名のほうがずっとおおらかで広がりを感じます。なので私は、自らをやぽねしあん(ヤポネシア人)と名乗ることにしました。
2009.06.15
ブログ内のコンテンツを久しぶりに追加しました。GOING GREEN内、CLEAN UP! BALIバリの環境・ごみ問題ボランティア活動に関する情報。POTTERY内、PHOTOGALLERY YAPONESIAN/ WORKS IN BALI 2004-2008やぽねしあんのバリでの作品YOGA&HEALTH内、Balinese Yoga Communityバリのヨガコミュニティ
2009.06.03
先日日曜日は、久しぶりにフリマ。バリで作ったやきものを持っていく。朝から曇り空で、ポツポツ降ったりやんだりしていたと思ったら、午後には本格的にふってきた。そこ(飯田橋セントラルプラザ・ラムラ)でよくフリマに出店しているという人によれば、いつもはもっとたくさん人が来るそうだけれど、あいにくのお天気で客足は今ひとつ...。でも、そんな天候の中、わざわざ来てくれた方、通りすがりに見つけて購入してくれた方、本当にありがとうございました!やきものたちの持つ、バリの土エネルギーが伝わりましたでしょうか...?!バリに住む友人曰く、バリは「地球の子宮」ともいわれているそうですから。
2009.06.02
インドネシア・バリ島の土と自然灰をつかったやぽねしあんのやきもの今度の日曜日、フリマに出展します!Yaponesian's PotteryNatural Ash Glazed CERAMICS and TERRACOTTAat飯田橋ラムラ・フリーマーケット日 時:5月31日(日)10:00~16:00主 催:リサイクル運動市民の会 www.recycler.org場 所:飯田橋ラムラ2Fアーケード※雨天中止アクセス:JR【飯田橋駅】改札:東口/西口地下鉄【飯田橋駅】出入り口:B2b/B5
2009.05.25
私は料理の本を見て料理をすることが出来ない。何でも、日本人主婦が本を見て料理を作るということで、国際結婚した家庭では、インドネシア人亭主が驚くのだそうであるが、私はその点、日本人主婦らしからざることを認めなければならない。材料は何が何グラム、調味料を大さじ何杯用意しろ、といった細かな指定や、細々した作り方手順だの、書かれているのを読んでいるだけで、すっかり面倒くさくなってくる。さらに、テーブルコーディネーターがおしゃれにセッティングしました、という手合いの盛り付け写真の、あのいかにも主婦受けをねらったこじゃれた雰囲気や、ついでに食器やもろもろのテーブルウェアも売ってます、みたいな感じが、どうにも食欲を萎えさせて仕方がない。だから私は料理の本を買ったことがない。(多分。覚えている限り。)しかしそんな私がどうにも食指を動かされてしまう料理本がある。壇一雄「壇流クッキング」と、荻昌弘「男のだいどこ」がそれである。どちらも、本業は料理人ではないがくろうと跣、の料理本というよりエッセイである。(前に紹介した、水上勉の「土を喰う日々」も、これに類する)どちらも、調味料を何グラム用意しろだの、手順や盛り付けを写真入りで詳しく解説したりなど、一切ない。好きなだけ入れて、自分流に調理なさい、という趣旨である。しかし、読んでいるだけで思わず生つばが出てくるほど、「ウマそうな食い物」が次から次へと描写され、圧巻である。気づいたら私は市場の行きつけの肉屋へ、牛タン丸ごと一本注文していた。そんなもの料理したことなどない。しかし思わずそうせずにはいられぬほど、これらの本のレシピはウマそうで簡単そうに書いてあるのだ。そんなわけで今、うちの冷蔵庫には牛タンを塩蔵して寝かしてある。取り出したらきっと正月のご馳走になるはずである。面白いことに、これら2冊の著者はどちらも、東大出身者だ。近頃の東大出身者にも、果たしてこんなに味覚の確かな人はいるんだろうか、なんてふと考えてしまった。日本の中枢を負う人々の味覚が、まともであることを願う。
2007.12.29
数ヶ月前から始めた、生ゴミを庭で土に戻すのが、思わぬ副産物を生み出した。ピーマン、とうがらし、トマト、稲、空芯菜、豆、アボカド、みかんなど、次々にゴミから芽を出したのだ。南国なだけあって、生ゴミの生命力もすこぶる旺盛である。それに気をよくして、いろんな野菜やフルーツの種を庭にまいている。今のところ、収穫までたどり着いたのはピーマンだけ。やはり、自分の庭で取れたのを食べるのは、おいしい。次は何が採れるかと、毎日成長を楽しんで眺めている。観賞用の美しい南国植物の花が咲く庭もいいけれど、やっぱり食べる楽しみのほうが私は好きなのである。今は、植えたとたん立派な双葉を出してたくましい大豆の苗に早くも枝豆を思い浮かべてわくわくしている。
2007.12.28
マヨネーズといえば、こちらでは、マヨネーズがまずいのが日本人の間では定説だ。たいていの人は、だから、こちらで普通に売っている瓶詰めマヨネーズよりずいぶん割高な、日本メーカーのチューブ入りを買っているようだ。あのお人形さんマークブランドへの信奉はあつい。私は経済的都合も含め、それを買わない。経済的都合以上にあまのじゃくな私は、「要するに、外国のマヨネーズより日本人好みに、上手に、添加物や化学調味料を配合しただけのものに、2倍の金額を払うだけなんじゃないか。」とひねくれたことを考えつつ、瓶詰めマヨネーズに、バリ特産自然塩とライムを配合する。電動攪拌器があれば、自作マヨネーズもできるかと考えるけれど、まあ、ここは基本的にマヨネーズを食べない土地なので、私もそれにならえば、わざわざそこまでしなくてもいいのかな、とも思っている。電気調理器具のない台所が、結構気に入っているのだ。
2007.12.27
バリでは来月12月に、気候変動に関する国際会議が開かれます。そのためか、最近は幹線道路のそこここに警官の姿が。無事に平和に開催されることを祈ります。京都の会議では、世界各国からの参加者が自転車で会場へ向かう姿があったそうですが、「バリでもあのパフォーマンスをやるのか?」と、在住者の間で最近話題になりました。あれをするために交通規制すると、ここでは車が停止している間エンジンを切る、などということはまず誰もしないので、止められた車がその間ずっとエンジンをかけ続け、とっても無駄。。。ということになってしまいます。いいのかな?先日のバリポスト紙には、政府が全面広告で、「2020年には、インドネシアの油がなくなってしまうので、それ以降は輸入に頼らなくてはならなくなります、みんなで節約しましょう」、みたいなのをだしていました。私はてっきり石油か灯油のことかと思いきや(最近政府は、貧困層に家庭の燃料を灯油からガスに替えるよう指導、補助している)、友人に話すと、それはきっと食用油だ、といいます。ほんとのところどっちなのか分からないけれど、どっちにしても、あと20年もすると、インドネシアは人口2倍、食糧難、環境汚染、資源不足などの深刻な問題を抱えることが目に見えてます。そのころ、今インドネシアを楽しんでる先進国人は、さっさと自分の国に帰って寄り付かなくなってしまうのかな?資源を持ってない先進国日本はそのころどうなってるのかな?今は問題視されている出生率減少が、そのころになって、ちょうどよかった、といわれるのかもしれない。ちなみにこれに併せて、1日から15日まで、気候変動をテーマにしたアートエキシビションも開かれます。私も、誘われて出品することになりました。http://unfccc.int/meetings/cop_13/items/4049.phpUnited Nations Climate Change Conference - Bali, 3 - 14 December 2007The Conference, hosted by the Government of Indonesia, brings together representatives of over 180 countries together with observers from intergovernmental and nongovernmental organizations, and the media. The two week period includes the sessions of the Conference of the Parties to the UNFCCC, its subsidiary bodies as well as the Meeting of the Parties of the Kyoto Protocol. A ministerial segment in the second week will conclude the Conference.
2007.11.23
最近の中国産食品の騒動は、まるで昔の「味の素」騒動のようだ。日本人は自分の食さえ安全なら、他の国のことはどうでもいいと思っているみたいだ。そもそも日本が「大量に安く」を中国に強要して生じた農薬、化学肥料の使用だったはずだ。しかも、元をただせば、日本が自国で健康志向、食の安全志向が強まったため過剰になったそれらを、中国に売りつけたのがことの始まりだとも言われている。そして今度は中国産に対する排斥。日本で使用禁止の農薬が使われている、と大騒ぎするけれど、危険な毒を作っておいて、危ないからよそに売りつけておいて、そしてそれがまた戻ってきたからといって、それは自業自得、というものだ。日本人は、自分で作った毒の味を、自分たちで責任持って味わってみるべきじゃないか。これじゃあ原爆を作っておいて、よその国で試すどこかの国と同じだ。
2007.11.21
ここ東南アジアの国々では「味の素」があらゆる料理に欠かせない。日本のように、「アミノ酸調味料」と名前を変えてなるべく表舞台に立たないように、しかし確実に何にでも入っている、という状況に比べたら、あるいはましなのかもしれない。元来、微妙な「旨み」を味わう料理であった日本食では隠し味として重宝された「味の素」が、東南アジアに来て、パンチの効いたスパイスに負けないようにと大量に投入されるのは無理からぬことだ。東南アジアのこの状況を作り出したきっかけはといえばそもそも日本で数十年前「味の素」が敬遠され、大量の生産余剰が生じたため何も知らない東南アジアの国々に売りつけたことからはじまっている。私は味の素が体にいいのか悪いのか知らない。石油から作られる、というのは過去の話で、いまは自然由来の安全な食品だ、とも言われている。多分そうなんだろう。しかし私がこの調味料を素直に受け入れられないのは、それが味覚をこわすからに他ならない。美味しいものを美味しく食べようと思ったら、アミノ酸調味料は摂りすぎない方がいい。
2007.11.20
私の個人的見解では、日本人の味覚をこわした三大食べ物1.キューピーマヨネーズ2.ハウスバーモントカレー3.ブルドッグとんかつソースではないかと睨んでいる。これらに共通するのは、味の素(アミノ酸調味料)の味を基調としドロドロしているということだ。アミノ酸調味料を使い、ドロドロさせると、日本人の口にあった食べ物ができるということか?「マヨラー」などとうれしげに公言している人を見ると、私は、「この人は味覚がこわれてるんじゃなかろうか。」と思ってしまう。(市販のマヨネーズはしかも、防腐剤もたっぷり入っているそうだ。添加物無し手作りマヨネーズを食べれば、その差は歴然だ)味覚がこわれてるから、世界中のあらゆるグルメを貪りながら、まだ満足できないのじゃないか、と思う今日この頃である。
2007.11.19
19世紀アメリカで書かれた、150年前の言葉…われわれはなぜ、自分の認識力を鈍化させ、いつも最低のレベルにまで落としておきながら、そうしたものを普通の感覚(常識)として崇拝するのであろうか?…世界の中のこのアメリカでは、もし二通り以上の解釈ができるような著作物が出版されると告訴の理由になる、と考えられている。イギリスでは馬鈴薯の腐敗防止に懸命の努力を払っているが、馬鈴薯の腐敗よりも驚くべき勢いで、致命的、かつ広範囲に広がっている頭脳の腐敗防止にどんな努力がなされているのだろうか?…なぜ、そんなに死にもの狂いになって成功を急ぎ、死にもの狂いになって事業に成功したいのか?人が自分の同僚と一緒に歩調を合わせようとしないとすれば、それは、多分、違ったドラムの音を聴いているからであろう。…われわれは空虚しい現実の世界で難破などしたくはない。苦労して頭上に青硝子の天空(欺瞞の世界)を張りめぐらす必要があるのだろうか?頭上に青硝子が張られても、そんなものは、いままで存在しなかったかのように、その上に広がる本物の天空の彼方を、われわれはじっと見つめるのである。…最も裕福な時に、心は最も貧しく見える。他人の欠点を見つける人間は、自分が天国にいても、同じようなことをする。…それより、貧困を育てよ。薬草を育てるように。聖人がやったように。衣服にしろ、友人にしろ、新しいものを手に入れるために、そんなに思い悩むことはない。古いものに心を向けよ。そうしたものに心の故郷を求めよ。物事は変わることがない。変わるのはわれわれ人間である。衣服を売り払い、君の思想は手放すな。…さらに、人が貧困によって、自分の活動範囲を狭められたりすると、また本や新聞を買うことが出来ないと、最も重要で、意味のあるさまざまな経験だけを頼りにする以外にはない。…余分な富を持つと、余分なものしか購入しない。魂が必要としているものを購入するのに、金銭などは必要ないのである。…目立つような場所で虚栄心まるだしにパレードして歩くのではなく、出来るものなら、宇宙の《創造者》と一緒に歩きたい。今日のような、せわしない、いらいらする、騒々しい、こせこせした十九世紀に生きるのではなく、時代が去るにまかせ、私は物思いに耽りながら、立ったり坐ったり、気儘に生きたいのである。「森の生活」 ヘンリー・D・ソロー 佐渡谷重信訳 より
2007.11.18
「昔の人は頭が良かったんだね!」とは、昨日の会話の中で十歳の娘が放った名言。情報にまみれて自分で考えることをしなくなった現代日本人たる私の頭は情けないほど退化しているのか老化しているのかそれが何に対して発せられた言葉であったかいくら思い出そうとしても思い出せない。あらゆることに情報が張り巡らされ物事には原因や理由や過程はさておき結果ばかりが追及されその結果も情報として消化され私達の頭の中にはいったい何が残るんだろう。物も情報も限られた世界で不自由ながら自分で考えてだす結論はみんなてんでばらばらでどうしようもない馬鹿げたのもあるだろう。そんな試行錯誤の繰り返しのうちにすごい智恵も築かれていくんだろう。だからきっと昔の人は頭が良かった。(昨日その言葉が出たときの会話は、風呂敷についてのものだったと、学校から帰った娘は即答してくれた。)
2007.11.17
豚や牛や鶏はおろか、魚すら自分の手で殺生できぬそれでいて驚くべき多量の雑多の肉を貪る日本人「食らう」行為は「あやめる」行為に同じはず他人を思いやる心を説きながら差別・村八分をせずにはいられない日本人自由や個性の尊重を掲げながら差異は排除する日本人殺伐とした時代を偏狭なヒューマニズムやセンチメンタリズムや優しさで馴れ合っているよりむしろ豚でも牛でも鶏でも魚でも自らの手で殺めて食らうことをしてみたらよほど道徳に適おうというもの殺伐とした時代を嘆くよりリアルな生と死をもう一度受け入れるほうがはるかに人間的進歩に違いない
2007.11.16
経済大国を築いて、豊かになって物も情報も大量に手に入るようになって古い道徳や、宗教を信じられなくなって代わりの規範が無くなっておびえたり戸惑ったり逃避したりすがったり群れたり疎外したりキレたり諦めたり歌ったり踊ったり遊んだり依存したりしながら私たちは生きている私たちはどうすればいいの?だれか助けて!神様!仏様!マリア様!イエス様!天神様!梵天様!アッラー様!エホバ様!孔子様!クリシュナ様!江原啓之様!キムタク様!松潤様!etc!etc!!どうすればいいのかって答えはもうすでに出ているただ、世の中は愚かな民衆を愛するエライ人々によってまわっている都合上それはしまいこまれているだけのこと
2007.11.15
以前のブログに、バリのまずいおやつタイムというのを書いた。そこへこうメッセージを書いてくださった方がいた。> インドネシアのチョコレートは本当にマズイですね。> インドネシアに限らず途上国のものは皆同じ状況のようです。> これはバリの人が上手く作れないんじゃなくてお金持ちの国が良い原料を高いお金で買っているからなのです。> コーヒーでもお茶でもカカオでも原料の輸入関税は低いけど、加工品は高いから現地産業が育成されないんです。> この不公平がバリのチョコを不味くしているんですよ。つまり我々のせいなのです。私は返事を出した。「確かに、ここはカカオや紅茶の原産地にもかかわらず、品質の低いものしか手に入らない。そしてそれが私達の国、先進国のせいでそうなっていることもわかる。しかし私がブログに書きたかったのは、チョコレートのまずさが原料のためだけでなく、添加物によるものであることをいいたかった」、という内容だ。さらにそれに対して頂いた返答を、ここに紹介したいと思う。ご当人からは、載せるのなら、「やんわりと」、と忠告頂いた。観光地であるバリに対して、悪いうわさが立つと、ここで観光を生業としている人たちに迷惑がかかるからだ。どう「やんわり」書こうか迷った挙句、メールの主要な部分をそのまま載せることにした。これは誹謗中傷などではなく、現実を知る、という意味で書かれているし、読んでほしいと思うからだ。最後の、知れば知るほど我々と関わっているゆえ、痛々しい思いがする、という感覚は、私もずっと抱いているし、多くの心ある旅行者、在住外国人も同じと思う。>> ただ、私があの日記で書きたかったのは、ここのチョコレートには、得体の知れない添加物が沢山混入されている、という点なのです。> これにはいろいろな問題が関わっていますね。> スハルト時代にお金優先の国になって誰もが借金しながら工業生産された物品を買う時代になり、そのために外国からの投資も呼び込みました。> 中国系の人が中国からいろいろな製品をインドネシアに運びました。> 中国政府は外貨欲しさに輸出奨励金と言うドーピングでいいかげんな物や食品を輸出しています。> インドネシアは産油国ですし木材、海産物、嗜好品などの1次産品を輸出して儲けながら自国の国土を破壊しています。> 人工衛星を打ち上げる国のくせにネジ1本すら中国製に頼っています。> 中国のドーピングのために産業の発達ができない部分も大きいのです。> 変なバランスの国になってしまっています。> 長い間の独裁政権をそれが安定していると言うだけの理由で、これは軍隊が自国民に銃を突きつけて実現していたのですが、インドネシア人の安全や健康や人権を害している状態をアメリカと日本は戦後からずっと放っておいたのです。> 発言力があったにも関わらずです。> バリは観光資源があったので特殊な発展をしました。> 現在バリで我々が伝統的な資源と思っているものは全て外国人のための物です。> 通りの途中に割れ門がありますが、あれは「観光用に家屋などをバリ風にせよ」と言う法律を作ったおかげでできたものです。> 一般家屋にあるバリ風と言われる意匠も全てそれです。> 木彫り、絵画、染物、アタ製品、皮革製品その他全てヨーロッパ人がデザインを持ち込んで作らせたものです。> 踊りもそうです。> あれも数千年の伝統で行われているように観光客は思いますがUBUD地区にあのスタイルの音楽や楽器があるのも割りと最近(数十年の単位)に他の地区から入れたからです。> そう言ったことがいろいろ重なって今のバリとバリ人を作っているようです。> つまり現在のこの状態は日本人が考えるように「伝統が残っている」状態ではなくて、それを変化させながら作っている過程だと考えられるのです。> バリは外国人にとってパラダイスであるのは、理想郷だからではなくて、我々と我々が持ち込んだ多くのものを「許す」ことによるのだと思います。> 彼らは我々を許すことによってあのような身体に悪いものを食べる習慣、環境に悪いものを使って消費する習慣を身に付けているように思うのです。> 実は私も10年ちょっと前にバリに3年間住んでいました。その頃もバリの海は汚染されていて、私は海の水に触れたのが多分3年間で5回も無かったでしょう。> 川はペットボトルやビニル袋だらけ、Batikの科学染料廃液も流れていきます。> なのにそこで肉を洗って食べているのです。> 男の子の赤ちゃんもより女の子の生まれる確立が異常に高いのはそんな事が関係しているのかどうかわかりませんが、奇形児もかなり多いのです。> とても痛々しい思いがしました。> 知れば知るほどそれが我々と関わっているのです。バリという楽園に癒してもらう見返りに、私たちがしなければいけないこともある。現実を知る、というのもその一つになる。
2007.11.14
憧れの楽園バリにヴィラをお考えの方へ…[バリの土地] -バリ島の英字フリーペーパー記事から 抜粋要約してお届けします。-バリの不動産雑誌に載っているたくさんの売り地広告の写真。そのほとんどは、田んぼ。そしてほとんどの広告は、FREEHOLD(自由保有権)をうたっている。ここには2つの重要な事実が隠されている…バリの土地権利に関する法律問題と、バリの農業地の減少問題。インドネシアでは、西洋社会で言う土地の自由保有権などというものは、外国人には認められていない。www.BaliDiscovery.comの、ライニ・ヘンドリヤニさんのインタビューによれば、「いかなる状況によっても、インドネシアで外国人がHak Milik(=Freehold,自由保有権)によって土地を所有することは不可能である」ライニさんいわく、「’自由保有権’として売られる土地やヴィラは、書類上の名義人とか推薦人としてインドネシア人の名義を利用する。これは契約を書き換えることさえ可能な危険を伴うわけで、場合によってはとても不幸な結果を招きかねない。」この話の全容はBaliDiscoveryのウェブで読むことができる。「外国人がインドネシアの法廷で裁判に勝つことはありえない。」「あなたは、自分の国で、知らない人名義の家を買いますか?買わないというなら、なぜ知らない国で、そんなことをするんですか?」「自分の国では中古車を買うのさえ慎重にも慎重を重ねる人が、バリでは何も現実を知らなくても不動産契約してしまう。」18年の東南アジアの経験から言って、契約というのは、アジア人のパートナーや地主との友好に役立つ意外メリットはない。つまり、外国人はパラダイスを所有することはできません、以上。おしまい。仲介業者が安く買い叩くから、バリの農民は土地を手放しても儲からない。土地の売買で生じるお金はみんな外へ流出していく。2005年2月のバリポスト紙によると、バリの観光業開発投資の85%はバリ人以外の投資家にコントロールされている。バリの地価高騰は、貧しい農民を惹きつけるが、農民が農地を手放すほど悲しいことはない。子供のために土地を売って、車やバイクを買っても、数年で資産はなくなり、土地は永遠に戻ってこない。さらに地価の高騰は、バリ人の雇用も脅かす。ヴィラなどの建設には、安いジャワやロンボクからの労働者を雇い、出来上がったヴィラで雇われるのは、数名のジャワ人スタッフだけだ。バリの農地は毎年1500ヘクタール減っている。食糧危機が緊急課題の国の、小さな農村の島で、農地を島民から取り上げるのは、バッドアイデアなんてものじゃない。気違いじみている。今、バリに乱立しているのはヴィラじゃない。全部一緒のタウンハウスだ。世界に唯一つのバリを、フロリダにしようとしている。最初に、人々がバリに惹きつけられた、その本当のバリの魅力はいまや、コンクリートに埋め立てられてしまった。もしもあなたがどうしてもバリにヴィラを建てなければならないのなら、農地が少ないブキットか、ビーチや川沿いのバリ人が使わないところで建ててください。そして、子供に相続させる資産としては期待しないように。「バリのヴィラはまるでトレーラーハウスみたいだ。トレーラーハウスは持っているけど、置き場所は借りるだけ。」(from 'GREENSPEAK' by Ibu Kat/24.oct.'07)
2007.11.05
[インドネシアの食糧危機] -バリ島の英字フリーペーパー記事から 自然環境に関するトピックを 抜粋要約してお届けします。-アディおじさんは、憂慮した。統計によると、インドネシアの人口は2030年には、2億3000万から4億2500万人にまで増加する。そこで問題になるのが食糧危機。どうやってその人口増に食料(主食)を間に合わせるか。あるジャーナリストによると1、米の作付面積を倍に増やす。…人口増による工業発展、ヴィラ開発は、農地を減らしても、増やしはしない。2、米の生産高を倍に増やす。…そういう農法に対応できる農民は25%以下に過ぎない3、人口増加率を0にする。…ありえない4、主食の米依存率を50%にへらし、地元の他の農産物を代替にする。…それだ!アディおじさんは、好物でもある伝統食・ウビィ(イモ)を使って何とかできないかと考えた。1960年代、スカルノ大統領の時代には、米のほかに芋、タロイモ、とうもろこしを食べるのを奨励していた。試行錯誤の末辿り着いた米70%、ウビィ30%のご飯は、栄養価も高くなる。あと20%を豆類に変えれば、完璧な主食になる。彼は去年、デンパサールに店を開いた。地元テレビにも紹介され、評判は少しづつ広がっている。トレードマークの、紫と黄色のナシチャンプール、ジュース、アイスクリーム、そしてウビィペースト。その他、地元産ココア豆、ココナツオイル、ウビィ粉、砂糖、ピーナッツを使用したブラウニー。政府がこういう先見の明を支援したらいいのだけれど、どこの国でも同じよう、23ヶ月先はもとより、23年先のことなど眼中に無いようだ。アディおじさんの孤軍奮闘は続く。高校生への農業指導、村の女性へのウビィを使った自立指導、栄養指導、貧困地域へのウビィ作りの奨励…。今度デンパサールに行くときは、紫が目印のアディおじさんのワルンへ行ってみよう!'Sela Boga'(Jl.Teku Umar 238, Denpasar)Pak Adi 0811 397 590email: adi_kh@hotmail.com(from 'GREENSPEAK' by Ibu Kat/ 29.aug.'07)
2007.11.03
さらにバリ日本人クラブの書庫から金子光晴 「西ひがし」 (やっぱりはまってしまうこの飄逸)内田百けん全集 (おもしろい!)嵐山光三郎 「文人悪食」 (おもしろいのでR)壇一雄 「壇流クッキング」 (ついつい喰い物の本が多くなる)柄谷行人×岩井克人 「終わりなき世界」 (90年代の入り口)浅田彰×田中康夫 「憂国呆談」 (90年代おさらい)ニーチェ 「道徳の系譜」 (目蓋が下がってくる)南島読書は今日も続くバリの環境問題http://plaza.rakuten.co.jp/yaponesian/10000バリのおやつタイムhttp://plaza.rakuten.co.jp/yaponesian/11000
2007.08.16
ここでの読書は専らバリ日本人クラブの書庫による。日本の図書館には遠く及ばぬもののなかなか面白い本も多い。山田風太郎 「同日同刻」南方紀洋 「天皇に関する12章」愛新覚羅浩 「流転の王妃の昭和史」井伏鱒二 「黒い雨」 天皇制について論じられるのはなぜなのかすら 未だに良く理解していないので、折りしも8月、 これらの本を読んで勉強する。ノーマンメイラー 「聖書物語」 イエスの一人称による、イエスキリスト小説。 聖書を読んでも??だけど、これなら分かり易い。水上勉 「土を喰う日々」 精進料理12ヶ月。 読んで美味い。 自分がいるのと同じ土から生まれるものを食う。 世界中の美食を貪り飽食する都会人には究極。
2007.08.15
ここでのささやかな楽しみの一つに読書がある。最近の読書からいくつか。森茉莉 「私の美の世界」 タイトルを見て森瑤子とか美輪明宏の顔が浮かんでしまう。 おっと違った、文豪オーガイの娘だ。明治女性の慧眼。 にしても、40年前の日本は今のバリ島と同じだなー。森敦 「わが青春わが放浪」 壇一雄、太宰治、横光利一らとの交遊など 文壇が文壇だった時代の匂いに満ちている。内村鑑三 「後世への最大遺物」 森敦「わが-」に出てきたので読んでみる。 現代日本の政治家官僚財界人など、 内村鑑三を読んで出直しては如何か。 平成のエライ人たちより、 明治の国賊のほうが マトモな事言ってるんだから 人間社会なんてちっとも進歩しないもんだ。
2007.08.14

バリにも、子供のための環境教育を実践しているNGOがちゃんとあります。PUSAT PENDIDIKAN LINGKUNGAN HIDUP BALI、略して’PPLH Bali’。(BALI ENVIRONMENTAL EDUCATION CENTER=バリ環境教育センター)SEKOLAHKU HIJAUというプログラムで、公立の小学校を対象に、環境教育の特別授業を行っています。ゴミの分別処理や堆肥作り、手漉きリサイクルペーパー作り、水質調査などを通して、環境問題を身近に学べるプログラムです。これはそこで発行している冊子。PPLH Baliでは、環境教育活動への支援金を募っています。興味のある方は、ウェブサイトもご覧ください。PUSAT PENDIDIKAN LINGKUNGAN HIDUP BALIウェブサイト: www.pplhbali.or.idEメール: info@pplhbali.or.id住所: Jl. Hang Tuah 24, Sanurバリの環境問題http://plaza.rakuten.co.jp/yaponesian/10000バリのおやつタイムhttp://plaza.rakuten.co.jp/yaponesian/11000
2007.08.13

バリの子供たちに、環境問題を考えるきっかけを与えるべく、こんな冊子を作りました。ここはまだまだ発展途上国なので、子供への環境教育など後回し、というのが現状ではありますが、これだけ先進国人が押しかけ、乱開発を進めているのですから、環境教育も、同時に進めなくてはいけません。後で被害にあうのは間違いなく、昔からここに住む島民たちなのですから。とはいえ、生活に手一杯な人々に環境問題を考えろ、というのは無理なこと。まずは、この島の発展で豊かになって、大量消費社会を謳歌するのに余念のない階層の人々に、問題意識を持ってもらうのが最初。環境汚染されたパラダイスには、ツーリストだって来なくなっちゃうよ、おまけに自分たちの健康だって、危険にさらされちゃうんだよ、ということを、人々に認識してもらうのがねらい。バリの環境問題http://plaza.rakuten.co.jp/yaponesian/10000バリのおやつタイムhttp://plaza.rakuten.co.jp/yaponesian/11000
2007.08.12
今年も、サヌールビレッジフェスティバルが開催されます。期間は8月15日~19日インナグランドバリビーチ(Inna Grand Bali Beach)とセガラビーチ(Segara Beach)にて期間中は、音楽、踊り、パレード、ゲーム、凧揚げ大会、ゴルフ大会、ビーチヨガなどなどイベントが盛りだくさん。フェスティバルに先駆けて一週間前から始まるアートエキシビションは、100人以上のアーティストが参加して、サヌールの5つのギャラリーにて一ヶ月間開催されます。やぽねしあんも陶芸作品を出品予定!サヌールビレッジフェスティバルwww.bali-sanurvillage.cominfo@bali-sanurvillage.com
2007.07.23
ひと月ほど前から、生ゴミを土に還すことにしている。と言っても、小さい庭の植込みの片隅に、野菜、果物の皮やクズを捨てるようにしただけだ。鶏肉の骨や魚のアラ、骨は別にして野良猫のえさにするから、荒らされることも無い。二ヶ所を捨て場所に決めて、一つ目が一杯になると土をかぶせておき、もう一ヶ所に捨てた。その二つ目も一杯になった今日、最初の捨て場所を見てみると、もうほとんどのゴミが分解されて、土に還っている。さすが、熱帯の土壌の分解力は強力!早速その土になったのを、二つ目のゴミ捨て場にかぶせた。そしてまた一つ目の場所に、今日のゴミを捨てた。ゴミを捨てているというより、元の場所に戻しているんだ、という気がする。庭はきれいに作られているけれど小さくて、土のある面積はすごく狭い。この家のバリ人の大家さんは、庭土が痩せてくると、わざわざ土を他所から買ってきて足してくれる。それに落ち葉や花を掃いては、他のゴミと一緒にして回収業者にお金を払って持って行ってもらっている。でもそれだったら、落ち葉も野菜くずも土に還す方が、よっぽど合理的だし、何より自分もこの庭の生態系の一部に関わっているんだという感覚が私は好きだ。本来なら、果物を食べた後、種をプップッと土の上に吹き出しただけでも勝手に芽吹いてくれるような、豊かな土壌なのだ。だから今度は、食用植物を作ろう。
2007.07.22
インドネシアでも、子供のおやつにチョコレート菓子はポピュラーだ。でもここのチョコレートはまずくて、日本のカカオ風味豊かなおいしいチョコレートを食べた口にはとても食べられたものではない。(いつだったか、日本人旅行者に、「バリ土産にチョコレートを買いたいんだけれど、どれがいいかしら」とスーパーマーケットで尋ねられ、「ここのチョコレートはみんなおいしくないです」と身も蓋もない返事をしてしまったことがあるけれど、実際、そのとおりなのだ。)単にカカオをケチって増量材でごまかすだけなら、熱帯仕様で溶けにくくしてるんだろうとか、安いことだし仕方がないと納得するところだけれど、どうもここの廉価チョコレートには、それ以外に変なものが入っている。口に入れたときに一杯に広がるのは、金属の味。銅?鉛?これはいったい何?初めて食べた時はびっくりした。たぶん防腐剤の味なんだろう。チョコレートだけでなく、あるバリの伝統菓子をもらって食べたときも、その味がした。その味は、味というより歯にしみて、さらに頭へ響き頭痛を誘うような、おかしなものだ。ここの子供たちは、そういうチョコレートを、日々のおやつに食べている。あのおかしな味の正体は一体、何なんだろう。バリでは、カカオの実が採れるというのに、何でこんなおかしなことになるんだろう。チョコレートの原料となるカカオの種の周りには、甘酸っぱいライチみたいな果肉がついている。そっちを食べていたほうが、よっぽどおいしいというものだ。ちなみに種からチョコレートを作るのは、前に一度試したけれど、すごく手間がかかる上、なめらかなチョコレートにはならず、チョコレート味のざらざらしたお菓子になってしまうから、やっぱり市販の、防腐剤味のしないチョコレートを買ったほうが子供は喜ぶ。もっともそれはそれで、私には素朴でおいしかったけれど。
2007.07.21

環境問題とか、堅い話ばっかりじゃ疲れちゃう!ここいらでちょっと、おやつの時間。バリの伝統菓子(ジャジャン)は、基本的にもち米、ココナツフレーク、ココナツミルク、ココナツ砂糖などが原料なので、ココナツフレーバーがしなかったら、まるで日本のお菓子のようで、日本人には懐かしい味がします。これは、ターペというお菓子。かなり独特の味で、好みの分かれるところだけれど、あまーい吟醸酒?のような味が病み付きになってしまう。添えられた塩味のココナツ餅と一緒に食べると絶妙!他にもお勧めのバリ菓子、いろいろ集めてみました。バリのおやつタイム
2007.07.11
こんにちは。昨日は友達とドライブに行って来たんだけど、そこにゴミ捨て場があって、あんまりすごかったので、写真を撮ってきました。ウェブ上にページを作ったので、見てみてください。バリの環境問題Environmental Awareness in Bali
2007.07.10
こんにちは。お手紙ありがとう。返事が遅くなってごめん。今私は、前から気になってるバリの環境問題に、微少ながら形を与えようと動いてます。一人でやってることに、どこまで効果があるのかは分からないけれど。私は外国人滞在者のわりには、ずいぶん短期間にここの社会を見すぎてしまった気がしてる。それは一つには、私が土器村を通してここを見ていること、二つめに、子連れで滞在していること、そして三つめは、私自身、滞在資金が潤沢でないために、なんでも自分でやらざるを得ない状況にあること、などに由来しているんだと思う。その結果、私はここに自分が住んでいることに、罪悪感すら感じるようになってしまった。それで罪滅ぼしに、そんなことをしてる、というわけ。私は日本で、物質的に何一つ不自由の無い、恵まれすぎた生活を送ってきた挙句、本当に自分に必要なものはごく僅かしかないことに思い至って、恐ろしく生産性が低いけれど、その分省エネでエコフレンドリーな退行生活を送っているわけだけど、ここの一般庶民の生活は、初めっから兎に角何も無い。だから逆に、いつかは浪費生活。。。と夢見ている。でも、何も無い、というのは、先進国からやって来る人々が持ち込む価値観で見るからであって、本来、彼らの社会の中では、彼らはさほど貧しくは無かった。よそから人々が押し寄せてきたために、相対的に貧しい、ということになってしまった側面が大きいと私は思う。発展は、外国人が来なくても進むんだから仕方が無い、という人もいるけれど、やっぱり外国人が来るせいで、バリがいびつに発展していることはバリ以外のインドネシアを見れば一目瞭然だよ。外国人在住者の中にはは貧しい村のためにとボランティア活動したり、金銭援助したりする人もいるし、そしてそれは、博愛精神の、尊ぶべき行いではあるのだけれど…実際はそれより、この島にやってきては、自分の国に住むのと変わらないような快適な暮らしを求める植民者(はっきり言ってそうでしょ?禁句だけど)と、「神々の島で贅沢な癒し」を求める観光客が減ることの方がずっと、この島の幸せであるような気が、ずっとしている。それがつまり、最初に書いた罪悪感の正体なんだけど。だってそうやっていくら観光産業、外国人向け産業が発展したところで、それは結局資本家(しかも多くは中華系ジャワ人か、外国人)を肥やすばかりで、貧富の差は広がる一方なのだから。そんなこんなだから、ここの現実をまともに見据えると、大抵の人は憧れてやって来るにもかかわらず、そのうち帰っていくわけでしょ?そしてまた別の人がやって来る。その繰り返し。世界的に見ても、すごいアナーキーな場所なんじゃない?バリはインドネシア観光産業の目玉商品だから、そういう部分は隠して見せないけれど。今年の京都環境会議が、12月にここ、バリで開かれるんだって。それで思い当たるのは、最近やけに、外国人コミュニティで環境問題が取り上げられてるって事。環境問題はここの人にはまだ全然教育されて無くて、それでいて大量消費社会だけ始めちゃってるから、ひどいことになってる。だから、外国人のその活動自体は喜ぶべきことなんだけど、今この時期にやたらみんな環境問題やってます!って宣伝してるから、最初は素直に感心してたけど、だんだん、ビジネスの臭いがぷんぷんして来る様になって(だって世界の注目を浴びるんだもんね)…。でもまあ、これでバリが本当にきれいな島になってくるなら、いいんだよね。でもなんか、外国人ばっかり盛り上がってて、肝心のインドネシア人に浸透しないんじゃないかって危惧はある。私はその盛り上がりを横目で見つつ、思うところを地道にやってます。いっつも島暮らしの愚痴みたいな手紙につきあわせてるね…。今度はもうちょっと楽しいことを書くからね!日本の人たちは今、どんなこと考えて、どんなことしてる?また手紙ちょうだいね。待ってるよ!じゃまた。
2007.07.09
元気ですか?東京はまだ、梅雨の最中かな?でもきっと、世界的な異常気象だから、普通の梅雨じゃ無くなっていることでしょう。バリもここ数日、乾季だというのに雨が降って、寒いような日が続くし、変に波が高くなるし、これが天災に繋がらないことを願うばかりです。今はちょうど、バリヒンドゥー教のお彼岸に当たる時で、バリ人は忙しそうだけれど、私はのんびり過ごしてます。家から道一本隔てた向こうがすぐ海なんだけれど、立ち並ぶホテルに遮られていることもあって、海にもあまり、行っていません。ここに来たばかりの頃は、子供と一緒になって毎週のように泳いでいたのだけれど、今では海の汚さがあまりに目に付いて、泳げなくなってしまいました。小笠原や石垣島の海なんかと比べたら、汚いし、魚も少ないし、魅力的じゃない…。そうそう、この間、イルカと泳げるプールのあるホテル、というのに行って来たんだ。南部ビーチリゾートからはずっと遠くなのに、そこの海も海岸がヘドロ化していて、汚かった。イルカのプールは、海岸から少し奥まったホテルにあって、沖合い300mの海水をポンプでくんできているらしい。人間にとっては充分でも、イルカにとっては全然狭いプールの中、しかも塩素消毒された海水だし、イルカはストレスとか、環境の悪さで、きっと長生きできないと思う。そこにセラピー用のオスが2頭、ショー用のオスメス1頭づつがいるんだけど、セラピーイルカは、オス2頭でいるストレスなのか、女性がプールに入ると発情して猛アタックで、一般的なイメージの、優雅にイルカと泳ぐって感じじゃ全然無かった。まるで大型犬が興奮してじゃれ付いてくるような感じ。子供やリハビリの老人には、そこまで露骨ではなかったけど…。ショー用のイルカのほうも、オスはまるで痴呆老人の体で、ショーが無い間中、ずっと同じ場所に同じ姿勢で、ぼーーーっとしているの。メスはその反対側で、つまらなそうにしてるし。でも、その女の子イルカは、なでてあげるとすごく嬉しそうにおなかを出して、もっと撫でてー!ってして来て(やっぱり犬みたいでしょ)、この子と泳いだら楽しかっただろうになー、と思いました。でもこの子も、馴れないうちは威嚇してきたよ。やっぱりイルカの性格で、ショー用とセラピー用に分けてるんだって。(私は動物と子供には慕われる…)人間を癒す為連れて来られたイルカ達はとっても痛々しくて、楽しい体験ながらも、とても心が痛むものでありました。まあこれは、早晩動物愛護団体が、クレームをつけるのではないでしょうか。尤も上野動物園のトラもノイローゼで、見るに耐えないものがあるし、これはイルカに始まった問題ではないか。バリにはサファリパークも出来るというし、動物達の受難はまだまだ続きそう…。美しい自然を見る資格のある人間は、そう沢山いないはずなのに、誰もがそれを見ることを当然の権利のように要求し過ぎなんじゃないかな。それでいて危険な自然は受け入れないんでしょ。私はだから、ダイビングができない。写真で目にする美しい世界は、私が近づけない世界に存在するものだと思っているから。シュノーケリングで海面から見ているだけで、とても恐怖を感じる世界だから。そのイルカホテルは、最近日本人向けのプロモーションを始めたそうだから、今後、日本人観光客が一杯やって来るかもしれないね。ではまた。
2007.07.08
こんにちは。最近はインドネシアも少し近代化したらしくて、手紙は一応届くようになったみたいだね。(でも、物はまだまだ、へーきでなくなる。友人は皆、日本からの荷物から、品物が抜き取られるとこぼしているよ。その上、関税だとか言って、領収書の出せないお金をせしめようとするんだから…)まあ、そんなインドネシアに悪態つきつき、結構楽しんで暮らしてます。日本的「和」、「協調性」を重んじる人には苦痛、それが出来ずにはみ出してしまう人には、吹き溜まりのような居場所になってしまう所、それがバリのようです。(バリ人には堅固な共同体があるけど、私たち外国人には、無法地帯な訳です)いろいろバリとインドネシアのこと貶しているように読めるかもしれないけれど、わりと真面目に心配しています。尤も私一人が憂えたところで、どうにかなるわけではないんだけど。発展途上国は、先進国より遅れてくる分、先進国の間違っている部分を反面教師に、もちろん良いところはどんどん真似て、賢く発展することも可能じゃないかと思うんだけど、やっぱり人間て、一部の人間の富のためにしか発展できないのかな。インドネシアは、これから国民の教育を高めて、そうしたら正しい志の指導者が増えて、良くなっていくのかな?楽観的観測としては。あと30年くらいしたら、変わってるんだろうね、きっと。インドネシアは現代国家のベイビーだもんね、まだ。それじゃ日本は?って考えると、もう成人してるみたいだけど、なんだか頼りなくて、もうちょっと大人の自覚持って頑張ろうよ、って気がする。この前もらった手紙にもあったけど、「集団意識」みたいなのが、日本にとってはやっぱりすごい足かせだと思う。村社会を現代都市にひきずって、上手く融合させるんならいいけど、どっちかというと、都市機構を村のメンタリティで歪めてる弊害のほうが大きい。何とか上手く、村意識の良さを都市に取り込めたら、日本はすごくいい国になれそうな気がするんだけど。アメリカ式の契約社会というのは日本には合わないことだし。日本的に相手を慮る部分は大事にして、でも、長いものに巻かれろじゃ無く、自分で最後まで考え抜く意志が持てると良いよね。同時に相手の意見を聞く耳も持って。何しろ、宗教とか、既成の価値観は否定しちゃったんだから、その分、自分の頭で考えないと。私たちはちょうど、そういうハザマにいる世代だから、キツイんだと思う。ほら、もっと下の世代に行っちゃうと、何か突き抜けちゃってるよね。あれはあれで、ちょっと危ういものに見えるけど。何かディズニーランドみたいな幻の社会を基盤にしてるから、その土台が消えたら通用しない…みたいな。日本人がどこに向かうのか、とても興味深い。他人の「違い」に寛容な社会になって来たら良いよね。無関心に向かわないで。政治家とか宗教家とか思想家とかは、もっと建設的であって欲しい。そういう誰かがスパーンッ!と解決してくれたら良いけど、結局一人一人が変えていかないといけないって事だよね。それこそが今の日本に足りないもの?という気がするし。そうそう、バリでは今、やっぱり海が変なの。水位が上昇してる。地球はどうなっちゃうのかな?こっちで、手塚治虫の「ガラスの地球を救え」という本を読んだんだけど、今頃やっぱりすごい人だったんだなーと感心してる。鉄腕アトムの時代から、21世紀を予測して警鐘を鳴らしてる。地球はおかしくなってるし、私はこんな原始的な未開の島で何の保険も無く暮らしてるしだから、毎日死なないようにがんばりつつ、いざという時の覚悟もしつつ、思い残しの無いように暮らしたいと思ってる。サバイバルだよ。日本(特に東京)は、そういう生存の危機にさらされない分、精神的にもろくなりやすいからね。バリに鍛えられてる。(単に図々しく、だらしなくなっているだけ?!)もうちょっと鍛えたら、日本に帰ろうと思います。それではまた。
2007.07.07
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