2005.06.01
美術館の車椅子
地区のリレーを走ってアキレス腱を切ったことがある。がつんと後ろから叩かれたよ
うなショックがあった。地面に叩き付けられるように転がった。医師のすすめで入院
の必要無いギブス固定で治療した。
怪我の数日後、運転して方々の美術館をまわりはじめた。はじめて、美術館で車椅子
を借りる。車椅子は思っていた以上に前後左右にスムーズに移動することができた。
車椅子から見る作品や美術館の空間はいつもとは違った感覚を私に与えた。
車椅子で鑑賞しやすい美術館とそうでない美術館があることに気づいた。
2005.06.02
一番恐かった夢
私は宇宙の暗闇のなかに浮かんでいた。無限大の遠くの闇に針で引っ掻いたような光が走った。その光は金属音を伴ってだんだん大きくなった。宇宙は外縁からものすごい速さで物質化した。私は閉ざされ居場所を失う。最後に私の心臓がどきんとなって結晶化し時間が止まった。そのとき私は金属でしかなかった。一瞬の出来事だった。私は金属の宇宙として消滅した。
2005.06.03
ドキドキした恐い夢
町内で蛇が見つかった。大人が総出で野外に追い出した。
その蛇が勢いよくジャンプして私の咽の奥に噛み付いた。
いくらひっぱってもとれない。ドキドキした。
2005.06.04
散歩の幻想
あるとき言葉で音楽の結晶をつくることを仕事にしている女性から小さな白い花の名
前を聞いた。私は乱暴にその花をちぎって食べた。かすかに苦味のある緑の味がした。
彼女は素早く私に唇を重ねて、白い花食べたのと笑った。
考えてみるとそのとき音楽に関わる人とはじめてキスをした。太古より音楽に関わる
人は天上の仕事をまかされ、美術に関わる私は地上の仕事を与えられている。
私は天上の仕事をする人も暖かくやわらかな身体を持っていたことをはじめて知った。
散歩の途中に川面の風を感じて一瞬、そんな情景が脳裏をよぎった。
2005.06.05
散髪屋さんはかえられない
今日は散髪。子どもの頃から育った街の散髪屋さんに2時間ほど車を飛ばして出かけ
た。散髪はすべておやじにおまかせ。これで仕事をするのは気合いがいりますよとふ
ともらしてからは比較的大人しくやってくれるようになったけれど、絵描きさんなの
だからとほとんど金髪に近い色に染められたこともあった。おやじは今年で57歳。パ
ンチパーマを得意とするが需要はけして多くない。
散髪するといつも少しだけ若くなる。気のせいかな?
2005.06.06
『ブリコラージュ』展
大阪の万博公園にある民族学博物館で開催されている特別展「きのうよりワクワクしてきた。」ブリコラージュ・アート・ナウ 日常の冒険者たち展に出かけた。
美術家が世界各地の生活雑貨を散らかして並べ替え自分達の作品を少しだけ混在させたような展覧会。常設展を見て民俗学博物館というのは生活雑貨の標本箱みたいだと思った。
生活のすべてを博物館に詰め込むことはできない。
昆虫採集されたアゲハ蝶は飛ばない。
『ブリコラージュ』展は昆虫採取されたアゲハ蝶を少しだけ羽ばたかせようとする試みかもしれない。
2005.06.07
白黒テレビの格闘技
アトリエの白黒テレビの音を消してK1を見たことがある。BGMはジャズ。
チャップリンの映画か、激動の昭和の記録映画のように見えた。
人が生身で真剣に戦う様子が郷愁を誘う。
2005.06.08
最後の日
楽しいことも、苦しいことも際限なく、お互い負けず嫌い。このまま会い続けているとどちらかが死んでしまうのではないかと思えた。ドキドキするかと聞かれて、ドキドキしないと答えた。そのとき一番好きだった。
2005.06.09
父の遺言
父は家族に遺言を残した。母には感謝の言葉。
そして、子どもには「兄弟仲良く」の一言。
2005.06.10
第一印象の法則
人は初対面でよい印象を持った人のよいところだけを記憶し、悪い印象をもった人の
悪いところを探しつづける生き物である。調子の悪いときには誰にも会わない。けし
て不可能ではないが、第一印象の汚名をはらすほどむずかしい仕事はない。
2005.06.11
富と名声
人はどれくらいの富を手に入れると狂ってしまうのだろう。
誰かがアトリエにある作品のすべてを買ってくれたらどうだろう。
何も無くなったアトリエで私は何を考えるのだろう?
むしろ、名声を手にしたとき、自分では気づかずに嫌な言葉を吐くかもしれない。
富と名声を手に入れたときには謙虚に生きよう。
(みんなに杞憂だと笑われそうだ)
2005.06.12
服をつくる人は服を売る
昨日は彫刻をつくるKくんとその友人の服をつくる人とJRの高架下の小さなイタリア料理屋で呑んだ。若いストリートな感じの男の子がふたりでやっている店だ。夜がふけるとおしゃれな若い女性でよい雰囲気ににぎわった。料理は不思議なほどにうまい。
服をつくる人は、芸術家も作品を持って売りに行くべきだという。彼も若い頃は服を持って地方をまわり、服をあつかってもらう店を探した。地方から火がつけば東京のお店は向こうからやってくる。調べたり、紹介を求めたりせずにゼロから接するのがおもしろいという。
Kくんと私は芸術というローカルな沼地に生息している生き物かもしれない。美術で仕事をするためには沼地から抜け出す努力をしなければならない。
服をつくる人からたくさんのヒントをもらった。
2005.06.13
泣く女
北の方角に用事があったので、そのまま日本海まで車を走らせ琴引き浜 に辿り着いた。もずく取りに来た男がひとりいて、私が来るまで海にいたのは自分ひとりだったのでどうしようかと思案していたという。たしかに誰もいない6月の海にひとりで入るのは勇気がいるのかもしれない。私はすぐに海に飛び込んで泳いだ。海に浮かんで浅瀬の砂に映る光の動きを見るのが好きだ。琴引き浜の砂は石英の粒子でできていて歩くと音がする。
いつもはキュッキョッという音。今日は手のひらと腕で女が啜り泣く泣き声のように砂を鳴かせた。灼熱の真夏とは違って砂浜の温度も人肌。ほんとうに私の腕の中で女が鳴いているような気持ちになった。
浜には無料の温泉がある。いつやってきたのか老婆がひとり。真冬の岩海苔とりなど海の仕事の話を聞きながら温泉につかる。あがろうとすると何度ももう行くのかとひきとめられた。海に沈む夕陽がまぶしかった。
2005.06.14
不機嫌の法則
人が不機嫌になるのは、空腹の時と眠い時。
そして、なぜ怒ってるのと問いつめられたとき。
不機嫌の原因はいろいろあるけれど、不機嫌の原因は詮索すべきではない。
2005.06.15
思わぬホタル
さきほど鴨川の丸太町橋から少し北の辺りでホタルを見た。予期せぬ丸太町のホタル
には驚いた。
ホタルの光は効率的で熱をほとんど発生させない。
ホタルの光のような効率的な照明器機をめざして蛍光灯がつくられた。
2005.06.16
目が目を見ている
ふとした拍子に自分の眼球の表面の涙の動きが見えることがある。
顕微鏡を覗き込んでいるような目が目を見ているような不思議な感覚になる。
2005.06.17
筆を洗う儀式
絵を描き終わると筆先をせっけんで泡立てて、手のひらでくるくるとまわす。
筆の根元をしごく。これを色がでなくなるまでくり返えす。色がでなくなったら水を切って指先で筆の先を尖らせる。こうしておけば 油絵にも水彩画にも同じ筆を使うことができる。
2005.06.18
父が亡くなった時
身近な人が亡くなった時、棺のある部屋に眠らされることが多い。人がたくさん集ま
ると私は棺のある部屋で寝かされる。思えばそこは特等席だ。
父が亡くなった時も私は父の亡骸のとなりで眠った。父のからだから色とりどりの光
のかたまりが無数に溢れ出して私の身体に流れ込んだ。
たぶん、父はたくさんの女性を愛し、愛されたにちがいない。しかし、家族の前では、家庭を大切にする父でありつづけた。
2005.06.19
アトリエの仕事
ひとつの仕事を完成させ発送した。17枚の水彩画。
発送は不安を達成感に変化させた。
つぎの仕事にむけてアトリエのセッティングを整える。
7月13日からの個展までにあと数点の作品を仕上げる予定。
2005.06.20
森林浴
ぐるぐると京都の北山の林道をひたすら走った。時折、森林の空気の味がする。
車をとめて目を閉じると甘美な時間。しばし、森林の小動物に変身する。
夜、アトリエにたどりつき疲れて仮眠。目覚めるとからだの奥の方からたくさんのイ
メージがやってきた。クロッキー帳に鉛筆でたくさんの走り書きをした。
2005.06.21
さかさまのピラミッド
AとB、そして、その他何人という価値観にはしばられたくない。
その他、何人にもなりたくはない。
その他、何人から歴史を作り変えたいくらいだ。
大きなAと大きなBの過渡期にある多様なものたちについて考えるのがあなたの仕事だとしたらその発想はすばらしい。
2005.06.21
欲望を追う力
自分のやりたいことをやるために
自分の見たいものをみるために
自分の会いたい人に会うために
集中するときほど
自分の力を超えたピュアな仕事ができる。
2005.06.22
ダンス未経験者
バッドシェバのダンサーのダンス未経験者のワークショップに参加したことがある。日程の後半、参加者はグループにわけられてダンスの振り付けを創作させられた。ダンスの最初はダチョウのように歩くポーズからダンサーが創作した。その続きをそれぞれのグループが独自に振り付ける。無関係な動作が接続されてひとつのダンスらしきものが生まれる。身体がバラバラに解体されていくような不思議な感覚があった。
2005.06.23
歴史と瞬間
歴史とはなんと大雑把なものかと思うことがある。
歴史について考えることを保留して、今日の仕事に没頭した。
水平軸にひろがる歴史としてではなく、垂直軸の深まりというものもあるはずだ。
瞬間の直観をつないでいくように絵を描いた。けして手が届かないと思い込んでいた
ものが瞬間の連続のなかに見えたような気がした。
2005.06.23
闇と光
わずかな光があれば目がなれて何かが見えるようになる。
わずかな光りさえなければ、視覚以外の感覚が研ぎすまされる。
光のない場所で少し離れて座ってできるだけ長い時間いっしょにすごせば何を感じるのだろう。
2005.06.24
展覧会の計画
彫刻家のKくんがアトリエに来て、秋に一緒に計画しているグループ展の話をした。
意味付けられ過ぎない作品によって知覚のゆがめられた状態を回復させるような展覧
会にしたい。作品による饗宴。
2005.06.25
歴史の教育
韓国の友人が展覧会のために来日したので会った。
国が違えば与えられた歴史がそれぞれ異なるのは当然だ。教育される歴史は国の輪郭
を強化するために記述される。何かの時に国民を戦いに駆り立てるために歴史がある
のではないかと思わせるくらいだ。
おたがいが仲良くできるための根拠になるような歴史は可能なのだろうか?
韓国の友人と私が仲良く美術について語り合っても、国と国の歴史の対立は解消され
ない。
2005.06.25
ケダモノ
展覧会の二次会の店で「動物力」だったかな?そんなタイトルの本をもうすぐ上梓す
るという獣医さんに会った。
居合わせた女性にあなたはケダモノと言われたことがあるかと聞かれた。
ケダモノと言われたことはないが、もし言われたときには報告しますねと答えた。
そんなあなたこそ男にケダモノと言ったことがあるのか?
2005.06.26
遠くの友達とおいしい井戸
遠くの友達が少し前からブログを始めた。
そこに造り酒屋に行った話があって、井戸は、いつも水をくみあげて使っていないと
おいしい水をたたえなくなるとあった。使われない井戸は死んでしまうということら
しい。彼女が枯れた井戸の闇に男が降りていく小説を面白く無いと言った理由がわかっ
たような気がした。フロイドの本では無意識のこともたしかイドと言ったよね。
遠くの友達はフロイドなんて関係ないと言うだろう。
彼女は私が固い本と言えばニーチェとフロイドの2册しか読んだことがなかった頃、
私に同人誌のために詩を書くようにと依頼した。私が詩は書かないと答えると、原稿
用紙に文字がならんでいるだけでいいのよと言った。
遠くの友達は宇宙人だったにちがいない。
2005.06.26
芸術労働者の一日。
今日、昼のアトリエは40度。ローア-な環境で作品づくり。夜、帰宅して安い赤ワインを2/3本呑んだ。テレビで格闘技を見た。
2005.06.27
仕事の選択
夕方、暑いのでプールに行こうと思い立った。木曜が定休日なのだが、最終月曜日も
休みだった。軽く食事を済ませて、アトリエにもどった。
東京のSギャラリーのTさんから電話が入った。用件は京都への深夜バスについて。こ
のあいだの電話は東京で安いホテルを知らないかというものだった。Tさんはいつも
ノンプロフィトな仕事を抱え込んで忙しそうにしている。この歳になったらもっとリッ
チに旅行できると思っていたよ。たぶん仕事の選択を間違ったんだと笑いあった。
(本当はまちがったなんてほんの少しも思っていない。)
2005.06.28
ひさしぶりに雨
夜、ひさしぶりに濡れた街を見た。アスファルトに映る車のライトに雨がはじける。
犬が雨のなかを走っている場面を想像したら、犬の気持ちになった。
犬は車のライトに巻き込まれ車の飛沫をあびながら走り続ける。
身体にはりついた毛並みから埃の匂いや乾いた汗の臭いが流れる。
一瞬、やみかけた雨が、ワイパーでも前が見えないほど激しくなった。
2005.06.29
瞬間の子ども
いつでも大人ではいられない。いつまでも子どもではいられない。
子どもと大人が連続した存在だとは思えない。双方向に飛躍が必要だ。
2005.06.30
言葉の愉悦
携帯メールの文字の羅列も言葉。私をゆさぶったり喜ばせたり、あるいは、突き落としたり、悲しませるかもしれない。言葉の力は侮れない。言葉よ!出来るだけシンプルに射ぬく力であれ。