譲れない自由意志(旧こころが風邪をひいたら)

譲れない自由意志(旧こころが風邪をひいたら)

2008.01.05
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先日の日記の続きです。
http://plaza.rakuten.co.jp/yasotyan/diary/200712290000/

新潟へ引っ越して
仕事先で会う人々、属していた宗教の人々と一緒にいて
金沢にいた頃に接していた人々と「違うな」と大きく感じたことがありました。
それは 今だに よく考えることなのですが

『自分の意見を言うことを極端に避ける』

仕事先であれ 「会衆」であれ、改善すればもっと良くなることを意見として述べることが
悪いこと それを通り越して 徳に反する行為とされていることに驚きました。


「こういう考え方もあるのではないか」
金沢にいた頃は そういう意見が飛び交うのが日常でしたし、

神戸に来てからは より そんな意見が飛び交うように改めて思いました。

どの地域が優れている、劣っているというのではありません。
「違うなぁ」と感じたのです。
逆に言えば
「従順で 秩序だっている」人々なのですから。

新潟では処世術を超えた道徳律のような感じで
「出る杭は打たれる」
「長いものに巻かれろ」
「郷に入りては 郷に従え」


それは時には日本の法律と違うものであったとしても
その集団のルールが優先される ということもありました。
(宗教内では 聖書よりも そこの長老のルール)

何か意見というか 自分の意思を貫きたければ組織の上に立つまで我慢するか
独立して自分の「城」を築かなければならない


こんな 言い回しもあります。
「新潟では 杉と男は育たない」

自分の言葉や行動に責任を持って 自分の意見というものを持って行動する
ということの価値はあまり評価されていないようでした。

(勿論 個人として 自分が正しいと信じるもののために戦っている人を何人か個人的に知っていますので。)

善し悪しは別として 同じ日本でも、同じ日本海側なのに、なぜ ここまで違うのだろうか?
といつも考えていました。
目の前で 正しくないことが行われているときに
自ら それを正すのか
誰かが正すのを待っているのか

「市民」「国民」という言葉の捉え方に大きく影響するからです。

それは 新潟という土地の「地政学」に大いに関係するのではないか
そう思ってきました。

つづく





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最終更新日  2008.01.05 21:38:27
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