譲れない自由意志(旧こころが風邪をひいたら)

譲れない自由意志(旧こころが風邪をひいたら)

2008.04.06
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圓教寺の二人の僧侶が出てこられたとき、宗派は違えど、
鎌倉時代に新しい仏教を作った 法然・親鸞・日蓮の三上人は
このような姿なのかな?と素人目にふと思いました。
時の権力の弾圧に遭っても自らの信じる信仰を捨てなかった僧侶。

あるいは「御成敗式目」に精神的な影響を与えたとされる明恵上人は。こうだったのかと。
権力欲・金銭欲・性欲に屈した当時の仏教界の中で戒律を守るために
自らの耳を切り落とした僧侶。

大樹師の「わたしは、そんな大それた人間じゃありません」という素直なお言葉
青山さん曰く、大樹師のおくさまと金子師の「控えめに、そしてしっかりと意見を述べられた」姿勢


日本の「宗教指導者」を尊敬のまなざしで見れる日が来るなんて、思いもよりませんでした。

権力から迫害されても自らの良心を曲げることは決してしない。
目に見えない崇高な存在を見ているかのように信じているからこそできることです。
追い詰められ、孤独の中だからこそ、信仰の対象を感じることが出来ると思います。
「理由があって、この苦難があることを許しておられる。
それでも、わたしのこの苦しみを我がことのように痛みを感じておられる」
その貴重な経験は苦難を厭わない人にのみ得られるものだと思います。

そして その姿に 人は惹かれ
生き方を請うようになるのだと思います。

権力に屈する・波風を立てないようになる
それは即ち、信仰がないことを示すいえ、信仰を捨てたことに他なりません。


仲間の妥協・腐敗、あるいは指導者が自らの過ちの責任を認めないとき
信仰は決定的に破壊されます。

かつて、一クリスチャンとして、そのような両方の経験をわたしもしてきた故の感想です。

無垢な信仰心を悪用し 信者を奴隷にしてばかりで、
宗教→カルト・胡散臭い と連想してばかりの


http://jp.youtube.com/watch?v=BjlbL0j_qQ8





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最終更新日  2008.04.07 02:17:54
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