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PC版アメーバピグが終了したと思ったら、今度はリヴリーも今月で終了。時代はパソコンからスマホへ移行しているのかな。PC派の私としては寂しい限り。
2019.12.13
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7月7日8日は、高校時代のテニス部の仲間との同窓会で、1泊2日の小旅行。ここのところずっと雨でお天気が悪かったのに、2日間とも全く雨が降らず、いいお天気だった。いっぱいお喋りして、たくさん笑って、すごく楽しかった。久しぶりなのに、すぐに打ち解けて、学生時代に戻っていた。ほんとに夢のように楽しい2日間だった。歯の事もあり、体調が心配だったが、旅行中は何事もなく、ごちそうも食べられたし、ほんとによかった。また来年もみんなで集まれますように。七夕の短冊に願いを込めて。
2019.07.09
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1か月後検診も無事に終わり、順調に回復していたが、先週あたりから噛むと痛くなり、先週の金曜日に、歯茎に小さな膿が出ているのをを見つけてしまった。ショック!急いで、予約し、今日歯医者へ行った。何かの細菌に感染したのだろう、また早期なので、何とかなるかもしれないといって、すぐに再手術することになった。また歯茎を切って、中を消毒し、今度は縫い合わさず、開けたままにしておく開窓術。こまめに消毒に行き、自然に歯茎ができるのを待つのだそうだ。今度こそうまくいくといいな。これがだめなら、抜歯しかない。
2019.07.09
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14日(日)コーラスの先生のソロコンサートを聞きに、久しぶりの外出。お友達の運転で車に乗せてもらったので、らくちんだった。一応マスクをしていく。16日(火)母を黄斑変性症の定期検診のため医大病院へ連れて行く。水がたまってきたので、目に注射をうつことになった。母の付き添いは神経を使うし、けっこう大変だった。なぜか、左の首のリンパ腺が痛い。ねじったのかな?それともやはり歯の手術の影響?17日(水)今度は息子の定期検診で同じく医大病院へ行く。息子の病気もなかなか治らない。18日(木)ゴスペルのレッスンに行く。大きな口を開けると痛むし、歌が歌えない。でも、事務局(役員)最後の日なので、挨拶もあるし、休むわけにはいかないのだ。今日で、退会する人がいたので、一緒にランチを食べに行く。終わってから、お友達のパンフラワーの発表会を見に行く。なんだか今日はとても疲れた。先週まで、家にじっとしていたのに、今週は外出ばかりだ。19日(金)抜糸。手術の時は麻酔で痛くもなんともなかったのだが、抜糸はそのままなので、すごく痛かった。しっかり縫ってあったので、引っ張るときに、なんか、針を刺されているような感じだった。終わってからそっと舐めてみると歯茎がでこぼこしている。そのうち滑らかになるのかな。次の診察は1か月後だそうだ。どうか再発しませんように。リンパの痛みは徐々になくなった。やはり変な風に首のすじをねじったのかな。20日(土)管理組合の仕事で、バルコニーの塗装の状態を見て回った。10軒回ると1時間かかった。最初だけ付き合うつもりが、最後まで一緒に歩いて回ったので、とても疲れた。今週は毎日疲れる。21日(日)抜糸をしてから歯茎がずいぶん楽になってきた。顔を洗っても、押さえても痛くなくなった。口唇ヘルペスはずいぶん治ってきたが、まだ少し赤い感じ。もううつらないかなと思い、唇がカサカサなので、リップクリームをつける。それより、手術した頬の部分にしっしんができてかゆい。22日(月)今日で2週間たった。歯磨きをしても、うがいをしても痛くなくなった。歯茎はでこぼこのまま。左頬のしっしんはまだある。まさか口唇ヘルペス菌が飛んだ?共済で、手術の給付金をもらうための書類をポストに投函した。
2019.04.22
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13日(金)5日目頬の腫れがだいぶ引いてきた。その代わり、皮膚が薄い分、さわるとすぐに傷口に触れて痛い。口唇ヘルペスもあるので、左側の歯磨きができないのがつらい。1日中無性に眠たい。やはり疲れているのかな。家にずっといたので、ついつい管理組合の事務仕事をやってしまい、パソコンをずっとさわっているので肩がこる。これがいけないのかも。明日はコーラスの先生のコンサートがあるので、絶対に聞きに行きたい。友達が車に乗せて行ってくれるというので、行くことにした。久しぶりの外出なので、ちょっと楽しみ。
2019.04.13
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8日(月)手術当日それほどダメージがなく、普通に運転して家に帰る。縫い目が痛くて、口を動かすことができない。傷口をそっと舐めると変な味がする。まだ少し出血している。時々鼻血が口の中に下りてきて、ティッシュにペッとすると赤い。先生の指示で、家に帰るとすぐに抗生剤(フロモックス)と痛み止め(ロキソニン)を飲む。夕飯は買っておいたレトルトのおかゆを食べる。歯磨きをしたら、しみてうがいができなかった。歯磨きはやめておけばよかったかな。夜、麻酔が切れると痛みが出てきたが、薬は飲まずに寝る。入浴は無し。お風呂に入れないと聞いていたので、朝、シャワーと洗髪をしておいてよかった。9日(火)術後1日目顔が少し腫れてきた。口は少し動かせるようになって、話すことができるようになった。消毒に行く。「明日が一番腫れますよ。」と言われる。食事は普通の柔らかいものを右側の歯で噛んで食べる。横になりたいけど、上の階でリフォーム工事をしていて、ガンガン響く。夜になったら、傷みが出てきたのでロキソニンを飲む。歯磨き剤をつけずに、歯ブラシだけで右側だけ磨く。10日(水)2日目朝、痛みで起きる。目の骨の周りがピクピクしている。鏡を見たら、左目の下まで頬が腫れていて、左目が吊り上がって、右の半分の大きさになっていた。大きく目を開けようとしても開けられない。やっぱり今日が腫れのピークなのかな。夜になると歯の奥の方が痛くてロキソニンを飲む。明日の夜、管理組合の仕事があるのでどうしようか悩む。準備をしていたら、深夜2時になってしまった。11日(木)3日目頬の腫れが下がってきて、ブルドックみたいな感じ。傷口は日に日に痛くなくなって、変な味がしなくなってきたが、相変わらず時々奥の方にジーンとした痛みがある。昼頃、なんか、唇がむずがゆかったので、見たら、口唇ヘルペスができていた!抵抗力が落ちている時に、昨日の睡眠不足が原因かも。このタイミングで最悪だ。左の口角なので、今度抜糸に行くまでに何とか治さなければ。抜糸は1週間後だと思ったら、19日(11日後)だと言われたので、時間があってよかった。あわてて薬局に走り、アラセナSという薬を買ってきた。体調がいまいちなので、夜の仕事は欠席する。12日(木)4日目腫れが少し引いてきた。昨日までは頬を押さえても痛かったが、顔が洗えるようになってきた。このまま良くなるといいな。
2019.04.12
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昨日、口腔外科で膿胞摘出と歯根端切除術をやってきました。本当は2月15日に手術予定だったのですが、当日、術前に私がいろいろ質問したら、私の不安を先生が感じ取ったのか、「迷いがあるのなら今日はやめておきましょう。」と土壇場で中止になってしまったのです。私のために準備をして、時間も2時間とってくれていたのに、申し訳ないというと、「そんなことはいいです。」「手術はお互いがやると決めて初めてできるものです。」とにこにこして言うので、結局その日はやめてしまったのです。普通当日キャンセルなんてしたら、キャンセル料を取るところもあるというのに、本当にいい先生です。でも、そのあと、歯の状態はどんどん悪くなり、やはり早めにやったほうがいいと判断し、今回の手術を決心しました。2月の時は2時間時間を取ってくれたのに、今回は1時間しかとってなくて、あれ?と思いましたが、時間通り1時間で終わり、私が終わったら、すぐに次の人の治療をしていました。2月の方が丁寧にしてくれたかな???でも先生はさすがに手際が良く、手術に慣れている感じでした。ただ看護助士が初めてみたいで、先生が何度も何度もそうじゃなくて、こういうふうに・・・と、バキュームの使い方などを指導していて、大丈夫かと思いました。血液などが患部に着くと失敗するとネットでも書いてあったので、大丈夫かなぁ。「今すごく繊細なことをしているんだよ。目を離したらだめだよ。」と、看護助士さんに注意していました。ん~心配だ。でも先生はなんか、かっこいい。術後は今のところ、それほど腫れたりもせず、ただ、縫い目が痛くて口を動かすことができません。うがいをするとすごくしみます。今から消毒に行ってきます。このまま予後が良くて、治るといいな。
2019.04.09
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日記に書くのを忘れていたが、去年の6月7日に父が亡くなった。前日から体調が悪かったのだが、土日だったので、医者には行かず、月曜になったら行くと言っていた。おひるごはんに何か食べたいものはと聞くと、「スイカと鉄火巻き」というので、買いに行って、自分の好きなものを食べ、そのあとテレビで好きな野球観戦をし、自分で歩いてトイレに行って、「ちょっと寝るわ。」と言って、ベッドに横になり、「水」と言って、母に水を持ってきてもらい、自分で体を起こして水を飲み、母がコップを片付けている間に、そのまま逝ってしまった。私が母の電話で駆け付けると、普通にベッドで寝ていて、でも息がない。救急車を呼び、人工呼吸をしたが、父は帰ってこなかった。前日にはお風呂で髭も剃ってさっぱりとしていたし、亡くなる2か月前に自分の兄の通夜に出かけ、親戚と久しぶりに顔を合わせ、みんなと挨拶をしていた。父はもうあまり歩くこともできなくなっていたし、母も介護の限界だった。施設や病院へ行くのは絶対に嫌な人だったから、自宅のベッドで眠るように逝って、ほんとにお見事としか言いようのない最後だった。あれからもう1年以上たった。1周忌も終え、母も落ち着いてきたが、ここのところ目や耳の病気で、だんだん元気がなくなってきている。母がいなくなることを考えると、ものすごく不安で孤独を感じる。母にはなるべく長生きしてほしい。
2016.08.02
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久しぶりにログインしてみたら、日記の書き方などが変わっていた。なんだか戸惑ってしまう。今日は義理の姉が乳がんの全摘出手術をしたので、ずっと付き添っていた。12時から手術が始まり、2時間ぐらいで摘出が終わり、そのあとシリコンを入れる再生手術が行われた。4時ごろ無事に手術が終わり、リンパにも転移していなかったと説明を受ける。予定では6時くらいになると覚悟をしていたのに、意外と早く終わってよかった。まだ痛みがあって苦しそうだったが、このまま順調に回復することを祈る。10月に長男が結婚することになり、式に出席すると言ってくれているので、それまでには元気になっているといいな。実は先月、義兄が肺がんの手術をしたばかりで、夫婦そろって同じ時期にがんになったのだ。義兄は腹腔鏡手術だったので、1週間で退院できたのだが、義姉はメスを入れているので、3週間ぐらいは入院しなくてはならない。病み上がりの義兄が看病するのは大変そうなので、いろいろお手伝いをしてあげないと。
2016.08.02
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昨日はゴスペルのコンサートだった。今年は結成10周年ということで、会場も2000人が入ることのできる市民会館。スモークをたいたり、レーザー光線があったり、演出にも凝っていて、プロの歌手が使うようなところで、私にとっては初めてのコンサート。体力的に不安があったけど、どうしても出たいと思い、英語の歌詞を9曲も頑張って覚えて、毎日家で練習して、ついに本番。ところがどうも前日から体調が良くなくて、いろいろな薬を飲んで、不安な気持ちで出かけて行った。リハーサルは元気よくできたのだが、本番になって1曲目で、急に足がつりそうになり、足がうまく動けなくなる。痛いのを我慢して顔は笑顔のまま、冷や汗タラタラで、がんばった。2曲歌えば一度舞台からはけて、少し休めるので、それまでの我慢我慢。舞台裏で足をマッサージして、その後も何とか乗り切り、休憩の間にバンテリンを塗って、後半も何とか足がつることなく乗り切ることができた。みんなが心配してくれて、その温かい気持ちに感謝。コンサートはとても楽しくて感動的で、私にとって、忘れられない思い出となった。
2015.12.07
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今日は文化の家フェスティバルという市の催しがあって、そこに私達のコーラスグループが出演することになり、がんばって練習してきた。舞台に生える衣装をと、先生が考えてくださって、上下とも黒い服の上に、ピンクと紫のストールをまくことに。ストールの生地は、安い裏地なのだが、長くボリュームを出して、とても素晴らしい衣装になった。見に来てくれた家族やお友達も、歌も衣装もすごくよかったと褒めてくださって、とてもうれしかった。来週はゴスペルの発表会もあり、私にとってはめちゃくちゃハードなのだが、ストレス解消にも自分の健康のためにも、歌うことはやめられない
2015.11.29
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朝から3つ回ってきたら、夕方になってしまった。お昼に年金事務所の近くの洋食屋で食べた海老クリームコロッケがおいしかった。家に帰ってから、忌明け法要の会場へ席順をファックスする。ゴスペルサークルから、会費を振り込むようにメールが来て、なんだかこんな時にお金の話って、ちょっと興醒めした。
2015.06.29
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最近、膝の痛みは自然に治ってきたし、腰も調子よかったのだが、昨日、ちょっとしたはずみに体をひねって立ち上がったら、ぎっくり腰のようになってしまって、1日中立つことも歩くこともできないくらい痛くて、湿布と、痛み止めの薬を飲んでしのいでいた。今日になったら、少し痛みが引いたが、医者に行っても痛み止めの薬と湿布をくれるだけなので、一度整体に行ってみてもらいたいなと考えていたところだったので、いい機会だと思い、ネットで探した、リセット整体というのをやっているところに電話してみた。優しそうな声の人で、早い方がいいというので、今日の午後からみてもらうことになった。先週から左手がしびれるようになって、それもとても気になっていたので、全身を診てもらいたかったのだ。ホームページにあった地図を頼りに行ってみると、住宅街の中にあり、2階は住居のようだった。普通の整体と違いボキボキするのではなく、体を左右に揺らしながら整えていくという変わったものだった。こんなので効果があるのかなと、半信半疑だったが、確かに体の筋肉がほぐれていくし、はじめ右手と左手の長さが違っていたのが、終わりには同じ長さになっていたし、腰の骨が伸びて、背が少し高くなったような感じがした。せっかく左右のバランスを整えても、すぐに元に戻ってしまうだろうし、長年の体のゆがみがそんなにすぐ良くなるとは思えないが、1回では効果がわからないので、今週もう一度行くことにした。
2015.02.09
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ゴスペルを一緒にやっている人の弟さんがビートルズナイトというライブをやるというので、ゴスペル仲間と一緒に、今池のガスビルに聞きに行ってきた。何も知らずに、ただ知り合いだから行っただけだったのだが、なんと!その弟さんは、元センチメンタルシティロマンスの告井延隆さんで、今はソロで活動し、アコースティックギターひとつでビートルズの曲をカバーして、全国を回ってライブをしているらしい。ひとりでベースからメロディーからドラムまで曲の雰囲気を壊さずにカバーしていて、ものすごいテクニック。ほんの2、3メートルしか離れていないところで、素敵な生ギターの音を聞くことができて、とても癒された。最近は電子音楽が多い中で、アコースティックギターっていいなぁと改めて思った。後半は会場からリクエストしてもらった曲を次々と弾いていく。ほんとにびっくりだ。お客さんもみんなギターに合わせて歌いだしたり、自由に聞いている。本場イギリスでも同じようなライブをやってきたらしい。私は特別ビートルズのファンではないが、すっかり魅了されてしまった。行ってよかった~友達がそんな人の御兄弟だったとは!おみそれしました。甥っ子さんもミュージシャンで、音楽一家らしい。CDも買ってサインしてもらいました。^^http://tsugei.web.fc2.com/http://www.1101.com/tsugei/
2015.02.07
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今年は喪中なので、お正月に親戚で集まらなかったが、顔を合わさないのも寂しいので、お正月が明けてからみんなで食事をしようということになり、お兄さんのお嫁さんから教えてもらった、池下の蓬左茶寮というところで、懐石料理を食べてきた。お食事はもちろんおいしかったが、それよりもお酒の種類の多さと、おかみさんのお酒の知識にびっくり。酒飲みの主人やお姉さんの御主人は大喜びだった。全部で何種類の日本酒を飲んだだろう。車ではなく地下鉄で行ったので、私もちょっぴりずつ試飲したw器もすごく凝っていて、おかみさんの道楽らしく、名のある人の陶器が普通に出てくる。ちょっと高価なランチだが、お義母さんの残してくれたお金で、みんなでおいしく頂いた。ありがとうございます。http://tabelog.com/aichi/A2301/A230106/23046301/
2015.01.18
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12月8日(月)今日は老人ホームのクリスマス会に、ボランティアでコーラスをしてきた。21日のクリスマスコンサートの予行演習みたいな感じだ。衣装もきちんとロングスカートをはいて、当日のようにクリスマスの飾りをつけて、キャンドルを持って登場。クリスマス曲を6曲歌って、お年寄りと一緒に手遊びをして、職員の扮したサンタクロースが、プレゼントを配ったりして、楽しいひと時だった。今日は先生も参加してくださったので、いつもより歌が上手な感じだったw21日まであと1回しか練習できないけど、本番も上手に歌えるといいな。12月21日(日)いよいよ今日はクリスマスロビーコンサート。私たちコーラスだけの初めての発表会だ。いつもは老人ホームなどで歌っているだけだが、今回は公民館のようなところで、一般の人が自由に聞くことができる。友達や家族などに聞いてもらえるめったにない機会である。朝、私だけを会場に送ってもらい、そのあと主人に、私の母と三男を連れて来てもらった。ロビーにたくさんのお客さんが来てくださった。キャンドルを持って、2階から登場する素敵な演出で始まり、クリスマスが近いということで、たくさんのクリスマスソングを歌った。難しくてなかなか歌えなかった「アナと雪の上王」も本番では何とか歌うことが出きた。最後、「アンコール!」の声もあり、みなさんから手拍子ももらって、すごく楽しかった。私が演出したラストの終わり方(ハミングの中でMCがお礼の言葉を言い、MCが終わったら、また歌に戻る)もMCの人が上手にやってくれて、すごくよかった。母は、私が子供のころ合唱団で歌っている時のことを思い出して、感動して涙が出てきたと言っていた。来てもらって、ほんとによかった。練習不足でそんなに上手とは言えないが、今回の発表は私もすごく感動した。思い出に残るいい発表だったと思う。
2014.12.08
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今日は近くの町で冬まつりがあった。クリスマスイルミネーションの点灯式や、いろいろなサークルの発表、屋台などが出てとても賑やかだ。私たちゴスペルグループもイベントに参加した。ゴスペル曲を2曲聞いてもらい、お客さんと一緒に、サンタが町にやってくると、レットイットゴーをうたった。私にとって初めてのイベントだったので、どんな感じかわくわくした。3日間頑張って英語の歌詞を覚えたが、なかなか覚えられなかったので、カンニングペーパーを持っていって、無事に歌うことができたwみんなサンタやトナカイの帽子を持っていったり、気ぐるみを着たりして、とても楽しく歌っていた。私も何か持っていけばよかったかなぁ。明日は、コーラスのボランティアがある。毎日イベントづくしだ~
2014.12.07
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先月はいろいろあって、休会していたゴスペルに久しぶりに行った。やっぱり楽しい♪今度の日曜日に近くの駅で、クリスマスイルミネーションの点灯式があるのだが、その前に私たちのグループがクリスマスソングを歌うことになった。私は全然練習していないし、新曲は今日初めて聞いた歌だし、応援には行くけど、出演はできないと思っていたのだが、人数が少ないからか、口パクでもいいので出てほしいと言われたので、急きょ出演することになった。今日習ったばかりの曲を2日で暗譜しなくては。大変だー!ゴスペルのイベントに出るのは初めてなので、ちょっと緊張するなぁ。8日はコーラスのボランティアもあるし、12月はイベントだらけだ(^_^;)
2014.12.04
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今月の21日にコーラスの発表会がある。近くの交流館のロビーで、クリスマスソングを歌うのだ。いつもは老人ホームでのボランティアばかりなので、一般のお客さんに聞いてもらうのは初めてだ。今日はその会場で、リハーサルをした。ロビーは広くて、大きな声を出していたら、声がひっくり返ってしまった。結構客席では聞こえているから、そんなに声を張り上げなくてもいいと言われた。いつものようにハーモニーを大切にして、響く声を出すように気をつけよう。当日は階段の上から、キャンドルを持って、牧人ひつじををハミングしながら登場。そのあと帽子をかぶって、サンタが町にやってくる、ジングルベルを楽しく歌い、希望のささやき、もろびとこぞりて、きよしこの夜、そして最後にお客さんと一緒にアナと雪の女王を歌う予定だ。たまたま近所の友達が、そこでヨガを習っていて、通りかかり、声をかけられたので、21日よかったら聞きに来てねと宣伝しておいた。母も一度聞いてみたいと言っているので、主人に車で連れて来てもらう予定だ。ちょっとはずかしいけど、家族に聞いてもらう機会はもうないかもしれないし、頑張ろう(^O^)/
2014.12.02
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今日は大学病院で、母の初めての黄班変性症の治療の日だ。目に注射を打つ治療である。3日前から感染予防のための目薬をさし、今日は顔も洗ってはいけないのだそうだ。父はデーサービスに出かけたが、帰ってくる時間までに家に戻れないかもしれないので、鍵を渡し、職員の人に玄関まで送ってもらうように頼んでおいた。さすがの母も注射の時間が近づいてくると、ちょっと不安になって落ち着きがない。そのうち、目がごろごろすると言いだした。「目にゴミでも入ったのかもしれないね。注射を打つ前に先生に相談してみたら?」と言ったが、「今まで何ともなかったのに、変だどうしよう・・・」とさわぐ。麻酔の目薬をさす時に、看護師さんにそのことを伝えると、「さかまつ毛かもしれないですね。」と母の目を見て言う。そのうち順番が来て、診察室に入って行ったので、私は外で待っていた。少したつと眼帯をして看護師さんに連れられて、母が帰ってきた。目がごろごろしたのはどうなったか聞くと、看護師さんがさかまつ毛かもしれないと言って、母の下まぶたを下げたら、治ったそうだ。ちょっとしたことでも緊張しているから気になるんだね。注射は瞳孔が開く目薬をさしているので、ボーっとしていて見えないのだそうだ。ちくっと1回して少し痛かったようだが、それで終わって案外簡単だったようだ。今日一日は眼帯をとってはいけないし、安静にしていたほうがいいので、帰りにお弁当を買って帰った。(母は車の中にいた)父が帰る時間より早めに家に戻ることができたが、デーサービスの人に頼んであったし、下まで降りて迎えに行くことはせずに寝ていたそうだ。こんな時は自分の体が一番。無理して起き上がることはない。父も母が失明したら、生活できなくなることがわかっているので、心配だったろう。とりあえず初めての注射は無事に済んだ。
2014.11.26
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カタログショッピングのニッセンから、バス旅行に当選したという葉書が届いたのは、もう1カ月以上前でしょうか。京都の今熊野観音寺へ行くというもので、お昼御飯も付いている。紅葉のきれいな時期に京都へ行くのはちょっと魅力だったが、11月はいろいろと忙しいので無理かと思い、申し込まないでいた。でも長男が退院し、母の入院もなくなり、納骨も済んで、ほっとしたら、急に行きたくなって、先週の金曜日に旅行会社へ電話したところ、21日なら空いているというのだ。そのまま電話で申し込めるのだと思ったら、まずは申し込みの葉書を出してくれと言う。他の人から葉書が届くかもしれないので、要するに早い者勝ちなので、返事の葉書が届いたら、行けると言うのだ。とりあえず、申し込み葉書に記入して、52円切手がなかったので、80円切手を貼って、急いでポストに投函した。金額をアップすればもっと豪華な食事になるということだが、あまりおなかがふくれても動けなくなるので、基本のただのコースでw土日は郵便局が休みだから、月曜日に会社へ葉書が届いたとして、火曜日に返事を出して、水曜日ごろ届くかなと思って気にしていたが、結局返事が届いたのは昨日のお昼過ぎ。どうやら行けることになったようだが、見てみると、朝の6時50分に名古屋駅集合、7時10分発とのこと。始発のバスでも間に合わないので、やっぱり断ろうかどうしようか迷っているうちに夜になり、旅行代はただなのだから、駐車料金がかかってもいいやと、地下鉄の駅まで車で行くことにした。朝、6時前に家を出発。駅前の駐車場に止めるのは初めてなので、ちょっととまどったが、なんとか予定通りの地下鉄に乗ることが出来た。名古屋駅に着いたら、すぐにトイレに行き、、太閤通口まで行けば間に合うはずだったが、トイレがひとつ壊れていて、すごく混んでいて、思ったより時間がかかってしまった。集合時間を過ぎていたのでダッシュして集合場所まで行くと、それらしき団体がいない。違うバスツアーの人たちがいたので、このツアーじゃないですよね?と葉書を見せると、多分あの人だと思いますよ。と親切に教えてくれた。すぐそばに若い男の添乗員らしき人がいて、2、3人の人が受付をしていた。旗を揚げてわかりやすくしていればいいのに、旗は下におろしていた。そばに行くとやはりその人で、受付が終わった人はバスにもう乗り込んでいるとのこと。受付を済ませ、バスに乗るとすぐに出発。間に合ってよかった~39人の参加だったが、ほとんどがニッセンで当たった人のようで、ひとりで参加している人が多かった。隣の席の人は私より少し若くて感じのいい人で、おしゃべりもはずみ、楽しいバス旅行になった。まず行ったのは、岐阜県養老町にあるムートンの会社。これはお決まりで、立ち寄ることになっているらしい。ただの旅行のスポンサーなのだそうだ。20分ぐらい話を聞いて、あとは自由に商品を見て・・・これがなければ8時ぐらいに出発なのにと思うが、がまんがまん。ムートンのシーツのベッドなどに横になったり、結構好きなように時間をつぶした。そんなに無理やりセールスもされなかったし、トイレ休憩みたいなものだと思えばいい。ムートンは本当に気持ちが良かったが、47万円もするものはちょっと買えないですよw次に信楽たぬき村で、早めの昼食。11時10分からだったが、朝が早いのでぺろりと完食した。ちょっとしたお鍋と、五目御飯と、天ぷらと、焼き魚と、きんぴらごぼうと、卵焼きと漬物の定食だった。金額をアップすればもっと豪華な食事(鍋がすき焼きになったりする)のだが、5、6人の人しか頼んでいなかった。食べ終わってから結構時間があって、信楽焼のタヌキの置物や陶器などを見た。ちょっと欲しいものがあったが、持って帰るのに割れちゃうと嫌だなと思ってやめた。次に行ったのは夕子でおなじみの八橋のお店。京都ではなく、滋賀県のお店だ。いろんな味の夕子を試食して、白味噌とか、柿あんもおいしかったが、結局、栗あんと芋あんの入った夕子をお土産に買った。その次にやっと京都に入り、漬物屋の西利で、漬物の試食とワインをいただき、ゆず大根と千枚漬けを購入。お土産屋に寄るのはバスツアーのお決まりだが、どっちみち買おうと思っていたものなのでよかった。そして最後にやっと今熊野観音寺に到着した。このお寺は東福寺のそばにあり、そちらが有名なので人が少なく、穴場の観光スポットなのだ。かえでが真っ赤に色づいて、とてもきれいだった。頭痛封じのお寺だということで、それをつけて眠れば頭痛が治るという枕カバーを買ってしまった。今度頭が痛くなったら、試してみようw竹林の道を進んでいくと、山の上の塔まで行けたり、けっこう趣のあるしっとりとしたお寺だった。そこから帰路に着き、予定通り18時前には名古屋駅につくことができた。平日だったので、それほど渋滞もなかったようだ。駐車料金は最大1500円と書いてあった通り、ある程度の時間が過ぎると一律1500円になっていた。ちょっと高かったが、朝のバタバタを考えると車で行って正解だった。家に帰っても夕飯の時間にはしっかり間に合って、三男と一緒に車中で買った焼きサバ寿司を食べた。隣の席の人がいい人だったからかもしれないが、ただのバス旅行も案外楽しかったな。
2014.11.21
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6月に亡くなった義母の納骨をした。中部地方では火葬場で大きな骨壷と、小さな骨壷に分けてもらえる。小さなものは分骨用で、宗派によって違うが、京都の本山へ持っていくのが本当なのだそうだ。ところが問題がひとつ。うちは浄土真宗本願寺派(お西)なのだが、近くに西本願寺のお寺がなかったため、東本願寺のお寺さんにお世話になっているのだ。これは亡くなったお義父さんのころからの付き合いなのだそうだ。同じ浄土真宗だから一緒だろうという安易な考えだったのだろうが、実は西と東では全然違うし、京都に納骨する時も、西は大谷本廟と言うところに持って行き、東は大谷祖廟と言うところに持っていくらしい。8年前に亡くなった義父のおシャリ様が、まだ仏壇に飾ってあるので、義母と一緒にお墓に納めようとしたのだが、住職がそれはお寺に持っていくものだというので、いろいろ調べたところ、大谷本廟に持っていくためには、申込用紙に所属寺院のサインと捺印が必要らしい。いつもお世話になっているお寺はお東なので、大谷本廟には持って行けないのだ。かといって大谷祖廟に持っていくのは、やはり抵抗がある。だってうちはお西なのだから。この際東に改宗したら?と言うと、主人は怒ってしまった。で、結局、京都に持っていくのはやめて、全てお墓に納めようという結論になった。別にそんなに信仰心があるわけでもないので、京都の親鸞聖人のそばに眠りたいなどという考えはなく、それより、お墓でお父さんとお母さんが一緒に眠ったほうがいいのではないかということになった。で、主人から住職に電話をしてもらいそのことを伝えると、あっさり承諾してくださり、分骨するかどうかは、遺族の自由で、どうしてもそうしなければならないということはないらしい。そんなわけで、無事に全てお墓に納骨することができた。1時からお墓で納骨式の予定だったが、12時45分ごろお墓に着くと、お兄さんとお姉さん夫婦はもう来ていて、午前中に法事があると言っていた住職も、早めに来てくれて、1時15分ぐらいに納骨式が終わった。風もなくわりと暖かい日で、雨も降らずに本当に良かった。2時に予約してあった和食の店に時間通り行くことができて、おいしい懐石料理をいただき、そこで解散した。
2014.11.16
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おどろき!ほんとは明日退院の予定だったのに、経過がいいからもう退院してもいいと先生に言われたので、今日の夜退院したという。やっぱり若いと回復が早いのだろうか。タクシーも使わず、また自分で荷物を持って、バスで帰ったそうだ。でも、明日退院して次の日から会社に行くよりも、1日ぐらい家でゆっくりしてからのほうがいいもんね。とにかく退院おめでとう(^O^)/
2014.11.15
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病院へ行くと不機嫌になるので、もう行かないことにしたが、やっぱり病状は気になる。病院はメールをしてもいいということなので、様子を聞くと、今日、鼻の奥に詰めてあったガーゼを抜いて、明日から点滴もはずれるらしい。ガーゼを抜く時は痛かったようで、血も出たらしいが、もう大丈夫だと言っていた。明日はシャンプーもしていいということだし、順調に回復しているようだ。日曜日は義母の納骨をするので、土曜日はお墓の掃除に行かなくてはならない。いろいろ準備もあるので、もう明日しか行く時がないが、元気そうなので、行かないことにした。欠席するつもりだった30日のゴスペルの忘年会も行けそうなので、今日お金を払いに行ってきた。みんな楽しそうに歌っていて、私も歌いたかったが、今月は休会しているので、がまんがまん。
2014.11.13
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術後の様子が心配だったので、長男のところに行く。もうベッドの上に座っていて、お昼ご飯のおかゆを食べるところだった。鼻で息ができなくて、おかゆを食べるときに苦しそうだった。血が流れて来るので、ティッシュで優しく拭き取らなければならない。ゴミ箱はティッシュでいっぱいだった。点滴は1週間つなぎっぱなしだが、どうやって着替えたのか半そでのTシャツを着ていた。私の持っていったパジャマは邪魔だから持って帰れというので、持って帰ってきた。差し入れで持っていったゼリーなども、今日は食べたくないし、絶食から徐々に普通食に戻しているところで、胃腸の調子が悪くなることもあるらしいからいらない。持って帰れという。明日ぐらいなら食べれそうだったが、冷蔵庫を使えばいいのに、お金がかかるのでなるべく使いたくないらしい。ポカリスエットだけはあっという間に2本も飲みほしていたので、1本買って置いておいた。元気そうなので、安心したが、まだ頭が痛く熱も少しあるようだ。私がおしゃべりすると、頭が痛いとイライラするみたいで、「どうして嫌がっているのに勝手に来るの!」とか言うので、心配して来ているのに、そんな言い方しなくてもいいのに!と怒れてしまった。昨日手術の時は、私がいても、おとなしくしていたのになぁ。会社の人などが来るかもしれないので、母親がいると甘えているように思われるのがいやなのだそうだ。何でも自分でできるからいいというので、1時間もいないうちに帰ることにした。それでも帰る時は一応「ありがとね。」と、挨拶してくれたので、まぁ許そう。看護師さんに挨拶したかったが、見当たらなかったので、さっさと帰ってきてしまった。
2014.11.12
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昨日入院した長男からメールがあり、手術後にはくフレックスパンツというものがいるんだけど、日曜日は病院の売店は休みなので、買ってきてほしいというので、近くのドラッグストアに行って聞いてみたけれど、そういうのは病院でないと売ってないらしい。手術は午後1時からだというので、今日の午前中に買って届ければいいと言うと、面会は3時からだと心配していたので、家族の付き添いは面会とは別だよ~と、11時ごろ病院へ行った。長男が自分で買いに行くと言っていたが、手術前に入浴したり、点滴したり、いろいろ準備があるので、買いに行く暇もないだろうし、どうせ手術の日は行くつもりだったので、来るなと言っていたけど、行く理由もできたので、堂々と行けるしねw朝10時に家を出て、車で、病院まで45分ぐらいで着いた。新車で初めての遠出だ。4人部屋で3人入っていたが、ほかの人も家族が付き添っていたせいか、私がいても帰れとは言わず、手術まで付き添うよ~とずっとそばにいた。長男もさすがに手術前に不安になったのか、気分がさえない様子。私としゃべって気を紛らわすことができて、良かったと思う。考えていたより大変な手術で、朝から絶食で、今日は一日点滴だけで安静にしているようだ。トイレにも行けないからフレックスパンツがいるのだろう。長男は子供のころから注射恐怖症で、点滴を入れるだけでも気分が悪くなっていた。手術は全身麻酔なので、もう注射はしないよ、と言うと安心していた。手術中はお母さんが貴重品を持っていてくださいね。とか、手術後もしばらく付き添ってもらいたいような感じで、看護師さんに言われた。やっぱり、手術の時は誰かがそばにいないと、いろいろ不便だし、もし何かあったら、と思うとそばにいないと不安だ。手術は3時に終わるはずだったのに、結局4時過ぎまでかかった。終わってから、担当の先生と話もできてよかった。結局、カビのようなものはなかったそうだ。長男の鼻の骨が変わっていて、普通の人と違って複雑に部屋が分かれていて、そこに膿がたまっていたそうだ。ポリープを切除して鼻の穴を広くしたが、また風邪をひいたりすると再発もあるらしい。自分で手術を決めたぐらいだから、相当つらかったのだろう。長男は部屋に戻っても眠り続けているので、5時に帰ってきてしまった。ほんとは麻酔が完全にさめるまで付き添ってあげたかったけど、夕飯の準備もあるし、三男も帰ってくるし、明日また様子を見に行こう。もう来なくてもいいなんて言わないだろう。
2014.11.10
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母に付き添って、目医者さんから紹介してもらった大学病院へ行ってきた。検査の結果はやはり加齢黄斑変性症で、治療法として、月に1回、目に注射を3回続けて打つということになった。注射を打った次の日にも診察に行かなくてはならない。もしかしたら入院かもと心配していたが、通院で済むというのでほっとした。11月12月1月と注射を打つ日の予約をして、いろいろな注意を受けて帰ってきた。注射は1回17万円もするらしいが、1割負担なので1万7千円。でもそれでうまくいけば、目が見えるようになるらしい。今年新しく立ったばかりの病院なので、いろいろなハイテクの機械があり、受付をするとタブレットが貸し出され、順番になると振動と文字で、何番の診察室へお入りくださいなどと案内される。便利だが、年をとった母にはやり方がよくわからないし、病院は広すぎてどこへ行っていいかもわからない。何より目が見えないんだから、タブレットの文字が読めない。耳も悪いので、人の声もよく聞こえない。治療費を払うのも機械だし、ドアも自動扉だったり、トイレの水の流し方も手をかざすだけなので、母はわからなくて困っていた。はじめは送ってくれるだけで、帰っていいよと言っていたが、最後まで付き合ってあげて良かった。年寄りひとりではハイテクの病院はわけがわからないだろう。これからも付き添ってあげなくては。取りあえず、母が入院になると、父の面倒をみなくてはならないので、そうじゃなくて本当に良かった。
2014.11.06
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三男が韓国の釜山から帰ってきた。初めての海外旅行なので、パスポートはなくさないように、だとか、スリにあわないように鞄はしっかりと持って、だとか、いろいろ心配して口出ししていたが、荷作りもちっともしなくて、前日の寝る前になって、そこらへんの衣服をパパパッと入れておしまい。私なら2、3日前からいろいろ準備して、あーでもないこーでもないと出したり入れたりしているんだけど。「準備しなくて大丈夫?」と聞くと、頭の中でいろいろ考えているから大丈夫だという。性格の違いだろうか。朝になってパジャマを入れ忘れたことに気づき、ジャージのズボンを入れていた。気付いただけえらいっ!観光ではなく、一応ゼミの授業なので、向こうの大学の日本語学科の学生さんたちに1日釜山を案内してもらうだけで、後は大学で授業に参加したりするらしい。実際1時間40分でついてしまうし、日本とそれほど気候も違わないし、国内旅行と何ら変わりないのかもしれない。私は結婚してから海外なんて行ったことがないから、変に特別に感じてしまうのだが、近所の友達は年に何回も海外旅行しているし、今は全然特別なことじゃないんだろうな。実際北海道や沖縄に行くよりも近いし、安いしwスーツケースは買おうとも思ったが、しまっておく場所がないのでレンタルにした。楽天で一番安い所にしたので、ちょっと鞄はゆがんでいたけど、大きさもちょうど良く、使いやすかったようだ。キャッシュカードも必要かと思ったが、結局作らずに終わってしまった。食費や交通費、お土産代で、2万も使わなかったようだ。私にお土産でアボカドの化粧品を買ってきてくれた。ありがとー(*^_^*)
2014.11.04
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ホテルをチェックアウトしてから京都駅へ行き荷物を預けようとしたのだが、コインロッカーがどこも開いていない。仕方なく駅をぐるぐる歩き回って、駅ビルに空中経路があったので、散歩してみた。京都タワーがきれいに見えて、素敵だった。本当は国立博物館へ行って、鳥獣戯画展を見たかったのだが、入場待ち時間が180分、中に入ってからも鳥獣戯画をみるのに50分並ばなければならない。京都駅のバス停も人で溢れていて、みんな博物館方面に行くみたいだったので、荷物を持って移動するのは大変そうだ。今回はあきらめて、西本願寺へ行くことにした。ところが乗るバスを間違えて、反対方向に行ってしまい、バスの中も人でぎゅうぎゅうで、主人と離れてしまい、どこへ行くのかどこで降りるのか分からなくなって、メールで連絡を取りながら、途中、四条河原町でバスをおりた。隣に座っていた女の人に道を聞いたら、ソーリーと言われた。どうやら中国系の外国の人だったようだ。バスに乗っているのはみんな観光客みたいで、この時期の京都はほんとに人だらけ。そのうえ家を出るときに雨がひどかったので、長い傘を持ってきてしまった。京都ではほとんど雨が降らず、折りたたみ傘だけにすればよかった。車のついたキャリーバックをガラガラと引き、長い傘とショルダーバックを持って、やっとのことで西本願寺へ着いて、義父や義母のことを思いながらお参りした。京都駅に戻り、中途半端な時間だったが、早めの夕飯を食べ、主人と別れて帰路に就いた。順調に1時間45分で家に帰ることができた。京都って案外近い。今度は日帰りで行ってみようかな。
2014.11.03
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今日は嵐山へ行った。亀岡から2時45分のトロッコに乗るチケットを予約してあるので、それまで嵐山を散策する予定だったが、駅を出たら、人力車のお兄さんに声を掛けられて、山の方までぐるっと回ってくれるというので、足が痛くて、腰が悪い私は魅力を感じ、ちょっと高いけど、人力車にもいちど乗ってみたかったので、45分コースをお願いした。主人と二人で人力車に乗り、竹林を通って、野々宮神社、落柿舎、二尊院などを通って、ぐるっと山の方を一回りして渡月橋まで運んでくれた。お兄さんはずっと走りっぱなしで、時々いろいろ説明もしてくれて、ほんとにすごい体力だ。途中で雨がザーッと降ってきてが、屋根を出してくれて、カッパを着て、雨の中も走ってくれた。京都は人力車がいっぱいで、狭い道でも、車が来ても、ひょひょ~いとよけて、進んでくれる。楽チンで気持ちよかった~その後主人と天竜寺へ行って、お庭を拝見し、また竹林を通って、嵐山駅へ。私は足が痛くて、ゆっくりしか歩けなかった。人力車でいろいろ回っておいてよかったな。途中で見つけた店で、お昼にパスタを食べ、嵐山から亀岡まで電車で行き、トロッコ亀岡駅まで歩いて、いよいよトロッコ乗車。30分程度の乗車だが、景色もきれいだし、なぜか車内に鬼が出てきて写真を撮ったり、楽しかった。鬼は太秦映画村の俳優さんがやっているそうだ。宿に帰ってまたご馳走。満足満足。
2014.11.02
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今日から三男が大学のゼミ旅行で、韓国へ行く。それに合わせて、私も主人の所へ行こうと思っていたら、主人が京都へ行こうと、会社の会員制ホテルをとってくれたので、今日から3日まで、京都に行くことになった。三男と一緒に朝10時に家を出る。雨が降っていたので、タクシーを呼んで、駅まで一緒に行った。三男の空港行バスを見送ってから、私は地下鉄で名古屋駅に。京都まで新幹線で35分。あっという間に京都に着いた。京都駅で主人と待ち合わせて、まずお昼ご飯を食べ、それからホテルへ。ホテルへ荷物を置いて、今、特別公開をしている京都御所へ行った。すごくだだっ広い敷地に、豪華な建物。庭がきれいに手入れしてある。昔の天皇はこんなところに住んでいたんだなぁ。ホテルの夕食は、品のある京料理ですごくおいしかった。お風呂もジェットバスで、肩こりがほぐれそうw歩いていたら足の裏が痛くなってしまった。明日大丈夫かなぁ。
2014.11.01
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近くの英語教室の先生をやっている知人から頼まれて、夜、子供たちが17人、うちを訪ねて来るからお菓子を渡してほしいというので準備していた。なんて言ったらいいのかなとドキドキ。ハロウィンなんて初めて!ちょうど長男から電話がかかっていたときに、「トリックオアトリート!」と子供たちがやってきた。電話をすぐに切って、「ハッピーハロウィン!」とお菓子を渡した。みんな魔女などのコスチュームを着て、雰囲気ばっちり。順番にたくさんの子供たちがやってきて、最後は妖精みたいなドレスを着たちっちゃな女の子がふたり。かわいかった~旅行前で、バタバタしていて落ち着かなかったけど、こんな可愛い行事なら、来年も来てほしいなw
2014.10.31
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長男から電話があって、予定通り9日入院10日手術、退院16日に決定したという。9日は車で送ってあげようと思っていたのに、歩いて15分ぐらいだから自分で荷物を運ぶという。近くだといっても荷物があると歩くのも大変だし、病院の場所も知りたいから一緒に行こうと行ったのだが、彼女が手伝って運んでくれるからいいという。家にあるパジャマなどもいらないという。自分で準備するからいいって。お見舞いも勝手に来るなと。自立してるのはいいことだが、あまりにも冷たいのでちょっとムッとした。いくつになっても私の子供なんだから、入院するなんていったら、心配で駆けつけたくなるでしょ。手術の日は付き添うつもりでいたのに、それもだめだと言う。まれにだが、失敗して、脳に損傷ができたり、失明したりすることもあるということなので、心配だよ。退院の日は行けないので、せめて入院の時ぐらい手伝ってあげたかったのになぁ。来なくてもいいよ~ではなく、来るな!という感じなので、なんだかがっかり。
2014.10.31
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なんだか大変なことになってきた。私の母が、加齢性黄班変性症になったのだが、最近真ん中がぼやっとして見えなくなったというので、今日、眼医者で検査してもらったら、出血しているのだそうだ。すぐに大きな病院へ行くように予約をとってくれた。混んでいるので、来週の11月6日になった。もしそれで入院というようなことになったら、母が介護している父の面倒をみなければならない。それとは別に、長男が11月9日から16日まで入院して、真菌性副鼻腔炎の手術をすることになった。手術がもし失敗すると、失明したり、脳が損傷することもあるという、大変な手術だ。昔は3週間は入院したそうだが、今は内視鏡手術ができるようになって、8日間で済むそうだ。でも手術でしか治らない病気だそうで、長男はひとりで入院を決めてきた。離れたところで暮らしているので、お見舞いに行くのも大変だと思っていたが、その長男の入院と、母の病気と、父の介護と、その上、叔父が倒れてこん睡状態だという知らせがあった。いつ何が起こるか分からない。私自身が最近体調が悪く、ここ数日、急に胃が痛くなり、下痢をしたりする日が続いていて、相変わらず、腰とひざも痛いし、重たいものを持ったりすることができない。私がこんな状態で、自分のことだけでも大変なのに、いろいろなことが次々と起こり、もうどうしていいのか分からなくなってきた。今週の土曜日に三男が初めての海外へゼミ旅行。そのことだけでも心配なのに、同じ時期に主人と京都へ遊びに行く予定を立ててしまい、主人は張り切って、トロッコのチケットをとってきてくれたり、楽しみにしている。でももう私はいろいろありすぎて、旅行なんて行っている場合じゃないよって感じ。そのうえ、長男が退院する16日は義母の納骨式がある。お寺さんの都合で納骨が1時に決まり、予約していた料理やさんをキャンセルしなければならなくなり、昼は2時で閉まるところなのだが、だめもとで2時からに時間の変更をたのんだら、無理を聞いてくれてほっとした。やはり小さな個人店は融通がきいていいな。これで納骨の心配はなくなったが、長男のところへ行ってあげられないなぁ。なんだか心配だ。彼女が手伝ってくれるかなぁ。あーあ、11月30日のゴスペルの忘年会も申し込んだけどキャンセルしようかな。いろいろあって、ちょっとパニックだ。
2014.10.27
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15年も乗っていたステップワゴンを手放して、小型車のソリオを購入した。ステップワゴンは8人乗りで、家族や親せきを乗せて旅行へ行ったり、大活躍だったが、もう子供たちもひとりずつ独立して、大勢でどこかへ行くこともなくなったし、それなら、小さな車の方が普段の買い物などに小回りが利いて便利だし、燃費もいい。でも軽自動車だと、うちの家族が3人いる時に、おじいちゃんおばあちゃんが乗れないので、一緒に食事に行くこともできなくなるため、やはり5人乗れる普通乗用車にした。9月中に購入するとナビのプレゼントが付いてくるキャンペーンをやっていたので、思いきって決めてしまった。そして今日が新しい車の納車日。ほんとは故障するまでまだまだ乗れたんだけど。あのステップワゴンは2度も事故をしたのに、本当にどこも故障せず、よく走ったし、長男や、次男や、主人の引越にも使って、便利だったなぁ。なんだか思い出がありすぎて、すごくさびしいな。でもそろそろガタが来そうで、買い替え時期だったと思うし、これからはソリオくんよろしくね。
2014.10.26
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なんだか最近疲れがたまって、体の調子が悪い。以前から続いている慢性の腰痛のほかに、右ひざの痛みが引かなくなってしまった。少し歩いただけでも痛くてたまらなくなる。運動なんてできたものじゃない。このまま自分が車いす生活になってしまうようで、とても不安だ。こうやってパソコンの前に正座してじっとしていることが膝にはよくないということがわかっていても、このくらいしか自分の楽しみがないので、なかなかやめられない。義母が亡くなって楽になるかと思ったら、その後のいろいろな後片付けが大変で、結局それも私ひとりがやらなくてはならず、もうなんだか何もやりたくなくなってしまった。それに今度は自分の親がそのうち倒れるかもしれないという不安感と、自分ももしかしたらどうかなってしまうんじゃないかという、変な恐怖と焦りがあって、なのに体がこんな風で、動けないので、いろいろなことができなくて、頭ではいろいろやらなくちゃと思っているのに、体が動かないという、すごいジレンマに陥っている。まだあと20年ぐらいは元気で生きていきたいのに、なんだかそんな気力もなくて、毎日だらだらと過ぎていく。主人が単身赴任で、話をする人がいないからかもしれないが、すごく孤独を感じる。しょっちゅう買い物に連れて行っている自分の母が、会うたびに父の愚痴ばかり言うので、私しか聞いてあげられないからと思って我慢していたが、最近はそれすらうざくなってしまって、母に会うのもストレスになってきた。どうしたら楽しく生活できるのだろう。
2014.10.16
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今年のお盆は親族が全員そろって、とても賑やかだった。義母のお葬式にお義姉さんの子供(私の甥、うちの子たちの従兄)の奥さんと子供が、大阪にいるし、子供連れだから、無理に来なくてもいいよと伝えて、葬儀には来なかったので、せめてお盆は仏壇にお参りしてほしいと思い、今年はYちゃん(甥の奥さん)も孫も連れて来てねと言ったところ、全員で来てくれたので、総勢13人になった。甥っ子が結婚してから、実家に寄るだけで日程がいっぱいなので、お盆もお正月も義母の家には来なくなっていたので、本当に久しぶりだ。今まででも2回しか寄ったことがないし、一緒ご飯を食べるのも初めて。でもうちの親族の中の唯一の孫(義母からみたらひ孫)だし、女の子なので、(うちの親戚には女の子がいない)みんなのアイドル的な感じで、子供がひとりいるだけでこんなに癒されるんだなぁと実感した。うちも次男が東京に行ってから、5人家族がそろうことは本当にまれで、いつも誰かが欠けていたりするのだが、葬儀の時も今年のお盆も、東京にいる次男や離れて暮らす長男も来てくれて、久しぶりに家族5人そろって、なんだかとてもうれしかった。住んでいない空家だが、義母の家があるということはとても便利だ。全員が一緒に食事をするスペースがあるし、みんなが集まることができる。調味料も何もないし、準備をするのも大変なので、スーパーでオードブルを注文して、近所のお寿司屋さんでお寿司をとり、若い人のためにピザをとり、ネットで、フグのお刺身を届けてもらった。買ったものばかりだが、結構なご馳走になった。お義父さんやお義母さんが元気な時は毎年こんな風に集まっていたのを思い出す。これからもこんな風に時々みんなで集まりたいな。
2014.08.15
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今日は墓参りに行ってきた。花も昨夜のうちに買っておいて、朝早く出かけた。今朝は涼しくて、道もすいていてスムーズ。家に帰ったのは9時ごろ。いつもなら今頃出かけるのだけど、昼近くなると暑くなるし、朝早く行って正解だった。
2014.08.13
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おとといの朝から、右ひざが痛くて、歩くことも座ることも大変だ。ずっと腰も痛くて、それをかばっているうちに膝が痛くなったのか、台風の影響で、窓を空けておけなかったので、一日中クーラーをつけていて冷えたのか。少し前から時々、少し曲がった状態までしか足を完全に伸ばすことができなくなって、変だなぁと思っていたのだ。でもそれほど痛みはなかったので、気にしていなかったのだが、法事のときに長い時間正座していたり、後片付けなどで、いつもと違う労働をしたせいか、何が原因か分からないけど、腰だけでなく、膝まで痛くなって、日常生活に支障が出てきて、このままではいつか私は車椅子生活になるだろうなぁと思う。まだ50代なのに今からこんな状態では先行きがすごく不安だ。ちょうど単身赴任の主人が帰省してきたころから体に不調が出てきたので、自分のペースで過ごせないというストレスからだろうか。義母の家の遺品整理や、家の片づけのことなど考えると憂鬱になるし、体が動かないので片づけるのも一苦労だ。お盆には親戚に集まってもらって、みんなで会食を予定しているのだが、もう作ることはできないので、お寿司をとって、スーパーでオードブルを注文することにした。それと、ネットでフグの刺身を注文した。後は飲み物だけ買って、食器を用意すればいいかな。うちが後取りになって、これからの法事などはうちがやることになったので、なんだかんだといろいろ大変そうだなぁ。
2014.08.12
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義母が亡くなって、7月はコーラスもゴスペルも休会していた。忌明け法要も済んで、もう歌を歌ってもいいかなぁと思い、久しぶりにゴスペルのレッスンへ行った。いろんな人が、「久しぶりだねぇ。」と言ってくれてうれしかった。特に、ふだん話したことのないキーボード担当の先生(22歳の男の子)が、近寄って話しかけてくれたのでびっくり!私の存在を知っていたというところが驚きだ。(そんなに目立つのか?w)ただキーボードを弾いているだけでなく、ちゃんと生徒ひとりひとりを見ていてくれたんだね。みんなのあこがれの先生に声をかけてもらって、なんだかすごくハッピー!それに、やっぱり歌を歌うと気分が晴れやかになっていいね。
2014.08.07
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うちにはお義姉さんとお義兄さんがいるのに、どうして次男の嫁である私が義母の面倒をみなければならなかったと言うと、それには複雑な事情がある。義母は後妻で、義母の本当の子供は主人だけなのだ。前の奥さんは3人目の子供のお産の時に、子供と一緒に亡くなってしまい、3歳と5歳の子供を抱えて困った義父がすぐに後妻をもらったのだ。家には舅と姑がいて、いきなり家事と老人の世話と、二人の子供の母になった義母は大変だったと思う。そのうえ結婚したら炭屋を始めて、お舅さんについて遠くまで歩いて配達に行ったという話はよく聞いた。そしてすぐに主人を身ごもり、赤ちゃんの世話もしなくてはならず、考えたらよくやったなぁと思う。そんな大変なところへ恋愛結婚でもなく、よく嫁いだなぁと思うが、実は義母は1度結婚に失敗しており、いわゆる出戻りだったのだ。結婚した人が酒乱で、家にお金を一切入れない人で、一緒に住んでいたお義母さんも変な人で、耐えられなくて、1ヶ月ほどで、逃げて帰ってきたのだという。戸籍謄本にはその事実が書かれていないので、戸籍にも入れてもらえなかったのだろう。昔のことなので、出戻りの人にはもう良い縁談などなく、後妻になるしかなかったのだろう。義父はおとなしいいい人だったし、人物的にはいいと思って結婚したのだろうが、自分が想像していたよりもその生活は大変なものだったんだと思う。いろんなストレスを小さな子供に向けてしまってもしょうがない。義母はお義兄さんとお義姉さんにつらくあたり、お義兄さんは子供のころに受けた心の傷が今でも消えないのだそうだ。昔の人だからしつけが厳しかったんだと思うが、本当の子供じゃないからつらく当たるんだと思ってしまったようだ。実際3人子供を育てればわかると思うのだが、どうしても下の子に甘くなってしまうのは実の母でもあることだ。でもそれを、自分の子供ばかり可愛がるというように感じてしまった。実際そうだったのかもしれない。その上すぐ隣に親戚が住んでいて、その人に「自分の子供じゃないから叱れないんだ。」などと言われたので、意識して厳しくしたのだと生前義母は私に話してくれた。うるさい小姑までいて、ほんとに義母は苦労したんだと思う。でもそれを小さい子供にぶつけたのはやはりいけないことだ。お義兄さんたちはしつけではなく虐待されたと感じている。いじめと同じで、やった方はそんなつもりでなくても、受け取る方がそう感じてしまったのなら、それはいじめなのだ。大人になって私が嫁いでからの義母は、そんな義兄たちにつらく当たる様子はなかったし、お義兄さんもお義姉さんもお盆や正月など、家族を連れて遊びに来るし、まさかそんなことがあったなんて私は全然知らなかった。でも8年前に義父が亡くなってから、あまり家に寄り付かなくなったのは確かだし、認知症になってからは私にまかせっぱなし。主人も義母は自分がみると言っていたし、変だなぁと思っていたが、他人にはわからない複雑な感情があったようだ。主人も自分のせいでお義兄さんたちがつらい思いをしているということを感じながら育ったわけで、それもまたつらかったようだ。もう亡くなったというのに、あそこの兄弟はまだそんな風に傷が癒えていない。なんだかかわいそうだと思った。そんな苦労をして子供を育てたのに、そんな風に嫌われて、お義母さんもかわいそうだと思った。でも、もう亡くなってしまったのだし、関係を修復することもできないのだから、後は嫌なことは忘れて、これからを生きていかなくてはならない。お義兄さんのお嫁さんはとてもいい人なので、これからも仲良くしていこうと会食の時に話していたし、いろいろあったけど、これからは兄弟3家族仲良くしていきたいものだ。
2014.07.27
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二七日、三七日、四七日、五七日と一週間ごとにお参りがあり、お寺さんに家に来ていただき、お経をあげてもらう。浄土真宗は三十五日で忌明けなのだが、お寺さんの都合で、今日(三十六日目)忌明け法要をすることになった。三十五日を過ぎているのにいいのかと聞いたところ、四十九日の前倒しということでやればいいという。なんだか適当だ。昨日、お葬式をした会館の人が忌明け用の花を1対もってきてくれた。これも葬儀代に入っているのだという。どうりで高い祭壇代だったわけだ。でも新たにお花を頼まなくてもいいから便利かも。中陰台がとても華やかになった。昨日今日とものすごい暑さで、各地で熱中症で倒れる人が続出という気温(38度)の中、会館ではなく義母の家で法要をすることになり、朝から準備するだけで汗だくになることを予想して、普段着で出かけた。みんなも集まって来て、そろそろ礼服に着替えようとしたところ、あああああぁ・・・@@!ものすごいミスに気が付く。私の礼服や主人や長男のカッターが入っている旅行鞄を家に忘れてきてしまった。主人や息子のスーツを入れる袋3つと、小物などを入れた手提げ袋等をもって来たので、もう1つ鞄があったことをすっかり忘れてしまったのだ。お寺さんが来るまであと40分しかなく、家まで20分ぐらいかかるので、往復するとほんとにぎりぎりだ。私がパニックになっていて危ないということで、長男に送ってもらうことに。長男の車に乗って、二人で自宅へ戻る。途中道が混んでいてほんとにハラハラした。鞄をもって義母宅へ戻ると、ちょうど住職が着いたところだった。私は家で着替えてきたので、主人と長男は急いで台所で着替える。三男は家から礼服を着てきたのでよかったのだが、冬のスーツなので、熱中症みたいになってしまい、その上私がいない間に、2階の階段から足を滑らせて転げ落ち、尾てい骨をひどく打ったようで、気分が悪くなってリビングの椅子で休んでいた。とんだバタバタで法事が始まった。人が多くてちっともクーラーが効かず、途中で住職が扇子をパタパタとやりだしたので、あわてて扇風機を住職に向ける。私も息つく暇もなくお経が始まったので、汗が噴き出して大変だった。休憩の時に住職は自分の車にタオルを取りに行った。あんな袈裟をつけてよほど暑かったのだろう。お茶も冷たいものを用意した。1時間程度で法要が終わり、みんな急いで服を普段着に着替えて、木曽路へ昼食を食べに行った。暑いから着替えを持ってきてねと連絡しておいてよかった。あ~これでやっと忌明けがすんだ。義母の姉妹(おばさまたち)を呼ばず、子供たち3家族だけなので、気楽にできてよかった。食事中にこれからも3家族仲よくしていこうねとおお義姉さんたちと話し合った。みんな私がよくやってくれたというようなことを言って下さり、ちょっと救われた。感謝の言葉を言わなかったのは主人ぐらいだ。心で思っていても口に出さなきゃだめだよね。
2014.07.26
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亡くなった日から数えて7日ごとにお参りがある。義母は土曜日に亡くなったので、毎週金曜日だ。今日は二七日だった。区役所でやるいろいろな手続きがあるので、1日会社を休んで主人が帰ってきた。二七日のお参りの後、区役所へ行って、相続のための、義母の戸籍謄本や除籍証明書などをとり、そのあと市民課で印鑑登録手帳を返し、保険年金課で後期高齢者の保険証、福祉給付金資格症などを返し、福祉課で、介護保険症、敬老手帳、身体障害者手帳、福祉特別乗車券などを返した。後期高齢者医療被保険者には葬祭費が5万円出るそうだ。その他すでに払い込んでいる保険料などの還付金が戻るらしい。銀行の通帳も閉めてしまったので、公共料金や、施設に払うお金などが落ちなくなってしまったので、名義書き換えや、引き落としの手続きなどもある。だいたい1か月遅れで引き落とされるので、いろいろな請求書があとから届く。とにかく手続きが山盛りだ。区役所の後は郵便局で簡易生命保険の受け取りや、定額貯金の相続の手続きをしに行く。大した額でもないのに、全ての相続人の実印登録書がいるらしい。お兄さんとお姉さんに、忌明け法要の時に持ってきてもらうように連絡する。義母の財産はそのくらいなので、それで済んだが、いろいろな銀行に貯金があったり、株を持っていたりすると、もっと大変なんだろうなぁ。認知症になってから私が通帳を預かっていたので、あちこちの物をまとめておいたので、よかった。義母の死因はたぶん腸閉そくだと思われる。私の叔母が同じ病気で亡くなって、やはり昼まで家族と一緒に食事をして元気だったのに、夕方頃もどして様子がおかしくなり、病院に着いたら手遅れだったという。高齢者の腸閉塞などは急変することがあり、命を失うことも多いらしい。解剖やCTは撮らなかったけど、おなかがポンポンに膨れて、紫色になっていたという。先生も腸の病気だろうと言っていたし、たぶんそうだったんだと思う。先日退所手続きに行った時、施設の人が、当日のことをいろいろ話してくれて、とにかく脱水症状になるといけないからと、水を飲ませたり、私が差し入れで持っていったドリンクゼリーを飲ませたりしたと言っていた。それをおいしそうに2パックも飲みほして、その後、もどしもしなかったのでいいと思っていたら、その後急変したということだった。2パックも一度に飲ませなくてもいいのにとも思ったが、前日から食事が取れていないので、少しでも栄養をと思ったのだろう。腸閉そくの時は水も飲ませてはいけないらしいが、気がつかなかったのだから仕方がない。たぶんそれが急変につながったのだと思う。責めるつもりもないし、もし発見が早くても手術したりしたら、それに耐えられなかったと思うし、たとえ命が助かっても、もう完全に寝たきりになっていただろう。何より腸閉そくはすごくおなかが痛くなるのに、痛くなる前に意識がなくなったのか、ほんとに苦しまず、あっという間の安らかな死だった。精神病院へ入院して、院内感染でインフルエンザにかかって、その後立てなくなって、おむつになって、最後の方は本当にかわいそうだった。悔むこともたくさんあるけど、私としては精いっぱいやったし、全てしょうがなかったんだと思う。今は不自由な体から解放されて、ほんとによかったねと言いたい。
2014.07.04
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6月18日は義父の命日だった。仏壇にお参りしようと思っていたけど、いろいろあって行くことができなかった。お義父さんがさびしくなってお義母さんを呼んだのかなぁ。3日後にお義母さんがいなくなっちゃうなんて。そろそろゼリーやプリンだけでなく、柔らかいおまんじゅう等も食べられるようになったと聞いていたので、仏壇にお供えした上用まんじゅうを持って、施設に面会に行く予定だった。施設に入る前、仏壇に供えてあった上用まんじゅうを一気に3つか4つ食べてしまったことがあって、おなかがすいていたのかもしれないが、義母はおまんじゅうがとても好きだったんだと思う。19日はゴスペルの親睦会があったから行けなくて、20日は生協の荷物が届くのが遅くて結局夕方になってしまい、明日行こうと思っていたところだった。あの日、夕方でも行っていれば、最後にお義母さんとお話しできたかもしれない。ちょっと後悔が残る。でも病院へ駆けつけた時、しっかり私の目を見つめて、その目がとても優しい目だったから私は救われた。病気の影響で、時々とてもきつい目でにらむ時があって、そんな目で最後に見つめられたら、きっとトラウマになってしまっただろう。最後に私を見つめた目は優しい目だった。だから私もにっこりとほほ笑んでお母さんを見つめた。お義母さんは口をパクパク動かして私の名前を言ったような気がする。きっと良くなってまた元気になると思ったのに・・・お棺にお義母さんの好きだった上用まんじゅうを入れてあげた。今日は私の結婚記念日だった。毎月1回帰ってくる主人は歯医者の予約がしてあり、来週帰ってくる予定だった。主人が1週間早く歯医者の予約をしていれば、義母の最期に会うことができたのになぁ。母親の最期に会えなくて、かわいそうだった。でも5月の末に面会した時、主人の名前を呼んでとても喜んでいたので、最後に会った時の印象がとてもよかったから、主人も後悔はないだろう。何もできない記念日だったが、義母が主人や息子と会わせてくれたんだと思う。それに、さくらんぼ狩りもコーラスの発表もゴスペルの親睦会も行かせてくれてありがとう。
2014.06.24
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主人も次男も今日帰っていくので、男手があるうちにグループホームへ荷物を取りに行くことになった。小さなタンスとその中にある衣類、雑貨など。あと、テーブルやいす、手押し車、車椅子。結構荷物があるので小さな引っ越しみたいだ。義母の担当だった職員さんが、形見に何か欲しいというので、義母が書いた習字や、ハンドタオルなどをあげた。その人はほんとに義母のことが好きだったようで、義母の物がなくなってしまうのが悲しいみたいだ。車いすの処分に困っていたら、急に体調が悪くなった人用に欲しいというので、施設に寄付した。そのほか、おむつやパッドなどもたくさん残っていたので、どなたかに使ってくださいと引き取ってもらった。義母のリハビリ用に買ったパズルなども欲しいというので、全部寄付した。先日買ったばかりの新しい上靴も、どなたかの洗い替えにと置いていく。もっと大変だと思ったが、ワゴン車に全部乗ったので、荷物運びは一度で済んだ。施設がいろいろ引き取ってくれたので、ずいぶん助かった。
2014.06.24
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朝、会館へ向かう為に車を運転しようとしたら、足がつった。慣れないパンプスのせいか、それとも一昨日昨日と立ちっぱなしで疲れたのか、次男が免許証を持ってきていたので運転してもらって、助かった。長男は明日仕事で今夜帰らなければならないので、遅くなるといけないから、お葬式が終わったら直接帰れるように、自分の車で向かった。会場に着くと、義母の担当の施設の職員さんが来ていて、その人はちょっとガサツで、まじめな義母とは気が合わないと思っていたが、すごく義母を可愛がってくれていて、ちょっと子供扱いしていたのだが、いつも声をかけて遊んでくれるので、義母も喜んで握手をしたり、信じられないが、投げキッスをしたりしていたらしい。その人にとっての義母は特別な存在だったようだ。「こんな私を必要としてくれた。」と、かなりパニックになって泣きじゃくり、義母の代わりに私に握手して下さいと、私と握手をして、なんだか私も泣けてきた。お葬式は12時から始まり13時出棺だった。途中で私はおなかが痛くなり、冷や汗たらたらで、悲しみに浸る暇もなく、棺にお花を入れる時しかチャンスはないと、真っ先にお花を供えて、そのままトイレに駆け込んだ。お腹が治まり帰ってくると、まだ順番にお別れをしていたので助かった。式の後は私が骨壷を持って、バスで火葬場へ行き、しばらくトイレなんて行けないだろうから、本当にセーフだった。無事に火葬も終え、会館に戻ってきて、そのあと初七日のお参り。そして精進落しを食べて、すべての行事が終わった。昨日一昨日とあまり食事も食べられなかったが、ホッとしたのか、精進落としの御馳走は完食。主人が親戚のおばさまたちに、三十五日や1周忌は子供たちだけでやりますと宣言。義父の時は会館を借りて、大勢親戚を呼んで行ったが、みんなもう高齢で、来るのも大変で、だれかに運転手をさせて3人で来なければならないし、質素にやってほしいという義母の遺志をくんで、私たちだけで自宅でやることにしたのだ。義母の姉妹はすごく仲が良く、何かと言っては集まる人たちなのだが、親戚の付き合いを壊してしまったみたいで、ちょっとどうかなぁとも思ったが、誰も文句は言わなかった。世代交代ということだろう。長男は駐車場の車の中で着替えて帰って行った。そのあと、夜、義母の家に祭壇を飾りに来てもらう。義母の家はだれも住んでいなくて、祭壇を飾る広い場所があるが、うちなんかだったら、家の中がぐちゃぐちゃで飾る場所もない。主人か私に何かあっても義母の家で飾ってもらおう。仏壇の前に素敵な祭壇ができ、お花いっぱいに囲まれた義母の遺影がある。ずいぶん若い時の写真だが、実は義父の遺影に使った旅行の時の写真で、もともと義父と二人で写っていたものなのだ。これでペアになったというわけだ。今と全然違ってすごくふっくらとしているので、なんだかお義母さんじゃないみたいだけど、病気になる前の、元気でしっかりしていて、毎日1万ぽ歩いていたころの頃のお義母さんだ。天国では杖なしで、愛犬とさっそうと歩いているんだろうなぁ。お義父さんとは会えたかなぁ。
2014.06.23
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15時からの湯灌の儀式が行われた。途中、施設の人が来て、一目会いたいと言うので、湯灌の儀式に参加してもらう。いちばん来てほしくなかった義母の入院に賛成していた男の職員だ。すぐに帰るかと思ったら、最後までいて、家族の中でひとりお茶を飲んで居座り、お義母さんが二人いたら、うちはやっていけないねって話していたんですよ~などと、空気の読めない会話をして、お姉さんたちの怒りを買う。そのあと、ケアマネージャーの女の人が来て、その人はほんとにいい人だったし、涙ぐんで話も出来なかったが、気持は十分伝わった。通夜の前に所長、看護師さんたち、通夜の途中にも一人、夜中にはいつも優しく接してくれたパートの職員さん、みんな仕事帰りの服装で、次々と駆け付けてくださった。看護師さんは、もっと早く気付いてあげられなくて・・・と泣いていた。仕方がないと思う。様態は急変したんだし、もし早く病院へ運んだとしたら、きっと手術になっただろうから、そうなったら、今度は手術に耐えられなかっただろうし、命を取り留めても、完全に寝たきりになってしまっただろう。それより、苦しまずに、体を傷つけることなく、静かに眠りについてよかったと思う。お義母さんがプリンを食べたそうにしていたからと、もうひとりの方はプリンを持ってきてくれた。家族葬なので、ほんとに親族にしか知らせなかったが、施設には亡くなったことを知らせたので、みなさん次々と義母に会いに来てくれて、お義母さんも喜んでいただろう。私たちよりも施設の人の方が、救急車に乗る前の元気な義母を見ているだけに、みんなびっくりして、ショックを受けている様子だった。通夜は19時から始まった。主人が高い祭壇を選んだので、義母の思い出の写真をスライドにしたり、お義母さんの意に反して、ちょっと派手な式になってしまった。親戚のおばさまたちが来て、通夜振る舞いもして、けっこう夜遅くまでおしゃべりしていったようだ。私と子どもたちは10時ごろ先に失礼して自宅へ戻った。会館には主人と姉夫婦と、お兄さんの4人が泊まった
2014.06.22
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医者の話では、おなかが膨れていたので、もしかしたら腸の病気か何かかもしれない。解剖して原因を調べますか?と聞かれたが、体にメスを入れるのは嫌なので断った。CTを撮ればある程度のことがわかるけどどうしますか?と聞かれたが、もうお義母さんが戻ってくるわけではないのでそれも断ってしまった。原因不明なので、一応心不全ということになった。すぐに葬儀会社へ電話して、迎えに来てもらうことになった。生前お義母さんは互助会にはいっていたので、手配はスムーズだった。会館の人が、葬儀会館に行く前に、家の前を通りますか?と言うので、是非にとお願いした。すると5分ぐらいなら、家にあがることもできます。と言うので、私はずっとお義母さんを家に帰してあげたかったので、もうすぐ主人が到着するので、それまで待ってもらえますか、と頼み、30分ぐらいだったら待ってくれると言うので、会館ではなく、実家に来るように主人に連絡した。それからみんなで実家へ向かった。実家へ着くと、会館の人が二人で担架みたいなもので義母を運んで、中へ入れてくれた。仏壇の前に寝かされ、久しぶりに家に帰ってきた義母はうれしかっただろう。30分ぐらいして主人がタクシーで駆けつけてきた。主人が来るのを待って、みんなで葬儀場へ移動した。主人が実家で義母に会うことができて本当に良かったと思う。通夜は明日、葬儀は明後日に決まった。義父の時にお世話になったお寺さんにお願いして、枕経をあげてもらう。今日一日は会館でお義母さんを預かっていただけるということなので、ちょっとひとりにしておくのはかわいそうな気もしたが、朝から着の身着のままで病院へ駆けつけて、何の準備もしてないので、いったん家に帰ることにした。 女性は礼服さえあればあとはストッキングぐらいで済むが、男4人の支度をするのにてんてこ舞いだった。閉店寸前に、3人の子供と主人のカッターを8枚買いに行った。礼服や、黒い靴下、ベルト、靴などを準備する。義父の時はまだ学生だったので、学生服でよかったが、3人ともまだきちんとした礼服を買ってなかったので、三男は大学入学の時に買った黒いスーツ、長男は、私の父のお下がりの礼服で間に合わせることに。次男などは仕事場から直接来たので、ドロドロの格好で、靴も運動靴。黒いスーツは東京に置いてきたので、自宅にあった濃いグレーのスーツと、三男が黒い靴を2足持っていたので、それを履くことに。(サイズがあってよかった)ベルトはたまたま新品が買ってあったので、それをあげた。黒いネクタイも、なんとか4本あったのでよかった。こんなに早く何かが起きるなんて思ってもいなかったので、準備はしておくものだとつくづく感じた。認知症になる前のお義母さんは本当にきちんとしたしっかりした方だったので、自分の棺の中に入れてほしいと、四国へお遍路さんに行ってもらってきた記帳や印がたくさん押してある白い着物のようなものや、わらじ、自分のへその緒などがひとまとめにしてあったので、探すのも簡単だった。葬儀場も互助会に入っていたし、お寺さんとも付き合いがあったので、どこにしようか探すこともなく、段取りよく出来たと思う。生前、自分のお葬式は身内だけで質素にやってほしいと言っていたので、家族葬で、香典も一切もらわないことにした。
2014.06.21
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義母が亡くなりました。あまりにも突然で、バタバタとしてあっという間に終わってしまいました。21日(土)の朝、8時ごろ施設からの電話で起こされる。いつもならもう起きている時間だが、昨夜なんだか眠れなくて、3時過ぎまで布団の中で起きていたので、今日は休日だしゆっくり寝ていようと思っていたところだったので、頭がぼーっとしてなかなか体が動かない。電話によると、昨日からご飯を食べるともどしてしまうという状態が続いていて、血圧は高いが、熱はないし、大きな声を出して元気がいいので、様子を見ていたとのこと。でも今朝になっても嘔吐が続くし、血中酸素濃度が90を切ったので、今から救急車を呼んで病院へ行くので、家族も来て下さいとのことだった。私はノロウイルスか何かかなぁと思ったが、とにかく急いで着替えて出かける準備をした。施設へ向かおうとしていたら、また電話があって、血圧が下がって様子が変なので、家族を待たずに救急車を呼んだところ、救急隊の方が、どこの病院がいいかと聞いてくれたので、うちの近くの病院を希望したが、そこは施設から遠いので、前に肺炎で入院していた東部医療センターへ行くことになった。うちからは40分ぐらいかかるので、病院の近くに住む兄夫婦のところに電話して、病院で、救急車が到着するのを待ってもらうようにお願いした。以前そこに入院した時、義母だけを置いて、施設の人が帰ってしまったことがあったので、とにかく誰かに受け取ってもらおうと思ったのだ。たまたま土曜日だったので、お兄さんが休みでほんとによかった。病院へ向かう途中にまた電話があって、延命治療はどうしますかという内容だったが、運転中だし、もうすぐ着くからそれまで待って下さいと返事をする。病院へ着くと私の予想とはまったく違って、義母は危篤状態だった。施設の看護師さんの話だと、それまで「おねえさん」とか「トイレトイレ」とか大きな声で話していたが、救急車に乗ると安心したように身を任せ、「寒い」というので、毛布を掛けてあげたという。そのまま意識がなくなり、病院へ着いた時には、もう瞳孔も開いて、脈も触れないぐらいになっていた。危篤だということで、お兄さんのお嫁さんも仕事をやめてかけつけていた。医者が、今からできる治療としては、人工呼吸と気管切開ぐらいだが、人工呼吸をするとあばら骨が折れてしまったりすることもある。もう高齢なので、自然の流れにまかせますか?と聞かれたので、前の入院の時も、延命治療はしないと家族で話し合っていたので、本人もそれを望んでいるだろうから、自然に任せますということになった。治療室から一度病室に移った。病室に入ってから、私が「お母さん、わかる?○○だよ。」といつも施設に面会に行った時のように話しかけると、それまで上を向いていた目が私の方に動いて私を見つめた。そして口をパクパク動かした。私がわかったんだと思った。何か刺激があるとまゆ毛を動かしたり反応がある。そのあとお義姉さんと二人で「お母さん、お母さん」と声をかけると機械の数値が50から80くらいに上がる。しばらくすると50から30ぐらいに下がって、また呼び続けると上がったり下がったりしていた。時々0になってびっくりして呼びかけるとまた戻ったり、そんな感じが続いていた。単身赴任で西宮にいる主人にすぐに帰ってくるように電話して、長男と東京にいる次男にも連絡した。家にいた三男には学校へ行かずに家で待機するように。先生はあと数時間かもしれないし、数日かもしれないと言われたが、気丈なお母さんのことだから、きっと復活すると信じていた。50ぐらいで少し安定したので、休憩室で家族に電話したりしていたら、お義姉さんが、「大変!」とろうかに出てきて、あわてて病室へ戻る。それからは0のままもどらなくなってしまった。お姉さんたちが病院に着くころなので、お兄さんは駐車場へ迎えに行っていたので、すぐに電話する。ちょうどお姉さんたちが着いたところだった。もうすぐ、みんなが来るから頑張ってと声をかけるが、0のまま。お姉さんたちが駆けつけてから、お医者さんが「10時25分です。」と臨終を告げた。あと2時間ぐらい頑張ってくれれば、主人や、子供たちも間に合ったのに、主人も二男の新幹線の中だった。
2014.06.21
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今日はもう一つの習いごと「ゴスペル」サークルの親睦会だった。練習後、近くのお店で食事会。メニューは鶏の唐揚げ定食。そこの店は海鮮を中心とした和食屋さんなのだが、唐揚げを選ぶところが若いという感じだw40人近くのメンバーが一度に行ったので、予約がしてあるとはいえ、お店はてんてこ舞い。人手が足らないみたいで、なかなかご飯が運ばれてこなかったので、みんなでセルフサービスみたいに食事を運んだ。コーラスのメンバーよりもゴスペルのメンバーの方がもう一回り若いので、小さなお子さんや赤ちゃんを連れてきている人もたくさんいて、そんな若い人たちと親睦できるのも、このサークルに入ったからこそだ。夏には近くの小学校の夏祭りに出演することも決まって、なんだか私の生活が随分変わってきた。思いきって、サークルに入ってよかったな。
2014.06.19
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