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エディ藩作曲 藤竜也作詞の「横浜ホンキートンク・ブルース」に出てくる歌詞 『飯を食うなら オリジナルジョーズなんて・・・ 』 関内にあるオリジナルジョーズは、横浜最古のイタリアン・レストランです。開業して55年の歴史があるそうです。今風のスタイリッシュなレストランでなく、あくまでオールドファッションのお店です。テーブルや椅子はもとより、内装があたたかく歴史を感じさせるお店なのです。客も、やはり昔からの馴染み客風が多かったような気がしますね。しかし、味はいいですよ。さすが老舗の味です。値段もそれほどでもないし。注文から、運ばれてくるまで時間がややかかりますが・・・そんなオリジナルジョーズへ行ってきました。わが家の次男坊、誕生日のお祝いです。何が食いたいんだって聞いたら、「関内あたりで、高そうなイタリアンが食いたい」って言うもんで。もっと高い店もあるでしょうが。そこは、そこそこ・・・ 桜通りの歴史あるお店へ行くことにしました。小さめですが、なかなかなピッツァでした。肉料理やサラダも付けて。ご当人は、リキュール類を飲んでおられました。パスタも、それぞれが異なる味を堪能しました。一月生まれの次男坊は、また、横浜の新しいお店を知ることになりましたです。
2009年01月11日
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朝日新聞の別冊「BE」にSONGS「うたの旅人」に載っていました。 横浜で育ったものとしては、実はそれほど横浜っぽい歌だとは思っていなかったのですが。まあ、いろんな文化が織り交ざる街です。これはこれかな! と思うようになってきた歌です。 タララ、ラッタラッタランという前奏に差し挟まれた「アーン」を覚えていますか。青江三奈(1941~2000)が1968(昭和43)年に歌って、100万枚を超える大ヒットとなった「伊勢佐木町ブルース」です。 子どもたちもまねた「アーン」は、「ため息」だと穏健に言い表されてきました。低音のハスキーボイスが特徴の青江が、「ため息路線」として、森進一さんとともに売り出されていたことも理由の一つでしょう。 でも、あれは、どう聞いても、きわどい吐息でしょう。あんななまめかしい声色はそれまでの歌謡曲にはありませんでした。事実、お堅いNHKでは当初、「ため息」は禁じられ、紅白歌合戦でも代わりに楽器が鳴らされたそうです。生声が許されたのは、ヒットから何年も後だといいます。 「確かに『ため息』じゃないよね」。作曲した鈴木庸一さん(80)は、待ち合わせた横浜・伊勢佐木町で苦笑しました。「でも最初からセクシーなものを意図して作ったんじゃない。偶然がいいものを生むことがあるんだ」。そう言って、43年前のレコーディング風景を回想しました。 67年晩秋の東京・築地。録音スタジオで、青江は十数人のバンドを背に、マイクの前に立ちました。当時は伴奏とともに収録し、編曲もその場で変えていきました。前日までは、バイオリンの前奏の合間に、ギターの胴を「タタッ、タッ」とたたく編曲でしたが、地味でした。制作が難航していた時、青江が「ア、ンッ」と、のどの奥でせき払いをしました。 「それだ。三奈よ、ロマンチックにアッハン、ウッフンとやってみろ」。ガラスの向こうの調整室で、ディレクターが腰を浮かせました。「もっと色っぽく」という要求に応え、青江はシンコペーションのリズムで「ンアッ、ンアッーン」と拍子を取りました。そしてあの歌が生まれたのです。作曲の鈴木さんは「あれがなければ、これほどの印象を残す歌にはならなかったでしょう」と振り返ります。 ところで発表当時、青江は公称23歳。それにしては余りにもあでやか過ぎるのではないでしょうか? 実はデビュー前の4年間、銀座や横浜のナイトクラブで歌い、人気を誇っていたのです。が、その過去を年月ごと封印、4歳さばを読んでのデビューだったのでした。クラブ時代を知る脚本家、ジェームス三木さん(75)が言います。「だからあのセクシーボイスは偶然生まれたんじゃない。男が女を口説く空間から出てきた彼女が身につけていた、ある種の必然なんだよ」 「港ヨコハマ」の「灯」を訪ねてみましょう。 この歌がヒットしたとき、18歳ですか。興味がない、といっても嫌でもテレビやラジオから流れてくるし。大学へ行けば、横浜には「伊勢崎町」ってあるのか?って間違った質問をよくされました・・・ そんな印象があって、なかなか好きになれなかった歌です。
2010年07月25日
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雑誌「横濱」特集、『郊外の隠れ名店』にも載っていた、戸塚区下倉田にあるイタリアン・サルーテへ行ってきました。用事があってクルマで出かけていて、近くを走っていると、ヨメが急にサルーテへ行こうって言い出した。環状3号線から一本中へ入った通りというか路地。これが店の外観です。ホントに住宅街の中にあるお店です。このお店は電車の駅からは、はっきり言って遠いのですから。サルーテとは、イタリア語で「健康、幸福、乾杯」といった意味を持つそうです。こんな可愛らしいインテリアが微笑ましいです。 店内の厨房あたりを写しています。やはり活気のあるお店で、6人くらいの方が働いていました。店に入ったときは、まだ12:00直前だったこともあって。二組だけが先に居ましたが。あっしたちが食べ終わる頃には、別にもう4組入っていました。とにかく小さな店ですが、メニューが豊富です。パスタ中心に、サラダやピッザがとにかく種類が多いのです。迷いに迷った挙句、あっしが注文したのは一番安いぺペロンチーノです。これで930円だったかな。 昼飯だから、軽くて・・・ プラス100円で大盛りにもできるそうです。予想よりは太いパスタです。1.7ミリくらいかな・・・ ガーリック・スライスが沢山のっています。ヨメが注文したのはモッツアレラチーズとアンチョビ風味とやらだったのですが。何か似たものに見えてしまいました。これが1000円也かな・・・思いがけずに入ったこともあり、美味しかったです。ここは、コース料理がウリのようですよ。
2009年02月08日
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スバルREGACYに機能追加・・・ですね。これからはiPhoneに載ってるApp Siriでの操作が増えてくるのでしょうかね。 記事はCar Watchからです。 スバル(富士重工業)は、2014年10月に発売した6代目の「レガシィ アウトバック」「レガシィ B4」の改良を実施。先進安全装備「アドバンスドセイフティパッケージ」を全車に標準装備して10月1日に発売する。価格はレガシィ アウトバックが318万6000円~345万6000円、レガシィ B4が291万6000円~313万2000円。 今回の改良では、4月に実施した一部改良で「レヴォーグ」にオプション設定された先進安全装備「アドバンスドセイフティパッケージ」を採用。ドアミラー内蔵のLEDランプの発光と警報音で自車の側方や後方の障害物接近を知らせる「スバルリヤビークルディテクション」、ルームミラー一体型の単眼カメラが先行車や対向車を見つけてヘッドランプのハイビームとロービームを自動切り替えする「ハイビームアシスト」が全車に標準装備される。 このほかの改良点としては、ボディーカラーに「ダークブルー・パール」を追加。リミテッドグレードに標準装備、ベースグレードにオプション設定される本革シート内装車で、既存のブラック(シルバーステッチ)のほか、アイボリーの内装色を選択できるようになった。さらにリミテッドグレードのフロントショックアブソーバーに採用する「STABLEX-Ride」(スタブレックス・ライド)の減衰特性を見直して、乗り心地を向上させ、ステアリングシステムの最適化と合わせて操舵感を高めている。 また、全車にオプション設定している「ハーマンカードンサウンドシステム&SDナビゲーション」では、新たにiOSの「Siri」(シリ)を利用する音声認識機能「Siri Eyes Free(アイズフリー)」に対応。ステアリングスイッチに設定した発話ボタンと音声入力で操作可能になり、運転中に視線を移動することなくカーナビ操作などができるようになる。
2015年09月11日
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土曜・日曜と仕事が出だったもので、代休のお休み。何時までやっても上手くならないゴルフの打ちっぱなしに行って・・・ 午後から、ヨメが東京へ出かけるとのこと。千駄ヶ谷の国立能楽堂へ午後五時に着きたい。能楽堂は、この日 狂言と能の特別公演がある・・・んだそうです。って二時過ぎに出かけました。これなら約束の時間には早い。そうだ、久しく行ったことの無い新宿御苑へ行って見よう・・・ 住所は東京都新宿区内藤町11番地。新宿御苑は東京都新宿区と渋谷区に跨る環境省所管の庭園です。ですから、分類は国民公園です。その広さは58.3Haあるそうです。 この広々とした敷地は、江戸時代、家康から譲られた高遠藩・藩主内藤家の下屋敷があった場所です。 明治になって、新宿植物御苑が開設されて宮内庁の管理するところとなった。 第二次大戦後、国民公園として一般に公開され、2006年(平成18年)に「新宿御苑」の名を冠してから100周年を迎えた。 今日は、三つある入口のうち 大木戸門から入って、日本庭園まで歩いて行き、また大木戸門へ戻りました。 この日は、昨夜来の雨が上がり、午後から快晴の秋空となりました。ヨメと二人で仲良く歩きました。実に清清しい気分で歩けました。 新宿御苑の外周は実に3,5Kmあるそうです。 ユリノキだと思います。大変な巨木です。 遥かに新宿の高層ビル群が望めます。逆光でしたが・・・なかなか、です。撮影時間は午後三時20分頃から四時15分頃までです。 今から40年も前。学生時代(昭和43年~47年)、よく行きました。あの頃に比べると、よく整備されて、美しいところになっているように思いました。 不思議な松です。多行松(タギョウショウ)というのだそうです。 こんな風景が苑内あちこちにあります。 新宿御苑には、茶室が二つあります。 これは楽羽亭(らくうてい)という茶室です。 苑内の樹木は10,000本を越えるそうです。 新宿御苑は、昔ながらの日本式庭園とイギリス風景式庭園を巧みに組み合わせてあり わが国でも、数少ない風景式庭園の代表的な存在です。これまで、都内の都立公園幾つか回りましたが、手入れが行き届いているなァ・・・と感心した公園としては、ここがピカイチですかね。 11月1日。紅葉にはまだまだ早かったですが、晩秋迫る秋空の一日。思いがけぬ素晴らしい風景にめぐり会いました。 見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ(藤原定家)
2010年11月02日
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大晦日、紅白の桑田クン!忘れられませんね・・・ これは桑田クンのヨメさん、原由子さんの手稿がAsahi.Comに載りましたね。明けましておめでとうございます。昨年の7月に桑田の病気が分かってから、サポートに専念するためお休みさせて頂いておりました「あじわい夕日新聞」。おかげ様で桑田も元気になり、年も明けたという事で、新たな気持ちで再スタートとなりました。どうぞ宜(よろ)しくお願い申し上げます。 まずは、桑田のニューアルバムのリリースやツアーの中止でご迷惑を掛けた皆様に心よりお詫(わ)び申し上げます。また、たくさんの励ましのお言葉やお見舞いの品、千羽鶴まで頂いて、本当に有難(ありがと)うございました。皆様から大きな力を頂いたおかげでここまで来る事が出来ました。 幸運だったのは、素晴らしいお医者様や病院のスタッフと出会えた事。主治医の先生が音楽大好きな方でしたので、「第一に命! 第二に声を守る!」と、桑田の声が変わらぬよう、渾身(こんしん)の手術と術後のケアをして頂きました。おかげ様で命も声も救われましたし、中断していたレコーディングも10月に再開。年末にはついにニューアルバム「MUSICMAN」が完成しました。まだ術後5カ月ですから体調が完全に戻ったとは言えませんが、年末の紅白歌合戦に出演させて頂き、ご心配をかけた皆様に元気な姿をお見せして2010年を締めくくれたのはとっても嬉(うれ)しい事でした。 波乱の2010年でしたが、今は元気でいられる事、生きている事自体が本当に幸せだと感じています。術後初めて声を出した、歩いた、ご飯を食べた、ついに歌ったとか、そんな事一つ一つが感動でした。まさに生まれ変わったようですね(笑)。大変な事もあるけど人生って素敵(すてき)だなぁ。そして……音楽があって本当に良かった♪ 桑田が手術に入る時のBGMはボズ・スキャッグス。私は、桑田の大好きなビートルズのアルバムを1枚目から順番に聴き、祈りながら手術が終わるのを待っていたのですが、心配がピークに達した頃に聴いた「レット・イット・ビー」には救われました。また、桑田がここまで順調に回復出来たのは、やはり「なんとしてもアルバムを完成させたい!」という強い思いがあったからこそとも思います。 退院後のアルバムレコーディングで一番最後に歌った曲は、ビートルズへのオマージュとも言える曲。今回の経験を経たからこそ出来た曲だと思っています。「現在(いま)がどんなにやるせなくても 明日(あす)は今日より素晴らしい」(月光の聖者達(ミスター・ムーンライト))。桑田がまた歌ってくれた事、そして、音楽の神様に感謝します♪ この夫婦は、歳を追うごとにいい関係に見えてきます・・・ 世間の多くの方々がウラヤマシがる関係です。
2011年01月11日
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