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2007.08.26
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テーマ: 戦争反対(1249)
 8月26日、この日は、家族で江東区北砂の東京大空襲戦災資料センターに行ってきました。7月にも行っているので2回目です。
 振り返ってみると、今年の夏休み、家族3人そろっての「おでかけ」は2回だけで、その2回ともが、東京大空襲戦災資料センターでした。

 当初の予定では、午前中にでかけて、資料センター観覧のあと、浅草寺に今もある被災銀杏の木も観てこようと思っていたのですが、結局、家を出たのが12時頃でした。
 中央線と総武線を乗り継いで錦糸町へ。
 錦糸町の駅前には右翼団体の宣伝カーが止まっていて、警察官の見守りの中で演説をしていました。マイクを持って絶叫調で演説するのはやっぱり日本文化の一つの形かしらん・・などと思いながら、タクシー乗り場へ。
 錦糸町からはタクシーです。タクシー料金が740円だったので、3人分のバス代をかんがえれば、タクシー利用が便利でリーズナブルです。
 前回は、資料センターのHPから出した地図を持っていって、タクシーの運転手さんに見せたのですが、今回は「北砂1丁目にある東京大空襲資料センターまでおながいします。北砂1丁目のバス停の近くです」と口頭でお願いしました。ちゃんと通じたのでうれしかったです・・いや私は人に道を説明するのが極端に下手なので、タクシーに乗るときはいつもドキドキします。

 無事に資料センターにつくと、建物の前に貸し切りバスが停まっていました。どうやら団体の見学者がいらっしゃるようです。ゆっくりじっくり見学するにはあまりいいタイミングじゃなかったかも・・と思いつつ受付を通りました。
 でも、団体見学者の方々は、2階の会議室で映像資料の上映会をしておられたので、その間に3階の展示をじっくりと観て、上映会が終わってから、2階会議室の展示を見せていただきました。


 小さな資料センターですが、手紙や印刷媒体(ビラや新聞から配給の通帳、被災証明書等)といった文字情報の展示がかなりあるため、結局丁寧に読めたのは今回行ったにもかかわず、まだ半分くらいでしょうか。とろろ丼さんは、宿題である「平和新聞」の取材をかねていますから、熱心にメモをとったり、B29の構造や焼夷弾のしくみの図解を模写していました。
 今回、特にじっくり観たかったのは、3階の展示ももちろんですが、前回ほとんどみることのできなかった2階の常設の展示です。
 まずは東京大空襲の被災者による空襲を描いた絵画群です。低空飛行のB29の群、その機体を追う日本軍のサーチライトは地面から鋭角の光線を描き、かさなりあう光が人々の逃げる街をも照らしてしまっています。空襲のはじまりから、火の海に追われて逃げた避難の様子、一夜開けての燃え尽きた街と黒こげの焼死体、焼け残った橋の欄干に安否を知らせる連絡用の張り紙(でも、「みんな死んでしまった」というような記述がたくさんある)、まさにた記憶に「焼き付いた」光景をというものでしょう。そして、23区と多摩地域それぞれの被災地図。それから焼夷弾がかすった傷跡をのこす被災ピアノ・・・その焼夷弾が不発だったために残っているわ
けです・・・ピアノの鍵盤にもさわることができました。調律されていないピアノの音は割れていて、ちょっとハープシコードみたいな音色になっているキーもありました。

 これらの展示を観て、その後、資料室の書籍を読ませていただきました。 
 なぜか1971年の少女マンガ雑誌「マーガレット」が一冊ありました。目次をみたら、浦野千賀子先生、志賀公江先生、忠津陽子先生、土田よしこ先生、などの懐かしいお名前の連載陣とともに、「3月10日 東京が燃えた」というマンガが掲載されていました。
 作者は吉森みきを先生。どこかできいたことのあるお名前だなぁとちょっと検索で調べたら、「魔法のマコちゃん」の作者だそうです。そういえば、私がマンガ雑誌を読み始めた頃、学園ものにまざって、戦争や公害をテーマにした作品がけっこうあったなぁと思い出したりしました。


 資料センター見学のあとは、もともとは浅草寺に残る焼け残った銀杏の木を見に行こうとおもっていたのですが、ちょっと時間的に厳しいかなと思いましたので、資料センターから徒歩で行ける「戦災遺跡」として、北砂2丁目の妙久寺を教えていただき、歩いていきました。





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Last updated  2007.08.28 00:53:55
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有意義な小さな旅でしたね~  
かのこ さん
8月も、今日でおしまいですね。早いですよね~
「東京大空襲展」行った事は無いのですが、江東区に母の弟が住んでいます。           
日本も、大変な時代の波を乗越えて、今日に至っているのですよね・・・。            

やはり、当時の時代時代で起きた出来事まして、戦争や、被爆体験、大きな社会的事件は忘れてはならない事なのだと言う事を、子供たちにも伝えてゆく責務がありますよね・・・。         
とろろ丼さんは、そういう意味では幸せな感性を育てられているように思います・・・。      

私は、父は文学青年だったのですが、母は勉強嫌いで旧家の女一人きりの長女で、4人の弟。    
わがまま邦題に育ち、高齢の今も「自分のかばん、荷物・・・、人が持ってくれて当たり前・・・」感覚です。戦争を体験した筈の人なのですが・・・?                      
父は、かなり、そうした事に興味を抱き、いつも書物を読んでいました・・・。ちょっと、桜里さんに似ている部分を持っているかもしれません・・・ 
57歳の若さで亡くなってしまいましたが・・・ 

これからの時代に、再び戦争が起きたりしたら・・
本当に、怖いですよね~!私たちは、過去の教訓を忘れてはならないですよね。 (2007.08.31 23:29:13)

Re:有意義な小さな旅でしたね~(08/26)  
かのこさん

-----
とろろ丼さんは、8月31日が終わっても宿題が終わっていません。なんとか、「平和新聞」が80%くらい終わったところです。数学ももうちょっと・・今年は9月2日まで休みなので助かっています。

 このところ、とろろ丼さんの宿題をネタに、家族で「東京大空襲資料センター」へ行ったり、東京大空襲や海外の大空襲のドキュメンタリーを見ています(アライグマオヤジ=umasica:桜里がたくさん録画しておいてあるので)。「続きは明日」とごく当たり前に考えることのできるのって、平和だからこそですよね。ありがたいことだと思いました。
 東京大空襲の爆撃は2時間ほどだったそうです。戦時下とはいえ、ごく普通に過ごしていた昨日とうってかわった深夜の大空襲、大火災。
 「戦災遺跡」として教えてもらった妙久寺には、追悼の碑と、空襲の劫火に焼け爛れたたくさんの墓石がありました。爆撃で壊れたものをそのままにしてあるのか、それとも劣化した石がその後の風雪で割れたのか、壊れた墓石もいくつかありました。新しいお墓の一角に焼けた石灯篭やお地蔵様が一緒においてあったりもしていました。 (2007.09.01 00:14:31)

Re:2回目の「東京大空襲 戦災資料センター」(08/26)  
脱国民洗脳はベンジャミン・フルフォード さん



https://benjaminfulford.net/
(2020.06.22 09:17:31)

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脱国民洗脳はベンジャミン・フルフォード@ Re:2回目の「東京大空襲 戦災資料センター」(08/26) 国民電波洗脳による、テレビ、新聞、週刊…
背番号のないエース0829 @ 『第二次世界大戦』 映画〈ジョジョ・ラビット〉に、上記の内…
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