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ここから見る博多の町が大好きです。 魚市場前、大橋の一番高いところ、大型の造船所?もあって、都市部に港町に続く独特の情景です。県外から戻ると、帰ってきたという気持ちにさせてもらえます。 昨日、ある先生に、「私が目指しているのはね。峠の荼屋おばちゃんなのよ。みんな色々な大変な思いをして、坂道を登るような苦しみで生きていて、もう進めないと思った時に、峠の荼屋が見えてきた。そこで疲れた人達にお茶をだして、ほっとしてもらえるような人になりたいの」素敵な目標です。 さらに「偉い先生ははいて捨てるほどいるのよ。私は権力もなにもいらない。阪本君、負けるが勝ちよ。損の出来る人間になりなさいね。貴方が来てくれる事をまっているお店が、たくさんあるはずよ。忘れないでね」 心にしみました。 私もお茶を頂きました。さあ、下り坂です。
2006.05.31
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阪本ニュースは仕事の中、得意先の先生方にお伝えしたいと感じた事柄を、毎月発信している私的情報誌です。かれこれ20年近く毎月作っています。個人がやっていることですので、レベルが低く、何処まで先生方の気持ちに届くことが出来たのかは分りません。 今、思い起こせば、作り出した初めの頃は、金曜日の夜は決まって会社で夜なべし、朝になって帰宅することもシバシバありました。(ウエストのうどん食べて帰るってました) 時間だけは費やしてきたのかもしれません。この作業を通じて、私自身が一番勉強になったと感じています。残念ながら古いデーターは、2度程のパソコントラブルで消失してしまいましたが、98年以降のものは残っています。 先月、お世話になっている先生から、今までためてきたものを一般の方にも、発信したらどうか?というアドバイスを頂きました。そこでブログの使い方、よくわからないままですが、取りあえず始めてしまいました。(見切り発車)一般の傾けに、学術的な事項をカットし、いかに伝えられるのか? やった事がないアプローチです。特に・生き方・病からの回復・漢方等に掲載させて頂こうと考えています。正直、今後の方向を模索中といったところですが、反省+実践=前進です。実践します。
2006.05.30
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五日市氏 講演より 以前、相談店の先生方にお渡しして好評を頂いたものです。 運命・感謝・ありがとう 例えば、 おばあさん 五日市さん、運命というのはね、あるのよ。私達の人生はね。最初からほとんど決まっていたのよ。僕は、その類の話にはあまり関心がないので「まぁ、あるかもね」と相づちを打ちました。続いて、 おばあさん 「私、ユダヤ教徒の人間だけど、『生まれ変わり』 を信じているの。過去世や来世というのはあると思うわ。」このことについても、あまり関心がなかったので、「うん、あるかもね」 すると、おばあさんは、 おばあさん ツイてる、ツイてない、という『ツキ』というものもあるのよ。と言うので「そりゃあ、あるんだろうね」と応えましたら、 おばあさん 「そのツキというのはね。簡単に手に入るものなのよ。」「えっ?・・・どうしたら手に入るんですか?」 おばあさん 「ツキを呼び込む魔法の言葉があるのよ。これさえ唱えていれば、誰でもツキっ放しになるわよ。」「本当?どんな言葉かな。難しい言葉?」と聞くと おばあさん 「すご~く簡単で、単純な言葉よ。」「何、なに? 教えて下さいよ」 おばあさん 「いいわよ。誰でもよく使う言葉なんだけど、二つ あってね。一つは『ありがとう』、もう一つは『感謝します』 ねっ、簡単でしょ。「・・・月並みな言葉なんですね。どう使い分けするんですか?」 おばあさん 「もちろん、どんな時でも自由に使っていい言葉なんだけど。そうねぇ・・・、ある状況の時に、これらの言葉を使い分けたら効果的かもね。「ありがとう」という言葉は、そうね、何か嫌なことがあった時に使ったらどうかな。例えば、朝寝坊しちゃって、「わぁ~、学校に遅刻する!」とか、「会社に遅れる!」なんて時、イライラするでしょ。そんな時、「イライラさせて頂き、 ありがとう」と言うの。車を運転中、事故っちゃった、そんな時も「ありがとう」。五日市さん、あなたの親が亡くなっても、歯を食いしばって「ありがとう」と言うのよ。 どうしてかというとね。イヤな事が起こるとイヤな事を考えるで しょう。そうするとね、またイヤな事が起こるの。不幸は重なるというけれど、それは、間違いなくこの世の法則なのよ。だけど、そこで「ありがとう」と言うとね、その不幸の鎖が断ち切れちゃうのよ。それだけではなく、逆に良い事が起こっちゃうの。「災い転じて福となす」という言葉があるでしょう。どんな不幸と思われる現象も、幸せと感じる状況に変えてくれる。絶対にね。だから、『ありがとう』という言葉はね、魔法の言葉なのよ・・・・・・・・・・。」 僕があるとき、自分の部屋でボ~ッとしながら、おばあさんが言ったことを思い出していると、たまたま目の前にペンと紙があったんですね。何気なく、おばあさんが言ったこの「ありがとう」という言葉を漢字で書いてみましたら、な、なんと、『有り難う』。ドキッとしましたね。「ああ、そうか。難が有るときに、『有り難う』か!」偶然の一致にしては、スゴイですよね。おばあさんは漢字を知らないはずなのに。 それから、もう一つの「感謝します」という言葉については、おばあさんは次のように言いました。 おばあさん そうねえ、何か良いことがあったら、「感謝します」 と言ってみてはどうかな。例えば、明日、待ちに待った運動会。 晴れてほしいなぁ~と思っていて、実際に晴れたら「感謝します」 そうそう、この言葉はとても便利でね。たとえまだ起こっていない未来のことでも、「明日、晴れました!晴れさせて頂き、 感謝します」とか、「一週間後、○○○に合格させて頂き、感謝 します」とイメージしながら言い切っちゃうと、本当にそうなってしまうのよ。何の疑いも不安も心配もなく、力まずに自然とそう思い込めればね。 ちょっとつまらない例を一つ。僕はこのように太っていまして、 運動不足気味なので月に一回くらい、地元のオジさん、オバさんたちと卓球をやって汗を流しているんですね。ある日、若くてとっても卓球の強い、市の大会のチャンピオンと呼ばれる人がやって来て、練習試合をさせてもらいました。もちろん勝てっこないと思ったのですが、まあ~いいやと思って、試合を行いました。 まず、レシーブ。「相手のサーブをうまく返させていただき、感謝します」と相手がサーブのたびに一球一球思ったんですね。そしたらですね、どんどんリードしちゃって、結局ストレートで勝ってしまったんですよ。な~んと。僕よりも実力が上の人に。スゴイでしょう。そりゃ~相手は怒りますよね。「あんなデブになんで俺が負けるんだ!」という顔をして、『もう一度試合をやりましょう』と言われ、結局三回やりましたけどね。三回とも勝ってしまったんですよ。僕はこのとき、この言葉は使える!と思いましたね。 そういえば、イスラエルのおばあさんは、かなり大事なことを言っていました。絶対、言ってはいけない言葉があるらしいのですね。これだけは言っては駄目!という言葉。 おばあさん 五日市さん、言ってはいけない言葉があるのよ。言っちゃうと、ツキが吹っ飛んじゃうの。「へえ~、どんな言葉なんです?」 おばあさん まずはね、汚い言葉。「てめ~」とか「死んじまえ」とか、「バカヤロー」「クソッタレー」とかね。そういう汚い言葉を平気で使う人というのはね、そういう人生を歩むのよ。だからきれいな言葉を使いなさい。 思い返してみると、僕が学生の頃、そんな汚い言葉ばかり使っいたような気がするんですね。その頃、人問関係にひどく悩んだり、些細なことで苦しんだりすることが実に多かったんです。だから、おばあさんの話には、本当にドキッとしましたね。 おばあさん 「それからね、絶対に人の悪口を言っちゃダメよ、絶対ダメ。あなたが自分の部屋にポツンと一人でいる時でさえも、人の悪口を言っちゃダメ。それに、人を怒ってもツキは逃げて行っちゃうわ。怒れば怒るほど、あなたがせっかく積み重ねたツキがどんどんなくなっていくのよ。だからネガティブな言葉は使っちゃダメ。分かった? どんな言葉にもね、魂があるの。本当よ。だから、ねっ。きれいな言葉だけを使いましょう。 おばあさんのお話は、何ていうか、決して飛び抜けて変わっているわけではなくて、とても道徳的な話ですよね。つまり、しゃべる言葉には気を付けようね、ということなんですよ。自分の口から発する言葉が自分の人生を創る。今まで、いろいろな指導的立場にある人がこのような「言葉の大切さ」を伝えてきたのかもしれませんが、僕は初めて聞きましたね。しかも異国の地で。とにかく、おばあさんが言ったことは、すべて腑に落ちました。 それ以来、ひたすら「ありがとう」と「感謝します」を実践しています。意外と早くきれいな言葉を使えるようになりました。そしてもう、人を怒れなくなりました。本当ですよ。その結果、自分の人生は、ガラッと変わってしまいましたね。「ツイてるツイてる、ツキっ放し!」だから、こうしたおばあさんの話、自分では、とってもいい話だなぁ~と思っているんですね。
2006.05.29
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朝目を覚ますと宮崎は雨でした。梅雨に入ってしまいました。 有料道路から見る45も霞んで見えます。雨は嫌なんですよね。 今回は裏がメッシュになっているビジネスシーズ履いたもので、水が浸入してきてしまいました。(かなり悲しい状態です)何店か訪宣させて頂いた後に、夕方に宮崎から延岡へ移動しました。予定通り? おぐらへ。少し疲れてて、たくさん食べられない氣がしたので、チャンポン単品を注文しました。次はチキン南蛮のセットにするぞ3103さん。↓凄いお土産発見。 http://www.oguranet.jp/kodawari/
2006.05.26
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前田先生のところで見た絵です。良い事だけ考えて、悪い事は忘れましょう。病気の回復にも、前向きに人生を過す為にも、大切なことだと思います。
2006.05.25
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悲しみは、私たちを強くする根悲しみは、私たちを支える幹悲しみは、私たちを美しくする花悲しみはいつも枯らしてはならない悲しみはいつも湛えていなくてはならない悲しみはいつも噛み締めていなくてはならない朝 夕かなしさをかなしさとせずさみしさをさみしさとせずみ手に抱かれ生きてゆく一燈の下一輪の部屋朝の鳥鳴き夕の虫鳴く
2006.05.22
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私が担当させていただいているお店での、若手のホープとして 池田恭子先生を紹介させていただきます。本当は写真の掲載を依頼したのですが、どうしても恥ずかしいということで駄目でした。そこで、せめて名刺だけでもと、半ば強制的に掲載を了承頂きました。 先生は患者さんの一人一人に手書きのお手紙をかかれています。「一人一人と向き合っていたい」本当の医療者だと思います。食生活・精神的なアドバス・漢方の世界にも通じておられます。まだまだお若い先生で、本当にこの先が楽しみです。患者さんに向き合い、その方にあったアドバイスをして行く。病気のこと、心のこと、深く深く考えていらっしゃいます。対話を何よりも大切にされている先生です。先生とお話しする時間は、私には楽しくて仕方のない時間です。このような薬剤師の先生が増えて行くことが、医療の分野が素敵な方向へ進んでいくものと思います。 朋友を得ました。 改定させて頂きましたので、以前のものを削除させていただきます。コメントも本文に移行させていただきました。みっちゃん3207980さん そのような方ばかりだといいですよね!僕も毎月病院で検査しなくては ならないので・・・(2006.05.20 11:46:54)
2006.05.20
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5訓 クヨクヨするな フラフラするな グラグラするな ボヤボヤるな ペコペコするな 病気よし 失恋よし 失敗よし 泣きながらパンを食うのもよし 大事なことは その事を通して 自分を人間らしくしていくことだ 人のいたみの わかる人こそ ほんとうの人間
2006.05.17
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感動して涙が出るということはなんていいことだろう軽い体になり血が清くなり素直な心になり生きていくことが嬉しくなるああ南無光明無尽の涙よ
2006.05.15
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研修も無事? 終わり。最終便にて戻りました。再開致します。宜しくお願いいたします。やっばり博多は良いね。
2006.05.15
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辛味 からい味これが舌で味わうと、どの様な現象が体に現われるかを考えてみましょう。口の中で苦が刺激されると、前述の様に舌は心臓とかかわるから血にも、その変化が起こり汗をかきます。この時、皮膚が丈夫でないと、発汗が順調に行われないので、辛味は皮膚も丈夫にし、体内にある熱を発散する働きを持っています。したがって、体が冷えて機能が抵下し、水分の停滞を生じた場合に、辛味で温めて発散すればいいのです。人間は生きている限り、エネルギーの発散を続けています。しかし、もろもろの生活環境、すなわち冷えとか感情によって体内にエネルギーの滞りが起きると、体の調子に狂いが生じ、激しくなると病気を起こします。辛味はその滞りを治す働きがあります。うす風邪を引いて軽い悪寒のある時、温かいうどんに七味唐辛子を振りかけて食べる原理は前述の通りです。前項と重複するが、辛味について述べておきましょう。肺の働きを強める。肺は外界の影響、気温、湿度、乾燥度などの変化を呼吸より知り、体内の五臓に伝えます。皮膚はこれの同属で皮膚呼吸をして肺を助けます。腑は大腸です。消化器系の末端にあり、消化器系に生じた過剰な熱を大便と共に排出します。小便は膀胱から下半身の熱を取ります。辛味をとりすぎると発汗遇多になり、皮膚に停滞していた気を抜き過ぎて、気分爽快になるどころか脱力感に襲われてしまいます。季節的には秋が肺の働きを盛んにする。気温が漸次低くなると皮膚も締まり、汗をかく必要が少なく血液が体内の方に廻ることが多くなります。秋から冬にかけて気が沈み勝ちになりますが、憂いの感情が強くなると氣の発散が出来ず、肺を傷めることになります。人間はこうした天地の氣の流れを少しでも予防するために秋は肺の氣が盛んになります。これとは逆に春は気温がだんだん上がり、冬眠していた地下の生物も草木もめざめ、芽をほころばす季節になってきます。主に体内をめぐっていたエネルギーも体表の方に流れて皮膚から発散するようになります。この時に氣の停滞が起きると、精神的にも肉体的にも問題を起し易くなります。秋と春とは気の出入が逆なのである。体力が低下して自然界の変化に順応出来ない場合には注意しなければなりません。あまい味緩和作用がある。感情的にたかぶると、体の筋肉の一部が繁張してエネルギーの循環につかえが生じます。その原因が“寒”であれば温めて緩和し、“熱”であれば冷やしてゆるめるのが甘温とか甘寒の働きです。甘味を舌で味わうと、人は身心ともに安らぎをおぼえます。疲れたり緊張したりした時に飴玉をしゃぶったりするのもその一つの現われです。昔は遠足などに氷砂糖を持って行ったものであるが、案外疲労回復になるのです。甘い味は脾臓の働きを良くします。その腑は胃であり、体では肌肉であるが、現在の言葉では皮下組織に相当するところです。ここに溜った過剰の水分は小便で排泄しますが、甘味はこの脾臓と胃と肌肉の働きをよくするのです。しかし、食べ過ぎると体のバランスが崩れて肥満や種々の病気を起すことになります。又、脾、胃は手、足に関係があり、体の中で一番活動の激しい部位ですから、当然血のめぐりを良くしておかなければなりません。腕とか足のももの筋肉の張っている人は大体食欲が旺盛で、反対に細い人は胃の働きが低下していて疲れ易いと考えてよいのです。胃の働きを“胃気”といい、胃気が正常であったり働きが強いと発汗がスムーズに行われます。その結果血液循環も良くなります。血液の循環が悪くなったり、その働きが弱くなったりすると、筋肉痙彎を起したりします。これは筋肉の中に生じた疲労毒素を血液が運び去ることが出来ないことによって生ずるのです。すなわち、血液は栄養を体内の各部に運び、内に生じた毒素を運び去る運搬人なのです。体内のエネルギーは甘味と辛味(後天の気)とを合せることによって発散する力が増加します。京都の伏見稲荷では、生姜湯がお土産品として売られていますが、ひね生妻の気味は辛温で、胃を暖めて働きを強め、発散力を益するのです。砂糖は甘平で、脾、胃の働きを活発にするから、気の発散を良くするのです。おそらく稲荷に参詣し、気が晴れる生妻湯をのむ事は、ご利益の手伝いをしているのではないかと思います。この様な生活習慣はいろいろ人間の体に益する形で残されているものです。酒にも発散作用がある。甘口、辛口があって味によって発散する程度が違うと思います。酒は胃を温め血行を良くすることは誰もが知っていることですが、上手にのむと百薬の長となります。そのほか氣付け藥に少量のウイスキー等を与えることもあります。肺の機能に問題があって、呼吸による発散がうまく出束ない場合は、肺に熱がこもり胃の熱を、呼吸を通じて外へ出すことが出来ず、胃に熱のこもりが多くなってその働きが悪くなります。この場合、辛、甘の味を上手に食べると良いのです。にがい味 Kが減少すると心臓が悪くなる。苦味は体内に熱が停滞して炎症を起こすことや、又、内熱のために緩んだりしたところを冷やして引き締める働きをします。→苦寒の働きすべての味は舌だけで感じるのではなく、皮膚にもその反応を起します。例えば打撲にクチナシとかオウバクを水にとき、これを湿布して発熱した炎症をとるのですが、これらはみな苦寒なのです。その他、咳が出るときは肺に熱を持ちますが、その熱を体表の方に導くために辛子湿布をします。又、冷えて関節炎などを起した時にも用いて、皮に軽い炎症を起こさせる場合があります。最近のホカホカ湿布の原料は辛温の薬草が使われています。苦い味を舌で感じると体が引き締めるのも、こうした理由に基づくものです。漢方では苦い味は心臓を強めるとしています。その腑は小腸で、体の部位は血脈です。血脈は血に関連します。血液の温度は現代の生理学では37℃であり、皮膚を冷やした、冷たい飲物が過ぎると血液の温度が下がるから不足した熱を筋肉運動によって生産して正常にするのであって、これが悪寒の現われです。逆に上昇すると発汗によって血液の熱をとるのです。血液の液は汗です。小腸は飲食物の精気(栄養素)を水分と共に吸収して、血液の濃度を調節して正常に保っています。余分な水分は腎で濾過されます。そして尿素その他の窒素化合物などを含んで膀胱に送られ、余分な熱と一緒に排泄されるのです。小便に熱が少ないと白く透明になるが、熱が多いと黄色の小便になります。朝起きた時の小便は濃い色をしているのが普通ですが、それは夜内に入った熱が内臓にこもり尿から排泄されるからです。血管は分肉の間を流れていると言われています。分肉とは筋肉と筋肉の合間をいって、そこに大きな血管があり筋肉内に毛細血管が入り込んでいるので、血に熱を持つと熱の貯蔵庫である筋肉はすぐ余分な熱を持つようになります。その上に心理学的にも感情のエネルギーが発散出来ないと、筋肉に停滞して拍車をかけるようになってしまうので、食事による熱と感情による熱とが蓄積されて肝臓とか胆のうにも病的変化を起してしまいます。苦寒は血の熱を取り、そのめぐりを良くする効果がある。収斂作用です。スッパイ味顔をしかめたり、筋肉を振るわせたりする反応から考えて、筋肉に作用していくことが想像出来ます。最近、自然酢の服用が言われているが、酢は筋肉の緊張を緩め、脂肪を取って燃焼させ、筋肉を柔軟にする。そして、工ネルギー発散の促進、肝臓を強め、胆のう機能を亢進し、胆汁の分泌を高め、脂肪代謝を促すのです。酸味は肝臓の働きを高める。その腑は胆のうで、体は筋肉である。季節的にみると春は肝臓の働きが良くなる。気温が上がるにしたがって筋肉が緩み、正常であれば内に鬱した熱が発散します。少しでも異常を生ずると、発散過多になったり不充分になったりするので、春は肝臓が旺になって、邪を受けないようになっているのです。 酒席などで酢の物が出たりするのも肝臓の働きを良くし、解毒作用を高めていることを考えるべきです。ショッパイ味物の乾きを抑制する働きがある。塩漬けは昔から生ものを保存する方法として用いられています。うるおいを保つ作用があると思われます。人間の体液は海水の 1/3~1/4の塩分濃度であるから、体液をうるおす働きがあるといわれる所以ではないか。昔から塩と水は人間にとって最も大切な物であり、生命の維持には欠かせない。その過不足によって生命を脅かされることもあります。しおからい味は腎臓の働きを強める。その腑は膀胱であり、体は骨髄である。腎臓は膀胱と共に体液を調節する臓器で、五臓六腑の働きにうるおいを与えて活発にするものです。冬は腎臓が旺盛になり、邪を受け難くなっています。腎臓、膀胱の一番嫌うものは冷えです。寒はふつう体の下半身から入り込んできます。足首から冷えはだんだん上に来て、最初に侵される臓肺が腎、膀胱であるから、寒い冬はこれをさかんにすると言う事になります。
2006.05.11
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フランクル先生の言葉を思い出しました。フランクルは、一生涯忘れられない体験を、ウィーンの病院に勤務していた時に味わいました。それは、第二次大戦のオーストリア占領時、ナチスにより開始された「夜と霧」作戦に彼が巻き込まれたことから始まります。「夜と霧」作戦とは、1941年12月6日に出されたヒトラーの特別命令で、占領軍に対する反逆行為を企てた非ドイツ国民を容疑者として、夜間秘密のうちに逮捕して強制収容所へ送り、その安否や所在を家族にも知らせないという作戦の名称です。この作戦は、ユダヤ人には特別な意味を持っていました。それは、ユダヤ人は無差別に逮捕し、強制収容所に送り、ガス室などによって、きわめて能率的・効果的に民族殲滅(ジェノサイド)を図るという、ナチスの行為の中でも最も非人道的な恐ろしい作戦だったのです。フランクル自身も妻や二人の子供ともに、今まで持っていた財産全てを没収され、強制収容所に送られました。後で分かったことですが、彼の父親も母親も、奥さんも子供たちも全員ガス室で殺されました。 収容所の中は、多くの人々が生き残ることだけに意識を集中し、そのためには暴力・盗み・仲間を売るなどという良心のかけらもないような行為・エゴむき出しの行為が日常茶飯事で行われていました。しかし少数の人々は、そうした極限状態にあっても、寒さの中で弱っている、他人に対して優しい言葉をかけ、当人にとって生きるためのかけがえのないパンの一切を与えたのでした。方や獣の様なユダヤ人と神様のようなユダヤ人が何故でるのだろう。先生はその違いを観察したのです。神様のような行動が出来た人は、どんなささやかなことであっても生きる意味を持っていた人だとことです。生きることの意味と言うのは、生きることの責任としっかりと結びついていました。そしてそのような方は、目を閉じれば花園に遊ぶ姿が浮かぶような魂の自由性を持っていました。フランクル先生自身がそうでした。極寒の中の労働、何時ガス室に送られるかもしれない不安の中。彼は目を閉じると、両親・妻・子供たちと一緒に花園に遊ぶ自分の姿が目に浮かんだと言います。彼らは美しいものを美しいと思うことが出来た。ある寒い日の夕方でした氷点下二十度の中、彼らは穴掘りをさせられていました。たまたま看守がいなかったとき、一人の痩人が言いました。「おい、真っ赤な夕日が沈むぜ」荒涼としたポーランドの大地に大きな夕日が今沈まんとしています。その光景を痩人たちはジッと手を休めて見やったと言うことです。明日ガス室に送られるかもしれない人たちでさえ、美しいものを美しいと思うことが出来る。そういう人たちは生きる意味を持っていた人たちだけだと言うことです。このことは、どんなに過酷な運命がその人に与えられても、人間はその運命に対してどのような態度をとるかという意志の自由(この場面では最後の自由ということができます)が与えられ、人間自身が高貴な存在であることを自らの体験を通して証明したのでした。実存主義心理学 フランクルは、「夜と霧」作戦の体験から、以下のような実存主義心理学の考え方を見出しました。 「人間は、ただ1回だけの生命を生き、死ぬ。他に取り換えることのできない存在=実存である。人間は、自分がかけがえのない独自の存在であることを意識し、自分に課せられた人生を、他の誰でもなく自分で生きる責任がある。しかも、人生には必ず実現すべき価値・意味があり、人間は心のもっと深いあるいは高いレベルでは快楽や幸福ではなく意味を目指すべき存在であり、過酷な状況であっても、人間にはそれを実行する意志の自由がある」と考えましたフランクルは、人生に発見されるべき事実として存在する価値として以下の3つをあげました。 <創造価値>人間が何かを作り出すことによって、世界に何かを与えるという価値<体験価値>人間が出会いと体験をとおして、世界から何かを受け取るという価値。<態度価値>どうすることもできないぎりぎりの運命に直面したとき、それに対してとる態度に対する価値。 フランクルは、心に病を持つ人(自分の人生に価値を見出せずに絶望している人)に、人間の実存の意識と責任、そして実現すべき人生の意味を難解な専門用語ではなく、平易な言葉で、対話を通して発見させる具体的な治療法を考えました。 例えば、以下のように。 「あなたは、自分なんかもう生きていてもしかたがないとおっしゃいますが、どうしてそう思われるのですか。」という問いかけや、 「でも、他の人のためにも貴方は生きなければならないのではないですか。あなたを必要としている人がいるのではないですか。それでも、生きていく意味がないのでしょうか。」といった指摘により新たな意味の発見を促すのです。 最後に、フランクルが報告した一つの「態度価値」の実列を紹介します。 フランクルは言いました。 「それは重い脊髄腫瘍で入院している青年で、麻痺のためもう「創造価値」を実現するチャンスはなかった。しかし彼は、他の患者たちと精神的に深い会話を交わし、それどころか彼らを勇気づけ慰め、良書をたくさん読み、ラジオでいい音楽を聞くという、豊かな「体験価値」のチャンスを生かした。ところが病状が進み、ついにレシーバーを耳にすることも、本を手にもつこともできないほどになった。にもかかわらず、彼は絶望するどころか、それをも「態度価値」を実現するチャンスに変えたのである。 死の前日、彼はすでに死を予知していた。当直の医師が適当なときに彼に痛み止めのモルヒネ注射をすることになっているのを知って、午後の回診に来た医師に注射を夕方に済ませてくれるよう頼んだ。それは医師が彼のために夜起こされなくてもすむようにという思いやりだったのだ。自分についての悲しみや恐れでいっぱいになっていてもおかしくないのに、死の直前まで他者を思いやるという態度決定は、まさに高貴というほかない。これに意味がないと誰がいうだろうか。 このフランクル先生は私の師匠の一人ですが、私が絶望したときにウィーンに行き電話をかけましたらフランクル先生はアジアの端っこから来た壱医師に対して、自分の家に招いてくれました。私は彼のところに行き、それから弟子にして頂き、何十回も彼の家に行き学問的なデスカッションを重ねて参りました。フランクル先生は今から三年ほど前に92歳でなくなられましたが、先生はウィーンに帰りエリーさんという方と再婚をされました。先生が無くなった時お葬式に参列させていただきましたが、エリーさんは泣いて泣きぬれていました。その後エリーと手紙のやり取りをしていましたが、私が病氣になり出せずにいました。手紙がようやく書けるようになり、エリーにお詫びと報告をしました。早速エリーから返事があり、このように書かれていたのです。「フランクルが言っていた言葉を貴方に送ります。人間誰でもアウシュビッツはある。けれども貴方が人生に絶望しても、人生は貴方に絶望しない。貴方を待っている何か、誰かがある限り、貴方は生き延びることが出来る、貴方はそれを通して自己実現できる」私はそれを読んで涙があふれて止まりませんでした。自分はまだ死んでいない。手や足は動かない。ウンチは垂れ流しだけれど、まだ死んでいない。この俺がやるべきことは何か? 出来ることは何か? その当時フォークは持てていましたので、もう一度コンピュータにもむかことにしたのです。原稿用紙一枚うつのに2時間も3時間もかかりながら、自分の本を英訳しアメリカで出すことにしました。そして、もうひとつやるべきことはOTCの先生方と交わること、OTC健康カウンセリングというものが、自分がやるべきことだと思いました。いずれにして人生を絶望しても、人生は私に絶望していないということです。もう一人の師匠の池見先生も「生かされて生きている命」という言葉をよく言っていました自分自身の生きる意味に目覚める。自分自身の生きる力をどう賦活するか。そのことは自分自身の生きる意味に目覚めるということです
2006.05.09
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生藥によるストレス・コントロール 藤本肇先生監修小冊子よりの抜粋を中心として ・・・・・・・不眠症の原因・・・・・・・・・不眠不眠症を漢方ではどのように考えるのでしょうか。私達は氣と血の働きによって健康を毎日保って生活をしています。その氣と血の流れは昼と夜によって変わるのですが、昼間は主に体表に多く夜間になると内臓の方に多くながれて行きます。そして睡眠に入ると殆どの氣・血が内臓の方に流れます。その氣・血の流れは体表から胸中を通過して内臓の方に流れるのですが、その途中で胸にこの氣・血が支えてこもり、裏の方に入りにくくなってしまうと不眠という症状を起こします。凡そ健康に恵まれ毎日生活していられるのは体内にある五つの臓器がお互いに平均して働き、助け合って食物から得た栄養で生命を保持しているからですが、その内の根源は氣・血なのです。ところが色々な生活の変化を起こしたり感情の乱れを生じたり、食物・食味(五味)などの偏食等によって氣・血の乱れを生じ、五臓の働きのバランスが崩れたりすると、お互いに喧嘩し合って病気を起こす事になります。するとさらに氣・血の乱れが多くなり、血流に障害を起こすのです。また体内が冷えたり、熱を持ったりする部分に対しては、体内にある水分が停滞して乱れを生じて来る事もあります。この様にして正常な時には氣と血と水がバランスよく働いているのですが、一方で五臓が狂い出すと、それが体の各部分に影響して病気を起こし、不眠もその一つの現われとなります。 安定剤は× 昨今社会的に安定剤の副作用が大きな社会問題になって来ました。痴呆症の原因の上位にも安定劑の投与が考えられます。氣の発散を完全に阻害してしまう安定劑を使わずに生藥で根本的な原因を治して不眠の改善にあたる事が本当の治療法であると思いますまた胸中に氣・血・水の変化によって熱がこもりますと不眠を生じる事は述べましたが、脾胃の働きが良くないと肺の働きは強くなり難いのです。脾胃の働きはよく氣・血・水を巡らせる働きをします。胃の作用が正常であると、よく発汗しますし小便もよく出るのです。そして余分な水とか熱を体外に排泄する働きをしますですからどこかに支えを生じたら、その原因を考えて取り除き、最後には胃の働きを強めると、大体氣血の巡りは全身的に良くなるのです。不眠を生じる原因は胸中の氣・血の乱れによって熱がこもり、更にその事で不眠を助長する事もありますので、熱を取り除き、暖め、水分の停滞を除去する事で氣・血の巡りを良好にして安らかな睡眠を促すのが漢方の不眠症を治す方法といえるでしょう。酸棗仁湯は漢方処方ですので症があります。それは次のようなものです。体を疲れさせて胃の働きが弱まっていて、血行が悪くなり胸中に氣・血のこもりを生じていて不眠と火照っていて苦しむような症状の方です。この薬方は『金匱要略』という書物の血痺虚労病という所に書かれています。血痺とは脾胃の力が弱まった為に血行が悪くなって痺れを生じたりするのがこの病気の由来ですが、その上に疲れがあって寝ても疲れが取れない病の事を虚労といいます。この原因、氣・血の巡りが悪くなって胸中に熱がこもる、これは脾胃の力が弱くなって起こる状態と同じなのです。あまり水の停滞は多くなく、それほど妨げませんが、むしろ氣の停滞が問題なのです。酸棗仁湯は気分的に緊張を起こし、疲れが加わって眠れない人に用います。疲れやすくて手足が火照って眠れない方に最適です。藥方は酸棗仁(酸平)甘草(甘平)知母(苦寒)茯苓(甘平)センキュウ(辛温)の五つの生藥から成り立っています。酸棗仁は邪熱が結ばれて氣が集まり氣がこもるものを散ずる働きがあります。これを熱を散らす氣を平にするといい、氣血の流れをよくするのです。知母は内熱を除き痛みを去り腫を消すとあり、酸棗仁と共に虚労より生じた熱と氣血のこもりを治す働きをします。センキュウは氣の巡りをよくします。茯苓は氣の巡りを阻害する水を取り除いて内熱を去り、甘草は体の緊張を解きほぐします。
2006.05.08
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「女心は複雑」は、ケッコウ簡単に解明出来る男性側は女性が悩みやトラブルについて話しをする時、必ずしも問題解決を望んでいるのではなく、ただ親身になって聞いてもらいたいと強く願っているのだという事を覚えておく必要がある。敬意の念は、辛抱強く、そして感情を移入させて話しを聞いてあげながら、相手の心情を理解する事によって払われる。それが礼儀であり、人付き合いの常識なのである。男女の違いで最も大きいのが一つがストレスの対処法である。男性は、神経をその原因一点に集中させて闘い、これを撃退しようとするが、女性は感情的に追い詰められた状態に陥って行く。ストレスと直面した時、男性はストレスの種となっている問題を解決する事により気持ちを取り直し、女性はその問題に関して話す事によって気持ちを切り換えようとする。男性はストレスが溜まると、自分の心の、穴の中に引きこもり、問題を解決する事に全神経を集中させる。その事に集中する為に一時的に全ての事は忘れ去ってしまう。この様な時、彼は自分の殻に閉じこもり、目の前のストレス退治に心を奪われてしまうので他人に対してはよそよそしい態度となり、話の受け答えも殆ど上の空になる。一般的に女性は、男がストレスとどう闘っているのか知らない。その方法について理解する事も出来ない。女性は彼らに自分達と同じように心をオープンにし、自分の悩み事を全て打ち明けてくれる事を望む。したがって彼が自分の穴の中にこもると、その振る舞いに苛立つのである。男性にとって常にスキンシップを求めるのは、女性に対して常に理性的、理論的な対処を求めるのが無理なように、所詮大きな勘違いだというわけだ。溜まったストレスを吐き出す女の「非常口」女性がストレスに苛まれると、本能的に自分の感情について話す必要性を感じるものである。つまり抱えている全ての問題が彼女の感情を左右するようになる。したがって、ひとたび彼女がしゃべり出すと問題の重要性に関係なく、ただアトランダムに様々な事について自分の感情をぶちまけ始める。話の優先順位などお構い無しに。もし彼女が精神的なパニックに陥っていれば、話しは余計に支離滅裂になって行く。彼女は別に、すぐに問題解決策を手に入れたいわけではない。むしろ自分の内側を表現する事で相手に理解してもらい、自分なりに救われたい気持ちを得る事のほうが先決だ。したがって、自分が悩まされている問題を聞いてくれる相手に手当たり次第ぶっける事により、彼女の心の重荷はしだいに軽くなって行くのである。男性は、ストレスに潰されそうになると一つの問題に焦点を凝縮させ、他の問題は忘れる傾向がある。それに対して女性は、抱えているすべての問題をさらに拡大させ、頭を悩ませて益々苦悩を募らせて行く傾向が強い。具体的な問題解決に焦点を当てることなく、全ての問題に愚痴を言う事によって、救われた気持ちになれるのである。同時にこのようなプロセスを経た結果、自分を本当に苦しめている問題が何かを発見する事も出来、それによっていつもの自分に戻る事が出来るのである。精神の安らぎを得る為に、女性は過去、現在、未来のあらゆる心配事を言葉にして吐き出す。話せば話すほど彼女は楽になって行く、自分の話に耳を傾けてもらえた、理解してもらえたと実感出来た時、女性のストレスは一気に解消していくのだ。だから、一つのテーマについて話し終えると彼女はしばらく間を置いてから次のテーマへ移って行く。この方法で自分の問題や心配事、失望や欲求不満を次から次へとぶちまけて行くのである。それでもまだ相手が自分に理解してくれていないと感じると、彼女の気分は悪化していく一方となる。そして、もっと深刻な苦悩を抱いてしまうのだ。自分の穴に閉じこもった男性が気持ちを紛らわすために別の問題を必要とするように、自分の話しを聞いてくれないと感じている女性は次から次へと問題を持ち出し、話しを聞いてもらうか情をかけられるまで永遠と、訴え続けるのである。自分自身の問題を忘れる為に、彼女は他人の問題にもやたら首を突っ込みたがり、感情移入に心を砕く。加えて、彼女は自分の周りの問題について話す事で救われた気分にひたれるのだ。男性にとって女性の話しを聞いてあげる作業は苦痛そのものだ。相手が手当たり次第投げかけて来る幾つもの悩み事を理論的に関連づけ解決に導こうと試みる。彼は必死になって頭をひねり、やがて挫折して益々混乱させてしまうのである。男性が女性の話に耳を傾ける事に抵抗を覚えるもう一つの理由は、彼がまず問題解決に必要な最低線の根本的な話しを知ろうという事である。話の要点を自分なりに把握しなければ何をしてあげられるのかかわらない。にもかかわらず、女性の話しの要点をまとめるどころか、取り止めも無くダラダラと話し続けるのだ。彼女が詳しく話そうとすればするほど、彼の苛立ちはつのり、耳を傾けるのが耐え難い作業となる。もし彼が、女性はただ話しを聞いてもらうだけで充分に救われるのだと心得ていれば、それはどのフラストレーションに陥る必要も無いのだ。それを、話の隅々まで聞き、理解して適切な回答を出そうとするから頭を混乱させるばかりになってしまう。逆に女性側からまれば、まず前もって話の要点(結論)を伝えるようにして、それから詳細部分の説明から入って行く事が相手に自分の話しを親身になって聞いてもらえるコツとなる。そうすれば、相手は理論的に話しを理解する事が出来、解答を組み立てながらその後の詳しい話にも真剣に耳を貸すようになる。 さらに自分はただ話したいだけであってその解決法を望んでいるわけではない事を上手に伝えられれば、彼をもっとリラックスさせ望みどおりに話しを聞いてもらえるようになる。男性は相手の女性に対して、より同情的な態度で話を聞いてあげ、彼女に心理的充足感を与えるようになれば、聞くという行為もさほど困難ではなくなって行く。話しを聞いてもらえないと女性は愛されていないと感じるようだ。話しをじっと聞いてもらうたけで、男性がテレビや新聞のニュースでストレスを発散してしまうのと同じように、女性も自らの穴から抜け出る事が出来る。話の聞き方に長じてくれば、それが自分自身の問題を忘れ去る最良の方法の一つである事に気付くだろう。
2006.05.07
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聞き手に必要な態度の1つに『共感性』があります。共感性とは、相手が感じているように感じることです。自分の心が相手の心と同じ場に立つ事です。あなたの応援しているボクサーが世界チャンピオンをかけて闘っているとしましょう。リングサイドでは当然ですが たとえテレビで観戦していても、試合が終わったときには、あなたの肩や腕がかなり凝っていると思います。あなたは夢中になって、選手と同じ気持ちか、とさには選手より熱くなって相手と闘っていたのです。「打て打て、ジャブジャブ」と、肩に力を入れ、腕を振り上げていたのでしょう。試合が終わってわれに返ったときに、肩や腕が凝っていたのは当然です。これが全身の共感です。テレビのメロドラマを見ていて思わずもらい泣きするのも、ヒロインに共感しているからです。話し手にとって、聞き手に共感してもらっていないと、話す氣にならないものです。あなただって、自分の話をしらけた態度で聞かれたら、話す氣がなくなるばかりか腹が立ってくるでしょう。共感性は聞き手にとって絶対必要な事件なのです。 ここで問題になるのは共感の仕方です。共感しているふりでは、話し手はどこか変に感じますので、見破られます。演技した共感や嘘くさい共感は、話し手をしらけさせ、時には怒らせてしまいます。でも、話はどれほどそれが悲劇的なものであっても、過酷なものであっても、相手に起こっている事で、あなたに起こっている事ではありません。 テレビやドラマの芝居の例をあげましたが、共感とは自分が主体でないけれども、主体と同じレベルのものです。だから話し手よりも、身を入れてしまっては、相手はかえって話しにくくなります。失恋した人よりもあなたが大泣きしてしまったら、相手はかえって泣けなくなります。話し手の泣いているレベルと聞き手の泣くレベルは違います。失恋したのはあくまで話し手なのです。 かといって「女(男)は星の数ほどいるのだから」とか「失恋することによって大人になるのだ」とか「またすぐに、いい人が現われるよ」などのいいかげんな慰めの言葉は、相手の気持ちに対する共感性が欠如しているから言える言葉です。これでは、相手は慰められるどころか、わかってもらえないという気持ちを増大させます。「芝居は皮と肉の間にある」というのは、近松の有名な言葉ですが、まさに共感性をうまく言い表しています。役者さんは役を演じるのが仕事です。 役を演じるためには、役になりきる必事があります。いわゆる共感性が必要です。これは重要な役者のセンスの1つです。共感性・感受性に乏しい人は役者にはなれません。非暗示性の高い、いわゆるヒステリータイプ(ヒステリーではありません。念のため)の女優さんに名優がおられるのも、共感性と聞係があるがらです。役になりきるというのはあくまでも「役」になりきるわけで「役」の人物が自分に取って代わることではありません。「役」に自分を乗り取られては芝居にならないのです。芝居にはなったとしても、幕がおりたあと自分に戻れなくなります。名優のなかには、まれにこのようになられる方もあるようですが。「役」の人物はあくまで「役」の上の人物です。どれほどその人物に共感しても、その人にはなれないのです。これが芝居というものです。 ファンは時々役の上の人物を役者さんの現実だと思ってしまうことがあり、悪役だと演じている役者さんが悪い人だと誤解してしまうのです。このようなファンは共感性のある人ですが、現実を吟味できないという面もあります。これがエスカレートすると役者さんに対して、ストーカー的な行為に出て刃傷ざたになることさえあります。こうなればもはや狂気の世界ですが、共感性はこのように一部危ない世界を含んでいるのです。 この事は話し手と聞き手の間にも起こります。聞き手が共感性に欠けると話しては続けられないことは既に述べましたが、逆に共感性が豊か過ぎると聞いてくれる相手を自分と同じだと思いこみ、聞き手の現実がわからなくなってしまいます。聞き手は話し手の気持ちを感じはしますが、現実には聞き手と同じ立場にはありません。狂っていないかぎり、頭では誰でもこのことをわかっているのですが、現実ではこの区別ができなくなることが話し手にはあるのです。 話し終わったとき、話し手が聞き手に「どうしたらいいか」を聞くことがあります。聞き手の立場からすれば、ふつうの助言や情報なら言えますが、「どうしたらいいか」を実際にするのは話し手ですから、「それはあなたが考えることよ」と言いたいだろうし、それが正解です。しかし、聞き手が話し手と同一視してしまっていると、ついつい自分ならこうするというような助言をしてしまいます。このような助言が話し手の役に立つことは、実際にはまずほとんどありません。どうしてかというと、聞き手が話し手とは違った存在だからです。心理臨床家から見れば、じつは、これは聞き手の「いかれ現象」なのです。「それはあなたが考えることよ。私はあなたではないのだから」というのが正解ですが、でもこれでは何か冷たい感じが聞き手・話し手の面者に残るような気がしませんか。これが共感性のあぶないところであり、微妙なところであり、妙味のあるところなのです。聞き手は「皮と肉の間」を生きていくために、芝居上手であることが必要なのです。 芝居ははじめから現実ではないことを前提としています。現実ではないのに、どうして多くの人が感激するのでしょう。そこには人生や人間の真実が含まれているからです。役者は演じているだけなのですが、演じられている役柄は芝居として真実なのです。芝居としての真実は、人間の真実の一部といってもよいでしょう。 役者が下手なら、役柄の人物は生きてきません。「大根役音」と呼ばれるのは、芝居ができずに突っ立っているだけだからです。「文楽」の役者は「人形」です。名人級の人形つかいにかかると、人形が生きてきます。「あれは人形だから」と、冷めた目でしか文楽を見られない観客は、共感性が乏しい人か、人形つかいが下手なのか、芝居があまりにも自分の身にふりかかる出来事のために、しらけていないと危ないか、のどれかでしょう。 しかし、どれだけ役者がうまくても、人形つかいが無形文化財級でも、観客が感激して舞台に上がり、人形に切りかかってしまえば芝居をぶち壊してしまいます。舞台の上は役者以外の人には非現実の世界です。役者にとっても、自己の現実の世界とは違うという意味では非現実の世界です。舞台と客席のコミュニケーションによる、観客の心の動きは観客の心の世界です。心の世界はそれ自体が心のなかにある限り現実です。でも、役者の舞台上の世界と同じように、非現実の世界で、そのまま外へ持ち出す事は出来ません。 聞き手と話し手の交流世界は、芝居の舞台と同じように、心の交流世界であり、いわゆる現実の世界ではありません。だから、話を聞いているときは、舞台上の事だと考えれば良いのです。舞台上でも、学んだことは現実です。役者は舞台上で多くを学びますから。舞台上のことでも、人生に役立つことがいろいろ学べます。だから、われわれは映面やドラマや芝居を見に行くのです。スーパーマンの映画を見たからといって、スーパーマンになれないことをよく知っています。時々、子どもがスーパーマンの映画を見たあとで二階から飛びおりて大けがをするようなことがありますが、それは子どもだからです。聞き手は、話し手が話しているときは同じ舞台に立って、名優の「聞き手」を演じられる事が大切ですが、舞台の外にまでそれを持ち出す事はできません。できると思っているほうが危険なのです。共感性とは心の世界の事なのです。聞き手は「大人である」事が必要です。だから聞き手はいくら共感しても、話し手に代わって演じようとはせず、あくまでも立場をわきまえた大人であることが必要です。
2006.05.06
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女性がストレスに苛まれると、本能的に自分の感情について話す必要性を感じるものである。つまり抱えている全ての問題が彼女の感情を左右するようになる。したがって、ひとたび彼女がしゃべり出すと問題の重要性に関係なく、ただアトランダムに様々な事について自分の感情をぶちまけ始める。話の優先順位などお構い無しに。もし彼女が精神的なパニックに陥っていれば、話しは余計に支離滅裂になって行く。彼女は別に、すぐに問題解決策を手に入れたいわけではない。むしろ自分の内側を表現する事で相手に理解してもらい、自分なりに救われたい気持ちを得る事のほうが先決だ。したがって、自分が悩まされている問題を聞いてくれる相手に手当たり次第ぶっける事により、彼女の心の重荷はしだいに軽くなって行くのである。男性は、ストレスに潰されそうになると一つの問題に焦点を凝縮させ、他の問題は忘れる傾向がある。それに対して女性は、抱えているすべての問題をさらに拡大させ、頭を悩ませて益々苦悩を募らせて行く傾向が強い。具体的な問題解決に焦点を当てることなく、全ての問題に愚痴を言う事によって、救われた気持ちになれるのである。同時にこのようなプロセスを経た結果、自分を本当に苦しめている問題が何かを発見する事も出来、それによっていつもの自分に戻る事が出来るのである。精神の安らぎを得る為に、女性は過去、現在、未来のあらゆる心配事を言葉にして吐き出す。話せば話すほど彼女は楽になって行く、自分の話に耳を傾けてもらえた、理解してもらえたと実感出来た時、女性のストレスは一気に解消していくのだ。だから、一つのテーマについて話し終えると彼女はしばらく間を置いてから次のテーマへ移って行く。この方法で自分の問題や心配事、失望や欲求不満を次から次へとぶちまけて行くのである。それでもまだ相手が自分に理解してくれていないと感じると、彼女の気分は悪化していく一方となる。そして、もっと深刻な苦悩を抱いてしまうのだ。自分の穴に閉じこもった男性が気持ちを紛らわすために別の問題を必要とするように、自分の話しを聞いてくれないと感じている女性は次から次へと問題を持ち出し、話しを聞いてもらうか情をかけられるまで永遠と、訴え続けるのである。自分自身の問題を忘れる為に、彼女は他人の問題にもやたら首を突っ込みたがり、感情移入に心を砕く。加えて、彼女は自分の周りの問題について話す事で救われた気分にひたれるのだ。男性にとって女性の話しを聞いてあげる作業は苦痛そのものだ。相手が手当たり次第投げかけて来る幾つもの悩み事を理論的に関連づけ解決に導こうと試みる。彼は必死になって頭をひねり、やがて挫折して益々混乱させてしまうのである。男性が女性の話に耳を傾ける事に抵抗を覚えるもう一つの理由は、彼がまず問題解決に必要な最低線の根本的な話しを知ろうという事である。話の要点を自分なりに把握しなければ何をしてあげられるのかかわらない。にもかかわらず、女性の話しの要点をまとめるどころか、取り止めも無くダラダラと話し続けるのだ。彼女が詳しく話そうとすればするほど、彼の苛立ちはつのり、耳を傾けるのが耐え難い作業となる。もし彼が、女性はただ話しを聞いてもらうだけで充分に救われるのだと心得ていれば、それはどのフラストレーションに陥る必要も無いのだ。それを、話の隅々まで聞き、理解して適切な回答を出そうとするから頭を混乱させるばかりになってしまう。逆に女性側からまれば、まず前もって話の要点結論を伝えるようにして、それから詳細部分の説明から入って行く事が相手に自分の話しを親身になって聞いてもらえるコツとなる。そうすれば、相手は理論的に話しを理解する事が出来、解答を組み立てながらその後の詳しい話にも真剣に耳を貸すようになる。 さらに自分はただ話したいだけであってその解決法を望んでいるわけではない事を上手に伝えられれば、彼をもっとリラックスさせ望みどおりに話しを聞いてもらえるようになる。男性は相手の女性に対して、より同情的な態度で話を聞いてあげ、彼女に心理的充足感を与えるようになれば、聞くという行為もさほど困難ではなくなって行く。 話しを聞いてもらえないと女性は愛されていないと感じるようだ。話しをじっと聞いてもらうたけで、男性がテレビや新聞のニュースでストレスを発散してしまうのと同じように、女性も自らの穴から抜け出る事が出来る。話の聞き方に長じてくれば、それが自分自身の問題を忘れ去る最良の方法の一つである事に気付くだろう。
2006.05.05
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休暇村 南阿蘇にキャンプに出かけました。サイトも広く、広場や近くに温泉もあってとてもよいところでした。ただ行き道の高速道路は、大渋滞で福岡から6時間もかかってしまいました。
2006.05.04
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ゴールデンウィークは高森に行ってきました。トンネル公園に入場料300円を払って入りました。トンネルの中は寒いほどで、きっと真夏に行くにはもってこいです。高森町の南阿蘇鉄道の高森駅の南にあります。このトンネルは開通するはずであった延岡と熊本を結ぶ九州中部横断鉄道のトンネルで、昭和48年12月に工事に着手しましたが、昭和50年2月に突然大量の水が噴出。それ以後も度重なる出水事故発生で2055m掘った時点で工事を一時中断。その後日本国有鉄道再建法の制定により、高森線の第三セクター化が決定し、昭和55年に高森トンネル工事も中止となっています。現在トンネルは高森町の水源地として利用されており、常時毎分32トンの勇水量があり高森地区の貴重な水瓶となっている。このトンネルが公園化されており奥まで入ることができます。中は電飾が飾られクリスマスのイルミネーションのようである。トンネルの歩道の中央部には溝があり湧き出た水がコンコンと流れているので夏でも涼しい。一番奥には水神様が祀られており、そこから湧き水が噴出している。またウォーターパールと言って水に特殊な音波を与え球体にし、ストロボの光の発行間隔の調整で流れ出る水玉が下に落ちたり上にあがったり停止したりと不思議な動きをする装置があります。
2006.05.04
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女性が自分の悩みや問題について話しをすると、男性は殆ど本能的に解決法を押し付けようとする。相手の女性が何気なしに、自分の落ち込んだ気持ちを見せ、その日に起こった問題を口にすると、男性は反射的に彼女が専門的なアドバイスを求めているのだと思い込んでしまう。 女性からすれば、そんな事よりもただジックリと話しを聞いてもらい、優しく慰めてもらいたいだけなのに、充分に話しを聞いてあげる前にアドバイスを与え始める。 彼は彼なりに彼女の問題の種を解消していい気分にしてあげたいと思っている。何とか役に立ちたいと望んでいる。そうする事が相手にとって自分の価値を高め、愛情を深くしていくのだと信じているのである。したがって、相手の女性が自分のアドバイスにもかかわらず依然として落ち込んでいたりすると、男性は自分の提示した解決法を拒絶されたと感じ、自分が相手にとって役立にたたない人間であると失望して、もはや女性の話に真剣に耳を傾けなくなってしまう。 彼には、相手の話しをただ親身になって聞いてあげて、一緒になって悩んだり考えたりしながら情緒的な側面からの支えになってあげようという発想はまったく湧いてこない。それが男というもののようだ。
2006.05.03
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長崎県に☆あんでるせん☆と言う喫茶店があります。連日多くの人が、全国から集まっている喫茶店で、ここのマスターは、氣を自由に使う事が出来るという噂を聞いて〔この不景気にそんなに多くの人が訪れる店には何かがあるはずだ。氣のショーも是非にみたいと〕先日出かけてみました。具体的には、氣を使ったショーをマスターがカウンターの内側に立ち、外側のお客にほんの至近距離から見せてくれるのです。 当日は、まずお客さんからもらった煙草が空中に浮いたり、ニクロム線だけを持って発熱させたり、ビニールの袋の中に入ったままの豆電球を手のひらの中で点灯させたり、さらに空中に浮かせたり、スプーンやお客さんから借りたコイン(因みに私も五百円玉を差し出してみました)を片手だけで飴のように曲げたり、ボールペンをコインに突き刺したり、煙草をコインに突き刺したりと、1時間半ぐらいの間これらの事が、繰り広げられて行きました。マスターによれば全ては百会から氣を取り入れて放出する事によって現象を起こしていると説明がありました。 またあらかじめマスターが書いた絵を財布の中にしまっていて、お客さんに思うように絵を書かせる。それが全くあらかじめ書いた絵と同じになると言う予知も見せてくれました。私の前にいた50過ぎの男性が一筆書きで何だか分からない絵を書いたのですが、財布の中からはピッタリト同じ絵が現われました。ショーに併行して色々なトークも展開されて行くのですが、私には素晴らしい言葉の連続でした。心に残ったトークを思い出してみたいと思います。1組織の中ではどんなに良く出来た歯車でもかみ合っていなければ全体としては、重たいだけで無い方が良い場合も多いと思います。2人間は六十兆の細胞で作られていますが、一秒間に五千万個の細胞が入れ替っています。同じように見えるものも、全ては同じではないのです。皆さんも様々な悩みがあるかもしれませんが、滞らないで少し視点を変えて見てください。山登りでも体験する事ですが上に行くと違った景色があり、悩んでいた事が本当は大した事ではなかったと気付く事が出来ると思います。3最近はノイローゼの方が増えてきたようですが、必ずノイローゼの方は他人のせいにします。この事は自己を縮小して行くのです。他人の為にと思う心が、自己拡大に繋がりノイローゼは治って行くのに困った事です。皆さんも日頃の生活の中で、苦しんでいらっしゃるでしょう?苦しみは、他の者を従えようとする心から発する事が多いようです。他の為にと考えて見てください。楽な生き方に変わりますよ。 このマスターのショー及びトークは実際に見ても、信じるもの人もいるし、疑う人もいると思います。ショーがマジックであるのか本当に氣を使って現象を起こしているのかは、私にはわかりませんが、私の渡した500円玉もマスターの手のひらの中で大きく曲げられ、今、この机の上にあります…・・・・・・・・・
2006.05.02
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