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SPW 中国に行ってきました。中国のWは初参加です。雨で写真が少ないのですが、まずキッズイベント。まぁけんけんさやちゃん・スミちゃん。続いて紙ひこうき大会。前日から親子で特訓をしてのぞみました(笑)子供たちは予選落ち。サイトに戻って、まったりと。夜の写真は雨が強くてありません。ごめんなさい。朝は小僧どもは中々お目ざめにならず。 予定されていた紙ひこうき大会・決勝は、雨のために中止になり昨日の予選結果での表彰になりました。 表彰式+じゃんけん大会紙ひこうき大会・優勝は 私でした強豪のミスが最大の勝因ですじゃんけん大会・子供の部でまぁが商品ゲット。じゃんけん大会大人の部では、私がビールもゲット。こちらは紙ひこうき大会の賞品です。 おまけ帰り道で行った寿司屋でのくじで、まぁがまたまたビールゲット。 しばらくは我が家は金麦生活です
2011.05.29
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教えて頂いた事 8 親の目的人は不安や憎しみの種は蒔きやすいのです。心の問題は(不安・怒り・悲しみ等)自分の問題で、家族や国の問題ではありません。やせ我慢をしてでも、明るい気持ちを持つ。そうすると必ず明るい出来事が増えていきます。 実は自分自身の選択で、どのような事柄でも、明るい出来事に感じられるはずです。奪う方を感じると、マイナスが帰ってきます。マイナスを見たら自分が損です。嫌だなと思うと益々嫌になりますよ。相手が嫌なことをしたらニコッと笑って返してあげなさい。この生き方が、自分自身が幸せになる最も近道です。 【とても難しいことですね。私(阪本)も我侭で、どうしようもない性格の持ち主なので、怒りの中に住んでしまうことが多いのです。出来るだけ気をつけて生きたいと思います】私達が何かを行うのには、全てプラスを求めて行う筈です。決してマイナスを求めて行うことはありえません。料理を作るのにもおいしさを求めて作ります。旅行に行くのにも楽しさを求めて行きます。何かを行うのも、全てプラスの目的をもってです。例えば、母親が、お腹すいたとしてカレーライスを子供に作ってくれたとします。そのカレーライスの作り方や味がどうだこうだと知ったとしても、母親の作ってくれた気持ちを感じることの方が大変大事です。どういう気持ちで作ってくれたのか、そこに母親に対する感謝の気持ちが大変大事なことになるわけです。 私達が生きていくということは、生命の活動です。この生命が、それぞれの性格、精神を形成していきます。要するに、其の人自身の魂、精神(気持ちの固まり)を造って行きます。 その目的は、何の為であるかということになります。そして何の為に生きるかということです。 その親目的は、生命が素晴らしく成長していくことであります。その為に、誕生させて頂いた事になります。決して苦しみの為ではありません。
2011.05.27
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教えて頂いた事 7 成長の段階 「人は本来、人間社会に生きているのではなく、自然界に生きている。人との間の悩みに埋もれないようにしなければならない。悩みは相手の事を考えずに、自分自身に甘えた状態だということです。甘えは何も生み出さず、人としての成長を欠くことになってしまいます。成長のための努力をしていきましょう。 本当の努力とは、低次元の自分の心に逆らうことです」 最近、自分の心に逆らうほどの心構えで、生活をしていませんでした。反省ばかりです。反省+実践=前進。私達は、生命本来の欲求として、素晴らしく生きて行こうと思っています。しかし、生命の意識の段階が、まだ幼いものは物質的な欲求や肉体的な欲求を満たす生き方をしています。 第一次的欲求の段階・・・物質的・肉体的欲求であります。動物的・本能的欲求を満たすことが全てである段階です。この段階では、生存の価値として魂がこの世で欲求することは動物的欲求を満たすことが全てです。猫に一万円札とかつをぶしを与えると必ずかつをぶしを取ります。猫はお金という価値がわかりません。動物は人間より欲求と価値の認識の段階が低いからです。 第二次的欲求の段階・・・人間的・社会的欲求であります。人間であればイワシ一匹とお金のいずれかを取りなさいと言われると必ずお金を取るはずであります。お金であればイワシ一匹でなくもっと沢山手に入れることができるという認識をもっています。人間の社会的欲求というのは地位・権力・財産など人間社会で通用するものの段階です。しかし、全世界のお金を儲けても明日に生命を失ったら何の価値があるでしょうかということになれば、第二次的欲求の段階にも限界があることが判ります。第二次的欲求の段階の欲求は、生きている間だけで、もっと言うと権力を持っている間だけということになります。例えば豊臣秀吉は、辞世の句で「露と落ち露と消えにし我が身かな難波のことも夢のまた夢」と詠んだ。権力をもち、金色に輝く茶室をつくり、晩年は秀頼、秀頼といい、いくら地位・権力・財産をもって人間社会の欲求を満たしても最後は空しい状態になるだけであります。単なるはかない生き方になるだけです。 我々は一つの価値の限界に直面して行き詰まりますと、もっと大きな確実性のある価値を求めるようになります。この事が第三次欲求となるのです。 第三次的欲求の段階・・・人間的・社会的なことにとらわれることなく自分自身の内面的満足を得ようとする欲求であります。一つの宗教に入り、その中に価値を見いだして心の満足と生存の安らぎを得ることも第三次的欲求であります。 ただし、金儲けや商売繁盛などの現世利益の目的だけでの信仰は、信仰が第二次的欲求を満たすためだけであるがゆえに第三次的欲求とはいえません。更に、勢力争いや権力闘争に明けくれている宗教人や宗派のより高い地位に着くことが目的で修業に励む僧侶、神官、牧師などの信仰は第二次的欲求であって、決して第三次的欲求とはいえないものであります。とにかく、第三次的欲求というのは、感覚的欲求といわれるものであり、自己自身の内面的な満足に価値を見いだすものであります。このことから、芸術家が自己の芸術の世界の中で満足をえたり、禅や瞑想によってひとり禅定に到達して三昧の境地を味わうことや哲学者が自己の哲学思想にとらわれて自己満足に陥ったり、或いは、宗教でお題目や念仏、お経を唱えて恍惚となる心境なども同じ段階の欲求です。 第三次的欲求では、第一次や第二次欲求の段階を越えて自己の内なるものに目を向けて、精神的価値を認識し始めるのではあるが、やはり限界があります。 確かに、自己自身というものの本質的価値が自己の外界としての物質界にあるのではなく、自己自身という内なるものにあるという段階にまでは到達したのでありますが、自己の観念が小さく狭過ぎて自己満足に陥りやすい。何十年間も山の中にこもり、人目を避け、一般社会から遊離してひとり修業しているインドのヨガの行者などは、この典型といえます。だがこのような段階の者同士の接近は大変危険です。第三次的段階では、魂の成長の過程が即物的観念からは脱し得たものの,狭小な自我という枠が余りに強すぎて、生命本来の永遠普遍性の価値を認識できない状態です。 第四次的段階では、生命本来の姿を認識し、価値を見出す段階です。この地上において植物や動物など生存の形態は種々に異なっていようとも、大自然が生きとし活けるものに与えている生命そのものは、本質的に全く同一のものであることを認識できる段階です。 自己の本質であります生命の尊厳性の自覚が他の生命に対する絶対的尊重となり、自他一如の生命本来の認識できる段階であります。他に与えて通る段階、徳を増やしていく段階であります。助け合いの、生命の愛の段階です。 生命とは、もともと物質界の時間・空間の次元を超越し、霊的自我の観念的枠も超えている存在であります。生命とは、永遠普遍にあってあるものであり、あらゆる能動力の根元でもあります。従って第四次的段階では、精神的満足が自己の内部へ向かうのでなく、生命本来のあるべき姿どおり広く他へ向かうのであります。この事が自己の観念の拡大発展です。 第四次的欲求、すなわち生命的永遠普遍の欲求は、我々全ての生命あるものの根元的欲求であり、われわれの本質である生命が生命本来のあり方を望むのは当然のことです。 この世における生存の価値、すなわち生きがいをどの段階に求めるかは、各人の自由選択の能動的な意志によるものでありますが、各人が選択した欲求の段階が自己の認識の成長発展の段階をあらわすものです。 つまり、この世に生きる生存の行為と生存の姿が直ちに其の人自身の霊魂の成長段階を示していることになります。
2011.05.26
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教えて頂いた事 6いかなる存在もなんらかの意思によって存在します。 自分の意識や感じ方が変わらなければ、生きている意味がありません。 相手の悪いところに目を向けていると、益々悪い方向へと進んでいきます。 もったいない時間の使い方です。明るい表現を無理してでもやりなさい。感情のまま流されるのは丸太でも出来ます。知識として感動を捉えるのではなく、実感として捉えなさい。大変なときこそ明るくして、我を通さずに助け合う意識を持ちなさい。人生の課題からの助かり方他にプラスして通れば必ず通れます。他にプラスを与えて初めてよくなれるよ。そうすると笑顔が出るよ。プラスの感謝からスタートです。そのことを逃げずに通れ、他の原因にしない。そこに向っていきなさい。自分のエゴや無責任な通り方では駄目です。私達は「健全な魂は健全な肉体に宿る」といわれる如く、精神と肉体である物質からできております。私達の肉体は物質であり、その元というのは、地球です。地球が無ければ私達の肉体はありません。地球は根元であり、私達の肉体は部分です。米も麦も土の変形したものです。これら植物を食料として草食動物の肉体は成り立っています。更に草食動物の肉体を食料として肉食動物の肉体は出来ております。人間はあらゆるものを食料として肉体を構成しています。この様に如何なる生物の体も、その根元は、地球という大地から出発して、やがて大地に帰ることになります。 絶対的な自然の掟として、地球としてのこの大地は、全生物の肉体の大親であります。土から派生した肉体は、やがて絶対的に土に帰る。このサイクルを「肉体の法則」といいます。 地球という全体である大地とそこから派生した部分である肉体との関係は、親子の関係ということが出来ます。 同じように私達は、物質としての体と共に生命があります。受動的に土へ帰る肉体については問題がないが、認識する本体としての我々の生命は能動的、積極的に努力して欲求の段階を高めていかねなれません。
2011.05.24
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教えて頂いた事 5 問題の通り方 苦しいときの神頼みは助かりません。一番損な生き方です。金のない人がお金貸してと言ってきても誰も貸さないでしょう。体が病んでいる。心が病んでいる。感動が沸いてこないのは心が病んでいるからです。生きる感動と喜びがなければ、刹那的に満たされても駄目です。生きた価値がありません。目先のことだけではなく努力してください。苦しみがあれば成長の種と受け取ってください。今からいくらでも素晴らしく生きることが出来ます。 命の使い方生きているということは命を使っているということです。自分が生きることが、他の全ての生命の発展につながりますようにと思って過ごしなさい。どんな環境、運命でもプラスで通れる力を開発しなさい。どれだけ命をかけてプラスで通るかということが大切です。大きな目標を持ちなさい。プラスだけを信じて。最大、最善、最高に命を使いましょう。 よりよく生きるために今日一日、生きることが素晴らしいと、感動できる自分でありますようにと思ってください。己の命にプラスを与えない生き方は価値がありません。人生の一部がうまくいかないだけで悩まないで下さい。命は永遠のものです。うまくいかなければ、そこから学んでください。必ず蒔いた種どおりの結果が返ってきます。地位や名誉、財産の為だけに命を使うと意味がありません。問題にしている人に、問題にしているだけの、問題があります。 他の事ではなく、商売繁盛、家内安全、どうか合格しますように、病気が治りますようにと全部、自分、自分と他のことは何も考慮しておりません。これでは、二宮尊徳翁が言われたお風呂の中でお湯をかき寄せるようなものでお湯は逃げていくと、お湯を相手に出していくとお湯は逆に寄ってくるということが全然わかっていません。
2011.05.22
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教えて頂いた事 4 現象の理由自分の行いがマイナスであればマイナスが生まれます。つらいことが起こっているのは自分が原因なのです。プラスを行えば、よりよい方向へ発展します。よりよく素晴らしく生きようとすれば、生命性に目覚めます。我々は地球上に人生という旅行に来ています。喜びを収穫するために、生きています。生きることが素晴らしいと、無理やりにでも思わなければ、幸せにはなりません。生きるとは何かを能動的に行うことです。出来ないことを努力して出来るようになれば、感動して素晴らしくなれます。知識だけでは素晴らしくはなれません。実践しなければ駄目なのです。嫌なこと・問題とは努力して解決して、その人が感動できるためにあるのです。役割機能は他に対してのみ働きます。愛の本質は与えることです。してもらおうと思えば思う程、不満がつのって行きます。特に自己中心の生き方は、自分の事だけしか考えていません。こういう生き方は、他の為に役に立ちません。 そうすると自己の存在を失ってしまいます。
2011.05.22
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教えて頂いた事 3 不平・不満の解決方法現代人は物があても、不平不満を言っています。その最大の原因は・徳がないからと言われています。それでは徳とは、何でしょうか?少しでも他のためにと思う心が徳です。他の為にと思わない心は、奪い合う現象を起こします。金を奪い合う・地位や名誉を奪い合う・奪い合うと楽なのですが、それでは不平、不満は解決できないのです。人は金で狂い、金で苦しみます。徳がないと、生きる感動を生まないのです。 問題は、この運命財産である徳を増やして生きているか、もしくは徳と言う運命貯金を減らして生きているかということです。とにかく、どちらかで生きております。生命財産=運命貯金=徳ということになります。そのことに気が付いて、皆の為に生きるということが、徳を増やす生き方です。マイナスの種を蒔いてプラスの収穫にはなりません。マイナスの種を蒔いたらマイナスの結果しか出ません。誰がやろうとも、何時やろうとも、どこでやろうとも、必ずその様になることに決定しています。 親が子供を思うように、一人一人が、他の為に役にたつ生き方をすれば、より良く生きていくことができるのに、自己中心で生きております。自己中心で生きると悩むことになってしまいます。何故なら、悩みの本質は、自分の事を考えているからであります。他のことを思いやると悩みはありません。そこに自分が無いからであります。 この徳を減らすことばかりしています。それなのに幸せに暮らそうとしています。しかし、マイナスをしていてプラスになることはありません。他の役にたつことをしていません。 運命財産である徳という運命貯金がありますと、この世界は、より良く生きて行けるのです。 素晴らしい味わいを思い生きる。生きる為の価値を求めるために、仕事や勉強、育児、家事をやって行きましょう。
2011.05.21
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教えて頂いた事 2 努力した分だけ戻ってくる 人類は憎しみの種を蒔けば、憎しみの種を蒔けば、憎しみの結果が現れます。やせ我慢をしてもプラスの気持ちを持ってください。何事も無理してでもやってみることです。人間関係でも嫌いな人に、無理してでも微笑みをもって接してみましょう。自分が嫌だと思う方向に、プラスの行いを与えていってください。 与えると→与えられる 奪い合うと→奪われるプラスを出すとプラスが入ってくるのです。人は己の選択で、どのようにも世の中を見ることが出来ます。人生の過程で色々なアクシデントが発生しても、プラスで解釈する癖をつけてください。 細胞の生まれ変わりによって、垢が出てきます。これも新陳代謝によって自分の皮膚を守ってくれた細胞の一つ一つの生命であったはずです。全生物がこの生命の営みによって生かされております。 私この生命エネルギーを頂いて、新陳代謝や血液循環をして頂いております。私達も、この大いなる生命の一部を頂いて活かされ生きております。つまり、大自然の事実から言いますと、私達の生命が活動している姿、生命活動の姿と言えるのです。 そうすると、大自然の大いなる生命は、これだけの大きな生命の営み、つまり、大いなる生命活動をしていて下さっています。その内容は、全生物に生命を与え、全生物を活かしているという大きな生命活動をしていて下さるということになるわけです。 細胞の生まれ変わりによって、垢が出てきます。これも新陳代謝によって自分の皮膚を守ってくれた細胞の一つ一つの生命であったはずです。全生物がこの生命の営みによって生かされております。 私この生命エネルギーを頂いて、新陳代謝や血液循環をして頂いております。私達も、この大いなる生命の一部を頂いて活かされ生きております。つまり、大自然の事実から言いますと、私達の生命が活動している姿、生命活動の姿と言えるのです。 そうすると、大自然の大いなる生命は、これだけの大きな生命の営み、つまり、大いなる生命活動をしていて下さっています。その内容は、全生物に生命を与え、全生物を活かしているという大きな生命活動をしていて下さるということになるわけです。木曜日は尾道市のお得意先周りでした(瀬戸内海の島にて)
2011.05.20
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教えて頂いた事 1 生きる喜びを感じよう 自分が自分がという気持ちが分裂や対立を生みます。与えることに疲れても、人格を攻撃しないようにしなければいけません。 与えたことを計って、見返りを期待する傾向が、現代人には強くあります。見返りがないと与えない。そうすると与えることを止めてしまい。与えることが終わってしまいます。 幸せの基本はエンドレスです。辛いことがあっても、努力して収穫する人生が、最良の人生です。喜びを収穫記するために、人生旅行をしているのです。奪い合うため、憎しみ合うためではありません。何が起ころうと喜びを見出す練習をしなければなりません。努力して行なえば、絶対に感動があります。何を目的にしているかを明確にしていきましょう。 不思議に人は嫌だという観念を変えるために、同じ苦しみが与えられると言います。本質的には助け合うことで、嫌な環境が変化して行きます。私達が生きていて存在するのにも意味があるはずであります。この世に、意味なく存在しているものはありません。台所の鍋、釜、箸などもすべて役に立つ為に存在しています。この物質の世界でも、生きていくのに必要なものは作られます。それは何の為かというと、役にたつ為です。この様にすべて存在があるということは、造り主がいるということです。この事から私達は、この世界に生まれさせて頂いて、心臓を動かし、血液を循環させて新陳代謝をしている大自然の大いなる生命の力と働きを頂いて、活かされ生きております。この大自然の大いなる生命の力と働きは、この世に活かされ生きている全ての人間、動物、植物にかかわらず働いております。人間の意志で、新陳代謝は行われておりません。全てして頂いております。私達の体内では、1秒間に5000万個の細胞が生まれ変わり出変わりしている事実を認識しなければなりません。だから、どのように生きればよいか、何の為に生きているのかということが、さっぱりわかっておりません。五臓六腑もみんな助け合って一個の人間を支えあっているという自然界の法則があるのに、みんな助け合って生きておりません。 もうそろそろ、この自然界の事実に気が付いても良い時期ではないでしょうか、そして助け合う生き方が大事なことに速く気が付いて頂きたいと思います。
2011.05.18
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四十九日法要と合わせて納骨の為に福岡に帰ってきました。 土曜の夕方はビアンコネロのフリーコンサートを見に天神へ。大丸前にある福岡勤務時にお世話になったお得意先にご挨拶にも行けました。日曜日は、四十九日法要と合わせて納骨を頂きました。陰膳 帰省時に使わせていただく高速1000円は母親が倒れた月から始まったのですが、49日が終わる今月の利用で最後のようです。 土曜日の博多の夕日は、イオン色に染まってました。
2011.05.16
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有名なお菓子のようです。 かなり強烈なパッケージ。ヤンキーのおばさんの服のようです(爆)味も強烈でした(笑)
2011.05.14
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お得意先から頂きました。豆好きの奥様が早速食べてました。勿論、ビールと 明日から四十九日のために帰省します。夕方に時間をみつけてビアンコのフリーライブを見に行くつもりです。
2011.05.13
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車で寝るときは、私はポップアップルーフで寝ていますが、 子供たちがは下で寝ています。シートをベット展開したときに、時々落ちるところがあります。ここをどうにか改善出来ないものかと思ってましたが、ようやく?ひらめきました(笑)住宅用の床材受け。長さの微調節も出来るし、使わないときはシートの下に入れられるしナイスアイデアです。これで彼らに快適な睡眠が約束されました。ついでに冷蔵庫の後ろにマガジンラックを付けてみました。なんかお洒落な感じがします。
2011.05.11
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最終日は高松へ有名な骨付鳥一鶴に子供たちは辛すぎて食べれず(爆)屋島城跡に行きました。お遍路さんが、四国らしい雰囲気です。身体健全なによりです。展望台からの眺め。綺麗でした。最後は降り口にあった「わら家」という、うどん屋へチョット大きすぎました(爆)
2011.05.10
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大鳴門橋45mより見下ろす迫力の渦潮 鳴門海峡を一望のパノラマ二日目は鳴門海峡からスタート。意外と怖い!!続いて船に乗って、間近から渦潮見学に行きました。迫力がありました。
2011.05.09
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ゴールデンウィークは四国旅行+福岡への帰省でした。四国の初日は・徳島のびんび家で食事です。着いたのは21時前でしたが、駐車場はまだ満車でした。入り口横のイケスから出された魚が捌かれていました。ヒラメ定食私はタイ定食。写真ではわかりにくいのですが、ものすごく分厚く切ってあります。刺身だけでお腹一杯になりました。めちゃめちゃ美味くて感動物でした。この方々も満足のようでした
2011.05.08
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