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海外勤務していた友達や世界ぉ旅するバックパッカーの一期一会でイノシシをさばき食しました。書初めぉしたり日本ぉ楽しみました今年ゎイノシシ年にちなんで牡丹鍋。画像わ解体されたイノシシさんの足。
January 14, 2007
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不二家のアンパンマンケーキたのもぅと思ったら閉店してるし....なので昨日自分でアンパンマンケーキ作りました渾身の力作です
January 14, 2007
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みなさん今年もョロだッちゃ☆今年も幸せな年になりますよぉに♪
January 2, 2007
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Godiva ゴディバ 2新発売GODIVAゴディバチョコレートカレアソートメント9枚新発売GODIVAゴディバチョコレートカレアソートメント16枚入GODIVAゴディバチョコレートアソートメントG15GODIVAゴディバチョコレートアソートメントG20GODIVAゴディバチョコレートアソートメントG25ゴディバチョコレート詰合せG30送料無料GODIVAゴディバチョコレートアソートメントG40GODIVAゴディバチョコレート詰合せG50新発売GODIVAゴディバトリュフチョコレート詰合せギフトGFT21新発売GODIVAゴディバトリュフチョコレート詰合せギフトGFT30新発売GODIVAゴディバトリュフチョコレート詰合せギフトGFT38新発売GODIVAゴディバトリュフチョコレート詰合せギフトGFT50限定販売GODIVAゴディバクッキー詰合せギフトGDC212ゴディバクッキー詰合せギフトGDC200ゴディバ クッキーアソートメントGDC300送料無料菓子ギフトゴディバ クッキーアソートメントGDC500送料無料菓子ギフトGODIVAゴディバクッキー&チョコレート詰合せGCC30ゴディバ クッキー チョコレートGCC50送料無料チョコレートギフトGODIVAゴディバチョコレートグランプラスGPL65GODIVAゴディバチョコレートグランプラスGPL115
October 17, 2006
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Godiva ゴディバ 11920年代、ベルギーのブリュッセルで、ある一家がチョコレートを作り始め、そのチョコレートの品質が大変良く人気を集め、ベルギー王室御用達の栄誉にも沿し、その後「ゴディバ」と銘名され、世界に冠たるブランドとして成長し親しまれている。品質の良さもさることながらネーミングが良かった。ゴディバの銘名は、11世紀イギリスのコベントリーという地で起きたある出来事の主人公の女性の名前に由来する。その出来事とはバーミンガム近くの町コベントリーの封建領主が領有する町の住民に重税を課していた。妻のゴディバは信仰心が篤く、優しい女性で住民のため重税を取り止めるよう夫に懇願したところ、夫は冗談半ばに「もし、お前が一糸纏わぬ姿で馬に乗って走り回ったら、そうしてもよい」と答えた。彼女はそれを実行した。裸で馬に跨り、町中を走り回った。町の人々は彼女の優しい心に感動し、家の中に入り窓を閉ざして婦人を見ないようにしたという。ゴディバというネーミングはこの物語のゴディバ婦人からとったもので、ゴディバチョコレートは裸で馬に跨った婦人の姿をトレードマークとして用いてブランド力を高めた。GODIVAゴディバチョコレートオリジンズオブザワールドGODIVAゴディバチョコレートミントスティック100gGODIVAゴディバチョコレートオランジェ100gGODIVAゴディバチョコレートバトンビター72%エキストラビターGODIVAゴディバチョコレートバトンミルクGODIVAゴディバチョコレートバトンビター50%GODIVAゴディバアイスクリームセットGIS53予約11/1発送 送料込ゴディバアイスクリームセットGIS78予約11/1発送 送料込。+.。゜:;。+゜最良のその日ふたりを語る贈りものに世界最高峰のチョコレートと称されるゴディバを+。::゜。:.゜。+。 GODIVAゴディバブライダルコレクションサムシングブルーGSB5NEWGODIVAゴディバブライダルコレクションマリアージュピンクGMA5NEWGODIVAゴディバブライダルコレクションカラクマリアージュGCM7予約GODIVAゴディバブライダルスィートハート4粒予約GODIVAゴディバブライダルキープセイクハート予約GODIVAゴディバブライダルスウィートハート2粒30セット予約☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆*:.。..。.:*・゜もぅすぐハロウィンψ(`∇´)ψ゜・*:.。. .。.:*☆オススメ★新発売GODIVAゴディバハロウィンカレアソートメント12枚入オススメ★新発売GODIVAゴディバチョコレートハロウィンアソートメント9粒オススメ★新発売GODIVAゴディバチョコレートハロウィンベア5☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
October 17, 2006
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Galler ガレーチョコレート王国ベルギーの、王様が認めたチョコレート。1976年、手作りチョコレート職人、ピエールとジャン・ガレーによって創業され、 彼らの情熱から生まれた、まるで宝石のようなショコラは、異例のスピードで、数百あるブランドの中から、栄えある王室御用達として認定されました。 ベルギーの伝統と、その新しい上品さを、見事に調和させたガレーのプラリネ。その功績が認められ、ベルギー本国では現代チョコレート界を代表するショコラティエの一人となりました。世界の名誉ある数々の賞を、受賞しています。王様も召し上がるチョコレート、ご賞味ください。ガレーショコラスペシャルアソート【977】ガレーショコラスペシャルアソート【432】ガレーショコラアソート コフレセット【445】
October 15, 2006
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AMEDEI アメディ【チョコレートのロマネコンティ】と呼ばれる、イタリア、トスカーナ州ピサで誕生したチョコレート。 ワインはぶどうの質によって左右されるという、ワイン造りの考え方と同様に、テッシエーリ兄妹の、「優れたチョコレートには、優れたカカオ豆が必要だ。」というポリシーで作られた、ラグジュアリー・チョコレートです。特に、「伝説のカカオ」と呼ばれる「チュアオ」単一品種でのチョコレートは世界初。2005年11月にロンドンで行われた世界チョコレート・アワードでダブル金賞を獲得しまた。上質のカカオだけ持つアロマ豊かな、コクのあるチョコレート。ワインやリキュール、紅茶、シガーとのマリアージュを楽しむチョコレート。昨年11月には、ミシュラン2つ星レストラン、ミラノ・サドレルの六本木店で、このアメディを楽しむ為の、特別ディナーが企画された他、東京青山には、このアメディチョコレートをワインやシガーに合わせて楽しむという今までにないコンセプトのリストランテ&バーもオープン。イタリアン・バイクのDUCATI、そして、あのランボルギーニのイベントにも使われています。 「大人の嗜好品」として、大切なあの方に。ARMANI/DOLCI アルマーニドルチ 2002年より、ミラノのアルマーニ・カーザで販売を始めた、アルマーニ・ドルチ。衣・食・住すべてにアルマーニ自身の美学が生きるこのアルマーニ・カーザでは、ウェアはもちろん、リビング、コスメ、CD、そしてレストランに、NOBUを迎えての展開です。中でも、このアルマーニ・ドルチのチョコレートは、一つ一つが宝石のよう。シックで、ゴージャスなそのパーケージのデザインとも相まって、アルマーニ・マジックともいえる、独特のオーラを放っています。日本では、東京丸の内のエンポリオ・アルマーニのみで販売。世界でもわずか5店舗しかない、希少なチョコレート。「大人の男性」にこそ、ふさわしい。
October 15, 2006
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今日は朝から12時間寝てやった。ヤッテヤッタ☆゜+。:.゜ヽ(*´∀`)ノ゜.:。+゜ヤッテヤッター☆忙しかったので33時間寝なかったから、本当にたっぷり爆睡した。( ̄ー ̄ふふふ…でも午後3時なぜかフと目が覚めた。きた、金縛りだ。「かなり疲れているのかな~」と思い、金縛りを気にせず眠る事に決めた。全然寝たりないので目を閉じると、体が沈んでいく感じがする。ちょうどエレベーターやジェットコースターで落ちて行く感じにも似ている。気持ち悪いので目があいてしまう。でも眠い。というより寝なきゃ。「いいや、このまま沈んでいっても眠りにつけるなら」と覚悟(?)を決め、気持ち悪さを我慢して目を開けずにいると、私が体から抜けていく。しかも何か強い力で引っ張られてるみたい。「ヤバイ、さっき沈んでいってもいいやなんて決めなければよかった∃ヨヨョョ。+゚(ノД`)゚+。ウワァァァン」そんな事思っても後の祭り。その強い力は手加減しない。しかもこのパワーあまり良くない感じがする。怖くなった私はまず金縛りをとく事に集中した。まず目は開いた。声を出してみる。「んぐぅ」←私、可哀想・・・・・つД`)ウゥ…それでも解けない。でも気づけば私は体に戻ってきている。「良かったぁ。金縛りと格闘して気づいたら戻ってる。ヾ(^∀^)ノキャハ!ハッ!Σ(゜Д゜; )こんな事で喜んでられない!また自分が体から抜けないようにしないと。あの強いパワーが戻ってこないうちに早く金縛り解かないと!」私は少しパニクっていた。頑張って体を動かしてみる。指がかすかに動いた。でも体が動かない。「なんで??」目も開いてるし声もでるし指も動いたのに・・・・・。取り合えず落ち着いて待ってみる・・・・・。・・・・・・・・・・。「この状態。完全に寝たきりの年寄りだ( ´艸`)ムププ」とか考えてみる・・・・・。・・・・・・・・・・。・・・・・・・・・・。フッと私の体をがんじがらめにしていた何かが消え去った。「良かった。ゎ━ヽ(*´∀`)ノ━ぃ」でも完全にビビった私は30分程起きている事にした。「よし。寝てみるか。」目を閉じてみる。変な感じはしない。そして私は温かな布団の中でまた眠りについたのでした。
May 28, 2006
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100年楽しめるケーキ シュガーケーキ何か美味そうなお菓子はないか( ̄ー ̄ふふ・・・・・と、ニヤニヤしてページをめくっていると100年楽しめるケーキという、何とも興味をそそる一節に出会った。なになに、この綺麗なケーキは!!Σヽ(゜Д゜; )ノ興味津々見てみると、そのケーキの正体はシュガーケーキというものらしいお店の名前もと、そのまんま早速紹介してみよう( ´艸`)見て見て!(・∀・)エレガント ローズ恋人に枯れないバラの花を贈ってみたら100年枯れないユリ永遠の愛を誓って送ってね音符のケーキ音楽好きさんにうちのペットが一番かわいいケーキ愛犬ちゃんにウエディング(カトレア)結婚のお祝いや記念に
May 25, 2006
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ブラウニー今日はブラウニーらしきものを作ったクルミも混ぜたし、見た目はブラウニーに近いのだが、食感が別物だった。本のレシピ通りに作ったのに何で???
May 16, 2006
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シバの女王シバの女王シバの女王(Queen of Sheba)シェバあるいはサバ、もしくはマケダ(Makeda)、幼名ビルキス(Bilqis)。旧約聖書(列王紀)上10ほかに見える伝説人物、紀元前900年頃にシバ王国を統治したといわれています。(三博士の参拝)の予型(予表)とされるほか、十字架伝説に登場し、美術作品も多い人物です。アラビア南部の商業国、シバ王国(現在のイエメン、エチオピアなどとされる)の女王で、ソロモンの名声を聞きイスラエルにあるエルサレムを訪問してソロモン王と会見し、大量の金や宝石、乳香などの香料、白檀などを寄贈し、ユダヤ教に改宗したとされています。(旧約聖書・列王記上第10章「シバの女王の来訪」およびマタイによる福音書6:33でも言及される)ソロモン王と女王シバの間に生まれた子がエチオピア帝国の始祖・メネリク1世であるとされています。聖十字架伝説世界がひれ伏した美しき女王、シバの物語は多く映画化されています。一番新しいものでは「Queen of Egypt」というタイトル名になっています。この映画をエチオピアの友人達と見たのですが、それはもう大騒ぎ。「シバはエチオピアの女王だ!なぜエジプトの女王とされているんだ!!」と、もう大変。なぜか2時間近く私が説教され「見なけりゃよかった・・・・・」とさえ思いました。Queen of Egypt確かに彼等エチオピア人はクイーン・シバの末裔。「俺はアフリカ人じゃない!アベシャだ!(abesha、エチオピア人の名称)」と、高貴な女王の子孫だけあって(?)、人のスネをかじったとて誇りは捨てないのです。男性は貧乏臭い格好をしていますが(ゴメン(σ・∀・)σйё!!)、女性の美しさは息をのむほどです。まず女性達は皆オシャレです。美容室に行く回数もすごいです。肌の色はチョコレートカラー。スレンダーな体にスラッと長い手足。そして小さい頭に整った目鼻立ち。アフリカ人には珍しい小さな唇。皆モデルさんのようなのです。絶世の美女と称されたエジプトの女王クレオパトラに、引け劣らない美貌は後世までも引き継がれていると言ってよいでしょう。血は水よりも濃いですね。
May 10, 2006
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微笑みの国 タイ美しい海に面したビーチリゾート、少数民族のエキゾチックな文化と大自然が満喫できる山岳地帯、混沌の大都会バンコクなど、さまざまな楽しみがぎっしり詰まった国だ。社会基盤も整備され、治安も比較的よく、安心して旅行ができる。「辛い」だけではないタイ料理の奥深さにも触れてみたい。(地球の歩き方より)そう、タイには色んな楽しみ方がある。タイは熱帯に位置していて、年間を通じて気温は高いですが、暑さに負けそうになった時には映画館に入るのがオススメです。映画館の中は涼しいというより寒いです。一応上着も持っていくと良いでしょう。「この人、○○(自分の知っている人)に似ている・・・・・」という経験が多々あるでしょう。洋服などもデザインを伝えると、オーダーメイドで作ってくれます。安価です。食事は毎日外食というリッチな事ができます。屋台ですが。物価が安いので国内で日系の会社に勤めると、セレブな生活がおくれるでしょう。
May 10, 2006
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シュークリーム スワン今日はシュークリームを作った。
May 5, 2006
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恋の媚薬 チョコレートセピアの宝石と呼ばれたショコラは最初「恋には欠かせぬ飲み物」として人気を博しましたチョコレートの誕生と歴史続編「ショコラトールの変化」ヴィクトリア王朝時代(1837~1901)に、チョコレートは飲み物から食べ物へ変わったのだといわれています。1820年代、チョコレートキャンディーの元となったフォンダン・ショコラが、スイスのルドルフ・リントによって作られました。1842年のキャドバリー社では、イーティング・チョコレートという名称が残っています。その後、固形チョコの発明は19世紀の2人の西欧人の登場によって開発されます。それはオランダ人のヨハネス・ヴァン・ホーテン。もう一人は、はちみつ等の混入に成功したスイス人のダニエル・ピーターによってミルクチョコレートができます。一説には、チョコレート工場主の娘に恋をしたろうそく職人が、彼女のためにチョコレート職人になって粉骨砕身頑張ったといいます。これが、板チョコの始まりです。1900年、アメリカではミルトン・スナヴェリー・ハーシーがチョコレート製造を始めました。「世界初の食べるチョコ」今日知られているココアの老舗『ヴァンホーテン社』の創業者、ヨハネス・ヴァン・ホーテンは、お湯に溶けやすいチョコの開発を目指しました。そう最初から板チョコ製造を目論んだのではないのです。彼は「ココアパウダー」の製造に成功。更に「ココア作りの基本」を確立しました。1828年ヴァン・ホーテン社、「ココアパウダー製造」の特許を取得。このヴァン・ホーテン製法では、チョコの油脂である「ココアバター」が大量に余ってしまう。そこでイギリスのフライ社が余剰のココアバターを型に流し込んだ固形チョコを売り出しました。つまり世界初の食べるチョコは、ココア製造の過程で出た余剰品のリサイクルでもあったのですね。この苦くて硬い固形チョコは、広く人気を博すというところまでは至りませんでした。牛乳を混ぜるという試みもあったようですが、水分と油脂を混ぜることは所詮無理です。何故ならヴァン・ホーテンもそのために、カカオマスからバター分を搾り出したのですから。「ミルクとの運命的な出会い」ところが極東の島国で“チロル”の名を冠したチョコレートが登場します。19世紀後半に、チョコレート製造の舞台はチロル地方のお隣、スイスにやってきたのです。(備考ですが、この“ミルクチョコレートの発祥の地”は現代でも一人当たりのチョコレート消費量No1のお国柄ですが、18世紀後半ではチョコは性欲を盛んにする媚薬とされ、1772年チューリッヒ州議会は「高潔なスイス市民には合わない」とチョコレート禁止令を可決していました。)前述のスイス人が、不可能と思われていたミルクチョコレートの製造に成功します。ろうそく職人ダニエル・ピーターは水力を利用した機械で2昼夜攪拌するという荒業で、1876年、現代人が大好きな滑らかにとろける甘いチョコレートを完成させました。このスイスでのミルクチョコレート誕生に“決定的な仕事”をしたのが、今日の世界最大の総合食品会社『ネスレ』です。ネスレ社(1867~)の創業者アンリ・ネスレは、当時栄養不足による乳幼児の死亡率が高かったことに心を痛め、「母乳の代用食品を」と“コンデンスミルクを発明”。そのアンリ・ネスレの自宅のそばに、一組の若夫婦が住んでいた。その夫こそ、ろうそく職人から身を起こし、スイスチョコレートの嚆矢カイエ社の創業者フランソワ・ルイ・カイエの長女と結婚したダニエル・ピーターその人だったのです。ここでチョコレートは、ミルクと決定的な出会いをしたのですね。「チョコレート、完成から仕上げへ」現在でもスイスチョコレートの最高ブランドとして君臨する『リンツ社』の創業者ダニエル・リンツは、独自のローラー機械による素材撹拌法の改良で、チョコレートをより滑らかにした。また温度変化で融けやすくし、様々な形に成形しやすくしました。現代で私達が魅了されているチョコレートの食感は、最終的にはリンツ社の技術により実現したといっても過言ではありません。日本発のチョコレート日本でのチョコレートの最初の記述は、江戸・寛政年間の長崎の遊女の日記に「出島でチョクラートを貰った」という文章で伝わっている。それはヴァン・ホーテンが特許を取得するなんと31年も前、日本で最初にチョコレートを製造した東京風月堂の80年よりも前の逸話。チョコレートの歴史とは、男が工夫し女が食した歴史アステカを征服したコルテスはスペインの皇帝カルロスにチョコレートを献上したが、その宮廷内の女性たちによって専用のポットやカップによるチョコ文化が醸成されたそして花の都パリへは、名門同士の犠牲となった王女によって食習慣が伝播するダニエル・ピーターがスイスでミルクをチョコに必死に混ぜたのも、チョコレートの老舗の娘へのそれが愛の証そして長崎の出島で、遊女が南蛮さんからもらったチョクリート女性のためにチョコレートはあるのかもね
May 5, 2006
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恋の媚薬 チョコレートチョコのお話チョコレートの名前チョコレート(Chocolate)という言葉は、ショコラトール(chocolatre)「意味はほろ苦い」が語源です。カカオ豆の飲みものが、メキシコに移り住んだスペイン人の間に広まっていったときの呼び名。この「チョコラトル」が、現在のチョコレートに変化していきました。この言葉の由来はアステカ文明より古いマヤ文明の言葉に「熱い水」「熱いチョコレート」を意味する「チャカウハー」が、また同じ地方のユカテク語には「熱い」を意味する「チョコル」という言葉があり、このあたりの言葉が、アステカ語「カカワトル」の語尾にある「トル」と結びついて、「ショコラトル」ができたという説が有力です。スウェーデンの植物学者カール・フォン・リンネは、後にカカオを「テオブローマ・カカオ」(神々の食べものカカオ)と称しています。やがてショコラトールは、深い霧の中から、世界へ姿を現わし始めました。チョコレートの誕生と歴史「神話」チョコレートが生まれたのは紀元前2000年頃、アステカ人の住む中米古代メキシコといわれていますが、その野生種のルーツは南米アマゾンやオリノコといった大河の流域に4千年以上前から自生しています。アステカの人々はカカオ豆を通貨として使用するほど重宝し(豆100gが奴隷一日の賃金)、そのにがい水は“疲労回復”に効果があることを経験則から知っていました。そしてカカオ豆をすりつぶして飲み、不老長寿の妙薬として珍重されていました。それゆえ、カカオ豆には「テオブローマ・カカオ(神々の食べ物)」という神秘的な学名がつけられています。彼等の信じる神々の一人に、ケツァルコアトルという空気の神がいて、地上の人々に多くの教養と文化を教え、神の食べものとされていたチョコレートとトウモロコシを人々に与えたといわれています。しかし、このケツァルコアトルは、闇の世界を支配する闘いの神に毒を飲まされてしまい、遠いところに旅立たされてしまいました。カカオ豆の粉末にトウモロコシやコショウを加えて煮たり、すりつぶしたバニラの香りをつけたショコラトール(当時のチョコレート)は、どろどろした苦い飲みもので、これをアステカの王様モンテズマはことのほか好んでいました。モンズテマ国王は、黄金のカップで一日に50杯ものショコラトールを飲んでいたらしい。当時ショコラトールは大変高価なものだったので、一般市民はとても飲むことができなかったそうです。「万死に値する存在」そんな頃、アステカにフェルナンド・コルテス率いるスペイン船がやってきます(1519年)。エルナン・コルテス。(19才で初めて新大陸を踏んで以来、生涯4回大西洋を横断。大航海時代の帝国主義者にして、アステカ文明を屠り去った男として歴史にその名を残す。)彼は1522年にアステカ帝国を滅ぼし、中南米のラテン化の礎を築きました。(琵琶湖の4.5倍もある人造湖に浮かぶ島を首都とし、そこに45mのピラミッドを始め100を超える神殿がひしめきあい、運河や上水道が巡らされた人口25万人の大都市を建設した高度文明を、鉄砲の威力で地上から消し去った。)またこんな逸話もあります。「コルテスの風貌がケツァルコアトルにそっくりだったため、コルテスのことを「ケツァルコアトルの再来」とアステカの人々は大喜びしました。そしてモンテズマ王もコルテスに最高のもてなしをしました。コルテスはモンテズマ王にショコラトールをご馳走になりますが、ほとんど興味を示しませんでした。」「珍妙な献上品」1526年に新大陸征服の任を命じられたコルテス将軍は、「日の沈まぬ帝国」と呼ばれた覇者、ハプスブルク朝スペイン王国初代皇帝カルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)にショコラトールを献上。「エルドラドから黄金をどっさり持ち帰ってくる」とばかり思っていたスペイン皇帝は、カカオという豆をすり潰した疲労回復の薬効優れた戦利品を受けました。将軍は「不老不死の飲み物」だと言う。褐色でにがい飲み物に首を傾げながらも、中米アステカを征服した英雄の言葉に耳を傾けました。当初、その高価なショコラトールの貴重さも味も理解できないスペイン人でしたが、しだいに原住民から調理法を習うようになり、愛飲するに至ったといわれています。こうしてスペインに渡ったショコラトールは最初、カカオ豆の栽培から調理に至るまでが、スペイン独占で行われていました。 これはオランダやイギリスが、各所でスペイン船とぶつかり、スペイン船につまれているカカオをシープス・タング(羊の糞)と呼んで、海へ投げ捨ててどこにも運ばないようにしてしまったためといわれています。「ヨーロッパに広まったショコラトール」ところがその秘法が1606年、スペイン宮廷に仕えるイタリア人のアントニオ・カルレッティによってイタリアにチョコレートが渡りました。イタリアのフィレンツェの大富豪メディシス家の姫カトリーヌ・ド・メディシスが、フランスのアンリ2世の元に嫁ぎ、その際に身の回りの世話をする侍女達と一緒に、料理人や菓子職人も連れて行ったため、当時の先進国イタリアの食文化はフランスに伝わりました(16世紀半ば)。一方1615年には、スペインからも太陽王の母となるスペイン王女、アンナ・ドートリッシュ姫がフランス王ルイ13世に嫁ぎますが、その一行にチョコレートを調理する侍女が加えられました。同行したのはチョコレート専任メイドのラ・モリーナ。姫君の輿入れと共に、門外不出として守られてきたチョコレートの製法が伝わりました。当時のチョコレートはココアのような飲み物で、以後宮廷ではチョコレートを飲む習慣が広まり、上流階級の貴婦人達の間で大流行しました。このハプスブルク家とブルボン家の政略結婚(フランス宰相リシュリューによって機能はしなかった)が、スペイン王国の秘伝をフランスへ伝える事になったのです。こうしてこの褐色の飲み物はヨーロッパ中に広まったのでした。続くルイ14世の妃は、同じくスペインから嫁いできたマリア・テレジア(マリーテレーズ)も無類のチョコ好きだった一人。フランスに、さらにチョコレート好きを広めました。彼女は「私には2つの情熱がある。それは王とチョコレート」という名言まで残したんだとか。オーストリア・ハンガリ帝国を治めていたハプスブルグ家の女帝・マリア・テレジアの娘マリー・アントワネットもフランスブルボン王朝最後の王ルイ16世に嫁いだ際、はるばるウィーンから菓子職人を同行させました(18世紀)。19世紀前半には、ナポレオンが「あまりにも美味しいアストルガのこの茶色の飲み物よ」と言ったことが、記録に残っています。ナポレオンも絶賛した“アストルガの茶色の飲み物”ココア。このように、マリー・アントワネット、ナポレオンまでもがチョコレートの記録に残るのは、「永遠の命」や「衰えを知らない美貌」を求めてやまなかったばかりではない。チョコレートこそ媚薬チョコレートには不思議な力があるのですねではチョコレートが飲みものから食べるものになったのはいつかというと・・・・・また長くなるので、続きは後で根気よく読んでくれてありがとうお休みなさい
May 4, 2006
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髪型のお話私の髪は腰まであるロンゲきついパーマをかけていたが、最近ストレートにしてみた「似合う、似合わない」の賛否両論。しかも「似合わない」と言うのは女性ばかり。「似合う」と言うのは男性ばかりの両極端だ。女性からの意見は「パーマをかけていた方がカッコ良かった」「ストレートの方が老けて見える」(←マジで!?ストレートの方が若いイメージあるのに!)等など。男性からの意見は「大人っぽくなったが怪しい感じがなくなった」(←怪しいって思われてたんだ・・・・・)「つかみどころのないふいんきがなくなって良いんじゃない?こっちの方が可愛いよ」(←ありがとう~(泣))等である。「似合う」と言ってくれるのは嬉しいが、私が思うに男の人って「サラサラストレート」が好きな訳であって、私が似合っているのか似合っていないのかは別なのでは?という疑惑がわいてきた。まぁ、いいや。もう少しストレートを楽しんでみよ
May 3, 2006
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大天使 ガブリエル今日は四大天使の1人、ガブリエルの話をする。ガブリエルといえば聖母マリアに懐妊を告げた受胎告知が有名ですね。また、これに先立ちザカリア司祭の妻エリザベトにも、イエスの洗礼者となるヨハネの誕生も告知しています。大災害が起きることを知らせる幻視をダニエルに見せ、ユダヤ教ではソドムとゴモラの街を滅ぼしたのもガブリエルとされています。イスラム教ではガブリエル(ジブリール)は「真理の天使」と呼ばれていて、聖霊と同等と考えられています。ムハンマドのもとを訪れて神の言葉を伝え、口述で聖典コーランを筆記させた。また、ムハンマドが幼い頃にも現れ彼の心臓を取り出し、人類の始祖アダム以来全ての人類が背負う原罪を洗い落として再び体に戻した。等など、この様な重要な役割を担ちました。また死の天使としても、古代バビロニアでは「若者の生命を司る」役割、ユダヤ教では「黄泉の国の守護者」として筆頭にあがっています。一般的に天使は両性具有の存在なので男性でも女性でもないが、ガブリエルだけは絵画においても女性の姿で描かれることが多い。ガブリエルは唯一の女性天使なのか。しかしユダヤの慣習により女性は神権を持つことができない為、女預言者はいるが天に召されることはない。では何故ガブリエルが女性と考えられるのか。その理由は『トビト書』でガブリエルが神の玉座の左側に座していたことにあります。昔のユダヤの習慣では主人の左に座を占めるのは女性ということになっていたためです。この説はユダヤ、キリスト教では認められているものの、敬虔なイスラム信者には否定されています。そして絵画に描かれているガブリエルは必ずと言っていい程百合の花を持っています。百合の花は聖母マリアの象徴であると同時に、ガブリエルの象徴であり処女の性を表します。ほかに、ガブリエルは天国から離れ生まれ変わる魂を導き、魂が母親の子宮にいる九ヶ月の間見守るといわれています。ガブリエルの名前。ガブリはシュメール語で総督、統治者を意味し、天啓、智恵、慈悲、贖罪、約束の天使であり、エデンの園の統治者であり、智天使の支配者です。エルは「神」を意味する接尾辞、神の諸力を分け与えられた者としての天使の属性を表しています。ユダヤの伝説によれば、ガブリエルは“回復する者”であるという。“回復する者”とは、主の道から外れた人心や環境を元どおりにする者のことを指し、旧約聖書においては先駆者(エリヤ)を意味します。確かにエリヤが来て、すべてを元どおりにする(マタ17:11)ただし、ガブリエルの正体はエリヤではありません。ここでいうエリヤは“エリヤ(先駆者)の霊”を持つ者のことをいいます。彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備の出来た民を主のために用意する。(ルカ1:17)新約聖書では洗礼者ヨハネがエリヤと呼ばれている。では、旧約時代にエリヤの霊を持つ者はいたのか。一人だけいた。箱舟にあらゆる種類の動物を乗せ、大洪水により一新された環境で主の道を回復したとされる預言者ノアです。
April 30, 2006
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混沌の魅力を持つ国 トリニダード&トバゴ 続編トリニダードから飛行機でトバゴに向かったトバゴではビーチ沿いのアパートを借りて、朝から夜までビーチで遊んだよヤシの木から熟れた実が落ちて割れる音や、波の音に包まれて眠った日々、灼熱の太陽の下ではしゃぎ、サンセットを眺め、星空の下の砂浜での想い出の数々が私の中に残りましたトバゴは観光地なのでトリニダードよりも物価が高い。土産店ではぼったくられないように注意しよう(トバゴのビーチ)(トバゴのビーチのお土産屋さん)(トバゴで借りたアパート。朝食の準備をするアンディとユキ)(アパートの下の庭にて。小さく見えているのがユキ。)トバゴの全体的な感想は「トリニダードよりも過ごしやすい。素敵な観光地の1つ。」でした。観光地なので外国人慣れしてる場所だからともいえますが、トリニダードよりもアジア人(特に日本人)は珍しいはずなのに皆感じは良い。観光客狙いで話しかけてくる人達でも感じ悪くはないですよ。トリニダードとトバゴ、同じ国でもこんなにも違うものかと思いました。リゾート地特有のゆったりとしたふいんきもあります。トリニダード&トバゴ。観光するには楽しい国だと思いますよ
April 5, 2006
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混沌の魅力を持つ国 トリニダード&トバゴ 続編(首都ポートオブスペインへお出かけ)上の写真で履いているサンダル(全然見えてないですが)、ポートオブスペインで購入した物。これがまた現地の女の子に大人気だった足を痛めたのでヒールのあまり高くないサンダルを買って履き替えただけなのだが、通り過ぎる度に「素敵な靴ね、どこで買ったの?」等と声をかけられた。「そうか、こっちではこういう靴が女の子にうけるのか~」と妙に感心。そうそうトリニダードにはやたらとケンタッキーがある。マクドナルドもあったが、つぶれてケンタッキーになったらしく、今ではケンタッキーしか存在しない。ここでも「サウンド、MAJESTICSのPAPA-Dもケンタッキーが主食みたいな人だもんな、こっちの人はみなそうなのか~」と感心してしまった。それとここには中華料理店は結構あるのですが、日本料理店はポートオブスペインに一店のみ。ガードマンらしき人が立っているその店は、日本人しか入れないのだとか。って赤字にならないの??あと印象的だったのが“動くスピーカー”これは若者が街でCDを売るために改造したワゴン式のスピーカーなんだとか写真がないのがとても残念ですスチールバンドオーケストラに“エクソダス”(移民の出国の意)というバンドがある。今年のパノラマは残念ながら優勝できなかったけど、来年は良い結果がでますようにスチールパンを作るところを見せてもらったり、エクソダスのライムにも参加させてもらったよ。これまた写真がないのが残念(エクソダスの練習風景。ツナプナにあるよー。)(アンディ)(パノラマ会場)トリニダード。この国では東洋人は決して珍しくないはずですが、やたらとからまれます。必ずといって良いほど私達日本人は「チャイニーズ」呼ばれます。ようは中国人に間違えられているからなのだが、その言葉の中には軽視的な意味が込められている。そう、残念ながらココにも差別は存在する。英語圏ゆえ、言っている事が分かってしまうのも辛いところですね。分からなければ、「あら、私ってすごい人気~」とか、馬鹿丸出しで勘違い振りを発揮してやるとこなのに(笑)商売上手な中国人への「妬み」からきているのでは?と取るおおらかな旅行者の方もいますが、私はそう呼びかけられる度に「違うわ。私は日本人よ。知らないの?」と言ってやります。私がトリニダードで全体的に受けた感想は、「はっきり言って、あまり感じよくない」です。勿論、友達や知り合いなんかはとても良くしてくれましたし、良い人なんかもいました。ですがトリニダード。私的感想で申し訳ないのですが、インド系の住人が多いことで、他の島々とは異なる独特の文化をもっているというだけではなく、先進国と発展途上国の混同とでも言うのでしょうか、独特のふいんきがあります。カーニバル時期等の観光はきっと楽しいと思います。他では見られない混沌の魅力がここにはあるというのには納得できますよ。
April 4, 2006
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混沌の魅力を持つ国 トリニダード&トバゴ3月は半月程カリブ海で過ごせた私が行ったのはジャマイカではなく、トリニダード・トバゴという国。まずはこの国の紹介から ・大都市のあるトリニダード島とビーチに囲まれたトバゴ島と、 ふたつの魅力が楽しめるカリブ最南端の国。 と言っても海峡を隔てた向こうの陸地は、もう南米大陸。 一番近いところは24キロメートルしか離れていないので、 カリブ海の島というより南米大陸の一部といっていいような島。 国の面積は5128km2で、千葉県とほぼ同じ大きさの小さな国。 人口は110万4000人。 他のカリブの島々と比べてより熱帯的な気候。・言語は英語が公用語。 パトワ語も一部残っている。 インド系住民の間ではヒンドゥー語も使われている。・カリブ海の島のなかで最も豊かで生活水準の高い国。・ドラム缶をたたいて作ったスチールドラムの発祥地。 奴隷としてアフリカから連れて来られた黒人が、 唯一の娯楽として密かに音楽を楽しむ為に作った楽器。 ・毎年2月に行われるトリニダードのカーニバルは 世界3大カーニバルとして世界的にも有名。 フランス系住民がもたらしたカーニバルの風習に、 黒人達のカリンダと呼ばれる歌とダンスが加わったものが、 現在のカーニバルの原型になったと言われていて、 19世紀前半の奴隷制度廃止によって、 それまで密かに行われていたカーニバルが広く一般化したもの。 カーニバルではスチールドラムオーケストラのナンバーワンを決める パノラマと呼ばれるコンテストが開催される。 その他、歌(ソカ)や仮装コンテスト、パレードにコンサートと、 様々なイベントが町のあちこちで行われる。 カーニバルで男女が踊るトリニダードのダンス“ワインダンス”は、 レゲエダンスの“ワイニー”の事 ・民族構成はアフリカ系黒人41%、インド系41%、 混血16%、白人1%、その他中国人等が生活する多人種国家。 インド系の住人が多いことで、他の島々とは異なる独特の文化をもっているのも特徴。 トバゴ島ではほとんどがアフリカ系。私が滞在中はツナプナという地域に宿泊。ビーチで遊んだり、トリニダードの首都ポートオブスペインに行ったり、飛行機でトバゴのビーチに遊びに行ったりしましたツナプナ滞在中の移動は、友達の車かマキシータクシーと呼ばれるミニバスを利用したよ。タクシーのナンバープレートは「H」で始まっていてメーターがついていなく、流しのタクシーはほとんどが乗り合いの為、犯罪報告もしばしばあるようなので乗りませんでした私の友達は現地に住んでいながらも車を盗まれました。「こんな小さな国で?すぐ見つかるじゃん」と思いましたが、盗まれたらそれまでらしいのです。だからこの国では車に盗難用セキュリティーを付けている人が多いのです。これは素朴な疑問なのですが、町で見かけた「○○建設」と書かれたトラック。しかも日本の住所と電話番号まで書かれている。それと「豆腐」と書かれたミニバス。子供達のスクールバスとしてちゃっかり使われていたようだが、あの車達は一体どういうルートで来たのだろう???未だに疑問です。そうそう一番注意してもらいたいのが、ナンバープレートが「P」で始まる車は白タクなので、絶対に乗らないこと現地に知り合いがいない観光の場合は、少し高いけどホテルでプライベートタクシーを呼んでもらうか、国際免許を取ってレンタカーを借りるもしくはマキシータクシーを利用しよう(マキシータクシー)食文化ロティと言うクレープ生地のような薄皮で食べるカレーがある。突然友達に「ビーフかチキンか選べと言われ」と言われ、「ビーフ」を選択。皮でカレーをくるんだタイプの巨大なロティを買ってきてくれた。私は好き。かなり美味だったダブルスというロティのおやつ版のようなものもあるらしいが食べ損ねてしまったよそれと、サメバーガー。味はチキンというか私はチキンだと思って食べていたが、友達が「コレはサメだ」としつこく言ってくるので、からかっているのかと思い聞き流していたら、魚の骨らしきものが出てきた。本当にサメだったのか。あとはカラルー。オクラ等が入ったネバネバしたもの。色んなものにかけて食べるが、私はあまり好きではなかったな~ビーチではココナッツ売りがいた。大なたでバッサバッサと切れ込みを入れ、ストローを差して飲む。最後は中のゼリーを皮ですくって食べるの。それとビールはなんといってもカリブ! (カラルー)それにしてもトリニダードの英語。この国のナマリはきっつかったー。もはや英語の原型を留めていない。本当に英語圏の国なのか不安になってしまった・・・・・。それと上がったのが、トリニダードのビーチで三点倒立していた仙人風のおじいちゃん。「おぉ~レゲエダンスやってる~」と見ているとその仙人、弟子のようにも見える若者に三点倒立をさせ、「まだまだだな」等と言っている!「じいちゃんかっこいぃ~」と熱い視線を老人に送ったものでした。・・・・と、色んな話があるのですが、続きは続編で見てねー
April 3, 2006
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モザイク都市 カナダ トロント 続編カナダのメトロポリタン、オンタリオ州の州都で人口420万人を擁するカナダ最大の都市トロントは、カナダを凝縮したかのように多様な民族が生活しているトロントとは先住民の言葉で「人々の集まるところ」。「人種のモザイク」と呼ばれ、多彩な食事、文化などが溢れているのにも納得私が外食しに行った時の事・・・・街行く人に「カナダ特有のレストランか何か、オススメのいいお店教えてもらえますか?」と尋ねると、快く「いいわよ」と教えてくれた。「この信号を渡った道を真っ直ぐ行った先にRestaurants du Marcheがあるわ。Richtreeよ。」えっ?なになに?「Du?」「Marche?」???日常会話程度の語学力しか持ち合わせていない私はてんぱったカナダの英語は「グローバルスタンダード」と呼ばれる世界の標準英語。くせがなく、日本人が聞き取りやすいと言われているにもかかわらず、全然分からない言葉を発した!とりあえず言われた通りの道を歩きRichtreeという名を探した。あったRichtree。Richtree Market Restaurantsと書いてある。その下にはRichtree Restaurants du Marche。・・・・そういえばカナダは英語とフランス語が公用語だった。(カナダ人の約59%が母語とする英語と、人口の23%が第一言語とするフランス語です。人口18%は英仏両方もしくはその2つ以上の母語を持つか、英仏以外の言葉を母語としています。)お店に入るとそこはアムューズメントセンターみたい中華のお店、アフリカ料理のお店、フレッシュジュースのお店、デザートのお店、等などカードを渡されブッフェスタイルの食事まずはカナダのビールcanadianビール最高!そしてカナダといえばサーモン!スモークサーモンとクリームチーズも最高に美味しかった~そうそう、カナダは留学生にとって理想的な場所というのにも納得カナダ英語の特長は何といっても「発音の美しさ」カナダは昔、イギリスの植民地だったので、元々はイギリス英語ですが、お隣のアメリカの影響も受け、イギリス英語とアメリカ英語の中間の非常にわかりやすい英語になっている。グローバルスタンダードと呼ばれるその発音は、移民国家であるカナダが英語を共通言語として使用し、お互いを「理解したい」という気持ちの強さが、誰にとっても聞き取りやすい発音を創り出したとされていますアメリカのテレビ局のアナウンサーにもカナダ出身の人が沢山いるようで、そんな美しい英語が学べるという点でも、環境の良さでも、留学生に人気があるのだなと思いました。確かに、エチオピアなまりの英語を使う私が言うのもなんですが、トリニダードで英語の原型を留めていないんじゃないか?という程聞きにくかった英語を聞いていた直後にカナダの子供なんかと話すと、「君、英語上手いよ。素晴らしい」と、当たり前の事なのに感心しちゃったもんなぁ。。。「大きな町特有の住みにくさを感じない」という声が多いのにも共感できます。私が受けた感じは「先進国として日本に似ているが、日本より豊かで生活しやすそうで、移民する人が多いのにも納得できる」です。トロント、何でもそろっているところが好きそれにたくさんの違った文化が集まっていて、自分が体験したければ、どんな食べ物もあるし、いろんな場所もあるトロントは友好的な町そうじゃないって言う人もいるけれど、人々の感じがいいし、発展しているいい町だと思うだれもが声をそろえて挙げる魅力が「世界のさまざまな文化の共存」。トロントは世界一コスモポリタンな町
April 2, 2006
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モザイク都市 カナダ トロントカナダの思い出といえば「凍死しそう」「強制禁煙」と、単純な私にはあまりに強いインパクトで、初めにマイナスイメージを植え付けかねない2言しか出てきませんでしたが、そんな私がトロントを紹介しますトロント、さすが先進国。とても良い街でしたまずはカナダの紹介カナダ・日本の約27倍の国土を持ち、世界で2番目に大きい国。・雄大な自然に恵まれながらも都市の機能は充実しており、ユネスコで『世界一暮しやすい国』に選ばれた。・世界各国から積極的に移民を受け入れており、「移民の国」として知られています。・それぞれの民族がそれぞれの文化や伝統を守りながらも、全体としての調和を保っていることから、「人種のモザイク」とも呼ばれている。・治安も良く物価も安い、また美しい英語が学べるという事から、世界からの留学生にも非常に人気がある国。そんなカナダの最大都市トロント・カナダの経済の中心地であり、街には高いビルがそびえ立つ大都会。ですが治安が良く、緑豊かな公園も数多くあり、その上五大湖の一つオンタリオ湖に面しているので、自然と調和のとれた非常に過ごしやすいところ。・人口のおよそ半分は移民で構成されており、100あまりの文化が共存している。まさに「人種のモザイク」の象徴といえる街。・世界一高いタワーであるCNタワーをはじめ、歴史的な建築物や美術館、博物館など観光スポットも豊富。・中華街、ギリシャ街、韓国街など、多民族都市ならではのいろいろな文化を持つ街が存在し、世界中の料理や文化を思う存分楽しむことができるのも大きな魅力。と、ざっとガイドブック風に紹介してみましたが、私が驚いたのは寒さと健康志向の徹底振り。まずは寒さ。雪国に住み、真冬でもミニスカートに生足で生息している私でも凍死の心配をした程の寒さ。“凍てつく様な寒さ”とはまさにこの事だと実感しました。体に痛みを感じ、皮膚は感覚をなくし、しまいにはカメラまでもが使えなくなるというアクシデントまで・・・・。意識もうろうとしながらも歩いていると、道端に人が転がって倒れている!私は酔っ払ったおっちゃんが凍死しているのではないかと本気で思いましたが、心配する事はない。たくましく寝ているのだ。私は震えながらも、凄まじい光景に度々驚き、そして馴染み深いセブンイレブンにたどり着いた。そこでセルフのホットチョコレートを買い、温まりなが再度歩き始めた。ホットチョコレート。こんなにも美味しいものだとは気づかなかった。寒さによって美化されているのだろうか?セブンブンのホットチョコ。はまりました、オススメですそして、この寒さで女性のファッションといえば皆“ジーンズ”。たまにスカートをはいている女性もミニスカートではない。黒タイツに膝丈スカートだ。でもさすがトロント、皆オシャレに防寒しているもう1つは禁煙の徹底振り。日本でも喫煙者は肩身が狭くなって来ましたが、カナダのやり方はすごい。日本ではほとんどのお店に喫煙席と禁煙席が設けられたり、喫煙ルーム等が別室に用意されていたりしますが、「カナダにそんなものはない」といっていいでしょう。喫煙者自体があまりいない国ですが、それでもタバコ愛好家はいるのです。たばこ愛好者にとってココはもはや監獄。レストランで働いている従業員達も皆、休憩時間に一服をしに外にある灰皿の回りに来る。寒いのに半袖姿で・・・・。そして鬼だったのがスターバックス。寒空の中、「タバコを吸うならココで吸ってみろ」と言わんばかりに、外に席が用意されていた。凍える思いをしてまで、この席に座る人はいないだろう。でもカナダはね。当たり前の様に荷物を運んでくれるおっちゃん、地下鉄まで一緒に乗って道案内してくれた中国人青年・・・・・と、皆親切でフレンドリーここが日本と断然違うな眠くなってきたので続きはまた後でおやすみなさい・・・・・
April 1, 2006
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女盗賊プーラン(上巻) 女盗賊プーラン(下巻)貧困層から圧倒的な支持を得て国会議員に当選した元女盗賊プーランが、自らの秘められた生い立ちを語った本です。インドの極貧の村に低カーストとして生まれ女盗賊となった彼女の波瀾に満ちた半生の記録。虐待、カースト制、文化やその背景等勉強させられる本です。
March 2, 2006
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ラフラ、24歳の遺言アメリカンブラックとジャパニーズの混血として生まれ、24歳で人生の幕を閉じた青年の人生の記。私は泣き、考えさせられました。国際結婚した方や混血の子供を授かった方にも読んでもらいたい1冊です。
March 1, 2006
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