働く母の受験メシ

働く母の受験メシ

2010.03.07
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昨日は祖母の命日でした。

私は16歳のときから、祖母と二人暮らしだったのですが

生まれてすぐ~4か月間 とか、 その後もたびたび、祖母の家に預けられて居て、

すごく昔の記憶にも残っています。

祖母の家とか、祖母の仕事場・・・

私の祖母は、祖母の姉の会社(縫製工場)の経理をやっていた為、

縫製工場に私を連れて行き、一日仕事・・・

というのをよくやっていたようです。まだ小学校に入る前でしたが、

私は、仕事場の様子を覚えています。

黒っぽい木の床、 沢山の天井からつながってるアイロン

カタカタなるミシンに、沢山の縫製職人さんたち。

沢山の布が芯に巻かれた状態で立てかけてある・・・

祖母の席は、一番窓際の明るい場所にあり、籠に入った小鳥が居ました。

祖母は、窓際の席で、そろばんをはじいて事務仕事をしていました。

祖母の話によると、私は紙と色えんぴつを持たせておけば、

ひたすら一人で絵を描いている子供で、

大人しくて手が掛からない子供だったのだそうです。

何故かわからないけど、妹は両親の家にずっと居て、私だけが祖母の家に居ることが多かったです。

祖母は、私が起きる2時間以上前に起きて家の掃除をし、毎朝の朝食はとても豪華でした。

夜は必ず私の制服のスカートに寝押しをかけ、ブラウスにアイロンがけをしてくれていました。

高校に入ったら、私はバイトをして、お給料の一部を祖母に渡していました。

きちんと就職できるように、進路は短大を選び、二人で生活していました。

▲この少ないお金の中から、祖母は私名義で貯金をしてくれていて、

後の私のピンチを救ってくれるのであります。

私が働くようになったら、

毎朝5時に起きる祖母は、新聞を読破して、内容をかいつまんで話てくれました。

私は朝食を食べながらそれを聞き、仕事に向かいました。

祖母の友達がよく遊びに来ていました。

お祖母ちゃん達のパーティは毎月のように行われ、2~3人が泊っていきました。

私の友達もそれよりも頻繁に来ていました。

誰が来ても、祖母は腕によりをかけて御馳走を作り、皆をもてなしていました。

夜中になると、祖母は、そろばんをはじいて帳簿をつけるのが日課でした。

私が、『 渡せる給料が少なくてゴメン、頑張って働くよ。』 というと、

『心配せんでエエさかい。 ウチは貧乏やけど、楽しいからエエやん。』

と、いつも笑顔だった祖母・・・

春休みになったら、お墓参りに行こうかと思います。






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最終更新日  2010.03.07 21:46:14 コメント(6) | コメントを書く


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