昨日は祖母の命日でした。
私は16歳のときから、祖母と二人暮らしだったのですが
生まれてすぐ~4か月間 とか、 その後もたびたび、祖母の家に預けられて居て、
すごく昔の記憶にも残っています。
祖母の家とか、祖母の仕事場・・・
私の祖母は、祖母の姉の会社(縫製工場)の経理をやっていた為、
縫製工場に私を連れて行き、一日仕事・・・
というのをよくやっていたようです。まだ小学校に入る前でしたが、
私は、仕事場の様子を覚えています。
黒っぽい木の床、 沢山の天井からつながってるアイロン
カタカタなるミシンに、沢山の縫製職人さんたち。
沢山の布が芯に巻かれた状態で立てかけてある・・・
祖母の席は、一番窓際の明るい場所にあり、籠に入った小鳥が居ました。
祖母は、窓際の席で、そろばんをはじいて事務仕事をしていました。
祖母の話によると、私は紙と色えんぴつを持たせておけば、
ひたすら一人で絵を描いている子供で、
大人しくて手が掛からない子供だったのだそうです。
何故かわからないけど、妹は両親の家にずっと居て、私だけが祖母の家に居ることが多かったです。
祖母は、私が起きる2時間以上前に起きて家の掃除をし、毎朝の朝食はとても豪華でした。
夜は必ず私の制服のスカートに寝押しをかけ、ブラウスにアイロンがけをしてくれていました。
高校に入ったら、私はバイトをして、お給料の一部を祖母に渡していました。
きちんと就職できるように、進路は短大を選び、二人で生活していました。
▲この少ないお金の中から、祖母は私名義で貯金をしてくれていて、
後の私のピンチを救ってくれるのであります。
私が働くようになったら、
毎朝5時に起きる祖母は、新聞を読破して、内容をかいつまんで話てくれました。
私は朝食を食べながらそれを聞き、仕事に向かいました。
祖母の友達がよく遊びに来ていました。
お祖母ちゃん達のパーティは毎月のように行われ、2~3人が泊っていきました。
私の友達もそれよりも頻繁に来ていました。
誰が来ても、祖母は腕によりをかけて御馳走を作り、皆をもてなしていました。
夜中になると、祖母は、そろばんをはじいて帳簿をつけるのが日課でした。
私が、『 渡せる給料が少なくてゴメン、頑張って働くよ。』 というと、
『心配せんでエエさかい。 ウチは貧乏やけど、楽しいからエエやん。』
と、いつも笑顔だった祖母・・・
春休みになったら、お墓参りに行こうかと思います。