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まつげラジオ まつげの長さは民族的な違いがあるのだとか?日本人はそう長くない。空気が綺麗なのであまり誇りが目に入らない環境にあるともいえる。だが、女性の美容問題は「より長くたくさん密集したまつげが欲しい」という相反する要求が増長する昨今。キャリーパミュパミュさんの「つけまつける♪」などは、つけまつげをすると変身願望が満たせてハイテンション乙女心を歌った物だろう。しかし、つけまつげを付けたり取ったりを繰り返すのはかえって実物のまつげが減りはしないかとも案ずる。連休もう連休に突入している会社もあるし、まだまだという所もある。「11日もある」という人もいる。一体、何して過ごすのだろうか?一概には言えないが、女性は集まってお茶・ランチ・女子会など、なかなか楽しい計画も立つ。だが、普段仕事三昧の男子諸君は、連休となると途端に手持ち無沙汰なのではないだろうか?時間とお金が比例してないと、そんなに自由に動き回れない。大体、どっちかが欠乏するのだ。どっちもないから、どちらもうらやましい話なのだが。風の記憶花鳥風月の日々。花鳥月は見えるのだが風は見えない。自動車の窓を開けて走っていても暑くもなく寒くもない。どこかでクルマを停めた時に入って来るゆっくりとした風と田園風景を数秒眺める信号待ち。「どこかで同じ気持ちになった」と思う。でも、それが何年前のどの場所でだったのかは思い出せないのだがあまたつOGURAさんの朝のTV。「あまたつぅ~」と、気象予報士を呼ぶ、毎朝の光景。OGURAさんが彼をどうしてこんなにやさしく有名にさせたのか?それは良くわからないが、彼の性格からすると逆もまた真なり両刃の剣。ラジオに気象予報士の男性が出ていて誰なのかあまり意識しないで聞いていた。でも、だんだん興味深くなった。彼は海岸通りのファミレスに長く務めて、仕入れの担当まで任されるバイトだったようだ。毎日お天気と仕入れの比例に神経を尖らせていた・・・というのがそもそも気象予報士を目指すきっかけだったようだ。声だけでは誰かわからないし、テレビのハイテンションとは違う従順な感じの話し方だった。どうやらこのゲストがあの「あまたつぅ~」本人だったらしいとわかったのは後半過ぎ。7回の受験で合格。てっきりサラブレッドな家庭環境から出てきた気象予報士さんなのかと勘違いしていてごめんなさい。OGURAさんが彼を押す理由はわからないが、今でも変わらず彼を押す姿は、かつての巨泉さんがOGURAさんにしたのと似ているかも?昭和味 ファミレス二週間連続でファミレス(ファミリーレストラン)でお昼をいただいた。二度目はあと5分だランチ終了のタイミングで、結局遠慮して普通のメニューから選んだ。一つ目のファミレスはハンバーグのアレンジで、2つ目の店はスパゲッテーに目玉焼きがトッピングされた物を食べた。他のスパゲッテーのメニューもスパゲッテーと目玉焼きの組合わせの基本が確実に守られていて、トッピングが少し違うのだ。これはハンバーグとて考え方が同じだ。原料はほぼ冷凍で運ばれ解凍されてアツアツでお客様の前に運ばれるのだろう。高校と専門学校時代にそれぞれ大阪と神奈川でレストランのウエイターをやった。当時はまだ電子レンジがなかったから、厨房でフライパンを振ってスパゲティーを作っていた。ミートソースとナポリタンという二種類だけでスパゲティーは「文句ないっしょ?」という平和な外食文明開化の音がした昭和。そういえば、今回のスパゲティーも目玉焼きも何だか味は昭和であった。店構えやロケーションや注文の取り方がタブレットに入力だったり、その辺が平成なのだが・・。食材のアイテムを極力増やさないから無駄も少ないのだろうか?メニューも工夫されているが、店同士は横並びをヨシとした店の格をキープ。働いている人々も古き良き昭和型年功序列完全雇用制ではなく、オオムネ、アルバイトやパートなのではないか?とも思えた。ドリンクバー二度のファミレスだが、二度ともドリンクバーを頼んだ。U字工事さんのネタでは「おめえ最近渋谷の何とかっていうバーにかよってんだってな、知ってんだかんなナメんじゃねぇ-ぞ」「ありゃあサイデリアのドリンクバーだべ」というのがあったと思った。ドリンクバーは飲み物を自由に自分で入れて飲み放題というシステムのことだ。その利点が、二度とも一杯ずつしか飲まなかったのでふいにしてしまった。そのことを未だに引きずっているのである。テレビ化 天皇の料理番今回のテレビ「天皇の料理番」が期待。佐藤健さんの演技が抜けている。「るろうに剣心」以来、演技が変わったのでは?鷲掴みのイントロでグイグイ引っ張られるテレビマンたちの技に快く釣られた。実話に基づいた天皇の料理番の人生を杉森久英さんの小説で今回3回目のテレビドラマ化なのだそうだ。テレビ化 アルジャーノンに花束をアメリカの作家ダニエル・キイスさんのSF作品。2002年に日本でも、ユースケサンタマリアさんと菅野美穂さん主演でドラマ化されたという。今回、山Pこと山下智久さんと栗山千明さんでテレビドラマ化。1959年初版小説では明らかに未来小説として受け取られた「知能向上手術」も、色んな科学・医学が進歩した今では、SFとばかりもいえないような気もするが。特に、宗教や倫理が後退しているからなおさら現実味を帯びて感じる。ラジオ ポールマッカートニーラジオでポールマッカートニーのインタビューが流れていた。ほぼ理解できない。でも「ぼくは好きな音楽がずっとできて幸せだ」ということだった。残念ながら、ヒットやお金に恵まれなかった人生だったとしてもきっと彼は音楽の近くにいただろう。でも、そういうのが才能っていうのかも知れない。目下に見下され良く人から見下される。昨日も見下され、30前後の人にもっと年下扱いされていると、途中から会話で見え隠れした。「あの~、あんたのお父さんとそんなに年は変わらないと思いますが」・・と、思ったが、口にはしなかった。ジョイフル スパゲッティー「ジョイフル」という看板が、ポツンと田舎道に電飾されてたたずんでいたら、何か違う系列のお店なのかとも思うかもしれない。だが安心して家族で行ってもかまわないファミリーレストランの名前だ。40年ほど前に大阪阪急南千里駅の「ビクトリア」という名前のレストランで春休みにバイトした。今はその店は違う店舗になっている。うちはお金持ちではないのに「喫茶店なんか入ったらあかんで。不良になるからな」という訳のわからない潔癖さの家だった。だが、バイトとなると途端に考えが180度好意的に変化する。「春休みにバイトや」といえば「あ、そうか」位の気のない返事。自分はレストランで食事するなんて無縁のクセにウエイターで、美味しそうな食事を運んでいた。「グリル」というと焼けた平板な鉄板の上に冷めてはいけない料理が乗って出される。お皿に乗せれば良さそうなものなのに、このこだわりがお客さんにとっては高級に感じるのだろうか?鉄板は直接手で持てないから、手で持てるように厚い木の板に固定されている。食事プラス鉄板プラス板となって、容積も重量も増すが、持ちにくくはない。楕円形の鉄板だったと思ったが、今回のジョイフルは長方形だった。重ねやすいとか作りやすいという観点なのだろうか?フライパンを振って注文してから料理をするという当時のスタンスは今はないだろう。電子レンジで解凍・調理という工程で作業は素早く味は確かで値段も安価という今日。材料はどこかで大量生産されているに違いない。40年前とは外食産業の数が違う。だが、そのスパゲッティーの味は40年前のそれにとても忠実に思えた。当時バイトが厨房で作ったスパゲッティーの味にタイムトラベルできるキーワードとなった。フライパンでピラフもオムライスも作ってしまう厨房のバイト君たちはなぜか外でお客さんの接するウエイターよりも背も高くイケメン揃いだったのが不思議だった。「顔を見られたくない」という、高校生には理解できない大人の事情(情事ではない)があったのかも知れないと今頃察する。小さい車ラパンから小さい外車に乗り換えた人が偶然二人いた。その外観はまったく違うが(ロン毛は同じ)軽自動車のラパンから、ミニクーパーのマニュアルとフィアット500だ。どちらも溜飲物だ。ぼくは就職の条件で自動車免許を取らざるを得なかったのだが、24才まで興味がなかったし関西・関東ではあまり自動車がなくても良かった。ところが就職が浜松だったので、どうしても生活にクルマが必要な特殊地帯だった。「どんなクルマを買おうか?」と、最初に本屋で買った自動車カタログで色々学んだ。それが外車の本で、フィアット・パンダ、アウトビアンキ、ミニクーパーなど小さい外車が可愛いと思った。だが、収入と見合わせて結局、ダイハツのミラ550ccとなった。以来、少し大きいクルマにも乗ったが、この時に構築された小さに車好きの価値観に比べて自動車を判断しているような気がする。外国人のレストラン小さい街なのにやたらと外国人が多く住んでいるのは工場が多いからなのか?すると、外国人が経営する食事のお店も多くなるようだ。日本的なお店は潰れて、外国人のお店が多店舗展開したりもしている。中国・台湾系列のラーメン・中華料理店、ブラジル・ペルーなどの中南米のお店、そしてネパール・インドのカレー専門店などが、成功しているようだ。たまたま東京からゴールデンウイーク中に戻っている息子さんとお父さんが一緒に歩いて食べあるきハシゴしているのに行き当たった。そうなんだ、そういえば外国人の本格的な味が歩いて堪能できる特殊なエリアに住んでいることをすっかり忘れていた。ネパール募金 カレー屋さん結構美味しいというウワサのカレー屋さんはネパールの人がやっているという。インドに何年か住んだ日本人が(ここは様々な海外赴任経験のある会社員がたくさん住んでいる)「インドはカーストだからお金持ちは料理をしない。下層階級の料理人がするが、最近では近隣のネパールの人が出稼ぎに来ている。インド料理を覚えてさらに日本に出て成功しているようだ」と、聞いたことがある。「今回、地震があってカレー屋さんのネパール人のお店で募金を募っていたよ」とも聞いた。ニュートラル今はほとんどがオートマチックのクルマとなった。ウチは7年前に買った軽自動車で、サイドブレーキが足踏み式に変わっていたが、まだ勝手にエンジンが止まる以前の物だ。ロー・セカンドとドライブで、オーバードライブはない。でも最近「ニュートラル」も良く使う。信号で停止ギリギリまで加速して「キー」っと、急ブレーキで止まってを繰り返していたが、部品が痛みそうなので、前後のクルマを良く確認しながら適当にニュートラルの惰性で段々止まるようにしている。勝手にエンジンが止まるクルマでは辞めたほうがいいかも?ニュートラルの止まった途端にエンジンが停止する様は気持ちが悪い。新しいエンジン停止機能のクルマは、ギヤはドライブでアクセルから右足を話してブレーキで調整して止まるのが良さそうだ。洗濯機の渦マツコ・デラックスさんは「洗濯機のグルグル回る渦を見るのが好き」なのだそうだ。頭がいい人がのべつ幕なしに頭を回転させているのだから、時折「ふっ」と、回転を止めたくなるのかもしれない。ぼくは個人的にお風呂のカラン(シャワーじゃなくて下にお湯を蛇口から落とす方ね)から水・お湯が流れ落ちる時にできる「偶然出来た水流の定形の流れ落ちる形をじっと見ていたりするし、お風呂の水を抜いた時に段々水量が減って渦巻きのキッカケが「ポコ」っと、水面にできて、段々、吸い込まれて渦巻きが上から下に伸びて竜巻を上から見るようなへんてこりんな気持ちになるのも好き(地球の反対では渦が逆に巻くらしいが)だったりする。この時、脳波は活動を停止しているようで、脳を休めるには良いのだとか聞いたことがる。前進・後退ギヤだけではなく、なぜだかニュートラルという物もあるのだから、必要な物なのかも知れない。九州火山灰九州に働きに出ているの人もゴールデンウイークで帰省している。九州では火山灰が珍しくないのだとか。ここ静岡ではまったく見ることはできない。「火山灰をお土産にしようかと思った」そうだが、周囲は焼酎の方が嬉しいと思っているかも?風向きにより週に一回は火山灰が自動車などを汚すようだ。細かいガラス片のような粒子なので、いきなり強くこすりとるとガラスを傷つける。タップリの水をかけて火山灰をふやかしてから慎重に洗い落とすようだ。1973年のターミネーターバイト先のターミネーター1973年アルバイトでウエイターをしていた。忙しい時間に限ってミスをする。たくさんの食器を銀盆に乗せて歩く。老婆の座った横を通る時「スッ」と、老婆が傘を足に引っ掛けた。途端にバランスを失い、銀盆の上の皿やコップや食べ残しの食材は時速4kmで空中に舞った。その先には店で一番豪華なステイキを慣れた手つきでナイフとフォークでカットしながら口に運ぶ外国人男性が、窓の外を行き交う人々を眺めながら、懸命に口を動かして噛みしだいていた。時間が止まった。シュワルツネッガーそっくりの黒皮ボンデージピタピタ男が、空中の食器や銀本を即座に元通りに乗せて、ぼくの斜めに傾いた態勢も歩行体型に修正して消えた。再び時間が再生されて、何事もなかったように、アルバイトのレストランの慌ただしい時間へと戻って行った。でも、その記憶だけは止まった時間の中でもぼくの霊魂が記憶していた。「一体、何が起きているんだ?」振り返ると、さっき傘で足をひっかけた老婆はいなかった。同じ時間の違う空間では、シュワルツネッガー型の男と老婆が音速を越えるスピードでバトルを繰り返していた。かと思うと、急に違う時間に二人は消えた。2015年の日本。これまで景気が良かった外食産業のハンバーガーチェーンが急速に減益となった。これがさらに未来では恐ろしい世界へと展開するきっかけとなったことは、当時の人々は誰も思いもしなかった。2045年、ロボットがチェスで人間を越えた2014年以来、人間への隷属を従順に見せかけていた仮面をロボットたちは地下組織で脱ぎ捨てた。人間は考える必要がなかった。プロトタイプとしてのコンピューターやアンドロイド型の精巧なロボットを生み出すまでが人類のピークだったのかも知れない。同時に神の領域に手を出したことが自らの存在を脅かすことになろうとはその頃は思いもつかなかたのだ。過去の人類は時間とともに滅びる。未来に生まれる人類は機械によってコントロールされた新たな世界では都合のいいよく出来た家畜の頂点として計画的に量産されていたのだ。2060年以降、新たな発明は人類ではなく機械の統治する世界によって機械に都合のいい物だけが発明された。タイムマシンは特に素晴らしい発明品だ。機械にとって都合の悪い人類の繁栄の過去を消したり修正できる道具なのだから。ともかく、人類のピークへと向かうターニングポイントを修正するために、変身できる暗殺ロボットを送り込んだ。それが老婆に変身してウエイターの足を引っ掛けて、銀盆の上の皿やコップや食べ残しが一人の外国人男性の上に降り注ぐようにしたという一点に戻った訳だ。この外国人は後に人工知能・ロボットの原型・コンピューターの可能性・遺伝子操作など、様々なヒントとなる小説を生み出すことになる小説家だったのだ。この男の頭脳にダメージを与えるためには、この日本人の愚かな学生アルバイトの足に傘を引っ掛けるのが最もエコな時間工作だったのだ。2060年以降、人類は地上の覇者ではなくなっていた。むしろ地下に潜むアングラなもぐらのような存在として数は淘汰されて激減した物の存在は続けていたのだ。そのリーダーがあの時の足をひっかけられた愚かな学生ウエイターだった。彼は、その時の自分を守るために、シュワルツネッガーそっくりのアンドロイドを1973年のあの瞬間に送り込んだのだった。このアンドロイドの姿は、過去の映画からとった。老婆に変身したアンドロイドとは互角の力量だったし、高速移動・加速装置付き、無限エネルギー供給型だが原子力は一切使わないクリーンタイプのロボットだった。だから、同じ時空にいてもこの二体の戦う姿はまったく見えない。単に風が近くを舞ったように思えるだけだ。だが、この愚かな学生ウエイターには幽体離脱能力が備わっていたのだ。幽体離脱した魂には、ロボットたちの戦闘は止まっているくらいの冷静さで見渡せたし、時間を変更してもついていくことができたのだ。未来の系列につなげて、未来の自分に暗示としてインスピレーションを与えることもできたから、ロボット文明にはない大きな武器となった。彼の先祖には比叡山で修行した阿闍梨がいた。また、もっと以前にも冷感の強い先祖もいたり、守護霊としても強力に守ってくれていたのだ。その霊団の姿は残念ながら機械のセンサーには捉えることができなかったのだ。ただ、1973年のアルバイトの肉体は若いというだけであまりにも未開発な頭脳でしかなかったため、この肉体を未来につなげて存続させるためにも、未来の人類のリーダーである肉体にインスピレーションとして伝えるしかなかった。果たしてこの先の展開は、この若い肉体と愚かな頭脳の青年の成長を見守るしかないのだろうか?カンバン生産近所に国産高級車のオーナーがいる。最近、代車なのか違うクルマが駐車場にとまっている。それにしても代車にしては長いので「クルマ変えた?」と聞いた。すると、やはりクルマを変えたようだ。今回は大きなファミリーカーだ。何だか「1つだけ部品がおかしくなった」のだとか。でも、その交換が大変で、いっそ買い替えた方が楽だとか。「そうなんだ?」せっかくの高級車なのに、長くは乗れないものなのか?マクド大阪生まれだから「大阪ではマクドっていうんでしょう?」と、質問される。でも関東に出た年位に「銀座三越マクドナルド日本一号店」が開店したのだと思った。だから、大阪でのマクドナルドの進化はあまり知らない。ブラジルの人は「マキドノウ」と発音していたな。藤田田さんの「ユダヤの商法」「頭の悪い奴は損をする」という本がヒットして読んだ。「日本のユダヤ人」を自称する彼は「ハンバーガーを食べて日本人を金髪にする」と豪語していた。当時は「そんなバカな!」と、笑った。でも、今や金髪・銀髪だけでなく様々な髪の毛の色をした日本の若者たちなのである。実際は毛根は相変わらず黒なんだが、自主的に染めているようだ。それは外国人とて似たような物で、金髪に染めた黒髪もあり、黒髪に染めた金髪も存在する。ハンバーガーか変えたのは毛根の性質ではなく、日本人のファッションに関する根源的な価値観の変質だったのだろう。所で、銀座一号店には日本在住の欧米人が集合していて、ぼくは遠巻きに見るだけしかできなかった。今もあるのか「歩行者天国」という、自動車地獄の休日のことである。今ではここ静岡の田舎町にも深夜12時で閉店してしまうが、マクドナルドが一軒ある。これまで世界各国過去の共産圏にまで進出している。だが、最近何だかおかしい。マクドナルドの売上が急激に下がっている。藤田田氏は空の上からこの状況をどう見るのだろうか?マンションブラジルで長く住んだ日本人男性が今働きに日本に来ている。綺麗な過去の正しい日本語を話す。「まじっすか?」とかは絶対いわない。彼の父親は商社マンでブラジルに長く移住勤務していた。彼は幼稚園に行く少し前に日本を離れた。今では日本に戻ってバブル期から住み続けている。それは安全だから。日本に来る時に「マンションに住める」と聞いたそうだ。住んでいるのは日本でいうマンションだ。だが、彼のいうには「ブラジルでマンションというのは日本で言う別荘地の一戸建て」のことらしい。ダイブ規模が違う。もう少し高級なコンドミニアムだと門番がいて、主人の招待がなければ入れてもらえないそうだ。コンドミニアムというと「ハワイなどの小屋」を想像するが。ともかく、日本だけの表現で世界基準とは随分スケールが違うらしい。江戸時代には鎖国していて、一般人は長屋に住んで当たり前だった。「江戸っ子は宵越しの銭は持たない」と、良く時代劇には出てくる表現。そう、日本の住環境の基準は世界レベルではないみたいなのだ。夜のお散歩昨日は雨。今夜は散歩。連休中なので様々な点が日常と違う。外食店が混雑。全体的に家に人がいなくて住宅街、マンション・アパートが暗い。単に人がいないのと、すっかり自動車が出払っている、あるいは逆に自動車がすっかり置かれている。自動車で遠くに、あるいは外食などに出かけているか、自動車を置いて大量輸送システムで遠くに移動中なのかも?中には長い休みを取って、海外組という場合もうらやまししがあるだろう。海外組はたいていいつも同じ頃に出かけていて「あっ、またか」と思う。そんな連休中のお散歩の感想でした。夢 道連れ夢である。学校みたいなホテルみたいな場所、手を洗う所の水が一杯でせんを抜いたら中はお風呂になっていて、と思ったらトイレになっていてせんがすっかり落ちてしまった。と、思ったら浮かんで来てよかった。学校の建物のあちこちを見て回ったが、ここで何をすれば良いのかわからない。ホテルみたいな場所で二人連れにあう。彼らは「ここで何をするか」知っているようで、現在進行形のようだ。友達ではないが一緒に行動しないとここから出られそうになかった。「その場所なら知っている」と、ぼくはさっき探検した学校の建物に誘導する。ラジオ 遠藤賢司さんラジオのゲストで遠藤賢司さんが出演していた。「カレーライス」のとぼけたように聞こえる歌声で覚えているが、こんなにも深く音楽を熱く語る人とは思っていなかった。吉田拓郎さんの頃のフォーク雑誌で写真をおみかけしたことはあるが、良く知らない。「自分の好みで音楽を選べるようになって欲しい」と、日本国民全体に願うというメッセージが新鮮だ。だって、コビヘツラウ人の方がどうもうまくのし上がっている世の中のような気もする中で変わったメッセージが気に入った。二足のわらじ「二足のわらじ」は、二つの職業を持つということか?最近、オードリー春日氏とピース又吉氏の二人がそんな感じだ。春日氏はお笑い芸人以外にも、最近水泳でオリンピック代表入りとかの話題。ちょっと前もボディービルコンテストにも出たそうだ。ボディービルの中では小さめに見える身体が、水泳ではデカく見える。始球式で脱いだ姿、サッカーのロナウド選手とかぶる。昨夜は、ラジオでオードリーの二人がそのことについて話していた。ほとんど若林氏が語っていて、春日氏は「トス」とか「ウイ」と答えていた。ピースの又吉氏も、文芸で才能を発揮している。小説を書いたのだとか。また、うた詠みの才能もあり、文芸のイベントも多く開いているのだとか?色んな可能性がたくさん花開くのは良いことだと思う。
2016年02月24日
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