2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全21件 (21件中 1-21件目)
1
先週は27時間テレビを優先したので今回の「新選組!」は再放送で見さしてもらった。三谷さんっ、サイコー♪今までで一番面白かった。芹沢さん暗殺の時も良かったが今回は最初から最後まで目が離せなかった。平助、武士らしくなった。沖田くんに負けてないよ。佐久間さん、何故笑って逝ける?佐久間さんらしい最後だった。佐之助はカッコよかった。男はああでなきゃ。旦那さんにしたい候補NO.1! 間違いない。総司~まだ死ぬな~ガンバレッ!久坂、なんて熱い男なんだろう。こっちまで目頭が熱くなったぞ。今回は捨助が一番オイシかったんじゃないのか?ホントどこにでも現れるヤツ・・。面白すぎる。中村獅童さんっ、演技うますぎ!近藤局長!まだ悩んでるのか?局長なんだからもっとしっかり!次回は永倉さんが隊を脱退!?ぐっさん、辞めないで~。山南さんのXデーも近いんだろうなぁ・・・考えるだけで涙が出てくるよ。面白いなぁ~「新選組!」早く明日にな~れ♪
July 31, 2004
コメント(1)
更生指導所に契約しに行ってきて、8月2日に入所する事が決まった。契約するまでの説明が長く時間にして1時間30分。最初はちゃんと話を聞いていたがクーラーもいい感じに効いており、私は次第に眠たくなってしまった。説明も単なる子守唄にしか聞こえなくなり、まぶたが重たくなったが必死でこらえた。「眠い・・・」たまらず「すみません、お手洗いお借りしてもいいですか?」と一時退室した。お昼の時間らしく入所してる人達が食堂の前で待機していて、私は車イスの女性と目が合ったので会釈をしたが向こうは瞬き一つせず私の顔を穴が開くぐらいにじっと見ているだけだった。←かなり怖い。トイレの中でも女の子とすれ違い「こんにちは」とあいさつしたが私の声は彼女には届いてない感じで、何も答えてはくれなかった。←ちょっと怖い。下は18歳から上は65歳まで。男性が多くて、ちょうど私の年代はいないらしい。みんなとうまくやっていければいいけど、知的障害者の方が多いみたいで・・。どう接していいのかが正直、分からない。職員さんとはみんな話しとか合うんだけどなぁ・・・。
July 30, 2004
コメント(2)
今日は久しぶりに夢を見た。駅のプラットホームでスマップの香取くんと他にも数人いてみんなで夕日を眺めたあと、とあるホテルのエレベーターに乗って、降りたらソコはデッカイ体育館。もちろん夢の中の私は普通に歩いている。体育館には相川翔がいてさらには氣志團のメンバーが・・。←最近好きだからなぁ・・。そこで私はソーダ味のアイスキャンディーをなめながらバスケットコートでフリースローの練習をしている。その時自分の足を見たら両足には装具がつけられていた。今の所、夢の中では車イスに乗った事がない。いつかは乗る日がくるのだろうか?五体不満足のO君は夢の中でも車イスなのかな?手足がにょきにょきっとはえて歩いたりという夢はやっぱ見ないのかな?夢って不思議。そういえば術後数日間は悪夢ばかり見てて、妖怪ばっかり出てくるディズニーランドとか、歯がボロボロ抜け落ちたり、飛行機が目の前で墜落してその破片がこっちめがけて飛んで来て必死で逃げたり・・・。あ~あ、夢ん中では歩けるのになぁ・・。2億円を100メートル先に置いてくれて「歩いて取ったらあげる」って言われたら歩けるかも(笑)
July 29, 2004
コメント(2)
障害者年金の申し込みの記入が面倒くさい。しかも発病した日はいつですか?○月○日と記入しなければならない。「んなもんっ、分かるかぁ~!!」発病した日が分かるぐらいなら7センチになるまで腫瘍育ててないっつうの・・。それに初診から今に至る経過をすべて書かなければならない。思わず自分のホムペのアドレスを書きそうになった。一応書き終えたけど、かなり省略した内容になってしまった。大丈夫かな?年金受け取りまでの道は長い・・。
July 28, 2004
コメント(3)
Y先生の代わりに今日からH先生がリハビリをしてくれる事になった。よく見たら・・イヤ、よく見なくても脇の下が破れているのがすぐわかった。「先生、そこ、破れてるよ」「コレはアレだよ、風通しをよくしてんだよ」「ふっ」←思わず笑ってしまった自分が悔しい。その後は視力、聴覚、視覚などの検査をして今日は終わり。平和な1日だったなぁ・・・。
July 27, 2004
コメント(2)
「イケッ、そこだっ!頑張れ!岡村っ、立ち上がれ!」27時間テレビのボクシングの試合見て感動した。岡村!すごかったぞ!いつもなら「新撰組」を見るところだがボクシングに夢中になってしまった。目頭が熱くなった。ホントに良かった。夜中の2時まで詰所で看護婦さんと話してたので、さすがに今日は体がボケボケしてる。左足もチクチク痛くなってしまった。ベットでゴロゴロ、もったいない時間の使い方をしてしまう。リハビリをちゃんとして規則正しい生活をしなければ・・。今日は30点だな。
July 26, 2004
コメント(2)
消灯過ぎて、パソコンいじってたら看護婦さんに注意された。「パソコンの画面の明るさで隣の人に迷惑かけるから」もちろん、隣のおばさんはイビキをかいてグッスリ。パソコンごときの明るさで「眩しくて眠れない!」って人がいるんなら紹介してもらいたい。イビキの方がよっぽど迷惑。ほんっと、眠れないんだから!下半身の痺れを我慢。暑さを我慢。イビキを我慢。ちょっとした拷問だよ。「私がやりました」と思わず自供してしまいそうな夜でした。看護婦さん、規則は分かるけど私の辛さもちょっとは分かって。
July 25, 2004
コメント(1)
昨日はトイレでいきなり吐きそうになり急いで詰所へ。「がんごふざん、(←看護婦さん)めっちゃ、はぎぞう←(吐きそう)」「ゴホンッ、オエッ・・」「大丈夫?何か拾って食べた?」←こんな時でも必ずボケる看護婦さん。「食べたがも・・」←やめときゃいいのに、ボケずにはいられない私。自体は悪化、過呼吸になってしまった。「いぎがぐるじい・・でもじびれでぎだ・・」←(息が苦しい・・手も痺れてきた・・)「ゆっくり深呼吸して、落ち着いて、そう、ゆっくり。前かがみにならずに車イスにもたれて」 チッチッチッ・チーン、3分後。「あ~苦しかった。大分良くなった」私は看護婦さんに介助してもらいベットに戻った。夜はめずらしく隣のおば様のいびきがうるさかった。「ったく、うるさくて寝られない。」あまりのうるささに私はキティーちゃんのうちわの柄の部分でベットの柵を「カンカンカンカンカン」と音を出して刺激を与えてみたが「ぐぅ~~~~~・ぐぅ~~~~~」この暑さにもかかわらず爆睡している。次にちょっとワザとらしく「ゴホンッ」と咳き込んでみた。「ぐぅ~~~~~~~~~」まったく効き目無し。喉が渇いた私はお水を飲んだ。「あ~最悪」暑さでちょっとしたホットドリンクになっていた。私は最終手段にでた。右耳には耳栓。左耳にはイヤホンをして「催眠CD」を聞きながら寝た。あと1週間ちょっと、病院を退院する頃には絶対、体を壊してる気がする。
July 24, 2004
コメント(1)
たった今、PTのY先生にしてもらう最後のリハビリをし終えてきたトコロです。来週はH先生が担当してくれるとの事。最後という事でリハビリするより検査する時間の方が長かったけど。足の長さとか太さを測ったり、足の感覚を調べたり、動かしたり・・。中でも足の感覚を調べられるのが私は結構好きだ。習字の筆で、私の腕をなぞりながら「ここが10だとすればここは?」と言いながら太ももを筆でなぞる。「あっ、そこは分かる!10」「じゃあ、ここは?」「う~ん、そこは7ぐらいかなぁ」「ここは?」「わかんない」私の右足は太ももはかろうじて感覚があるけど、ひざから下にいくにつれ、感覚が失われている。左足はまったくない。次に、鉄で作られた塩、コショー入れみたいなのが2つ出てきた。「何?コレ?」「アレ?した事なかったけ?」「コレは初めて見た」次の瞬間、先生は2つの内の1つを太ももに当ててきた。「あっ、温かい」もう1つを当ててきた。「おぉ、こっちは冷たい」「じゃあこれは?」「温かい」次々に当ててくる。「冷たい、冷たい、温かい、冷たい、温かい、」当てられるたびに答えて言った。左足は分かる以前に当てられてるのかさえも分からなかった。「じゃあ、次はチクってするやつね」チクッ「うん、痛い。10」チクッ「う~ん、そこは3ぐらいかなぁ・・」しばらく同じ事が繰り返される。やはり左足には感覚が無い。そんな感じで検査をしてY先生のリハビリは終わってしまいました。Y先生ありがと~♪来週の火曜日にはサプライズが待ってるからね~。
July 23, 2004
コメント(3)
友達と同じ様に買い物して、ご飯食べて、映画見たのに友達は最後まで元気だった。それに比べて私は、疲れ果ててダウン寸前。友達との間に見えない壁が見えた。私ってば体力無いな~。車イスになる前は体力だけが自慢だったのに。
July 22, 2004
コメント(3)
え~・・只今の時刻は夜中の2:30。詰所にいます。私は暑さのあまり、また真夜中の訪問をしてしまいました。だって、病室は消灯過ぎるとクーラー消されるのに詰所はクーラーついてんだもん!!そんなのアリ?ずるいよ~。他の患者さんはよくみんな寝てられるよな~・・私は床ずれが出来ないように自然と3時間置きぐらいに目が覚めて体位変換をするのでその時に暑くて再び眠りにつく事が出来ないんだよね。もう3時間ごとに目が覚めてしまうのが体にしみついてんだよな・・。床ずれって出来るのはスグだけど直るのは500円玉ぐらいの大きさでも3ヶ月はかかるって言うもん・・。ホント、やっかいだよ。ちくしょ~眠い。このまま詰所で寝たい。ここは天国だ。今、看護婦さんが詰所に入ってきて私の存在に気がついて「わっ、びっくりした!」驚かせてしまった。ちょうど交代の時間らしい。めでたく8月2日に退院するんだけど(1年5ヶ月もの入院生活)でも家に帰るんじゃなくて更生指導所に行って社会復帰を目指す為の訓練が始まるのだ。入院してからいろんな事があった。放射線治療と抗がん剤がやっぱスゴカッタな。抗がん剤の投与はホント怖かった。ギリギリまで悩んだ。良性なのに抗がん剤かよって感じだったし。副作用とか、想像するだけで恐ろしかった。再発したら?もう2度と手術もしたくないし放射線も抗がん剤もしたくない。
July 21, 2004
コメント(3)
今日ほど疲れて目が覚めた日はない。体がだるい。昨日、足の痛みが治まらずナースコールで看護婦さんを呼ぶ。「も~我慢の限界!薬くださいっ」←本日6回目の限界看護婦さんが来てくれて「肩にする?オシリにする?」と聞いてくる。「へっ?もしかして注射?」「うん」「何の注射?」「筋肉注射」「それは分かってるんだけど、その中身は?」「サガゴン」強そうな名前だ。それだけで頼もしくなった。「で、肩?オシリ?」筋肉注射は痛いので、感覚の無いオシリに打ってもらった。しばらくして痛みに変化が現れた。「ズキッ」あれ?ちょっと痛みが上品になった?再び「ズキッ」やっぱり!あんまり痛くない。サガゴンやるじゃんっ、こいつは使えるぞ!いい感じだ。そう思った次の瞬間、「ズキズキ ズッキ~ンッ」「いだ~~~~~~~~~~~いっ!!!」頭の中で場内アナウンスの声がした。「おしくもサガゴン、KO負けです!!」「やはり神経痛の痛みには勝てなかった!!残念!」「あ~サガコン、泣いてますね~、よっぽど悔しいんでしょう!」しかも愛川欽也も「サガゴン?ハイッ消えた!」とパネラーのデスクの上を叩いている。結局、私の太ももの痛みは自己最高記録の24時間を大幅にアップ、31時間後に消えてなくなった。31時間。ハンパじゃなかった。なので今日は頑張ったご褒美にコーラを飲みたいと思います。←普段、お金が無いのでウォータークーラーの水(無料)で我慢してる。6月7日に飲んだ以降、久しぶりのコーラです。(前回は6月6日に激痛)足の痛みはランダムに出てくるから1週間に2回あったり、2ヶ月間なかったりといろいろです。とりあえず今は痛みはありません。めでたし。めでたし。
July 20, 2004
コメント(1)
そろそろ、痛みが無くなってもいい時間なんだけどまだ、痛い(涙)痛み止め2回、座薬3回、やっぱどれも効かない。痛さのあまり弱音を吐いてしまう。「痛いっ、我慢出来ない、ホント痛いんだけどっ、死にそう、麻酔打って、麻酔!左足切断して!」←ムチャクチャ。健康な人が羨ましい。自殺するんだったらその体、私に頂戴。私がちゃんと生きてくから。
July 19, 2004
コメント(4)
今日は待ちに待ったアレが届いた。私の担当のPT、Y先生の名前入りハンドタオルだ。普通、患者から看護婦さんとかに「お世話になりました」と言って、モノをあげる事は病院によってはタブーとされている。だから私はどんなにお世話になっても何かをあげるといった事をした事がなかった。でも今回はホントにお礼をしたかった。以前、先生は医療学院の先生でもあるのにも関わらず「ホントはダメなんだけどコレあげる」と言って、ハリーポッターのカエルチョコレートをくれた。私はそれがスゴクうれしかった。ハリポタのルーピン先生を思いだした。ハリーに元気になるからと言って、チョコレートを渡すシーンがあるからだ。先生は「またのあつこ」というデザイナーが好きだと言っていたので彼女の運営するショップのサイトにオジャマした。「タオル、雑貨、文房具、」いろんなモノをデザインしていて私も思わず「あっ、このマグカップかわいい、欲しいかも」と思わせるぐらいイラストがかわいい。タオル集めが趣味だと言っていたので私はタオルをプレゼントしようと思った。「いろんな種類があるなぁ・・迷う、どうしよう?」そんな時、あるタオルのイラストが目に入った。「幸せの青い鳥」をモチーフにしたタオルだ。「これ、いーんじゃない?」しかも刺繍で名前も入れてくれる。「おしっ、コレにするか!」問題は先生の名前である。以前聞いた事がある。珍しい名前だった。○○だよなぁ~・・たしか・・」←自信がない。名前間違ってたらシャレになんない。改めて聞くのも変だし、あくまでもサプライズなのだ。バレては意味が無い。私は記憶の糸をたぐりよせながら名前のトコロに○○と記入した。「まぁ、違ってたら、そん時は先生に名前を改名してもらおう(笑)仕上がりが心配だっだが予想以上に良かった。色もいい。刺繍の名前がパンチをきかせてる。「ふっふっふっ・・・」不敵な笑みを浮かべた。さて、問題がどうやって渡すか?直接渡してもやはり、立場上、受け取ってくれないかもしれない。ここは看護婦さんに頼むしかないか・・それでも、先生的には受け取りづらいと思った私にグットアイデアが浮かんだ。袋に「これ、借りてたやつ、返すの忘れてた。ごめんね」と書いた。これなら誰も怪しまないだろう。受け取った先生は多分「?」だろうな(笑)喜んでくれるといいけど♪さて、今日は新撰組だ!池田屋だ!楽しみなんだけど今、左足に痛みが出始めた。ついてない。つねっても痛くないのに、痛さの感覚が無いはずなのに太ももに激痛が走る。これがハンパじゃない。「ズキンッ」ときたら眉間のしわがコイル巻き状態になって痛さのあまり顔がゆがむ。思わず「うっ・・」と声を出してしまう。涙も出てくる。1分間隔で激痛が私を襲う。それがまる一日、24時間は続く。痛み止めは7~8種類ためしたがどれも効かない。ただ、時間が過ぎるのを待つしかないのだ。じんわりと痛みが増してきている。明日の日記は更新できないかも・・。足の感覚はホントに面白い。冷たさは感じるが温かさは感じない。針でさしても痛くはないが太ももの中から激痛が走る。さぁ、これから24時間、痛みに耐えなければ!左足くん、頑張ってくれよ。
July 18, 2004
コメント(3)
昨日の夜は本当に頭が痛かったので、鎮痛剤とアイスノンを貰った。消灯時間は9:30なんだけど、そんな時間に寝れる訳がなく、私はいつも、11:00ぐらいまでこっそりTVを見ている。東京の病院では消灯を過ぎてもテレビをつけるのはOKだったんだけど、ここの病院ではNG。でもドラマは見たいのでこっそり見てしまう。「セカチュウ」は映画のイメージが強かったのでドラマは全然期待してなかったけど結構安心して見れる。「愛し君へ」は見ていて菅野と藤木がくっついたり離れたり「あ~じれったいッ」とイライラしたが「セカチュウ」はそんな事がない。そんな「セカチュウ」を見終わってから、睡眠薬を飲んで就寝した。夜中の3:40、暑くて目が覚める。アイスノンもスッカリ温かくなってる。昨日は窓を開けて風通りをよくしていたのだが全然、風が入ってこない。それもそのはず、ここは3人部屋で私は真ん中のベット。他の二人がカーテンを閉めて寝ているので、まったく風がこない。私は、今となってはその役目を果たし終えたアイスノンを持って詰所まで行った。部屋が広いだけあって詰所は涼しかった。しかも首フリ扇風機まである。「暑くて眠れないし、何だか喉もイガイガするんだけど」と看護婦に話かけながら私は扇風機の前まで行った。「そこにある診察台で寝かしてくれよ」と心の中でつぶやいた。「喉、大丈夫?うがいしとく?」とイソジンを持ってきてくれたがありえない色の濃さだった。「これ濃すぎない?」「そう?こんなもんよ、飲んじゃダメよ」と吸飲みを渡してくれた。5~6回うがいをして看護婦さんにアイスノンを返した。その時、うれしいお言葉が・・。「交換しよっか?」「ホント?そんなわがままが許されるの?」「いいわよ~だって寝れないでしょ?」{やりぃ~ブイブイッ}私はルンルン気分で病室に戻った。
July 17, 2004
コメント(3)
今入院しているこの病院は夜の9:30を過ぎると冷房を切ってしまう。今までの病院はそんな事はなかった。だから夜中に暑くて目が覚めてしまう。全身は汗でビッショリだ。 「あづい・・・」私は下半身にものすごい痺れがある。正座して足が痺れたあの10倍ぐらいの痺れだ。私はこの痺れが嫌で嫌でたまらない。「この痺れがなっからずっと車イスでいい」と思うぐらい、我慢できない。だから眠っている時だけが痺れから開放される唯一の時間なのだ。けど暑さで目が覚めてしまうと一気に下半身の痺れが私を襲ってくる。思わずナースコールのボタンを押す。「す、すみませんっアイスノン下さい」暑いからという理由で貰うわけにはいかず、ついつい「ちょっと頭が痛いんで・・」などど言ってしまう。でもアイスノンで頭を冷やさない限りは再び眠りにはつけない。私はアイスノンが大好きだ。欠かせないアイテムになっている。それがあるだけで痺れも何となく紛らわす事ができるからだ。動物園のシロクマがアイスのブロックで遊ぶ気持ちがよく分かる。そんな感じでこの2~3日は過ごしてきたがさすがに「頭が痛い」とはもう言えない。今晩からどうしよう~(^-^;)
July 16, 2004
コメント(4)
私は医者からこの病気は再発する確率が高いと言われている。その時は頭の中が真っ白になって、どれくらいの確率で再発するかは聞く余裕がなかった。それから、聞くチャンスはいくらでもあったが私は聞くのが怖かった。結局今でも知らないままだ。ただ言える事は50%以上って事は間違いない。上衣(じょうい)腫瘍と言って放射線科の先生は「癌じゃないけど良性ともいいがたい」と説明をし、主治医は「良性なんだけどレベルが4あって一番悪い4」と説明をした。さらに「骨髄液の流れに乗って腫瘍が脳へ行きやすい」とも説明してくれた。再発したら間違いなく今の状態より悪くなる。両手も動かなくなるかもしれない。脳腫瘍になったらもっと最悪な状態になるかもしれない。悪性だったら死ぬかもしれない。5年後には死んでるかもしれない、だからこれからの人生は楽しく生きていたいと思う。嫌な思いもしたくない、嫌な事はしたくない、苦労はしたくない、これが今の私の素直な思いだ。人が聞くと単なるわがままにしか聞こえないと思う。逆の立場だったら私なんか「甘えるな!あなたよりもっと障害が重い人は沢山いてそれでも頑張ってるんだよ!」って言うかもしれない。生きていく上で嫌な事は必ずある。今までもそうだった。だけど再発したら?って考えると自分に対して過保護になってしまう。「余命があと一年です」と、もし宣告されたらみなさんはどのように過ごしますか?
July 15, 2004
コメント(7)
今日は身体障害者更生指導所に面接に行ってきた。ここの病院からだと車で30分、約束の時間は2:30。1:30ぐらいにタクシーに電話して1:50分に来てもらったらちょうどいいかな?と思ってた私がバカだった・・。受付ロビーにある公衆電話には、いろんなタクシー会社の名前と電話番号が書かれた用紙があった。ここに電話すればスグ来てくれるんだろうと思って電話してみた。まず一件目、「ツーツーツー」繋がらない。二件目、「ツーツーツー」三件目、「ツーツーツー」四件目、「ツーツーツー」五件目、「ツーツーツー」「マジで!?」何でどっこも繋がらないの?私はメチャクチャあっせった。何回かけても無駄だった。とりあえず時間が無い。車道で捕まえるしかないと判断し、炎天下のもと病院を後にした。しかも車道までちょっとした上り坂になってるし・・でもそこを乗り越えなければタクシーは捕まらない。泣く泣く坂を汗だくになりながら上った。やっとの思いで来たものの車の往来がまったく無い。ここは田舎にある病院なのだ。「ど~しよ~,いっそ誰かの家のドアをノックして町まで連れてってもらおうか?などと、とんでもない事を考えていた。1:35。遅くても2:00にはタクシーを捕まえなければならない。そんな時、ハッと思い出した。Hタクシーがあるじゃないか!Hタクシーは以前他のタクシー会社から紹介された会社だ。用事で朝の5:50分に出かけなきゃならなくて、唯一来てくれるタクシー会社だった。私は念の為ケータイに登録しておいたのだ。「神様、仏様、お願いつながって!」「トゥルルルル~」「よがったぁ~」「もしもし、タクシー一台お願いします。場所は○○です。どのくらいで来れますか?」「10分ぐらいかかるけどいい?」今の時間は1:40。ギリギリ間に合う。「はい、待ってます。よろしくお願いします」と電話を切った。しかし10分待ってもタクシーは来ない。場所が分からないのだろうか?どうしよう?約束は2:30だ。遅れる訳にはいかない。もう一回電話してみようか?1:57。ヤバイ。と、その時向こうからタクシーのランプが見えた。気分はまるで「エイ~ドリア~ン!!」←ロッキー。心の中でガッツポーズ☆ドライバーの人も優しくて乗る時に介助をしてくれようとした。私は一人で大丈夫です。と、車イスの積み降ろしの事だけお願いした。知らなかったけどタクシーの運ちゃんは年に一回、介助の仕方の勉強会をするのだと言っていた。運ちゃんは「ちょっとホッとしました。ホントに介助が必要な人にはもちろんさせてもらいますけど、相手が女性の場合、どこまで体を触れていいのか、どうか・・・。」←いやらしい意味じゃなく。そんな悩み事を打ち明けてくれた。私は「介助してもらってて、そんなイヤラシイ目では誰も見ないと思いますよ~」と言っておいた。ありがとう!Hタクシーさん!
July 14, 2004
コメント(1)
昨日のトークは久々に笑えた。先週は「宇多田の素顔大公開!」みたいな見出しで新聞載っててそれなりに特集くんでるのかと思いきや最後の最後まで引き付けておいて「たったのコレだけかよっ」という内容だっただけに今回は良かった。東京湾景もウケル。突っ込みどころ満載のドラマだ。東京に住んでた頃、このドラマに出演している中村俊介に会った事がある。会ったっていうか見かけたかな?「ツーハンマン」の撮影で待ち時間にタバコを吸っていた。そんな彼の姿を見てちょっとイメージダウンした事を今でもよく憶えている。ドラマの撮影に出くわす事が多かった。滝沢君、優香、榎木孝明、佐藤藍子。V6の森田、三宅、岡田の三人。←家の前で撮影をしていて日テレのタオルをもらった。あとニアピンで中居君、中村トオルってのもあったなぁ・・。そうだ、知ってる人は知ってる犬のまさお君。浅草で二回も出くわした。今日は、13日。今月でこの病院をでなければならない。いよいよ病院生活ともお別れ。だからと言って家に帰る訳じゃなく身体障害者更生指導所という所にいくつもり。そこで私は社会復帰を目指す?自分でもまだよく分からない。車イスになってしまった私がどこまで出来るのか、何が出来るのか。明日はそこの指導所の面接。以前、見学に行ってるので何か、安心。ボロイ建物で神戸のセンターよりも設備は劣ってるのかもしれないが、あのサビれた感じが私には合ってる。テレビもDVDもある。友達にもいつでも会える。評判のよくないこの指導所で一発でっかい花火を上げてやろーじゃん!
July 13, 2004
コメント(1)
先週、身体障害者対象の生活訓練センターまで4時間かけて見学をしに行った。松山から岡山で、乗り換えて西明石まで。車イスになってからは初めての遠出で中でも一番の心配はトイレの事だった。オシリに感覚がない為、尿意も便意も感じない私は2~3時間に一回はトイレに行かなくてはならない。それでも失禁してしまう事があるのでトイレに関してはものすごく神経をとがらせてしまう。松山駅でトイレをすませて、新幹線で岡山まで行って、乗り換えるまで30分の猶予があった。でも私はトイレにものすごく時間がかかる。ズボンの上げ下げはもちろんの事、腹圧で尿と便を出さなければならないのでスゴク時間がかかる。残尿や残便の感覚も分からないから2~3回に分けてふんばらなければならない。だから15分ぐらいはかかってしまう。岡山についてさっそく駅員さんにトイレに連れて行ってもらった私は愕然とした。トイレの扉には「ここには備え付けのトイレットペーパーはありません」と書いてあったのだ。海外ではよくそうゆう事があるので旅に出る時は必ずトイレットペーパーを持っていくのだがまさかこの日本で?という思いでいっぱいになった。話を聞けば関西の駅はどこもそんな感じだとゆう。でもトイレには行かなくちゃならない、でも紙がない。私は苦渋の選択を迫られた。もう時間がない。私はトイレに入った。尿は自己導尿で出してお通じの方は便が降りてきてるかもしれないけどふんばるのを止めて、なんとか拭かずにトイレを済ませる事に成功した。西明石についてやはりトイレにまっさきに行った。ここでもビックリした。今までに見た事のない便器が私の目の前に立ちふさがっていた。和式の形の便器がそのまま高くなったような洋式のトイレだ。こんなトイレ絶対座りたくないと思ったけど便意が無いだけに今、私のおなかの中は便でたまってるのかもしれないと思うとそこに行くしかなかった。ただ、トイレットペーパーはちゃんとついていたのが、幸いだった。思いっきり踏ん張った結果、案の上、便がでた。で、タクシーでセンターまで見学しにいって一通り説明を受けてセンター内を案内してもらった。感動したのは私の大好きな赤川次郎の三毛猫シリーズがほとんどそろってた事だ。そもそもこのセンターに入所したいと思ったのは車の免許が取れるという事が一番の理由だったけどすぐに自動車学校にも通えると言うわけでもなくて実際、試験は住民票のある松山でしか試験が受けられないという・・。そうすると松山と神戸を行ったり来たりと私にとってはスゴクしんどい事だなぁ・・と思ったら次から次へと神戸に来る事は何かと面倒くさいと思う様になってしまった。入所したらテレビは持参、テーブルも持参、そこで暮らすのだからいろいろ持っていかなくちゃいけない・・。宅急便で送ればいいのだけれども私の母は72歳の高血圧、そんな母にアレしてコレしてとはとても言えない。残酷な話だ。それでなくても今回の見学で母は具合が悪くなり夜になって倒れてしまった。そうゆう事を考えても、松山の指導所でいいかなと・・。そりゃレベルは落ちると思うけど私もゆったりした環境で暮らしたい。神戸のセンターのホムペには西明石周辺で車イス対応のホテルがありますと記載されていたが、名前、電話番号等は記載してなかったのでセンターに問い合わせてホテルの名前を聞きだした。とりあえず確認の意味でそこのホテルに連絡を取って、「車イスなんですけど障害者用のトイレはありますか?」と尋ねてみた。係りの人は「はぁ・・そのようなトイレはありませんが・・」と困惑ぎみに答えてきた。「でも車イスの人は以前にも泊まられた事はあります」と付け加えてきた。トイレに手すりも無いのに車イス対応?どこが?とゆう思いでいっぱいだった。私は「部屋を見せてもらって決めさせてもらっていいですか?」と聞いてOKの返事をもらって電話を切った。センターのスタッフの人に聞いても車イス対応のホテルを探してもらったが一つは完璧、車イス対応のホテルだったんだけれどもすでに予約でいっぱいとの事。やはり問い合わせたホテルしかないとゆう。仕方がないのでそのホテルに行って見る事にした。駅から徒歩5分とゆう便利な場所だ。でも部屋を案内されて愕然とした。まるっきりのビジネスホテルである。バリアフリーのバの字もない。廊下も部屋も絨毯なので車イスはこぎにくいし部屋のトイレには車イスの幅の方が広くて不可能だった。でもここに泊まるしかないのだ。私は頭がぶち切れそうになった。「何がバリアフリー対応だ?どこがそうなのか?不思議でならなかった。」ともかくココに泊まる以上トイレに行かなければならない。駅のトイレの使用も考えたがもうすでに体がヘトヘトになってる。とても出かける体力は残ってはいない。私は猫の脳みそぐらいしかない頭で考えた。どうやって使うか?まず車イスから降りて車イスを折りたたんだ。下がカーペットな為、その作業もスムーズにはいかなかった。折りたたみおえると今度はその状態で車イスを便器の横につけた。次に私はすべりにくいカーペットの上をずりずりとプッシュアップしながら便器まで行って、右手で便座、左手を車イスに乗っけてプッシュアップで便座にオシリをもっていって、右手で右上にあるタオルハンガーに手をかけ左手はそのまま車イスをつかんで立ってズボンを下ろす事が出来た。ここまでたどり着くのに30分はかかった。この一連の動作を寝る前にもう一回しなければならい。私はミジメな気分になった。もう二度とこんな思いはしたくない、神戸にはもう来たくないとゆう気持ちがふつふつとわいてきた。洋服を着替える体力もなくすぐ眠りについた。何故かその日に見た夢は少年隊がビキニの青いパンツをはいてプールの前で歌ってるヘンテコリンな夢だった。松山に帰ってにてホッとした。でもまだ一仕事残っている。コンタクトを作らなければならない。友人の進めの眼科医に行った。でもそこのビルに入るのにまたしても立ちふさがる段差の壁。20センチぐらいはある。歩道は車道に向けて軽く斜めになってるのでこの状態でキャスター上げしたらコケル可能性があったので母に介助してもらう事にした。しかし母は高齢、いくらテコの原理を使っても母にそこまでの力はない。そんな時、通りすがりの男性が助けてくれた。日本は韓国に続いて障害者を恥ずかしいと思っていると友達から聞いた事があったがそんな事も無いのかもとその時思った。コンタクト作りはスムーズにいった。とりあえず今日はワンデーのを入れてるから今日はそれ捨ててねと念を押され私は病院に戻った。しかし、問題がおこった。コンタクトが外れないのだ。メチャクチャ目に張り付いていて何回試しても取れなくて次第に私の目は充血していった。ワラをもすがる気持ちで看護士さんに「コンタクトが取れない」と言いに行った。看護士さんは充血している私の目を見て「可哀相に・・」と言ってくれたが、それでコンタクトが外れるわけもなく、ただ、時間が過ぎるだけだった。「このまま取れなかったら?どうなるのか?」考えただけでも恐ろしかった。看護士さんがちょっと涙目になった方が取れやすいんじゃない?とラスカルの最終回の話をし始めた。「ラスカルじゃ泣けない」という私の訴えに「じゃあ、クララは?ネロは?」と提案してきた。泣けない・・・。それからコンタクトと格闘する事15分、やっとの思いで取る事ができた。ちなみに私は曽我さんが家族に対面するシーンで泣いた。
July 12, 2004
コメント(0)
手術してから一年と四ヶ月。まさか自分が病に侵されるとは夢にも思ってなかった。同じ当たるんだったら宝くじに当たって欲しかった。もう一生歩けないのは辛いけど最後は幸せになって今までに起こった不幸な出来事、全部チャラにしたい。
July 11, 2004
コメント(1)
全21件 (21件中 1-21件目)
1


