「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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しかたのない蜜
神域の花嫁 21~25
「あっ……んっ……や……っ」
凛太郎は畳にカリカリと爪をたてた。そうすれば明に与えられる快感をこらえられるような気がした。
鬼に戻った明は背後から凛太郎を突いていた。凛太郎の細い腰を高々と持ち上げ、強く浅く、絶妙なリズムで凛太郎を揺らしている。この姿勢が明の目に自分の恥部がさらけだされているのを凛太郎は知っているが、これは凛太郎から明にねだった体位だった。
べつに後背位が好きなわけではない。感じている自分の表情を明に見られるのが嫌なのだ。
明に抱かれながら、凛太郎はあの男のことを思い出していた。
あの夜、自分を抱いた鈴薙のことを。
初めて自分の体を開いた紅蓮の髪を持つ鬼のことを。
”いとしきわが妹。そなたを愛しているぞ”
凛太郎を激しくもだえさせながら、鈴薙は何度も凛太郎にそうささやいていた。幾度も訪れる絶頂の谷間、薄目を開けて見た鈴薙の切れ上がった双眸は無限の愛情を凛太郎にそそいでいた。
男である自分に子供をはらませるという屈辱的な行為をした者なのに。
人間を滅ぼすことをたくらんでいる恐ろしい鬼なのに。
凛太郎は鈴薙を憎むことができない。
それどころかこうして明に抱かれている間も、心のどこかで鈴薙を求めている。
凛太郎はそんな自分を明に見透かされるのが不安で、顔が見えないようにこうして背後からつらぬかれているのだった。
「なあ、凛太郎」
かすれた明の声が背後から聞こえた。話しながらも明は律動を刻むのをやめない。
「声、出していいんだぞ。いや、出してくれよ。この部屋、今は結界張ってあるんだから誰も入ってこられないし、いくら大声出したって聞かれる心配ないんだからさ。それとも……悦くないのか?」
凛太郎は明に答えずにはいつくばって口を畳に押しつけるようにしてあえぎ声が漏れないようにした。
不意に明の汗に濡れた手が凛太郎の核心を優しくつかんだ。明は凛太郎をえぐりながら、その部分を摩擦した。二カ所を同時に責められて、凛太郎は思わず頭を上げた。こらえていた声がつい出てしまう。
「あ……あっ、や……っ……ああーっ」
次の瞬間、凛太郎は明の手を白く汚していた。
「……やっぱり悦かったんじゃねえか。ヤセ我慢しやがって」
明が底意地悪くつぶやいた。律動が止んだ。ちゅ、と何かを吸う音がする。額から汗をしたたり落とした凛太郎が、荒い呼吸のまま振り向くと、明が指先についた凛太郎の放ったものをなめとっていた。
美しい鬼のみだらで愉しげなそのしぐさに凛太郎は頬が熱くなるのを感じた。即座に目をそむける。
だが明はめざとくそれに気づいて、嬉しそうに凛太郎の体を反転させた。
「ああっ」
結合部分からの刺激に凛太郎は悲鳴をあげた。
明は緑色の長い髪を凛太郎の肩に垂らして、凛太郎を見据えていた。明の肩越しに窓の外の月が見える。
ちょうど鈴薙に抱かれた夜と同じ満月だった。
こうしてあらためて見ると鈴薙と明の容貌は本当によく似ている。
切れ上がった双眸、通った鼻筋、薄い唇、精悍だが優美でもあるおとがい、そして細いがしっかりと筋肉のついた雄々しい体。
だが受ける印象がまるで違うのは、鋭い鈴薙の双眸に対し、明の双眸は茶目っ気たっぷりの明るさが全面に出ている点だろう。ちょうどそれは鈴薙の髪の色が炎で、明の髪の色が新緑なのに似ている。
そして二人が決定的に違うのはその性格だった。気質の違いは凛太郎への抱き方にはっきりと出ている。明は凛太郎に清流のせせらぎのようなおだやかな愛撫を施し、ゆっくりと燃え立たせていくのを好むが、鈴薙は持てあます激情を凛太郎にぶつけ、性の嵐に巻き込んでいった。
(僕は、きたない)
いつのまにか二匹の鬼を比べている自分を凛太郎は恥じた。
明は凛太郎の上で動き始めた。凛太郎が口元を手で覆おうとした時、明がその両手首をつかんで自分の手で押さえた。
「な……何を」
「お前の感じてる声が聞きたいんだよ、凛太郎」
緑色の長い髪から汗をしたたり落としながら明はささやいた。
切れ上がった双眸は微笑んでいたが、その奥には雄の輝きがあった。
明は激しく凛太郎をつらぬき始めた。
「あ、あ……っ」
凛太郎は激しく首を振った。明とつながった部分から容赦なく広がる愉悦が凛太郎を狂わせていく。こんないやらしい声を出す自分は嫌いだった。
明に気を与えるため、初めて明に抱かれた時、凛太郎は明に幾度となく「好きだ」とささやかれながら鈴薙のことを忘れようとした。自分は明という優しい鬼に気を与えるためだけに交わって、鈴薙を倒すことだけ考えようと思った。迷いがふっきれたせいか、凛太郎は他者から「心に余裕ができた」と評されるようになった。
だがそれは間違いだった。
凛太郎は鈴薙のことを忘れてなどいない。むしろ明に性を深められることによって、最初に刻み込まれた鈴薙の記憶がそのたびに鮮やかになっていく。
凛太郎に心のゆとりができたのは、二匹の鬼が「気を高める」という大義名分を凛太郎に与えて、凛太郎のなまぐさい欲望を解き放ったからだ。そして鈴薙は凛太郎の現代社会に対する悪意までくみ取ってくれた。
徐々に惑乱していく凛太郎の脳裏に、もう一人の凛太郎がささやく。
(”お前はずるい。そしてみだらなんだよ、凛太郎”)
(嘘だ、そんなことない!)
凛太郎は胸の内で絶叫した。
その意志とは反対に、凛太郎の体は明を貪欲に飲み込んでいた。
「お前の脚、俺の腰にからめてみろよ。そしたらもっと気持ちよくなるからさ、凛太郎」
欲望にまみれた明の言葉を凛太郎は汚らわしいと思う。けれども体はその思惑に反して、明の命令に従っていた。
「そうだ……そこ、もっと曲げて。もっと高く上げて……ほら、悦くなっただろう?」
明は満足げに笑って、律動を深く、そして早く刻んでいく。
凛太郎のあえぎ声はもはやすすり泣きに変わっていた。
もう一人の自分はすでに脳裏から消え、凛太郎は体の内側をえぐられることしか考えていなかった。
明はすでに凛太郎の腕を解放していた。凛太郎は自らの腕を口元にはもう持っていかずに、明の背中に回した。凛太郎は無意識のうちに明を自分につなぎとめようと、明の体にすがりついていた。
「あ……っ、やだっ、やだっ、どっかいっちゃうっ……っ……あーっ!」
白い喉元を弓なりにして、凛太郎は全身が火のように熱く、息苦しいもので覆われるのを感じた。そこで凛太郎の記憶は途切れた。
夜気が火照った体に心地よかった。
意識が戻った途端、凛太郎は汗をぬぐうこともせずにそそくさとトレーナーとズボンを身につけ始めた。これから入浴して、明の痕跡を洗い流してから眠るつもりだった。
明は布団に腹這いになってほおづえをついたまま、着衣する凛太郎を愛おしさと助平心が入り交じった視線で見つめていた。
月明かりに照らされた情交後の鬼の汗で光った肉体は、ぞくりとするほど妖しい美しさに満ちていた。
凛太郎はそんな明から背を向けて、着衣のスピードを上げた。
トレーナーとズボン着終わった後に、明が後ろから抱きついてきた。
「何す……っ」
怒って振り返る凛太郎の唇を明がふさいだ。
「……愛し合った後の余韻に浸ってるだけさ。って俺、キザっ?」
唇を離した後、明はそう言って一糸まとわぬ姿でカラカラと笑った。
「バカなこと言ってないで、さっさと服着ろよっ。それで人間に化けて寝ろ! 明日も学校はあるんだから!」
凛太郎は赤くなりながら明にそっぽを向いた。
「ちぇっ。ムードのないヤツめ」
明はぼやきながら、パチンと指を鳴らした。
「これでいいだろ」
明の呼びかけに凛太郎が顔を向けると、緑色の髪をした鬼は袴姿で立っていた。
「まだ人間に戻ってないじゃないか。それにその格好。普通の洋服かパジャマにしろよ。父さんが起きてきたら怪しむぞ」
「いや~、寝る前にちょっと凛太郎くんにお願いがあって」
口をとがらせる凛太郎に、明は両手をおがんでみせた。
「な……何?」
もう一回させろ、という願いだったら絶対断ると心に誓いながら凛太郎は訊いた。
「あのさ、この袴の帯結んでくれない?」
「はあ?」
照れながら言う明に凛太郎は目を丸くした。たしかに明の袴の帯は結ばれておらず、だらりと垂れていた。
明はちょっともったいぶった口調で説明を始めた。
「昔のならわしなんだけどな、契りを交わしたもの同士が後で袴の帯を結ぶのが婚礼の儀式だったの。俺、なんつっても大昔から生きてる鬼だからそういうしきたりにこだわってみたいわけよ」
明は真顔になって、凛太郎をまっすぐ見つめて言った。
「俺と結婚してくれ、凛太郎」
美しい鬼のまなざしに凛太郎は震えた。
「あ、あ、明……」
「何だい、凛太郎?」
凛太郎に明は気取った口調でそう呼びかけた。
「男同士で結婚なんて、僕はごめんだーっ!」
凛太郎はそう叫んで、明を平手打ちした。
そのまま凛太郎は部屋から去って、風呂場へ向かった。
「……マジでプロポーズしてるんだけどな、凛太郎ちゃん」
袴の帯を一人寂しく結びながら、明はつぶやいた。
校舎の白い壁に陽光が白く反射していた。
体操服姿の凛太郎は大きく伸びをした。
「こんな晴れた日にみんなで外に出られるなんて気持ちいいね、明!」
「おうよ! 俺としちゃあ、このまま学校を抜け出してお前とピクニックにでも出かけたいところだけどな」
不埒なことを言う明を凛太郎はにらんだ。
「冗談だって」
明は凛太郎の頭をくしゃくしゃと撫でながら笑った。
凛太郎のクラスは今、男女合同の体育の授業を行っていた。
一週間後に控えた体育祭におけるフォークダンスの練習をこれからするのである。
ふだん男女は体育の時間はべつべつなので、男子たちはブルマ姿の女子に色めき立っているーーーーはずだった。
だが結果は、ほとんど凛太郎一人に視線が集中する結果となった。
「体操服の白いポロシャツがたまんないよなあ。凛太郎のいわゆる清純な魅力を際だたせてるってやつ?」
「俺、今度から欠かさずカメラつき携帯持ってこようと思うんだ。そしたら、いつでも凛太郎の写真撮れるもんね。それでその写真を家で……ムフフフ」
男子たちがそう色めきたつなら、女子は女子で盛り上がっていた。
「私、ぜーったい凛太郎くんと踊る!」
「えーっ、凛太郎くんのお相手は私だもん!」
「あんたより私の方が凛太郎くんには釣り合ってるも~んだ!」
「何よ、うぬぼれないでよっ」
こうしてとっくみあいを始める女生徒たちまで出る始末だった。
フォークダンスは男女ペアで踊ることになっているので、幸運な女子の一人が凛太郎と踊ることができるのである。もっともフォークダンスは次々にパートナーが変わっていくダンスなので、その幸運は長続きするわけではないが、ほんの少しでも長時間凛太郎と踊りたいと彼女たちは思っているのだ。
そんな騒動の片隅で、凛太郎をじっと見守っている少女がいた。
「どうしたの、ほのか?」
仲のいいクラスメイトの中山乃梨子に呼びかけられて、藤崎ほのかはようやく我に返った。
「え、あのっ、べつに……」
ほのかは体操服の裾をつかんで、もじもじとうつむいた。小柄でぽっちゃりした体のほのかが照れている様はどことなくぬいぐるみのクマをほうふつとさせてかわいらしいと乃梨子は思った。乃梨子は少しほのかをからかってやりたくなって、ぱっちりとした二重まぶたの目を細めておどけた口調で言った。
「わかった! 凛太郎くんのこと見てたんでしょ? ほのかはずっと前から凛太郎くんにお熱だもんね」
「やめてよ、乃梨ちゃん。みんなが聞いてるじゃない」
ほのかはおかっぱ頭を振り乱して、自分よりひとまわり大きな乃梨子の肩をゆさぶった。
「痛いなあ、もう!」
乃梨子は大げさに顔をしかめる。
「……ごめん」
ほのかはあわてて乃梨子から手を離した。
(ほのかったら、本当に純情なのよねえ)
乃梨子のおふざけの抗議に、本気で反省しているほのかを見やりながら乃梨子は思った。
乃梨子とほのかは小学生のころからの友人だ。大柄で背が高く、てきぱきとした性格の乃梨子はそのころからショートカットを愛好していたこともあって、クラスの男子に「オトコオンナ」と時々からかわれていた。乃梨子にしてみれば、悪ガキが勝手に言ってるよくらいのものだったのだが、ほのかの目にはいじめと映ったらしい。
『中山さんにそんなひどいこと言っちゃだめ!』
ほのかは体から声をふりしぼって、果敢にも悪ガキどもに抗議した。
恥ずかしがり屋でおとなしいほのかが自分たちに刃向かってくるのが、彼らには面白かったらしい。
『偉そうな口たたくなよ、この泣き虫が!』
『そうだよな、チビの太っちょに文句付けられたくないよなっ』
ほのかの目に涙がみるみるうちにたまった。してやったりと悪ガキどもは泣いているほのかを取り囲んではやしたてた。
『や~い、泣き虫泣き虫!』
『泣いてる暇があるならやせろ!』
乃梨子は腕組みして一部始終を見ていたが、やがてリーダー格の一人の肩をむんずとつかんだ。
『ねえ、あんた』
『何だよ』
乃梨子の存在をすっかり忘れていた風情のその男子はきょとんとしていた。
乃梨子はそいつを思いっきり投げ飛ばした。幼いころから合気道をたしなんでいた乃梨子の技は見事に決まった。
床の上でへたりこみながら、その男子はしくしくと泣き出した。
『つ、強ェ……』
『やべえ、逃げろーっ』
他の男子たちは一目散に乃梨子から走り去っていった。
『待ってよ、俺をおいていかないでよォ』
乃梨子に投げ飛ばされた男子は泣きじゃくりながら、彼らの後を追いかけていった。
乃梨子は腰に手を当ててつぶやいた。
『ガキが調子に乗るんじゃないってのよ、まったく』
人心地ついた乃梨子は、ほのかがガーゼのハンカチで目をぬぐいながら自分を見つめているのに気づいた。乃梨子と視線が合って、ほのかは恥ずかしそうにうつむいてから消え入りそうな声で言った。
『な、中山さん。かばってくれてありがとう……』
『いいのよ、これくらい』
乃梨子はパンパン、と手をはたきながら言った。
『私、男どもとケンカするのは慣れてるから。上に兄貴が一人、下に弟が一人いるからね。それに私、母親が早くに亡くなったから家に女っ気がないのよ。だから女らしさなんてものとは無縁なのかもしれない。オトコオンナ、なんて言われるのは慣れてるから』
乃梨子の言葉に、ほのかはふたたびしくしくと泣き出した。乃梨子はあわててほのかを取りなした。
『ど、どうしたの? 私、藤崎さんに何か悪いこと言った?』
ほのかは顔をハンカチで覆いながら、首を横にふった。
『じゃあ、どうして……』
『私、私……』
ほのかはしゃくりあげた。ハンカチでごしごしとこすった目元が腫れたように赤くなっている。
『中山さんがかわいそうで……』
「かわいそう? 私がかわいそうだって?」
乃梨子は思わず声を荒げた。勝ち気な乃梨子にとって、他人から”かわいそう”呼ばわりされるのは決して気分のいいものではなかった。乃梨子の剣幕にほのかは引いて、またもや新たな涙がふっくらとした頬に流れ落ちそうになった。
「ご、ごめん、ついキツい言い方しちゃって……でもどうして私が”かわいそう”なの?」
「それは……」
ほのかはハンカチで鼻をかんで、人心地ついてから言葉を続けた。
「中山さん、きっとそこまで吹っ切れるまでにいろいろつらいことがあったんだろうなあって……。お母さんもいないのに、きっと一人でそれを乗り越えてきたんだろうなあって。そう思ったら私、なんだか悲しくなって……」
ほのかの垂れ気味の人の良さそうな目に涙がふくれあがった。
「な、泣かないでよ」
「だって、だって……」
ほのかはすでにベトベトになっているハンカチで涙をぬぐってから、上目遣いで自分より十センチほど背の高い乃梨子を上目遣いで見た。母親にお説教をされている子供のような目だった。
「他人にいやなことを言われて、心の底から平気でいられる人間なんて私はいないと思うの。だからバカにされても笑っていられる人って、みんないろんなものを乗り越えてきたんだろうなあって……中山さんはそのうえ、私のことまでかばってくれてすごいと思う。私なんか、中山さんをかばうつもりで逆に男の子から泣かされてるのに」
そう言うほのかの目はあくまで澄み切っていた。ほのかは一生懸命言葉をつむぎながら、ひたと乃梨子を見据えていた。乃梨子は赤くなった。
他人からこんなふうに賞賛されたのは、母親が亡くなる直前に病院にお見舞いに行った時以来だった。伏せっている母親のために九歳の乃梨子は指先を傷つけながら、がんばって林檎を剥いた。その時、母親は乃梨子に優しく笑って言ったのだ。
”乃梨ちゃんは、本当に優しくって女らしいいい子ねえ。こんな娘を持って、母さん幸せだわ”
その時、すでにオトコオンナと呼ばれていた乃梨子は照れながらも反論した。
”私、ちっとも女らしくなんかないよ”
”いいえ。乃梨ちゃんは見た目は男の子みたいだけど、心は人一倍女らしくて細やかなのよ。ただ照れ屋だからそれを表現するのが下手なだけ。いつかきっと、乃梨ちゃんのそんなところを好きだって言ってくれるすてきな人が現れるわ”
母親は病気のせいですっかり細くなってしまった手を乃梨子の頭の上に置いて、白い花のように笑った。
それから三日後、乃梨子の母親は亡くなった。
あの時の母親と同じ目をほのかはしていた。
ハンカチがすっかり涙で濡れてしまい、フリルのついたティッシュケースからティッシュを取り出してほのかは鼻をかんでいた。そんなほのかを見ながら乃梨子は思った。
(この子って、ものすごく純粋で真面目なんだ)
今まで乃梨子はほのかに対して、「鈍くさくておとなしいクラスメイト」程度の印象しか持っていなかった。給食を食べるのもクラス一遅いし、運動音痴で三段の跳び箱すら跳べない。授業中、先生に指されるとぽっちゃりとした体をよじりながら真っ赤になってどもる少女。
ほのかのことを小馬鹿にしている生徒もいた。すぐ泣いたり、狼狽したりしてしまうほのかが愚かに見えるというのだ。乃梨子もほのかが授業中に指名されて、なかなか答えられずにいる時、「どうしてすぐに先生の質問がわからなかったら、分かりませんと答えてしまわないんだろう」と思ってイライラしていたこともあった。ほのかは愚図でのろまだと思っていたのだ。
だが、それは自分の思い違いだったのだと乃梨子は考えた。ほのかは何事も真面目に取り組んでしまう性格なのだ。他人の無責任なからかいや中傷も真正面から受け止めて、思い悩んでしまう。だからすぐにうろたえたり泣いてしまう。ほのかが授業中になかなか発言できないのは、クラスメイトの前で間違えた回答をしたり、わからないと投げ出してしまうのを恥だと考えてしまうのではないか。
そういえば、ほのかは花の世話係だが、ほのかは毎日欠かさず花瓶の水を取り替えるため、花は教室の片隅でいつも綺麗に咲いている。前学期の花の世話係はろくに水やりをしなかったため、花はすぐに枯れていた。学校が休みの日は家に持って帰って水をやっているそうだ。ほのかは枯れかけた花を捨ててしまうことはせず、花びらを自宅から持ってきた飾り皿に浮かべて芸術品ばりに飾ったこともあった。花より団子のクラスメイトたちはろくに注目しなかったが、水に浮かぶ花びらに自分が見とれていたことを乃梨子は覚えている。
乃梨子はフッと笑った。あの地味だが可憐な花びらは、ほのかに似ている。
「これ、使って」
ティッシュがなくなって鼻をすすりながらあたふたとしているほのかに乃梨子は、自分のズボンのポケットからティッシュを差し出した。
『あ、ありがとう、中山さん……』
ほのかはお辞儀をしながらティッシュを受け取って鼻をかんだ。
『乃梨子でいいよ。これから私のこと、名前で呼んでよ』
『え、でも……』
ほのかは困ったような表情をして、小首をかしげて乃梨子の顔をのぞきこんだ。ほのかのその仕草はあどけない幼稚園児みたいだと乃梨子は思った。
『だって私たち、友達じゃない。これから私も藤本さんのこと、ほのかって呼ぶからさ。ほのかも私のこと、乃梨子って呼んでよ』
『……』
ほのかは鼻をかんで丸めたティッシュを握りしめながらうつむいた。黙り込むほのかを怪訝に思って、乃梨子は問うた。
『どうしたの? 私、なれなれしかったかな?』
『そうじゃなくて……』
消え入りそうな声でほのかは言った。
『中山さんにそんなこと言ってもらえるなんて、私嬉しくて……』
『もうっ、さっき私のこと乃梨子って呼んでって頼んだばっかりでしょ! 中山さんなんて他人行儀だよ』
乃梨子はほのかの丸い背中をバシっと叩いた。ほのかが咳き込む。
『あ、ごめん! 私ったら、ついいつも兄貴や弟と話してる時のクセが出ちゃって。大丈夫、痛かった?』
乃梨子はあわててほのかの顔をのぞきこんだ。ほのかは苦笑しながら顔を上げて言った。
『中山さんって、たしかに力は男の子並だね』
乃梨子は少し驚いた。ほのかがこんなくだけた話し方をするのを見たのは初めてだった。
(ってことは、私、この子に友達として認めてもらえだしたってことだよね。相変わらず呼び方は”中山さん”だけど)
乃梨子はにんまりと笑った。
『こいつぅ、言ったなあ!』
乃梨子は大げさに拳を振り回した。ほのかがきゃらきゃらと笑い始め、やがて二人は顔を見合わせて笑い合ったのだった。
あれから四年たったけれど、ほのかの性格はちっとも変わっていない。
変わったことと言えば、二人が中学三年生に進級したことと、ほのかが初恋真っ最中だということだ。
ほのかはふっくらとした頬をピンク色に染めながら、凛太郎を目で追っていた。凛太郎はほのかの視線になど気づかず、明にいつものようにじゃれつかれて、抗議していた。
(よし!)
乃梨子は拳を握りしめた。
意を決して、ほのかのふっくらとした手を取って、凛太郎の元に引っ張っていく。
「の、乃梨ちゃん、何を……」
「あんたの恋のキューピッドになってあげるの! ほのか、凛太郎くんと踊りたいんでしょ?」
「そ、そんな……」
「いつまでも引っ込み思案なままじゃ進展しないよ。清宮くんを狙ってるコはいっぱいいるんだから」
ほのかは乃梨子の言葉に真っ赤になった。だが、いやがっている様子ではない。その証拠にほのかは乃梨子にリードされるまま、自分から歩みを止めようとしなかった。
「り・ん・た・ろ・う・くん!」
凛太郎と明の前に到着した乃梨子は、おどけた口調で凛太郎に呼びかけた。これくらい軽いノリで話しかけた方が、凛太郎もこれから比較的気軽な気持ちで乃梨子の頼みを聞いてくれるだろう。
「何? 中山さん」
明に後ろから抱きつかれていた凛太郎は、明の手をふりほどいてから乃梨子に生真面目に答えた。
(たしかに人気あるの分かるわよね。女の子顔負けに綺麗なんだもん。性格も真面目で人を分け隔てしないし。でも、以前はここまで綺麗じゃなかったような気がするんだけどなあ。もっと普通の男の子っぽかったっていうか。顔立ち自体は変わってないんだけど、なんか雰囲気がガラっと変わったのよね。男にこんな表現使うのって妙だと思うけど、色っぽくなったっていうか。それからだよね、大人気になったのは。以前は明くんの方が目立ってたくらいだもん)
乃梨子は凛太郎の春霞のような姿に見とれながら、クラスメイトがまことしやかにしていた噂話を思い出していた。凛太郎が一気に艶めいたのは、年上の恋人ができて初体験したからだというのだ。乃梨子はセックスどころかファーストキスもまだだったが、凛太郎の変化が色恋沙汰がらみというのはそれなりに納得のいく推測だった。
乃梨子は横目で隣にいるほのかを見た。ほのかは上目遣いで凛太郎を見ては、赤くなってうつむいている。
(ってことは、凛太郎くんには彼女がいるかもしれないってことね。ま、いいか。ほのかにいい思い出が作れれば!)
乃梨子にしてみれば、凛太郎の隣でのんきに自分たちを見やっている明の方が気になる存在なのだが。明は乃梨子の視線に気づいて、ふざけて手を振った。運動神経のいい乃梨子は、明と一緒に体育委員をまかされて行動をともにしたことがあった。
乃梨子に冗談を言ってからかいながら、さりげなく重い体育用具を持ってくれる明にときめいたこともあった。乃梨子がこうして凛太郎と接近を計っているのも、ほのかのためももちろんあるが、凛太郎といつも一緒にいる明ともっと仲良くなりたいという思いもあるからだ。乙女心は案外、計算高いのだった。
乃梨子は少し離れた場所にいる杉原里江を一瞥した。里江は明にあからさまなモーションをかけている女子だった。里江がうるさいので、乃梨子はなかなか明にアプローチできなかったのである。里江は明と仲のいい凛太郎がなぜか気にくわないらしく、凛太郎を困らせて喜んでいる節があった。
だが、最近は実におとなしかった。授業中も担任の弓削先生に態度の悪さを注意されていることもしょっちゅうだったのに、ここのところは真面目に授業を受けていた。制服をマイクロミニに改造したりと、不良っぽさは相変わらずなのだが口数がぐんと減り、落ち着いていると言って良いほどの物腰になったのである。
もう一つの大きな変化は、里江の周りに以前より格段に人が集まっていることだった。以前の里江は自分と同じ不良グループの生徒とは仲が良かったが、その他の生徒には親が実業家であることを鼻にかけている態度などで嫌われていた。今やクラスは凛太郎派と里江派に別れていると言っても過言ではない。
この二つの派閥には違いがある。凛太郎派の生徒たちは、凛太郎の可憐な美しさや、生真面目で優しい性格を慕っていて、常ににぎやかだ。だが、里江派の生徒たちはなんとなく無表情で静かなのだ。落ち着いているとも言えないことはないが、里江を中心にしてどことなく生気のない目で周囲を見渡している姿は不気味だと乃梨子は思っている。しかも、里江派の生徒は徐々に増えていっている。クラスにゾンビのような人間が日に日に増加していく様は、あまり気持ちのいいものではなかった。
乃梨子と親しく言葉を交わしていた隣席の女生徒も、ある日突然、里江の取り巻きとなり、乃梨子が話しかけても生返事しかしないようになった。
(みんな受験にでも悩んでるのかしら。それとも、里江の父親が経営するリゾートホテルの儲けのおこぼれにでもあずかろうとしているとか?)
乃梨子は思いをめぐらせた。どちらにしても、里江がおとなしくなってくれたのは明と親しくしたい乃梨子にはありがたかったが。
乃梨子は気を取り直して、凛太郎に申し出た。
「ねえ、凛太郎くん。ほのかのフォークダンスの練習パートナーになってやってくれない? この子、私がいくら教えても理解できないのよ。凛太郎くんが男子パートやって、一緒に踊ってくれたら、ほのかも上達するんじゃないかと思って」
「べ、べつにいいけど……」
凛太郎は少しとまどいつつも了承した。
「やったね、ほのか!」
乃梨子はほのかに飛びついた。ほのかが林檎色の顔でこくん、とうなずく。
そして乃梨子は自分たちが周囲の女子に嫉妬に煮えたぎる目でにらみつけられているのに気づいた。
「どうしたの? 乃梨ちゃん」
ほのかの笑顔が曇った。乃梨子の顔色が変わったのに気づいたらしい。辺りを見回したほのかのふっくらとした頬がこわばった。
「じゃあ、練習はいつにすればいい? 僕、今日の放課後なら空いてるけど。どうしたの、二人とも?」
自分から視線をはずしている乃梨子とほのかに凛太郎は不思議そうな表情をした。凛太郎は自分をめぐって恋のさやあてが行われていることにまるで気づいていないらしい。
(凛太郎くんって、自分が綺麗だってことにも、人気者だってことにも気づいてないんだろうな。ある意味、天然かも)
乃梨子はきょとんとしている凛太郎を横目で見ながら思った。ほのかはそっと乃梨子の腕にしがみついてくる。乃梨子は苦笑しながらもほのかの手に自分の手を重ねた。
「心配すんなって」
そんな二人の様子に気づいた明が、ウィンクしてささやいた。そのつつみこむような笑顔に乃梨子の頬は熱くなる。
「じゃ、練習は今日の放課後、俺たちの家でってことにしようぜ。いいな、凛太郎」
「べつにかまわないよ」
凛太郎はうなずいた。
ほのかの顔が輝いた。あこがれの凛太郎とダンスの練習ができるどころか、凛太郎の自宅にまで行けるのだ。乃梨子にしてもそれは同じだった。明は凛太郎と同居しているのだから。
周囲のとげとげしい視線は相変わらずだが、勇気を出して良かったと乃梨子は思った。さらにもうひとこえ。乃梨子は我知らずはずんだ声で申し出る。
「じゃあ、今日は私たちと一緒に帰ろうよ」
「もちろんオッケー。君たちみたいなカワイコちゃんとなら」
明がうやうやしく手を胸の前に当てて一礼した。
「カ、カワイコちゃんなんてヤダ、明くんったら!」
ほのかが真っ赤になって、顔の前で手を振って否定する。
「照れるなって!」
明がほのかの目線までかがんで、ニヤつきながら言った。
凛太郎と乃梨子は明とほのかのやりとりを微苦笑しながら見守っていた。
四人の平和なひとときは、とげのあるクスクス笑いで破られた。
「やだあ、明くんったら美的感覚おかしいわよ!」
「そうよねえ、あの二人がカワイコちゃんなんて……ありえないって感じィ!」
二人の女子生徒の言葉に、凛太郎派の生徒たちがドッと笑った。
「やめろよ、君たち!」
凛太郎はうろたえて皆を止めようとしたが、明が肩をつかんで首を横に振った。ここで凛太郎が出てはよけいケンカがひどくなると考えているようだった。
ほのかは真っ青になってうつむいた。
乃梨子はキッと言葉の主の女生徒たちをにらみつける。乃梨子の眼力に彼女たちは一瞬ひるんだが、すぐに気勢を取り戻した。
「何よ、なんか言いたいことでもあるの?」
「べつに。ただ嫉妬ってみにくいなあと思って」
胸をそらせるようにして、出せるかぎりの余裕たっぷりな声で乃梨子は答えた。
「の、乃梨ちゃん」
「売られたケンカは買ってやらないと、あいつらも張り合いないでしょう?」
おびえて自分の腕を取るほのかに乃梨子はささやいた。口笛の音が聞こえた。振り返ると、明が「やるじゃん」と笑いかけていた。千人力のスマイルね、と乃梨子は思った。
明と乃梨子が微笑みを交わすのを見て、ほのかと口論している女生徒たちはますますいきりたった。
「何、生意気な口たたいてるのよ!」
女生徒の一人がつかつかと歩み寄って、乃梨子の頭上に手を振り上げた。
「やめろよ!」
凛太郎が叫んだ。
反射的に乃梨子はかまえを取り、反撃しようとしたその時。
女生徒のその手をつかんで制止する者があった。
里江だった。
青い空の下、長い茶髪をそよ風に揺らしながら里江は女生徒の手首をつかんですっくと立っていた。その姿は、以前の不良少女ぶりからは想像もつかない威厳があった。凛太郎が息をのんだほどだ。明は腕組みをして、興味深げに里江を見つめていた。
女生徒は里江に見据えられ、その眼力に気圧されていたが、やがて我に返った。
「は、離してよ!」
女生徒は里江の手を振り払おうとした。だが里江はビクともしなかった。
「あなたが暴力をふるおうとするのをやめるまで、離さない」
女生徒の手首を里江はねじり上げた。
「い……痛いッ!」
女生徒は悲鳴をあげた。
「大丈夫、マキッ? あんた、離しなさいよ!」
「マキが痛がってるでしょ!」
その他の女生徒数人が駆け寄って、里江に組み付こうとした。だが里江に一瞥されると、彼女たちはそれ以上、里江に近づこうとしなかった。
「痛いでしょ? でも、あなたはついさっきまで他人にこんな痛みを与えようとしていたのよ」
里江が静かに女生徒にささやいた。
「い、痛い……お願い、離して」
女生徒は里江に手首をねじられたまま顔をゆがめて懇願した。
「離してあげなよ、大杉さん」
里江を制止しようとする凛太郎を、明は肩をつかんで制した。
「明、どうして……?」
「もう少し見てようぜ、凛太郎。そのうち面白いことが始まるかもしンねえから」
明は不敵な笑顔を浮かべて、凛太郎に耳打ちした。
「面白いことって……まさか僕と鈴薙の?」
「かもな」
明とともに凛太郎は固唾を飲んで、事態を見守った。
「痛いでしょう。でもあなたの心は嫉妬でもっと痛いはずよね。私もそうだったから」
女生徒の手首を持ち上げたまま、神託を告げるがごとく里江は言った。どこかうつろな目だった。その目に女生徒はいつしか吸い込まれるように見入っていた。
「おい、先生が来たぞ!」
クラスメイトの一人が言った。途端に、里江は女生徒の手首を離した。女生徒の体は地面にたたきつけられた。
だが、女生徒はうめき声ひとつ立てずに陶然とした表情を浮かべていた。
「……そろそろひと騒ぎありそうだな」
明がつぶやいた。不安そうに自分を見上げる凛太郎の頭を明はくしゃくしゃと撫でた。
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