「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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しかたのない蜜
学園ヘヴン 七条×啓太SS
ホームルームが終わる少し前に、その上背の高い人影は啓太の教室をうかがっていた。
「啓太、あれ七条さんじゃないか?」
和希に言われて、啓太は目を向ける。七条はにっこり笑って啓太に手を振った。
「あれって会計部の……」
「女王様のペットだよね?」
啓太のクラスメイトたちが、ひそひそとささやきあった。
銀髪でトリリンガルな七条は、学園でも目立つ存在なのである。
教壇で生徒達に訓話を垂れていた教師が、ざわついてきた生徒たちに眉をひそめた。生徒たちの注目の的になっている七条に自然と目を向ける形になる。
教師は七条をにらみつけた。七条は柔和な笑みを浮かべて、教師に軽く一礼する。
その余裕たっぷりの態度が、教師の神経をさかなでしたようだった。
(七条さん、まさか……)
七条が教室前に現れた時からひやひやしていた啓太は、自分の嫌な予感がした。
「お前たち、静かに!」
七条の様子にクスクス笑いをしていた生徒たちを一喝してから、教師はドアを開ける。
「君、今はまだホームルーム中だぞ。そんなところに立っていられては困る」
「それは申し訳ありませんでした」
七条は頭を下げた。教師はあっさり謝られて肩すかしをくらった体で、七条に尋ねる。
「君は二年生の七条くんじゃないか。成績優秀な優等生の君が、なぜこんなことをしているんだね」
「それは……」
七条は悲しそうに眉をひそめた。
あの七条が、こんな表情をするなんて。
教師と生徒達は、七条の答えを固唾をのんで待った。
啓太はべつの意味で、七条の答えに耳をそばだてている。
「何だね? なやみごとがあるなら、先生聞いてやるからなんでも言ってごらん」
教師は胸を打たれた様子で言った。七条はうなずく。
「はい。僕の可愛い恋人である伊藤くんが、最近僕にかまってくれないので、教室まで迎えに来たのです」
啓太は真っ赤になって、七条の前に立ちつくしていた。
「どうしたんです、伊藤くん? 早くいっしょに帰りましょう」
七条はにこやかに啓太に呼びかけた。
「よっ、ご両人!」
「がんばれよ、学園MVPと女王様のペット!」
クラスメイトたちが、口々に啓太をはやしたてながら去っていく。
和希は少し離れたところで、苦笑しながら二人の様子を見守っていた。いざとなったら助けてくれるつもりらしい。啓太は和希の友情に感涙した。
(せめて七条さんにこれくらいの気遣いがあったら……)
「どうしてそんなにうらめしそうな顔をして、僕を見ているのです? そんな目で見られると、思わずいじめたくなってしまいます!」
「七条さん!」
「冗談です」
七条はふふっと笑った。
啓太は脱力する。これ以上ここにいても、周囲の注目の的になるだけだった。
「もういいです……早く帰りましょう」
七条はふと何かを思い出した顔をした。
「伊藤くん。僕は今日、君をある場所につれていきたかったのですが……」
そうして、制服から私服に着替えた啓太と七条が向かったのは、都心の大きな博物館だった。啓太のために七条はチケットを二枚入手していたのだという。
博物館で行われていた催し物は。
「ぎゃあああ~、助けてー!」
「もう許してー!」
「中世・魔女狩りと処刑の歴史展」だった。
人気のない会場内には、数々の処刑器具に固定された蝋人形たちが本物とみまごう苦痛の表情と血をさらし、会場には臨場感たっぷりの悲鳴がテープで流されている。
啓太は気持ち悪くなって、すぐにここから逃げ出したかった。
「おやおや、これはよくできている」
七条はにこにこと笑いながら、蝋人形の一つ一つに立ち止まって啓太に解説する。
啓太は楽しそうな七条の気分を害するのも悪い気がした。
それでも残酷な拷問器具と蝋人形たちは見るに堪えない。
顔面蒼白になりながら、機械的に「そうなんだ、知らなかったです」をくりかえす。
七条はふと、鋼鉄でできた人形の前で立ち止まった。
「この拷問器具は血の乙女と言って、犠牲者を針でつきさした後、すぐに血が地下に流れ出すしくみになっていたのですよ。あまりに中世では魔女の疑いをかけられた人間が多いため、なるべく死体処理の手間をかけないシステムになっていたのです」
「そんな……ひどい」
啓太は背筋が寒くなる思いだった。
「何がひどいのですか?」
七条がおだやかなまなざしを啓太に向ける。啓太は答えた。
「だって、それじゃまるで人間がゴミか何かみたいじゃないですか。同じ人間同士なのに、そこまで人を傷つけられるなんて……ひどすぎる。俺、信じられません」
「……伊藤くんは、皆に愛されて育った人なのでしょうね」
七条は静かな声で言った。
「そんな……俺はなんのとりえもない人間で、愛されてなんか……」
「いいえ、あなたにはたくさんのとりえがあります。そのひとつは、素直で人の心をなごませるその性格です。そんなあなただから、人が人をものとしか思えない悲しい状況が理解できないのです。自分と違うというだけで、その相手を人と認めない悲しい人間も、この世にはいるのですよ。魔女狩りをした人たちは、きっと魔女の疑いをかけられた人間を自分たちと同じ人間と思えなかったのでしょう」
淡々と語る七条の青い瞳は、透明な悲しみの色をたたえていた。
「七条さん……」
啓太はそっと、七条の大きな手を握った。
「明日は授業は休みですから、今夜は僕といっしょに過ごしてくれませんか?」
寮部屋のドアの前でそう申し出られて、啓太はついにこの時が来たか、と思った。
この時が来るのが怖くて、啓太は七条を避けていたのだ。
「いやですか?」
七条は微笑しながら訊ねた。どこか悲しみがにじんだ笑顔だった。自分などは必要とされなくて当然だから、こんなことは笑ってやり過ごせるのだ、と言っているような笑顔だった。
七条のこんな笑顔がつらくて、啓太はかぶりを振る。
「いいえ。いやじゃありませんーーーー俺の部屋に、来て、ください」
「ありがとう、伊藤くん」
七条の微笑みが明るくなった。啓太はそれに安堵しつつもおびえながら、七条を自室に迎え入れる。
部屋の明かりをつけ、啓太は七条から目をそむけるようにして言った。
「七条さん、何か飲みます? 会計室みたいにはいかないけど、インスタントコーヒーくらいなら……それともお菓子でも食べますか?」
「ええ、僕専用スィーツを。伊藤くん」
啓太があっ、と思った時には、七条は啓太のあごをつかんでくちづけていた。
舌が器用に歯列に割り込んできて、啓太の口内をかきまわす。上あごをなぶられているうちに、ぞくん、と背筋が震えて啓太は思わずこもったあえぎをもらす。
七条はあやすように笑いながら、啓太の着ていた衣服に手を入れた。
「やだ……怖い!」
啓太の小さな叫びを七条は聞き逃さなかった。
「怖い、ですか?」
七条は啓太から体を離して言った。その青い瞳にはとがめだてする光はいっさい浮かんでいなかったが、それがかえって啓太の罪悪感をそそる。
「はい……怖いです」
啓太は真っ赤になって、目を伏せながら答えた。
泣きそうになる啓太を、七条はふふっと笑いながら肩を抱いて、ベッドに座らせる。そして自分も傍らに腰をおろした。
「伊藤くんはキスより先に進むのが怖くて、僕を避けているんですよね?」
啓太はこくん、とうなずいた。涙が頬を伝って流れる。
「ごめんなさい……」
「どうして謝るのです? 決めるのは君の権利ですよ、伊藤くん」
「でも、七条さんは俺を抱きたいんですよね?」
「はい、とても」
七条は深くうなずいた。ひどく困った顔をする啓太を安心させるように肩を抱く。
「でもね、僕は君がいいと返事をくれるまで待つつもりです。だって伊藤くんの体は、伊藤くんのものなんですから。どこかの無粋な生徒会の人間と僕とは違います」
「その無粋な人って?」
「そんな話はどうでもよろしい」
七条はにっこり笑って、啓太の顔をハンカチで拭いた。「はい、チーン」と鼻までかんでやる。
啓太は七条の自分につくしてくれるその様子が悲しくてならなかった。
だから思い切って告げる。
「俺、七条さんのことが好きです」
「僕も君が大好きですよ、伊藤くん」
啓太は即答する七条に赤くなった。
「あ、ありがとうございます……」
「こちらこそ、伊藤くんと両思いになれて、とても嬉しいです」
「は、はい……」
ゆでだこのような顔になってうつむく啓太に七条はとろけそうな笑みを浮かべた。
しばしの甘い沈黙の後。
啓太は覚悟を決めたように顔を上げた。
「でも、それでも俺! 七条さんと……するのが怖いんですっ!」
「なぜですか?」
「よ、よくわかんないけど……」
啓太はしゃくりあげた。考えがうまくまとまらない。七条の悲しそうな顔をこれ以上見たくない。七条の笑顔の裏にひそむ様々な表情に啓太は気づき始めていた。
そして、ひどく傷つきやすく、愛を求める七条にも。
だから啓太は、自分の心と体の両方を七条にあげたいと思っている。
でも、でも。
怖いのだ。
七条がベッドから立ち上がる気配がした。
啓太は七条が業を煮やして去っていってしまうのかと顔を上げる。
「もう少し、下を向いていてください」
おだやかだが、きっぱりとした調子で命令されて啓太は言われた通りにした。
衣擦れの音がする。
「もういいですよ」
顔をふたたび上げると、そこには白い彫像がいた。
月上がりに照らされて、七条は全裸で啓太の前に立っていた。
七条はさすがに恥ずかしそうにしながら、啓太に語りかける。
「君が僕を怖いと言うなら、僕のことを知ってもらおうと思いまして」
啓太は夢の中のできごとのように七条の裸体を見つめた。
今日見た蝋人形よりも透き通っている白い肌。乳白色の皮膚の下には、細いが芯のしっかりした筋肉が見て取れる。優美さと男らしさをあわせもった肉体だった。
「変ですか?」
七条は微笑みながら言葉を続ける。
「純粋な日本人男性とはずいぶん違うでしょう? 子供の頃はこれでいろいろいじめられましたからーーーー伊藤くんがおびえてしまうのも、当然かもしれませんね」
「そんなことないです」
啓太は七条の青い目を見据えて言った。七条の瞳が驚いたように細められる。
「七条さんは、綺麗です」
「僕が、綺麗?」
「ええ、とっても……こんな人が、俺の恋人だなんて嬉しい」
啓太は七条に微笑みかけた。
次の瞬間、啓太の体は七条の裸の胸に抱きしめられていた。
七条の鼓動が、啓太の耳を打つ。
「ごめんなさい……怖いでしょう?」
「え……まあ、ちょっと……」
「でも、今だけ、少しの間だけ、こうさせておいてください。君がいとおしくて、たまらないから」
啓太は七条を見上げた。七条はしみいるような笑みを浮かべて啓太を見つめていた。いつもの笑顔とは違う、心からの笑みだった。
月光が歩み始めたばかりの恋人たちをやさしく照らし出していた。
あまりにも七条×啓太への愛が強くてつい書いてしまいました。
あんまり七×啓ってないような気がするんですが……。
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