全749件 (749件中 1-50件目)
そういうものを確実に今回の民主党と自民党との彼我だけでなくて「見えない」部分にこそメディアの本音を垣間見た気がした。なにせ自民党のネガティブ・キャンペーンに黙った儘だったのだから。いったいメディアは何のために存在しているのかを不作為で明示した。ワシントンポストに鳩山兄を牽制させる記事を載せたのもオバマ政権のブラフであるし、26日の訪米を前に電話会談を持ちかけたのも「ブレ」を早く引き出して新政権の脆弱さを暴露したいからに他ならない。「できないことはない」という駐日米国大使のセリフ通りだ。
September 2, 2009
コメント(1)
31日の帰り京成車内で毎日新聞の見出しをチラリと見た。「308」という数字が見えた。事前の「320」だとかには届かなかったが小選挙区と比例代表区の並立選挙制度というものの怖さを今回の選挙は鮮やかに見せてしまった。こんなに勝たせて良かったものか。そして連立を組む相手方の社民や国民新は現職が落選し現状維持がやっとの状態では何とも心もとない。いくら自民や公明が票を減らしても、共産を含めた民主以外の政党が議席を増やせないのでは逆に日本経団連や霞が関の思う壺なのではないかと危惧する。東京では有田(新党日本)と保坂(社民)が落選してしまった。どんなに得票しても落ちる。そして自分の得票が少なくても当選をする。この矛盾が何ともいえない違和感を与える。これで比例議席削減をしたら大変なことになるということが明白な事実をもって示された。
September 1, 2009
コメント(1)
あわやセントレア(中部国際空港)へ着きそうになったが何とか成田へ到着。使い残した紙幣(ズオティ)を再両替して京成に乗る。今回もオイロは9ツェントしか残らず。前回の9コペイカとの偶然にも何かの巡り会わせを感じる。残る外貨はポンドとUSドルとなった。さすがに2年連続で国外旅行は財政的には大出費となった。ここらで倹約しないと今後の生活にも支障が出る。そんなことを考えながらスカイライナーにも成田EXPにも乗らず夕暮れの帰宅ラッシュに顰蹙を買いながらスーツケースを抱えて無事に帰宅したのだった。
August 31, 2009
コメント(1)
日曜に土産物屋の大半も休み。当然に百貨店も休み。これがドイツ。ちょうどケルン最後が日曜だったのを忘れてた。さすがに最終日は各自分かれ行動することにした。もう少し前に別行動をとり入れていたら少しストレスも減ったかも知れない。これは後知恵だけど。とりたてて何かを見るとも決めていなかったので2時間くらい宿から歩き回って後は駅の周辺をウロウロして時間を潰した。こういう時ジャーマンレイルパスのツインパスだと勿体ないなあと感じる。なかなか個人旅行では事前にキチンと計画を立てないとロスも出る。ペットの500ミリリットルもリサイクル対象なので駅構内のスーパーにホームレスがホームから集めたボトルを持ち込んでくる光景を何度も目にした。ポーランドといい、ドイツといいトルコ系労働者がケバブを食らう一方、職にあぶれる地元の人間の存在が目に付いた。やはり呑気に観光だけという気にはなれなかった。きっと今の日本が歩む道の一つには外国人労働者の大量受け入れが待ち構えているし現実にそうした方向へと徐々に舵が切られ始めている。日本に一千万人以上の外国人労働者が来る可能性を感じていた。ケルンからフランクフルト空港へはライン川の眺めもないICEで移動。しかし空港は広い。というか成田が小さすぎるのか。結局、最後も身包みチェックされて出国。やはりテロが身近にあるドイツでは仕方がないとはいえ「911」後のEUには見えない緊張感がある。
August 30, 2009
コメント(1)
午前中は大聖堂に登る。たしか15分おきに鐘が鳴る。そういえばクラクフでも聖堂と消防の櫓とが建っている建物で時間になると消防隊員がラッパを鳴らしていた。なんとなく大聖堂を登りながら、奈良か京都の寺社仏閣で似た様な塔に登った記憶が漠然と蘇えった。昼の前後にケルンからレバークーゼンへと移動。駅のロータリーとは反対側を20分くらい住宅地やら公園やらを抜けていくとバイ・アレナのスタジアムが姿をあらわす。まだ開場の時刻まで時間があるため通り向こうのマクドナルドへ入って時間をつぶすことにする・・・。試合開始の2時間くらい前に開場。場内で飲食物を買うには予めICカードを5オイロにて購入しスタンドでチャージするという面倒臭いシステムが採用されてる。最初は10オイロ分を全部チャージしたものと思い込んでいたら随分とボッタくられるシステムなので閉口。席は東側の中央南寄り。試合開始の1時間から30分前くらいになるとドッと混んで来る。対する西側の向こう正面は思っていたよりも混んではいない。25000人前後収容という比較的コンパクトなスタンド。グッズ販売は西側のスタンド下に店があるらしい。(相方談)試合は、先にボッフムに先制されたものの前半の終了間際に追いつき、後半で11番が得点し2-1でレバークーゼンが勝った。帰りの駅ホームに警官が詰めて負けたボッフムの連中がレバークーゼンの連中を挑発すると即座に応援を呼び制圧していたのだった。ケルンに戻り昨晩と同じ店で晩飯。また豚肉料理を注文。これで旅程の大半は消化した。
August 29, 2009
コメント(1)
朝メシになって漸く日本人の団体に遭遇。近くを散歩しても日本人だらけ。ケーブルは9時半からなので10時過ぎのライン下りに乗る。ここでも日本人だらけだ。1時間半くらい乗船して下りていった。この時点では、まさかコブレンツに下りると不便だと気づかなかった。なにせタクシーをあてにしていたのに見当たらない。けっきょくバスターミナル近くまで歩き(スーツケースを引きづりながら)タクシーを捕まえてコブレンツ駅へ。コブレンツからICに乗るも席が見つからず車掌に相談。ほどなく席を見つけてもらう。1時間あまりでケルン。たしかに池袋西口に似ていなくもない。とはいえベルリン350万、ケルン85万という規模だから横浜や堺に近いのかも知れない。宿に着き、大聖堂を横目にしながら晩飯場所を探す。河岸の店で魚のスープだけ頼む。さすがに4時間の船と歩きとで草臥れていた・・・宿に戻りメンヘングラードバッハの試合を観ようとしたが通常のテレビで中継していない。アメリカの大リーグみたいに「満員にならないとTV中継しない」といったことなのだろうか。ともあれ成田の前泊から数えて7日間。前回のロシアと同じ様に疲れは相応に溜まった。
August 28, 2009
コメント(0)
やはりコトバの不自由さは辛い。26日の夕方、相方が先にシャワーを浴びるとベッド・ルームの床まで濡れたので好い加減に嫌になった。フロントに行く気力も湧かず電話で伝えようとも本来は無理があるのだけど何とか伝えようとして伝わらず。見かねた相方が英文をメモしてフロントへ。ほどなくして排水のつまりは解消したが。これでも旅程は未だ半ば。それに比べると出発までの準備と前半の道中で大分くたびれてしまっていたのか。翌朝もブランデンブルク門までタクシーで行くまでは良かったが連邦議事堂から暫く30分も相方が次の見学先を思案しているのには正直な所ブチ切れていた。よって中央駅へ移動するまでの記憶があまり残っていない。中央駅へ着く。昼飯を食う気がしない。たぶん相当に午前中の不愉快さが続いていたのかも知れない。昼過ぎホームへ移動。ICEに乗る。スーツケースが大きすぎ棚に乗せられない。それでも2等でなく1等だから何とか通行できる程度には置けた。やはり鉄道の旅には相応の荷物にまとめないと不便なんだなあと再認識する。ICEはハノーファーを経由せずにフランクフルト・マインへ向かう。すこし昼下がりの午後をウツラウツラとしながら過ごす。フランクフルト・マイン25番線は高崎の八高線ホームみたいに随分と駅の中央から先にズレテイル。やはり行き先のリューデスハイムはローカル線なのだ。1等席といっても各停で座席指定もなし古びた車両。ビースバーデンまで小一時間はノンストップで走る。これで各停なのかと訝る。ビースバーデンからはこまめに幾つかのビースバーデン何とか駅に停車する。そうこうしているうちにリューデスハイムに近づいてくる。夕方のリューデスハイムには既に店先で一杯やっている連中が賑やかだった。宿は店の2階になっているスタイル。つぐみ横丁をウロウロして店に入り晩の9時近くからの夕飯。豚肉料理を食べる。相方は量の多さに降参していた。何か別のものを頼もうと相方が「メニュー」と喚いていたらビールが二つ来た。彼は「違う」とも抗弁せずに無理して飲んでいた。やはり田舎町で「メニュー」と喚いていたら「同じのもう一杯」くらいに聞こえるのだろか。
August 27, 2009
コメント(1)
ベルリンの宿にもPCがあった。けれど日本語が読めない。おまけにキーボードがドイツ語対応でアルファベットの一部スペルを打ち込めない(というか打ち込み方がわからない)。相方は甲子園の結果が気になっているらしいが日本を離れるということはそういうことだ。朝4人で日本人ガイドと一緒にポツダムへ向かう。サンスーシは一般見学が込み合うとのことなのでポツダム会談の舞台となった場所を先に見学。スターリンの意気軒昂さと英米の首脳達(チャーチル→アトレー、ルーズベルト→トルーマン)の冴えない表情とに冷戦の雰囲気を感じる。この雰囲気を当時の世界各地で人びとは如何に解釈したのだろうか。サンスーシを見た。7年前に見たフランスのヴェルサイユと比べると小さく感じる。ロシアでもクラクフでも感じたことだがドイツも深層心理ではフランスやアメリカに対する憧れやコンプレックスを持っているのではないか。それは日本であっても例外ではないのだけれど。昼食後、再びベルリンへ。壁博物館の展示を見る。どこでも同じだがリアルなものを見ずして観念的になると人は認識を誤る。いまやドイツでも若者世代は「壁は西側が築いた」と考えている割合が相当程度に達してると言う。現在の不満は容易に歴史を塗り替える。先発隊は宿へ先に戻るも相方はユダヤ博物館へ行きたいという。疲れていたこともあり入館時のセキュリティ・チェックにポーランド出国時の不快感が蘇えり、あげくにはガイド・レシーバー貸与に身分証明書を預けろと云われてキレタ。当然レシーバは借りなかった。おまけに入館時に「上着のジャケットを着ろ」などと命令してくる。この相手に対する極度の不信というか彼ら金持ち階級の傲慢さみたいなものを(とても曲解しているだろうが)私個人としては感じた。そして、この不愉快さから多分もめごとは生じてるのだと了解した。晩はクーダムへ向かった。UバーンもSバーンも何となくビクビクする。それにしても鉄道の運賃が高い。おそらく相当な無賃乗車があるのだろう。それにしても日本語メニューで注文するのは何とも味気ない。まあ酒を飲む分には何でも食えればいいという気もする。
August 26, 2009
コメント(1)
すこしはノンビリしたい気もするが相方には通じない。この日も朝から精力的に動き出した。タクシーで旧市街の郊外へと移動。ユダヤ人のゲットー等を巡る。その後、昼食を経て美術館へ。すこし早めに宿へ戻り空港へ。ポーランドもロシアと同様に軍服を着た連中が荷物検査。南京錠ワイヤー所持のため身包みチェックされる・・・テーゲルへはボンバルディア(プロペラ機)で移動。ポーランドの平野を眺めながらドイツ・テーゲル(ベルリン)を目指す。だんだん風力発電の風車とサッカー場が見え出すとドイツに再度、入ったことを実感する。それにしてもテーゲルへの着陸の間際の景色というのはヒースローや福岡みたいに街中に突っ込んでいくような感じだ。空港からタクシーで宿へ向かう。30分30オイロくらいで宿に着く。タクシーで宿の前に着くと偶然にも先発隊の二人が買い物を抱えて宿に戻ってくる所だった。だいぶホッとした。しかし相変らず宿にツキがないらしく部屋はバスタブなしでシャワーの排水の抜けが悪い。ようやく洗濯機と乾燥機で少しは気をなだめられる感じである。先発隊の彼らは21日の朝にJRの成田EXPで空港へ向かいフランクフルト・マインからトリアーへと移動し、順次ケルン、オスナブリュックと連日の移動を経て24日の晩にベルリン入りをしていた。今から思えば4月の時点で結果的に別行動となったのは良かったのかも知れない。連泊なしの移動の連日は相当ハードだったはずだ。とりあえず彼らが昨晩も訪れたイタリアンの店で晩飯。店の人はイタリア人らしく調子よ~くオーダーを薦める。昨晩のピエロギ・ショックを払拭するかの様に比較的、食べた。相方もパスタなら外れがない等といっていた。先発隊の一人いわく「ベルリンは銀座、ケルンは池袋西口」だそうな。たしかに銀座にベルリンは似ている。
August 25, 2009
コメント(1)
<8月22日>結局モタモタと荷造りをした挙句にPM8:45頃に自宅を出る。移動途中で前泊の宿への到着がPM10:00以降になる場合は連絡しないと予約キャンセルになることに気づき電話。千葉へ着くものの成田空港方面への電車は既に運転を終了していたためタクシーで成田から前泊の宿へ。<8月23日>AM0:00頃に前泊の宿へ。AM1:00頃に就寝。AM5:00頃に起床。AM6:00頃に朝食を取りAM7:00発の空港行きバスに乗ろうとスーツケースを持ち1Fへエレベータで着きロビーに出ようとしたときにスライド式の取っ手が抜ける。空港カウンターで預ける前にテープで固定などし処置。AM7:30頃にチェックイン手続。なぜかビジネスカウンターへ誘導されてビジネス席に5万円程プラスして変更しないかと薦められる。当然ながら断る。AM9:15頃から搭乗手続。成田出発。現地PM2:00頃(日本PM9:00頃)フランクフルト(マイン)到着。入国審査の男性係官は隣のブースにいる同僚と何か冗談を交わしながら如何にもアジア系の気の弱そうな奴には嫌みったらしく質問をしている様子で彼は戸惑いながら旅程表を差し出していた。これがドイツの第一印象。何となくムカついたので一方的に「観光」で「ポーランド」に行く旨だけを片言の英単語(??)らしきもので言い切りスタンプを押させる。これで気が緩んだのか次の乗り継ぎ前の荷物検査を前に電話用のプリペイドカード自販機に50オイロを入れたが釣が出ず50オイロ分も購入・・・しかも公衆電話から上手く使えない。止む無く1オイロ硬貨を入れ実家に電話するも日本PM10時半。悲しいかな留守電のメッセージ。残りの通話時間10秒を切り「何で出ないんだバカ野郎」と叫んだ瞬間に通話終了。きっと未だ身体感覚は日本での時間を刻んで疲れもピークなんだ。現地PM4時半頃にフランクフルト(マイン)出発。120人乗り位のジェットで現地PM6:00頃にクラクフ到着。空港から約200メートル先にあると云われた(実際の表示もそうなのだが)クラクフ市街へのシャトルに乗るため約500メートルはありそうな道のりを不安な気持ちで進んでく。なにせクラクフの到着ロビーに着いた瞬間から添乗員のいない状況を実感。おまけにタクシー乗り場にも怪しい人の群れを見て大いにビビッた。シャトルに乗り込み何かから逃げ込んだ様な気がしたのも束の間だった。クラクフ駅についてからも駅近くのホテルがわからないのだ。とりあえず人が多く行く方へ移動してから訳がわからなくなった。どんどん地図上のホテルの位置から遠ざかっていく。相方が無神経にも駅から出た辺りで地図を広げだすものだから近くに居たオヤジがノコノコ近づいて来やがる。面倒なので「ノー、ノー」と追っ払ってしまう。自分も方向オンチなので相方に強く異議を訴える自信もなく1時間近くが経過。なんで駅から徒歩5分の宿が見つからないのか。答えは一つ。駅の反対側に出たからだ。さすがに現地時間PM8:00過ぎ。日も暮れた。相方はスーツケースを残して20分も戻ってこない。やっと宿着・・・宿に着いてもトラブルは続く。部屋のスイッチを入れた所いきなりブレーカが落ちた。相方はバスルームにて脱糞中だったドアが内側からロックされてしまった。慌ててフロントへ行って見に来てもらう。天井裏のブレーカを入れ直すも暫くして再びブレーカが落ちフロントへ・・・さすがに三度ブレーカ落ちたら部屋を変えろと云った。どうやら部屋のスタンドが原因だったらしい。しかし相方がバスタブで洗濯したTシャツを干したから漏電したのか元々スタンドが故障していたのか定かではない。その晩は風呂に入る気力もなく寝入ってしまったのだった。<8月24日>AM5:30頃に目が覚め風呂に入る。AM6:30頃に一人で先に朝食をとる。1Fフロアの照明が時折、暗くなる。日本に比べて電圧が高いからなのか。小一時間して部屋に戻ろうとしたらPC発見。日本語のHPが読める。ただし日本語のフォントで書き込めない。ローマ字風にブログ更新・・・AM9:00頃にロビーへ。現地の日本語ガイドと合流。タクシー借上げでオシフィエンチムへ移動すること約1時間。普通は90分かかるそうなので運ちゃんの性格がわかる。ガイドは10年前に大阪外大と東洋大で芥川龍之介を研究しに来日したことがあるという。話してて違和感なし。AM10:00頃にオシフィエンチム到着。アウシュビッツ見学は15時半前の場合、施設のガイドを別に依頼することになるそうで施設ガイドが話すのを日本語ガイドが通訳する形で3時間程、見学。ユダヤ人の修学旅行先だそうで日本の広島・長崎や沖縄と同じ様に見学者が多数いた。恥ずかしながら広島と長崎の原爆資料館は訪ねたことはないが忌まわしい出来事を風化させず形として残すことの大変さというものを少なくとも彼の地で再認識した。たしかに観光として日本人が広島や長崎あるいは沖縄での戦争の傷跡を推奨しないのと同じことだと納得できた。とはいえ二次的な資料に接するよりも「百聞は一見にしかず」である。この何とも云えぬ後味の悪さが戦争の持つ忌まわしさのリアルさであり本質なのだと実感する。ビルケナウ見学前に昼食という代理店での説明だったが昼飯を合間に食らうという気分には流石になれなかった。再びクラクフへ戻り昼食後、旧市街地をガイドしてもらう。マンガ博物館に勤める彼女は休館日の月曜はバイトでガイドをしているという。ワイダが自らの賞金を江戸時代の浮世絵マンガコレクション(これはワイダでなく当時のコレクターの収蔵)の収蔵のために立てた博物館。バベル城からマンガ博物館の建物を眺めた。ドラゴンが街の守り神らしく火を吹くオブジェも河岸あたりに見える。そしてヤナギの木も。ここら辺りの印象は少なくとも事前にポーランド関係の本などでは得られなかった部分か。ここクラクフの繁栄の歴史を端的に物語っている。まだ昼食から時間が経っていなかったが5歳のお子さんが居ると言う話を聞き早めに夕食場所へ案内してもらいポーランド語でナプキンにオーダーを書いてもらいガイドとは店で別れた。ピエロギを注文したが具が白い方はイマひとつ味があわず量の多さもあって残してしまった。
August 24, 2009
コメント(1)
22nichi-ha,hotel-ni zenpaku.yoku-23nichi-ni,narita-kara,shuppatu.yatto,polando-ni,tuita.
August 23, 2009
コメント(4)
旅と人生は似てる気がする。どちらも自分の思うままには行かない。自分だけでなく他者の影響を少なからず受け、しかも様々な制約条件から選択していくことになる。換言すれば「決める」こと即ち決断の連続とも云える。たしかに主要紙の一面に「民主300議席」と書かれると社民や国民新党は穏やかで居られないだろう。けれど参院に居座ったままの党首を擁する社民が国民的な政党としての本気度が疑わしい、と思われても仕方ない。たぶん自民党に決定的に作用したのは民意との反比例した自民党のKY度である。責任を謳いながら無責任に公約を掲げ、目前の新型インフルに対して一ヶ月の現状把握を放置した姿に有権者の多くは怒っているのだ。
August 22, 2009
コメント(1)
新党日本のことである。田中康夫が兵庫8区に出馬した時点で比例名簿に従い有田が繰り上げ当選となることは決まっていた。それを今の時点で急に出馬取り下げなどと云いだすことは有権者に対する背信行為である。この東京都の比例に「新党日本」と書いて投票した期日前投票者の人たちの気持ちを考えているとは思えない。おそらくは田中自身が冬柴の強烈な選挙戦に漠然と「共倒れ」の危惧を抱き始めたのだろか。バカにしている。そう考えると口先でいくら理路整然と喋くられても何一つ人間味を感じない背景には極端な打算が表面に出すぎてる彼の性格があるかもしれない。あの長野県知事選のときと同様の結末が9月には待っているのだろうか。
August 21, 2009
コメント(2)
さすがに北海道よりも北の緯度だけあってポーランドの天候は最低気温が10度を切る日もありそう。かたやドイツの天候は最高気温が30度を超えたりする。この気温差をどのように調節するか。やはり登山用具がいいか。スポーツ店に行くとパンツが2千円もする。洗った後の乾きやすさを考えると沢山トランクに入れるよりも良いのかもしれない。たしかに使い捨て型の数回は手洗い可能なタイプもあるが心理的には前者を選びたい気がする。どうも過去に5月のロンドンを訪ねた際に直前の情報として半袖OKという読売観光のガイダンスを真に受けたらヒースローでは11月の天候だった。おかげで風邪を引き、クスリなしで数日を何とか乗り越えた記憶が蘇るな。
August 20, 2009
コメント(1)
きのう衆院選及び国民審査のハガキが届いた。そのハガキには23日以降でないと国民審査の期日前投票はできないと書かれていた。しかし23日の朝には千葉から飛び立ってしまう。そういう訳で今夕に不在者投票へ。しらばっくれて比例代表の投票前に「なんで国民審査に投票できないのか」訊ねたら、「きのう告示されて(?)間に合わない」と要領の得ない返事が。よほど「不服申し立てをどこにすればいいか」とゴネたくなったがやめた。不在者投票前に図書館で借りた「黒い手帳」裁判全記録(講談社)を読む。まるで国民審査をできずにハガキを回収されたのと似たように、矢野氏は池田氏の指示で、このような目に遭いメディアは沈黙している。絶望的だ。
August 19, 2009
コメント(1)
衆院選の公示を待っていたかのように駐日アメリカ大使がやってくる。彼の任務は日米FTA交渉そのものである。その核心はコメのフリー・アクセス。おそらく小沢も鳩山兄と同席でシーファーからFTAの件をキツク云われた。もう日米安保は軍事レベルで事実上、日本の自衛隊が米軍をガードする事が当たり前となった。だから今後はツベコベいう必要もない。むしろ米国としては農産物を日本に売りたい。BSE問題もチャラにし何でも売りたい。おそらく輸出主導型の産業構造を維持したい日本経団連と霞が関そして米国の意向は見事に一致している。だから民主党は逆らえない。個別保障は第2のウルグアイ・ラウンドであり、農水省とJAも大喜びなのだろう・・・。
August 18, 2009
コメント(1)
いまや日本国民の7人に一人は創価学会員だという。だから国政にも一定の割合で代表が参画することは不思議なことではない。しかし「そうだ総理に相談しよう」という青年部のポスターに、これは如何なものかと思った。この10年間すくなくとも平均ベースでサラリーマンの収入は実質的に減りマイナスとなった。これは公明党が自民党と連立を組んだ10年間の真実である。こんな酷い政治に手を貸し続けた責任を誰も問わないのは何故。ましてや野党時代に池田克也や田代が逮捕されたクセに清潔な政治もクソもあるか。代表の太田には「厚顔無恥」という四文字熟語が似合う。まずは「自民党の体たらくは私達でも何ともならなかった申し訳ない」が先では?
August 17, 2009
コメント(1)
この国では依然として旧内務官僚の末裔がデカイ顔をしている。北海道の町村某も岐阜の古屋某も山口の高村某も鹿児島の保岡某も。そう群馬の中曽根某も。クローンでないコピーはコピーを重ねるたびに劣化していく。ものごとが一つの行き詰まりを示すと物事のとらえ方は実に観念的なものとなり現実そのものを見なくなる。すくなくとも平時においては、コトバから腐っていく。コトバが物事の本質を指し示さなくなり形而上の体裁を繕う。景気が回復したら消費税率を引き上げると云う傍らで景気はなかなか回復しそうもないから消費税率の引き上げは直ぐではない等とノタマウ時点で、ああコイツ好い加減でデタラメだなあと感じない方が余程、重症だと思う。
August 16, 2009
コメント(1)
また三宅民夫である。たいてい彼の司会する番組にはNHK幹部が予めプロットというか事前の刷り込みが行なわれていて「酷い」こと、この上ない。この日も、やはり「日本は核兵器を持つべきか」といった終戦記念日と思えない醜悪極まりないプログラムが垂れ流されていた。パネリストに「帝京大学教授」という肩書きで志方が入り、一般の視聴者の代表(?)として元自衛官が、とても「一般」的とは思えない見解をほとんど詭弁めいた発言として繰り出していた。まるで麻生の「核の傘」を「本音の所では皆、肯定しているんじゃないの?」と云う風に番組は物語っていた。とどのつまりNHKの「改革」とは、このように「骨抜き」してしまうことだったのだ。あれだけ他国が核兵器を保有することに対し神経質な米国が本気で日本に核兵器の保有を求めると考えてるのだろうか。それこそ呆れる。
August 15, 2009
コメント(1)
まあ当日朝に成田へ行けなくないが自分でチェックインすることを考え空港近くに前泊とした。よって延べ11日の旅となる。これまでで最長の旅だ。帰って来るときは衆院選の結果を機内のニュースで知ることになるのだろう。さきに慎太郎がドイツ・ポーランドへ出かけた。しかもベルリンの世界陸上である。ちょうど世界陸上の後にベルリンへ行く。くれぐれも慎太郎が余計な発言をして現地で顰蹙を買うようなバカな真似をしないことを祈るだけ。やはり洗濯しないと荷物が際限なくなるだろうな。こういうときは個人旅行の方がいいのだけど。やっぱり旅は独りの方が楽でいい。まあ今回だけは仕方がない。とにかく余計なストレスを極力、溜めない旅であって欲しい。
August 14, 2009
コメント(3)
8月9日の地震があった時は、「さくら水産」の3Fにて飲んでいた。ちょうど立っていたので直ぐに地震だと思わず、酔っ払って足元が変なのかと思いかけていたら揺れが長く、周囲も地震だと騒いだので漸く地震と気づいた。8月11日の地震があった時は、自宅の3Fで寝ていた。なんか変な音がし突然、揺さぶられて、怖くて起き上がれなかった。もっと揺れが酷くなったら逃げた方が良いのか正直な所、非常に迷った。なかば金縛り状態だった。11日の朝は台風がどうなるかと気懸かりだったが地震で何だかパニックになった。9日と11日の震源地から察して「13日に浅間山で噴火する」と予想していたら八丈の沖で地震。この位置だと15日の東京湾が危ない。
August 13, 2009
コメント(1)
田中と云うヤメ検が朝のTV番組で不起訴になるとの見解を示した途端に大谷などから批難を浴びせられていた。昼のTV番組で別のヤメ検が朝の模様を見ていたかの様に起訴こそが「一罰百戒」みたいな感じでコメント。ここ最近メディアの意図的なミス・リードの端緒を幾つか垣間見てきたが、「道州制」の欺瞞並みに今回の件についても何とかサイドからの援護射撃的な意図が見え隠れしている。週刊現代の予想記事が衝撃的だとしても。通販業界と芸能界と政界の間に如何なる接点が存在していたのだろうか。芸能人の事件の揉み消しが常態化していることを草薙の件は世間に印象づけたがプロダクションの危機管理能力はともかく防衛本能には舌を巻く。
August 12, 2009
コメント(1)
この日本という国は虚勢を張るクセがある。それは本質的にピョンヤンと変わらない。むしろピョンヤンは、戦前の日本のそれと実によく似ている。つまり戦前の日本は、依然として現在の日本の中に受け継がれている。麻生の胸につけられた青いリボン・バッジは皮肉にもピョンヤン労働党のバッジに似ている。彼も平沼も拉致議連の連中は誰一人として本気で拉致問題を解決しようとは考えていない。ただ選挙の看板に使えると考える。ビルと会い満面の笑顔を見せていた将軍の倅。つまり6か国協議など何の役にも立っていない。ピョンヤンは大国と互角に外交を演じられることに唯一の国の存立基盤を見出している。本気ならば選挙前に連れ戻してみろ。
August 11, 2009
コメント(1)
この出来事はボディー・ブロー的な効果として民主党側にマイナスに響く。どんなに自民党や公明党がゴネた結果だとしても。やはりのび過ぎた戦線をいかに守るかという点で民主党は徐々に失速し始めているのが見える。ネガティブ・キャンペーンというもがのはインパクトを容易に得られる。だから余程の反撃を用意できないと相手に飲み込まれる。これからの2週間で政府広報がバンバンと新聞やテレビ・ラジオで流される。これに抗えるか。それに加えてテレビ・新聞の政治部が社会部を潰しにかかる。そうやって自分たちの既得権を日本経団連と霞が関とともに何とか維持しようとするだろう。これからの数週間に彼らがどんな論理を振り下ろすのか注視する。
August 10, 2009
コメント(0)
今の戦争は国家レベルの総動員が常識である。なにも動員されるのは物資だけではない人の心理も国家の都合良く動員するのである。だから日の丸・君が代の問題はホテル側の経営事情を斟酌するレベルの話でない。ほんとに踏みにじられてしまってならないものを何が盾となって守るのか。それが核の傘と発言に対する反論として敢然と為されなければならない。しかし民主党に有効な反論や抗議をすることの意味が理解できていない。社会的な格差は必然的に貧困者を否応なく国の体制に組み込んでしまう。それがピョンヤンやペキンでの苛烈な現実であり今のアメリカや日本での事実である。つまり格差と貧困は国民をして戦争を切望させるのである。
August 9, 2009
コメント(0)
どうもNHKの7時のニュースは金曜までの傾向として民主党よりも自民党寄りのニュアンスがある。もし自民党が負けたら、今までの持ちつもたれつという関係がNHKはじめ大手メディアの優遇策にもメスが入りかねない。いままでのままだと行き詰る。だから違うことをする。もし官僚の現状踏襲であれば不公平感を拡大再生産することになる。どんなに安全保障のことをリフレインしても朝鮮半島や台湾海峡に緊張が走らなければ無意味だ。そして拉致問題と年金や雇用や医療保障の問題とはパラレルに本質的な部分では同じ根っこから生じているのではないか。つまり国民が国家から放置されてしいる。この問題から目を逸らす言説は本当に許せないのだ。
August 8, 2009
コメント(0)
こうやって春先から今まで何かネタ切れを起こすと芸能人の事件がトップ・ニュースを飾る、ということを繰り返している。たぶん30年くらい前の頃も、世の中が第二次オイル・ショックでメタメタになり、同じパターンだった・・・。たしかに不景気になると羽振りの良かった業種ほど落ち込みが激しくなり反動でメンタル面でのトラブルを抱えやすくなる。だからといって犯罪的な逸脱が許される訳ではない。しかし背景としては現実に影を落とすのだ。理屈が空気というか感情で覆される時代は確実に不幸な道を辿っている。その意味で裁判員制度は強いられた裁きを国民に確実に要求している点で国が個人の内面を抉る極めて乱暴な振る舞いを平気で押し付けている。
August 7, 2009
コメント(1)
裁判員制度が国の無責任さや身勝手さの象徴であるように拉致問題にも作為的な構図が見えてくる。ビルだってピョンヤンに飛ぶんだから、晋三もピョンヤンへ行け、と言いたい。お前のせいで被害者は帰ってこないのだ。広島の原爆忌に認定訴訟の和解を合わせる狡猾さ。マスゾエの人間性を端的に示している。さして具体的な実効性も定かではないのに選挙戦術として利用する。片山の生活ぶりから有権者の生活ぶりは理解できないよ。それにしても麻生という男は抜けている。10年で100万円の平均所得が減ったという認識から当てもなく100万円の所得を増やすと言ってしまう。こうやって反語調のやりとりをすることが敵失を増やすことになっている。
August 6, 2009
コメント(0)
りんかい線に乗ると自由研究に行く途中の子どもを見かける。漸く夏休みを迎えた実感が漂ってきた。それにしてもコンクリだらけの駅周辺は異常に暑い。もっと建築にヒートアイランド現象の緩和を組み込めないだろうか。トイレの窓から久しぶりに東京湾が視界に入る。この辺りに築地から移転してくるというイメージが湧かない。それでも20年前には船の科学館しかなかった。ましてや大江戸温泉なんて想像もできなかった。そういうことだ。ビーナス・フォートがオープンしたとき人工的な空間に強い違和感を覚えたことがある。長崎の軍艦島と同じ様に何年か経てば廃墟と化してしまう日も遠くないのだろうか。そんなことを考えたら地名の縁起悪さに納得した。
August 5, 2009
コメント(1)
まるで緊急速報みたいなジングルを毎時間流すNH総合テレビ。そんなに暇なのか。そもそも裁判というものを煽るような報道は許されるのか。これでは米国のワイド・ショー的な報道のされ方と変わらない。ましてや堀田力の解説も「わかりやすくて良かった」とか言っている。べつに「わかりやすく」することは何も裁判員制度だけに求められている訳ではない。ここに堀田力の解説に含まれている欺瞞の臭いを感じている。もっと裁判員制度の導入には、ほかの目的と意図が込められている筈だ。それは市民の素朴な応報感情を裁判官の量刑決定に強く働きかけ影響を与えることである。これは近代の刑法を根底から覆してしまう重要な問題である。そんなことすら前回のマニュフェストには一切、書かれていなかった。
August 4, 2009
コメント(0)
これまで世界のどの政策も正確な意味では雇用の創出を果たしていない。もう好い加減に雇用の創出が必ずしも貧困の解消に繋がらないということを素直に認めなくてはいけない。そこから実効性のある政策を議論できる。まず小泉政権下で雇用なき成長が生まれた背景を各党は現状認識として述べる必要がある。そうしないと次に打つべき一手は生まれないはずだ。このまま現状にパッチ・ワークをする、という考え方が実は一番、危ない。この貧困を解消するための提案として、すべて政策は正当化されるのだ。これをバラマキと批判する勢力がいても彼らは自分たちの後ろめたさを憮然として掻き消そうとしているだけだ。カネの使い方を変えるだけなのだ。
August 3, 2009
コメント(1)
どうも相次ぐ日本人の宇宙飛行士を巡る報道は素直に喜べない。それは総額1兆円の税金が彼ら個人の物見遊山的なものに費消されてしまうからだけではない。米国の宇宙政策に日本が巻き込まれてる気がするのだ。それは杞憂でない。なにしろ精度に疑問のあるMDシステムに毎年1兆円規模のカネを米国へ支払っている。あの迎撃テストだけがメディアに流れたが米国から買った兵器は皆ハワイで有料でテストすることになっている。湾岸戦争でクゥエートから謝意を示されなかったのは正確には日本のカネが米国の数ヶ月の戦費に8割以上は回り、クゥエートへの直接的な復興の支援には何億円しか行かなかったという事実を忘れては、ならないだろう。
August 2, 2009
コメント(0)
18歳成人論と消費者庁の設置とはリンクしている。ベーシック・インカムを阻む背景にはキャッシング・ビジネスのロビー活動が影響している。どちらもワーキング・プアを通じた貧困ビジネスの温床を提供する装置になる筈。事後規制アプローチでは救われないものがある。その本質的な部分が覆い隠されてしまっている。すでに痛めつけられてしまった後では取り返しのつかないことが世の中には数多とある。そういうことを見て見ぬフリする。いまや司法の世界でも「小さく事件を生み出し、事件を大きく育て上げる」風潮が目立ってきた。佐藤優の件は確実に検察が何かを見失って犯罪捜査そのものを自己目的化して暴走してしまっている現実を曝け出している。
August 1, 2009
コメント(1)
いわば当時から鳩山由紀夫には不可解な面があった。だから今も彼には不信感が募る。あの武村正義を排除した理由は何だったのか。少なくとも理由が公には周知されていない所から察するに、それこそが最大の問題。野中広務といい武村正義といい京都や滋賀という独特のポジションで国政へ足がかりを築いた「地方自治は政治の学校」を体現する存在であった。だから彼らは彼らなりの理念と理念を実現する過程での打算が働いてた。1986年組と2005年組との相違は何なのか。その結論は多分20年後に明らかになるのだろうか。そういえば1969年組というのもあったっけ・・・。やはり世代というか時代を抜きにして変化の過程は考察できないと思う。
July 31, 2009
コメント(0)
プライマリー・バランスを財政担当の頃から説いてた与謝野という政治家は本来、政治家になるべき人物ではなかった、と思う。それこそ木を見て森を見ずの発想だ。本質的に公共部門は中立的でなければいけない筈だ。だから地方自治体へと仕掛けられた財政規律というものは、本質的に地方自治の罠でしかない。それは総務省内の旧自治省セクションによる新たな支配の確立と地方分権の変質化である。病院の「規制緩和」の急加速も。たぶん「規制緩和」を真に欲しているのは、自分たちの思うままに医療や教育を受けられない富裕層たちだ。だから公共部門をメタメタな状態であると叫び狂い、叩きのめし、民営化へと導き彼らの独占欲を満たそうとする。
July 30, 2009
コメント(1)
この20年くらいで、かつて70年代にダイエーが象徴していた「価格破壊」の論理が変質を遂げてしまい、「ファスト風土」を加速させる「下流社会」の下部構造というか下支えと拡大再生産の基調を成して来た様な気がする。ウォルマートのイデオローグが大分、「西友」に染み付いてきた気がする。そして「イオン」や「ユニクロ」の本質は、限りなくウォルマートに近いのだ。この日本に巣食う「焼畑農業」的なメガ・ストア志向がとても不気味である。この商業ベースと社会との関係は政治でしか規律できない。そのアピールが何故か聞こえてはこない。いったい政治家は何を考えてるのだろうか。そういった苛立ちが時折、脳裏を駆け巡ってしまう今日この頃である・・・。
July 29, 2009
コメント(1)
やはり今はマニュフェストという掃いて捨てるよなコンビニ的なパッチワークみたいな寄せ集めでは無効だと思う。もっと大局的な見地から今後の社会そのものの再構築をするためのモデルビルディングを示していく時である。生活保護受給者と就学援助対象世帯との差に、今の日本におけるセーフティ・ネットの機能不全が現われている。この差を埋めるためには根本的な仕組みそのものが実効性を持つ必要がある。これこそが政策の役割。憲法25条の具現化。これが何を必要としているのか。それを突き詰めて行くと必ず所得保障に行き着く。だから今でも是非は別として失業給付金が支払われて実際の失業率を半分に見せかけている。財源論は無用だ。
July 28, 2009
コメント(0)
TBSのニュース番組が相変らず不振を極めている。おそらく視聴者に何かが直感的に伝わっているのだろう。キャスターの後藤謙次という人の持っている極めて悪質な素顔を共同通信社時代の出稿見送りの件で知った。それは安倍政権発足直後に7年前の事件についてのスクープを配信するという当時ピョンヤン支局を開設したばかりの共同通信社としては安倍の露骨な圧力を懸念する極めてデリケートな案件での判断・処理であった。その当事者である彼がしたり顔で政局を語る。それは森喜朗の分身程度の価値しか持たない。そんなのは中川秀直だけで十分だ。そんな風に私自身は少なくとも思ってる。卑しいのは御法川だけで十二分すぎるのに。
July 27, 2009
コメント(0)
いわばメディアの不偏不当という言い訳は為政者の意向を忖度して消極的にカウンターパートを取り扱う姿勢を表明したものに他ならない。その逆は不偏不当とはいわず何も言い訳もせず、したり顔で押し通せるものらしい。名古屋市長選の時も、そうだった。河村が減税を公約に掲げた際に、地方税制とりわけ大都市における税制のあり方について、改めて議論提起する良い機会であった。しかし、そうした議論も封印されてしまった、のである。いまの衆院選について同様の懸念がある。田原や三宅の罵倒を耳にするたび議論を事実上の暴力で押さえ込もうとする奴が大手を振り横柄な面を見せつける現実を再認識させられる。まず彼らを退場させる必要がある。
July 26, 2009
コメント(1)
そもそも政策というものはミクロであり、数々の妥協から生まれる。だから、マニュフェストとして各政党が掲げた政策も実際には玉虫色化されてしまうと本来の政策的な効果というもは二の次になり合成の誤謬が生じやすい。いま盛んに日本の政党にはビジョンが欠落していると指摘される。それはマニュフェストという短期的な時間軸に立脚する「政治の横串」だけが強調され過ぎてしまって、そのマニュフェストの前提にある理念が不在なのだ。だから単純に年金問題に対しては何万円の給付を保障するだとか瑣末なレベルの話しか出てこない。むしろ政党としての政治綱領というものを明確に示さないと社会をどのように考えているのか、という点が見えてこない。
July 25, 2009
コメント(1)
公明党でさえ全選挙区に候補を立てられないというのに。その資金力自体が脅威である。この資金力がやせ衰えていく自民党の党勢を影から支えていたのか。日本経団連の28億円と9千万円の彼我といい何だか象徴的。レースというものは先行逃げ切りの展開が難しい。そのジレンマに民主党も早晩はまっていく。そこが自民党の唯一の狙い目。ナチスがソ連の反撃を受け始めたとき自陣を破壊した様に今、霞が関の埋蔵金を食い潰す。これで民主党が霞が関に乗り込んだ暁に金庫は空っぽである。そして今は官房機密費が選挙資金として自公両党へ事実上、横流しされているはず。というか何故、衆院解散なのに政府広報が新聞紙面を大きく飾るのかと。
July 24, 2009
コメント(0)
いまは過半数に届かぬ分をどのように埋め合わせるか思案中だろ。230前後が今の民主党が獲得し得る議席数の限界である。どう考えても得票を減らしても議席を減らさぬ公明党が都議選と同様議席を死守するだろう。つまり共産党は閣内に入らず是々非々で個別法案ごとに協力関係だけにとどまり、社民党と国民新党の両ウイングを閣内に取り込むことになろう。だから社民党と国民新党の各獲得議席数が選挙後情勢を決めてしまう。反面で自民党も150前後の議席は維持するだろう。おそらく比例復活組で何とか改選前の半分以上の議席は守るだろう。480議席のうち400議席を自民党と民主党で奪い合うというのが現時点での私個人の見方である。
July 23, 2009
コメント(1)
たしか少し前のサンデー毎日では不破と中曽根大勲位とが対談していた。どうも政界でも懐かしの70~80年代の保革伯仲を回顧したいのだろか。けれど本質的な問題はポスト田中政治を巡る自民党の態度ではないか。あの田中政治は老人医療費の無料化で一つのピークを迎えた。あれから今まで常に財源論争は尽きない。大勲位の秘書が財務大臣となって相変らず霞が関と歩調を合わせてる。それが自民党の無為・無策を象徴する。いまから首班指名の態度を表明するなんて何て共産党は現状認識が甘いのだろうか。へたをすると国政でも議席を大幅に減らしかねないという危機感がないのが極めて異常・奇異に映る。ここでも世は末なのだろうかいと。
July 22, 2009
コメント(1)
むしろ社会民主主義をまともに掲げる政党が必要なのだ。菅直人が江田三郎の遺志を継いで彼が居た社会党を抉り切ってから10年以上が過ぎたけれど多少なりともマトモな出来事はあっただろうか。まったくないと思う。そして日本に小選挙区は要らない。なにしろ自民党も民主党も嫌だと思う人間の選択を許容できないのだから。そんな前時代的システムを温存したままなのはアングロサクソンのイギリスとアメリカだけのようなものなのだ。もっと単純に二分化できないモヤモヤしたものが成熟した社会にはある。そのモヤモヤを受け止めるものがシステムとして機能しなければ社会には健全な自律性を取り戻すチャンスすら与えられなくなる。そういうことだろ。
July 21, 2009
コメント(0)
それにしても岡田克也という人間の本性が日ごとに顕わになってきている。4年前にはあまりの醜悪さで選挙に負けたと自他ともに考えている。彼の発言を聞く限り小泉政治は中途半端だったという主張に聞こえてしまう。とても矛盾を感じるのは小沢の件で政治資金と政党助成金についての議論がまったく喚起されず鳩山の件が加わったにもかかわらず反比例をして民主党は消極的な姿勢をより鮮明にしている点である。どうも解せない。こういう自分の身辺の問題をまともにクリアできない人間に国家レベルの問題を取り扱うに足りる資質がそもそも備わっているといえるのか。その点を誰も大声で指摘しない。いや指摘できない今の状況こそ危機でないか。
July 20, 2009
コメント(0)
そういうことを個人のサイフだけでなく国家の命運レベルでも考えてしまう。あれだけ政策で闘う選挙は争点で競うと豪語していた人間が自身の保身に躍起となる姿にコイツだけには矜持なんて云われたくねぇよと心底思う。どうも自分の意識しない間に日本の社会が王朝化していた。そんな現実を嗤えない位に皮相として近隣の世界も似通っている。それは日本の強力な文化なのだろうか。だけど文化だといって決して褒められたものじゃない。とかく政教分離だと云われるが政経分離も忘れてはいけない。フランスがサルコジ兄弟だからって日本が岡田親子で良いとは思わない。あの人間の骨髄までしみこませているイデオロギーは日本人を殺しかねないのだ。
July 19, 2009
コメント(0)
まだ駐日大使をよこさないアメリカ。その心はペキンに向かっている。その一事を以って麻生の外交力なんてナンボのものか明白である。いや好むと好まざると日本の相対的な経済力の衰退自体が日本離れを加速させる。なにしろペキンは未だ月給1万円で日本と比肩するモノづくりをしている。これが遠因となって日本で給料はダンピングを続けている。ペキンに本気で勝とうとするなら日本も月給1万円の派遣社員が必要なんだということ。そんな経済自体が最早、狂っている。そういうセンスを失ってしまった日本だから社会が歪んでしまっている。そんな社会に将来の展望が開けるのか為政者たちに問いを突きつける奴がいないのが日本の根本的な問題だ。
July 18, 2009
コメント(0)
どうも4年前の残尿感を民主党のシンパは引き摺っている。なにしろ岡田の持論は小泉以上に新自由主義的であり、それは鳩山由紀夫が結党以来の党是としてきた理念と見事に融合しているという状況を見ていないのだ。けっきょくのところ小泉より格下の民主党の面々が下手くそな役者面して日本経団連の政策理念を実現する忠実なる僕に成り代わっただけなのだ。そういう本質は官僚打破と政権交代という内実を伴わぬフレーズにある。いつの間にか2年前の国民生活が第一というスローガンは単なる票集めでしかなかったのだと諭されている。どんなに自民党と公明党が酷いとはいっても民主党や野党が決して褒められた存在ではないことは明らかだ。
July 17, 2009
コメント(0)
なぜ今から民主党に阿る必要があるのか。どうも彼らの心根には寄生的な発想が既に強固なものとして存在している。そんな発想は自民党に未だに寄生し続けている公明党の発想と何ら変わりないのだ。その矛盾の酷さ。つまり民主党が政権を獲得したとしても本質的な差異は何に求められるのか私には見えて来ない。どう考えてみても日本経団連の軸足は自民党から民主党へ5月を境に完全に切り替わってしまっているのだから。まったく。もっと政権への関わり方を真剣に考えないと党自体が壊滅的な打撃を受けかねないというのに。ただ民主党は危ないとか確かな野党だとか云うだけなら巷の誰もリフレインできる。そんな野暮が官僚と対峙できるだろうか。
July 16, 2009
コメント(0)
どう考えても28日の会期末を前に事実上、国会は機能を停止した。そして8月30日の選挙ということは実に2ヶ月以上の政治的な空白が生まれる。そのことが意味するのは霞が関に好き勝手に概算要求させるということ。おそらく自民党と公明党による政権が10月に瓦解したとしてもカネの主導権は相変らず財務省が握り続けている。そして2ヶ月もあれば埋蔵金も瞬く間に食いつぶしている。だから民主党が政権を取っても金庫は空っぽだ。そんな光景が民主党が乗り込んだ後の霞が関では随所で明らかになる。あまりにも皮肉なことだが今から霞が関は民主党が乗り込む「その日」に備えて一気に過去の不祥事を揉み消し始めることだろ。その時間なのだ。
July 15, 2009
コメント(1)
全749件 (749件中 1-50件目)