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そう考えないと理解できないことが多すぎる。だいたい20年周期で世の中というのは価値観を変化させるように出来ているのかも知れない。おそらく20年くらい前から日本という社会から何かが欠落していき現在の状況に陥っているということだけは自明のことなのであろう。うがった見方だが天皇ヒロヒトがヤバイらしいという憶測が流れ出した前後から日米構造協議はスタートしたことを考えるとアメリカの20年がかりの再改造作業が今の日本社会に相当なダメージを与えたのだと見るのが正当だろう。いずれ皇室そのものもバッシングに晒される。このままペキンをバッシングしてもワシントンやEUの戦略に日本が取り込まれるだけであり決して日本の利益にはならないということを自覚できている日本人は今どれだけいるだろう。このアジアでの振る舞いをどうするか。これは日本にとって軽視できない重要な事柄である。はるか太平洋を隔てたワシントンとのコミュニケーションは確かに大切だ。けれども十二分にやってきたではないか。いま日本がなすべきことはソウルの反ペキン感情を緩和させることでありペキンの陥った危機を徒に煽ることではない。ともにアジアの一国として何ができるか。いまペキンを見殺しにすることは日本の拠って立つ価値観が否定されている状況を自ら進んで肯定することに等しい。かたやクジラの調査捕鯨で被った日本の屈辱的な経験と今回のペキンへのバッシングをまったく別の問題であると簡単に切り捨ててしまって良い状況にはないと。このバッシングと実はイラクやアフガンあるいはイランといった諸国へのアメリカやEU等の諸国による介入には同じ考え方が背景にある。自らの価値観を普遍だと主張し、普遍の価値観に適合しない社会に適合させる様に制裁を加えるという「正義」の観念は正しいのだろうか。
May 3, 2008
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ここの所、比内地鶏や船場吉兆の話題とパラレルにパンダとコキントウの話がメディア側から流されて来る。そのキーワードはメタミドホスでありチベットである。この二つの問題に福田がどう対処しようと彼の得点にならない。けれどペキンとの友好は維持しなければならない。その日暮しの政治の脱却。そう後世の評価は下されるかも知れない。おそらく可能な限り解散を回避するという一点で自民党と公明党との間では判断が一致している。ということは福田はサミットまで何が何でも総辞職は出来ない。いくら麻生や与謝野の名前が喧伝されようとも。どのみち特定財源でも一般財源でもカネを配分する主体が国土交通省か財務省かの違いにしかすぎない。そういった本質的な意味を持たないことをことさらに問題として語るということは如何に現在の政治は劣化しきっているかということをみずから独白してるようなものである。おそらく福田は政権の活路を外交にしか求めることはできないと判断しているのだろう。その判断は間違ってはいない。けれども国内において政権の正当性が疑われている以上は、いくら外交に精を出したところでマトモに相手にはされない。そのリスクを背負うのは国民なのだ。
May 2, 2008
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そういうツラを福田はしている。18時半からの記者会見をテレビで見ながら彼は本当に中間管理職そのものなんだなあと勝手に合点をした次第。町村が官房長官として好き勝手なことをして最早、内閣としての体を成していない。そういう政府がマトモな政策を実行できるのか。だからと云って民主党に過度な期待を寄せることもできない。そういう賢明な判断は無党派層として厳然と存在している。この宙ぶらりんな空洞化した有権者心理を何が引き付けるのか。その道筋を他の野党はビジョンとして描く時期に来ている。これは決して絵空事などでない。いまだからこそ自民党や公明党あるいは民主党ではない別のベクトルを持った政策集団によるビジョンの提示が有効性を持つのである。あそこまで彼らが結束だけを強調して将来への展望を欠いた場当たり的な、その日暮しの政治を繰り返していては政治の空白は埋めようがない。
April 30, 2008
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ついに国民年金を受給している両親の所にも「ねんきん特別便」(?)が来てしまっていた。これが届いている、ということは現実の問題として加入期間の中にデータ上として「未納」の時期がある、ということを伝えている。つまり本人の知らない間に「未納」が発生している。とりあえず新制中学校という義務教育を修了した両親でさえ、この「ねんきん特別便」(?)に書かれているデータの意味するものを充分には了知できない。たまたま私が「国民年金への加入期間の合計と保険料の納付期間プラス保険料の免除期間の合計とを差し引いてごらん」と指摘しなければデータ上に発生してしまってる「未納」期間を本人が認識できないのである。つまり手帳を持ってたって現実には納付の証である領収証がなければ抗弁できないのである。この事実が変わらない限り幾ら丁寧な説明をされた所で単なる侮辱でしかないと。そのことを福田は自覚できていないのか意図的に自覚しないようにしているとしか私には思えないのだ。こんな苛立たしい思いを多分、恵まれた大メディアの人間は議員連中と同じく感じやしない。だから福田の厚顔無恥な発言の数々を問題視しない。もし問題視するなら連日のメディア報道は福田の無神経な発言を繰り返しリプレイするはず。それをしないで彼らも加担をしている。
April 29, 2008
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そんな嘆きをふと浮かべてしまう。かたや「思いやり」と称して駐留米軍には福利厚生の充実を図りながら自国民の社会保障には応分の負担と云う名の「痛み」を甘受しろ等という矛盾。もし福田が説明不足というのなら、この矛盾そのものについての説明を徹底しろと云いたい。いったい防衛省の問題は何だったのか。あれだけの無駄金を垂れ流している現状を食い止めるにはミサイル防衛システムに一兆円を投入するのではなくて一兆円の予算をカットすることが先決なのではないか。その一兆円で当座の社会保障が幾らかでもテコ入れできはしないのか。そういう具体的な政策を民主党から聞きたい。たぶん共産党は予算の組み替えと云う形で国会でも地方議会でも提案をしていると思うがメディアは取り上げない。ああいうのを取り上げずして何がジャーナリズムだと思う。そういう部分に新聞が他のメディアに勝る所があるはず。いろいろと大阪府の橋下知事には難点はある。けれども予算をキチンと知事が府民、生活者の視点から見直すという彼の主張は正しい。それに比べて国や地方自治体の予算執行に影響するから暫定税率を復活させるという福田の主張は幾ら説明をされても理解に苦しむものである。
April 28, 2008
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田母神・空幕長はクラスター爆弾禁止条約の批准を強く否定したり、いわゆる自虐史観などに対して真っ向から「モノ申す」スタイルなど以前から「制服組」の中でも文民統制から大いにかけ離れた存在だったが、今回の名古屋高裁の件についても案の定、期待を裏切らなかった。おまけに官房長官の町村まで空幕長の発言を肯定的にとらえる会見をしていた。それなのに、空幕長の上司である防衛大臣や官房長官を総理する福田康夫も行政府の長として「わきまえ」を持った振る舞いを見せることはなかった。つまり政府は行政府として司法判断を無視した。すくなくとも行政府の無自覚な姿勢に国会まで追従してしまうと誰が憲法を擁護するのか、という重大な懸念を抱く。けれども主要なメディアは敢えて発言を問題視しないようにと静かな調子で発言があったとだけ淡々と伝えて発言が波紋を広げない様にしているフシがあるのだ。これから前次官の守屋が公判に出廷しようという時期にしては随分と無神経な発言なのに誰も声を荒げて空幕長を更迭しろとも叫ばない。ましてや官房長官の無神経な発言の数々に対して誰も彼を不適格者だと罵ることをしない。つまり民主党の本音も彼らと同じなんだろうかと。ただ航空自衛隊の官舎にビラを撒く行為が最高裁で有罪確定し、いかがわしいチラシは野放しという不均衡にもっとメディアは危機感を抱かなければ変なのに大人しい。そういった数々のバランスがもっと強い姿勢で問われなければならないはずなのに、どうも問われないらしい。
April 18, 2008
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そういう実感を日増しに強くしている。あの北川が騒ぎ出した「マニュフェスト」というものの実体は所詮そんな程度のものだったんだ。どのみち北川が演出した三重県政の「改革」すらゴミ発電の杜撰な顛末を見れば明白な通り「まやかし」に満ちていたことは確かなのだから。いろいろと突き詰めて考えると今の国会というのは戦前のような英国張りの議院内閣制からは遠くかけ離れたシステムになっている。だからマニュフェストなんて機能しない。そこにあるのは個々の議員の落選を回避しようとする露骨な有権者へのアピールしか存在しないのだと。いま現実に起きている国民生活の問題をどうするのか。その一点に関して政治は動かなければならない。それなのに実際には根拠のない党議拘束など不毛な縛りを主に自民党と民主党とで喧伝し合いながら肝心の問題への対応を決めようとしない。個々の議員の判断には委ねない。どうもメディアの云う「政局」というのは仕組まれた政策の煽りでしかない。あの給油新法も日銀総裁も暫定税率も「失効」したことによって無闇に自民党は「民主党が悪い」という図式へと誤魔化そうとし続けてきた。これに常に呼応する民主党に誰が支持を与えるというのか。そういうクダラナイ論調を無視して公約の実現だけに邁進する。その姿を見せない限り民主党だって結局の所はいくら小沢が嗤った所で何にも国民との約束を果たしたことにはならない。そういう真剣さに欠ける民主党の姿も有権者の感情を逆なでしてることを忘れてはならない。
April 17, 2008
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あの前原の発言を聞く限りでは9月に大連立でも組めそうなくらいの雰囲気を感じてしまう。ほんとうに民主党代表のコメントどおり充実した予算の審議を行えたのか。あの1868年の明治維新から1937年の日中戦争までの70年間と同じ様なサイクルを1946年の人間宣言から70年後の2015年に見た場合、そこに至るまでは10年を切った。1937年の日中戦争から遡ること10年前といえば満州における関東軍を率いる石原莞爾による独自の軍事行動から満州事変への萌芽があった。はたして2015年の出来事を予測することは難しいけれども。それでも後から振り返って考えたときに2005年の日本を象徴する出来事は何を想起するだろうか。まだ国会は小選挙区比例代表併用制度のため辛うじて少数ながらも複数政党制を維持している。911選挙によって自公連立政権とは云え改憲勢力を獲得した2005年から日本の政党政治にとっ決定的な致命傷みたいなものが負わされてしまったのではないか。憲法の何たるかを解せず声高に主張する政党やマスコミの論調に巻き込まれて有権者も大した理解を示さぬまま徒に動員されるような動きが着実に進む今、確実に日本という国がある種の臨界点に達しつつあることを感じる。この先に何か明るい未来というか展望を見い出しにくい世の中になったなあと・・・。
March 27, 2006
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ほんとうに民主党が本気なら。もはや自民党を責めるには大義を失ったのだ。どんなに野党ぶっても。キッチリと真実を追及するのに中途半端な道具を用い陽動作戦を展開しても作戦が失敗したのならば自ら責任を負うべきだ。それを地元の国政報告会も欠席してマスコミの目を逃れようとする。いかにも大蔵省からの鞍替え議員ならではの狡猾さではないか。むしろ有権者に偽装したのは民主党ではないか。そう云われたら前原は何と応えるのだろうか。私は、あの郷ひろみばった声が大キライだ。そしてニヤニヤしている菅も。さらにはイラついている岡田も。どうにも民主党の議員は「庶民」から程遠いキャラクターを感じる。だからと云って公明党や共産党みたいに、みんなサイボーグの様な似たような話し方をする奴らにも反吐が出る。あるいは社民党みたいに化石なセンスでも困る。じゃあ一体、と云われてしまうかもしれないが。
February 23, 2006
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たんなる思いつきですから許してください。ほんとうは外務大臣の麻生は金融担当大臣が面白かった。ほんとうは防衛庁長官の額賀は外務大臣が良かった。ほんとうは金融担当大臣の与謝野は防衛庁長官が面白かった。これは皮肉ですから。ほんとうは閣内の誰かが郵政解散時よりもキレテ本当に閣外へ去ったら面白い。ほんとうに北朝鮮を経済封鎖したら何が起こるか本気で考えていると思えない安倍晋三。どうにも「ほんとうは」とか「ほんとうに」とか仮定やら疑問を差し挟まないと駄目らしい。もし「ほんとうは」ガセネタなのに「ほんとうに」アヤシイと思わせたかったからと生半可な半端モノを勢いよく堂々と指し示したのだとすれば除名ですよ永田議員。そして党として主張を支えた現執行部は全員役職を辞めるべきです。もし「ほんとうは」ウソだったならば。
February 21, 2006
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そんな失望感を強くする最近です。あのとき昭和天皇が靖国への参拝を止めたのは他ならぬA級戦犯の合祀が強行されたからです。その証拠に三木総理大臣参拝後から靖国には行っていない。そうした歴史的な事実をキチンと踏まえた発言ではない。たしかに麻生大臣には独特の時代を読む嗅覚みたいなセンスがあることは認めます。けれども外務大臣としては如何なものか。おおざっぱさが外交に寄与するタイミングではない。彼が外務大臣という職にありながら、日朝交渉に関する具体的なコメントを聞いたことがない。むしろ安部官房長官に質問が集中する。どうやら小泉内閣では外交が二元あるいは多元的に行われ収拾すらもつかないような危うい状態が相当な長期間にわたって続いているとしか思えない。そんな好い加減な外交スタンスでは常に相手から足元ばかりを見透かされてしまうだけではないのか。ほんとうの「国益」とは何かについてキチンと議論の俎上にのせて欲しいと願うことすら何だか虚しく感じるけど。そして外務省改革は一体、どこへ消えてしまったのか。あるいは警察刷新会議の「その後」は・・・。ほんとうに追及されなければならない官僚機構の闇にメスが入らない。あの国土交通省や防衛施設庁だって巨大に肥大化している、という共通性から数々の「死角」を生み出し利権の構図を構築しているのだ。
February 14, 2006
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そんな疑問をここ最近とても強くしている。たしかに拉致被害者の問題というのは小泉訪朝によってクローズアップされた。けれども、それは日韓交渉とは少し性格を異にするのではないか。あの当時にも日本の漁師を長期間にわたり拘留された。そして日朝間でも同様に二国間での政治問題化して金丸・田辺が訪朝して一応の決着が図られた。かたや、ロシアとは平和条約も締結されない状態のまま石油パイプラインの敷設を巡る経済交流が進んでいる。こうした、「未だに解決されないまま」の状態で戦後は60年を確実に過ぎたまま新しい世界を描こうとしている。それは常に「時の流れに身を任せ」続けた日本での無定見な外交観というものが果たした一つの到達点でもある。けれども、ただ明確な形で戦後というものを抱える必然性というものは誰が規定できるのか。あのイタリアやフランスでファシズムというものは如何なる形で「総括」されたのだろうか。どうしても「曖昧さ」の残る東アジアの状況からは、キチッとしたフォームに形作られた関係性というものを創り出すこと自体すら難しい。ペキンとタイペイとの関係ひとつを取っても。この地政学的な環境というものは未だに不安定な活断層みたいなもので、いつ再び相互に触発されて緊張関係から衝突関係へ移行するのか予測することすら困難である。このアジアという不安定な状況はヨーロッパの「かつての」状況とは様相を大きく異にすることをキチンと踏まえた上での外交論議というものを渇望している今日この頃だ。
February 13, 2006
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こうやって土曜日に埋もれてしまうと祝日も有り難味がゼロになりますけど。ふと皮肉な連想をしていました。いま話題の皇室典範改正ですけど。そもそも天皇制の維持すら困難になったらば現行の日本国憲法そのものも必然的に改正を必要とするのではないかと。そうであるなら別に自由民主党も公明党も憲法改正を加速させるために「放置」プレイに徹した方が良いのではないだろうかと・・・。むしろ「護憲」を掲げる社民党などは逆に天皇制が崩れたら護憲の基礎となる日本国憲法の現状維持すら危うくなるのだから皇室典範改正へ積極的な支持に表明する方が自然かも知れません。いや女性の社会的な地位向上を掲げる社民党であるならば支持すべきでしょう。話は飛躍をしますけれど私は今の日本の政治状況と云うものを次のように考えます。一つは、政官業の癒着を断つことを第一義に掲げながら財政面での厳しい引き締めを推進していく建前を掲げる立場。これは現在の小泉を中心とした勢力を想定しています。もう一つは、社会民主主義的な理念を第一義に掲げながら穏健な政策を建前として掲げる立場。これは、小泉を中心とした勢力に粛清を受けている勢力であると考えてください。たしかに、小泉の登場は「米百俵の精神」までは非常に清新なイメージを受けました。けれども、その本質には、冷酷な効率主義が横たわっていた。これら小泉政治を一度に簡潔な格好で表すことの困難さは、今まで幾つものコメントを綴ってきたとおりです。その反面で失墜していった勢力とは果たして本当に根っからの「悪」そのものなのか。いまとなって述べることは甚だ「後だしジャンケン」みたいで気が引けるのですけれど。それでも私には疑問に感じられます。だからと言って橋本龍太郎に渡った一億円の小切手が純粋に政治に必要な性善説的な「悪」であるとは思いません。また、旧・社会党が「友党」関係にあったのに今日の邦人拉致について北朝鮮側の主張を支持していた過ちは拭えません。それでも戦争に対する感覚は、野中広務や護憲勢力の云う「不戦主義」からのスタンスが今の日本を導いてきた、そのこと自身に否定的なニュアンスを今となってから後付けすることは素直に間違いであると考えます。あるいは社会に対する「目線」も。これらの行く末は1980年代の英国よりも深刻かもしれない、と危惧する今年の「建国記念日」でした。
February 11, 2006
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じつは、もう刑事訴訟法そのものの記憶も薄らいできた最近ではありますが。いろいろと考え方はあるのですけれども、いちおうの名誉回復の一端には少しはなったのかな、と。それでも実体的な審理というものへと進まなかったことには今後の冤罪に対する救済そのものに関わる問題であるだけに具体的な方向性を持って対応していく責務が司法に負わされていると考えて良いでしょう。それにしても、再審請求までの途方もなく長い道のりを越えて何とか免訴でも曲がりなりにも名誉回復へと道を切り開いた関係者の並々ならぬ忍耐強さに、私は敬服いたします。少し話は横に逸れますが作家の安部譲二氏が語っていた一度目の逮捕での拘留から解放された後に「別件」で再逮捕されたときの心境を痛々しそうに話していましたが、たぶん堀江貴文氏も同じ様な気持ちを抱くのでしょうか。あの三浦一義氏も状況証拠だけで逮捕・起訴されて延々と裁判を続けて無罪となりました。たしかに検察段階で被疑者を取り扱う段階になると相当なプレッシャーが重荷となって被疑者への徹底した取調べへと反映され被疑者は逮捕事実を認める供述を始めて供述調書が完成してしまうのですが。ことの真相は別として、どこまで堀江貴文氏が供述調書の作成を拒み続けるか大変に興味深いことであると気に懸かっています。
February 10, 2006
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むしろ、叩くなら安倍晋三である。あの小嶋と故・野口と両方に接点を持つ、「安晋会」なる団体の実態そのものにだけ鋭くグイッとメスを入れればいい。このタイミングで成すべきことは「ポスト小泉」と称される面々の傷口を抉ることに尽きる。もう小泉自身は、どうだっていい。彼によって培われてきた、「新しい『自民党』」の本質そのものをキチンと晒すことが必要なのだから。これまでの失敗を重ねてはいけない。ただ一点だけポスト小泉の最有力者だけ「きっちりと」絞り上げれば済む。あの海部俊樹辺りから「政治『改革』」と『改革』なる中身のないフレーズがプロパガンダされ続けた平成時代である。ことの真相は深い海の底に沈んでいた、としても。そこは、地引網のように。その辺りを自戒しながら慎重にメスは握って。なんてことを書きながらも私は前原・岡田の中途半端な生半可な質疑を見ながら彼らを抱える民主党の行く末について漠然とした予感を抱いた。テレビを前にしてオーバーに演じきる彼らは役者然とはしているけれども政治家ではない。だからといって何者なのか。それは今の私にもコトバを拾えずに困るものがある。ただ、はっきりと云えることは、そんな誠司や克也の様なボンクラ君たちのキレイごとにはウンザリで厭き厭きしているのだ、ということだけだ。もっと、キレのある言葉を吐ける人からネチネチとした質疑を聞きたいものだと思うけど。まず無理だろうな。
February 8, 2006
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たしかに、北方領土は北海道から肉眼で見える。あの島々の実質的な支配権を失ったことが第二次世界大戦における最大の失敗であったことは間違いない。まさに日本という国が今もなお抱えている、地政学感覚の欠如という決定的な致命傷を白日の下に晒した事例でもある。日露戦争を終えた時点において既に日本の戦力は疲弊の極みに達していた。にもかかわらず軍部は勢いを駆って、大陸への進出を企図する。かろうじて第一次世界大戦では無傷に近い形で中国本土へ権益を拡大したものの、肝心の拡大した植民地支配権の統治能力を実質的に欠いていたのだった。そこから悲劇は始まった。あの当時から、日本での資源というものに関する安全保障意識というものは実質的には何も変わらないままに今日に至っている。あのイランに頭を擦り付けて石油を乞う態度は福田康夫だったら充分に承知しているだろう。あれをアラブ外交に長けているとは何と評したことだろうか。話は極端に飛ぶが「岸壁の母」の歌詞の意味を知り舞鶴の駅を降りた時、ふと眼下に見えたのは紛れもなく北朝鮮船籍の船であり積荷は(おそらくは大阪方面からの)放置自転車であった。この刹那の極みにこそ、今の日本がある。そうですか経済制裁、経済封鎖、ですか。でも、本当に制裁や封鎖をして困ってしまうのは実は日本そのものなんですから。そこを隠してキレイごとを述べても無意味ですよね安倍晋三さん。そうでしょう?。
February 7, 2006
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さる先週末に受診した予後を診て貰いに再受診のため午後に医者へと行った。みな平日の受診というのは無理らしく、二時半過ぎに着いてから二時間以上も待たされた。さいわい後、数日くらいの服用で異常なければ通院は不要、とのことであった。ときおり待合で繰り返し「あべ、しんぞうさん。」と呼ぶ声がした。べつに初老の男性だったのだが。ちなみに国務大臣(内閣官房長官)の安倍晋三衆議院議員は酒は飲めずに甘党なのだという。なんでも秘書が約二十名近く居るそうだから色んな疑惑が起きても多分、当人には関知しないことが相当あるのだろう。まあ、地元選挙区にある実家で自家用車が焼かれてしまうようなことすらあったから多少のことでは動じないのではないではないかな。そういえば亡父・安倍晋太郎は対ソ外交に自身の政権戦略を賭けていたけれど彼の場合は対北朝鮮外交なのだろうか。かつてA戦犯級でありながら釈放後、保守合同により首相の座を射止めた岸信介。こうした日刊紙の政治部あたりが好みそうな四方山話というものが幅を利かせてしまう硬直化した「政」とは。このまま格差を是正しない「放置国家」で推移するならば近い将来には国会の過半数は確実に「世襲」化してしまう。ご自身も「世襲」である小泉純一郎氏には「非世襲」である人々の気持ちなんてわかりはしない。ただそれだけだ。
February 4, 2006
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もっとマシな知恵はないものか、と思う民主党さん。だから足元も掬われて、苛立つんだろうね。いまどき皇室典範なんか弄っている暇なんかないのにね。つねに危機感を煽ることでしか自らの立場を維持できない、という点では小泉以外にも慎太郎とか康夫も居るけど。ともに対話を欠いたスタンスというものは戦後を象徴する何か特徴的な現象ですらあるのだろうか。もはや、まとめることすらできない、ということなのか。いや、そんなことはない。りっぱに、「民」間では防衛施設庁の工事受注だって見事に「まとめ」られているのではないか。つまりは「政」の硬直化なのか。
February 3, 2006
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そう思わずには居られないね。つい先日ホームレスの公園を住所とした届出について判断が出た矢先の排除行動である。たんに公園を占拠しているから悪だと決めつける発想の馬鹿さ加減に厭きれる。そもそもはホームレスを公園などに住まなくて良い様に対処することが地元自治体の責務なのにね。それは小泉首相の「格差の拡大は承知しているが欧米ほどではない」等という全くの客観性を欠いた発言と同じレベルの認識である。とくに指摘しておきたいのは市労組もホームレス問題に対する目線を持ち合わせていないであろうことである。そこに公務サービスに対するモラルの低さが露見していると言われるだろう。まずヒトが集まるということ自体はコミュニティとしての規模を維持する上で必然的に求められる要素である。その要素の集め方が大企業による中小企業の「使い捨て」と同じ論理からホームレスの彼らにも反映されているのである。少なくとも、そうした歴史を抜きにして表面的な現象のみをとらえて私たちは都市に潜んでいる暗部の存在というものを理解してはならない。それはヒトが生きるということに強烈なまでに絶望したところから生じる、逝ける者の死への逃避行みたいな意志が働いている空間でもある。死にたいけど、死ねない、という恐怖の彷徨に悩む人々の気持ちをどれだけ感じ取ることができるのか。
February 1, 2006
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ああ、やっぱり読みを誤った。おかげで残業しても間に合わなかった。これで好い加減な自分の性格というものを御目出度い位にワライタクナッタね。まだ何とかなるさ、と心の中ではウソブイテイルケド。まあ仕方ないのでボス達と大人しく帰りました。けれども帰る前に先約があったので申し訳なさそうに、トイレを言い訳にして逃げました。それでも小一時間しか寄りませんでした。さすがに明日、完全にポカッたら連敗街道まっしぐらになりそうだから。もう何だっていいんですけど、そうは云っても恥ずかしいから少しは意地になる。そんな気持ちに浸っていました、実は。いろんなラグというかズレは滑稽でもあり深刻でもあります。そこに横たわる時間の幅みたいなものって、ずいぶんと意味深いものなのです。話の時系列は逆戻りします。水曜の午前中でした。あいかわらず郵便局やら信用金庫やらをチャリで駆け回るというガキみたいな「仕事」をしてた合間に見たテレビは、いづれもNHK総合を写してました。ちょうど参議院本会議場でツルネン議員が壇上に登っていました。でも、そうした状況は別に何でも良かったのでした。ただ私は、漠然と雛壇に座っている閣僚どもを眺めていました。小泉の顔には、名前は忘れましたけれども確実に親爺の面影がありました。麻生の顔つきにも吉田茂の面影を感じました。でも多分、小泉は麻生を推すことはないでしょう。何となく私には、そう感じられました。谷垣は、どうにも「加藤の乱」での泣き虫ぶりが消えません。そんな代議士二世(?)どもでも何となく「酒乱」の中川は変な印象を受けました。でも考えれば父、一郎は秘書であった鈴木宗男に対する失望感から命を絶ったとも云われておりますし、昭一も中選挙区時代は武部や鈴木と同じ選挙区での戦いをしていた訳ですから。こうした彼の生い立ちに小泉は自分に近い何かを感じているのかも知れません。だから負け戦を控えていても中川は党の看板を背負わされる様な気がしています。少なくとも安倍と中川という父の世代では果たせなかった総理・総裁の椅子を争う構図には成りそうな気がしています。たぶん「麻垣康三」とか「麻垣馨三」などと書かれているけれども「大三角福中」みたいなイメージで今の政権は回らないし、そんな生易しいものでない。だいぶ、タイトルから逸れてしまった気もしますけれども・・・。相変わらず訳のわからんコメントの小泉クンですけれども考えれば厚生大臣時代(当時)の厚生省内のスキャンダルに対して、渦中の事務次官の出した辞表を受理したことを批難されても自分の非を認めなかったヒトですから。たぶん英国留学で「簡単に自分の非を認めるな」とでも学んだのでしょうか・・・。このあたりサッチャーの時代錯誤した「ヴィクトリア朝の時代に返れ」とのホザキと共通項すら感じます。けれども強硬な態度からサッチャーは内閣での自らの立場を危うくした。それと同じ様な閣僚の「反乱」発生の余地は残念ながら今の政府にはなさそうですけれど。
January 25, 2006
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この記事を読んで。(http://www.diplo.jp/articles05/0512.html)たしかに池袋の駅前で怪しそうに振舞っているだけで路上を警戒中の人たちに白昼から職務質問されている人間を見たこともあるので何となく記事と符号するような状況に日本もあるのかなあと。あの「体感治安」というフレーズは一体、何を根拠に掲げられているのだろうか。まあ凶悪犯罪は激増した。けれども短絡的に「体感」というコトバで表現して良いものか。かたや犯罪被害者基本対策で警察報道における被害者の匿名報道を原則化するという政府案の閣議決定だ。この動きは個人情報保護法案の成立の過程よりも相当に早いスピードである。つまり与党サイドは有権者の関心度に応じて政策実現のテンポを小刻みに調節している。それは過度に消費税へ警鐘を鳴らすマスコミに対する一種の威嚇としても作用する。消費税率の1%引き上げは約2.5兆円に匹敵するという。それに相応する定率減税の完全廃止と酒・たばこの特例税目への課税引き上げで実質的に政府・与党は消費税率を引き上げる前に実質的な消費税率の1%分アップと同じ成果を挙げた。これは勿論、片山さつきの居た財務省にとっては概算要求の始まる夏からの仕掛け、というか「想定の範囲内」のシナリオだったろう。そういえば先日のニュース23に出ていた片山さつきは、筑紫の問いに城内実を「オレは王子様なんだ!」から選挙違反したって秘書を拘置所に送り自分は無傷なのだと誇らしげに叫んだんだと云っていた。彼の父は、記憶では警察庁長官か警視総監を務めた人物。自身も東大での外務官僚だった。なんとなく有り得そうな逸話ではある。さらに話は飛ぶけれども選挙違反といえば、杉浦正健法務大臣も過去に大量の違反者を出していた様な・・・。皮肉にも、法務大臣というポストには過去に大量の選挙違反者をだした人物の就任事例を多く記憶している。その後に事件の揉み消しをした人物も居たけど。たしかに警察の活動というものは、ずいぶんと生活のすみずみまでカヴァーしている。たとえば山での遭難や逃げた動物の捕獲やら何でも警察というか「おまわり」さんとしての期待感も手伝って交番や駐在に詰めている人たちの忙しさは以前にも増して大変なことだろう。だから国や自治体こぞって治安の対策と称して増員を公務員改革で人減らしすると云う一方で進めていることも一応の合理性はあるのだろう。けれども田中康夫の「遅れてきたサッチャリズム」の皮肉を見るまでもなく何となく巷の人間の権利よりも政府の「権力」性を維持するための自己保身を強化する方向で警察力の増強は推し進められているような懸念を抱く。それと同時に世界的に進む都市の成長という傾向は、ますますバブルの様相を呈していて、この衰退は恐ろしい結末を我々に示すのではないだろうかと危惧している。地方の過疎地を壊し、都市の洗練された限られた上質の空間から隔絶された都市郊外の荒みきった情景は今まさに具体的な姿をもって私を震撼させている。
December 30, 2005
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どうせなら「台湾路線」で行ったら良い。おそらく前原氏は小泉よりも先鋭的な考え方をお持ちらしい。だから何だか分かりにくい。どうしても野党の立場は政策というか主張の「バブル」になりがちである。それより与党をチェックする機能を発揮してもらいたい。そうした面で民主党はもの足りない。一般会計の倍脹れしたキャッシング体質は何故に放置され続けるか。国会のコントロール外にある特別会計に与党と政府官僚との政治的な癒着は幾らでもあるばずで、「性善説に基づく検査」などという訳のわからないチェック体質そのものこそ今の野党自身である。どうせ対案を持ち出したって出来栄えは大したことないのだから大いなる政党助成金、つまり税金の無駄遣いである。まあ客観的には朝鮮半島も台湾海峡も、あくまでも「休戦状態」なのだから少なくとも非武装・中立なんて妄想にトリツカレテモ現実逃避にしかならない。だからといって、防衛「省」構想もアホらしい。この日本を取り巻く情勢すら「曖昧模糊」としているのに何もバカみたいに明確な定義づけを改憲やら格上げなどでしなくても良いのだ。いわゆる「共謀罪」を巡る委員会質疑も、あるいは巷を騒がせている耐震偽装の問題への対応も、政権交代政党としてではなくて、野党第一党なりのキチンとした「捻り」を効かしたパンチを与党に食らわせないと。私には実は今の状況に至っても与党を揺さぶれない民主党の甘さというものは有権者すら顧みない意識の露呈なのだと思える。たしかに選挙に勝たないければ政権交代は実現しない。けれども今の都市優先の姿勢というものは必然的により戻しで変わる。そのときの地方重視を担える政党への期待感は私だけのものではないだろうと思う。「改革」ということばのニュアンスには実は地方の台頭と、それを抑圧する中央集権との鬩(せめ)ぎ合いというものすら含まれている。その歴史的な帰結というものを考えたときに現在の状況というものは、あくまでも暫定的な対処の連続でしかない。こんなパッチワークの政治というものは何か変化を強烈に食らうと、いとも簡単に崩れ去る可能性を秘めている。そのことに本当は政権交代の実質的な意味は求められるのではないか。そうした理屈を抜きにした書生論というのは実は一番、処世術に近いのである。そんな状況を今の民主党に限りなく感じる。
December 17, 2005
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自民党税調のインナーは財務省と常に一体化している。まあ国の歳出の半分は公務員給与だ、という主張も自民党政調会長は以前にも行っていたよなあ~。国鉄や電電公社あるいは塩・たばこ専売などと同じ様に政治色の強い郵政事業に踏み込みのは時間の問題であったのだ。たしかに政策的には減税なのか手当なのか善し悪しを測定した論説をなかなか見つけ出せない。当事者に云わせれば減税なんかよりも手当の与えるインセンティブは相当に強いらしい。だから公明党側のこだわりは有権者受けを考えると自民党政調サイドも「想定内」のこととして早々と織り込んでいたのであろう。けれども小渕内閣での恒久減税とは結局の所は「まやかし」だったのか。いくら個人消費を喚起させなければ景気は持続的に回復しない、と主張した所で、平均値を目分量としている現在の所得税制は「下流意識」を刺激はしても没落層の没落意識しか喚起しない。法人税制の実効税率を巡る議論も実際には随分と昔から喧々諤々と続いてきているのにキチンと整理されないままである。いくら独立性を担保しているからといって現在の金利水準を放置することは甚だ異常な事態としか思えないし。まだまだ政策をイメージ的な側面からしか捉えられない現状に苛立ちを覚えると同時に飲酒や喫煙に対する政策的な志向をPRしないで単純に計数的な次元で安易に増税を決める姿勢を憂う。
December 16, 2005
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憲法裁判所の設置を主張する見解はないのか。いつまでも統治行為論によって判断を棚上げし続けるならば、どんな改正をしたって永遠に議論は続く。結論なき議論に酔いしれる論客どもは楽しいかもしれないが、選挙区割りを第三者機関に委ねられない国会である。本来の権力分立に値するシステムなくして、この行政優位の国が変わることはできない。
November 27, 2005
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まことに恥ずかしい話だが日々あれこれ威勢良く書いている割には気に食わぬ人物の言動や著作(?)へのフォロー不足を痛感している。麻生と竹中という水と油が引き続き閣内に留まる不思議と与謝野が金融と財政を兼務するという巡りあわせ。ここに何がしかの経済政策の転換点が見られるかもしれないと。かねてから麻生は小泉の経済政策を真っ向から批判していた。当然のことだが今回も小泉は敢えて谷垣を外さずに麻生を外務へ回した。麻生の述べるとおり現在のデフレ経済はサラリーマンや懐に余裕のある主婦層にとっては願ったり叶ったりの購買力を増やす経済状況であるため、先の選挙でも大多数の有権者から支持を得てしまった。けれども経営者の立場からすれば先行きの見えない状況に変化はない。それはデフレ経済下では不可避の状況であり、いくら政治家が有権者に訴えた所で、ほとんどの有権者には届かない。こうしたシリアスな現実をリアルに伝えるコトバを麻生は持っている。残念ながら谷垣には麻生が酷評するように「リーダー足りえない東大生」のレッテルがつきまとうし。そうした意味でポスト小泉は麻生が常々しきりにいう「壊し屋の後の造り屋」としての存在が求められるのだろう。少なくとも小泉の「イエスマン」でない人物が台頭することを願わずには居られない。
November 2, 2005
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第三次内閣改造は実に無責任な組閣となった。ツー・プラス・ツーでの合意を誠実に履行すべき当事者を外してしまった。地方分権と言いながら三位一体の改革も断行できない。沖縄担当に小池を留任させるとは・・・。巷ではポスト小泉が云々と下らぬ論評ばかり。私に云わせれば遅れてきたネオコン内閣だ。加藤の乱でやたらと泣きべそを人前で晒した谷垣。創氏改名を肯定した麻生。彼らに本気で次の内閣を託そうと考える方がバカである。ポスト小泉を射ようとする者は福田の様に敢えて小泉と一線画する方がマトモなスタンスである。まったく根拠のない漠然とした見方だが、この内閣は相当なスキャンダルに、右往左往しそうな予感がする。あれだけの強引なスタイルで築き上げた天下は案外と脆い。総務会長の久間が「来年の9月までは選挙がない」などと、口を滑らしていたが、私には既に政権与党の驕りと慢心とが見え隠れしている様に思えたし、おそらく近いうちに彼らがあたふたとする時が訪れると見ている。【補足と訂正】上記で麻生についての記述に一部、穏当でないコメントをした。「下らない」と一蹴したポスト小泉評ではあるが彼の事務所HPに掲載されていたコメントには一読の価値を見た。(http://www.aso-taro.jp/kamanosato/index.html)
November 1, 2005
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もはや凋落の一途を辿り始めたブッシュ。それだのに未だ阿る日本の政治家。はっきり云ってバカだ。ちょうどNHK教育テレビを聴いていたら金子光晴のセリフが流れていた。あの当時と日本人の体質は変わっていないな。むやみに無批判に大勢を受け入れることの危うさ。それは近ごろでもイラク侵攻を巡るヘンテコリンナやりとりでも明らか。それなのにアホナ前原誠司は、それでも日米関係重視なんて訳の判らん書正論もどきを堂々と述べるから困るよねえ。どんな理屈をこねても中国を無視した関係は成立しないのに。そんな政治感覚しかない奴らが外交を云々する。これは、どう考えたって異常なことなのだ。ほんとうに安全保障ということを考えているのならば地政学的な条件から見て隣国との関係性を無視することはできないはずだ。それを省みない彼らたちが自らの主張を正当なものだと誤認している状況は極めて危険である。
October 31, 2005
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小泉自身が否定をした選挙制度が今の小泉を支える矛盾。政党助成金を否定し衆院の全選挙区への候補者擁立を見送った日本共産党。いびつな形による政党政治が築かれつつある今、私たちは「目に見える経済」以上に「目に見えない政治のコスト」にも自分たちのセンスを研ぎ澄ますべきである。それは「目に見えなくする社会」の象徴である巨大メディアに対する「批判的な自分なりの態度」を規定することから始まる。あくまでも保守の本質は「保守」である。1986年の衆院選で304議席を獲得した当時と同じ様に2005年の衆院選で296議席を獲得した自民党は動き出している。1989年に消費税導入があった様に2008年には消費税は10%の大台に乗るであろう。そして、昭和63年の税制改革と同じ様な「抜本的な改革」が平成19年に実施されるであろう。これはポスト小泉がどんな状況にあっても変わらぬ道のりである。遅れてきたサッチャリズムは、すでに自衛官への向き合い方に象徴的である。たぶん、これを一歩おし進めると教員給与削減を通じた組合潰しへと移行し、まさに大学が荒廃し、社会を支える立場としての優位性を権力の膝元にある、警察官や自衛隊に今まで以上に与えるのだろう。そうなれば状況は、特別高等警察や兵隊さんたちを偉いと規定した、かつての世の中とソックリになるね。
October 30, 2005
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この国の豊かさは決して自国内のみで成り立っているのではない。このことを自明のものとして私たちは現在をとらえる必要がある。それは、日米同盟だと確信(というか自らに「言い聞かせている」という懸念があるにせよ)する、という人も居るし、いや、米中の間にある地政学的な立場から規定をしようと考える人も居る。私個人は、かの日英同盟の破棄に至った経緯を考察すれば、同盟関係というものは未来永劫の枠組みではなくて、世界情勢という相対的な正に「関係性」の産物であって、これを絶対視することには同意しない。このスタンスから考えると今の日本外交は国内へ大きなダメージを与え続けている極めて不安定な状況にある。自らのスタンスを規定せずに大国のヘゲモニーに極端に阿ったり、あるいは極端に反発したり、首尾一貫しない。もともと内国的な視野狭窄に陥った人物を首相としているが故に、このリスク要因は容易に払拭できそうもない。けれども、これらの問題への対処をポスト小泉に転嫁をせずにキチンと向き合って進めていく責務を自覚させねばならない。
October 29, 2005
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今週も国会の会期中ということで党首討論が催された。「小さな政府」づくりについては競い合わない、などという間抜けなセリフを相変わらず松下政経塾上がりの前原誠司・民主党代表は吐いていたが。この点では山口二郎の述べるとおり、そもそも自公連立政権と民主党は絶対的に違うのだ、という根本的な対立軸を「リアルに描く」方がマトモな戦術かと思うが。神奈川県選挙区での参議院補欠選挙だって、既に衆議院に候補者を擁立した時点から視野に入れて戦うのが選挙の常道ではないか。公示期間中に街頭でアンケートを取るなよ。そんな小手先のハッタリで向こう6年間の議席を得ようという浅はかな根性が非常に問題です。たぶん、議員歳費もろもろ足し込めば約1億円以上の収入を与えるのですから、もっと本気で選挙準備をして欲しいものです。このことが小沢一郎と根本的に違うのです。民主党チルドレンは、小泉チルドレンを侮る前に自らの不遜さを悔い改めなさい。そうしなければ有権者にとっては、ただの鼻持ちならない屁理屈野郎としか認識されないでしょう。だって、米国での弁護士の資格を持つ方が参議院議員として客観的に相応しいことをどうやって一般の有権者は理解し、納得できるのでしょうか。その辺り、民主党支持者の方も違和感を覚えませんでしたか。これは私の独り言ですけれども・・・。
October 27, 2005
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「かたくな」が身上の小泉・武部ラインを象徴するのが、BSE対策である。そして片や新ラウンドでは育成などそっちのけで補助金漬け農政を保守する。うがった見方をすればBSEにかこつけて国内の畜産業者を保護しているのだとも見れなくない。たしかに大義名分は食の安全と「安心」なのだから理屈を挙げれば半永久的に拒む正当性は確保できよう。だからといって私は年内にも政治的な決着を図る、との方向性には大いに疑問を抱いている。その背景には少なくとも新ラウンドは勿論のこと、日米間に横たわる懸案の数々がネックとして存在しているはずである。普天間の代替に関する合意が進展しないこととツー・プラス・ツー後の日米両国軍による連携強化とは実質的には表裏一体のような気がしている。もはや、日米安全保障条約のカテゴリーには、軍事的なプレゼンスのみならず、経済的なプレゼンスとしての(実質的には日本の片務的な)協調・協力関係が含まれている、と理解することに異論はなかろうが。
October 25, 2005
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どんな権力も、その行使は謙抑的でなければならない。しかし、為政者の恣意的な解釈は、そうした謙虚さを排除する。日本の外交戦略として、靖国神社を最優先する結果として得られたものは何であったのか。あれだけの饗応を繰り広げた国連外交の帰結を見れば明らかである。それは鈴木宗男代議士が言わずとも客観的には明白な事実である。それでも神奈川県民は川口順子氏を参議院議員として当選させた。ある意味で民主党は党首討論では見栄を張れても選挙戦ばかりは相変わらず何の戦略も展望も持ちえていないことを晒した。これで良いとは思わないが闇雲に神輿を担ごうとする軽挙さを省みて欲しいものだ。
October 24, 2005
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すっかり党首討論なんて忘れていました。相変わらず前原は、高坂ばりの勿体ぶった物言いでしたが私の意図した辺りで突っ込んでいた印象を受けました。けれども、そもそもは「為政者としてのバランス感覚に欠ける」と一言云えば済むことです。きわめて極論を云えば「己が信念のために国を危めるなかれ」なのです。この抜き差し、というか駆け引きをセンスとして持ち合せていないところに小泉の欠陥は端的に示されるのです。たしかに議員年金は廃止されるようですが多くの国会議員は地方議会を経験しており極端に痛手を負うものはいないのです。そんな小手先のこと、ですが今までの政府は一見して下らないことにすら手をつけなかった。そして野党も結論として自らの既得権益に縋り自民党よりも保守的であったのです。そうした姿が確かに「改革まつり」にて大いに炙り出された側面もありますよね。だから議員年金廃止は、国民年金の抜本的な見直しに国会議員も否が応なく向き合わざるを得ない。そういう風に小泉は民主党を見て判断したのでしょうか。けれども民主党ほか野党は愚直に「そんなこと公約でキチンとアピールしていない」を基本的に叫ぶべきです。その意味で、マスコミも流行りモノには敏感になって尻馬に乗る姿勢を大いにチェンジして欲しい。選挙後の報道は「後出しジャンケン」連発でしたから。
October 20, 2005
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やはり小泉は秋の例大祭に合わせて靖国を訪れた。中華人民共和国の駐日大使コメントは、自国の有人宇宙飛行船が帰着する日を狙って敢行するとはナメテイル、といった論調であった。このセリフが本音ならば、ODAなんか即刻、打ち切ったほうが良い。だいたい自国民に信仰や政治的活動の自由を与えない国が他国を侮辱する権利を持ち得るのか。といったナショナリズムを本来は、煽るべきときではない。けれども歪んだ大国観を増長させている中華人民共和国に言いたい放題されることも甚だ屈辱的なことである。これまでも日本は、米国に卑屈なまでに追従してきた。それを同じ様に中華人民共和国に対しても繰り返すならばナショナリズムは容易に扇情されて「小泉ファシズム」が成立する余地なしとはしない。だから中華人民共和国の首脳層は賢明な態度を省みた方が良い。あなたたちが自国の力を誇示するかのようにして他国を侮辱する言説を繰り返すのであれば、日本の一般的な国民感情も中華人民共和国という国を忌み嫌う、という嘗ての道を再び辿ることもあり得るのだと。そうしないと、本質的に小泉が抱えている問題を日本国内で冷静に論じる素地も失われてしまう。そして、単純化された中華人民共和国に対する誹謗・中傷のみが公の場で喧伝され始めるだろう。ここに公での言論を封殺する中華人民共和国では政府に異議申し立てすることが事実上、却下されて、自らを誇示する論調しか表には出てこないという悲劇的な展開が予想される。
October 17, 2005
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こんなに断続的に降られると好い加減にウンザリだ。そう、ウンザリは決して天気だけではない。郵政民営化法案の採決である。山口二郎や宮台真治が云うように民主党にはキチンとした「闘い」方をして欲しい。他の野党との差別化ではなく、同じく小泉不信任を引き受けた野党第一党としての自覚を持って。もう負け組同士のゼロ・サムゲームに無駄な労力を費やしてはならないのだ。郵政民営化法案が可決した後をキチンと語らなかった与党に「与党は有権者を騙したのだ」と声高に叫べば良い。一つ一つの政策がいちいち「国民投票」に付されるべきだと語ったのは小泉である。そして自らが率いる政府を自ら否定するという矛盾を最初から抱えた存在にマトモな答えなど元々ないのだから。
October 11, 2005
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ある意味で梅雨時よりもダメージが大きい。油断すると、すぐ喉をやられる。郵政民営化法案の再審議も民主党の浮き足立った「茶番」に厭きれてしまう。それに増しても野田聖子議員は「無節操」の烙印を一生、背負っていくべき。何よりも岐阜一区で彼女に票を投じた有権者との間に交わした契約をも反古にすべき「大義」や「名分」が判然としない。これでは代議制度は信頼を失う。中曽根参議院議員も同じである。自らの信念と相容れない理不尽な物事には、議員を辞職しても「筋」を通すべきである。それが政治家としてのモラルだし有権者に対する誠実な行動である。可笑しいものに対して毅然とした態度すら見せない政治家が多すぎる。
October 10, 2005
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スミマセン。好い加減な書き方で。日本にはドイツのような憲法裁判所がないために、訴えの利益がないと請求棄却になってしまう。あくまでも傍論として当該行為が法に抵触するかどうか見解を示す場合があるにとどまってしまう。知的財産裁判所を設けたように、憲法裁判所を設ける時期かもしれないです。ただし、議員定数の事情判決を見るように司法審査を通じた立法・行政府へのコントロールは極めて脆弱です。日本でも選挙制度や当事者利害に関わる問題への対応として常設の「第三者機関」を設け事前・事後のチェック体制を積極的に公共的機関へのコントロール手段として充実させていく必要を感じます。
October 1, 2005
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昨年の福岡地裁と昨日の東京高裁そして今日の大阪高裁。違憲、棄却、違憲とコイズミの1勝2敗。今後も引き続き高裁、最高裁へと争われるのだろうか。この司法による「違憲」判断と野党からの「批難」。必ずしも同じではない。司法判断が下ったということと、近隣諸国との関係とを混同してはならない。もう少しシャープな考え方でとらえれば「改憲」を党是とする政党が行う政治的行為は「違憲」の可能性を帯びてくる、ということなのだろうか。それとも政府の一部を構成する人間には憲法規範が公務員として当然に規律基準として作用する、ということなのだろうか。ぜひとも最高裁まで争って、この疑問に答えて欲しい。
September 30, 2005
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ペルシャ湾での掃海行動に強く異議を唱えた故後藤田氏。しかし海部内閣では実行されてしまいPKOへと道を拓いていく。あの野中広務氏もイラク派遣には強行に反対した。この点で「普通の国」を唱える小沢一郎の考え方は自民党よりも急進的である。前原民主党は自民党よりも先鋭的な考え方でイラク問題を判断する可能性がある。ナベツネですら「国の方向を誤らせた奴らが眠る、靖国を拝むに値せず」と言い切るのに。郵政や年金あるいは医療と政治的課題は目白押しだ。けれども本当に大切なことは何も省みられてはいない。少なくとも政治の果たすべき役割を抜きにして「官」や「公」を語るなかれ。「政」は決して「民」ではない。「政」の過ちは「官」や「公」の過ちと成り得る。日本のマスコミは「政」が「官」を打ち破る、という構図を描きたがるけれども実際には違う。「政」と「官」とは政府を構成する存在であり「官」の失敗は「政」も等分に責任を負うべきなのである。「政」は、「政」となった瞬間から既に「官」と連帯して国のあり方に責任を負う存在となるのである。これが代議制度の基本的な構造である。そのことに無自覚な「政」が「官」に関わろうとするとき本当の意味で国は衰退していく。そのリスクに無自覚な「民」が「政」を選択するとき、その選択は白紙委任に限りなく近いものとなる。
September 23, 2005
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アメリカの半分の割合しか公務員がいない日本。これが現実です。それでも、政治家は「小さな政府」と言う。ほんとうは、自分達の政策というものがないために官僚の立案に縋ってしか物事を決められなかっただけなのに。実際には日本は、「低負担・高福祉」というアンバランスな財政構造を放置している。もし、「低負担」に語弊があるならば「益税」を是正しない無策税制ですか。あるいは、「高福祉」に違和感があるならば「資産保有者の持てる格差を助長する年金垂れ流し制度」を見直さない放任の福祉政策と言い換えましょうか。ほんとうの公務サービスというものは、「他にやり手がいなければ誰がやる」問題を引き受ける存在であるはずです。たしかに、郵政事業も福祉介護事業も公務員でなくれも「他にやり手」はいます。けれども民間の運輸業界や介護の現場を知っていますか?彼らの生活待遇を見て安ければ良いと現状を肯定できるのでしょうか。もし肯定されるのであれば私には「搾取」を肯定するとしか思えません。国民の目から見て共済年金の給付は高いと云うけれども、本当に考えなければいけないことは、そうした二重構造にとり込まれた国民生活を「政治」が規律している、ということ。政治家やマスコミの安易なアジテーションに乗って自らの低水準の生活の不満の矛先を単純に公務員へと向けることほど大企業家達を喜ばせることはないでしょう。
September 22, 2005
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果たして鳩山を幹事長に据えた理由は同じ改憲派だったからなのか。党役員の人事を見て感じるのは、前原と基本的に同じスタンス(つまり改憲肯定論)を持つ面々がメンバーを占めている点である。私は、良い意味で政治とは「妥協の産物」でなければならない、と考えている。けれども今回の民主党を見て、どう贔屓目に考えても、そうした政治的な思考法の「厚み」を感じられない。あるのは、ただ岡田以上に偏狭で窮屈な姿勢のみである。「自衛隊があるのに憲法第9条が現行のまま放置されているのは、おかしい」などと書生みたいな口を利くことが果たして今の政治状況にとって民主党ひいては国家の死活問題に関わることなのか。そんな書生論を押し通すことは何でも「とにかく」郵政民営化すれば良い、と主張する小泉と同じか、むしろ、それ以下のレベルへと議論を押し下げている、としか思えない。おそらく、こんなに硬直化をした、融通の利かない面々が向こう1年間で行えることは少ないと私は考えている。
September 18, 2005
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1990年の総選挙で当時、幹事長だった小沢一郎は、折からの東欧民主化を引き合いに「かつて東欧が経験したような社会主義に委ねるのか」と問うた。これは前年の参議院選挙で社会党が大幅に議席を増やしたことに対する危機感から出た行動であった。有権者の多くは消費税が導入された前年の記憶すらも失って(?)自民党を支持した。それでも3年後には自民党内の分裂から政権交代は実現された。皮肉なことに、シュンペーターが説くとおり、資本主義が発展していくと、官僚主義的→社会主義的な傾向を示していくものらしいが。「小さな」政府と年金も医療保険も充実した現在の政府とは、正反対の状態である。いわば、高度成長という資本主義の高度化に従って自民党は長期的には破綻することを認識しながらも、年金や医療保険を充実させてきたのである。金融・財政の観点から見て、もはや国の抱える借金を増やすことは、対外的な側面において信用力を低下させる方向へ強力に作用してしまうことは明らかである。どんなに国内で借金の「持ち合い」を行っても、これではベンチャーが育つ環境が定着しない。そもそも野口が指摘するように1940年体制からの脱却こそが現在、構造改革として推進されていなければならなかったのだが、現実は逆に体制が温存されたままである。これにメスを入れる政策が欲しい。
September 17, 2005
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ついに民主党は自らの失敗にも謙虚な姿勢を失ったかと私個人は思っていた。何も敗因を考えぬまま327議席の自公連立政権に立ち向かうならば、結果は見えている。少なくとも有権者は傲慢な民主党の国会対応を非難したのであり決して拙速に無闇やたらと新代表を決めれば良いとは考えていない。だから、社民党も日本共産党も議席を維持した。国民の三割は明確に「護憲」及び消費税率引き上げに反対しているし、社共の議席は法案の提出権を得られなかったとは云え、非常に明快な主張を持った存在である。この場に至って、菅直人は一体どんな考えを持ち合わせているのだろう。すでにコイズミとの論戦に破れ代表の資格を失っているのに。小沢が立つなら納得するが菅が立つならば私は永遠に民主党には政権は取れないことを確信する。
September 15, 2005
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民主党。代表の首だけを挿げ替えれば問題は解決するのだろうか。結局、臨時国会に間に合わせで代表を決めて、後は再びゴタゴタ揉めるのだろう。ならば昔の社会党よりも酷いかもしれない。今年の2月に「政権準備政党」と勝手に名乗り出したが思い上がりに過ぎない、と私は感じていた。他方、コイズミは来年9月を前に自分の求心力を再強化しようと、同じ頃から選挙対策を練っていた。今回の選挙は党首のリーダーシップが決定的な差となったのだと思う。党内の各グループに阿り自らの主張を貫徹し得ないのは明らかに民主党の側であった。民主党は前原氏で決まる公算が高まってきたが、私には彼の人物像がイマイチつかめない。これで本当に民主党が政権をとる意思はないと見えた。
September 14, 2005
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そもそも郵政民営化なんてコイズミのワガママだったんだ。本来の政治日程であれば、今頃は医療制度の見直しが論点として提示されているはずであった。年金制度と社会保障の両輪を成す医療制度も診療報酬や薬剤価格のあり方からトータル・コストの抑制を実現しないと現状の維持は困難となってきている。規制緩和は何でも容認をすれば良いのではない。逆に政府部門により寡占化をすることで低コストを維持し得るサービスもある。あるいは、道路特定財源も未来永劫、毎年5兆円を確保し続ける必要性はあるのか。あれだけ亀井静香は人相故に叩かれたが彼が自民党の政調会長時代に行った公共事業の転換というのは今後の公共事業に必要なシフト・チェンジを示唆していた。単純に一時的なコスト削減を前提とした財政構造の見直しには限界があり抜本的な対策とは成り得ない。他方、民主党は党内で徹底した議論も闘わせず政策を練り上げる努力もせず無党派の後押しだけを当てにしていた。特に憲法論議などという、時代錯誤的な党内論議を巻き起こした鳩山は自ら党を壊そうとしていたのか。いま国民が求めていることは、そんな高尚なハードの論点ではない。むしろ、平凡な人間が過ごすであろう人生の前に立ちはだかる、生活の不安やネックといった地味でソフトな論点を求めている。そんな気持ちを汲み取って欲しい。
September 13, 2005
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別に不思議な結果ではなかった。既にマスコミは自民296議席を堂々と予告していたし。憲法第9条があるのに自衛隊が存在するという矛盾を人々は憲法改正という手続きを通じて合法的に追認すべきだ、と考えて発議に必要な力を自公連立政権に託したのだ。同時に何を主張したいのか判らない民主党に対し有権者は明確にNoを突きつけた。だからと言って、私は数の論理が必ずしも正しいとは思わない。事実、自民党は国民の三割が支持することによって衆議院で三分の二の勢力を得た。これが小選挙区の制度的な帰結なのである。ただ民主党には自らを判りやすく説明するという基本的な姿勢が最後まで見られなかった。この点を克服しない限り永遠に民主党は政権を獲得できないだろう。党勢の凋落が明らかである以上、もはや民主党は徹底的に自公連立政権に対し常に対案を突きつけて勝負を挑むしか道はない。同時に、官僚システムを打破すると主張するならば、彼らを上回るだけの政策を提示しなければならない。こうした前提に立って考えるならば何故、田中康夫は民主党から離反してまで新党日本を設立したのか、ということを真剣に民主党幹部は反省しなければ、明日の内閣は永遠に「いつか」を彷徨い続けるだろう。特に、田中康夫に対して「そんな考え方なら社民党か共産党へ行けばいい」と言った枝野政調会長の責任は非常に重い。この惨敗が1986年とは同質ではないことを祈りたい。
September 12, 2005
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故・森嶋通夫「サッチャー時代のイギリス-その政治、経済、教育-」(岩波新書・赤49)を久しぶりに読み返した。この本は1988年12月20日が初版だから、実に高校生の時に読んで以来となる。まだ当時は森嶋の指摘するように、日本では自由民主党が保守合同から政権を(新自由クラブとの連立は別として)ほぼ単独で維持していた。折りしも1986年の総選挙では300議席という空前の圧勝を得て55年体制の終焉が言われていた。どうしようもない政治の閉塞感とバブルによってモラルを喪失した社会状況との間にあって私は高校生ながらも「政権交代」の可能性を当時の社会党に託して見ていた。そして土井社会党は1989年、都議選と参議院選挙で圧勝した。その後の、参議院における自由民主党の長期低落は、この時に生まれた。これが後の政権交代にとって大きな素地を作った。当時と今とでは衆議院の選挙制度も大きく変わってしまって一概に比較することはできないが、今の民主党と昔の社会党とは何となくダブって見える。マスコミが報じるように自公連立政権が300議席を占めるのか。たしかに民主党の発展段階から考えれば本当の民主党生え抜きから党首を誕生させてから政権を獲得するのが政党政治の「王道」なのかも知れない。その意味では今回の選挙で民主党は議席を減らすかも知れない。その暁には後継に生え抜きの枝野を党首に選ぶのが賢明な選択と考えられる。飯島秘書官によって骨抜きにされた主要日刊紙の一面は、もはや批判精神から程遠い。おそらく約一ヶ月にも渡るマスコミの報道を浴び続けた有権者たちは純一郎や武法の芝居がかったスポットCMを脳裏に刷り込まれてしまって期日前投票へと足を運んだのではないだろうか。やはり政党政治にあって自由民主党なのに「比例は公明党へ」と呼びかける姿は異常である。つまり小泉純一郎や神崎武法は「池田大作」創価学会名誉会長のダミー、ということなのかな。創価学会の唱える「現世利益」とコイズミの唱える「効率主義」は、きしくも森嶋がサッチャーを評しているのと似ている。短期的な「利己的な」行動規範は、ますます「利己的な」行動の連鎖を強めていく。その結果は、利己心では誰もやらないが、社会に必要な仕事を確実に機能不全へと追いやるのだろう。たぶん、コイズミは「日本に二十五年遅れて来たサッチャー」に間違いない。彼の所信表明で引用した「米百俵の精神」はどこへいったのか。単に、森嶋が評したように「ビクトリア時代への回帰」を謳ったサッチャーの「反革命」的な要素しか残っていなかったのではないか。その証拠に彼が「改革」と称した試みは、ことごとく失敗している。それを認めずに未だ「改革」という神経にマトモな人々は参ってしまうだろう。イシハラもコイズミもトウキョウを日本を今よりも下品な国や都市へと貶めている。
September 10, 2005
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連立政権はコバンザメの存在なくして有り得ない。かつて三島由紀夫が戯曲で皮肉った予言どおりに政治は「中道」という無責任な主張が支持を得ている。あの藤原氏が徹底的な糾弾を試みても、マスコミを非課税と言う底力によって買収した奴らのプロパガンダによって見事に撃沈されてしまった。はっきりと云おう。私は日本共産党も「赤旗」も「聖教新聞」も「創価学会」及び「公明党」も大嫌いである。同じ理由で社民党の土井たか子も民主党の赤松も反吐が出るくらいに嫌悪する。奴らが政治を食い物にする限り、この国に本当の民主主義は根付かない。
September 7, 2005
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週末の日刊紙は、いずれも自民党の「優勢」を伝えた。この報道の背景として民主党が逆転する、との期待的な観測が込められていることは間違いがない。公明党の「ガキ・デカ」こと冬柴鉄三の下品な振る舞いは、さすがに有権者にNoという評価を得ているらしいが。どっちみち第三政党のスタンスによって政権の基盤は作られている。ならば不満があっても自民を推すことは無理だ。
September 5, 2005
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コイズミ改革は残念ながら事業効率化を図るために必要な検討を怠っている。道路公団改革が中途半端な形で国鉄民営化以上の失敗作であることを誰も具体的に指摘しない。透明化の議論と効率化の議論は厳密に分ける必要があった。そこをごちゃ混ぜにして猪瀬直樹氏は「とにかく法律を作ってやりゃいい」と暴言を吐いた。マスコミの報道に煽られ多くの世論も彼を支持した。けれども副総裁も新会社の社長も捕まった。何も洗い出せずに枠組を決めたら、結局はどうなるのか。そのことを示す象徴的な出来事であった。それにもかかわらず野党は与党を追及できない。石原慎太郎は「危機管理のための組織をアメリカみたいにやる」と言って構築し始めている。けれどもアメリカで起こったことは一体、何だったのか。単なる仕掛けだけでは機能しない。過疎地の郵便局も国が設けている郵政公社でカバーすべきなのか。むしろ自治体に委託する選択肢もあるのではないか。その点で廃案になった法案は「国ありき」であって、「地方分権」とは言っても「地方主権」を認めない。このことは道路税源配分を巡る指定都市の優遇に見る「国の求める望ましい自治体」像しかない現行の地方自治制度の粗末さを物語っている。
September 4, 2005
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