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おはなし小箱4 天国と地獄[天国と地獄]暗い暗い地獄では、相変わらずたくさんの亡者が鬼に追い立てられていました。鬼は逃げ遅れた亡者をこう叫んでムチで打ちたたくのです。「そうれ、走れ走れ。お前たちは永遠に助からない。どこまで行っても暗い闇。誰一人助けになんか来るものか。」「苦しめ、苦しめ。自業自得だ。お前たちにもう未来は無い。夢も希望も自分で捨ててしまった。」亡者どもは必死。疲れて倒れようものなら、鬼どもにさんざん踏んづけられて煮えたぎるお湯の中に放り込まれてしまうのです。その亡者の一人にブンゾウという男がいました。生きている時はたくさんの手下を持つ泥棒の親方でした。もう長い間地獄を逃げ回っているうち、ほとほと疲れ果て何とか地獄を逃げ出せないかと考えていました。しかし一匹のでかい鬼がどうしてもスキを見せません。そいつはギラギラした目付きでブンゾウばかり狙って責めまくるのです。そいつのムチは、ほかの鬼のムチより数倍痛くて体の芯までひびきます。ある日のこと、岩山の脇を逃げ回っていたブンゾウは、洞窟を見つけて飛び込みました。気付いた例のでかい鬼がドシドシとあとを追ってきます。「おい、待て、ブンゾウ! 地獄から簡単に逃げ出せると思っているのか。おのれ見ておれ、ひねりつぶしてやる。」ビシリ、ビシリと鬼の長いムチが体に食い込みます。ブンゾウは痛さで叫びながら走り続けました。やがて鬼の足音が聞こえなくなった頃、深い裂け目の有る岩肌へやって来ました。道は裂け目にそって次第に細くなっていきます。そこをしばらく歩いているうち、とうとう道の広さは片足一つ、のせられるほどになってきました。このままでは道は無くなってしまいます。道の脇は底が見えない裂け目。そこへ落ちたらもっと恐ろしいことが待っているに違いありません。かといってあの鬼どものところへ帰るわけにはいきません。ブンゾウは岩肌に張り付き、一休みして思いました。『ああ、おれは馬鹿だった。もっと真っ当に生きておれば良かった。たかが数十年の盗みのために、こんな所で何百年も苦しむとはな。』とその時、一人の白髪の老人が前方から歩いてくるのが見えました。不思議なことに、道がほとんど無いのに、さも道が有るようにゆうゆうと歩いてくるのです。その老人は、ブンゾウの前まで来るとこう言いました。「ブンゾウ、やっとお前の馬鹿さ加減が分かったかい。たったそんなことを思うまで何百年かかっておるんじゃ。よし、お前が望むなら、鬼のいないところへ連れていってやろう。ただな、お前の今の気持ちが本当のものだったら着けるが、途中少しでも威張る気持ちを起こしたら道が無くなってしまうからそう思え。」ブンゾウは生きている時、手下に威張ってばかりいましたから、それは結構大変なことでした。でも、ブンゾウはここからどうしても助かりたかった。そこで、その老人に手を合わせ、感謝の気持ちを思いながら少しも威張る気持ちを出さないように注意しました。そうして岩肌を抜け、再び洞窟へ入り、出てきた場所はだだっ広い平原でした。人っ子一人見えませんでしたが、前の地獄よりよほど明るく見えました。その老人は大きい石の近くへ歩み寄り、「お前はここへ座って、今まで盗んだ物と、盗まれて悲しんだ人々を思い出し、その人々へ謝らねばならぬ。それが終わったらまた迎えに来よう。」そう言って去って行きました。その日からブンゾウの心の痛みが始まりました。有り金残らず盗られて泣き出す親子、責任をとり自害した男、そんな今まで苦しめられた人々が次々と前に現れ、憎しみの目付きでブンゾウをののしります。ブンゾウは思わず叫び出すほどでした。そんな状態が数十年も続きました。そうしてやがてそんな人達の怒りも静まった頃、またあの老人が現れたのです。「なかなかうまくやっているようだな。よし、今度は一つ上の世界へ連れていってやろう。」老人はそう言って再び洞窟へ入って行きました。次の世界には人がいて建物が有りました。どれもこれも薄汚いものでしたが、下の世界よりやや明るさが有りました。どうもこの世界は「嘘つき世界」のようです。住んでいる人は嘘つきばかり。嘘をついて他人が困るのが面白いのです。なんともつまらない世界でしたが、ブンゾウには人に会えるだけでうれしいと思いました。そこで嘘をつかない修行を数十年続け、再び上の世界へ上がりました。このようにして「高慢ちきな世界」「口が悪い世界」「下品な世界」「やる気のない世界」とそれぞれ長い間を過ごし、やっと最初の天国と呼ばれる世界へ至りました。そこは「普通の世界」です。ときどき悪いことも考えるけれど自制心があり、困った人がいると助けたりもします。しかし、ブンゾウには目もくらむような明るい世界に感じました。空には太陽が輝き、透き通る青空も有ります。ブンゾウはその美しさに心を踊らせながらキョロキョロしていると、向こうの方から美しく光るでかい人が歩いてくるのが見えました。その男はブンゾウの前でほほえんで言いました。「ブンゾウ、よく頑張ったな。わしはうれしいぞ。」「あっ、あなたは! 」ブンゾウはおどろいた。なんと、あの地獄のでかい鬼ではないか。今はツノはなく、目元やさしく、体は光り輝いているが。「そうだ。わしはお前をつねに見ていた者だ。お前が道を誤ってしまったのでひどく悲しかった。だが、お前はよく反省してやっとここへ帰ってきてくれた。地獄へまで落ちた経験はきっと人の役に立つことだろう。ブンゾウ、まだまだ道を誤って苦しむ者がたくさんおる。お前も、もっと修行を重ねてその者たちを救ってやってくれないか。お前も今は分かったように、あの者たちの誰も無用なものはいないのだ。」ブンゾウはワッと泣き出してしまいました。(文責:津幡町 吉田恵一)☆☆☆ 石川県観光名所と宿泊施設 ☆☆☆(大きい写真を使っているため、やや動きがのろくなります。ご了承ください。)[金沢市内観光(1) (2) (3)] [金沢市・花・景色・街並] [金沢周遊観光バス紹介] [河北郡] [七尾市] [穴水町・能登町] [珠洲市] [輪島市] [志賀町] [羽咋市] [白山市] [能美市] [小松市] [加賀市] [石川県昔話名所] [石川県妖怪名所] ホームでは石川県全域のお宿を紹介しています。どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.11.15
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加賀市おすすめ観光名所 2011年11月11日更新[北前船主屋敷 蔵六園]北前船は、江戸時代から明治時代にかけ海を駆け巡った商船です。中には大きく財をなしたものもおり、その屋敷跡が加賀市橋立町に残っています。「蔵六園」は当時のままの姿で残る北前船主の大規模な屋敷跡。国指定登録有形文化財。敷地約千坪、建坪約300坪の広大さ。総漆塗りの屋敷、贅を尽くした調度品、全国の銘石を配置した遠州流の庭園も見事です。ティールームではお茶がいただけます。近くには「北前船の里資料館」、白亜の灯台が美しい絶好の景勝地「加佐ノ岬」が有ります。[北前船主屋敷 蔵六園] クリック2回で最大画像になります[加佐ノ岬] クリック2回で最大画像になります(アクセス)車で、片山津ICから7分。バスで、JR加賀温泉駅からキャン・バスに乗り蔵六園下車。30分。(入館料)→ 中学生以上400円、小学生以下200円 (駐車場)→ 無料。(問合せ)→ 蔵六園 0761-75-2003 最も分かりやすい写真、動画、地図をご紹介します。コピーして検索窓に貼り付け、そのトップをご覧ください。(1動画)→ 北前船 NaviTabi (2動画)→ 加佐の岬~北前船の里資料館 フォトムービー(3写真)→ 加佐ノ岬 きまっし金沢(グーグルマップ)→ 加賀市橋立町 北前船主屋敷□□最寄の宿泊施設□□民宿 北前船 北前船主屋敷跡を改造した民宿 人気宿 → [山中温泉 (1) (2)] 石川県を訪ねてみませんか。加賀百万石城下町 金沢。少し路地に入れば当時のおもかげと伝統技に出会えます。能登は海、空の青、白い雲、きときとの海の幸。加賀は白山、温泉の地。どこもみな、きっと心に残る旅になるはずです。石川情報→ [ケイの石川県森林公園写真集] [石川県方言検定] ☆☆☆ 石川県 お勧めの宿☆☆☆ [金沢駅前] [金沢市内(1)安価家庭的 (2)繁華街 (3)中心街 (4)郊外] [河北郡] [七尾市] [能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [志賀町] [羽咋市] [白山市] [小松市(1) (2)] [加賀市]☆☆☆ 石川県の温泉☆☆☆[和倉温泉(1) (2) (3)] [輪島温泉] [羽咋志賀の郷温泉] [湯涌温泉・深谷温泉] [白山一里野温泉] [白峰温泉] [白山 手取温泉・辰口温泉] [山中温泉 (1) (2)] [山代温泉(1) (2) (3)] [片山津温泉(1) (2)] [粟津温泉・赤穂谷温泉]☆☆☆ 料理がおいしい宿 ☆☆☆[金沢市] [能登町] [珠洲市] [輪島市] [羽咋] [白山市] [小松市・加賀市]☆☆☆ ペットと泊まれる宿 ☆☆☆[ペットと泊まれる宿(1) (2) (3)] [ペットホテル]☆☆☆ 観光名所と宿泊施設 ☆☆☆(大きい写真を使っているため、動きがややのろくなります。ご了承ください)[金沢市内観光(1) (2) (3)] [金沢市・花・景色・街並] [金沢周遊観光バス紹介] [河北郡] [七尾市] [穴水町・能登町] [珠洲市] [輪島市] [志賀町] [羽咋市][白山市] [能美市] [小松市] [加賀市] [石川県昔話名所] [石川県妖怪名所]☆☆☆ 石川県特産品 紹介 ☆☆☆[石川うまいもん(1) (2) (3) (4)] [石川スイーツ(1) (2) (3) (4)] [石川激安米] [石川の地酒(1) (2)] [加賀友禅レンタル (1)黒留袖・色留袖 (2)訪問着・振袖][能登珪藻土七輪] [金沢花友禅 ゆかた] [携帯用品] [ペット用品] [その他] ホームへ
2011.11.11
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能登おすすめ観光名所 2011年11月11日更新[羽咋市 妙成寺]羽咋市にある日蓮宗北陸本山。日蓮上人の孫弟子日像が開祖。能登随一の大伽藍を持っています。本堂、五重塔、祖師堂、経堂など10の建物が国の重要文化財指定。特に五重塔は壮観です。1.5km程度離れて柴垣海岸があります。クリック2回で最大画像になります(アクセス)→JR七尾線羽咋駅から能登西部バス高浜方面行きで20分、妙成寺口下車、徒歩10分(駐車場)→ 無料(問合せ)→ 妙成寺 0767-27-1226最も分かりやすい動画、地図をご紹介します。コピーして検索窓に貼り付け、そのトップをご覧ください。(1情報)→ 妙成寺 公式ホームページ (1写真)→ 妙成寺 きまっし金沢(2写真)→ 妙成寺(石川県羽咋市) Photoroom (グーグルマップ)→ 羽咋市 妙成寺 □□最寄の宿泊施設□□。妙成寺から近いお宿をご紹介します。柴垣海岸のお宿です。料理民宿 大森・・・1.5km 柴垣海岸の中 安価 料理自慢料理旅館 大社庵・・2km 柴垣海岸すぐ近く 料理が大人気石川県を訪ねてみませんか。加賀百万石城下町 金沢。少し路地に入れば当時のおもかげと伝統技に出会えます。能登は海、空の青、白い雲、きときとの海の幸。加賀は白山、温泉の地。どこもみな、きっと心に残る旅になるはずです。石川情報→ [ケイの石川県森林公園写真集] [石川の方言] [石川県方言検定] ☆☆☆ 石川県 お勧めの宿☆☆☆ [金沢駅前] [金沢市内(1)安価家庭的 (2)繁華街 (3)中心街 (4)郊外] [河北郡] [七尾市] [能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [志賀町] [羽咋市] [白山市] [小松市(1) (2)] [加賀市]☆☆☆ 石川県の温泉☆☆☆[和倉温泉(1) (2) (3)] [輪島温泉] [羽咋志賀の郷温泉] [湯涌温泉・深谷温泉] [白山一里野温泉] [白峰温泉] [白山 手取温泉・辰口温泉] [山中温泉 (1) (2)] [山代温泉(1) (2) (3)] [片山津温泉(1) (2)] [粟津温泉・赤穂谷温泉]☆☆☆ 料理がおいしい宿 ☆☆☆[金沢市] [能登町] [珠洲市] [輪島市] [羽咋] [白山市] [小松市・加賀市]☆☆☆ ペットと泊まれる宿 ☆☆☆[ペットと泊まれる宿(1) (2) (3)] [ペットホテル]☆☆☆ 観光名所と宿泊施設 ☆☆☆(大きい写真を使っているため、動きがややのろくなります。ご了承ください)[金沢市内観光(1) (2) (3)] [金沢市・花・景色・街並] [金沢周遊観光バス紹介] [河北郡] [七尾市] [穴水町・能登町] [珠洲市] [輪島市] [志賀町] [羽咋市][白山市] [能美市] [小松市] [加賀市] [石川県昔話名所] [石川県妖怪名所]☆☆☆ 石川県特産品 紹介 ☆☆☆[石川うまいもん(1) (2) (3) (4)] [石川スイーツ(1) (2) (3) (4)] [石川激安米] [石川の地酒(1) (2)] [加賀友禅レンタル (1)黒留袖・色留袖 (2)訪問着・振袖][能登珪藻土七輪] [金沢花友禅 ゆかた] [携帯用品] [ペット用品] [その他] ホームへ
2011.11.10
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加賀市おすすめ観光名所 2011年11月12日更新[山中温泉 山中座]山中座は山中温泉街にある山中漆器の技術の粋を集めた館です。館内の内装の至るところに、職人技を見ることができます。毎週土日祝日に、ここで山中芸妓による山中節の舞が演じられます。ゆったりと温泉に入って芸子さんの舞を見るのもいいですね。[山中座 天井][山中座 劇場] クリック2回で最大画像になります[山中温泉こおろぎ橋] クリック2回で最大画像になります(アクセス)バスでJR加賀温泉駅から約25分「山中温泉」下車徒歩約5分車で北陸道加賀IC・片山津ICから30分。小松ICから25分その他、加賀温泉駅まで各旅館の送迎バスも有ります。(舞鑑賞料)→ 中学生以上700円、3歳~小学生350円 3歳以下無料大人 菊の湯入浴券付1000円も有ります。 (駐車場)→ 無料。(問合せ)→ 山中温泉観光協会 0761-78-0330 最も分かりやすい写真、動画、地図をご紹介します。コピーして検索窓に貼り付け、そのトップをご覧ください。(1情報)→ 山中温泉 山中座 (2情報)→ アクセス 山中温泉観光協会 access (3動画)→ 山中温泉「山中節道中流し」山中座前 youtube (4動画)→ 山中節 吉田菜央美 youtube(5動画)→ 石川県 山中温泉そぞろ歩き ahomura(グーグルマップ)→ 加賀市山中温泉 山中座□□最寄の宿泊施設□□→ [山中温泉 (1) (2)] 石川県を訪ねてみませんか。加賀百万石城下町 金沢。少し路地に入れば当時のおもかげと伝統技に出会えます。能登は海、空の青、白い雲、きときとの海の幸。加賀は白山、温泉の地。どこもみな、きっと心に残る旅になるはずです。石川情報→ [ケイの石川県森林公園写真集] [石川の方言] [石川県方言検定] ☆☆☆ 石川県 お勧めの宿☆☆☆ [金沢駅前] [金沢市内(1)安価家庭的 (2)繁華街 (3)中心街 (4)郊外] [河北郡] [七尾市] [能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [志賀町] [羽咋市] [白山市] [小松市(1) (2)] [加賀市]☆☆☆ 石川県の温泉☆☆☆[和倉温泉(1) (2) (3)] [輪島温泉] [羽咋志賀の郷温泉] [湯涌温泉・深谷温泉] [白山一里野温泉] [白峰温泉] [白山 手取温泉・辰口温泉] [山中温泉 (1) (2)] [山代温泉(1) (2) (3)] [片山津温泉(1) (2)] [粟津温泉・赤穂谷温泉]☆☆☆ 料理がおいしい宿 ☆☆☆[金沢市] [能登町] [珠洲市] [輪島市] [羽咋] [白山市] [小松市・加賀市]☆☆☆ ペットと泊まれる宿 ☆☆☆[ペットと泊まれる宿(1) (2) (3)] [ペットホテル]☆☆☆ 観光名所と宿泊施設 ☆☆☆(大きい写真を使っているため、動きがややのろくなります。ご了承ください)[金沢市内観光(1) (2) (3)] [金沢市・花・景色・街並] [金沢周遊観光バス紹介] [河北郡] [七尾市] [穴水町・能登町] [珠洲市] [輪島市] [志賀町] [羽咋市][白山市] [能美市] [小松市] [加賀市] [石川県昔話名所] [石川県妖怪名所]☆☆☆ 石川県特産品 紹介 ☆☆☆[石川うまいもん(1) (2) (3) (4)] [石川スイーツ(1) (2) (3) (4)] [石川激安米] [石川の地酒(1) (2)] [加賀友禅レンタル (1)黒留袖・色留袖 (2)訪問着・振袖][能登珪藻土七輪] [金沢花友禅 ゆかた] [携帯用品] [ペット用品] [その他] ホームへ
2011.11.09
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能登おすすめ観光名所 宝達山 2011年11月8日更新[宝達山(ほうだつさん) 登山]宝達山は羽咋郡、かほく市、津幡町、富山県にまたがる山で、標高637m、山頂は宝達志水町、能登地方の最高峰。山頂からの眺望は絶景、能登半島、北アルプス連峰を一望できます。特に夜、いかつり漁船の漁火が輝く夜景はお勧めです。山頂まで徒歩でおよそ150分、道は狭いですが舗装道路がありドライブもできます。山頂公園の休養施設「山の龍宮城」にはテラスや軽食コーナーもあります。「宝達山」の名前の由来は、江戸時代、多量の金銀が産出されたからだそうです。今も小さな水晶くらいなら見つかるとのこと。山から湧き出す水も美しく平成7年「全国水源の森百選」に認定されました。ところで宝達山麓に「モーゼの墓」という珍スポットも有ります。結構まがい物では無くGHQが発掘調査をしたそうです。ただし極秘。[宝達山] クリック2回で最大画像になります(アクセス)JR七尾線宝達駅から車で20分~30分。(休業日) 登山はいつでも。休養施設「山の龍宮城」は水曜(冬は休業)(駐車場)→ 有り 無料 (問合せ)→ 宝達志水町役場 0767-28-5503最も分かりやすい情報、写真、地図をご紹介します。コピーして検索窓に貼り付け、そのトップをご覧ください。(1情報)→ 今日の宝達山 宝達志水町(2動画)→ 能登最高峰の宝の山 youtube notowajima(3写真)→ モーセの墓 moses.html ↑(写真をクリックすれば拡大します)(グーグルマップ)→ 羽咋郡宝達志水町紺屋町外 □□最寄の宿泊施設□□。宝達山から近いお宿をご紹介します。黒字のお宿は楽天トラベルと契約が無いため詳細は不明です。ご希望の方は電話にてお確かめください。距離は地図上の直線距離です。目安になさってください。旅館やまもと<石川県>・・・8km 料理が人気 2食付8400円料亭 河北亭・・・・・・・・・・・・・10km 076-281-0013 2食付6800円ハートフル千里浜・・・・・・・・ 12km 0767-28-5535 2食付6800円民宿能登半島・・・・・・・・・・・ 12km 0767-28-2687 じゃ*んOK千里浜やわらぎ温泉ホテルウェルネス能登路・・15km 安価な人気ホテル 温泉付石川県を訪ねてみませんか。加賀百万石城下町 金沢。少し路地に入れば当時のおもかげと伝統技に出会えます。能登は海、空の青、白い雲、きときとの海の幸。加賀は白山、温泉の地。どこもみな、きっと心に残る旅になるはずです。石川情報→ [ケイの石川県森林公園写真集] [石川県方言検定] ☆☆☆ 石川県 お勧めの宿☆☆☆ [金沢駅前] [金沢市内(1)安価家庭的 (2)繁華街 (3)中心街 (4)郊外] [河北郡] [七尾市] [能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [志賀町] [羽咋市] [白山市] [小松市(1) (2)] [加賀市]☆☆☆ 石川県の温泉☆☆☆[和倉温泉(1) (2) (3)] [輪島温泉] [羽咋志賀の郷温泉] [湯涌温泉・深谷温泉] [白山一里野温泉] [白峰温泉] [白山 手取温泉・辰口温泉] [山中温泉 (1) (2)] [山代温泉(1) (2) (3)] [片山津温泉(1) (2)] [粟津温泉・赤穂谷温泉]☆☆☆ 料理がおいしい宿 ☆☆☆[金沢市] [能登町] [珠洲市] [輪島市] [羽咋] [白山市] [小松市・加賀市]☆☆☆ ペットと泊まれる宿 ☆☆☆[ペットと泊まれる宿(1) (2) (3)] [ペットホテル]☆☆☆ 観光名所と宿泊施設 ☆☆☆(大きい写真を使っているため、動きがややのろくなります。ご了承ください)[金沢市内観光(1) (2) (3)] [金沢市・花・景色・街並] [金沢周遊観光バス紹介] [河北郡] [七尾市] [穴水町・能登町] [珠洲市] [輪島市] [志賀町] [羽咋市][白山市] [能美市] [小松市] [加賀市] [石川県昔話名所] [石川県妖怪名所]☆☆☆ 石川県特産品 紹介 ☆☆☆[石川うまいもん(1) (2) (3) (4)] [石川スイーツ(1) (2) (3) (4)] [石川激安米] [石川の地酒(1) (2)] [加賀友禅レンタル (1)黒留袖・色留袖 (2)訪問着・振袖]ホームへ
2011.11.08
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おはなし小箱3 カリョウとカッサパ[カリョウとカッサパ]むかしむかし、お釈迦様のお弟子の中にカリョウとカッサパというひどく頭が悪い双子の兄弟がおりました。この二人、お釈迦様の説法が全く分かりませんでした。お釈迦様が二人にどんなにやさしく話しても、話した尻から忘れていきます。それで、ただただお弟子たちの後に付き従って歩いていました。ある星がきれいな晩のこと、星を眺めていた兄のカリョウが弟のカッサパにぽつりと言いました。「なあ、カッサパ、俺たち、なんでこんなに頭が悪いんだろうな。これじゃ、お釈迦様やお弟子の方々に迷惑をかけるばかりだ。このままお弟子の中に加わっているのが申し訳なくて、申し訳なくて。」弟のカッサパも同じ事を考えていました。「おうおう、カリョウ、俺たちの頭じゃ、あの難しい教えを広めて歩くのはとても無理と言うものだ。かといってあのやさしいお釈迦様のおそばを離れるのもつらい。なんとか俺たちの出来ることだけみつけて、おそばに置いてもらおうじゃないか。」二人は次の日から、お弟子たちの修行場をまわってたくさんの仕事をもらってきました。水汲み、洗濯、便所掃除。人が嫌がるどんな仕事でも、二人の力でできることは何でも引き受けました。そうして一日の仕事が終われば、これで少しはお役に立てたぞと、とても喜び、安心して眠ることができたのです。そうして五年経っても十年経っても同じ仕事を続けていました。あとから入ってきたお弟子さんたちは、次々と教えをさとり、各地へ広めに行きます。でも、二人はそれをうらやましいとは思っていませんでした。こんな頭の悪い者を置いてもらっているだけで、じゅうぶんうれしかったのです。そうしてやがて18年も経ったある日のこと、この修行場で大きな催しがあり、各地で活躍しているお弟子さんがみんな集まってきました。二人は新人のお弟子さんたちと一緒にお迎えや食事の用意で走り回っていました。午後からはお釈迦様の説法があります。修行場の土をきれいに掃き清め、少しの小石も残さ無いように見て回ります。ここはお弟子さんたちが座る場所。足が痛いと説法の言葉を聞き逃してしまいます。やがて弟子たち全員がお釈迦様の周りに集まりました。カリョウとカッサパも、お釈迦様から一番遠い末席へ座らせてもらいました。二人は相変わらず説法が分かりませんでしたが、お釈迦様の尊いお姿が見られて声が聞けるだけでも有難いと思っていました。そうして説法が終わった時、あちこちから弟子たちのひそひそ話が聞こえてきました。お釈迦様はこんな大きい集まりのあとは、必ずアラハンの心に至った者の名前を発表するのです。アラハンというのは、ほとけの心近くに修行が至り、修行者の模範となる人のことです。「今回はニダイ様であろう。なにしろあの方は修行第一。たくさんの修行僧の尊敬を集めているからな。」「いやいや、カセン様もなかなかじゃ。あの人の議論は飛び抜けている。お釈迦様以外では、あの方と議論で勝てるものはおるまい。」末席の弟子たちはてんでにうわさしていました。しかし、お釈迦様はこう言ったのです。「それでは今回のアラハンの境地に至った人をご紹介しよう。それはカリョウとカッサパのお二人である。これからはこの二人を良き模範としてさらに修行に励んで頂きたい。」弟子たちは耳を疑いました。「なに? カリョウとカッサパ? こいつらは説教を何一つ分からないじゃないか。どうしてアラハンの境地に至ることができるんだ。」わけても驚いたのはカリョウとカッサパです。何が起こったのか分からずただ大きく目を見開いているばかりでした。そんな様子を見てお釈迦様はこう言いました。「みなさま方、カリョウとカッサパのお二人はじつにアラハンにふさわしい方である。つらい仕事を喜びに変え、毎日努力を怠らない点で、修行者の中では一番である。また、まわりの物や人に、つねに感謝の心を持って接する点で、修行者の中では一番である。また、華やかでない場所で人々の役に立ち、心がおごらない点で、修行者の中では一番である。このようにアラハンの境地は、知識の多い少ないでも、才能が有るか無いかでもなく、心の美しさが無ければ至ることができないのだ。みなさま方、これからはこの尊いお二人を模範として修行に励んで頂きたい。」その時、末席からオイオイと泣く声がしました。カリョウとカッサパです。二人は初めてお釈迦様の説法が分かったのです。そしてこれからの生涯も全て、お釈迦様とお弟子さんたちへ尽くすことを固く固く誓うのでした。カリョウとカッサパは、それから亡くなるまでの間、多くの修行者の模範となり、尊敬されました。しかし、決してそれを誇らず、まわりの物や人に感謝する心を忘れなかったそうです。(文責:津幡町 吉田恵一)☆☆☆ 石川県観光名所と宿泊施設 ☆☆☆(大きい写真を使っているため、やや動きがのろくなります。ご了承ください。)[金沢市内観光(1) (2) (3)] [金沢市・花・景色・街並] [金沢周遊観光バス紹介] [河北郡] [七尾市] [穴水町・能登町] [珠洲市] [輪島市] [志賀町] [羽咋市] [白山市] [能美市] [小松市] [加賀市] [石川県昔話名所] [石川県妖怪名所] ホームでは石川県全域のお宿を紹介しています。どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.11.07
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おはなし小箱2 悲しい天使[悲しい天使]美しい天国のお話です。天国はこの世でやさしく生きた人が行くところ。天上の光を受けて森も丘も明るく輝いていました。ところが、ある森かげの池のほとりで一人の天使が泣いていました。一体どうしたのでしょう。天国にも悲しいことがあるのでしょうか。じつは天使は散歩の途中、きれいな池の水を眺めていた時、深く暗いあたりに生前の夫の姿を見つけたのです。あそこは確かに恐ろしい地獄です。天国の池はあまりに澄んでいるため、こうして地獄の様子が見えることがあるのです。地獄は天上の光がほとんど届かない闇ばかりの世界。黒い枯れ木や草が散らばる荒地のようです。山の緑も生き物の姿も見えません。そんな寂しい世界の岩の上に、ヒザをかかえて座る夫の姿がありました。ああ、そして、夫の姿もひどいものでした。やせおとろえ、髪も服もぼろぼろで目玉だけが怪しくぎょろついているのです。天使の夫は生きている時悪いことをしたのです。たくさんの人々をだましてお金を奪いました。足腰が弱ったお年寄りから、つぶれそうなお店から、なけなしのお金をむしりとりました。そうしてやがて亡くなった時、真っ逆さまに暗い地獄へ落ちて行ったのです。しかし、天使には、あんな優しかった夫がなぜあんな所にいるのか、ちっとも分かりませんでした。結婚したてのころ、二人は笑顔ばかりでした。お金が少なかったので、二人で山へフキやセリを採りに行きました。あの時はとっても楽しかった。怖い草はらで夫が手をひいてくれるし、フキもセリもお日様の味がして天使の大好物でした。そこで天使は天使長様のところへ行って、なんとか夫を助けられないものかと相談しました。すると天使長様は悲しそうにこうおっしゃるのです。「あの方はあまりにたくさんの人を苦しめてしまわれました。それで次々と心にくる人の叫びを逃れるため、心を全て閉ざしてしまいました。私たちの姿も枯れ木のようにしか見えません。また私たちの救いの声は吹きすぎる風の音にしか聞こえないのです。あの方が救われるのは、再び心を開けて、今まで苦しめてきたきた方々へ申し訳なかったと思う心が芽生えた時です。それは何百年、何千年かかるかもしれません。今は残念ながらどうすることもできないのです。」天使はそれを聞き再び悲しみに沈み、池のほとりへやって来ました。しゃがんで夫を見つめていると生前のことが次々と思い浮かんできます。天使は結婚して4年目で重い病気になってしまいました。その時夫はなんとか治そうとお医者さんをかけずり回ってくれました。しかし、天使の病気はますます重くなってゆくばかり。ある時、この病気を直してくれる有名なお医者さんのことを聞いて遠くまで訪ねて行きました。でも、大変なお金がいると聞いて涙を流して帰って来ました。とても二人に払えるはずがありませんでした。とうとう天使が亡くなってしまう時、天使はよくおぼえていました。夫がしっかり手を握ってくれたこと。天使の頬へ涙を落としてくれたこと。あの涙が天使の頬を伝わっていったこと。あの時のしあわせを、決して、決して忘れることができません。やがて天使は立ち上がり、夫めがけてざぶりと水の中へ飛び込んだのです。天使の体はグングンと下に落ちて行きます。途中たくさんの世界を通り過ぎ、暗い暗い地獄の岩を目指して行きました。夫はといえば、地獄の岩の上で黙って座っていました。しかし、夫には全く気づかないようです。今は夫のすぐ横に一本の大きな枯れ木が立って、たくさんの枝をのばし、夫の上でカサコソこずえを鳴らしているのを。(文責:津幡町 吉田恵一)☆☆☆ 石川県観光名所と宿泊施設 ☆☆☆(大きい写真を使っているため、やや動きがのろくなります。ご了承ください。)[金沢市内観光(1) (2) (3)] [金沢市・花・景色・街並] [金沢周遊観光バス紹介] [河北郡] [七尾市] [穴水町・能登町] [珠洲市] [輪島市] [志賀町] [羽咋市] [白山市] [能美市] [小松市] [加賀市] [石川県昔話名所] [石川県妖怪名所] ホームでは石川県全域のお宿を紹介しています。どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.11.05
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おはなし小箱 りんごのナナちゃん 2011年11月5日更新[りんごのナナちゃん]すっきりとした秋のころ、丘の上に一本の大きいりんごの木が立っていて、赤い実がいっぱいなっていました。そのうちの一個のナナちゃんは、いつもこんな風に考えていました。「わたし、もうすぐ熟して落ちるわ。下の世界ってどんなところかしら。できたら天国を探しにいきたいな。」ある日、ナナちゃんは木からポトリと落ちて、コロコロ転がり近くの小川の中へ入りました。川の水は透明でとってもきれい。ナナちゃんを浮かべてさらさら流れて行きます。小川の中の小魚たちもナナちゃんを追いかけて、まるで鬼ごっこです。「ナナちゃん、ナナちゃん、どこまでいくの。」「わたし、天国まで行きたいの。みんな天国がどこにあるか知ってる?」「天国かあ。知らないけど、ナナちゃんならきっと見つかるさ。」やがてナナちゃんは、大きい川のふちに流れつき、岸の岩に引っかかりました。そこへ一匹のカニさんが近寄って来たのでナナちゃんは聞きました。「カニさん、カニさん、天国はここかしら?」するとカニさんは悲しい顔をして、「天国なんてとんでもない。ここには怖いナマズやでかいカエルがいて、おれたちを食いに来るんだ。おれたちのエサまで食べてしまうし、これじゃ、子供が飢え死にしちゃうよ。」それを聞いてナナちゃんはかわいそうになりました。「それじゃ私を食べてもいいわ。子供さんたち大きくなれますように。」「それはありがたい。みんな喜ぶぞ。」カニさん一家が全員やってきてナナちゃんを削って食べました。そしておなかがいっぱいになったころ、ナナちゃんはカニさんと別れて川を流れていきました。やがてナナちゃんはゴウゴウと大きな音がする滝にやってきて、あっという間に下に落ちて行きました。滝の下できりきり舞いして流れていると、たくさんのイワナがナナちゃんをつつきます。「イワナさん、イワナさん、ここは天国なの?」「天国? そんなはずがあるもんか。おれたちゃ朝から晩までエサ探し。エサがとれないと死んでしまうんだ。こんなところは天国じゃないよ。」「まあかわいそうに。わたしをいっぱい食べてくださいね。」そうして川をどんどん下っていくうちナナちゃんの体は半分くらいになってしまいました。すると広い広い海辺の川にやって来ました。ナナちゃんはその大きさにおどろいて眺めていると、何者かがナナちゃんをつかまえて水の中に引きずりこみます。それは海辺の岩に住むタコでした。タコはナナちゃんを口まで運ぶとガリガリと食べ始めました。「タコさん、タコさん、食べてもいいから天国がどこにあるか教えてくれない?」「さあ知らないなあ、でも少なくてもここは天国じゃないよ。水の中じゃ、魚どうしが食い合いしてるし、上では人間たちが仲間をとっていくし、一日も油断できないからね。」タコはナナちゃんをほとんど食べてしまい、「そんなに探したけりゃ、もっと探してみるんだな。」そう言って体の芯だけ残してくれました。芯になったナナちゃんはそのままゆらりゆらりと海の上を漂っていました。細かい虫や魚たちがやってきて、ナナちゃんをますます小さくしていきます。「ああ、どうしたらいいの。天国が見つからないのに。これじゃあ、わたし、ここで体が無くなってしまうわ。」ナナちゃんは悲しくて涙を流してしまいました。その時です。とつぜん一羽のカモメがナナちゃんをつかんで飛び上がりました。ナナちゃんはもうだめだと目をつむり覚悟を決めてしまいました。ところがカモメはやさしい声でこう話しかけたのです。「こわがらなくてもいいんだよ。お前が泣いているから気になってね。どうして泣いていたんだい?」「わたし、天国を探していたの。でも体がこんなに小さくなって、天国が見つからないうちに体が無くなってしまいそうなの。」「なんだそんなことか。お前は分からなかったんだね。天国はどこにでもあるのさ。」「でも、私が流れてきた場所には無かったわ。カニさんも、イワナさんも、タコさんも、みんな食べるものが無いって悲しんでばかりいるのよ。」「ははーん、それでお前はそんなに小さくなったんだな。」カモメはそう言うと大きく羽ばたいてぐんぐん上に上がって行きました。「さあ、ここから下を見てごらん。」下をながめてナナちゃんはびっくりしました。「うわあ、海も森も川もとってもきれい。みんな一緒に動いてる。」「そうさ。カニさんも、イワナさんも、タコさんも、水も空気も太陽も、みんな協力してこんなきれいな天国を作ってるんだ。一つ一つだけ見ても天国は分からないんだよ。」「ああ、うれしい。カモメさん、本当にありがとう。やっと天国を見つけたわ。」「さあそろそろ、やさしいお前を、天国に戻してあげないとね。きっとやさしい花や実ができるだろうなあ。」カモメはそう言って陸地の方へ飛んでいきました。そして日当たりのいい丘の上を探し、そのてっぺんに降りて、ナナちゃんの種を土に埋めました。カモメは近くに小川があることも忘れませんでした。ナナちゃんがまた海辺に来てくれて、また天国をみつけてほしいな、と考えたのです。次の年、その丘に若々しい双葉が生えてきました。その後数年すると美しい花が咲き、10年もするとナナちゃんにそっくりな赤いりんごがいっぱいぶら下がりました。(文責:津幡町 吉田恵一)☆☆☆ 石川県観光名所と宿泊施設 ☆☆☆(大きい写真を使っているため、やや動きがのろくなります。ご了承ください。)[金沢市内観光(1) (2) (3)] [金沢市・花・景色・街並] [金沢周遊観光バス紹介] [河北郡] [七尾市] [穴水町・能登町] [珠洲市] [輪島市] [志賀町] [羽咋市] [白山市] [能美市] [小松市] [加賀市] [石川県昔話名所] [石川県妖怪名所] ホームでは石川県全域のお宿を紹介しています。どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.11.04
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石川県の昔話 山姥と三人の女の子[山姥と三人の女の子][参考:中能登町の民話伝説より]方言や表現を分かりやすいように改変創作してあります。[百怪図巻より 山姥]むかしむかし、あるところに三人の幼い女の子が住んでいました。お父さんもお母さんも亡くなり、両親が残してくれた田畑を村人に貸して生活していました。ある日、一人の婆さんが訪ねてきてこう言いました。「お前さんたちゃ、小さい子ばかりで不自由やろ。何でもしてやっさかい、しばらく泊めてくれんかの。」見ると優しそうな婆さんです。女の子たちは喜んで家に入ってもらいました。いろいろな話もしてくれるし、料理もうまいし、一番下の子はすぐに打ち解けてしまいました。でも、一番上の姉はなかなか慣れませんでした。婆さんに何か嫌な雰囲気を感じていたのです。そのうち一番下の妹が、婆さんと一緒に寝たいと言い出し、その夜は婆さんと寝ることにしました。姉は胸騒ぎがして、二番目の妹と一緒に、ふすまの穴から息をひそめて婆さんの部屋を覗いていました。すると夜中の1時頃、婆さんがむっくりと起き上がり、眠る妹の顔をじっと見つめます。やがて気持ちの悪い顔でニヤリと笑い、ふところからでっかい包丁を取り出し、赤くて長い舌でべろりとなめるのです。その包丁を妹の上にふりかざそうとした時、姉はガラリとふすまを開けました。「婆さん、その包丁は何?」婆さん、あわてて元の表情にもどり、「あ、うっ、こ、これはじゃな、わしのお守りじゃ。寝る時はいつもこうしてお祈りをしてから眠るんじゃ。」「うわあ、素敵。それならさぞ立派な包丁ね。私も見てみたい。」「あ、いいぞ。なんぼでも見せてやる。」姉は婆さんから包丁を受け取ると、枕を婆さんにポーンと投げつけ、「婆さんの嘘つき!」そう怒鳴り妹の手を引っ張って外へ飛び出して行きました。「こりゃ、待て、待たんか。」婆さんは急いで三人を追ってきます。三人は庭のトチノキの大木にスルスルと上がりました。「おい、わしが何をしたと言うんじゃ。」「じゃ、そのよだれを垂らした長い舌は何よ。」「うん?」婆さんは長い舌をジュルジュルしまって、「ふん、可愛げのない奴らじゃのう。こりゃ、少ししつけが必要じゃわい。今に見ておれ。」婆さんもその木に上がろうとしました。ところが姉は上から包丁を振り回します。危なかしくてとても上がれません。次に婆さんは長い竹ざおを持ってきて三人を振り落とそうとしました。姉がその竹を包丁でスパスパ切ってしまいます。婆さんは小石を拾って投げつけました。三人はトチの実をもいでいっせいに投げつけます。「いてててっ。」婆さんは弱ってしまい、今度は猫なで声を出して言いました。「これこれ、こんな年寄りにそんな乱暴してはならん。どうやったら降りてきてくれるんじゃ。今まで以上に何でもしてやるから降りておいで。うまいもんをいっぱい作ってやるぞ。」「ほんとに何でもしてくれる?」「おうおう、何がして欲しい。」「じゃ、二つだけ言うことを聞いてね。このトチの実をゆでておきたいから、大鍋にお湯をグツグツ沸かして縄でここまで上げてくれる?」「そうしたら降りてくるのか。」「ええ、婆さんにあとでおいしいトチの実食べさせてあげるわ。」「ふんふん、それはうまそうじゃの。」婆さんは鍋にお湯を沸かして木の上へ上げてやりました。「さあさあ約束じゃ、降りておいで。」「あと一つ、まだ言うことを聞いてもらってないわ。」「なんじゃ、それは。」「婆さんの正体を知りたいの。」「正体ってお前、そんなもん見せたら、なお降りてこないじゃろ。」「ううん、約束は約束。正体見せないと絶対おりない。」「ちっ、仕方がないガキどもじゃわい。」婆さんはとつぜん見たこともないけものに変わり、ギャーギャーと木の下で吠えまくります。姉は、「はい、はい、見せてもらった。今すぐ降りるね。」そう言って熱いお湯をけものの上にドシャと降ろしました。(文責:津幡町 吉田恵一)[石川県昔話 目次]中能登町川田の地図をご紹介します。矢印のあとをコピーし、検索窓に貼り付けてそのトップをご覧ください。(グーグルマップ)→ 中能登町川田□□中能登町川田周辺宿泊施設□□中能登町の宿は全て楽天と契約がありません。ご希望の方は電話にてお確かめください。民宿びっくり-------6km 0767-76-0576 詳細不明 カンガルーホテル---6km 03-3872-8573 本社東京☆☆☆ 石川県 旅館 ホテルご紹介☆☆☆[金沢駅前] [金沢繁華街・中心街・郊外] [河北郡] [七尾市] [鳳珠郡能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [羽咋郡] [羽咋市] [白山市] [小松市] [加賀市]どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.10.30
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石川県の昔話54 天狗のいたずら 2014年4月7日更新[天狗のいたずら][参考:中能登町の民話伝説より]方言や表現を分かりやすいように改変してあります。むかしむかし、中能登町黒氏(くろうじ)の人々が、石動山へ泊まりがけの山仕事に行っていた頃、仕事が終わり山小屋で一杯やっていると、どこからかドンタカドンタカ、調子がいい太鼓の音が聞こえてきました。「ははあ、ありゃ天狗のお祭りやな。なかなか賑やかしくていい。あれを肴(さかな)に飲むまいか。」一人がそう言ってみんなに酒をついで回っていたら、屋根の上から大声が有りました。「出そうか。出そうか。」一人の面白い親父がそれに答えて、「何を出すんじゃ。出してみい。」そう言うと、ドドンと屋根をぶち破り、でかくて長い鼻がするすると降りてきて、あれよあれよと見ているうちに、下の囲炉裏の焚き火でジュウと音をたてました。「アッチッチィー!」屋根の上の叫び声とともに鼻は急いで上がって行きます。「ほれみろ、いたずらばっかりするからじゃ。」「おいおい、天狗、屋根は直して行けやー。」みんな屋根に向かって文句を言っていたら、おおん、おおんと泣き声が聞こえます。それがまたでっかい声でたまりません。「おおい、うるさくてかなわんぞ。それくらいで泣くんじゃねえ。そんなもん、ドクダミの葉っぱの汁をつけたらすぐ治る。」天狗はすぐに小さい声になって、「やさしいに言うてくれてすまんこってす。このお礼はしますさかい。」そう言って去って行きました。次の日、人夫たちが山へ上がったら、その日の枝打ちの仕事がきれいに終わっていました。また、山小屋に帰ってみると屋根の穴もきれいに修理してあったそうです。なかなか律儀な天狗さんです。(文責:津幡町 吉田恵一)[石川県昔話 目次]中能登町黒氏の地図をご紹介します。矢印のあとをコピーし、検索窓に貼り付けてそのトップをご覧ください。(グーグルマップ)→ 中能登町黒氏□□中能登町黒氏周辺宿泊施設□□中能登町の宿は全て楽天と契約がありません。ご希望の方は電話にてお確かめください。木幡屋.....................100m 0767-77-2373 詳細不明民宿 びっくり............6km 0767-76-0576 詳細不明 カンガルーホテル..6km 03-3872-8573 本社東京 素泊3300円☆☆☆ 石川県 旅館 ホテルご紹介☆☆☆[金沢駅前] [金沢繁華街・中心街・郊外] [河北郡] [七尾市] [鳳珠郡能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [羽咋郡] [羽咋市] [白山市] [小松市] [加賀市]どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.10.29
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石川県の昔話53 大みそかの客[大みそかの客][参考:中能登町の民話より]むかしむかし、貧しいじいさんと婆さんがいました。明日が正月というのに米びつが空になってしまいました。婆さんは心配して、「じいさん、これじゃあんまりじゃで、お隣に少し借りてこようかのう。」と言いました。じいさんは、「婆さん、大みそかに借りに行ったらお隣も困るじゃろ。家に有るもん何でも食べておればいいんじゃねえか。」そんな話をしていたら、一人の歳をとった汚い坊さんが訪ねてきました。「申し訳ないが、今日の宿がどうしてもみつからんで弱っとります。どうか一晩泊めてくださらんか。」婆さんは雪をかむった坊さんの姿を見て、「あらあ、さぞ寒かったですやろ。どうぞ囲炉裏のそばへ上がらっしゃい。ただ、うちには今米が一粒も無うて、なーんももてなしできんでな。菜っ葉が少し有ったはずじゃ、いま熱い汁でもお作りしますさかい、温まって下んせ。」「いやいや、そんな大事なものはとても頂けませんぞ。先ほど近くの家でこんな汚い乞食を止めるわけにいかんと追い出されてきたばかりです。どこか土間の隅にでも置いてくださればけっこうです。ところで婆さん、釜が一つ有りますかの。」「釜は有りますけど一体何になさります。米が一粒も無うて。」坊さんはにっこりして、「水をたくさん入れた釜にこの米粒を入れて炊いてください。その上に菜っ葉を一枚載せておくのも忘れずに。」坊さんがくれたのは3粒の米。こんなものを炊いて腹の足しになるものかと婆さんは思いましたが、一応その通りにやってみました。しばらくすると米が炊けるいい匂いがして釜が吹き上がり、やがてフタを上げてみると釜いっぱいにご飯が炊きあがっているのです。婆さんはおどろいて、「お坊様、ご飯がいっぱい炊けましたぞ。」と言うとお坊さんは、「おおそれは良かった。だがおかずが無いとさみしいのう。婆さん鍋は有りますかの。」と言うので、婆さんが鍋を出すと、「さっきの菜っ葉の残りが有りましたやろ。その菜っ葉の根っこを入れて、水をいっぱい張って炊いてください。」婆さんがその通りにすると、坊さんはその中に袋から取り出した小さな粒をパラパラと放り込みました。しばらくするとグツグツといい匂いがしてきてフタをとってみたら、なんと人参、大根、ごぼう、玉ねぎ、カボチャ、ありとあらゆる野菜が鍋にぎっしり詰まって煮えていました。じいさんも婆さんもびっくり、その晩は、じいさん、婆さんが今まで食べたことも無いようなご馳走をお腹いっぱい頂いたそうです。さて正月の朝になり、坊さんが帰るときこう言いました。「大変お世話になりました。どうかあなた方の願いを1つだけ言ってください。仏様にお願いしてみましょう。」じいさん、婆さんは少し考えて言いました。「わたしら、もう先も長いこと無いさかい、今のままでじゅうぶん。なにも思い浮かばんですじゃ。」「そんなことは無いでしょう。なんでもいいですぞ。」その時婆さんが言いました。「それなら、このジイジもバアバも昔の若いころに戻れたら嬉しいですがの。」「よし、お聞きしました。」坊さんはお風呂へ行って、袋から小さな粒を出してパラパラと風呂の中に入れました。「さあ、お風呂を焚いて入ってください。」さっそく二人はお風呂を焚きました。婆さんが上がって庭へ水汲みに出ていると、隣のじいさんが不審な顔をして、「お前さんどなたや。はて、この家には娘さんがいたかのう。」と言います。「なんかあったかいの。」と婆さんが聞くと、「ありゃりゃ。お前さんは婆さんかい。一体いつの間にそんな若うなったんや。」「ええっ。」お風呂には鏡が無いので分からなかったのです。婆さんは急いで水鏡に姿を写して見ました。すると18歳ほどの昔の若い頃の姿に戻っているのです。婆さんはおどろいてじいさんのところへ走って行きました。なんと、じいさんも、二人が出会った頃のりっぱな若者になっているのです。婆さんはじいさんに飛びついて、「ああ、あの坊さんは願いを叶えてくれたんや。なんてうれしい。これでもう一回、二人で楽しい人生を送れるわ。」二人はお礼を言おうとそのお坊さんをあちこち探し回りましたが、もうどこにも見つからなかったそうです。(文責:津幡町 吉田恵一)[石川県昔話 目次]中能登町川田の地図をご紹介します。矢印のあとをコピーし、検索窓に貼り付けてそのトップをご覧ください。(グーグルマップ)→ 中能登町川田□□中能登町川田周辺宿泊施設□□中能登町の宿は全て楽天と契約がありません。ご希望の方は電話にてお確かめください。木幡屋.....................100m 0767-77-2373 詳細不明民宿 びっくり............6km 0767-76-0576 詳細不明 カンガルーホテル..6km 03-3872-8573 本社東京 素泊3300円☆☆☆ 石川県 旅館 ホテルご紹介☆☆☆[金沢駅前] [金沢繁華街・中心街・郊外] [河北郡] [七尾市] [鳳珠郡能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [羽咋郡] [羽咋市] [白山市] [小松市] [加賀市]どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.10.28
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石川県の昔話52 真夜中のひそひそ話 2014年4月9日更新[真夜中のひそひそ話][床の間][参考:中能登町の民話より]みなさん知っていましたか。人が寝静まる真夜中、一軒の家の中にはたくさんのひそひそ話が有るのですよ。今日は、眠ったふりをしてその声をこっそり聞いてみましょうね。時計の針が2時を過ぎ、内も外もしんしんと静かになった頃、聞こえてきた。聞こえてきた。家じゅうの木たちが床の間の柱に何かワイワイと話しかけています。「お前はいいなあ。部屋の一番目立つ場所で、大事にされて。」「そうだとも。掃除の時一番に磨かれるのはお前だぞ。」もっとも嘆いているのは壁に塗り込められている板です。「あんたらみんな床の間の柱をうらやましがっているが、外にいて人目につくだけまだいいじゃないか。おれなんか縄で縛られ、泥を塗られて一生人目につかんのだ。」その時床の間の柱が静かにこう言いました。「まあまあ、家にはたくさんの木が有って、それぞれ一軒の家に無くてはならんもんばっかりや。わしは確かに大事にされておるけれど、それは飾りやからの。家のためになっていることでは他の柱と一つも変わらん。」床の間の柱は一息ついてまた言いました。「わしは、トイレの踏み板を見ていて立派じゃと思うとる。毎日臭い場所で泥足に踏まれて文句も言わず頑張っているじゃないか。かと言って代わってやるわけにもいかんやろ。変になって家の中を台無しにしてしまう。それにトイレの踏み板はこの家の生活を守る大切な役目がある。壁に塗りこまれている板も一緒や。人から見えん言うてもこの板が無かったら壁がたちまちくずれてしまう。わしは、見えんところで人の役に立つのがもっとも大切と聞いているぞ。みんな、木それぞれの役目が有るんや。協力してこの家を守っていこうやないか。」床の間の柱の話にみんないっせいにうなづきました。やがて東の空が薄明るくなってきて、鳥の声が聞こえるようになる頃、家のひそひそ話はだんだん小さくなっていき、その日は素敵な朝になりました。(文責:津幡町 吉田恵一)[石川県昔話 目次]中能登町良川の地図をご紹介します。矢印のあとをコピーし、検索窓に貼り付けてそのトップをご覧ください。(グーグルマップ)→ 中能登町 良川駅□□中能登町良川周辺宿泊施設□□中能登町の宿は全て楽天と契約がありません。ご希望の方は電話にてお確かめください。木幡屋..............100m 0767-77-2373 詳細不明民宿 びっくり........6km 0767-76-0576 詳細不明 カンガルーホテル.....6km 03-3872-8573 本社東京 素泊3300円☆☆☆ 石川県 旅館 ホテルご紹介☆☆☆[金沢駅前] [金沢繁華街・中心街・郊外] [河北郡] [七尾市] [鳳珠郡能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [羽咋郡] [羽咋市] [白山市] [小松市] [加賀市]どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.10.27
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石川県の昔話51 普光院地獄 2014年4月9日更新[普光院地獄][参考:白山の伝説より]むかしむかし、越前(福井県)の国に伏魔道士普光院(ふくまどうし ふこういん)という大変悪い山伏がいました。この普光院、山伏の作法もお祈りもほとんど知りませんでした。それもそのはず、生まれた村であまりに乱暴、誤魔化しをするので追い出され、山伏になろうと修行場へ入りましたがそこでもすぐ破門され、各地を放浪していたのです。そして二人の仲間と一緒に村々を訪れて、魔を払ってやると村人たちをおどし、金をふんだくって生きていました。ある時、加賀の白山近くにやってきたので、俺達も山伏らしくちょっと拝んでくるかと白山へ登ることにしました。やがて頂上に至ると青く輝く素晴らしい池を見つけました。火口湖「翠ヶ池(みどりがいけ)」です。その水の美しさにひかれて池のほとりへ降りて行き、手を浸してみたらじつに気持ちがいい。ところがどうしたことか、その手を上げると、まるでヤケドをしたように赤くなりひどく痛むのです。「あつつつつっ。」普光院は急いでまた水につけました。すると一瞬で痛みがとまり、気持ちが良くなります。普光院は手を上げられないで、これはどうしたらいいんだと考えていると、次第に痛みが腕を上がってきました。普光院はそのつど手をさらに深く入れて行きました。やがて痛みが腕だけでなく、胸にも腰にも足にも広がっていきます。ついに普光院は水の中に飛び込んで仲間を呼びました。「おおい、たすけてくれー。」仲間がやってきて普光院の体を水から上げようとしましたが、「おおお、上げるな、痛い、痛いぞ。」水から出た体の部分が火に焼かれるほど痛むのです。そうして水から赤くただれた顔だけ出した普光院は、「ちくしょう、一体なんだこれはー!」と叫び、仲間の手を振り払い水の中に沈んで行きました。仲間たちはただただ震えて見ているしか無かったといいます。こんなことが有ってから、この翠ヶ池は別名「普光院地獄」と呼ばれるようになりました。なぜこんなことが起こったかは分かっていません。普光院が神の怒りに触れたのか、それともその時代にたまたま悪い水が溜まっていたのか。今でも白山の地元の人たちは、この翠ヶ池の水に触れてはいけないと語り合っているそうです。(文責:津幡町 吉田恵一)[石川県昔話 目次]白山の火口湖「翠ヶ池」と白山のふもと地区の地図をご紹介します。リンクするのは失礼だと思いますので、矢印のあとをコピーし、検索窓に貼り付けトップをご覧ください。(写真)→ 霊峰白山(2011年8月14日)翠ヶ池(グーグルマップ)→ 白山市 一里野□□白山登山宿泊施設□□白山登山口から近いお宿をご紹介します。→[白山一里野温泉] [白峰温泉]☆☆☆ 石川県 旅館 ホテルご紹介☆☆☆[金沢駅前] [金沢繁華街・中心街・郊外] [河北郡] [七尾市] [鳳珠郡能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [羽咋郡] [羽咋市] [白山市] [小松市] [加賀市]どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.10.26
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石川県の昔話50 菊仙女[菊仙女][参考:白山の伝説より]むかしむかし、泰澄大師(たいちょうだいし)が法澄(ほうちょう)と呼ばれていた頃のお話です。白山で、もっと厳しい修行をするため弟子二人を連れて山頂を目指していた時、小山の上にポツリと不思議な雲を見つけました。「あすこには変わった方がいらっしゃるようだ。行って見てきなさい。」法澄がそう言うので二人の弟子が見に行くと、その雲の下に一人の若く美しい女の人が座って手を組み、目をつむっているのです。弟子たちはどこ村の方か、なぜここに座っていらっしゃるのかといろいろ訪ねてみましたが、すべて「分かりません」と答えます。弟子たちは法澄のもとへ戻り、「お師匠様も行ってお会いになられては。」と言うと法澄はほほ笑んで、「あの方はずいぶん長生きをなさっているようだな。私達とは求めるものが違うのでそっとしておいてあげましょう。」そう言って先を進みました。じつはこの女の人、古くから白山に住んでいる不思議な人でした。若く美しいまま年をとらず、菊しか食べません。それで白山ふもとの村人たちは『菊仙女』と呼んでいました。ある日菊仙女は村人たちの前に現れてこう言いました。「白山に新しい方が来られましたので私は旅に出ます。今までお世話になったお礼に菊を植えていきますわ。薬になさってください。」菊仙女が去った次の年、村の近くの野原が菊だらけになりました。村人たちがその菊を煎じて飲んでみると、不思議にも病気がたちどころに治っていきます。これは有難いと、村人たちはその野原にお宮を作って感謝のお参りを欠かしませんでした。ところがそれから数百年後、白山神社の 知覚坊という僧が、病気を治す菊に目をつけて、これは儲かると白山神社の一つにするよう役人に申し出、年貢や税を取り始めたのです。すると菊はまたたく間に枯れていき、元の草はらに戻ってしまいました。そのお宮も朽ち果てて、現在ではどこにあったかも分からなくなってしまったそうです。(文責:津幡町 吉田恵一)[石川県昔話 目次]白山のふもと地区の地図をご紹介します。リンクするのは失礼だと思いますので、矢印のあとをコピーし、検索窓に貼付けトップをご覧ください。(グーグルマップ)→ 白山市 一里野□□白山登山宿泊施設□□白山登山口から近いお宿をご紹介します。→[白山一里野温泉] [白峰温泉]☆☆☆ 石川県 旅館 ホテルご紹介☆☆☆[金沢駅前] [金沢繁華街・中心街・郊外] [河北郡] [七尾市] [鳳珠郡能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [羽咋郡] [羽咋市] [白山市] [小松市] [加賀市]どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.10.25
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石川県の昔話49 釣鐘といけにえ 2014年4月15日更新[釣鐘といけにえ][参考:中能登町の民話伝説より]むかしむかし、お寺のつりがねを作る時、子供をいけにえとして火にくべればいい音が出るという言い伝えが有りました。能登のあるところにつりがねを作る鍛冶屋さんがおりましたが、いくつ作っても、いくら努力を続けても、なかなかいい音が出ません。その鍛冶屋さんは悲しんで石に座りこみ、空をながめて涙を流してしまいました。「きっとおれには才能なんて無いんだ。だが、おれからつりがねを取り上げたらもう生きてはおれない。どうしたらいい。」鍛冶屋は、近くの山へ入って死ぬことも考え、あたりの山々をぼんやり眺めました。この鍛冶屋には一人の姉がいました。一度お嫁に行ったのですが、子供を連れて出戻ってきて弟の仕事を手伝っていました。その姉が弟の悲しんでいる様子を見て放っておけずいろいろ慰めの言葉を言います。すると弟は、「これだけやっていい音が出ないと言うことは、あとは子供のいけにえが要ると聞いている。そんな馬鹿なことが出来るか。おれはもう鍛冶屋をやめるぞ。おれにはきっと向いていなかったんだ。」姉はそれを聞き下を向いてしまいました。でもしばらくして顔を上げ、こう言いました。「私の子を捧げさせて。あの子は病気がちで、おそらくもう少しの命。お寺の鐘になって何百年も生きられれば本望だわ。」「だめだ!」弟は怒鳴りました。「おれにそんなことができると思うのか!」姉はそれでも切々と訴えました。「多分あなたは死ぬまでのことを考えているわ。私がこれだけ世話になっていながらなんにもできないのが悔しいのよ。それに私の子供がお寺の鐘になって、たくさんの人々のお役に立てればこんな嬉しいことはないの。」二人はそのあとしばらく黙って空をながめておりました。次の日、鍛冶屋は川で水をかむって身を清め、鍛冶場へ戻り経を上げ、火をごうごうと起こしました。そしてその中へ箱の中に寝かせた姉の子をそっとくべたのです。箱はバキバキと燃え上がり、中から「おかあちゃん!おかあちゃん!」と泣き叫ぶ声が聞こえてきました。弟は涙を流し叫ぶように経を読みます。外で扉に張り付いていた姉も「ああ、ああ」と身をよじって涙を流しています。弟はまるで鬼のような形相で溶かした鉄を型に流し込みます。そうして出来上がった釣鐘を木の枝につり下げて試し打ちをしてみました。なんと、今まで作っていた釣鐘とは音色が全く違う素晴らしいものでした。ゴーーンと響いたその音はいつまでもおんおんと鳴り響き野山の草木へ染み渡っていきます。しかし、しかし、二人にはその音が何度聞いても「おかあさーん」と聞こえるのです。その後鍛冶屋は釣鐘作りをやめてしまいました。その釣鐘を近くの寺へ寄付し、姉と弟二人ともその寺へ出家して生涯子供を弔ったそうです。(文責:津幡町 吉田恵一)[石川県昔話 目次]中能登町川田の地図をご紹介します。矢印のあとをコピーし、検索窓に貼り付けそのトップをご覧ください。(グーグルマップ)→ 中能登町川田□□中能登町周辺宿泊施設□□中能登町の宿は全て楽天と契約がありません。ご希望の方は電話にてお確かめください。木幡屋..................100m 0767-77-2373 詳細不明民宿 びっくり..........6km 0767-76-0576 詳細不明 カンガルーホテル.....6km 03-3872-8573 本社東京 素泊3300円☆☆☆ 石川県 旅館 ホテルご紹介☆☆☆[金沢駅前] [金沢繁華街・中心街・郊外] [河北郡] [七尾市] [鳳珠郡能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [羽咋郡] [羽咋市] [白山市] [小松市(1)] [加賀市]どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.10.24
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石川県の昔話 長さんと魔物 [長さんと魔物][参考:白山の伝説より]むかしむかし、白山神社の息子に長さんと呼ばれる遊び人がおりました。ある日、お花見の酒を飲み過ぎて寝込んでしまい、家へ帰ろうと月夜の道を歩いていた時、後ろからヒタヒタとついてくる者がいました。振り向いて見ると若い女の人のようです。こんな遅くに女の一人歩きは物騒だなと思い、立ち止まって見ていると、女の人は長さんの前で顔を上げニッコリとして、「まあ、やっとお会いできましたわ。ひとめあなたを見た時からお慕いしておりました。今日はなんて幸せな日でしょう。」そう言って顔を赤らめるのです。長さんは、その美しい姿におどろきました。月のおぼろな光が女の人の髪や頬、着物を浮き立たせ、その姿からかすかなかぐわしい香りが漂ってきます。長さんはいっぺんでのぼせ上がって胸が高鳴りまごまごしていると、その女の人は顔を近づけ、恥ずかしそうにそっとささやきました。「私は今ひとり身。一度私の家へ訪ねてきて頂きたいですわ。ご馳走の準備をしておきますので、3日後の今頃ここでお待ち頂けないでしょうか。」もちろん長さんは固く約束しました。さて3日後の夜になり長さんがその場所へ行くと、その女の人は、道脇の太い杉の木の陰から提灯を掲げて現れました。その姿、美しさは、はじめて会った日のまま。ただ着物を変えたらしく、白地に赤い花をあしらって前よりいっそうきれいに見えます。「おいでくださって嬉しい。」その女の人は長さんの胸に飛び込み、やがて長さんの手をとり、提灯を掲げて山道を登って行きました。その家はかなり遠い山の中でした。松林を通りぬけ、崖の脇を渡り、かなり歩いた頃、やっと杉木立の下の、明かりのついた小さい一軒家に入って行きました。「さあ、どうぞ今日はゆっくりなさってくださいね。」女の人は次々とご馳走やお酒を出してきます。長さんは喜んで、「うわあ、お前は料理がうまいんだなあ。」と言うと、「うふふ、今日はあなたのために一生懸命だったのよ。」長さんはすっかり酔っ払ってしまい、その家へ泊まってしまいました。それから10日後のことです。家族が心配してあちこち探し回っているところへ長さんがひょっこり帰ってきました。しかし家族はその姿に驚きました。やせおとろえて目付き鋭く、布団にもぐって眠るばかり。家族は、どこへ行っていたと聞きますが、頑として答えません。そして夜になると起き上がり、家族の制止を振りきって家を出ていき夜明けに帰ってくる、そんなことが何日も続きます。そのたびにますます痩せてきて体が弱ってくるのです。ある日友人たちが心配して長さんに言いました。「お前は自分の今の姿を分かっているのか。きっと魔物につかまっているに違いないんだ。そんなことを続けていたら、いつかとり殺されてしまうぞ。」友人たちは一振りの立派な刀を長さんの前に置き、「いいか、これは魔物が近づくことができない刀。俺たちが、ある神社に奉納されていたのを借り受けてきた。命が助かりたいなら肌身離さず持っていろ。」長さんは枕元にその刀を置き、布団の中で考えました。「魔物・・・か・・・確かに思い当たるフシはある・・・あれほど山奥の家、あれほどの美しさ、会った後のこのなんとも言えぬ体の疲れ、そして女が後ろ姿になった時、髪の中にふと怪しい目つきがちらつくように感じる・・・これは危ないかもしれん。」長さんは友人たちの忠告を受け入れ、山へ行かないことを決めました。そうして2週間ほど過ぎた頃には、長さんの体も元通りになり力がみなぎってきたのです。ところがある晩のこと、長さんは夢を見ました。見知らぬ長身の武士が刀を振り上げ女の人に激しく斬りつけているのです。女の人は喘ぎながら涙を流し長さんの名前を呼びます。「長さん、どうかどうか助けて下さい。刀が私を切り裂きます。ああ、あなたを好きになったのがいけないのでしょうか。恋こがれる思いがいけないのでしょうか・・・」長さんはガバッと飛び起きて、枕もとの刀を見つめました。「このやろう、おれの恋に手を出すな。」涙を流して刀をつかみ、背戸の井戸の中に放り込んでそのまま彼女の元へ走り、もう戻ってきませんでした。長さんの両親は悲しみ、なんとかあの子を助けられないかと白山へ登り願かけをおこないました。すると数日後、髭だらけでごつい体の行者が両親を訪ねてこう言うのです。「あの魔物を退治せよと神々から仰せつかりました。あの魔物は、今まで死んだ山の動物達の精が寄り集まってできたもの。生きたものの精気を吸い取りながら姿を現しているのです。動物だけにとり憑いていればいいものを、今回は人にとり憑いたのです。残念ながらあなた方のご子息は魔物の世界にひたりすぎて、もはや助けることができません。どうかご承知ください。」その行者は両親を連れ、山道を上がって行きました。ある杉林に囲まれた洞窟の前に来ると、その前で小さな祭壇を作り、護摩を焚き、洞窟へ向かって叫びました。「そこの魔物よ。お前は今回人間に手を出した。白山の神々は怒り、お前の体を縛り地獄へ落とそうとやってきたのだ。それで良いのか答えろ。」すると洞窟の入口からけものの匂いがただよい、やがてゆっくりと一つの巨大な目玉がこちらを見据え、低い声でこう言うのです。「うう・・・動物たちだけにしておきたかった。だが今回わしは人間に恋をしてしまい、心のうずきをどうすることもできなかった。今この者は、わしの中で安らかに眠っておる。おお愛しい・・・愛しい人よ・・・これからも永遠に大切にしてゆくつもりじゃ。どうか地獄へ落とすのはゆるしてくれないか。これからは動物だけにすることを約束する。」魔物は一粒の涙を落としました。行者はその言葉に嘘はないと見抜き、「よし、地獄へ落とすことは勘弁してやろう。」行者は刀を抜き、洞窟へ飛び込み、魔物を二つに切り裂きました。胴から下を洞窟の外へ放り投げ他の動物のエサとし、もう一方を山の中へ逃がしてやりました。洞窟の中から長さんの変わり果てたガリガリの死体が見つかりました。それを運び出して葬り、そのあと洞窟に岩を詰めて封印しました。今でも夜遅くになるとそのあたりで半分になった魔物を見かけることがあるそうです。しかし、人間に悪さをすることは無くなりました。(文責:津幡町 吉田恵一)[石川県昔話 目次]白山のふもと地区の地図をご紹介します。リンクするのは失礼だと思いますので、矢印のあとをコピーし検索窓に貼り付けトップをご覧ください。(グーグルマップ)→ 白山市 一里野□□白山登山宿泊施設□□白山登山口から近いお宿をご紹介します。→[白山一里野温泉] [白峰温泉]☆☆☆ 石川県 旅館 ホテルご紹介☆☆☆[金沢駅前] [金沢繁華街・中心街・郊外] [河北郡] [七尾市] [鳳珠郡能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [羽咋郡] [羽咋市] [白山市] [小松市] [加賀市]どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.10.23
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石川県の昔話47 あわたの橋ぐい [あわたの橋ぐい][参考:能登の民話伝説より]むかしむかし、七尾に「あわた」という村がありました。毎年、近くの川が氾濫し、田んぼも畑も水びたしになるので大変困っていました。村人たちは何度も相談していましたがなかなかいい案が浮かびません。その時一人の男が立ち上がってこう言いました。「川の神を鎮めるにゃ、やっぱり人柱を出すしか無いやろ。」「妙案だがの。一体誰がなるんかい。」みんなはいっせいに黙ってしまいました。その後いく人かが意見を出しましたが、誰も死ぬのは嫌に決まっています。やがて村人は、こんなことは言い出した者しかいないとその男に迫りました。その男は言い出した手前簡単に断るわけにいきません。家族のことを思い悩みましたが、自分の身一つでこの村を助けることができるのならと承諾したのです。それを聞いて、その男の家族はひどく悲しみました。しかし、村人全員がもう決めたことです。逆らったら村には住めません。やがて橋げたのクイにくくられて沈んでゆく父親を泣きながら見送りました。やがて数年がたち、その家族の娘がお嫁に行くことになりました。娘が家を出る時、母親は涙をためながらこう言って送り出しました。「向こうに行っても何でもしゃべるんじやないよ。お父様のようになるからね。」娘は黙ってうなづきました。その娘は普段から口数が少なかったのですが、お父さんが亡くなるのを見てから、悲しみのあまり、ますます無口になっていました。そうして嫁ぎ先で新しい生活を始めましたが、娘はほとんどしゃべりません。夫が何か相談事を話しても、ただ黙ってうなずくだけ。夫はなんとかしゃべらせたいと工夫をしても、下を向いているばかり。そのうち夫はあきれて怒ってしまいました。「口の聞けない嫁をもらった覚えはないぞ。とっとと実家に帰れ。」とうとう召使いが娘をかごに乗せ、送り返してしまうことになりました。途中山道にさしかかった時のこと、一羽のキジがケーンケーンと鳴いてバタバタと山陰を飛び上がっていきました。と、すぐあとドーンと鉄砲の音がしてキジは谷間の方へ落ちて行きました。その時、黙ってカゴに揺られていた娘が、突然涙を流し、こういう歌を口にしたのです。「わが父は、あわたの川の橋ぐいに、キジも鳴かずば撃たれぬものを。」召使いたちは、ああ、村のために死んだあの父の娘かと知って、みな涙を流し、きた道をまた戻って行ったそうです。(文責:津幡町 吉田恵一)[石川県昔話 目次]矢印のあとをコピーし、検索窓に貼り付けトップをご覧ください。(グーグルマップ)→ 石川県七尾市 田鶴浜町□□七尾市田鶴浜町宿泊施設□□田鶴浜町の宿をご紹介します。和倉温泉からも5、6kmです。→民宿つるや....安価な人気宿 ペットOK→[和倉温泉(1) (2) (3)]☆☆☆ 石川県 旅館 ホテルご紹介☆☆☆[金沢駅前] [金沢繁華街・中心街・郊外] [河北郡] [七尾市] [鳳珠郡能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [羽咋郡] [羽咋市] [白山市] [小松市] [加賀市]どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.10.22
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石川県の昔話 酒売り婆さん [酒売り婆さん][参考:白山の伝説より]むかしむかし、白山のふもとの瀬戸というところにひどく欲ばりでやり手の婆さんが住んでいました。この婆さん、美女を雇って酒を売り大もうけをしていました。それで満足しておれば良いものを、もっと儲けてやろうと白山の修行者に目をつけたのです。「あやつらは小金を持っているくせに、酒が無くてさぞ不自由していることじゃろう。行ってこっそり売りつけてやれば、きっと一儲けできるはずじゃ。」婆さんはたっぷり酒を入れたカメを背負い、二人の美女にも背負わせて加賀禅定道(かがぜんじょうどう)から白山へ登っていきました。当時白山は女人禁制、女の人が入ると神様からお叱りを受けます。しかしその婆さん、そんなことは気にしません。儲かりさえすればいいのです。やがて婆さんたちが檜ノ宮(ひのきのみや)という場所を過ぎると、とつぜん空からでかい声が聞こえました。「婆さんや、けがれたものはこれ以上登ってはならぬぞ。」婆さんは空に向かって声を張り上げました。「何じゃと、やかましい! けがれたものとはなんじゃ。あとで見ておれ、痛めつけてやろうぞ。」婆さんは無視してさらに登り続けました。すると行く手がみるみるうちに低くなり谷へと変わっていきます。「えーい、なんと意地の悪い神様じゃのう。」婆さんはブツブツ文句を言いながら谷を下ったり上がったりしてさらに進むと、ついに怒った神様は行く手にさらに深い谷を作りました。美女たち二人は、あまりにけわしい坂道につまづいて坂道をゴロゴロ転がって行きました。転がる途中酒のカメは割れ、美女がしだいに白くなり、とうとう2つの石になってしまいました。婆さんはかんしゃくを起こします。「ああっ、これは大変な損害じゃ。神様とやら、この弁償は必ずしてもらうからな。よくおぼえておれよ。」婆さんは空へ向かって神様の悪口を叫びながら、それでも先を進んで行きました。すると今度は急にゴーッと地ひびきがして、大地が揺れだしたのです。激しい横揺れが婆さんをひっくり返し、あちらこちらへ転がしました。その時、背中のカメがはずれて近くの岩にぶつかり粉々になってしまいました。「ちくしょうめ、とうとうやられた。もったいないことをする。なんとバチあたりな神様じゃ。」婆さんはしばらく空に向かってギャーギャーと叫んでいましたが、その後なんの音沙汰もありません。婆さんは仕方なく、とぼとぼと山を降りることにしました。しかし、怒ってしまった神様から逃れられることはできません。どれだけ降りてもふもとにつかないのです。降りているつもりでもいつの間にか元の場所へ戻ってしまいます。そうして三日三晩歩き続けた婆さんは、とうとうあきらめて、「なるほどそういう魂胆かい。わしを迷わせて殺してしまうつもりだな。それにしても恐ろしい神様じゃ。」そう言って、急いで美女が石にされた場所に戻り、そのそばでごろりと仰向けに寝っ転がってしまいました。「さあさあ、石にでも何でもしてくれ。その代わり、このそばを通った坊主どもをこいつらと一緒にのろい殺してくれようぞ。」神様は確かに婆さんを石にしてしまいましたが、婆さんの強いたたりを恐がり、三人を一緒にするとますます大変だということで、あとでそっと婆さん石だけ違う場所に移したそうです。この婆さんのたどった道は、名前が付けられ今でも残っています。婆さんが神様に叱られた場所は「しかり場」、美女二人が石にされた場所は「美女坂」、美女二つの石は「美女石」、婆さんのカメが割れた場所は「かめわり坂」、婆さんの石は「婆石」と言います。「婆石」に耳を当ててみれば、もしかしたらまだ神様への文句がぶつぶつ聞こえるかもしれませんね。(文責:津幡町 吉田恵一)[石川県昔話 目次]加賀禅定道は、石川県一里野温泉から白山の山頂まで、18kmの登山道です。婆さんがたどった場所と地図をご紹介します。リンクするのは失礼だと思いますので、矢印のあとをコピーし、検索窓に貼り付けトップをご覧ください。(写真)→ みんなの白山 しかり場分岐 ↑(写真をクリックすれば拡大します)(写真)→ みんなの白山 美女坂 ↑(写真をクリックすれば拡大します)(写真)→ 錦秋の加賀禅定道(グーグルマップ)→ 白山市 一里野□□白山登山宿泊施設□□白山登山口から近いお宿をご紹介します。→[白山一里野温泉] [白峰温泉]☆☆☆ 石川県 旅館 ホテルご紹介☆☆☆[金沢駅前] [金沢繁華街・中心街・郊外] [河北郡] [七尾市] [鳳珠郡能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [羽咋郡] [羽咋市] [白山市] [小松市] [加賀市]どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.10.21
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石川県の昔話 泰澄大師のお母さん[泰澄大師のお母さん][参考:白山の伝説より]昔、日本には女の人は汚れているという考えがあり、女人禁制(にょにんきんせい)と呼ばれ、神聖な場所、修行場へ入ってはいけないとされていました。おそらく男女が一緒にいるとお互いの心を乱し修行の妨げになるからでしょう。現在ではこうした風潮はすたれ、女の人が神聖な場所へ入ることはほとんど許されるようになってきました。ずいぶんむかしのことです。泰澄大師が法澄(ほうちょう)と呼ばれていた頃、白山へ登って修行することになりました。厳しい修行ですから、納得するまで何年も山から降りてきません。ところが法澄の年老いた母は、一緒に連れて行ってくれとどうしても言うことを聞かないのです。白山は厳しい女人禁制で、女の人は決して登ってはなりませんでした。「私はこのように年老いた身、いつお前とこの世の別れになるかもしれぬ。母が子を案ずることはどの世界でも同じ、神々も決してお怒りにならぬはずじゃ。どうか私を連れて行って、お前の修行の姿をひとめ見せておくれ。」「お母さんいけません。どうか分かってください。山にいてもきっと朝に晩にお母さんの方へ向いてお祈りをしますから。」なんど法澄から言われても母はあきらめきれず、法澄が岐阜県の美濃禅定道(みのぜんじょうどう)を登っていったあと、母もこっそりあとを追って行くことにしたのです。しかし、山の天候は変わりやすく、切り立つ岩場も有り、年老いた女の人では厳しい道のりでした。母が石徹白(いとしろ)の山道を登っていると、突然空がかき曇り、稲妻の光とともに激しい雨が降り出しました。母はすぐに大木のそばで止むのを待ちましたが、大木の葉から冷たい雨だれがびしょびしょ落ちてきて全身ずぶ濡れになりました。雨が背中の袋や着物に染み込んで重く肩にのしかかりました。雨が小降りになって再び登り始め、「おたけり坂」というけわしい上り坂にさしかかった時、とつぜん大きい雹(ひょう)がバラバラと落ちてきて体中を痛めつけます。母はたまらず、坂の途中の岩の間に逃げ込んで雹を逃れました。やがて山の中腹へ至ると、先ほどの大雨で土がゆるみ、道の脇の崖がズルズルとくずれてきました。そして上の方から大きな岩が離れ、こちらへ落ちてきます。母は土に足をとられ、その岩をよけきれず、胸を打たれ下のヤブへ転がって行きました。しかし、母はヤブからはい上がってきたのです。道の上を見上げ、もう少し、もう少しで法澄に会えると、道をはいずって登っていきました。そうして白山の尾根に来た頃には、周囲の視界が開けて明るくなり、はるか彼方の山々が一望に見渡せました。しかし、母の体力はもう限界でした。足も体も動かないのです。体はブルブルとふるえ、何度も意識が途切れます。母はもうダメだと思い、手を合わせて山の神々へ祈りました。「ああ、山の神様、どうかお頼み申します。私の体が尽きても、あの子の姿をもう一度、どうか一度だけでも見せてください。」法澄は、そのころ山の頂にいて弟子たちと一緒に座って祈りを捧げていました。と、その時、青空に薄っすらと大きな母の顔が現れたのです。その顔は法澄を見つめて涙を流しておりました。「ああ、お母さん・・・」全てを悟った法澄も涙を流し、お母さんに向かって祈りました。そのあとすぐ弟子たちと一緒に母の遺体を探し、手厚く葬り大きい石でお墓を作りました。そして母が法澄を探して再び山をさまよわないよう、しばらく石に封じ込め、安らかに旅立つまで毎日母に語りかけたのです。これを人々はのちに母御石(ははごいし)と呼び、白山の尾根に今も残っています。(文責:津幡町 吉田恵一)[石川県昔話 目次]岐阜県美濃禅定道には、泰澄大師の母が苦難にあった場所が名前を付けられ今でも残っています。リンクするのは失礼だと思いますので、矢印のあとをコピーし、検索窓に貼り付けトップをご覧ください。(写真)→ みんなの白山 おたけり坂 ↑(写真をクリックすれば拡大します)(写真)→ みんなの白山 母御石 ↑(写真をクリックすれば拡大します)(登山体験)→ みんなの白山 美濃禅定道を登ろう □□岐阜県美濃禅定道宿泊施設□□ハートピア四季 1人2食付9000円程度白鳥高原ホテル 2人2食付1人8000円程度ヴィラモンサン 2人2食付1人10000円程度 人気宿☆☆☆ 石川県 旅館 ホテルご紹介☆☆☆[金沢駅前] [金沢繁華街・中心街・郊外] [河北郡] [七尾市] [鳳珠郡能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [羽咋郡] [羽咋市] [白山市] [小松市] [加賀市]どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.10.20
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石川県の昔話 一厳洞 [一厳洞][参考:白山の伝説より]方言や表現を分かりやすいように改変創作してあります。誰でもこの世でたった一人の人の心を救うことができたら極楽へ行くと言われています。しかし、たった一人でさえ心から信頼を得るのは難しく、なかなかできることではありません。むかしむかし、白山開祖泰澄大師(たいちょうだいし)のお弟子に、一厳(いちげん)という方がいて、福井県越知山(おちさん)山頂で厳しい修行をしておりました。泰澄大師はその修業の姿勢を見て、この者こそ、わしのあとを継いで人の役にたってくれるであろうと、大変目をかけていました。都の天皇の大きなお祈りに泰澄大師が呼ばれた時、大師は一厳を連れていこうとしました。ところが一厳、「大師様、私はまだまだ修行が足りません。どうか今しばらく修行をさせてください。」と断り、その後洞窟へ入って出てこなくなってしまいました。ある日のこと、修行中の一厳のもとへ、もじゃもじゃの白髪で気味の悪い顔のじいさんが一人訪ねてこう言いました。「おい、坊主、そんな修行をして何になる。いつかうまいもんが食えるのか。」「私はうまいものなどいりませぬ。」「じゃあ、何がほしい、金か名誉か。」「私は金も名誉もいりませぬ。人の世が正直で、他人にやさしく、笑顔ばかりの世界になればと願っております。」「わっはっは。だいぶあの泰澄というやつに狂わされとるの。どこにそんな世界がある。ぜひとも見せてもらいたいもんじゃ。自分が食うて遊んで楽しんだものが勝ちじゃろう。お前のウソなんぞなんのためにもならんわい。どうれ、そんな人を惑わすウソつきは、わしが退治してやろうかの。」そのじいさんはそう言うと、ふいに目玉がぎょろつく不気味な竜の頭に変わり、バカリと赤い口を開け、一厳をひと飲みにしようとしました。ところがその時、バッと一厳の体からいくつものまばゆい光が飛び出し、周りを取り囲んだのです。その中には天上界に住み、すべての竜を従える竜王の姿も有りました。その竜はひどく驚き、すぐに前のじいさんの姿に戻り、二三歩あとずさり、一厳の姿を拝んで言いました。「これは大変なことをしてしまいました。まさか竜王様までついておられるとは。どうかお許し下さい。もしや、もしや、あなた様なら私を救うお力が有るかもしれません。じつは私は遠い昔、人でありました。悪行を重ねているうち、とうとうこんな身になってしまいました。今でも悪いことがしたくて心がうずいて仕方がありません。そうして長い月日のうちにウロコの中に悪い虫が住みつき、身を噛んで私を苦しめます。どうかどうかお助け下さい。」竜は涙を流して一厳に訴えます。一厳はあわれに思ってこう言いました。「竜よ、すぐに助けてやりたいが、私はまだまだ修行が足りんのだ。だが、お前が本当に助かりたいと思うなら、今までの悪事と、それによって悲しんだ人々の全てを思い出してきなさい。」それからひと月ほどしてまたあのじいさんが現れ、一厳の前にはいつくばってこう言いました。「あれからたくさんの悪事とそれによって悲しんだ人々を思い出してきました。ひとつ思い出すごとに、恥ずかしさと悲しんだ人々の顔が目の前に現れて身がよじれるほどでした。しかし、そのつどウロコの虫が一匹ずつ消えてゆくのです。今ではだいぶ身も軽くなり有難いかぎりです。この上は、私も修行をしたいと思います。どうかこれから何をしたらよいかお教えください。」一厳が答えました。「おお、それは良かった。では、お前が苦しめた人の分だけ、人を助けなさい。水害、干ばつ、台風、飢饉、人の悲しみは山ほどあるぞ。」それから数年たった頃でした。ふたたびあの竜が一厳の洞窟へ現れました。しかし、今度はじいさんの姿では無くさっそうとした青年の姿なのです。「一厳様、たくさんの人々を救ってきました。ウロコの虫はすでに身を噛むことも無く、痛みが無くなりました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。しかし私の罪はとてつもなく深くまだまだ修行が足りません。このたび竜王様に呼ばれまして、あの方のもとで人助けをしたいと思います。これでしばらくお別れです。いつかまたお会いできることを楽しみにしております。」そう言って去って行きました。それからやがて8年になる秋風の頃、一厳は山を降りて村人の家を一軒一軒まわり、手を合わせて、お別れを言って洞窟へ帰って行きました。村人たちは一体どうしたことかと次の日一厳の洞窟を訪ねました。すると一厳は静かに岩を枕にして横たわっています。村人たちが一厳に近づこうとした時、とつぜん一厳のまわりに光るものがいくつも現れ、次第に光が増し、洞窟の中を明るく照らし出しました。その一つ一つは人のような姿をして一厳を見つめ、なんとも言えぬ美しいお顔でほほ笑みかけているのです。その中には竜王も、一厳が助けた竜も涙を流してほほ笑んでいました。まもなく一厳の体からまばゆく輝く青年の姿が起き上がり、まわりの輝くものへニッコリとしました。そうして一厳はそのものと一緒に静かに歩き去ってしまったのです。村人たちはただただ美しき天上の光に感動し恐れ多くて、洞窟の前ではいつくばっておりました。そのあと光が消え洞窟の中が元通りになると、村人たちは一厳の遺体を拝み大切に葬りました。そしてその洞窟を一厳洞と名づけ、長い間大切にしていたそうです。(文責:津幡町 吉田恵一)[石川県昔話 目次]福井県越知山の地図をご紹介します。矢印のあとをコピーし、検索窓に貼り付けてそのトップをご覧ください。(グーグルマップ)→ 福井県丹生郡越前町 越知山大谷寺□□白山市宿泊施設□□ →[白山市]☆☆☆ 石川県 旅館 ホテルご紹介☆☆☆[金沢駅前] [金沢繁華街・中心街・郊外] [河北郡] [七尾市] [鳳珠郡能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [羽咋郡] [羽咋市] [白山市] [小松市] [加賀市]どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.10.19
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石川県の昔話 狐の嫁入り[狐の嫁入り][参考:中能登町の民話伝説より]方言や表現を分かりやすいように改変してあります。むかしむかし、能登をひどい日照りが襲った頃のお話です。村人たちは、ため池からの細々とした水を分け合って、やっとのことで稲を育てておりました。ところが、ある親父さんの田んぼは早く乾いてしまい、稲が次第にしなびてきて、とても予定日を待てません。そこで夜遅くこっそり田んぼの水の向きを変えに行きました。青白い月夜の晩でした。親父さん、ザグザクと水の向きを変え、ふうと額の汗を拭いていると、すぐ脇の道をたくさんの提灯をつけた嫁入りの行列が通りすぎていきました。「あれまあ、こんな遅くにまたたいそうに。」そう思いながら見ていたら、その行列は一軒の大きい家に入って行きます。「はて、あんな所に家があったかな。」そう思いつつ、その家にそっと近づいてみると、中では酒盛りの真っ最中。飲めや歌えのどんちゃん騒ぎ。つい親父さんは障子に穴を開け、中を覗いてしまいました。姉ちゃんたちの恥じらい踊り、男どものひょっとこ踊り、これがなかなか面白い。帰ることなど忘れてしまいます。やがて東の空が薄っすら開けてきた頃、家の母ちゃん、あんまり父ちゃんが遅いので一体どうしたかと探しに来ました。すると父ちゃん、火葬場の前であっちにふらふら、こっちにふらふらうろついて、持っていった提灯に穴を開け、その中を懸命に覗き込んでいるのです。「おまえさん、一体どうしたんや。」と母ちゃんが大声を上げると、親父さん、「シッ、お前、でかい声出すんでねえ。この家の人に聞こえたらどうする。」母ちゃんは、ははーん、なんかに化かされとるなと親父さんのほっぺたペチペチとたたきました。「ありゃりゃ。これゃ火葬場でねえか。あん人たちゃどこ行った。」親父さんびっくりして、走って逃げ帰ったそうです。(文責:津幡町 吉田恵一)[石川県昔話 目次]中能登町一青の地図をご紹介します。矢印のあとをコピーし、検索窓に貼り付けてそのトップをご覧ください。(グーグルマップ)→ 中能登町一青□□中能登町一青周辺宿泊施設□□中能登町の宿は全て楽天と契約がありません。ご希望の方は電話にてお確かめください。木幡屋.....................100m 0767-77-2373 詳細不明民宿 びっくり............6km 0767-76-0576 詳細不明 カンガルーホテル..6km 03-3872-8573 本社東京 素泊3300円☆☆☆ 石川県 旅館 ホテルご紹介☆☆☆[金沢駅前] [金沢繁華街・中心街・郊外] [河北郡] [七尾市] [鳳珠郡能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [羽咋郡] [羽咋市] [白山市] [小松市] [加賀市]どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.10.18
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石川県の昔話 下駄屋と傘屋 [下駄屋と傘屋][参考:中能登町の民話伝説より]方言や表現を分かりやすいように改変してあります。むかしむかし、隣り合って住んでいる下駄屋のじいさんと傘屋のばあさんがいました。この二人、いつも泣いてばかりいました。雨が降る日は下駄が売れず、これでは食べていかれんとじいさんが泣きます。天気がいい日は傘が売れず、お米が買えないとばあさんが泣きます。ある時近くの寺のお坊さんが、いつもかわりばんこに泣いている二人を見て言いました。「おまえさんたち、そんなに泣いてばかりおらんと、こんな風に考えたらどうじゃろ。天気がいい日は下駄が売れて有難い、雨の日は傘が売れて有難い、そう思っておればいつでも喜べるぞ。」それから下駄屋のじいさんは天気になると有難いとにこにこし、傘屋のばあさんは雨が降ると天に手を合わせて喜びました。そうしていると不思議なことに下駄と傘がどんどん売れて、二人は雨の日も天気がいい日も感謝するようになったということです。(文責:津幡町 吉田恵一)[石川県昔話 目次]中能登町川田の地図をご紹介します。矢印のあとをコピーし、検索窓に貼り付けてそのトップをご覧ください。(グーグルマップ)→ 中能登町川田□□中能登町良川周辺宿泊施設□□中能登町の宿は全て楽天と契約がありません。ご希望の方は電話にてお確かめください。木幡屋.....................100m 0767-77-2373 詳細不明民宿 びっくり............6km 0767-76-0576 詳細不明 カンガルーホテル..6km 03-3872-8573 本社東京 素泊3300円☆☆☆ 石川県 旅館 ホテルご紹介☆☆☆[金沢駅前] [金沢繁華街・中心街・郊外] [河北郡] [七尾市] [鳳珠郡能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [羽咋郡] [羽咋市] [白山市] [小松市] [加賀市]どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.10.17
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石川県の昔話41 借金取り 2011年10月17日更新[借金取り][参考:中能登町の民話伝説より]分かりやすいように方言、表現を改変してあります。昔は盆や暮になると、借金取りが今までのツケを取りに家々を訪ねたもんです。 ある貧乏な夫婦、年の暮れの借金がどうしても払えません。そこで父ちゃん、考えに考えて母ちゃんに言いました。「わしゃ鳥小屋に隠れとるさかい、お前は、父ちゃん急な病気で3日前に死んでしもうたと言っとけや。それでも帰らんけりゃ、悲しそうに腹に椀を当ててな、腹悪い、腹悪い言うて箸でたたいておれば、いくら何でも帰るやろ。」そこで母ちゃん、夕方にやってきた借金取りに、「父ちゃん、3日前に病気で逝ってしもうてな。」と言いました。しかしその借金取り、居留守だなと怪しんで家の中をキョロキョロ見回します。そこで母ちゃん、父ちゃんの言った通り、「わても悲しゅうて、悲しゅうて。」そう言って腹に椀を当てて箸でちんちんたたきました。「腹悪い、はらわるい、はらわるい、はらわれん。」するとその借金取り、あきらめて、「それはお気の毒に。これは少ないですが。」と香典を差し出したのです。「あらまあ。」母ちゃん、まさか借金取りから香典をもらうとは思わなかったのでどうしょうか迷っていたら、突然鳥小屋でニワトリが鳴き出しました。「コケッ、コケッ、トケッ、トットケー、トットケー。」(文責:津幡町 吉田恵一) [石川県昔話 目次]中能登町の地図をご紹介します。リンクするのは失礼だと思いますので、矢印のあとをコピーし、検索窓に貼り付けトップをご覧ください。(グーグルマップ)→ 鹿島郡中能登町 良川駅□□中能登町良川周辺宿泊施設□□中能登町の宿は全て楽天と契約がありません。ご希望の方は電話にてお確かめください。木幡屋.....................100m 0767-77-2373 詳細不明民宿 びっくり............6km 0767-76-0576 詳細不明 カンガルーホテル..6km 03-3872-8573 本社東京 素泊3300円☆☆☆ 石川県 旅館 ホテルご紹介☆☆☆[金沢駅前] [金沢繁華街・中心街・郊外] [河北郡] [七尾市] [鳳珠郡能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [羽咋郡] [羽咋市] [白山市] [小松市] [加賀市]どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.10.16
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石川県の昔話40 薬一服カランコロン[薬一服カランコロン][参考:中能登町の民話伝説より]分かりやすいように方言、表現を改変してあります。むかしむかし、ある山奥の村に本当に馬鹿なあんちゃんがおりました。父ちゃんはあまりにひどいと心配して京都へ勉強にやりました。一番初めに習った言葉は「二一天作の五(そろばんで2で割ること)」。なんの言葉か分からなかったので帰ったとき父ちゃんに聞きました。「そりゃ割ることやろ」と父ちゃんが言うので、そのあんちゃん、ははあ、割ることを都ではこんな風に言うのだなと思いました。あんちゃんが都の町を歩いていたら、行者さんが下駄をはいてカランコロンと坂を下ってきます。あんちゃんは近くの男に「ありゃ何ですじゃ。」と聞きました。「あれは行者さんが坂を下るところで。」と聞いたあんちゃん、ははあ、下ることを都ではカランコロンというのじゃな、と思いました。寺の前にでかい石があって何やら難しい字が書いてあります。近くの人に「これは何ですじゃ。」と聞きました。「ああ、これはナムアミダブツですぞ。」と言うのであんちゃん、ははあ、都では石をナムアミダブツと言うのかと感心しました。ある橋へさしかかると、川に何か赤い布が流れていたので近くの人に「あれは一体何ですじゃ。」と聞きました。「あれはヒチリメンというものです。」と答えるので、ははあ、都では赤いことをヒチリメンと言うのだな、と思いました。ある家へ招待された時、お茶菓子にあずきのヨウカンが出たので、はて、あずきを固めたようなものだがと思いながら、「これは一体何ですじゃ。」と主人に聞きました。「これはヨウカンというものです。お気に召しましたかな。」これはうまい。都ではあずきをヨウカンと言うのか。なんてわしゃ田舎者だったんじゃろ、とあんちゃんは思いました。こうしてたくさんのことを学んだあんちゃんは意気揚々として家に帰って来ました。すると家の前に人だかりがしています。なんと、先程父ちゃんがあずき畑の柿の木から落ちて、石に頭をぶつけて血を流しているのです。「おら、町の医者に薬をもろてくるさかい。」あんちゃんはあわてて父ちゃんの様子を紙に書き留めました。町の医者は確か京都から来たはず、京都の言葉で書かねば分かんねえじゃろと、学んだ言葉で書いて町へ走りました。「父ちゃんが、ヨウカン畑の柿の木から落ちてしもうて、ナムアミダブツで頭を二一天作の五。頭がヒチリメン血がいっぱい、薬一服カランコロン。」それを見せても医者は薬をくれなかったそうです。(文責:津幡町 吉田恵一)[石川県昔話 目次]中能登町の地図をご紹介します。リンクするのは失礼だと思いますので、矢印のあとをコピーし、検索窓に貼り付けトップをご覧ください。(グーグルマップ)→ 鹿島郡中能登町 良川駅□□中能登町良川周辺宿泊施設□□中能登町の宿は全て楽天と契約がありません。ご希望の方は電話にてお確かめください。木幡屋.....................100m 0767-77-2373 詳細不明民宿 びっくり............6km 0767-76-0576 詳細不明 カンガルーホテル..6km 03-3872-8573 本社東京 素泊3300円☆☆☆ 石川県 旅館 ホテルご紹介☆☆☆[金沢駅前] [金沢繁華街・中心街・郊外] [河北郡] [七尾市] [鳳珠郡能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [羽咋郡] [羽咋市] [白山市] [小松市] [加賀市]どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.10.15
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石川県の昔話39 鷲のさらい子 [鷲のさらい子][参考:中能登町の民話伝説より]このお話は奈良東大寺の初代別当良弁僧正(ろうべんそうじょう)の生い立ちとほぼ似ております。似たお話は今昔物語や山梨にも有り、母が子を思う気持ちに感動した人びとが日本中に語り伝えたのでしょう。ここでは石川県中能登町に伝えられたものをご紹介します。むかしむかし、ある村に男の赤ちゃんと母親がおりました。父親は赤ちゃんが生まれてすぐに亡くなり、母親が田んぼに出て働き、やっとやっとの生活をしておりました。母親は、父がなくても丈夫に育つようにと、西国三十三番の観音様のお守りを赤ちゃんの着物のエリに縫いつけていました。ある日のこと、母親が田んぼのあぜに子供を寝かせて懸命に働いていた時、突然泣き声がしたのでふりむくと、一羽の大きな鷲が赤ちゃんをつかまえて飛び去るところでした。「あああ、待ってえ!」母親は田んぼからかけ上がり、泣きながら追いかけましたが、鷲は空の中に小さくなってゆくばかりです。母親はあきらめきれず、鷲が飛び去った山々を何日も探し回りました。しかしどこにも赤ちゃんはみつかりません。そこで家のものを全て整理して赤ちゃんを探す旅に出ることにしたのです。近くの国から、かなり遠くまで物乞いをしながら歩き回りました。幾年も経つうちに髪も服もぼろぼろになり、身は痩せこけて、道で出会った人々は乞食が来たとみな避けてゆきます。そうしてやがて13年が経とうとしていました。ある日、大和の国(奈良県)の道を歩いていた時、道わきの茶屋のおかみがあわれんで声をかけてくれました。「あんた様、そんな姿にまでおなりになって、さぞつらいことがお有りになるんでしょうね。まあ座って一服なさいな。」そう言って団子とお茶を出してくれました。母親はお礼を言い、他のお客さんが嫌がりはしないかと、茶屋の横の石に座って団子を頂いていました。すると数人のお客さんとおかみさんのこんな話が聞こえてきたのです。「近くの三日月堂のお寺に変わった小僧さんがおってな。ご本尊より大事や言うて、庭の杉の木に朝晩お参りしとるんや。みんなが何でやと和尚さんに聞いたら、その小僧さん、どうもその杉の木のてっぺんから生まれたらしいんやて。」それを聞き、もしやと母親は顔を上げました。「あのう、三日月堂のお寺はどちらでしょうか。」母親は丁寧に頭を下げて、すぐにそのお寺へ向かいました。そこは広い庭がある大きくて立派なお寺でした。この姿でこんな立派なお寺の玄関に立つ訳にはいかないと、母親はその庭へ入り込み、杉の木のそばの生垣にひそんで朝を待っておりました。すると朝になり、一人の小僧が寺から出てきて、杉の木の下で静かに手を合わせます。母親は目を見開きました。なんとあの赤ちゃんの面影が有ったのです。そして大きくなった顔は父親に瓜二つ、わが子に間違いありません。「あああ、みつけたわ! とうとうみつけたわ!」母親の頬は涙でぼろぼろになり、小僧にかけ寄り抱きしめました。母親の大声を聞きつけて出て来た和尚さんは、母親からこれまでのいきさつを聞いてこう言いました。「それはそれは、ご苦労なさいましたな。しかしの、この子がお前様の本当のお子であると示す何かございましょうか。万が一違うお子さんであれば私も心苦しいのでな。」母親は、子が連れ去られた日と、西国三十三番の観音様のお守りがエリに縫いつけてあったはずと告げると、和尚さんも一緒に涙を流し、「おお、おお、間違いないぞ。お前様の言う日の二日あと、私が寺へ帰ってきたら、あの杉の木から赤ん坊の泣き声が聞こえてな。降ろしてみると、とてもかわいい子で、私が育てることにしたんじゃ。だがよく鷲が捨てて行ったもんじゃの。エリにつけた観音様のお陰かもしれぬのう。」母親は次の日から、そのお寺で働くことになりました。我が子は「お母ちゃん、お母ちゃん」と慕ってくれ、もう杉の木にお参りしなくてもよくなりました。その子は、その後母のもとで安心して修行に励み、やがて奈良の東大寺初代別当 良弁僧正という偉いお坊様になったそうです。(文責:津幡町 吉田恵一)[石川県昔話 目次]奈良東大寺の良弁僧正像(国宝)と中能登町の地図をご紹介します。リンクするのは失礼だと思いますので、矢印のあとをコピーし、検索窓に貼り付けトップをご覧ください。(写真)→ www.naranet.co.jp/todaiji/ ↑(ページ上の項目、[彫刻]→[良弁僧正像]とお進みください)(グーグルマップ)→ 鹿島郡中能登町 良川駅□□中能登町良川周辺宿泊施設□□中能登町の宿は全て楽天と契約がありません。ご希望の方は電話にてお確かめください。木幡屋...........100m 0767-77-2373 詳細不明民宿 びっくり.....6km 0767-76-0576 詳細不明 カンガルーホテル..6km 03-3872-8573 本社東京 素泊3300円☆☆☆ 石川県 旅館 ホテルご紹介☆☆☆[金沢駅前] [金沢繁華街・中心街・郊外] [河北郡] [七尾市] [鳳珠郡能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [羽咋郡] [羽咋市] [白山市] [小松市] [加賀市]どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.10.14
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石川県の昔話 笠地蔵[笠地蔵][参考:中能登町の民話伝説より]この昔話は全国に伝わる有名なお話ですね。内容もほぼそっくりです。出てくるおじいさん、おばあさんのやさしさと地蔵様のやさしさがとても気持ちがよく、全国に伝わる理由が分かります。この昔話が中能登にも伝わっているのでご紹介します。むかしむかし、あるところに笠作りをしているおじいさんとおばあさんがおりました。今日は大みそかだというのに、お金も餅も無く、心配したおじいさんは町へ笠を売りに行くことにしました。5つの笠を抱えたおじいさんが外へ出たら、朝から降り続いた雪で外は真っ白でした。村はずれまで来ると6つのお地蔵様が並んでいました。お地蔵様の頭に雪がこんもり積もっていたのでおじいさんはそれを払って1つずつお参りをして町へ向かいました。町へ着いて、「かさあー、かさあー。かさはいらんかー。」と一軒一軒の家の前をまわってみたけれど、みんな寒くて奥にこもってしまい一つも笠は売れません。やがておじいさんの声もかすれてしまって、仕方なくとぼとぼと家へ帰ることにしました。「ばあさんに餅でもと思うたがのう。こう売れんでは仕方が無いか。」そうつぶやいて歩いていると、あの6つのお地蔵様の前を通りかかりました。来る時に払った頭の雪も再びこんもり積もっています。おじいさんはまたそれを払って言いました。「こんな寒い中に立っておられるなんて、さぞつらいことじゃろ。ここにちょうど笠がありますぞ。」おじいさんは地蔵様に笠をかぶせてあげました。でも笠が一つ足りません。そこで自分の笠を最後の地蔵様にかぶせて家へと帰りました。「ばあさん帰ったぞー。」と家へ入ると、「ああ、じいさん、笠はなんぼに売れたかいの。」とおばあさんが聞きました。「それがな。今日はひとつも売れんでのう。帰りに地蔵さんがあんまりさぶそうじゃったからかぶせて来てしもたわ。お前に餅の一つも食わせてやりたかったんじゃが・・・」「ああ、じいさん、それはよいことをしなすった。地蔵さんも寒かろう。わしは餅も雑煮も食べんでいいぞ。それ聞いてわしの心も温こうなったわ。よかった、よかった。」そんな話をして二人は早々に床に入ってしまいました。ところが夜中におじいさんが便所へ行こうと起きてみたら、遠くの方から何か声が聞こえてきました。その声はだんだんおじいさんの家へ近づいて来るようです。「よいせ、よいせ、よいせ、よいせ。じさまの家はもう少し。もう少し。」おじいさんは何事かと恐ろしくなり床へ戻って震えていました。その声は玄関まで来ると、「やれやれやれやれ、じさま起こすな、正月じゃ、正月じゃ。やれやれやれやれ、正月じゃ、正月じゃ・・・」また次第に遠くなっていきました。朝になって、おばあさんが玄関を開けてみると、なんと、玄関の前にたくさんの餅やら魚やらお金やら山のように積みあげてあったそうです。(文責:津幡町 吉田恵一)[石川県昔話 目次]中能登町の地図をご紹介します。リンクするのは失礼だと思いますので、矢印のあとをコピーし、検索窓に貼り付けトップをご覧ください。(グーグルマップ)→ 石川県鹿島郡中能登町 瀬戸□□中能登町瀬戸周辺宿泊施設□□中能登町の宿は全て楽天と契約がありません。ご希望の方は電話にてお確かめください。木幡屋..............100m 0767-77-2373 詳細不明民宿 びっくり.......6km 0767-76-0576 詳細不明 カンガルーホテル..6km 03-3872-8573 本社東京 素泊3300円☆☆☆ 石川県 旅館 ホテルご紹介☆☆☆[金沢駅前] [金沢繁華街・中心街・郊外] [河北郡] [七尾市] [鳳珠郡能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [羽咋郡] [羽咋市] [白山市] [小松市] [加賀市]どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.10.13
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石川県の昔話37 味噌すり地蔵[みそすり地蔵][参考:能登の民話伝説より]輪島市門前町の総持寺祖院という大きい禅寺の境内に「味噌すり地蔵」というやさしいお顔をしたお地蔵様が有ります。そのお地蔵様にまつわるお話です。このお話は「まんが日本昔ばなし」にもなりましたので、ご存じの方もいらっしゃると思います。[総持寺祖院] むかしむかし、能登の小さな村に一軒の貧しい家族が住んでいました。子だくさんの上、母親が病気でその日の食べ物にも困るほどでした。両親は仕方なく一人の男の子を総持寺へ奉公に出すことにしました。総持寺の和尚さんも快く引き受け、了念(りょうねん)という名前を与え、まだ幼いので最も簡単な味噌すりをさせることにしたのです。当時、総持寺には200人以上のお坊様がいて、大量の味噌が必要でした。すでに三人の小坊主が味噌すりをまかされて朝から晩まで味噌をすっていました。了念は三人から味噌すりを教えてもらい、一生懸命味噌をすりました。ところが先輩の三人は、一人増えてちょっとは楽ができると、仕事をだんだんさぼるようになってきたのです。その分を了念がやらねばならず、寝る間を惜しんで味噌をすっていました。そんなある日、境内を歩いていると、道脇にぽつんと立つ一体のお地蔵様を見つけました。了念は近寄って眺めると、とても安らかなお顔で静かに目を閉じています。涙を流してばかりいる了念の心とはずいぶん違うように思いました。それに、座って手を合わせていると、心に何か語りかけてくれ、なぐさめてくれるようで、心の中の涙が少しずつ消えてゆく気もするのです。了念は次の日から少し早起きをして、お地蔵様にお参りをすることにしました。そして近頃有ったこと、家族のことなど何でもお地蔵様に語りかけ、体を磨いてあげました。ある朝、了念はいつものようにお地蔵様を磨きながらお母さんの話をしました。「僕のお母ちゃんはね、今病気で家が大変なんだ。早く治って僕を迎えに来てほしいなあ。先輩のお坊さんから信濃(長野県)に善光寺って立派なお寺があるって聞いたけど、そこにお参りしてお母ちゃんの病気が治るようにお願いできればなあ。でもこんなこと言ってもだめだね。仕事が有って一日も休めないし、そんなお金も無いから。」そう言いながらお地蔵様の足元を磨いていた時、了念には気づかなかったでしょうね。お地蔵様がにっこりしたのです。その次の日のことです。三人の味噌すりの先輩たちが味噌蔵へ入ると、了念とは違う小さな小坊主が一生懸命味噌をすっていたのです。先輩たちは、「おい、お前は誰だ。どこから来た。」と何べん聞いても、ただにこにこ笑っているばかり。それに味噌すりが速いこと、速いこと、あっという間に樽を一杯にしてしまいます。三人の先輩たちはびっくりして他のお坊様に知らせました。しかし、お坊様たちが問いただしてもやはりその小坊主はほほ笑んでいるばかりです。一体了念はどこへ行ったのかとあちこち探し回りました。しかし、どこにもみつかりません。やがて二週間ほどした頃です。先輩たちが味噌蔵へ行くと、なんと、あの小坊主がいなくなって了念が味噌をすっていたのです。「おい、了念、どこへ行っていたんだ。あの小坊主を身代わりにして逃げたのかと思っていたぞ。さあどこへ行っていたのか話せ。」ところが了念もただにこにこしているばかりで何も話しません。他のお坊様たちもやってきて問いただしましたが、あの小さい小坊主とおんなじで誰にも話そうとしないのです。これは不思議なことが有るものだと総持寺のお坊様たちはうわさしました。次の日の朝のこと、庭を掃き清めていたお坊様が、お地蔵様の手が汚れているのに気づきました。調べてみると、なんとそれは味噌なのです。手だけでなく足も頭も味噌のにおいがぷんぷんします。これはどうしたことだと考えると了念が思い当たりました。あいつはいつもこの地蔵へやってきていた。きっとあいつの仕業に違いないと了念を問い詰めたのです。すると了念は仕方なく一部始終を話しました。了念がお地蔵様を磨き終わり、座ってお参りしているとお地蔵様が突然こう話しかけてきたそうです。『了念、お前がそんなに善光寺へ行きたいなら行ってこい。わしが代わりに味噌すりをしてやろう。途中で必要なお金は、お前の金袋に入れといてやるから。』了念はうれしくて手を何度も合わせ、さっそく善光寺へ旅に出ました。善光寺ではたくさんの人に混じり、お母さんが早く治りますように、家族が幸せになりますようにとお参りして、急いで帰って来ました。味噌蔵へ入ると一人の小さな小坊主が懸命に味噌をすっていました。了念はかけより手を握ってありがとうございますと何度も言うと、その小坊主は了念を見つめてにっこりしてすっと消え去ったのです。それからしばらくして、母の病気が日毎に良くなり再び働けるようになって了念を迎えに来ました。了念の家も貧しいながらも幸せになり、みんな笑顔で暮らせるようになりました。それ以来このお地蔵様は、「味噌すり地蔵」と呼ばれて今でも大切にされています。(文責:津幡町 吉田恵一)[石川県昔話 目次]みそすり地蔵の写真と総持寺祖院の地図をご紹介します。リンクするのは失礼だと思いますので、矢印のあとをコピーし、検索窓に貼り付けトップをご覧ください。(写真)→ 能登スタイル のとだより 味噌すり地蔵(グーグルマップ)→ 輪島市門前町 総持寺祖院□□総持寺祖院周辺宿泊施設□□総持寺祖院に近い宿をご紹介します。黒字のお宿は楽天トラベルと契約がなく詳細は不明です。もうやっていないお宿も有るかもしれません。ご希望の方は電話にてお確かめください。距離は地図上の目測直線距離です。目安になさってください。徳木旅館--------------400m 0768-42-0010民宿夕月荘------------500m 0768-42-0054 民宿 鹿磯---------------3km 0768-43-1119民宿黒島荘--------------4km 0768-43-1328能登・門前ファミリーイン ビュー・サンセット・5km 人気宿☆☆☆ 石川県 旅館 ホテルご紹介☆☆☆[金沢駅前] [金沢繁華街・中心街・郊外] [河北郡] [七尾市] [鳳珠郡能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [羽咋郡] [羽咋市] [白山市] [小松市] [加賀市]どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.10.12
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石川県の昔話 才田の狐[才田の狐][参考:金沢のむかしばなしより]狐の恩返しのお話を分かりやすいように方言、表現を変えて再創作したものです。ご了承下さい。むかしむかし、金沢の才田というところで山火事があり、木がほとんど燃えて丸坊主になってしまいました。山の動物達はエサが無くなり、仕方なく人里近くへやって来て畑を荒らして行きます。村人たちはそのつどクワで追い回したり、罠を仕掛けて退治しておりました。その頃、才田の山にいた狐が数匹の赤ちゃんを生みました。しかし、山には食べ物がほとんどありません。母狐はエサを求めて山じゅうをかけ回りましたが、ここ数日何もみつかりません。赤ちゃんは次々と死んでいき、とうとう残り一匹になってしまいました。そこでその母狐も、仕方なく怖い人里へおりてゆくことにしたのです。母狐が子狐を連れて畑やあぜ道をウロウロしていた時、向こうからクワをかついだ作兵衛じいさんがやって来ました。母狐は子狐を連れて逃げようとしましたが、子狐は何も食べていないので早く走れません。母狐は作兵衛じいさんの前に飛び出して、うううと一声うなりました。ところが作兵衛じいさん、母狐も子狐もガリガリに痩せているのを見て、「おお、おまえさん、かわいい子を連れとるのう。だがずいぶんやせておるぞ。山には今エサがないやろ、かわいそうに。しばらくわしが飯を食わしてやろう。」そう言ってそっと子狐に近寄り抱き上げました。母狐は驚いてクワォと一声吠えましたが、不思議なことにそれ以上抵抗せず、作兵衛じいさんを見上げるばかりです。狐には人間の言葉が分かりませんが、作兵衛じいさんの言葉に優しい気持ちを感じたのでしょう。それに、このままでは子狐は飢え死にしてしまいます。母狐は、作兵衛じいさんに子狐をあずけることにしたのです。作兵衛じいさんは村外れの家で一人で暮らしていました。村の人から畑を借りて細々と生活していましたが、その間不作も有って何日も食べられないことがありました。それだけにひもじい気持ちがよく分かります。外ではムジナも来るじゃろと、子狐を家の中へ入れ、たっぷり食べさせてやりました。自分の布団のそばに寝かせ、寒い日には毛布を一枚かぶせてやりました。母狐の方は、毎日作兵衛じいさんの庭へこっそり現れました。作兵衛じいさんもそれに気づいて、残飯を庭においてやりました。やがて数年が経った夏の頃、子狐は立派な体格に育ちました。そろそろ山もエサが有るだろうと作兵衛じいさんは、庭に現れた母狐に子狐を返してやったのです。しかし、2匹の狐はそれからもたびたび作兵衛じいさんの家の庭へ現れました。それで作兵衛じいさんは残飯を2匹分用意しておくことにしました。ある日のことです。作兵衛じいさんが朝起きようとしたら体の様子が変なのです。グルグルとめまいがして立ち上がることができません。ううむと、はいずってどうにか便所へ行ってきましたが、そのあと布団の中に倒れ込んでしまいました。このままでは食事を作ることができません。作兵衛じいさんは死を覚悟しました。「やれやれ、わしもとうとう女房と子供のところへ行くことになったか。もう75じゃからのう。わしみたいもんを、よくこんなに長く生かしてもろたもんじゃ。」布団に寝転んで目をつむっていると、今まで生きてきた思い出が次々と頭に浮かびます。そしてそのままとろとろと、眠ったり目覚めたりを繰り返しておりました。そうして二日が過ぎた時、作兵衛じいさんが目覚めたら、どこからかやさしい香りがします。ふと枕元を眺めると、なんと、おいしそうに熟したいちじくの実が三つ、畳の上に転がっていたのです。「おお、これは・・・これは、きっとあの狐に違いない。」作兵衛じいさんは、ふるえる手でその実を取り上げて、押しいただいて口にほおばると、甘くておいしくて口の中でとろけるようです。狐たちは次の日も次の日も木の実を持って枕元へやって来ました。栗の実、熟し柿、山ぶどう、あけび。それらを食べているうちに、作兵衛じいさんの体は少しずつ良くなってきたのです。やがて立ち上がれるほど回復した時、狐たちに涙を流してこう言いました。「ありがとうよ。ありがとうよ。お前たちの持ってきてくれたものはどんなにうまかったか。わしもお前たちに報いるために、もう少しだけ長生きしたくなったぞ。」体が元通りになった作兵衛じいさんは、残りの一生を狐たちのために使おうと思いました。そして、畑仕事の合間にあちこちの村人たちをたずね、この二匹の狐のことを話して回ったのです。狐は今まで悪ものとばかり見られているが、人より情が深いこんな狐もいるんだぞと知らせたかったのです。たくさんの人々がそれを聞き、狐を見ると作兵衛じいさんのところの狐じゃないかと大切にするようになりました。また中には狐だけでなく狸もムジナにも情が有るんだと知って、他の動物達も大事に扱う人々も増えてきたそうです。(文責:津幡町 吉田恵一)[石川県昔話 目次]金沢市才田町の地図をご紹介します。リンクするのは失礼だと思いますので、矢印のあとをコピーし、検索窓に貼り付けトップをご覧ください。(グーグルマップ)→ 金沢市才田町□□金沢市才田町周辺宿泊施設□□才田町は河北潟の近くです。すぐ近くには宿泊施設がみつかりません。金沢や河北郡津幡町、内灘町から車で20分くらいです。→[金沢駅前] [繁華街] [中心街] [郊外] [河北郡]☆☆☆ 石川県 旅館 ホテルご紹介☆☆☆[金沢駅前] [金沢繁華街・中心街・郊外] [河北郡] [七尾市] [鳳珠郡能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [羽咋郡] [羽咋市] [白山市] [小松市] [加賀市]どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.10.11
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石川県の昔話35 太郎助地蔵 辻堂地蔵[太郎助地蔵 辻堂地蔵]現在、中島町鳥越の田んぼの中に、左手が無い太郎助地蔵があります。そこからすぐ近くの町屋には首が無い辻堂地蔵があります。昔から長い間、この地蔵たちがケンカをしたのだと伝えられていました。しかし本当は違うことが分かってきました。こんなやさしい話が有ったのです。むかしむかしの夏のこと、能登は日照りに苦しんでいました。ため池から引くわずかの水をめぐって村同士のいさかいが起こります。油断していると夜のうちに田んぼの水の向きを変えられてしまうので、誰かが夜通し見張っていなければなりません。ある日、鳥越の五兵衛は太郎助地蔵のかげに座って水の行方を見張っていました。ところが心地よい夏の虫の音を聞いているうち、ついついぐっすり眠ってしまいました。それを隠れてうかがっていた町屋の佐平、五兵衛のやつ眠ったなと、そおっと田んぼに近づいて水を町屋の方へ流します。そして隠れ場所へ戻った佐平も、草を集めてその中にもぐり、眠り込んでしまいました。ふと目を覚ました五兵衛は、そろそろだいぶ入っただろうと見に行くと、なんと水が町屋の方へ流れているではないか。「やられた!」そう思ってまわりを見回すと、少し離れた草はらで草のかたまりがいびきをかいていました。カッときた五兵衛は走って行き、クワをその草のかたまりへ振り下ろしました。と、その時何か人影のようなものがクワの下へ入り込み、ガキッと音がしてごろりと石が転がりました。それをよく見てみると町屋の辻堂地蔵の首なのです。佐平も目を覚まし、二人でその不思議さに驚いていると、そこへ2つの光った人のような姿が現れてこう言いました。「五兵衛、お前はもう少しで左平を殺してしまうとこやったぞ。あんまりカッとならんようにしろや。それに今はもっとも大変な時、ケンカをしてても乗り越えられん。もうちょっと仲良く協力できんのか。」五兵衛と佐平は二人並んで、はいつくばっておりました。五兵衛が涙を流してお地蔵様に謝ります。「申し訳ありません。大変なことをしてしまいました。助けていただいてなんとお礼を申し上げたらいいのか。それに、大事なお地蔵様の首を落としてしまい恐れ多くて頭が上げられません。」お地蔵様たちは、はははと笑い、こう言いました。「五兵衛、心配するな。わしの首など大したことはない。人間なら大変なことじゃけど、わしらは首が落ちても死なんわい。」するともう一人の地蔵様も言いました。「お前たち、首を落として村人たちに責められるんなら、わしの片手もちぎっておこうかの。二人の地蔵がケンカしたと言っておけば、リクツもつくじゃろ。」五兵衛と佐平はお地蔵様のやさしい言葉に感激して、次の日村の人たちに、お地蔵様の言葉通り、こんな大変な時こそ2つの村が協力しなければ乗り切れないと提案しました。2つの村の人々も反省してそのとおりだと賛成してくれました。そして予定表をつくり、一日交代できちんと水を分け合ったのです。少しでも水が余れば予定表通りで無くても、もう一方の村へ水を流してやりました。するともうひとつの村も同じ事をしてくれます。見張りはもう全く必要無くなりました。両方の村がお互いに感謝しあい、とうとう、厳しい干ばつを乗り切ったのです。この干ばつと2つのお地蔵様のお陰で、もっと素晴らしいことも有ったのですよ。それから村人たちは不作の時も水害の時も苦しい時はいつも協力して、笑顔で乗り越えて行けたのです。こんなありがたいお地蔵様ですから、村人たちは今でも大切にしています。片方が首がなく、片方が手が無いことを誇りに思っているのです。(文責:津幡町 吉田恵一)[石川県昔話 目次][中島町鳥越地区 太郎助地蔵]田んぼに囲まれた農道の脇に有ります。[太郎助地蔵][太郎助地蔵]確かに左手が無いようです。[中島町町屋地区 辻堂地蔵]町屋地区入り口の道路脇に鎮座。意外に小さいです。お隣に七尾市指定文化財・永和三年名号板碑「南無阿弥陀仏」が有ります。[辻堂地蔵][辻堂地蔵]確かに首が有りませんね。(グーグルマップ)→ 七尾市中島町鳥越□□七尾市中島町周辺宿泊施設□□すぐ近くには宿泊施設がみつかりません。上の万葉倶楽部は下の国民宿舎能登小牧台の姉妹館です。万葉倶楽部-----------6km 0767-66-8111 能登小牧台姉妹館 国民宿舎能登小牧台--8km 風光明媚で安価 ☆☆☆ 石川県 旅館 ホテルご紹介☆☆☆[金沢駅前] [金沢繁華街・中心街・郊外] [河北郡] [七尾市] [鳳珠郡能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [羽咋郡] [羽咋市] [白山市] [小松市] [加賀市]どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.10.10
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石川県の昔話34 黒塗りの絵馬 [黒塗りの絵馬][参考:能登の民話伝説より]七尾市八幡町(やはたまち)、八幡神社(やはたじんじゃ)に黒く塗りつぶした絵馬が一枚かかっています。この絵馬についてのお話です。むかしむかし、八幡に勇ましくて素晴らしい黒馬がおりました。しかし年老いていたため子馬を生んですぐ死んでしまいました。村人たちはたいへん惜しんで、八幡神社へ絵馬として掲げました。その絵馬の絵のできがよく、まるで生きているように見えて村人たちの評判になったそうです。ところが、絵馬を掲げてすぐのこと、その黒馬を飼っていた庄屋の庭の畑が何ものかに食い荒らされるようになりました。狐やムジナの仕業かと村人たちが調べてみると、なんと馬のあしあとが見つかりました。村人たちは、これはもしかしてあの絵馬の黒馬ではないか、子供かわいさに会いに来るのではないかと思い、数人が神社の木のうしろに隠れ、庄屋の家では主人と一緒に納屋に隠れて、夜通し見張ることにしました。すると案の定、夜中の二時頃、神社の扉がギイと開いて一匹の黒馬が現れたのです。黒馬は一声いななくと、カツリカツリと真っ暗な道を庄屋の家へ急ぎます。やがて、納屋に潜んでいた主人と村人の前に黒馬がやってきて、馬小屋の中へ飛び込んでいきました。子は喜んで鼻を突き合わせ、ヒヒヒヒーンといなないて喜んでいます。ひとしきり親子のふれあいを重ねると、黒馬は畑へ向かい、人参やキャベツを掘りとって、馬小屋へ運んでいきます。納屋の中では主人も村人たちも、死んでさえ会いに来たかったかと、ついに涙を流してしまいました。次の日、村人たちはどうしたらよいか相談しました。「いくら子がかわいいと言ってものう。いつまでも成仏しないでこの世にとどまるのはよくないことじゃ。わしらで子は大事に守ってやるさかい、安心して成仏してくれと説得するしかないやろ。」村人たちはそう決めて神社へ行き、絵馬の前で決めたことを固く誓いました。そして人参や煮豆など馬の好物を供え、馬が再び抜け出さないよう、絵馬を黒く塗りつぶしてしまったのです。その後、村人たちは総出で子馬を大切にしていると絵馬の黒馬は2度と出てこなくなりました。そしてこれは絵馬と関係が有るのか無いのか、八幡の村では、よその村より何倍も豊作が続いたそうです。 (文責:津幡町 吉田恵一)[石川県昔話 目次]八幡神社と七尾市八幡町の地図をご紹介します。リンクするのは失礼だと思いますので、矢印のあとをコピーし、検索窓に貼り付けトップをご覧ください。(写真)→ 八幡神社(七尾市八幡町) 石川県と福井県の神社(グーグルマップ)→ 七尾市八幡町□□七尾市八幡町周辺宿泊施設□□八幡町周辺には宿泊施設が見つかりません。七尾市街地から5km程度です。近くには天狗が住むという「飯川神社のケヤキ」もあります。→ [七尾市]☆☆☆ 石川県 旅館 ホテルご紹介☆☆☆[金沢駅前] [金沢繁華街・中心街・郊外] [河北郡] [七尾市] [鳳珠郡能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [羽咋郡] [羽咋市] [白山市] [小松市] [加賀市]どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.10.09
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石川県の昔話 怪力女中 [怪力女中][参考:能登の民話伝説より]むかしむかし、七尾市徳田町に「かんなはん」と言われる大百姓の屋敷がありました。そこの女中の一人はでかい体で怪力の持ち主。屋敷には下男もたくさんいましたが、誰もこの女中にはかないません。下男たちは俵を一つずつよろよろと運んでいると、「こんな軽いもん、何をとろとろ運んでいるんじゃ。」と怒鳴って両手で二俵をひょいとつかみ、軽々と運んでいきます。オケで水を運ぶ時も、畳を運ぶ時もこんな調子。度胸も相当なもので、男でさえ怖がる暗い夜道でも、「さあさあ、何をびくついとる。男のくせに。」と平気の平左。屋敷の男どもは、いつもへいへいと頭を下げていましたが、くやしくてくやしくて、いちどはギャフンと言わせてやりたくて仕方がありません。そしてその年のおおみそかがやって来ました。屋敷では新年を迎えるため大掃除で大変でした。その女中も何人分の畳を上げたり、タンスを移動したりで大活躍です。やがて夕方になり一休みという頃には、さすがの女中も疲労こんぱい。部屋の隅にムシロを引いて横になり、ぐっすり寝込んでしまいました。男どもはそれを見て、それ、チャンスだと、こそこそ話し合い、眠る女中をムシロごと持ち上げ、大池の土手の上に置き去りにしてきたのです。この大池の土手は周りじゅう杉の木が生い茂り昼間でも暗く、あちこちに訳も知れないお堂がいくつもあり、昔から化けタヌキやキツネ、カッパ、龍が出たり、人魂が水の上を飛んだりと、かなり怖い場所でした。じつはこの女中が寝ている間も、何かあやしい影が2つ3つ女中のまわりをウロウロさまよっていたのです。やがて女中が大きいクシャミとともに目を覚まし、あたりをキョロキョロ見回すと、それらの影はおびえたようにふと消えてしまいました。女中はなんでこんな所にいるんだとしきりに首をひねり、どっこいしょと立ち上がリました。すると池の水の青白い光が急いで消えてゆきます。女中はノシノシと屋敷の方へ帰り始めると、横の杉林から、「うーうーうー」何か悲しげな声のようなものが聞こえます。「やかましい!」と女中が怒鳴るとピタリと止んでしまいました。そうして屋敷へ戻った女中は男どもを呼んで怒鳴りつけました。「なんじゃお前らは。屋敷の大事な女中が盗まれたゆうのに、それに気がつかんかったか。ほんとに頼りにならんバカ男どもじゃ。」その後、男どもは決してこの女中に手出しはしなかったそうです。(文責:津幡町 吉田恵一)[石川県昔話 目次]七尾市徳田町の地図をご紹介します。リンクするのは失礼だと思いますので、矢印のあとをコピーし、検索窓に貼り付けトップをご覧ください。(グーグルマップ)→ 七尾市徳田町 □□七尾市徳田町周辺宿泊施設□□徳田町周辺には宿泊施設が見つかりません。七尾市街地から5km程度です。近くには天狗が住むという「飯川神社のケヤキ」もあります。→ [七尾市]☆☆☆ 石川県 旅館 ホテルご紹介☆☆☆[金沢駅前] [金沢繁華街・中心街・郊外] [河北郡] [七尾市] [鳳珠郡能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [羽咋郡] [羽咋市] [白山市] [小松市] [加賀市]どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.10.08
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石川県の昔話 民話 伝説 地域別目次金沢の昔話 民話 伝説幽霊の飴買い....子供のため飴を買いに来る幽霊の話。芋掘り籐五郎....金沢の地名発祥の物語。魚のおんがえし....ある日助けた魚が恩返しに現れた話。天狗のお守り....天狗にもらった火事お守りの話。法船寺の猫塚....寺の大ねずみを退治した勇敢な猫の話。伝燈寺のこま犬....寺を襲った狼を退治したこま犬の話。お銀と小金....継母に殺された二人の姉妹の悲しい話。才田のキツネ....助けたキツネの恩返しの話。河北郡津幡町の昔話 民話 伝説倶利伽羅峠の猿ヶ堂....倶利伽羅山猿ヶ堂ゆかりの悲しい話茶の尾の狐....狐が狐に騙されて仕返しをした話。七尾の昔話 民話 伝説死人の見張り....人が狐をおどかして仕返しをされた話。飯川のケヤキと天狗....酒好き天狗のおかしい話。穂に出ず つっぱらめ....二人のおかよの悲しい愛情話。山王社の人身御供....能登最大規模 青柏祭ゆかりの話。八田のヘビ池....能登干ばつ雨乞い祈とうの話。化け物屋敷....ある家に化け物がどんどん現れる話。嫁がふち....強欲夫婦をお地蔵様がいさめる話。怪力女中....怪力女中のゆかいな話。黒塗りの絵馬....死んでも子に会いに来る馬の話。太郎助 辻堂地蔵....お地蔵様が村を救った話。あわたの橋ぐい....人柱になった父と悲しむ娘の話。能登町の昔話 民話 伝説猿鬼伝説....猿の化け物を神々が退治する話。恋路伝説....海岸で殺された二人の恋人の悲しい話。葭が池....村の美しい乙女が龍に持って行かれる話。中能登町の民話 昔話 伝説かぶそ(かわうそ)....宴会の帰り、カワウソにだまされる話。大須古(おおすこ)....ネズミに招待された男が失敗する話。50文の受取書....貧しい老婆に親鸞聖人から感謝が届く話。大木の木おけ....ある村が突然大金持ちになる話。夢見の太郎....太郎が夢のとおり幸せになる話笠地蔵....お地蔵様が恩返しに現れる有名な話鷲のさらい子....母が鷲にさらわれた子を探して旅する話薬一服カランコロン....馬鹿なあんちゃんの笑い話借金取り....貧乏夫婦と借金取りの笑い話下駄屋と傘屋....泣いてばかりいる下駄屋と傘屋の話狐の嫁入り....暗い田んぼで人が狐に化かされる話釣鐘といけにえ....釣鐘職人が子供をいけにえにする話真夜中のひそひそ話....深夜の家の木たちのひそひそ話大みそかの客....大みそかに訪れた坊さんのお礼の話天狗のいたずら....いたずら天狗が失敗してヤケドした話山姥と三人の女の子....三人の女の子が山姥をやっつけた話珠洲市の昔話 民話 伝説欲ばり婆さ....強欲な婆さんが死後幽霊になって現れる話。輪島市の昔話 民話 伝説長太むじな....木こりの長太とムジナの凄まじい戦いの話。鬼神大王波平行安....刀鍛冶の家に現れた赤鬼の話。八百比丘尼....海人魚を食べて死ななくなった娘の話。ムジナ和尚....寺の住職を殺して住職になったムジナの話。味噌すり地蔵....お地蔵様が味噌すりを代わってくれた話。宝達志水町の昔話 民話 伝説悪たれ村長....人をだまし続けてヘビになってしまった男の話。白山市の昔話 民話 伝説一厳洞....泰澄大師の弟子一厳と竜の修行の話。泰澄大師のお母さん....泰澄大師を追って白山を登った母の話。酒売り婆さん....白山へ登って神様に叱られた婆さんの話。長さんと魔物....魔物に取り殺された男の話。菊仙女....白山に住んでいた不思議な仙女の話。普光院地獄....白山の火口湖に沈んだ山伏の話。小松市の昔話 民話 伝説弁慶の勧進帳....弁慶と義経が安宅の関で演じた感動話。加賀市の昔話 民話 伝説嫁おどし面....嫁いびりの姑から鬼の面が取れなくなった話。ホームでは石川県全域の宿泊施設をご紹介しています✫きまっし石川⇨ホームへ戻る
2011.10.07
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石川県の昔話32 夢見の太郎[夢見の太郎][参考:能登の民話伝説より]ずっとずっと昔、4世紀ごろのお話です。中能登町小田中の一部が羽咋(はくい)の海辺に有ったころ、太郎というなかなか楽しい男がおりました。太郎は、「入江の左近」というお金持ちの下男でありましたが、どんなつらい仕事も楽しそうに頑張ります。他の下男たちも太郎と一緒に仕事をすると楽しいので、太郎が大好き。仕事の休み時間が来るとすぐ太郎のまわりに集まってきます。そんな時、太郎はみんなに夕べの夢の話をしてあげました。それがまた面白いのです。あるときは愉快な神様、ある時は龍や天狗、キツネやタヌキもどんどん出てきて、住む土地を離れ、遠いお月様やお日様まで旅します。ある日のことです。お昼の休み時間に、みんなと草わらへ寝転んで昼寝をしました。たいていは30分くらいですぐ起きるのですが、その日、太郎はなかなか起きません。みんながゆすってもたたいても起きないのです。みんなはいつも楽しくさせてもらうから、たまにはぐっすり寝かしておこうとそのままにしておきました。やがて夕方になり、太郎は大きなあくびをしながら起きて言いました。「あーあ、いい夢をみたなあ。」みんなは太郎のもとに集まって聞きます。「どんな夢だったんだ。話してくれよ。」すると太郎は手を振って、「残念だがの。今日のは話せん。」「話せんとはどういうことじゃ。頼むから話してくれよ。」みんながわいわい太郎を責め立てていると、主人の入江の左近が騒ぎを聞きつけてやって来ました。主人はみんなから訳を聞き、太郎に言います。「そんなにいい夢なのか。」「はい。幸せがいっぱいつまった素晴らしい夢でした。」「ふむ。ではわしが買うてやるから話せ。」「残念ですが、いくらご主人様でもこれだけは話せません。」左近は使用人のくせにと腹を立てて言います。「お前は主人の言いつけも聞けないのか。そんな無礼な使用人は船に乗せて流してしまうぞ。」そうおどかしても太郎は頑固に話そうとはしません。ついに怒り出した左近は、太郎を小さな船に乗せて海へ押し出してしまいました。そうして海に流された太郎ですが、じつはこれは夢のとおりだったのです。太郎は船の中で寝転んで青空を眺めながら、これから始まる夢の続きを思い出していました。すると一匹の大亀がどこからともなく現れて、船の下にもぐり、太郎の船をすいすいと運んでくれます。やがてある海岸へ着くとその大亀は再び海のかなたへ去って行きました。その地は常夏でとても美しい国でした。海岸の水はすきとおり、周辺はヤシの木におおわれ、空はどこまでも青く、森へ入れば緑の木々に色鮮やかな木の実がついています。太郎はそんな景色に目を見張りながら歩いていると、一つの看板が目に止まりました。それにはこう書いてありました。『我が国の王女は今病気である。病気を治してくれた者を王女のムコとしよう』太郎は、ああこれだこれだ、とうなずき、さっそくお城へと向かいました。この国の王女は医者にも治せない病気にかかり、食事もとれずガリガリにやせ、もう何日も前から意識も無く、王様はひどく悲しんでいたのです。今までに数百人の医者やお祈りを頼みました。しかし、何の効果もありません。それで、王様は最後の手段として、誰でもいいから治してくれたものを王女のムコにしようとお触れを出したのです。王女のムコになるということは、次の王様になることです。宮殿は町の真ん中の、緑にかこまれた丘の上にありました。青い空の下で純白に輝く美しいものでした。広い階段をのぼり、警備の人に王女の病気を治しにきたことを告げると、すぐ召使いが数人現れて長い廊下を案内してくれます。階段をいくつも上がり、お城の一番上に着いて扉を開けると部屋の窓際に王女が寝ていました。かわいそうに王女の姿はやせおとろえて、ただただ眠りこけているのです。太郎は王女へ微笑みかけて耳元でこう言いました。「待たせてすまんことです。太郎がきましたぞ。」すると、どうしたわけか王女はうっすら目を開けたのです。そして太郎をみつめてにっこりしました。それと同時に青白かった王女の顔に紅がさし、みるみるうちに元の美しい王女の顔に戻ってゆくのです。王様がかけ寄り涙を流して王女を抱きしめました。やがて王女の体も元通りになり、太郎は王女とめでたく結婚式をあげました。太郎と王女が城のテラスに着飾って現れると、城に集まった人々はおおおと歓声をあげます。その日は国中が喜び飲めや歌えの大騒ぎでした。太郎は、国民のことばかり考える優しい男でしたから、国民も太郎をとても尊敬しました。やがて3人の王子も生まれ、王様は太郎に王位をゆずり、ついに王様になりました。そうして幸せに二十年が過ぎ、王子たちもしっかりした若者に育ってきました。ある日、太郎は窓を開け、青い空を眺めて何か考え事をしていました。故郷で別れた仕事仲間のことや父や母のことを思い出していたのです。働いていた時は楽しかったなあ、おとっつあん、おっかさんは僕がいなくなってさぞ悲しんだろう、そう考えると涙が出てきます。どうしても一度帰って僕が元気なことを知らせたい。そう思って妃(きさき)に相談しました。妃も故郷のことを聞いてとてもうらやましがり、「あなたがお望みでしたら仕方がありません。私は王子を見守らねばなりませんので行けませんが、故郷にお帰りになってもあなたはこの国の王であることをどうぞ忘れずにいてくださいね。もし故郷で命を全うされるなら、お亡くなりになった日に私がお迎えに上がりますわ。」そう言って次の日、たくさんの財宝を積んだ船を用意してくれました。すぐにたくさんの大亀が現れて船の下にもぐり、数日かけて小田中の浜へ送り届けてくれたのです。小田中では、あの海に流された太郎が、たくさんの財宝を積んだ大きい船に乗って再び現れたので驚きました。次々と昔の仕事仲間も集まって来ます。太郎は、船の中に呼んであの日話さなかった夢を話してあげました。それから小田中の人々や入江の左近も呼んで惜しみなく財宝を分けてあげました。それで人々は太郎を小田中の長者と呼び、その後人々に尊敬され豊かな人生を送りました。太郎が亡くなったあと、人々は太郎に感謝して土を盛り上げ、大きな墓を作りました。そしてそれもみな、太郎が小田中の人に話した夢のとおりだったそうです。太郎の墓は「小田中親王塚」と呼ばれ、現在、北陸最大、最も古い古墳として小田中に残っています。ただ、近世になって誰の墓か分からなかったので、近くの神社が崇神(すじん)天皇皇子・大入杵命(おおいりきのみこと)を祀っているため、その人の墓ではないかとのことで宮内庁が管理しています。(文責:津幡町 吉田恵一)[石川県昔話 目次][小田中親王塚(夢見の太郎のお墓)]鳥居の後ろの小山が古墳です。巨木に覆われ、古代の歴史を感じさせます。崇神天皇は実在可能性が見込める初めての天皇で神武天皇と同一人物ではないか言われています。こんな方の皇子様のお墓がここに有るのはおかしいですね。太郎のお墓に間違い有りません。[小田中親王塚(夢見の太郎のお墓)側面から]鳥居前のお堀には鯉が悠々と泳いでいます。[小田中親王塚前の大木]胴体に、なんだか太郎の夢が詰まっているように感じます。(グーグルマップ)→ 中能登町小田中□□中能登町小田中周辺宿泊施設□□中能登町の宿は全て楽天と契約がありません。ご希望の方は電話にてお確かめください。木幡屋..............100m 0767-77-2373 詳細不明民宿 びっくり.......6km 0767-76-0576 詳細不明 カンガルーホテル..6km 03-3872-8573 本社東京 素泊3300円☆☆☆ 石川県 旅館 ホテルご紹介☆☆☆[金沢駅前] [金沢繁華街・中心街・郊外] [河北郡] [七尾市] [鳳珠郡能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [羽咋郡] [羽咋市] [白山市] [小松市] [加賀市]どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.10.07
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石川県の昔話 大木の木おけ[大木の木おけ][参考:能登の民話伝説より]この物語は、中能登の「榎の鶴瓶」という短い昔話に手を加えて、もっと面白くなるように創作を入れたものです。ご了承下さい。むかしむかし、能登の国でのお話です。重衛門(じゅうえもん)の家の近くにエノキの大木がありました。枝の横幅はおよそ18m、木の下は昼でも暗いほどに葉が茂っていて、日差しが強い時には人々はよく下で寝転んで休んでいました。ある時、5、6人の若者たちが木の下で雑談をしていた時、誰かがこう言いました。「あ~あ、腹がすいた。ぼた餅でも落ちてこないかなあ。」すると、大木の茂みからするすると何か降りてきました。見るとツルにつながれた木おけです。若者がその中を覗いてみると、なんと、うまそうなぼた餅が20個ほど入っています。上を見上げてみましたが、暗くてよく見えません。これは誰か親切な人の贈り物だろうとみんなで分けて食べてしまいました。そうして食べてしまうと木おけはまた、するすると木の茂みへ上がって行きます。次の日、その若者たちは仲間を連れて15人でやって来ました。そして木の下から、「ぼた餅降りてこい。」と言うと、やはりするすると木おけが降りてきました。今度はぼた餅が山盛りに入っています。若者たちは喜んで分けて食べてしまいました。そのあと誰かが、「ああうまかった。あとはお茶があればなあ。」そう言うと、また木おけがするすると降りてきたのです。中にはちょうどいい熱さのお茶が入っていました。「これはすごい。何でも降りてくるぞ。」若者たちは試しに自分たちの好きな物を思いつくだけ言ってみました。果物、野菜、服、遊び道具、そのつど木おけは忙しく降りたり上がったりして望みのものを降ろしてくれます。ある者は、これは大き過ぎてダメだろうと思いながらも、タンスを言ってみました。すると木おけの下にタンスがつながれて降りてきたのです。このうわさはまたたく間にあちこちの村々へ広がりました。ある村から30男がやってきて、「おらには嫁さが来てくれねえんです。どうかきれいな嫁さを降ろしてくだせえ。」と言って長い間木の下で待っていましたが、さすがに木おけは降りて来ません。やっぱりインチキかと思って家に帰ると、なんと家の玄関で、肩に木おけをかついだきれいな女の人が待っていたのです。またある時、女の人が泣きながら訪れて、「去年、私の大事な息子を亡くしました。どうか息子を戻していただきたいのです。」と祈って家へ帰ると、木おけを抱えた息子が「おっかあ。」と呼びながら走り出てきました。浜からはるばるやってきた体格のいい源三が、「おらには船が無いばっかりに、船ぬしに、とってきた魚のほとんどを取られてしまいます。どうかおらに船をお与え下さい。」そう祈って浜へ帰ると、なんと船ぬしの船よりでかくて立派な船が浜に横付けされていました。船の横には「源三丸」と名前まで入っています。源三が喜んでいると、マストに引っかかっていた木おけがするすると空へ消えて行きました。やがて、これは放っておけぬ神様じゃと、村の長老たちが出てきました。こうたびたび願い事をすれば、いつかは無くなってしまう。それに、この大木は村のもの、他の村の者に使わせる訳にはいかぬと、大木の前に鳥居、かたわらに神社を建て、見張りを置いて厳重に管理するようになりました。そして春と秋の2回、感謝のお祭りをすることにしたのです。村人たちは道を整備し、谷から谷へ大きい橋をかけ、田畑をつぶし、御殿のような立派な屋敷を立てていきました。食べ物や水は木おけに頼めばすぐ出てくるので、村人たちはもう働かなくてもよくなりました。一軒の家によその村から召使いを何人も雇いましたから、ご飯を作ったり掃除をしたりする手間もいりません。着物を着る時でさえ、召使いが我先にと走ってくるのです。こうして村は日本で一番豊かな村になりました。その生活はお公家様よりはるかに裕福だったでしょう。こんな楽園のような村ですから、各地から住みたい人がたくさん集まってきました。しかし、村人たちはそう簡単に許しません。村が荒れたら困ると、住む人を絞り込んだのです。数百人に数人程度、その道の名のある人ばかりに住むことを許しました。そのため村の文化も発展し、あんな山奥が、まるで京の都のように華やかとなりました。そうなるとまた、各地の人々は住むことをますます恋こがれていきました。ある年の春祭りは、盛大でした。有名な殿様数人が家来を引き連れてやって来たのです。中には、はるばる四国や九州からやってきた殿様もいました。この殿様たち、村の長老には頭が上がりませんでした。引退後はこの村で優雅に暮らしたかったのです。殿様たちは長老一人一人に丁寧に頭を下げ、家来の中に引込み、この祭りを見守っていました。さて祭りの式が始まり、神主が大木の前でおごそかにパンパンとかしわでを打つと、大木からするすると例の木おけが降りてきたのです。神主は、おかしいな、なんにも願いはしていないが、と木おけの中を見てみると一枚の紙が入っていました。開くとこんな文字が書いてあります。請求書 一金一万両一万両とは現在のお金では10億円くらい。神主は驚いて村の長老たちに見せました。いくらお金持ちといっても村にはこんな大金はありません。物を頼めば何でも降ろしてくれるので、お金を降ろす必要が無かったのです。でもこんなものはすぐ手に入るはず。長老たちは、さっそく木の下で一万両を降ろしてくれるよう頼みました。ところがどうしたわけか、今度ばかりは何度頼んでも木おけが降りてきません。また、他の物を頼んでも全く降りてこなくなったのです。このままではこれから何も降ろしてくれなくなります。長老たちはどうしようかと話し合いました。しかし、どうした訳か放っておけという意見が大半でした。この村はもう日本でも有名。みんなのあこがれの的。土地を貸した店からどんどんお金が入る。商売人は取引したいと頭をこすりつけ、半額以下で品物を置いてゆく。どの人もみな住みたくていくらでもお金を払う。これでじゅうぶんやっていけるではないか。それに、日本の有名な殿様でさえわしらに頭をさげにくる。いつまでも汚い木おけごときにいちいち頭を下げているのも馬鹿らしいと言うのです。ところが10日ほどたった時のことです。ある30男のお嫁さんが炊事場で突然消えてしまいました。次には、母親の目の前で息子が消え、海原で船が消え、橋が、道が、御殿が、出てきた順番に、すべすべ、すべすべとみんな消えてゆくのです。村はみるみるうちに昔の姿に戻ってしまい、例の木おけは二度と降りてこなかったそうです。(文責:津幡町 吉田恵一)[石川県昔話 目次]中能登町の地図をご紹介します。矢印のあとをコピーし、検索窓に貼り付けトップをご覧ください。(グーグルマップ)→ 鹿島郡 中能登町□□中能登町宿泊施設□□中能登町の宿は全て楽天と契約がありません。ご希望の方は電話にてお確かめください。木幡屋.....................100m 0767-77-2373 詳細不明民宿 びっくり............6km 0767-76-0576 詳細不明 カンガルーホテル..6km 03-3872-8573 本社東京 素泊3300円☆☆☆ 石川県 旅館 ホテルご紹介☆☆☆[金沢駅前] [金沢繁華街・中心街・郊外] [河北郡] [七尾市] [鳳珠郡能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [羽咋郡] [羽咋市] [白山市] [小松市] [加賀市]どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.10.06
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石川県の昔話30 ムジナ和尚[ムジナ和尚][参考:能登の民話伝説より]面白いようにかなり改変してあります。ご了承ください。輪島市門前町広瀬にある、総持寺の高弟大徹が開いた覚皇院(かっこういん)というお寺でのお話です。むかしむかし、この覚皇院(かっこういん)の床下に一匹のムジナが住みつきました。毎日毎日お経を聞いているうち、どんなお経も唱えられるようになりました。朝も昼も夜も、食事の時もお葬式も、自由自在に唱えられます。そこで坊主に化けたらもっとうまいものが食えると、夜中に住職を襲って殺し、床下に埋めてしまったのです。次の朝、何くわぬ顔で寝ていると、弟子たちが来て、はいつくばって朝の挨拶をします。ムジナは、ここでバレては元も子もない、何事も最初が肝心と落ち着き払って袈裟(けさ)を着ようとしました。ところが袈裟の着方が分かりません。なにしろムジナはいつも裸です。床下に住んでいたので、人が服を着るのを見たことがありません。ムジナはなんとか袈裟を着れないかと考えましたが、弟子にたずねたら怪しまれます。そこで威張ってこう言いました。「そなたたち、坊主はなぜ袈裟を着るのか答えてみよ。」弟子たちはぐっと詰まってしまいました。袈裟は遠い昔、インドのお釈迦さんの着ていたものを真似しているのは知っていましたが、そんなありきたりの答えでは無いはず。お師匠様がわざわざ問うたのですから、何か深い真理が有るに決まっています。弟子たちが考えに考えて困っていると、「喝!」と、でかいお目玉をくらいました。弟子たちは数歩後ずさり、お師匠様に礼拝します。そのうちムジナは袈裟に手を入れ、胸にひもを縛り付け、頭にふんどしを巻いて、余った法衣に目もくれずノシノシと廊下を歩いて行きました。弟子たちは、お師匠様がこれほど教えようとなさっているのに自分たちの頭の悪さ、ふがいなさに涙を流し、そのあとを礼拝しながらついてまわります。それがあんまりしつこいものだから、ムジナはうるさくなってきました。「これこれ、お前たちにもいつかわかる時が来よう。そろそろ飯にしないか。」食事場所では住職用の腕を振るった御前が用意されます。いつもの食事のお経を唱え、いざ食べようとしましたが、箸の使い方が分かりません。見回すと、みな背筋を伸ばして前を向き、誰も一言も言わず、住職が食べるのを待っているようです。ムジナは箸なしでどうやって食べようかと考えました。ええい、ままよとムジナは箸を湯のみに立てて手を合わせ、「おまえさんたち2つ、違った幹から作られて、やっとめおとになったのに、なんでわしの道具に使えよう。」そう言って住職はお椀を両手に持ち、そのままがぶがぶと口の中に放り込んだのです。それを聞いた弟子たちは感激しました。いっせいに箸を使わずお椀を両手に持って口に放り込みます。それからしばらくはそのお寺の食事の作法となりました。ところでこのムジナ、説教が苦手でした。やはり人より頭が悪くて長い話ができません。説教の番になると、多くの弟子たちの前にどしりと座り、ただただ人差し指を口元に立て、やがて両手で空中に円を描きます。この仕草で何人の弟子が悟ったことか。大きい部屋のあちこちからすすり泣きの声が聞こえます。檀家で呼ばれて食事をしても、椀を両手で持って放り込むだけで、その食べ方の由来を聞いていた檀家の主人はありがたさで涙まで流します。やがて、うわさがうわさを呼び、全国から弟子希望者が次々と集まって来ました。こうしてやがて10年が経とうという頃でした。ムジナ和尚が金丸村の檀家の前でカゴから出ようとした時、突然一匹の犬が現れて和尚に噛み付いたのです。和尚はぎゃあと叫んで犬を振り払おうとしました。弟子たちも迎えの人たちもびっくりして犬を引き離します。ところが次々と数匹の犬がやってきてカゴのまわりを取り囲んで吠え続けます。和尚はたまらず、「われムジナになりて、けものに法を説こうぞ。」そう叫び、一匹の灰色のムジナになってカゴを飛び出し、山の方へ一目散に逃げ去りました。人々は驚いて、「おお、さすがは和尚様、けものをあわれみなされ、とうとうけものの身になられたか。」とその後ろ姿を拝んで惜しみました。それからもムジナ和尚はお坊様のお手本として尊敬を集め、長い間語り伝えられたとのことです。この門前町覚皇院(かっこういん)には、ムジナ和尚が描いたとされる「達磨図」が所蔵されています。ただ現在の住職によれば、これは「達磨図」ではなく、ムジナ和尚が鏡を使って自分の顔を描いたものだとのお話です。この達磨図の写真を探しましたが、見つかりませんでした。ぜひ見せてもらいたいものです。(文責:津幡町 吉田恵一)[石川県昔話 目次] □□門前町周辺宿泊施設□□門前町覚皇院に近い宿をご紹介します。黒字のお宿は楽天トラベルと契約がなく詳細は不明です。もうやっていないお宿も有るかもしれません。ご希望の方は電話にてお確かめください。距離は地図上の目測直線距離です。目安になさってください。民宿夕月荘--400m 0768-42-0054徳木旅館----500m 0768-42-0010民宿 鹿磯--3.5km 0768-43-1119民宿黒島荘-4.5km 0768-43-1328能登・門前ファミリーイン ビュー・サンセット-5.5km 人気宿☆☆☆ 石川県 旅館 ホテルご紹介☆☆☆[金沢駅前] [金沢繁華街・中心街・郊外] [河北郡] [七尾市] [鳳珠郡能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [羽咋郡] [羽咋市] [白山市] [小松市] [加賀市]どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.10.05
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私の感動したyou tube(15) サブリナ 早老症[サブリナ 早老症]「早老症」というのは、遺伝子の異常によって老化が非常に早く進む病気です。赤ちゃんの時から進行が始まり、やがて皮膚がたるみ、ほとんどの人は12、3歳ごろに老人となり、やがて動脈硬化、脳卒中など老人病で死亡します。しかし、なんでこんな病気がこの世にあるのでしょうか。神様、仏様が、もうじゅうぶん生きたから、そろそろ戻っておいでというのなら、わざわざ外観をこんな風にまでしなくていいのに。早老症は現在世界で3、40人と言われています。その治療法は全く分かっていません。お医者さんたちは、その子がやがて死を迎えるため、老人を扱うように体調管理をするしかありません。今回は、その早老症になってしまったスイスの「サブリナ」ちゃんをご紹介します。こんなに歳をとってしまったのに、中身はかわいい少女です。恋も悩みも有るのです。自分がもうすぐ亡くなることも知っているようです。涙なしには見られませんでした。その他に外国語のものも3サイトご紹介します。リンクするのは失礼だと思いますので、矢印のあとをコピーし、検索窓に貼りつけて、そのトップをご覧ください。→ サブリナ 早老症 1/3 youtube→ サブリナ 早老症 2/3 youtube→ サブリナ 早老症 3/3 youtube→ Hutchinson-Gilford Progeria Syndrome UNC-Charlotte→ Hats for Hayley day at Bexhill High School→ Hayley Okines // More Beautiful Youホームへ
2011.10.03
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石川県の昔話29 倶利伽羅峠の猿ヶ堂[倶利伽羅峠の猿ヶ堂(さるがどう)][参考:津幡町ホームページより]むかしむかし、津幡町の原というところに甚兵衛という炭焼き夫婦がおりました。もう何年も子供ができないので寂しく思って暮らしていました。ある日、甚兵衛が山の小道を歩いていると、一匹の生まれて間もない子猿が幹にしがみついてキーキー泣いています。「おまえさん、どうした。母ちゃんにはぐれてしもうたか。」甚兵衛は頭を撫ぜて抱いてやると小猿も甚兵衛の胸に頭を押し付けて甘えてきます。甚兵衛は可愛くなってその小猿をうちへ連れて帰り、大切に育てることにしました。その猿はとても頭がよい猿でした。数年後にはまるで言葉が分かるように仕事を手伝えるようになりました。甚兵衛が、「さてと、マキ割りをするか。」と立ち上がると、猿も、さてと、と鉢巻をしてマキ割り場へ走ってマキを立てます。奥さんがお米をといでいると、さっそくかまどの火をつけます。その後甚兵衛に子供が出来ると家はさらに賑やかになりました。猿は赤ちゃんを弟のようにかわいがってくれました。赤ちゃんの機嫌が悪い時は、前でころんころんと転がってあやしてくれます。赤ちゃんがおいたした時は、おしりをぺんぺんして叱ってくれます。そうして秋も暮れようとしているある日、甚兵衛夫婦は、冬用のマキと炭焼きの木を切りに近くの山へ出かけました。留守の間は猿に頼んだぞとよく言い聞かせておきました。猿はいつものように赤ちゃんにつきっきりです。どんぐりを赤ちゃんの前で転がしたり、抱っこしたりで赤ちゃんを守っていました。ところが途中で赤ちゃんが突然泣きだしてしまい、抱いてもあやしても泣き止みません。おしめかな、と匂いをかいでみても違うようです。猿はほとほと困って赤ちゃんの前に座って悩んでいた時、甚兵衛夫婦が赤ちゃんにお湯浴びをさせていたことを思い出しました。その時の赤ちゃんの気持ちの良い笑顔も思い出します。さっそく猿はたらいにグツグツとお湯を沸かしました。そして赤ちゃんをそっと抱きかかえ、甚兵衛夫婦のようにやさしくその中へつけました。ところが赤ちゃんはぎゃーと一声叫んだあと動かなくなってしまったのです。山から帰ってきた甚兵衛夫婦はこれを見て、狂ったように叫び出しました。「おお、お前はなんてことをした。わしの子を殺してしまった・・・」甚兵衛はナタをつかみ、猿をぶち殺そうと振り上げました。猿は動かない赤ちゃんの前にちょこんと座り、甚兵衛の目をみつめて涙を流しています。甚兵衛はそれをみつめてどうしても手を下ろせません。「ちくしょう。おまえなんかに頼んだわしらも悪かったのかもしれん。くそう、どこかへ行け、野たれ死んでしまえ。」甚兵衛は猿を足でけり転がして家の外へたたき出してしまいました。そうしてそれから数年後のこと、乱暴な猿集団があちこちの村を荒らしてゆくようになりました。大切に育てた作物を根こそぎ食い散らかしてゆくのです。村人たちはさまざまな工夫をしましたが、猿たちは常にそれの裏をかいて、人がかなわないほど悪賢いのです。村人たちは悲鳴をあげ、これでは村が生きていけないと役人に訴えました。役人はこの訴えを聞き入れ、戸田影切という剣の達人に猿退治を頼みました。しかし、この戸田影切、普通の剣ばかりうまい殺人鬼ではありません。今から退治するものが、どんな思いを持っているのか確かめずにはおれない男でした。様々な人に聞きまわり、ついにそのボスが、以前甚兵衛夫婦が飼っていた猿だと突き止めたのです。甚兵衛夫婦から詳しく話を聞き、影切はあわれに思い、涙を流しながら退治に向かいました。山の中腹を歩くと猿たちがだんだん増えてきます。猿たちは道の両脇で影切を見張るようについてきます。やがて峠に至ると、影切はまわりを全て囲まれてしまいました。見回すと一匹のボス猿らしき大きい猿が木の下でこちらを見つめています。影切はその猿に向かって言いました。「お前にはもうわかっておろう。わしは今日お前を退治に来た。人にこれだけ害を与えては、もう許されぬこと。退治されても仕方があるまい。だがお前は甚兵衛にあれだけ世話になったのを忘れたのか。子を殺してしまったことはお前に罪はない。わしもお前の心と一緒に涙を流そう。お前亡きあと、わしはお堂を作ってお前を長く供養してやりたい。どうじゃ。」猿のボスは、影切をみつめておりましたが、やがて影切の前に進み出て、ひとしきり涙を流し、首を差し出しました。影切は苦しまぬよう、一刀のもとに首を切り落としたのです。影切はその後、約束通り倶利伽羅山にお堂を立てて長い間供養したとのことです。このお堂は現在「猿ヶ堂」と呼ばれ今でも大切にされています。猿ヶ堂のある地は、その後源平合戦の時平家本陣跡となり「猿ヶ馬場」と呼ばれていますが、この猿ヶ堂が地名の由来になっています。(文責:津幡町 吉田恵一)[石川県昔話 目次]倶利伽羅峠の猿ヶ堂倶利伽羅公園で大事に保存されています。すぐ前には芭蕉の句碑、付近には源平合戦の碑や、火牛の計でたくさんの平家の武士が亡くなったという地獄谷が有ります。お堂内部には不動明王□□倶利伽羅峠周辺宿泊施設□□倶利伽羅峠に近いお宿をご紹介します。黒字のお宿は楽天トラベルと契約が無く詳細は不明です。電話にてお確かめください。上埜別館-------------3km 0766-67-0168 富山県小矢部市(株)大沼商店---------4km 0766-67-1236 富山県小矢部市クロスランドホテル--5km 富山県小矢部市上埜本館--------------6km 0766-67-0350 富山県小矢部市道の駅 倶利伽羅源平の郷 倶利伽羅塾---8km 安価な公共宿勝崎館----------------10km 076-289-2161料理旅館 大正楼-------10km 076-288-3221ホテルフォーシーズン-12km 0766-64-6162 富山県高岡市☆☆☆ 石川県 旅館 ホテルご紹介☆☆☆[金沢駅前] [金沢繁華街・中心街・郊外] [河北郡] [七尾市] [鳳珠郡能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [羽咋郡] [羽咋市] [白山市] [小松市] [加賀市]どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.10.03
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石川県の昔話28 茶の尾の狐[茶の尾の狐][参考:津幡町ホームページより]分かりやすいように方言、表現を改変してあります。むかしむかし、寒い冬のこと、津幡町杉瀬(すぎのせ)の狐が山の中でエサを求めてうろついてると、フナがどっさり入った袋をくわえた、かほく市七窪(ななくぼ)の「おまん狐」にばったり出会いました。杉瀬の狐は驚いて言います。「おいおい、そのフナはどうした。どこでそんなに捕れるんじゃ。わしにも捕り方を教えてくれんか。」食べ物が少ない冬、これだけのフナが有れば一冬過ごせそうです。「まあ、そんなにせくな。お前には日頃世話になってるし、いっぺん教えてやろうかの。明日の真夜中河北潟(かほくがた)まで来いや。」 次の日夜おそく、杉瀬の狐は喜びいさんで河北潟へ出かけました。七窪の狐のフナのとり方は、尻尾を稲の穂に化かして水に垂らしていると、フナが食いついてくる。それを一気に引き上げればフナがぞろぞろ上がるというもの。杉瀬の狐はなるほどと思い、さっそく湖面の雪に穴を開け、稲穂に化かした尻尾を垂らしました。冬の水はとても冷たくて、ブルブル震えながら天を仰いで待っておりました。しかし、なかなかフナが食いついてきません。杉瀬の狐はたまらず声をあげました。「おい、いつになったら食いつくんじゃい。これではこごえ死んでしまうぞ。」「まてまてもう少しじゃ。フナが集まってきてるわい。」「さ、さぶい。さぶいぞ・・・」どうしてもフナが欲しい杉瀬の狐はガクガクと足を震わせ、意識もうろうとしながら待っておりました。家には3匹の可愛い子どもたちが父ちゃんのおみやげを心待ちにしているのです。そのうち東の空もだんだん明るくなってきました。ふと気がついてまわりを見渡すと、おまん狐の姿がありません。あれっどうしたのかなと思って遠くを眺めると数人の漁師の姿が見えます。これはいかんと杉瀬の狐は尻尾をあげて逃げようとしました。ところが尻尾が凍りついて抜けません。うううっとどんなに気張ってもびくともしないのです。「ああっ、しまった! これはやられた!」と、杉瀬の狐は気づきましたがあとのまつり。どうにか抜こうと暴れに暴れていたところ、とうとう漁師に見つかり、向こうから棒を持って走ってくるではないか。そこで杉瀬の狐は泣く泣く尻尾を半分引きちぎって命からがら逃げ帰ったのです。「おのれ、おまんの奴め!」杉瀬の狐はくやしくてくやしくてなりません。「この仕返しは必ずしてやるからな。」やがて春になり、杉瀬の狐の尻尾の傷も少しずつ治ってきました。しかし、以前のようにふさふさとした立派な尻尾ではありません。先っぽに茶色の毛がちょろちょろ生えてみっともないものでした。仲間はそれから杉瀬の狐を「茶の尾の狐」と呼ぶようになりました。あるとき、茶の尾の狐が山をうろついていた時、下の道を加賀の殿様の行列が通り過ぎました。茶の尾はヤブに隠れて通りすぎるのを待っていると、ふと近くにおまん狐の姿を見つけました。茶の尾の狐は何かいいことを思いつき、行列が通り過ぎたあと、おまん狐に近づいて前の恨みも忘れたようにこう言いました。「おお、おまん、久しぶりだな。さすがに加賀の殿様、すごいもんだ。ひごろわしらを追いかけ回す馬方や百姓たちがはいつくばっとる。」「そうだな。お付きの侍たちもいかにも勇ましくていいもんだ。」「おっ、そうじゃ、思いついたぞ。わしらこの近辺の者が大名行列に化けてお前に見せてやろうか。ただ、お前にも見破れんほど立派だったらお前たちの食い物を少し分けてほしいな。」「なるほどそれは面白い。ぜひ見せてくれんか。そんときは七窪の狐どもをみんな引き連れて見に来てやる。すぐ見破れるつまらんもんだったらお前たちの食い物を頂くぞ。」「いいとも。それじゃ近辺の狐どもに知らせて、さっそく練習を始めよう。準備ができ次第お前たちに知らせるから待っといてくれ。」茶の尾の狐はそれから、あちこちの狐たちに大名行列が通る日を知らせてくれるようお願いしました。やがてひと月ほどたったころ、大名行列が通りかかるという知らせが入り、今こそ恨みを晴らせると、おまん狐に知らせました。「カゴのまわりの侍は、宮谷、浅田、七野、竹橋、東荒屋、井野河内の連中じゃ。わしはカゴに乗ってふんぞり返っているから、カゴを開けてよく見てくれ。」おまん狐たちはさっそく数十匹の仲間を引き連れて道の脇の小山にやって来ました。自分たちの食い物はやりたくないので、どこかでケチをつけて反対に食い物を取り上げてやれと待ち構えていたのです。やがて大名行列が「したにー、したに。」と声を張り上げて坂を上がり、おまん狐たちの下を通りかかりました。それを見ておまん狐は驚いた。これは前の行列より数段立派じゃないか。勇ましい数十人の侍たちが左右を守り、美しい模様の立派なカゴがおごそかに運ばれていく。おまん狐は思いました。「これはすごい。わしらには絶対真似できん化け方じゃ。あとあとこいつらを利用して人をだませば役に立つ。少しぐらい食い物をやって飼い馴らしておいてもいいな。」おまん狐たちは山を駆け下りて行列を取り囲み、「おい、杉瀬の、さすがに今回はこちらの負けじゃわい。さっそくわしらの食い物をやるから早く元にもどれ。」そう言ったからたまりません。カゴのまわりの侍たちがざっと刀を抜き、一瞬にして狐どもをばったばったと切り捨てていきます。「これはやられた。」と思う間もなく、数匹残ったおまん狐たちは、宇野気(うのけ)の方へ逃げ去り、その後見かけなくなったそうです。杉瀬には今でも「だまし坂」と言う場所が残っており、近くには狐穴がいくつか有ります。(文責:津幡町 吉田恵一)[石川県昔話 目次]河北郡津幡町は、金沢市の郊外、富山県との県境に位置する町です。近辺には本州最大規模の石川県森林公園、河北潟、日本三大不動尊の倶利伽羅不動寺が有ります。津幡町の地図をご紹介します。リンクするのは失礼だと思いますので、矢印のあとをコピーし、検索窓に貼り付けてそのトップをご覧ください。(グーグルマップ)→ 河北郡津幡町杉瀬(グーグルマップ)→ 石川県森林公園(グーグルマップ)→ 河北郡内灘町湖西 河北潟(グーグルマップ)→ 津幡町倶利伽羅 倶利伽羅不動寺□□津幡町宿泊施設□□→ [河北郡]☆☆☆ 石川県 旅館 ホテルご紹介☆☆☆[金沢駅前] [金沢繁華街・中心街・郊外] [河北郡] [七尾市] [鳳珠郡能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [羽咋郡] [羽咋市] [白山市] [小松市] [加賀市]どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.10.02
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石川県の昔話 化け物屋敷[化け物屋敷][参考:能登の民話伝説より]むかしむかし、七尾に大野と言う俳句を書く人が住んでいました。なかなかいい人物でみんなに好かれていましたが、その人が家を新築してしばらくたった時、隣の傘屋さんがやってきてこう言うのです。「ちょいとお耳に入れておきたいのですが。昨夜、気味の悪い男が青白い人魂を2つほど引き連れてお屋敷の廊下をうろうろしていましたぞ。おはらいでもなさってはいかがですかな。」大野は丁寧にお礼を言いましたが、そういったものは信じない方だったのでそのまま放っておきました。数日後のこと、屋敷の女召使いが土蔵へ行ったさい、「きゃー」と大声をあげてその場でひっくり返ってしまいました。その声に驚いて下男がかけつけ、何があったか聞いてみると、人魂が地上30cmあたりをふわふわと飛び、壁をすり抜けて消えていってしまった。そのすぐあと、後ろから顔の青白い男が現れて私をにらんで、あの薪(まき)の中へもぐりこんでいったと言うのです。大野は下男に命じて薪をすべて取り除いてみたが何もみつかりません。それでそのままにしておいたら、ますます化け物たちが増えてきました。やぶれ提灯が、ちろちろと火をともして家じゅうただようやら、薄気味悪い老婆が仏壇でお経をあげるやら、トイレからごつい手が出て尻をなでるやら、ひるよるかまわず出てくるのです。すぐ近所で話題になり、とうとう「化け物屋敷」と呼ばれるようになってしまいました。やがて奥さんがとてもいられないと言って出てゆくし、召使いも下男も恐ろしがって、しばらくひまを頂きたいと言って来てくれなくなってしまいました。 そうして大野が頭を抱えていたとき、楓居(ふうきょ)という者がちょいとアドバイスが有ると言って訪ねてきました。座敷へ上がってもらうと、化け物どもは珍しいものが来たと思ったのか、座敷へ集まって来ました。天井をやぶれ提灯が飛び回るは、廊下を男がうろつくは、部屋の隅でおばばが手を合わせるは、つるつる頭の坊主が部屋の中を歩きまわるは。「ははあ、これはお困りでしょうなあ。」と楓居があきれて言います。「はい。こいつらのせいで誰も寄り付いてくれません。」すると楓居はこんなアドバイスをしてくれたのです。「もともとお化けたちはどこにでもいるものです。これらお化けたちもこの家が気に入って長くから住んでいるのでしょう。普通は何かの物にとり憑いていて人間にはほとんど気づかないものです。しかし、この家は全くの新築、お化けたちは住みにくくて、いたたまれず出てきて騒ぐのだと思います。もう少しお化けたちの親しみのあるもの、古いものを増やした方がいいですよ。」大野はなるほどと思いました。楓居が帰ったあと、近くの城跡へ行って古びた木や石を集め、古木で花瓶や調度品を飾り、石を古風な感じに庭に敷き詰め、タンスや柱なども塗り変えました。また、ある古い屋敷跡から大きい石を荷車に積んできて庭に置くなど、できる限り古めかしく作り変えました。すると、それから化け物はパッタリ出なくなったそうです。(文責:津幡町 吉田恵一)[石川県昔話 目次]七尾市の地図をご紹介します。七尾市は和倉温泉、能登島などが有り、観光地として栄えています。矢印のあとをコピーし、検索窓に貼り付けてそのトップをご覧ください。(グーグルマップ)→ 石川県七尾市□□七尾市宿泊施設□□→ [七尾市] [和倉温泉(1) (2) (3)]☆☆☆ 石川県 旅館 ホテルご紹介☆☆☆[金沢駅前] [金沢繁華街・中心街・郊外] [河北郡] [七尾市] [鳳珠郡能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [羽咋郡] [羽咋市] [白山市] [小松市] [加賀市]どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.10.01
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石川県の昔話 悪たれ村長[悪たれ村長][参考:能登の民話伝説より](分かりやすいように方言や表現を編集してあります)むかしむかし、押水町(現:宝達志水町)沢川のはずれ、村から少し離れた場所に、たいそうなお金持ちが住んでいました。しかし今のあるじは子供の時から悪たれで、村のものを盗むは、平気で嘘はつくはでひどく村人から嫌われていました。先代が立派な人物で村長をしていたので、自分もなってやろうと、金の力でとうとう村長になってしまいました。なにしろ、役人がきたら、豪勢なご馳走と酒でメロメロにして、帰りに役人のそでにこっそり金を入れるのですから役人の受けは抜群です。村人たちはひどく怒りましたが、役人が決めることですからどうしようもありません。それに、先代から田畑を借りている人々がたくさんいたのです。文句を言うと、田畑を取り上げられてしまいます。それで村人たちは、寄り合いの呼び出しが有っても、適当に相づちをうち、あまり相手にしませんでした。ある時のこと、この村を地震が襲い、村でたった一つのお寺がつぶれてしまった時がありました。その村長は村人たちを集め、お寺を再建しようと提案したのです。村人たちは驚きました。この悪たれ村長でもたまにはいいことを言うと感心して、次の日から仕事の合間をぬって山に入り木を切り出しました。そして三ヶ月ほどすると村長の家の前は切り出した木で埋まるほどになりました。これを見て村長は、「おお、みんなごくろうやったな。これはこれはりっぱな木じゃ。あとはしばらく乾かしたらいい材木ができるやろ。乾きしだい知らせるからしばらく待っとれや。」村人たちは村長のお寺再建の考えにみな一丸となっていました。「へい。村長、呼んでくださりゃいつでも参りますんで。」村人たちはそう言ってみな家へ帰って行きました。ところが何ヶ月たっても村長から知らせがありません。やがて一年になろうとするころ、村人たちはしびれを切らし、話しあって村長の家を訪ねました。すると村長はこう言うのです。「ある宮大工に聞いたら普通三年は乾かすらしいぞ。そうすれば木のすき間のない良い木材になると言うことじゃ。まあ、あと二年まっとれ。最高のお寺を作ろうやないか。」村人たちは、そんなようなことを聞いたこともあるので、何かすっきりしないものを感じながらも、一応家へ帰っていったのでした。それから二年たち、村人たちも、もういいだろうと村長の家を訪ねました。すると、家の前にあれほど積んであった材木が影も形も見えません。これはどうしたことかと村長にたずねると、「おお、お前たちにはまことにすまんことをしたが、三ヶ月ほど前のことじゃった。後ろの山に狐が増えてな。あんまり悪さをするもんで毒をまいて置いたんじゃ。次の日に門を開けたら材木がみんな消えて、その代わり毒が積んであった。近頃の狐はますます悪賢くなりおってどもならん。」ぬけぬけと大嘘をつく村長に村人たちはあっけにとられてしまいました。これはダメだと引き上げようとして屋敷の裏手を眺めると、なんと新築の立派な豪邸が立っているではないか。村人たちは、「ああ、これはやられてしもうた、悪たれはやっぱり悪たれじゃわい。」村人たちの悔しがりようは大変なものでした。それからしばらくのこと、悪たれ村長がひどい病気にかかってしまったのです。はじめは寝床に寝込んで荒い息をするばかりでしたが、やがて熱に浮かされたようにこう叫ぶのです。「ヘビじゃ!ヘビが来るわい!」そしてでかい口を開け、布団の中でくねくねと体を動かします。村人たちはこの奇怪な仕草を怖がりました。あまり近づかないようにしましたが、田畑を借りている人々は、あとあとのことも考えて、家族へお見舞いを言い、そそくさと立ち去りました。やがてその村長は亡くなり、家族は村長を棺桶に入れて葬式をしました。たくさんの弔問者が集まって残された家族にお悔やみを言っていたその時、突然空がくもり、大きな雷がドドーンとその家に落ちたのです。みんなはあわてて身を隠し、雷が過ぎ去ったので顔を上げると、なんと村長の棺桶がありません。村人総出で棺桶を探しましたが、一体どこへ消えたのか、とうとう見つかりませんでした。ところがそれから二日後、村長の娘の様子が変になりました。突然泣いたり笑ったり、夏物冬物を交互に着てみたり、くねくねと地面をはってみたり、そのうち「池が恋しい」「池が恋しい」と泣くようになり、突然うちを飛び出してゆくのです。家族は何度も止めましたが、ある晩とうとう家族を振り切り、樽見淵の池へ走り、振り向きもせずそのまま飛び込んでしまいました。家族はなんとか助けようと村人を頼んで池の底まで調べましたが、娘の体はどこにもみつかりません。その後のこと、ある村人が畑仕事の帰り、この池を通りかかると、でかい二匹のヘビが並んで泳いでいるのを見ました。それからこの池はヘビ池と呼ばれるようになり、人々はあまり近づかないようにしたそうです。(文責:津幡町 吉田恵一)[石川県昔話 目次]宝達志水町沢川は富山県との境にある山の中です。グーグルマップでは出て来ませんので、goo地図をご紹介します。リンクするのは失礼だと思いますので、矢印のあとをコピーし、検索窓に貼り付けてそのトップをご覧ください。(グー地図)→ 宝達志水町沢川 goo地図□□宝達志水町沢川周辺宿泊施設□□宝達志水町沢川の周辺には宿はみつかりません。羽咋郡の宿をご紹介します。→ [羽咋郡] ☆☆☆ 石川県 旅館 ホテルご紹介☆☆☆[金沢駅前] [金沢繁華街・中心街・郊外] [河北郡] [七尾市] [鳳珠郡能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [羽咋郡] [羽咋市] [白山市] [小松市] [加賀市]どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.09.30
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石川県の昔話 葭が池[葭が池]「九龍図巻」陳容画(南宋)[参考:能登の民話伝説より]むかしむかし、能登町鵜川(うかわ)の吉谷という所を、ものすごい暴風と豪雨が襲いました。木々をなぎ倒し、山々がうなり、川に濁流が荒れ狂いました。その嵐は一晩続き、村人たちはギシギシと倒れそうな家の中で頭を抱えておびえていました。明け方になり、ようやく嵐が去ったので、村人たち数人が外へ出て家や山の被害を調査することにしました。小屋や家が数軒こわれ、枝打ちしたばかりの杉の木がほとんど根こそぎ倒れています。川近くの田畑も泥に埋まり使い物になりません。それに、山すそにあった水神池が、山くずれで完全に無くなっていました。村人たちは、これはひどいことになったと、総出で数人ずつの組に分かれ、もっと詳しく調査することにしました。そのうちの一つの組が、森の中を歩いていた時、奇妙なことを見てしまったのです。森の谷になったところに、杉林に囲まれ薄暗く、薄いもやがかかった溜池が有りました。その溜池の水際で、村で一番美しい、葭(よし)と言う名の娘が岩に腰掛け、クシで静かに髪をといていました。誰かが声をかけようとした時、一人の男はそれを止めました。葭の動作や雰囲気に普通でないものを感じたのです。それで村人たちは木に隠れて様子をうかがっていました。まわりは暗いはずなのに、葭だけがかすかに明るいのです。それにいつもよりいっそうきれいです。長い髪はしっとりとなめらかに輝き、その手は普段の葭の動きよりやさしく流れるように動きます。時々葭は水を見下ろし、池に写る自分の姿を眺めます。それからクシを口にくわえ、両手で髪をたばさみ、再びふぁさと広げます。やがて岩を立ち上がって水際に寄り、水を両手ですくい、おいしそうに飲み始めます。一度や二度ではありません。何度も何度も、際限なく飲むのです。村人たちはあまりに気になって、葭に声をかけようとした時でした。突然、池の中からどぼどぼと巨大な龍が立ち上がり、葭めがけて降りてきて、葭をつかみ、がぼりと水中に消えてしまったのです。村人たちはびっくりして逃げようとしましたが、どうしたわけか足が動きません。わあわあとあがいている時、みるみるうちに池の水かさが増して、その谷いっぱいに水がたまり、周囲1kmほどの深く大きい池ができたのです。おそらく山崩れで無くなった水神池に住んでいた龍が、ここに再び池を作ったのでしょう。葭がどうしてあの場所にいたのか誰にも分かりません。村から一人の美しい娘が消えたことは確かです。それから村人たちはこの池を葭が池(よしがいけ)と呼び、恐れてあまり近づかなかったそうです。(文責:津幡町 吉田恵一)[石川県昔話 目次]能登町鵜川の地図をご紹介します。矢印のあとをコピーし、検索窓に貼り付けてそのトップをご覧ください。(グーグルマップ)→ 能登町鵜川□□能登町鵜川周辺宿泊施設□□[民宿 うかわ] 川沿いの宿 川釣り、山菜採り、キノコ狩りに最適。魚群探知機付き釣り船あり。すぐ海へも出られます。☆☆☆ 石川県 旅館 ホテルご紹介☆☆☆[金沢駅前] [金沢繁華街・中心街・郊外] [河北郡] [七尾市] [鳳珠郡能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [羽咋郡] [羽咋市] [白山市] [小松市] [加賀市]どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.09.29
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石川県の昔話24 伝燈寺の狛犬(こまいぬ)[伝燈寺の狛犬(こまいぬ)][こま犬(金沢尾山神社)][参考:金沢の民話と伝説より]むかしむかし、金沢の鳴和(なるわ)というところから山奥へ入ったところに伝燈寺(でんどうじ)という大きいお寺がありました。お寺の門の坂を上がると立派なこま犬が左右に座って、悪いものが来ないかと睨みをきかしていました。ある日の夕方のこと、一人のお百姓が泣き叫ぶ娘を抱えて寺へ駆け込んできました。「和尚さん、助けてください。」見ると、女の子の腕から血がしたたり落ちています。「これはひどい。すぐ手当てせねば。一体どうしたのじゃ。」「さきほど狼が数匹雨戸を破って入って来て、この子にかみついたんです。わしらが棒でこっぴどく殴りつけてやっと叩き出しましたが、恨みをもってまた来るかもしれません。どうか一晩あずかってもらえませんか。」「よし分かった。お前さんたちも寺に避難したらいい。だが狼は鼻がきく。ひょっとして寺に来るかもしれんな。村の若い衆も何人か来てもらうか。」そうしてその夜は雨戸を全て閉めて、12人程度が寺にこもりました。やがて夜中の10時ごろ、ガサガサと裏山の方から音がして、ヒタヒタと、けものが走る音が聞こえてきました。その音は雨戸のすぐ近くへもやってきて、フッフッ、ハッハッと息の音さえ聞こえます。寺男と若者たちはこん棒を振り上げて雨戸の内側で待ち構えます。すると、突然一匹がウオオーンと吠えました。続いて他の狼たちもオオオーン、オオオーンと次々と吠え出します。その声は山門から裏山から背戸から、寺の周りじゅうから聞こえるのです。「ううむ、これは・・・」和尚さんは目を見開きました。「おそらく3、40匹はいるのう。雨戸を破って入られたらこの人数で大丈夫じゃろか。」そのうち、あちこちの雨戸からドオンドオンと音がしました。狼たちが雨戸へぶつかってぶち破ろうとしているのです。やがてバキバキッと一部の雨戸が割れ穴が開き、狼の鼻と牙が差し込まれました。寺男たちはそこへ走って行ってこん棒で殴りつけます。またあちらに穴が開き、狼の狂った頭がドオッと差し込まれます。これも数人でたたきつけます。こうして寺男と若者たちは雨戸という雨戸を走り回ります。しかしこれではいつかは破られてしまう。みんな恐ろしさで真っ青になっていました。その時です。ガオウ、ガオウという狼らしくない低く大きな鳴き声がして、狼がキャン、キャン、キャンと泣き叫び始めたのです。同時に狼のドタドタと逃げまわる音とガオウという不思議な声が入り乱れます。確かにこれは何かが狼と戦っている感じです。狼が雨戸にぶつからなくなったので、人々は何だろうとそっと雨戸を開けて見ました。すると暗闇の中を、何か白く輝く大きい生き物が2匹、狼に立ち向かっていたのです。その生き物は軽やかにヤブをかけ降りし、狼どもをくわえて地面にたたきつけます。そのたびに狼のキャイーンという悲痛な叫びが聞こえます。みんなは、あれは一体何だろうかと目を見張りました。そうして朝になり、外も静かになったので人々は寺を出てみると、数十匹の狼たちがあちこちに倒れて息を引きとっています。なんとも不思議なことも有るものだとまわりを眺めていた時、和尚さんが門の前のこま犬を見つめました。なんと、こま犬の体のあちこちに引っかき傷が有り、口の牙から血を滴らせています。「おお、おお、お前たちだったのか。よくやってくれた。お前たちがいなかったら危ないところだったぞ。」和尚さんは布を取り出し、牙の周りを拭いてやりました。村人たちもそのありがたさに、体を磨いてやり、手を合わせて感謝したということです。この伝燈寺は現在廃寺となっているようで草ぼうぼう。伝燈寺町という町の名前として残っています。狼を退治したというこま犬は、近くの牧町 三河神社へ移されて、再び子供を救ったという伝説が残っています。このこま犬は今も三河神社に安置され、悪いものが来ないかと睨みをきかしています。(文責:津幡町 吉田恵一)[石川県昔話 目次][伝燈寺入り口]ここの石段は長くきついです。途中たくさんの草木に励まされましたが。[伝燈寺]今は無住。草木に覆われています。一台の車は管理している方のものでしょう。[伝燈寺本堂]この造りでしたら、数十頭の狼が襲った時は怖いでしょうね。[牧町 三河神社] □□伝燈寺町周辺宿泊施設□□伝燈寺町は山の中です。すぐ周辺には宿泊施設はありません。ホテルエコノ東金沢が最も近いです。およそ6km程度。ホテルエコノ東金沢 安価なビジネスホテル☆☆☆ 石川県 旅館 ホテルご紹介☆☆☆[金沢駅前] [金沢繁華街・中心街・郊外] [河北郡] [七尾市] [鳳珠郡能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [羽咋郡] [羽咋市] [白山市] [小松市] [加賀市]どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.09.28
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石川県の昔話23 お銀と小金[お銀と小金(こきん)]むかしむかし、犀川のたもと、加賀藩士の屋敷にお銀と小金(こきん)という12歳と7歳の姉妹がおりました。ただ、姉のお銀の方は4歳の時にお母さんを亡くし、妹の小金の方は、あとにお嫁にきた母の子供です。お銀はよく妹の小金を可愛がり、何をするにも一緒で、二人はとても仲が良い姉妹でした。ところが、あとから嫁にきた母親は、血がつながっていないお銀をどうしてもかわいいと思えません。逆に夫の前の女の子供だと思うと憎しみもわき、邪魔で邪魔で仕方がありませんでした。夫のいる時は優しそうなふりをしていますが、夫が仕事に出ている時はお銀だけ土間でご飯を食べさせたり、トイレ紙に草のトゲをまぶしたり、ひどくつらい目に合わせていたのです。でも、そのつど妹の小金は目に涙をため、お姉ちゃんの胸に飛び込んで「ごめんなさい。ごめんなさい。お母ちゃんを許してね。」と謝るのです。お銀は、どんなにつらい時でも小金が一緒にいてくれるので我慢できました。こんなに好きな小金のお母さんですから何も文句を言いませんでした。ある日のこと、主人が仕事で江戸に行き留守になった時、小金の母親は今こそお銀をいなくするチャンスだと思い、一計を案じました。ただ川に突き落としても、流れによっては助かる可能性がある。河原の土に穴を開け、そこに放り込んで水が少しずつ入るようにしておけば、水がいっぱいになる頃には死んでいるはずだ。母親は下男に小遣いを渡す約束で、人通りの少ない河原の水の近くに2mほどの深さに穴を開け、クワをひとつ、そばに置いておくように命じました。そしてその夕方、服を買ってあげるとお銀を連れ出したのです。母親はその日、笑顔を見せお銀にやさしくしてくれました。お銀の気に入った服を買い、その帰り道、疲れたやろ、おんぶしてあげると言ってお銀を背中に乗せたのです。ところが、民家が無い、犀川の寂しい場所に差しかかると、母親はお銀を背中にしたまま犀川の河原へ走り降り、お銀を穴の中へ放り込み、クワでガツガツと溝を掘って水が入り込むようにしました。泣き叫ぶお銀をあとにして、母親は河原を駆け上がり、急いで家へ戻ったのです。家では小金が今か今かと待っていました。「お母ちゃん、お姉ちゃんは。」と母親に聞くと、「あれ、まだ帰ってなかったかい。おかしいね。服を買ってあげたら喜んで、先に帰るっ、て走っていったけどねえ。」小金は近くにいるのかなと、近所の道を眺めたり、納屋の中を調べたりしていましたがどこにもお銀の姿がありません。それで家に入って部屋のふすまを開けて探していた時、台所の方から下男と母親の声が聞こえてきました。「ご苦労だったね。大変だったろう。はい。これだけ取っておおき。また何かあったら頼むよ。」「ありがとうごぜえます。でも犀川の河原にあれだけの穴を掘って、何かのお役に立ちましたでしょうかの。」「おまえさんは知らなくていいんだよ。これから余計なことを言わないでおくれ。」「へえ。すいません。」小金はそれを聞き、背筋に寒いものを感じ、家を飛び出して犀川ぞいを走りました。「お姉ちゃん!」「お姉ちゃん!」そう叫んでかなり走ったころ、人通りのない河原の一角で、「小金!」「小金!」と泣き叫ぶ声がします。小金は暗い河原へ飛び降り、声の方へ走ると、水がじょろじょろ入る穴を見つけました。それを覗くと、月の光の中にお銀の顔を見つけたのです。「お姉ちゃん!」水がお銀の首まで来ていて一刻の猶予もありません。小金は顔をあげて助けを呼ぼうとしましたが、当時そのあたりはすすき野原で、民家まで相当距離がありました。はるか彼方に家の明かりがかすかに見えるばかり。とてもそこまで呼びに行く時間がありません。水が入る溝を埋めようと石をかき寄せても、水は石の間を通り抜けていっこうに止まりません。「お姉ちゃん!」小金はどうしていいか分かりません。その間にも水は増え、お銀は浮いたり沈んだりして、小金の方へ片手を伸ばし、「小金!」「小金!」と泣き叫びます。小金はついに、「お姉ちゃん、お母ちゃんを許してね! お母ちゃんを許してね!」そう叫んで穴に飛び込んでしまったのです。そうして次の日、二人の抱き合った遺体が河原で見つかりました。ふたりは金沢菊川の法然寺へ葬られ、今でも大切に祭られています。その後母親は、わが子まで同時に失ったため、かなり嘆き悲しんでいましたが、やがて法然寺の門をたたいて仏門に入ったそうです。(文責:津幡町 吉田恵一)[石川県昔話 目次]犀川湖畔、金沢市菊川法然寺のお銀と小金の碑をご紹介します。お隣は菊川町公民館です。[金沢市菊川 法然寺][法然寺横手 お銀と小金案内板][法然寺横手通り道]一番奥の小屋にお銀と小金の碑が有ります。[お銀と小金の碑] クリック2回で最大画像になります□□法然寺周辺宿泊施設□□ペンションさらら舘 300m 犀川河畔 ペット可 安価なペンション由屋るる犀々 800m 犀川河畔朝食がおいしい人気宿 旅館 橋本屋 1km 料理がおいしい人気宿 ☆☆☆ 金沢の旅館 ホテル ご紹介☆☆☆ [金沢駅周辺] [金沢繁華街]・[中心街]・[中心をやや離れた宿]ホームでは石川県全域のお宿を紹介しています。どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.09.27
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石川県の昔話22 八百比丘尼[八百比丘尼(やおびくに)]「八百比丘尼」は人魚の肉と長寿にまつわる話です。しかしこの話は日本全国どこにでも有り、それぞれ似通っています。死なない悲哀を表したもので、当時の人々の心を動かしたものだと思われます。最後に洞窟に入ったと有りますが、完全に亡くなったとは書かれていませんので、今でも何かになって生きているのかもしれません。輪島市縄又(なわまた)地区のポケットパークに銅像も建てられ祀られています。また福井県小浜市の「空印寺」には入定したという洞窟が有ります。能登の伝説ではむじなや狐が出てきますが、突飛過ぎるのでかなり改変してあります。ご了承ください。『絵本小夜時雨』二之目録より 人魚福井県空印寺 八百比丘尼入定の洞窟 [参考:輪島市民話 第一話]輪島市別所谷(べっしょだに)の神明(しんめ)、小万淵(こまんぶち)というところでのお話です。その地区の庄屋が明日の酒宴の魚を買いにはるばる海辺へ出ていると、浜でわいわい漁師たちが騒いでいました。近くへ行って見ると、尻尾にヒレ、頭に顔のようなものが付いた妙な魚が網にかかって死んでいました。漁師たちは気味悪がって捨てようとしていたので庄屋は、「これは海人魚だな。捨てるならわしにくれんか。」そう言ってもらってきました。前に海人魚を食べると長生きすると聞いたことがあって、ひとつ食べてみようかと思ったのです。しかし、家に帰って料理をしてみましたが、人のような頭が有るのでなかなか気持ちが悪い。煮ても焼いても食べられません。次の日の酒宴で庄屋は集まった人たちに1つの皿を指さしてこう言いました。「今日は珍しいものをお出ししますぞ。この皿は昨日の漁であがった海人魚の肉。みなさま御存知の通り、海人魚の肉は長寿を招くと言われております。どうぞ味見をなさってください。」客たちは、皿の肉を見つめましたが、やはり気持ちが悪くて食べられません。しかしせっかくの庄屋の行為を無駄にもできない。そこで庄屋の目を盗んで持ち帰り用の箱に入れ風呂敷に包み、帰りに川へ捨てたのでした。しかし縄又(なわまた)の谷左衛門、かなり酔っていたこともあり、ついうっかり捨てるのを忘れてしまいました。うちへ帰ってやっと気づき、「こりゃいかん、つい持ってきてしもうたな。どこか目につかんところに置いて明日にでも捨てるか。」そう言って天井裏へ登るはしごの上の方に吊っておきました。ところが次の日の朝、谷左衛門の18歳になる娘が、天井裏へわらをあげようとしてそれを見つけてしまいました。「あら、これはきっと夕べのとうちゃんのおみやげね。」風呂敷を解くと、箱のなかにきれいな肉が並んでいます。一口食べるとじつにおいしい。ついにみんな食べてしまいました。不思議なことに、その日から娘の髪はツヤツヤになり、肌も色白でますます美しくなっていきました。胸をときめかせた村の若者がたくさん結婚を申し込んできます。そしてそのうちの一人と結婚しました。しかし、5、6年たってみると、村人たちは首をかしげました。ちっとも歳をとっていない気がしたのです。それから10年、20年とたってくると村人たちは口々にうわさをしました。「いまでも18のままの顔をしとる。ありゃあ化け物じゃ。」そうして60年、70年もたってくると、父や母はとっくに亡くなり、夫もすでに老いて亡くなりました。村人たちは気味悪がってほとんど近づかず、寄り合いにも呼びに来ません。娘は村のはずれで畑を耕しひっそりと暮らしていました。ある時よそ者の行商人が、娘の家をおとずれ、娘があまりに美しいので、他の村人に娘のことをたずねました。ひとり者なら息子の嫁にと考えたのです。ところがその村人は、「ああ、確かに今はひとり者だがよ。あの娘の歳を知っとるか。うちのこのばあばと同い年じゃ。」と言って、そばにいた、しわくちゃ婆さんを指さすのです。行商人は驚いて、二度とその家へ近づかなくなりました。夫が亡くなってから、娘もひどく苦しんでいました。理解してくれる人は一人も無く、毎日ひどく寂しかったのです。夫を追おうと高い崖から何度も身を投げましたが、その身はいつもなんの傷もないのです。カマで死のうとしたこともありました。ところが傷は切ったあとから治ってゆきます。何をしても死ぬことができないのです。そうして200年、300年と年が過ぎ、田畑の姿も変わり、まわりに知った人も無くなったころ、娘はあまりの悲しさに、尼僧の姿になって輪島を出て全国をさまようようになりました。その後各地の村々でたくさんの木を植えたり、困っている人々を助けたりしていたようです。しかし800年後になったある日、故郷近くの福井県のお寺へ顔を見せ、和尚に、死ねないことと輪島の里の思いを切々と訴えてお経をあげてもらい、そのまま寺の洞窟へ入っていき、もう出てこなかったそうです。(文責:津幡町 吉田恵一)[石川県昔話 目次]八百比丘尼に関するサイトをご紹介します。矢印のあとをコピーし、検索窓に貼り付けてそのトップをご覧ください。(写真)→ 輪島の八百比丘尼の像 蕎麦人 ↑(写真をクリックすれば拡大します)(写真)→ 空印寺(福井県小浜市) 八百比丘尼伝説の洞穴 ↑(写真をクリックすれば拡大します)(グーグルマップ)→ 輪島市 別所谷町□□輪島市宿泊施設□□別所谷町はかなり山の中です。すぐ近くに宿泊施設はありません。輪島市街地から12km程度です。→[輪島市 (1) (2)] ☆☆☆ 石川県 旅館 ホテルご紹介☆☆☆[金沢駅前] [金沢繁華街・中心街・郊外] [河北郡] [七尾市] [鳳珠郡能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [羽咋郡] [羽咋市] [白山市] [小松市] [加賀市]どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.09.26
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石川県の昔話21 法船寺の猫塚[法船寺の猫塚][参考:金沢の民話と伝説より]方言、表現など辻褄が合うように編集してあります。むかしむかし、金沢の法船寺の和尚さんは、この頃仏壇の天井裏にネズミが出るので困っていました。それもかなり大きいようです。お経を唱えるごとに上をドカドカと走り、時々天井板を踏み外していきます。はじめは、こんなでかいネズミはいない、ムジナか何かと思っていましたが、ときどきチューチューと鳴き声がするので、やはりネズミに違いありません。ある日、近所のじいさんが法船寺へ猫を持ってきてくれました。「ネズミが出ると聞きましたのでな。こいつの親はネズミをたくさん捕りましたので、こいつもきっと役に立ちますよ。」「おお、それはうれしい。なんとかせねばいかんと思っていたとこじゃ。」見ると目がくりくりとして大変可愛い猫です。猫は見知らぬ人になかなか馴れないものですが、和尚さんが抱くと安心したように腕の中で眠ります。和尚さんはいっぺんで気に入ってしまいました。でも、あのでかいネズミを退治するにはまだ体が小さくてかわいそうだなと和尚さんは思いました。そこで玄関先に小さな小屋を作り、大切に育てることにしたのです。その猫はじつに和尚さんになつきました。和尚さんがおつとめから帰ってくれば、玄関先から走ってきて、お帰りといわんばかりに和尚さんの顔を見上げてにゃあにゃあと鳴くのです。和尚さんが縁側に座って庭をながめていれば、その膝に飛び込んで甘えます。その間も、例のネズミは相変わらず天井裏を走りまわっていました。でも和尚さんはその猫がいとしくて、まだまだ大きくなってから手柄を上げさせてやりたいと我慢していました。やがて一年半がたち、その猫はかなり立派な体格になってきたので、和尚さんはそろそろいいかなと思い、はしごを持ってきて、天井板を外し、猫を天井裏へ入れようとしました。ところが、猫は激しく鳴き始め、和尚さんの手をつかんで天井裏へ入ろうとしません。和尚さんの目を見つめ悲しそうに鳴くのです。和尚さんは思わず猫を降ろして抱きしめました。「おおお、すまなかった・・・わしの都合ばかりでお前をこんなに苦しめるとはの。わしはなんと、だいそれた事をしたのじゃ・・・」和尚さんは涙を流してしまいました。しかし、あのネズミはそのまま放っておくわけにいきません。次の日、和尚さんは近所の人々にネズミ捕りの依頼をしました。すぐに元気な若者二人がネズミ捕りを持ってきて、「ご心配いりませんよ。一、二日で静かになります。」そう言って天井裏へ上がって行きました。ところが、しばらくして「うわあー」と声があり、ガタガタと天井をはいずる音がして、二人がはしごをかけ降りてきたのです。二人の話では、天井裏をはい進んでいた時、奥の角に何か大きい丸いものが見えるので、ソロリソロリと寄って行ったら、それには毛が生えていた。一体何だろうともう少し寄ってみたら、それはヒクとかすかに動く。その丸いものの下に明らかに2つの目がある。やがてそれはタヌキほどもある、でかいネズミだと気づいて、二人はあわてて逃げ出してきたと言うのです。「和尚さん、申し訳ありません。私どもでは退治は無理です。」二人は和尚さんに何度も謝り、帰って行きました。「タヌキほどもあるとはのう。わしの猫が怖がるのも無理はない。本当に申し訳ないことをしてしまった。さてどうしたらよいものじゃろう。」その日の夜、和尚さんはそう思いながら眠りに入って行きました。すると夢のなかに猫が、娘の姿で現れてこう言うのです。「和尚さま、私を毎日大事に育てていただいて有難うございます。なんとか御恩をお返ししたいと思っているのですが、あのネズミは到底私の手におえないのです。私もつらかったので、あちこち仲間に聞いておりましたら、能登の鹿島に強い仲間がいると聞きました。しばらくおいとまを頂きましたら連れてまいります。どうかそれまでお待ちください。」次の日、和尚さんが起きて夢を思い出し、猫の小屋まで行くと、あの猫がおりません。あちこち呼んでみましたが、それでも現れません。夢の中で猫が言った言葉を思い出しましたが、夢は夢に過ぎません。もしかしたら、あの恐ろしさで猫がどこかへいって、もう帰ってこないのかと和尚さんは悲しみました。ところがそれから二週間後のことです。和尚さんがおつとめから帰ってくると、猫が玄関から走ってきてにゃあにゃあと和尚さんをむかえてくれたのです。「おお、おまえさん帰ってくれたか! よう帰ってくれた。わしはさみしかったぞ。」和尚さんはうれしくて猫を抱き上げ、しっかり抱きしめていた時、玄関の猫の小屋の横に、もう一匹のでかい猫が、その様子をじっと見つめているのに気づきました。「ああ、あれがお前の仲間か。あの夢は本当だったのじゃな。だがもういいぞ。わしはネズミ退治よりお前のほうが大事なんじゃ。わしが少し我慢していればいいことじゃ。」しかし、そう言って猫を腕から下ろした途端、二匹の猫はすぐ仏壇の部屋へ走っていき、天井を見つめてにゃーにゃーと鳴き出したのです。「お前さんたち、あいつをやっつけてくれると言うのか。無理をせんでもいいのだぞ。」何度そう言ってなだめても、二匹の猫は鳴き止みません。そこで和尚さんは仕方なく近所の人達数人に助っ人を頼みました。「よいか、無理だと分かったらすぐ降りてくるのじゃ。」和尚さんは猫たちに念を押して天井板を一枚はずし、二匹の猫をその中に入れました。すると一瞬の沈黙のあと、「ふーっ」「ふーっ」「ぎゃおー」、ガラガラ、ドーンと戦いのすさまじい鳴き声と音が聞こえてきました。「おおお・・・がんばってくれ。」近所の人たちも、口々に応援します。「がんばれー。」「やっつけろー。」しばらくして、とつぜん、はずした天井板から、でかい灰色の動物がドオンと畳の上へ転げ落ちてきました。そいつは人々を見て逃げようとするので、人々は用意していた棒でたたきのめし、とうとうやっつけてしまいました。人々が喜んでいた時、和尚さんが天井を見上げると、あの猫たちは、はずれた天井板から顔をのぞかせ、ネズミをにらみつけていました。「お前たち、ようやってくれたな。」和尚さんはそう声をかけました。ところが猫たちはピクリとも動きません。和尚さんはどうしたのかと思ってはしごを登って行きました。動かないのも当然、猫はすでに息をひきとっていたのです。「お前たち・・・こんなわしのために命をかけてくれたのか・・・」和尚さんは泣きながら2匹の猫をしっかり抱きしめました。その後和尚さんは、2匹の猫の大きい葬式をおこない、お墓を立てて、毎日ねんごろに弔ったそうです。この墓は「義猫塚(ぎびょうづか)」と名付けられ今でも法船寺に残っています。(文責:津幡町 吉田恵一)[石川県昔話 目次]法船寺は金沢市中央通町、犀川河畔で繁華街片町から徒歩圏内です。[法船寺 本堂]本堂左へ入ってゆくとお墓がすぐ見つかります。一番手前のお墓です。[義猫塚(ぎびょうづか)]お墓の台に、10円玉2個、五円玉1個がお供えされていました。正面には「無縁法界墓」と書かれています。右面に、見えにくいのですが「義猫塚」と書かれています。左面の文字は判読できません。ご住職も分からないそうです。☆☆☆ 石川県 旅館 ホテルご紹介☆☆☆[金沢駅前] [金沢繁華街・中心街・郊外] [河北郡] [七尾市] [鳳珠郡能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [羽咋郡] [羽咋市] [白山市] [小松市] [加賀市]どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.09.25
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石川県の昔話20 八田のヘビ池[八田のヘビ池][参考:能登の民話伝説より]方言など分かりやすいように改変してあります。むかしむかし、能登地方が大変な干ばつに襲われたことが有りました。田畑はカラカラに乾き、土はひび割れ、作物は全てしなびてしまいました。村人たちは必死の思いで雨乞い人を頼みましたが、何度やっても雨一滴落ちてきません。人々が集まり話し合っていたとき、飯川光善寺の法印のことを言う人がいました。あのお方は一風変っていなさる。そのお顔つきは鋭く、一心に仏の修行を欠かさぬ毎日。飲んべの坊主とはえらい違いじゃ。あのお方なら法力もきっと強いに違いない。そうして次の日、村人たちは飯川の法印のもとを訪れ、今回の干ばつの祈願をお願いしたのです。法印は快く引き受け、八田の池のそばにヤグラを立てるように村人へ指示しました。ヤグラができあがると法印はその上に登り、数珠をじゃらじゃらこすりあわせ、お経を高らかに唱えだします。一日、二日と変わったことは起こりませんでしたが、三日目のこと、激しく祈る法印の数珠がぷつりと切れ、手から離れて池の中へと落ちて沈んでいきました。法印はヤグラの上から池を覗き込み、「あれは大事なもの。取ってこなくてはならんのう。」そう言い、ヤグラを降り、法衣を脱ぎ、村人たちが止める間もなく水の中へざぶんと飛び込んだのです。その法印、すぐ上がってくると思えばなかなか上がってきません。村人たちが心配してオロオロして見ています。もう長い時間が経ちました。人ならばとっくに息が止まっているはず。そうして村人たちが法印の命をほとんど諦めかけたころ、法印がどぼりと水の上に顔を見せました。村人たちはびっくりして言います。「これは法印様、安心しましたぞ。いったいどこまで行ってらっしゃいましたか。」法印はにっこりとして、 「心配かけてすまなかったな。この池の主と会っておったのじゃ。飛び込むとすぐ階段のようなものが有った。そこを降りていくと、それがでっかい蛇の背中であることが分かってきた。向こうに見える巨木と思っていたのが、よく見ると蛇の頭であった。その喉元近くにこの数珠が引っかかっておっての。」と答えます。村人たちは驚き恐れてその先を聞きたがりました。「わしはその大蛇の目を数刻にらみつけておった。だがこうしたことは意志の強い方が勝ちじゃ。負けてはならぬと胸に経を唱え意志を集中していたら、大蛇は急に目をそむけ、ずるずると長い身を引きずり、わしから離れて行きおった。」法印さんはそう言い、再びやぐらへ登り、経を唱え始めました。すると、今日までカンカンの日照りだったのが、急に雲が出て日がかげってきました。やがてポツリと一滴の雨が落ち、その後薄い小雨が降り、それは次第に激しい土砂降りになって数日続きました。村人の喜びはいかばかりか。みんな泣きながら外へ走り出て、降り注ぐ雨に身をぬらし、空を仰いで手を合わせたのです。この雨で能登は生き返ったのです。おそらく法印の法力であの大蛇が池を離れ、元いた天へ帰ってしまったのでしょう。(文責:津幡町 吉田恵一)[石川県昔話 目次][飯川(いがわ)町 摩尼山・光善寺 北陸不動尊十番札所]天狗が住むというケヤキが有る飯川神社のお隣です。 (グーグルマップ)→ 石川県七尾市 八田町 □□七尾市光善寺宿泊施設□□光善寺周辺には宿がありません。七尾市街地から5km程度です。→ [七尾市]☆☆☆ 石川県 旅館 ホテルご紹介☆☆☆[金沢駅前] [金沢繁華街・中心街・郊外] [河北郡] [七尾市] [鳳珠郡能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [羽咋郡] [羽咋市] [白山市] [小松市] [加賀市]どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.09.24
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石川県の昔話19 天狗のお守り[天狗のお守り][参考:金沢の民話と伝説より]犀川大橋の近く、はまぐり坂の上に妙慶寺というお寺があります。そこの5代目の住職、向誉上人(こうよ しょうにん)の時のお話です。ある昼下がり、向誉上人はある家でお経をあげた帰り、近江町市場を通りかかりました。市場はいつものとおり活気が有りましたが、ある一角で若者たちが集まってわあわあ騒いでいるのを見つけ、近くへ寄ってみました。すると一羽のでかいトンビが若者たちにとり押さえられ、じたばたとあがいているのです。「どうしたのじゃ。」と向誉上人が問うと、「ああ上人様、こいつはとんでもない奴です。このごろ毎日やってきて店の売り物をさらってゆくんです。今日こそはと思って、待ち構えて棒でたたき落としました。」トンビはピーピーと鳴き続け、羽があたりに散らばっています。向誉上人はちょっとあわれに思い、「ふうむ、どうじゃな。わしが今までとられた売り物の代金を払うから、そのトンビをわしに譲ってくれぬか。」と言うと、若者の頭らしき男が顔をあげ、「上人様がそうおっしゃるならお預けします。このトンビの根性をたたき直してくださるならお金なんかいりませんよ。どうかよろしくお願いします。」向誉上人は、高潔で慈悲深く、近辺では尊敬している人がたくさんおりました。上人様に預ければ間違いは決して無かったのです。向誉上人は、そのトンビを布に包み、寺まで持って帰ることにしました。寺まで結構距離が有りましたが、不思議なことにその間、トンビは鳴くことも騒ぐこともなく、おとなしく向誉上人の腕に抱かれていました。向誉上人が寺の境内へ戻り、トンビを地面に下ろして布を解き、「わしが通りかかったのも何かの縁、おまえさんを助けられて嬉しかったぞ。だがお前さん飛べるかのう。ほらあすこにでかい木が見えるじゃろ。あの木で休んで傷を直したらいい。」そう言うと、トンビはその木を見つめ、次に向誉上人を見つめ、やがてふさふさと羽を広げてその木へ向かって飛んで行きました。その日の夜のことです。向誉上人が床につき、そろそろ眠りに入ろうとしていたころ、布団の右に何か気配がしたので見てみると、誰かが向誉上人へ向かって手をつき、はいつくばっています。向誉上人は起き上がりもっとよく見ると、その者は鼻がひん曲がった赤ら顔を上げ、目元を涙でぼろぼろにしてこう言うのです。「私はこの地に住む天狗です。昼はトンビの姿で空を舞っております。昼間はひもじさのあまり恥ずかしいことをしてしまいました。その節は助けて頂いて本当に有難うございます。上人様の慈悲の心に触れもったいない気持ちでいっぱいです。今ここに、お礼をしたいと思ってまかり出ました。私に何か出来ることが有ればおおせください。」それに答えて向誉上人は言いました。「おまえさんの気持ちはじつに嬉しい。だがの、わしはこのあたりの方々にたくさんのものを頂いていて、お返しできなくて困るほどなのじゃ。これ以上してもらうことは何も無い。それに、何か見返りを求めておまえさんを助けたのではないぞ。早く傷を直してどこかへ立ち去るがいい。」「それでは私の気持ちがおさまりませぬ。」天狗はあたりをキョロキョロ見回すと、「しばらくお待ちを。」そう言って障子を開け、外へ出てわさわさと飛んでいき、しばらくして板を持って現れました。そしてトンビのような爪をニョキッと出すと、その板の真ん中にガツリと爪をたて、ガリガリと何かを掘り上げます。やがて出来上がったものは、表に大きく「大」の字が、裏に「小」の字が書いてある八角形の板でした。それを向誉上人へ手渡すと、天狗は再びはいつくばってこう言いました。「こんな事しかできなくて申し訳有りませぬ。これは火事のお守りです。大の月には「大」の方を、小の月には「小」の方を掲げておきますと、永遠に火事からお守りできます。それでは失礼致します。」そう言うと天狗は再び障子を開けて、外へわさわさと飛んで行ってしまいました。当時の明かりは火を使い、今のように消防も発達していなかったので、火事がとても多かったのです。一軒の家に火がつくと、またたく間に広がって大火事になりました。しかし、どんな火事が有っても不思議にも妙慶寺だけは焼けませんでした。亨保十八(1733)年の大火事では妙慶寺の近くまで火が及びましたが、そこで火は消えてしまいました。人々はこれも天狗のお守りのお陰だとうわさし合ったそうです。そのお守りは今でも妙慶寺に掲げられ、お寺を火事から守っています。(文責:津幡町 吉田恵一)[石川県昔話 目次][浄土宗 妙慶寺] □□妙慶寺周辺宿泊施設□□妙慶寺は、金沢繁華街片町の近くです。⇒[金沢繁華街片町周辺の旅館・ホテル]☆☆☆ 石川県 旅館 ホテルご紹介☆☆☆[金沢駅前] [金沢繁華街・中心街・郊外] [河北郡] [七尾市] [鳳珠郡能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [羽咋郡] [羽咋市] [白山市] [小松市] [加賀市]どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.09.23
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石川県の昔話18 魚のおんがえし[魚のおんがえし][参考:金沢の民話と伝説より]むかしむかし、金沢の八田町というところに地頭職(その地域の管理者)鈴木家が有りましたが、この鈴木家五代目新九郎という若者のお話です。新九郎はなかなかいい男で、よく働き、人にはやさしく、村人にとても人気がありました。釣りが好きで、とれた魚はよく年寄りのところへ持って行って分けてあげました。ある日、釣りをしていて一匹のスズキを釣り上げ、ビクに入れようとすると、そのスズキの胸が傷ついているのに気づき、かわいそうに思い、「おまえさん、はやく傷を治して元気でやれよ。」と再び川へ逃がしてやりました。逃したスズキは新九郎の前を二度、三度円を描いて泳いで、そのまま川下の方へ消えてゆきました。その二週間後の夜のこと。新九郎の家に若い女の人が訪ねて恥ずかしそうにこう言うのです。「私はみよと申します。あなた様をお見かけした時からお慕いしておりました。どうかしばらく私をこの家に置いてください。」見るとじつに美しい女の人です。身のこなしも品がよく、新九郎は一目で気に入り、家に来てもらうことにしました。新九郎も働き者でしたが、みよもまたそれ以上に働きものでした。村人たちは、いつの間にか現れた新九郎のお嫁さんを不思議がっていましたが、次第に二人を応援するようになりました。みよが現れてからというもの、不思議と釣りはほとんど大漁です。「じゃ、仕事もかたがついたし、そろそろ釣りに行ってくるかな。」「はい、あなた、行ってらっしゃい。」そうして夕方ビクにいっぱいの魚を抱えて新九郎は帰ってきます。ある時みよがこう言いました。「たくさんの生き物を頂くのですもの。二人で弔ってあげましょうよ。」「それもそうだな。いいことを言う。」それで二人はそれから毎日念仏をあげることにしました。ところがそれから数年過ぎた夕方のこと、新九郎が釣りから帰ってくると、みよが部屋で涙を流しているのです。「みよ、どうしたんだ。」と新九郎はかけ寄りました。「あなた、私はそろそろ身を捨てて、違う世界へ行かねばなりません。これは仕方のないことと分かりつつ、あなたを思うと身が引きさかれる思いです。」「みよ、何を言うんだ!」新九郎が驚いていると、「私はいつかあなたに助けられた魚のスズキです。魚はあなたよりも先に身を捨てなくてはなりません。私が元いた竜宮へ渡っても、あなたのことは決して忘れません。」みよは一体のぼさつ像を新九郎に手渡し、「これは私が子供の時から肌身離さず持っていたぼさつ像です。あなたのもとに置いて念仏をあげてください。その時は必ずあなたのことを偲んでいます。」みよはそう言うと、玄関から外へかけ出して行きました。「みよ、みよ、お願いだ、待ってくれ。」新九郎はそのあとを追いましたが、追うごとにみよの姿は次第に薄くなってゆき、やがて赤い夕陽の景色の中へ溶けこんでいってしまいました。新九郎の悲しみは大変なものでした。「みよー、みよー」と村じゅうを探しまわり、真夜中に深い森へ分け入りました。しかし、みよの姿はもうどこにもみつかりません。そうして明け方になり、いつも釣りに来る川べりをとぼとぼと歩いていた時のことです。川べりのよどみで一匹の魚が仰向けに死んでいるのを見つけました。それを手ですくい上げてよく見ると、胸に傷が治ったあとがありました。まさにいつか離してあげたスズキに間違いありません。「おおお、みよ・・・」新九郎は泣きながら、川岸の土を掘り、みよをねんごろに埋めて、お墓を作ってあげたのでした。その後新九郎は、地頭職となり、村人たちの尊敬をうけつつ八田の村を長い間おさめておりました。やがて亡くなる寸前、みよのそばへ埋めてくれと遺言を残し、8月16日、惜しまれながら亡くなりました。村人たちは、みよの墓の横に新九郎と、新九郎が肌身離さず持っていた小さなぼさつ像を手厚く葬り、二人を忘れないため、鈴木家先祖が立て直したという八田町「須々幾神社(すすきじんじゃ)」で、今でも毎年8月16日にお祭りをしているそうです。(文責:津幡町 吉田恵一)[金沢市八田町 須々幾神社(すすきじんじゃ][石川県昔話 目次]八田町は金沢市街地からやや離れています。すぐ近くには宿泊施設は見当たりません。JR金沢駅から車で15分から20分程度です。☆☆☆ 石川県 旅館 ホテルご紹介☆☆☆[金沢駅前] [金沢繁華街・中心街・郊外] [河北郡] [七尾市] [鳳珠郡能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [羽咋郡] [羽咋市] [白山市] [小松市] [加賀市]どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.09.22
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石川県の昔話17 欲ばり婆さ 2011年10月18日更新[欲ばり婆さ][参考:能登の民話伝説 珠洲市の昔話より ]むかしむかし、旧上戸(うえど)村(現 珠洲市上戸町)に、ひどくケチで強欲な婆さんがいました。若夫婦が買ったお米や野菜を少しずつちょろまかして店に売りに行き、そうして手にしたお金をこっそり隠して貯めていました。婆さんのお金の隠し場所は自分の絹布団の中。一文一文糸でしっかり縫いつけていました。夜、布団に入った時、一枚ずつお金のありかを指で確かめ、全て数え終わってから、安心して眠りに入ってゆくのが日課でした。しかし、寄る年波にはどうしても勝てないもの。ある朝、おばあさんが起きてこないので若夫婦が見に行くと、婆さんは布団の中で冷たくなっていたのです。婆さんの葬式を済ませたあと、若夫婦は婆さんの持ち物をどうしようか話し合い、村の店屋を呼んで、着物や布団、家財道具、一切合切を、大して調べもせず売り払ってしまいました。もちろん婆さんが布団の中にお金を貯めていることなどちっとも知りませんでした。村の古着屋の主人、今しがた買った婆さんの絹布団が重過ぎるので不審に思い調べていると、なんと布団の中に銭がびっしり。驚いて数えてみれば十貫文(1貫は約3.75kgのお金)以上はあるだろう。その上、絹布団はなかなか上等のようだ。仕立て直し次第では、まだ着物の上着ぐらいに使えるはずだ。主人は大喜びでお金を金庫にしまい、早速絹布団をばらして上着を一着仕立て上げました。さて出来上がった上着はなかなか着心地がいい。主人は気に入り、その日は上着を着て床に入りました。ところが、うとうとし始めたころ、部屋の鴨居に何か妙な気配があるのに気がつきました。不審に思って見上げていると、見覚えの有るあの婆さんの顔がうっすり浮かび、やがて、でかいしわくちゃの顔が主人の目の前に降りてきて、「ぬくいかのお・・・ぬくいかのお・・・」と恨めしげに主人の顔を覗き込むのです。主人はびっくりしてはね起きてその顔をはたこうとしますが、いっこうに手応えがありません。そのうちに恨めしそうな顔は、いかにも惜しそうな表情をしてゆっくりと消えてゆく。こんなことはそれから毎晩続いたと言います。古着屋の主人は、仕方なくその上着と銭を袋へ入れて、家からできるだけ離れた川ふちに捨ててしまいました。ところが数日後の夜中、二軒隣の大工の弥八(やはち)の家から「うわあー」と騒ぎがあったので主人が外に出てみると、例の袋を背にした弥八があわててかけてゆきます。どうも弥八があの袋を拾ったようです。その後、婆さんが夜中に出てくるといううわさは川ぞいの村で次々と持ち上がりました。数年後には土地の者は知らないものが無いほどになり、古着屋の主人が生きている間中続いたそうです。それ以後のことは分かりませんが、現在ではさすがに上着も銭もとっくに土に戻っているでしょう。あのお婆さん、一体、今はどうしているのでしょうか。(文責:津幡町 吉田恵一)[石川県昔話 目次]矢印のあとをコピーし、検索窓に貼りつけてご覧ください。(グーグルマップ)→ 石川県珠洲市 上戸町北方□□珠洲市上戸町宿泊施設□□珠洲市街地、珠洲市役所があるあたりです。→[珠洲市]☆☆☆ 石川県 旅館 ホテルご紹介☆☆☆[金沢駅前] [金沢繁華街・中心街・郊外] [河北郡] [七尾市] [鳳珠郡能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [羽咋郡] [羽咋市] [白山市] [小松市] [加賀市]どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.09.21
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石川県の昔話16 嫁がふち[嫁がふち][参考:能登の民話伝説より]むかしむかし、土川の日用川(ひようがわ)そば近くの里に、横地というたいそう強欲でひどい夫婦がいました。非常なケチで、長い間に小金を貯めこんで結構金持ちでしたが、まだ貯めようと日頃の食べ物さえけずり、きゅうきゅうの生活をしていました。ある時、その夫婦の長男に嫁を迎えました。しかし夫婦にはその嫁が普通に食べるので不満でした。あまり食べず、働くだけ働く嫁が欲しかったのです。それで毎日その嫁につらくあたり、「お前さんのおかげで貧乏になるばかりじゃ」と叱りつけていました。その嫁がたまたま里帰りしていた時のこと、その夫婦のもとへ一人の若く美しい女が訪ねてきて、夫婦へ手をついてこう言うのです。「私をどうかこの家へ入れてください。私なら食べ物もほとんどとらず精一杯働いてみせます。」それはまことかと、夫婦はその女を家へ入れ様子を見ていたら、女の言うとおり朝から晩まで働きほとんど食事をとりません。これは拾い物じゃと夫婦はひどく喜びました。そのうち嫁が里帰りからおみやげを抱えて帰ってくると、家には一人の美しい女の人がいて忙しく働いています。夫婦は、「お前があんまりたくさん食うので新しい嫁をもらったんじゃ。お前なぞもういらん。好きなところへ行って好きに暮らしておれ。」そう言って家へ入れてくれません。嫁は家の前で泣き悲しんでいましたが、やがて夕方ころになると、泣きながらとぼとぼと深い森の中へ入って行きました。山々は月の光の中に静まり返り、ときどきホウホウとふくろうの声が聞こえます。そうしてどれくらい歩いただろうか、ふと気づくと川のふちにいました。その水は月の光を含んで青白く美しく輝いて流れていました。嫁はその水のやさしさに少し安心し、思いを整理しようと川のそばの枯れ木に腰掛けました。「お里は今の生活で精一杯。私が帰ってはひどく迷惑になるわ。帰るわけには行かないわね・・・」そう思うと再び涙があふれてきます。これからどこへ行ったらいいのか分かりません。そうしてひとしきり泣いて川を眺めていた時、何のしわざか、川の水が次第に渦を巻きはじめたのです。やがてその渦はますます大きくなって虹色になり美しくキラキラと輝いてくるのです。それはじつにやさしい色でした。嫁にはこの色は、この世の姿よりよほど美しい世界に見えました。その光を見つめていた嫁は、里からもらったおみやげをそばの杉の木にしっかりとくくりつけ、手を合わせ、その川のふちへ飛び込んでしまったのです。ちょうどその頃でした。例の夫婦の家で懸命に働いていた新しい嫁がとつぜん仕事をやめ、涙を流し、夫婦に向かってこう言いました。「お前さんたち、わたしはお二人のあまりの強欲を見かねてやって来たんですよ。あなた方は本当にこの世が全てと思っているのですか。私にはたった一夜のことに思えます。こんな短いこの世で小金がそれほど大事なものでしょうか。あなた方のお嫁さんは、とても立派な世界から参っています。あなた方には間に合わないようですので、私がお守りし、再びかの世へご案内します。残念ながらこれでお別れです。」新しい嫁はそう言うと、とつぜん光のかたまりのようになり、家を飛び出して走り、荒屋神社前の日用川ふちにどぼんと飛び込んでしまいました。その後、村人たちは神社前のふちに一体のお地蔵様が沈んでいるのを見つけました。それを引き上げて再び立ててみたことが何度も有りましたが、不思議なことにいつの間にか川のふちに戻っているのです。この地蔵尊は今でも沈んでいるそうです。またお嫁さんが飛び込んだという川は「嫁がふち」とよばれ、その時以来渦を巻いているとのことです。(文責:津幡町 吉田恵一)[石川県昔話 目次][中島町土川 荒屋神社 入口鳥居]鬱蒼とした小山の上に有ります。[中島町土川 荒屋神社本殿]改修中のようです。[神社前の日用川]石が多い川です。地蔵様がおられないか、あちこち探してみましたが、見つかりませんでした。[神社前の日用川]もしかしたら、この深みに有るのかも。でも濁っていて見えません。残念。(グーグルマップ)→ 七尾市中島町土川34□□嫁がふち周辺宿泊施設□□嫁がふちは七尾市中島町の田園地帯にあります。すぐ周辺には宿はみつかりません。7、8km程度離れた宿をご紹介します。国民宿舎 能登小牧台...8km☆☆☆ 石川県 旅館 ホテルご紹介☆☆☆[金沢駅前] [金沢繁華街・中心街・郊外] [河北郡] [七尾市] [鳳珠郡能登町] [能登町 農家民宿] [珠洲市] [輪島市 (1) (2)] [羽咋郡] [羽咋市] [白山市] [小松市] [加賀市]どうぞ きまっし石川→ホームへ戻る
2011.09.20
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