妙法院 の 菅原信海門主 がおられます。
先日、『わが宗教観』というテーマで話して下さいました。
宗教という言葉は哲学的用語という感じが強く、馴染めない言葉である。
それは何がそうさせているのか、恐らく、宗教という言葉は翻訳語だからである。
宗教と表現するより、信仰とか信心といったほうが、馴染めることばである。
日本人の宗教は、個人単位でなく、家単位での宗教であった。それぞれの菩提寺が決まっていて、その寺が宗派がなんであるかによって、信ずる宗教が決まってしまうのである。
意識しないで、宗教的かかわりをもっている現代人が多いが、つまり意識しない宗教心=無意識的宗教心と呼んでいる。
宗教心とは、自分にとっては信仰する心であり、他に対しては安らぎを与える心である。喜捨ということばは、財物を寄進する意ばかりでなく、他者に心の安らぎを与えるという精神的な喜捨の意も含まれていることを忘れてはならない。
以上が話された主な内容と、心に刻んだ次第ですが、私達の目線に合わして下さり、法を説いて下さり、至福の時間でした。
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