例年どうり、二日、三日は 法輪寺(だるま寺) の 節分祭 の、お手伝いに参じました。
温かい陽気もあり、たくさんの参拝者がお越しになりました。
そこでの、感想を書きます。
先ずは、大きいカメラを持ったカメラ小僧でなく、中高年のカメラ大僧が多い事。手当たり次第にバチバチ撮りまくり、昔のようなフイルムでない事をいい事に手伝いをしている私達の半被の背中の紋も、面白いとかで撮ってられました。
子供たちの模範になるべき年配者が、芸術家気取りで境内で被写体を探す姿は感心しません。
色んなものに思いを寄せる気持ちは良いと思いますけど、自分の眼に焼き付ける心眼というものがあるのに、軽薄で不愉快です。
五感を通して、何かを感じるという人間本来の姿を大切する根本が感じられません。
カメラが趣味であられるのは結構ですが、先ずはゆっくりとお参り頂き、余韻をカメラに収める姿が、映像を楽しむマナーだと思います。
次に、自分勝手な菩提心をお持ちの年配者も困ります。
達磨さんに自分の願い札を貼って、一年間御祈祷して頂く有難い企画が根付いて 昔から大人気です。
一様に、200円の札をお買い求め頂き、ご自分でボールペンで書いて、糊を付けて頂き、好きなところに貼ってもらうわけですが、足を運んでお越しになる、業いそのものが等しく尊いと考えますが、いきなり目玉に貼ったり、少しでも高い頭の上に無理に貼ろうとする姿は感心しません。
結果的には、表も後ろも分からないほど札で覆い尽くされる訳ですが、御顔は最後まで残してあげる優しさが、欲しいですよね。
日本人の良さは、思いやりの心が一番の美徳とするところだと思っておりますが、いい爺さん、婆さんにお願いしなければならない現実が、今の日本なんです。
若い人のモラルを問う声が多いですが、今更、どうにもならない高年者が多い事実は残念です。
鬼は外、福は内
あくまでも、ごく一分の方達の事を言いましたが、信心篤い方達が遠近問わずに沢山にお参りされる姿は、平素の方丈様のご努力だと敬服しております。

