週刊文春で、興味ある記事がありました。
東京大学の小島毅准教授の『日本史教科書』再読ドリルというコラムに、夢窓疎石国師は単なる宗教者でなく、文化人であり、経営の才あり、庭園設計に優れた芸術家であった。
国師のみならず、かつて僧とは、このような多角的な活躍を期待される存在であった。
室町幕府は、外交を、主として禅僧に委ねていて、今の外務省にあたるその事務局、鹿苑院は、今の相国寺に置かれていた。開山は、当時遷化していたが国師であった。
天龍寺・相国寺のほか、すでに存在していた南禅寺・建仁寺・東福寺や鎌倉の建長寺・円覚寺の臨済宗は事実上の国教となる。
将軍家のみならず、皇室の葬送儀礼まで、列記した僧が取り仕切った事実があったそうである。
その僧たち、いわゆる五山の僧が漢詩文の作成に励んだが、その作品を五山文学と呼ぶそうである。それ以外の建築・飲食などの文化活動も連動していて、基盤は同じで五山文化という呼び方をしてもよいとの見解です。
現代の臨済宗の管長・師家に墨蹟を拝受して制作するカレンダーは、意義深い生業ではないかと、自分を鼓舞して頑張ろうと思いました。