初孫のこと 0
孫たち 0
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久しぶりに高校の同級生たちと会い孫はまだいないので話題は旦那さんの話と年老いた両親の介護の話と・・故郷に認知症の一人暮らしの母がいるY子さん故郷では三姉妹の真ん中の姉が自分の義母は施設に預け実の母のもとに毎日通う日々もう電話にも出れないしほとんど誰だかわからないのでこの連休 Y子さんは故郷に帰らないというせめてお金でもと母の口座に年二回夫のボーナスの時仕送りをしているそうそうかもう誰だかわからなくなれば行っても話もできないし会うのも辛いかな~逆に故郷で親と暮らす私はというとちっとも音沙汰のない埼玉に暮す兄はやっぱり物足りない近くに私が住んでいるとはいえ父は一人で暮らしているのだから連休くらい遊びにくるなり父のもとを訪ねてはどうかと思うまだ話せるし食べれるし歩けるしゆっくりだけどでも父も兄に来いとは言わないどうにも男同士本音がわからずめんどうなものだ私は何をしてもどちらにもうまく伝わらないのでその時はその時で兄には口説かないことにしたし父のこともあれこれあまり今は心配しないことにしたでも食事は運んでいますよ
2014.05.07
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父の昔の話を聞いて父の自伝をまとめてあげようと思っている昨年講習会があり話を聞きだすコツやあくまでも話し言葉で書くのが原則であることまとめ方や製本の仕方まで学んでさっそく父の昔の苦労した話しを聞きだしている最初は原稿用紙に書いていた自伝も時々思い出したように書くものだから時代が交錯していて話が行ったり来たりでもうまとめるのが大変で途中で私が本にするのをやめたそして今話を聞いていると一枚の原稿用紙なんてみるまにいっぱいになる満州での生活父母のこと日本帰って来てから求めた土地が小作人のものでただ当然でとられてしまったけれどその間にほったて小屋で暮らすうちに妹が産まれ産褥熱とやらで父の母は44才で亡くなったのだそうだそんな苦労話や私の母と知り合ったころのこと警察官の仕事でのあれこれ・・聞いていると父も生き生きしてくるいつになるかわからないけれどなるべく早く本にして父にプレゼントしたいといいながら一日は過ぎて行ってしまう父が生きているうちに・・頑張ろう
2014.02.26
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今日は久々の休みで車で五分の旦那の実家の雪かきに行ってきましたついでに持参したラーメンと白玉入りフルーツポンチも義父母と一緒に食べてきましたこんなことで喜んでくれるなら嬉しいことです隣に住む父は一週間ほど前から咳が止まらず金曜日にレントゲンを撮ったら前に気胸をやっているので癒着した影が・・肺炎になりやすいのでしばらくは安静です自覚がないのか一人暮らしで気を張って生きているせいか弱音を吐かない代わりになかなか病院にも行きたがらず確定申告に行かなければならないと私には決して頼まないので金曜日の朝病院の前に税務署に連れて行きましたよ咳をしていても木曜日には雪の中歩いて図書館に行っていましたからそれが咳が長引き原因かと思われるけどまあなんでもダメダメと言ってしまうと人間らしさも亡くしてしまうのかと私のできることならばと通院に付き合っていますそんなこんなで毎日忙しくしていますがもうひとつ今「聞き書き講座」に出て父の自伝を作成中なのでブログご無沙汰していましたこれからもそうかな・・・でも時々戻ってきますのでよろしくです
2014.02.16
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私の好きな歌「吾亦紅」歌詞の中で「亡き母が住んでいた実家には今は従兄弟が住んでいて以前のように灯りが灯るのです」父が一人住む実家昨年三カ月入院した時に夜になると灯りがともらずとても寂しかったことを思い出しました必ず別れが来るのだからそれまでは少しでも楽しい時間を一緒に過ごすようにしようでもあまり干渉しすぎず今はお互いにお互いの時間も大切にしよう正月には埼玉に住む兄一家が三日ほど帰ってきます父は静かな生活に慣れてしまってそれすらも少し面倒なようですそんなことを離れている兄は気づくこともなく三日間一緒に過ごすのでしょうそうしていつかは兄も父と別れる日が来るのにもっと埼玉の家に遊びにきてと声をかけるなり旅行に誘うなりすればいいのにと妹は思うけど口には出せませんお年寄りはとにかく自分の家が大好きなんだよね
2013.12.05
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娘と2人でおばあちゃんに届いたタオルの花輪を今日解体し丁寧に一枚一枚畳んだ色とりどりのたくさんのタオルで花輪は出来ていた祭壇を今日まで飾ってもらったのはひ孫の私の娘の来るのを待っていたのだひ孫だけど娘はおばあちゃんに可愛がってもらった幸せなひ孫だ私の母が亡くなった時娘は一番好きだった祖母を亡くした今はひいばあちゃんを亡くしそしていずれ祖父や祖母をあと三人見送ることなる悲しい別れを繰り返し子供たちは命の大切を知りまた新しい命を授かり繰り返し繰り返し生まれ変わり・・と思うといずれいなくなるであろう自分の死も怖くなくなるものだただやはり苦しまずに死んでいきたいものだと100才で老衰で亡くなった旦那の祖母を見送って思いました病気で亡くなって行った母と姉の思い出しかなかったので天寿を全うすると言うのはこういうことなのかと感じた今回のお別れでした隣で87才の父が自分もそうして死にたいと言っていますが・・・・こればかりはわかりません
2013.12.01
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父が87才で元気な秘訣朝のラジオ体操さっそく今日の誕生日記念に私も父と一緒にラジオ体操を始めた朝少し早く起きて五分付き合うと近所の人が散歩していたりゴミ捨てに行ったりする人を見ながら父が話すことに相づちを打ちちょっといいことした気分頑張って続けるぞ来年まで父が元気でいるようにそのあとまでもずーっと母の分も長い生きしてくれるように私の誕生日いいことしました
2013.10.01
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86才の父が右の白内障の手術を終えた一時間くらい安静と言われベットに横になっていたらいきなり右目が痒いと右手でかこうとしたのでびっくりして止めたこれからしばらくは右を見たり左を見たりするのは禁止顔を洗う時も目には水が入らないようしないといけないし目薬も点眼液や軟膏やら七種類も出て86才の父がきちんと回数を守り使用方法も守りつけれるか心配五分ごとに書いてある大丈夫だろうか来週には兄貴も帰るし私も仕事日中は一人で頑張ってもらわないと高齢者が淡々と白内障の手術を行っているが一人暮らしの高齢者はしばらく入院してもらった方が安心な気がする過保護かな
2013.08.15
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86才の父昨日自分で洗濯ものを干していて右手に力が入らなくなりいよいよあたったかと思ったそうだ夕食の時に声をかけたらもう治っていたけれど心配なので今日病院に行こうと言っても何かあったら自分で救急車を呼んで行くから今は行かないと言う昨年気胸が再発した時も病院に行くのに二時間説得して結局夜間になって夜中まで治療がかかった戦争を体験し仕事柄(警察官だった)耐えることには慣れていて暑い部屋の中にいても薄暗くても平気・・まあここまで長生きしたんだから今更じたばたして言い合いをするのも私もいい加減疲れたから今回は兄貴にはメールで報告しておいて放っておくことにした血圧は安定しているまたお盆がくる母が亡くなり私が準備することになっているけれど兄貴たちが来るのかどうか父の白内障の手術もあり父とのあれこれやり取りがめんどうだそう思う自分がいやだ
2013.07.26
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昨日日曜日久々の太陽の光に背中を押されて父を連れて象潟まで片道一時間半のドライブ県内で一番に梅の花が咲くという蚶満寺を訪ねましたが咲いていたのは椿の花が何輪か・まだ早かったようです 石碑には松尾芭蕉が象潟を三日間滞在した間に詠んだという句が「ききかたの雨や西施がねぶの花」 鳥海山を眺めながら日本海の荒波を見て詠んだのでしょうか 道の駅で温泉に入りまた一時間半かけて帰ってきました きらきら光る日本海を眺めながら・・グループホームで認知症のかたがたのお世話をさせていただき我が家の86歳の父が頼もしく思えた一週間でした できることはやるできないことはできない介護は無理せず相手にも強要せず穏やかな気持ちでやらなければ続きません
2013.03.18
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父の同僚だった御夫婦の死因は旦那さんが病死で奥様は凍死でした新聞が二日間とりこまれていなかったので旦那さんが亡くなった後寒い寒い夜をふた晩奥様はどんな思いで過ごされたんでしょうか認知証とは言え・・人生の最後に寂しい辛い不安な思いで・・悲しすぎる出来事に父は元気がありません葬式に行きたいと言っていますが遺影が二つ並んだ葬式をお子さんたちの気持ちも考えると行く勇気がありませんが行った方がいいのでしょうかわかりませんまた荒れた天気が続きます心が凍りそうです
2013.02.07
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父来年の米寿記念に私や兄から勧められて現在自叙伝執筆中もともと毎日日記や随筆を書いているので文を書くのは得意三日間で400詰め原稿用紙に17枚書いていたそれを旦那や義理の兄が手分けしてパソコンに打ち込み親戚のもと雑誌編集者に見てもらい印刷会社で本してもらう予定結構お金もかかるけれど父が珍しく出すと言って張り切っているので老後の生きがいになったようでいい提案だったとちょっと嬉しい父の戦争中の満鉄での生活ぶりや警察官だった時の仕事ぶり母との出会い・・若くして父母を亡くした後の兄弟を育てた苦労話などなど知らなかったことがたくさん・・とても私にとっても孫にとっても兄にとってもいい記念になりそうだじっくりと仕上げていきたい
2012.12.02
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毎朝声高らかに般若心経を唱える今日その意味を父に聞いてみた大体わかったが最後の経の意味がわからずネットで調べた中嶋みゆきの縦の糸はあなた~横の糸は私~の歌を思い出してしまった特別私が仏教に興味があったり信仰心が強いわけではないが父が毎日声を出すのが元気の源だと思えば般若心経の存在はありがたいと思った参考までに(仏説摩訶)般若波羅蜜多心経 「経」は、サンスクリット原典にはありません。もともとなかった末尾の文句を経題にしたわけですが、その末尾の文句に「経」という語はついていません。しかし、中国人はやはり最後に「経」がついていないとしっくりこないと考えていたようです。 ノンフィクションなどではなく、明らかに小説とわかる作品の題名に、「小説何某」としているようなもので妙といえば妙ですが、私たち日本人も明らかにお墓とわかっていても、「先祖代々之墓」と正面に刻しますから、要するに習慣ということでしょうか。 ところで、「経」は「たて糸」のことで、それが転じて「教えの基本線」という意味になり、「お釈迦様や賢人の教えを経と称するようになった」ということです。 私たちの人生を布地にたとえれば、実際の毎日の生活が横糸で、その生活を貫いてしっかりとした人生に織り上げるのが縦糸、すなわち「経」であるといえるのではないでしょうか。教えのない、正しいより所のない人生はつまらないものに終わってしまいかねません。 以上から、『般若心経』の正式名称「摩訶般若波羅蜜多心経」は、「偉大なる彼岸に到る智慧の完成の真髄の教え」とでも理解すればよいと思います。
2012.11.15
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昔の職場の仲間が続けて二人亡くなり父はまたまた元気がなくなった慰めてもこれだけはなんとか自分で切り替えて生きていってもらうしかないでも一緒に暮らす娘の私にできること出来る範囲でやってみる今日は世界地図パズルを買ってきて孫がロンドンに行ったこともありまた歴史や地理が得意な父にプレゼントすることにさてなんて言うかな私は久々に今日は休みで午後から無料の介護講座へ知識だけでも少しは役に立つかと来月は実践ですそれでは今日も一日楽しいことがたくさんあります様にというより自分で楽しいことを見つけましょうか
2012.10.31
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今日は実家の父に週二回のヘルパーさんが来る日だったので仕事の後一時間ほど走って帰って夕食を食べ終わった父のところに顔を出した父は横になっていてなんか疲れて・・一日横になることが多いそのほうが楽でねと言う焼酎の水割りをコップで一杯飲んで真っ赤な顔をしているなんか父が小さく見えて急に心細くなった父の今の一番の願いは来年早々に自分の米寿のお祝いをすることこれって本人が言いだすものではなく子供たち孫たちがやってあげるものなのではと兄貴にそれとなくメールしたのだがやる気がないのかそれに対する返事はなし妹の私が出しゃばるのもなあでも父はきっとやると決まればその日を楽しみに元気になれると思うどうしようか正月はみんな集まるから日を決めてホテル決めて勧めようかどうしよう・・
2012.09.28
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この暑いのに父エアコンもつけず窓をあけて扇風機つけてぼんやり座ってテレビを見ている部屋の中は暑くて隣の涼しい我が家に来て一緒にご飯食べようと誘っても父は頑として自分の部屋で一人で食べるという年をとると暑さを感じなくなると言うからとても心配だけどもし私がいないとき一人で部屋の中で熱中症で亡くなってもいいのと心配しても父はその時は仕方ないと言う私も85才になってみないとわからないけれどこうも頑固だともう仕方がないエアコンつけてもくせになるからと嫌がるし母さん許してその時はあきらめて・・みんなはどうしているんだろう心配しても嫌がる老親相手に・・後悔したくないからしているところもあるけどやっぱり快適に過ごしてほしいよ
2012.08.19
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今日はわが町の星辻神社というところのだるま祭りでだるまを買ってきた両目が入ったのをなぜかみんな買っていくので不思議に思っていたが開運ということでご利益があるそうだほとんどがそのだるまだった私は父に片目のだるまを買った退院が決まったら願成就でもう片目を入れよう夜仕事のあと病院に立ち寄ったら五時過ぎに主治医が来て経過がいいので明日管を止めて様子を見て明後日抜く予定だそうだ順調にいけば来週早々に退院できるかも父は再発しないようにきちんと治療してもらいたいと言うが気胸と言う病気はこれで絶対大丈夫ということはないようだからそれは無理だろうだからと言って消極的な生活になることはないそうで五月連休に予定している北海道旅行もできるかも・・・フェリーに乗って寝ていけばいいんだからそんなに体に負担もないし目的地でもあまり歩かせないようにしようまだ退院が決まったわけではないがとにかく久々に嬉しいニュースで父と思わず握手した今日は朝父の首筋の毛をそってあげた生まれて初めてだ夜は風呂に入れない父の足を思いっきり拭いてあげた気持ち良さそうに父は眠っていた良かったとにかくまずは・・・また親孝行ができそうだ
2012.04.12
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15日旦那が退院し家に帰ったら隣に住む父が元気がない朝から喉が苦しいと言っていて乾燥してるからのど飴でもなめて水分とってねと私は旦那の待つ病院へ・・喉がというから耳鼻科かなと思ったが父がどこまでも昔からかかっている爺ちゃん先生の近くの開業医がいいというので行く父の様子を見てすぐにレントゲンと血液検査一度は家に帰ったが電話が来て娘さんだけ病院に来てくださいといわれいったい何事かと不安になりながらまた行くと右肺に空気が入って肺が小さくなっているので呼吸がだいぶ苦しいはずですすぐに紹介状を持って近くの総合病院の救急へ行ってくださいと・・・家に帰ると父はのんきにテレビを見ていたからびっくりして・・うろたえて・・それを尻目に私は入院準備それこそ旦那が退院してきたばかりなのでそのままのセットをまた袋に詰めて・・結局総合病院ではこれは右肺の気胸という病気ですぐに管を入れて空気を抜きますと・・85才にてはじめての入院いったい何をされるのかと不安がる父でも悩むまもなくすぐに局所麻酔をして処置をしてくれたのでよかった結構怖がりやの父なのでこの処置に時間がかかってたらずーっと悩んでいただろう今毎日レントゲンを撮って空気が抜けるのを経過観察中もしうまく抜けなければ穴をふさぐ手術をするかもしれません埼玉に住む兄貴も今日新幹線で来てくれました続くときは続くんですねどうか天国の母さんもう少し父を見守っていてくださいねそれにしても・・・病院通いは疲れますね~絶対に風邪を引かないようにしなくては15日は退院祝いをするはずだった旦那は一人夕食を食べていましたしかたないね今日からは通院でリハビリです
2012.02.17
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父は毎月二回図書館で開かれる古典の会に出かけるのが楽しみの一つメンバーは女性が15人男性は父一人先生がもと高校の先生でその時の教え子がほとんどらしいその中に混じって古典を楽しむこと10年母が生きているときから行っていて母を看病している一年間は休んで亡くなってしばらくしたらまた行き始めてよかったなあと思うこんな年老いた父に声をかけてくれる仲間たちがいてそれも女性・・年は父より少し若い人からうーんと若い人もそして毎年この時期になると先生と父にバレンタインチョコをくれる今年は帝国ホテルのチョコだって・・以前はお返しなど気にしなかったけれど最近は私が感謝の気持ちを込めて買って父に持たせる父はお返しなんかいらないと言うが私はありがたくて・・こんなことでしかお礼できない父には近所の将棋仲間がいたがみんな亡くなるか老人ホームに入所してしまっていなくなり寂しい思いをしているときに隣の町内の人から声がかかり毎週二回歩いて15分の隣の会所に出かけるのが楽しみ・・将棋は二段の腕前この年になっても負けたくない気持ちは人一倍で毎週日曜日のテレビの将棋講座でチェックを忘れない今日は雪の中歩いて税務署へ確定申告に父86才満州でマラリアで死にかけて今元気に生きているこりゃあ100まで生きるかなああまり優しくしないほうが父は元気でいれるのかなそれにしても今日水道凍結父ちゃん入院中困った困った
2012.02.09
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久々の休みで今日は父の病院に送ろうと張り切っていたら朝一度迎えに行くとまだ早いと・・朝ご飯を食べているともう行くから・・と歩くの最高と鼻歌を歌いながら凍った道を歩いて行ってしまったかたみち30分以上かかる眼科へ父は雪のないときは自転車で雪道はふぶいていても歩いて絶対にタクシーは使わない85才の父が凍った雪道を歩いて病院へ心配だから声をかけているのに絶対に頼ってこない待てないのだもう少しで行くよと言っても・・まあいいか途中で疲れても休みながら帰ってくるんだろういつの日か歩けなくなったらその時は本当に頼ってくるんだろう正月は兄一家が来るので電気毛布の数が足りないストーぷが一台足りない心配ばかりご飯の支度が一番大変なのになあ一日から私は母のいなくなった実家の食事の支度で走り回るのか仏壇の写真の中の母があんまり頑張らなくていいよと言ってくれたような気がしたわかった適当にね・・笑顔がひきつらないように父がいる正月もあと何回か頑張らないけど・・頑張るよ
2011.12.21
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材料木綿豆腐一丁鳥挽き肉200グラムねぎ二分の一本醤油小1塩少々サラダ油小1マヨネーズ大2ケチャップ大2牛乳大1作り方1.豆腐はしっかり水気を切る2.ボウルに鶏挽肉、しょうゆ、塩、こしょうを入れ 粘りが出るまで、混ぜる。3.1の豆腐を崩しながら加え、小口切りにしたねぎも 加えて、さらに混ぜ合わせる。4.3を8から10個の食べやすい大きさにまとめる。5.フライパンにサラダ油を熱し、火が通るまで裏返し しながら、こんがりと焼く。6.マヨネーズ、ケチャップ、牛乳を混ぜ合わせたソース につけていただきます。今日はこれに朝煮込んでおいたおでんでした。食欲の落ちてきた父には、食べやすい柔らかい調理を心がけています。父の食事を作るようになってから五年、和食中心で私たちの健康にも役立っているような気がします。なんでも考え様です。父の食事の時間に追われてしまうのは少々きついときもありますが、規則正しい生活をおくれていると考えれば感謝ですね。まああいかわらず喧嘩していますが・・・
2011.11.11
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父85才大正15年生まれ一人暮らし歴5年散歩もするし電話の声は元気そのものでも今年の夏暑さのせいか少し食欲も落ち体重も四キロほど減った新聞読んでもすぐ眠くなるなあとちょっと弱音を吐いたそんな父が朝ごはんを持っていくと右手親指が痛くて目薬さすのも大変だったという使わないからだとハンドグリッパーを手渡す一日やってみたらと・・夜どうだったと聞くとだいぶ良くなったと手を差し出すので思わず握手父の手・・久しぶりに握ったいつも照れも手伝って優しい言葉をかけてやれない私でも父は私の手を握り締めとても嬉しそうだったスキンシップ・・父と娘では難しいでもあと何年一緒にこうして元気で話ができるのか今までは感じなかった父への愛おしさが急にわいてきた・・そんな一日になったいつの日かお別れする日が来るまで喧嘩しながらも仲良く暮らそう
2011.09.29
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昨日は七夕でした残念ながら雨模様で一年に一度の彦星とおり姫さんのデートは実現しなかったようですまた来年まで元気に待つことになるんでしょうか人間は考えられませんが・・すごい情熱ですね見習いたいです84才の父も負けていませんでした父の七夕の短冊に書いた願いはさっきそっと見たら「七夕に母さん戻ってこないかな」でしたなんか普段は喧嘩ばかりしている父がとても愛おしくなりましたでも顔を見ると素直になれない娘です考えて見ればわが娘もなかなかメールの返事をくれないけれど親のことをそうそう相手してられないもんね子供を持って初めて知る親の気持ちですさて・・今夜は近くの温泉にでも連れて行こうかな仕事行ってきまーす
2011.07.08
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母の五回目の命日父とお墓参りに行ってきた父84才母が亡くなってから五年毎日朝ラジオ体操して般若心経を大きな声で唱えて散歩して読書して日記や随筆を書いて八時に床に付く週二回は隣の町内の会館で将棋を指し月二回は図書館で女性に囲まれて古典の会猫の額ほどの畑を耕し雑草や植木はあまり構わずマイペースで生きてきたのが良かったのか母が亡き後益々元気になって口も達者まだまだ財布の紐はしっかり握っているし孫には厳しいこんな父と隣に住んで五年間やってこれたのも優しい旦那のおかげと口には出さないけれど感謝していますきっと天国の母も同じ気持ちでうなずいてくれてると思う子供たち三人にメールしたら長男は『命日に帰れなくてごめん、遠くにいても元気に頑張っているから心配しないで』二男『おばあちゃんのことを毎日一度は思い出す、今日は涙が出てきたよ』長女なしのつぶてさっきようやく連絡取れて喧嘩まあ女の子は本音で母親にぶつかってくるからね~でも私は母にはあまり逆らわなかったなあ真正面からぶつかってくる娘がうらやましいと思う母のお墓には満開のツツジが咲いていました
2011.06.17
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雨上がりの庭は母の植えた菊の植え替えにピッタリの柔らかな土で根がすうっと抜ける縁台にアゲハチョウ発見動かない羽化したばかり?一時間後まだいるよどうしたんだろう寒いからかな気にかかるけど今日は旦那は朝野球のあと実家に呼び出されていってしまったので私は久々に父を連れ叔母たちと一緒に白神の新しくできたという温泉に行ってきますね片道一時間半くらいかなじゃあ曇り空で少し肌寒いけど親孝行してきます
2011.05.22
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84才の父は「生きてるってわかったんだからもう行くことはないだろう」と、娘のところにガソリンと食料を運ぼうとした私たちに言う父は孫娘のところまで無事に行って帰ってこれるか逆に娘の私のことを心配しているかもしれないなと思えたが本当のところは戦後の焦土と化かした日本を力をあわせて復興を果たした世代の父は娘に手を貸す私を甘いと見るのか・・よくわからない娘も並んでなんとかガソリンは手に入りそうだし食料もそんなに食べなくても大丈夫だというからしばらくはこちらで出来ることを頑張ることにした世代が違うと考えも違って当たり前だけどこういうときは厳しい言葉よりもやはり優しい言葉が必要父にその言葉がないのは残念だでも少しずつ理解しようとは思っているとはいえあまり今は話ししていない
2011.04.01
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父が昨日からぎっくり腰が再発し腰を曲げてようやく歩いている昨日の朝起きたら痛かったようで一晩トイレに行くのも大変だったようだそれなのに昨日は歩いて眼科に行くというので私が車で送り迎えすると言うとじゃあ歩いて帰ると言ってどこまで私を家に帰したそのあと帰ってこない父を心配していたらいつもの倍もかかって雪道を歩いてきたそして結果ますます腰が痛くなった今までは歩いて良くなったからというけどやっぱり安静でしょう今日は半日付き合ってシップを貼ってあげたり携帯で孫たちにメールを送ったり話しをしたりして過ごした頑固な父が小さく見えた一日だったこのまま寝たきりにならないよう明日は病院に連れていくか安静にしてくれるよう優しーく頼もう年をとると小さな子に戻るようだ日々勉強
2011.01.30
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父84歳母が亡くなってから三年半一人暮らし隣に住む私が三食差し入れ時には時間に遅れることもある父は黙ってあるものでといっても納豆だけとか・・で焼酎のお湯割りを飲んでいる待っていられない少し遅れても持っていくともう要らないということもたびたび冬は自転車にも乗れないもともと冬は車は運転しない雪道は狭く危ないので病院に送って行くよと言っても散歩だから歩いていく危なければ車が寄るからいいとか・・あくまでも譲らない心配すると最後にはうるさいというほっとけばいいと叔母は言うけど隣に住んでいて見えるから心配だもともと母と相性がよく仲の良かった私・・どうしても私も素直になれないときがある旅行の計画を立てて行く寸前まで行きたくないとだだをこねる本当は行けば一番喜んでいるお金に関してもとても辛抱・・一代で土地を買い家を立て兄弟も育てたので贅沢ができないというか使えない・・・でも孫たちには大盤振る舞いだった毎日隣で面倒みているこの娘私には何もない除雪しいろいろと助けている私の夫にも何もないでも寝たきりではなく自分のことは自分でできご飯もちゃんと口から食べ時には将棋や図書館にも通い感謝の言葉は一つもないけどそれでも元気でよかったと思う私もいる実の父と娘一か月に一度は温泉に連れて行き玉には一緒にご飯を食べ旅行に年に数回は連れて行きこれでいいよね母さん・・
2011.01.28
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父に言わせればエコポイントもいらない見れる内は今のテレビを見て来年見れなくなってから買うというとにかくあまり新しいものを買って遺して行きたくないというのだ私にすれば早くきれいな画面で見たほうがいいような気がするのだけどまあお金を出すのは本人なんだから私はもう言わないけれどでも子供たちと相談して買ってあげようかとも言っているでも子供たちもだんだん懐が心配そうで私の懐も心配でとにかく我が家はポーナスが十年前からないし私も仕事を辞めたし父のテレビは持ち越しだなんでこうなったのかアナログのままだとダメだったのかこれって景気を回復するための材料もう少し高齢者世帯のことを考えてきっと田舎の一人暮らしのご老人世帯は突然来年七月にテレビが映らなくなって驚く人たちもいると思う情報が行き届いているようでわからない理解できていない高齢者が絶対いると思うよ
2010.11.22
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農業高校の畑に夏はひまわりそして秋はコスモスが植えられている父と叔母を連れもう花盛りを過ぎたコスモス畑を訪れためっきり寒くなってきて高齢者には厳しい冬が近づいてきた夕暮れが早くなり夜が長く一人暮らしの老人は寂しいだろうそんな家が我が町内にも増えてきた仕事を辞め時間ができた今やりたいことは戦争を経験したお年寄りの話し相手そして入学前の子供たちに昔話をしてあげること頑張るぞところでNHKの10時からのドラマセカンドバージン見てますか二回目だけどしっかりはまりそうですなかなかやるもんですねNHKさんも大石静さん原作はまっちゃいそうです
2010.10.19
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父が耕している畑のミニトマトを片付けた青いけどまだこんなに収穫できた今畑には大根が二列並んでるだけ四年前母が亡くなってから耕し始めた父公務員で転勤族だった父は 畑作りはなにもかもが初めて植えても収穫するのは私の仕事畑を耕すことで母のことを思い出すのだろう来年からは私も少し手伝おうそんな簡単にはうまくできないけれどそれで父との会話も弾むきがする
2010.10.06
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まあ今にはじまったことじゃないけれど兄貴が一年ぶりに嫁さんと帰省お盆に来るかと首を長くして待っていた父は意地を張ってか居間に座ったきり玄関に迎えに行こうともせず・・外から様子を見ていた私にせかされるそれが一昨日の話昨日は墓参りしたり親戚の挨拶回りして過ごし今日の夜はいきなり父がお金を出すから会食しないかと持ちかけてきたが私たちは仕事のあと二人とも用事がありどうぞ兄貴とゆっくり食べてくださいと断ったいきなり来て私たちに付き合えという父の気持ちもわからないわけではないがこっちの事情はお構いナシに常に父は兄優先いつもご飯作って旅行連れて行って気にかけている私たちにあんな笑顔は見せたことないような・・気がするでも断ったあと来年父生きているかな・・父と兄貴と一緒に会食する機会あるかなあと少し心配になってきたいや絶対来年も大丈夫だマイペースを崩さず生きている父だもの兄貴に言わせれば父の元気の源は私と喧嘩することとかこっちの身にもなってみてよと言いたくなるけどいなくなれば父が言うとおりやっぱり寂しいでもあいかわらず兄にばかり愛想を振るう父はいったぃなんという奴だと言いたくなる娘でした~兄夫婦は父をのこして明日の朝埼玉に帰るそうです束の間の父の食事の支度から解放された三日間でした
2009.08.28
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今日6月20日は亡き母の誕生日実は母は三年前自分の誕生日に土にかえりました生まれてきた日にこの世からいなくなってしまうなんて・・・本当にすごいことだなあと思いましたその上母は自分の母親(私にとっては祖母)と同じ日に同じ年齢で同じ胆嚢の病気で亡くなったのですこんなことがあっていいのかと家族が本当に驚愕した偶然でした母を呼んだのでしょうかそれとも母は自分の母親の亡くなった日まで頑張ったのでしょうか・・・いつかは話しておきたとい思ってましたが三年経ってようやく話せた偶然の母の思い出です今日はケーキを買って仏前に供えます母さんと遊んで育った子供たちは本当に元気にのびのびと育ちこんな駄目母の元でも素直に優しい子になってくれて・・・と親ばかですが・・そう思います孫育てをしてくれた母に本当に感謝ですしみじみと母の書いた孫日記を読んでは・・頭の下がるおもいですこんなおばあちゃんに私はなれないなあ・・・・・・
2009.06.20
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たいしたものは作れないけれど毎朝七時には隣に住む父に朝食を届ける大体は味噌汁に焼き魚におひたしたまにフルーツもつけて・・父は大きな声で仏前に座り母と姉の写真を見つめながら般若心経を唱える本当に隣にも聞こえるくらいの大きな声で・・それを聞くと今日も元気でよかったなと思う昼は月の半分は自分で準備本当に粗食で・・たいしたものは食べてないと思う夜は週二回はヘルパーさん残りの三回くらいは作っていき後の二回は自分ですきなものを買ってきて食べている一月に入院するまでは全食私が準備していたが無理はしないことと父に少し自立させることにして今移行期間何食べてるかなあって気になるけれど少しくらい粗食でももう死にはしないとにかくこうして今日も一日暮れていくのですね明日日曜日も仕事です
2009.04.04
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81歳の父の前立腺の検査結果一緒に聞きに行こうかと言ったらもし悪い結果だったらすぐ電話するからといって一人で聞きに行った父お昼頃携帯に電話あり仕事中の私は気づかず一時間後お昼休みに発見悪かったら電話すると言っていた父の言葉を思い出しえ~っとすぐに電話あっ大丈夫だった数値も下がっていたし・・少し腫れているから薬といわれたけどまあまだいいかと断ってきた」だってよかったよかった父いわく母さんがまだ来るなといっているんだなって・・・そうそう母さんは父さんの世話に疲れたからまだ天国に来て欲しくないんだよ・・まずはよかった今度は旦那の胃の再検査が待っているそんな年齢になりましたね~皆さんも夏の暑さに負けないで無理しないで健康に乗り切りましょうね~
2008.08.01
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仕事から帰って夕食を隣に届けると父が再検査の紙が来たといって封筒を渡した<「前立腺の再検査」の通知え~こんなに元気なのに・・すぐに母や姉が患った「癌」という病名が頭に浮かんでしまう近くの総合病院か検査のできる開業医に行くようにと書いてあるのでまずはすぐに明日にでも母や姉も診て貰った事のある近くのk病院を勧めたら父はなんともう今日再検査に行って来たという下腹部のレントゲンとお尻からも触診をして前立腺が腫れているのがわかったという尿が出にくいのは今に始ったことではなくもう二三年前から続いているというもう81歳誕生日がくれば82歳今更手術は嫌だというが癌でないことを祈る結果は29日火曜日気丈な父は一人で結果を聞きにいくだろうでも一言「そろそろ母さんのところに行ってもいいかな」なんて弱音を吐いていたもう少し私と喧嘩してごはんの支度をさせてくださいな母さんの分まで親孝行したいから・・・・じつを言うと旦那も会社の健康診断で胃壁が厚い部分があり胃カメラを飲まなければいけないのでいろいろと心配なことが続きます・・・でも結構気にせず仕事に行っているのでとっても感心しています強いなあって・・・
2008.07.25
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父が母の三回忌を前に畳替えをした最初は「あと少ししか生きないから家にお金をかけるのはやめようかな」と迷っていた父だったが結局自宅で母の三回忌をやるので思い切って居間と続き間の仏間の十六畳分の畳の表替えをした母の親戚が集まるのもこれが最後になるかもしれないなあと父は言う母が亡くなり母の実家に行くこともなくなったもう母の兄も亡くなり娘婿の代になり私が小さい頃母に手を引かれて行ったあの懐かしい家ももう今は改築して面影はない・・こうしてみんな年をとりだんだん親の代から私たちの代へそして子供たちの代へと移り行き親の実家とも疎遠になっていくんだろうなあなんか寂しいな・・
2008.06.02
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父は両親が早く亡くなり24歳で自分の給料だけで自分の家族と弟妹の生計をたて相当お金で苦労した人なので 今でも仕事を選んで就職しない兄の長女が心配でたまらない昨年大学を卒業し一度は希望の業種に就職したものの昼よる関係なく働いて体を壊して半年で辞めてしまった やりたいものがあるので今でもいろいろな会社に応募を続けているけれどなかなか決まらない とにかく父は親が甘いからだと兄貴夫婦をも私の前では怒っているが当然本人たちの前では言わない 兄貴たちが遊びに来ればと誘っても長女の就職が決まるまでは行かないという もっと素直な可愛いおじいちゃんになればと私は言うんだけれどなかなかその考えは変わらない とにかく何でもいいから親を頼ってないで働けばいいのにと毎日同じ事を言っている 孫が心配なのはわかるけれど仕事が決まらない孫だって辛いのだ 何度言ってもわからないからあきらめました・・・ でも兄貴たちはあんまり気分よくないだろうなあ でも父にしてみれば親元にいていつまでも仕事をしないでぶらぶらしているのは許せないんだろうなあ どこまでいっても平行線だ
2008.03.05
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父の家に今日は手すりをつける工事業者が入っているひざをいためて長く座っていると立ち上がるのがちょっと大変なので最悪年を取ってひどくなったときのことを考えて介護保険が使える範囲で手すりをつけてもらうことにした先日はお風呂用の椅子も届いたけれど父はひとこと「こんなものの世話にならずに死ぬからいらない」と運んできた業者を困らせていたケアマネさんから進められたときにはあってもいいかなという気持ちになっていたはずなのにどうしても年を取って人の手を借りて生きていくのにはまだ抵抗があるのだろうそれは当然なんだけれどでも今現在だって私や私の旦那そしてヘルパーさんの手を借りて生きているではないか・・・一日居間に座っていると最初はボケないか心配だったけれどたまにモップでも使って廊下掃除したらなんて言おうものなら「ごみがあっても死なない」と猛反発だ残ったおかずには絶対にラップをかけないから夕方行くと皿の上のおかずはひからびている・・・何度いっても生返事・・・・だから本人がそれでよければもうほっておくことにした母が亡くなってから一年半本当によく父とはけんかしたでもいつも私の脳裏には母の最後の言葉が蘇ってくる「とうさんのことよろしくね」最後まで不器用な父を遺していくことを本当に母は心配していましたなにくそと少しは発奮してよとうちゃん!だれでもぽっくり行きたいと思っているけどこれだけはわかりませんから
2008.01.21
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父はあまり趣味も特技もないけれど将棋は二段 今も町内の会館に行って老人会の人たちと月に二回第一と第三土曜日に午後から将棋サークルを作り楽しんでいる でも最近は悲しいことに亡くなる人が続いてメンバーも減少それに囲碁をやる人のほうが増えてきて相手がいなくて帰ってくることも・・・ うちに来ていた仲間もこれまた次々と亡くなり今は一人にでも高齢なのでこの雪だとあまり行き来できないでいる そんな父が不憫で今日午前パソコンの将棋ゲームをやらせてみようかと声をかけたらその気に・・・ でも初めてパソコンを使うのでマウスが全然操作できないわかっているけれどなかなか大変だ~ でも将棋をやりたい父は一生懸命マウスを操作なかなかコマをつかめないが慣れればいい老化防止になりそうだ 久々に父の手を握り笑いながら過ごすことができた いい時間だった 仕事のことでお騒がせいたしましたまだ迷いはありますが今の職場にも迷惑をかけることになるしこうやって父との時間を作れるのも給料は安いけれどパートで限られた時間だけ働いているからで・・あまり欲張らないことにして・・でも声をかけてもらった友人には束の間の夢を見させてもらって感謝しています皆さんからも沢山の御意見アドバイス本当にありがとうございました
2008.01.19
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思い起こせば父は以前から娘の私に男の子が二人生まれ跡継ぎの兄貴の所に女の子が二人なので○○家を継ぐ人がいなくなると騒いでいた時期がありました 孫可愛さに孫と約束して援助したものの気がつけば私の子供たちは外孫自分の家は継いでくれないことがわかり悔しくなってきたのでしょう 孫たちにとっては父は大好きなおじいちゃんでありそんな思いがあるとは露知らず・・母が生きているときはきっとそんな不満を母にぶつけていたんでしょうが今はその相手も無く仕事から帰ってきた私を待って言うしかないのです 了見の狭い可愛そうな父ですが昔貧しく裸一貫から頑張って今の財産を築きお金はあっても貯金にまわして使えずなんか・・・わかるけど悲しいなあ 母が亡くなってから母の存在の大きさに気づいても遅いいつも私たち子供と父との間の板ばさみで大変だったろうなあ・・ 父は変わらない・・だから私が少しおばかになって聞き流すしかないかも・・・ 旦那はとっても寛大なので一応親にも言っておくといってくれています これからは両方の親を大事にしていきたいと思っています経済力がないので精神面で・・・ 今日娘が成人式に出席のため仙台から帰ってきます笹かま持って・・・両方の実家に挨拶に行きますか・・
2008.01.12
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公務員だった父は今は年金生活だけど母が亡くなって一人でも全然お金には不自由しない暮らしをしていますそれだけは私たち子供たちも助かっています 逆に父は母が生存中からお金の無い私のことを気遣い孫の大学の授業料を資金援助してくれました それは大学進学をあきらめかけた私の長男への最高のプレゼントで本当に親子ともども感謝しています 今度父は長女にもアパート代援助してやると正月に本人と約束したらしく昨日おもむろにお金を私に渡そうとしました その前に一言、言っておきたいといいましたそれは私の旦那は長男なので「孫たちは可愛いけれど外孫だから○○(旦那)の親は 自分が゜(父)お金を援助していることを知っているのかそれならばなぜ一言正月でも会ったときに礼を言えないのか」というもの だけど私たちは長男なのに勝手に実家を出て私の実家の隣に住んでいるわけだしそれだけでも父は恵まれているし私の子供たちも外孫であろうが一番父になついているし・・ 本当に古い人間なのだ旦那の親を非常識呼ばわりしたので怒ったら絶対に俺は間違っていないと譲らない 私がもう少し冷静にそうだね・・・じゃぁ今度話してみるねなんていえばよかったのかまさか旦那の親に・・・言えるはずがない 旦那に相談したら俺がきちんと親に話していないのが悪かったと言ってくれたけどこうして毎日父にごはんを運んで(時間に追われるけれど慣れました)孫が来たときも楽しい時間をすごしてきたのに何を考えているんだか・・・ 一日中誰とも話さずじっと家にいると仕事から帰ってくる娘の私を待って次々と話し始めるのはいいけれどこういった愚痴や不満だと私も気がめいる 母との約束で父の面倒は最後まで見るつもりだけど自分の親だからこそこうして愚痴ってしまいました・・・ 埼玉に住む兄貴に相談したらおまえと親父との問題だからまわりを巻き込むなといわれ・・ちっともわかってくれないなあとがっかりしましたまあ私のメンタルな部分を心配はしてくれてましたが・・代わってくれることはないでしょう しばらく口も利きたくないけどでも一人暮らしだし・・可哀想という気持ちが常にあるので・・あああなんで母さん先に死んじゃったのかなあ・・
2008.01.10
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旦那の祖母は今年四月が来れば95歳腰は曲がっているが杖をつかずに歩いていた 歯が一本もないけれど歯茎で魚も柔らかければ肉も良くかんで食べているだからとっても元気 でも一ヶ月前夜にトイレに行こうとして敷居につまづいて転んでから暫く一日中ベットに寝たきりに横にポータブルトイレを置いてごはんも枕元に運んでもらって・・ 腰が痛くて入浴もできずにいたのも知らずにいた 実家には旦那の両親と祖母の三人老々介護だ 急いで介護保険を利用し訪問介護入浴お願いした でも今まで他人を入れたことのない家族最初からスムーズには行かなかった お金の問題もありお風呂用の椅子や滑り止めなどそろえるときには一時的にも全額負担(後で9割戻ってくるが)介護タクシーを使うと一割しか補助されない 病院から遠い実家は片道三千円近くかかるでもだんなのお父さんの運転する軽トラにはもうおばあちゃんは乗れない 私たちも毎週土日どちらか顔を出すが平日はなかなか無理 私の父もいるし・・・ そうしているうちにおばあちゃんの腰が治った94歳ですごい治癒力だ 感激した そのおばあちゃんが昨年の秋にせっせとこしらえた干し柿が今とてもおいしい 子供たちも大好きだ 一人で一日100個も皮をむくもくもくと・・・ 笑顔が可愛いおばあちゃん私の旦那を育ててくれたばあちゃん 100まで生きて町内一番の長寿者になってね
2008.01.08
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今日父のところにケアマネさんが来て来月更新のためまた市役所から担当の人が来るので娘さんに立ち会って欲しいといわれた父は母が亡くなってから一人暮らしということとぎっくら腰や長い間かかっている持病もあり介護認定1になっていたが昨年要支援にかわりこの次は認定されないかもしれないと言われた二年間一週間に一時間半で三回生活援助で来てくれているヘルパーさんとも仲良くなり月火木曜日は四時になるのが楽しみになっていた それが認定取り消しになるとヘルパーさんとお別れということになるそれでなくても81歳の男一人暮らしのところになんて誰もたずねてなんか来ない 冬になると散歩にも行かず本当に家に閉じこもりがちになる お金が多少かかってもいいから介護認定から外れたら今のヘルパーさんに一週間に一度でもいいから来て欲しいと願う こうやってせっかくできた生活のリズムが崩されて父が呆けないかと心配だ父はまだ強気だけど・・・やっぱり寂しいらしい 今の介護保険制度本当に必要な人たちに使われているのか 田舎では乗り合いバスのように近所のおばあちゃんたちが迎えに来たディサービスのバスに乗って行くという話も聞いた とにかく私たちが納めている介護保険料を一人で暮らす自分の親のために使ってもらいたいと思うのはエゴだろうか 埼玉に住む兄嫁にメールで相談したら直接兄に相談したらと言われ・・なんか心がますます寒くなってしまったよ~
2007.11.26
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ただいま父との旅行計画中 というよりは今日もう切符を取ってきました二週間ほど前から滋賀に住む長男のところと大阪に住む父の妹のところに秋田から寝台特急日本海に乗って行く旅行を計画していました 父は最初は乗り気でしたが最近寒くなってきたら「○○(長男)のところにはストーブがないんだろ寒いんじゃないか?」「そんなお金があるんだったら○○にお小遣いであげたほうがいいからお前一人で行って持って行って」なんていい出したいつもそう行きたいくせに面倒になる今回も私少し切れて「お金なんていらない○○(長男)もじいちゃん来るの待って計画しているしおばさんも楽しみにしているよ」といってもなんか言っているこうなれば何を言っても同じそれが一昨日の夜の話一晩おいて昨日の朝旅行のスケジュールを書いて一人分の予算を書いて父のテーブルの上において私は仕事に出かけた心配してもう一人おばさんが父に電話を入れるとしっかり行く気になっていたというそうあまのじゃくなんだよなこれからもこういうことはよくあるだろうな私ももう少し冷静になって父のこうした言動に付き合わなければ・・いちいち反応してかっかしていては続かない・・父と二人来月なんとか無事大阪まで行って帰ってこれますように
2007.10.31
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皆様からたくさんのコメントいただき本当にありがとうございました一つ一つ答えようかと迷いましたがコメントを読んで今一度父のことを考えてみることにしました 父と母が結婚したのは父が23歳母が21歳のとき秋田の田舎では珍しい自分の家を持たない中国から引揚者の家族の長男(父)との結婚を大きな農家の母の両親は末娘で可愛がっていた娘でもあったので絶対に反対で駆け落ち同然で結婚したというだから結婚式も挙げていない父は今でも花嫁衣裳を着せてあげたかったと言っているけど母は、その後父の兄弟を育てたりして苦労はしたけど老後は父と結婚してよかったと言っていた転勤族で何度引っ越したことかだから私も転校生小さい頃はいやだったなあ父は八年の単身赴任生活も経験しているから焼き魚や味噌汁おひたしくらいは作れるでも掃除は大の苦手ひとつだけ父を感心したことがある母が亡くなっていつも一緒に寝ていた寝室に一人寝るのは辛いだろうと居間にでも寝たら?といったら大丈夫だと言って一人で寝ている戦争には行かずともその時代を生きてきた人間だから そして階級社会の厳しい世界で38年間生きてきた人間 今の生活は寂しいけれど精神的には一人の生活に耐える力があるのかもでも愛する妻を失った悲しみには慣れることはないだろうなあ 考えようによっては誰にも気兼ねはいらないし自分しだいで残りの人生楽しくなるのではと・・思うのだけど 家の中で本や新聞ばかり読んでごろごろばかりしていないでちょっとは外に出てみてよと言ってはみるけどまあここまで自分のやりたいように生きてきてなかなか人の言うことには素直に耳を傾けない父た゜から 傍にいるといろいろと見えすぎて余計なお世話も焼きたくなるけど元気なうちはたまに温泉に誘ってそれでいっかな~なんて・・・ まあなんかあったらまたその時ちゃんと面倒見ますよ父さん
2007.10.28
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今朝母の仏前にお線香をあげていると父が「俺も早くこっちに来いって母さん言ってるな」というので「それは絶対無い!母さんは今姉さんや兄弟と会って寂しくないからしばらく来ないでって言ってるよ」と言ったら「いや、母さんは俺がいなといだめなんだ」ってやっぱり何ともないようにしているけれど独りだもんな話し相手いなくて寂しいよなでも埼玉に住む兄貴のところに行っても娘さんが二人いてマンションには居場所がないというし兄貴も仕事に行くとお嫁さんと日中二人だと何をしていればいいかわからないというしで・・・やっぱり自分の家が一番いいということに・・だから寂しくても元気なうちは母さんのところに行くことばかり考えないでもう少し生活を楽しんで欲しいと思うのですが・・・私は朝夕のご飯の差し入れと少しの間の話し相手で精一杯なので許してくれ~って感じ・・母さんも許してくれるよね
2007.10.26
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今日は母の墓参り「この墓には入りたくないって言ってたなあ」と父がボツリと言う父の両親や姉妹が眠る墓長男の嫁として苦労した母は死んでまで気を使いたくないと思ったのか私だってできれば旦那の山の中の先祖代々のお墓よりできれば子供がいない姉が一人眠る墓に入ってあげたいまあ死んでからはどうでもいいような気もするがお彼岸やお盆の墓参りのときにはそんな気持ちになるのです今日は隣の家のコスモスを沢山いただいたので母に供えましたああもう秋だねえと大根どうなったって今日の夢に出て来てくれないかなあ
2007.09.23
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父9月20日で81歳になりました~大正15年9月20日山形県で五人兄弟の長男として生まれる頭でっかちで「アタマ」というあだ名でよくからかわれたとかでも相撲が強くあまりいじめられたことはないそうです大学受験に不合格となり戦争の予備軍として満州に渡りましたが(ここらへんのことはよくわからないので今度聞いておこう)マラリアにかかって戦地から戻され満州鉄道で働くことに・・間違って二階の窓から落ちて頭を強打ししばらく意識不明(周りの人は死んだと思ったそうだ)丈夫なアタマに救われたのか命は助かるがしばらくは思考能力ゼロの状態でなんの仕事にもつけず・・・それからいろいろあって秋田に家族全員で引き上げてきてそこで母と知り合って結婚そして私たち兄弟三人が生まれ・・父が生きているうちに昔のことをよく聞いて記録しておこう今日は孫たちからそれぞれに電話と手紙が届き家にいる孫からはショートケーキに一本のろうそくを立ててお祝いしてもらった父ですが嬉しさを表現するのが下手なのか少し喜べ~って感じまあ来年も元気に誕生日迎えられますように母も天国から見守ってくれているでしょうそれにしても可愛くないなあ・・
2007.09.20
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これから旦那が両親を連れてきます私たちは旦那の実家と車で七分位のところに住んでいますが私が働いているのでなかなか一緒に食事するということがありませんまあ正月とお盆くらいでしょうか旦那はほぼ毎週顔を出しているので別に疎遠になっているわけでもなくまあまあいい関係です今日は旦那がどういう風の吹き回しか(こういう表現あったっけ)午前に両親と94歳のおばあちゃんと(旦那の母の母)ドライブに連れて行ってお昼に我が家によるというので今お昼ごはんを作っているのです一人で暮らす私の父も呼んで多分ビールの一杯も出さなければ・・・ねっ台風が去ってほっとしたのも束の間忙しい土曜日ですでも今夜昔の職場の仲間五人と集まるんだあだから今も頑張れるのですよね~
2007.09.08
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今父との旅行を計画しています最初は長男のいる滋賀県に行こうかと思いましたが肝心の予定していた電車寝台日本海が新潟県の地震の影響でまだ不通になっていて開通するまで待つことに・・長女の住んでいる仙台に連れて行こうと思いましたが娘は夏休み中バイトと部活と大学の補講授業があり付き合えないと言われじゃあ付き合える時にしようとこれも先送り結局二男が鳥海山に登りたいと言い父が生まれ故郷の山形米沢市の近くの肘折温泉に行きたいと言うので両方の希望を叶えたいなと現在計画中ですだれかこの温泉の情報ありますか?なかなか四人そろっての旅行も大変なものですでもまず一番に高齢なので父の行きたいところに行こうかと思っています
2007.08.30
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