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若かりし頃の旅の思い出 (ヨーロッパ)ギリシャ(アテネ)8月31日~9月1日8月31日アテネの朝日はとても眩しく、そして蒸し暑く感じました。皆でパルテノン神殿を見学しました。教科書やテレビで見た場所へ実際に行く事が出来た喜びと、鳥肌が立つような感動は、どう表現していいのかわかりません。小高いアクロポリスの丘に作られた白い神殿と青い空。。本当に信じられないような美しさです。国立考古学博物館も見学しました。もっと、ギリシャ神話を勉強しておけばよかったと思いました。6週間の旅が終わろうとしています。本当に贅沢な旅だったと、改めて思いました。この旅に行かせてくれた両親に心から感謝します。アテネ発 17:30 オランダ航空(KL-861)で 日本へ9月1日東京着 21:55ホーム
2005/08/31
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エインズレイのティーカップ秋ですね~ 昼間は暑かったけれど、夜は、秋の気配を感じます。こんな時は、やっぱり紅茶が飲みたくなるのです。このティーカップは、ちょっと変わった形をしていますが、今、1番のお気に入りです。オークションで手に入れました。今年の夏は、色々と忙しい夏でした。旅行には行けませんでしたが、昔の旅行記を書くことで、旅行に行った気分になれました。文章を書いていると、すっかり忘れていた事を思い出せるということに驚いています。勿論、写真やメモ、パンフレット、レシートなどの助けもありました。それでも、思い出せないこともありましたが・・視覚より味覚の思い出の方が、記憶に残っていました。食いしん坊だからでしょうか?ホーム
2005/08/29
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若かりし頃の旅の思い出 (ヨーロッパ)イタリア(ローマ)8月29日~8月30日8月29日ローマ着 09:45ローマと言えば、やはりオードリーヘップバーンのローマの休日が思い浮かびます。ですから、殆どの人がスペイン広場でアイスクリームを食べ、真実の口に手を入れてみると思います!でも何故か?これがドキドキするんですよね。そして、トレビの泉にコインを投げ入れるのです。夕食は、全員でレストランで食事をしました。ローマ兵士の格好をした人達がいたり、歌を歌ったりの楽しい時間でした。イタリアの食事は、ピザもスパゲティーもサラダさえも本当に美味しくて満足でした。8月30日コロッセウムを見学した後、バチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂を見学しました。建物や壁画も素晴らしいけれど、やはりミケランジェロの「ピエタ像」は、すごい!って思いました。マリア様はまるで生きているように見えるのです。 今も大切にしています。ローマ発 16:05 オリンピック航空(OA-236)で ギリシャへアテネ着 18:50ホーム
2005/08/29
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若かりし頃の旅の思い出 (ヨーロッパ)フランス(パリ)8月27日~8月28日8月27日パリ着 06:25私はこの時、列車に乗ったままイギリスからフランスへ行けるという事に驚いていました。知らなかった~でも、この時にはドーバー海峡鉄道トンネルはまだ出来ていない時代なので、どうやって?パリの街は、ロンドンに比べると流石にお洒落で綺麗な街でした。朝食は、クロワッサンとカフェオレでした。クロワッサンは、サクッとしていて美味しかったのです! それから、お決まりのコース?で、モンマルトルの丘や、サクレ・クール寺院そしてノートルダム寺院、凱旋門を見学しました。そして、ショッピング。友達は色々な香水を大量に買っていました。私は、リモージュ焼きのコンパクトやセリーヌのスカーフやバッグを姉のお土産に買いました。8月28日印象派の美術館へ行くと、ストをしていて入場出来なかったので、(美術館がストをしているという事に驚きました)すぐに、ルーブル美術館へ向かいました。ルーブル美術館は広過ぎます!フランス語もよくわからないので、先生と一緒に見学しました。有名なモナリザやミロのビーナスをゆっくり鑑賞することが出来ました。でも、芸術がよくわからない私は、建物の装飾の美しさに目を奪われていました。パリ発 18:22 列車にて イタリアへホーム
2005/08/27
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若かりし頃の旅の思い出 (ヨーロッパ)イギリスからフランスへ8月26日あっという間の1ヶ月でした。確かに1ヶ月位で、英語が上達出来る訳ではありませんが、私にとって、本当に充実した中身の濃い1ヶ月でした。素晴らしい人々に出会い、楽しい経験をし、色々な場所に旅行に行き、美味しい物も食べました。勉強より、遊びの時間の方が多かったのですが・・でも、別れは、本当に辛いです。ミセス アンドリュースはバス停まで見送りに来てくれました。バス停でちょっとパンクな少年が、私の重いスーツケースをバスに運び込んでくれました。さすが紳士の国です!日本では考えられない事ですよね。学校に着くと、皆泣いていました。プール発 17:30 バスにてロンドン着 21:00ロンドン発 22:02 国際列車にて眠っている間に、ドーバー海峡を渡り、フランスへ。。ホーム
2005/08/26
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若かりし頃の旅の思い出 (ヨーロッパ)イギリス(ワイト島)8月25日どうしてそうなったのか、全く覚えていないのですが、ルーク、アラン、アランの友達の女の子3人と私で、ワイト島へ行きました。ワイト島は、イギリスへ来たばかりの頃、学校の皆と1度訪れたのですが、この日は、ワイト島の何処へ遊びに行ったのか殆ど記憶が無いのです。写真もフェリーや桟橋で撮ったものばかりです。きっと、みんなの話を聞き取ることに必死だったのでしょうね~プールのホームステイ先に帰ってから、ミセス アンドリュースも一緒にみんなで、家の前で写真を撮り合いました。そして、お互いの連絡先を交換しました。アランの電話番号は5つもありました。お坊ちゃんだったんですね~私の名前を一生懸命、漢字で書いてくれました。本当にステキな人達と出会うことが出来ました。怖い思いや危険な目に遭うこともない素晴らしい日々でした。明日で、イギリスとお別れです。別れは、やはり辛いですね。ミセス アンドリュースが私にプレゼントしてくれた小皿です。プールは焼き物で有名だという事を後で知りました。 ≪ 英国政府観光庁 ≫ホーム
2005/08/25
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駒の街からの便りさんから、スペシャリティー2点セット(フランボワーズ&マンゴフロマージュ)が届きました。数種類のケーキから選べるのでいいですね~解凍の時間が待ちきれない程です。 う~ん!とっても美しくって甘酸っぱいケーキです! このまろやかさ♪ 娘は、こちらのケーキがお気に入りです。シンゴも、よだれがタラリ・・だから、少しあげちゃいました! でも、もっと食べたかったのに~ ホーム
2005/08/25
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昨晩の雷は凄かったです!シンゴは、娘にべったりくっ付いていました。あまりに怖くて、動く事ができない位です。そう言えば、夕食も食べないし、散歩にも行けなかったね。今日は涼しいので、これから散歩に出掛ることにします♪でも、もうすぐ、数日前に注文したケーキが届く予定です。とっても楽しみですが、わんこ用のケーキではないので、シンゴは食べられません。ちょっとかわいそうですね~ホーム
2005/08/24
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若かりし頃の旅の思い出 (ヨーロッパ)イギリス(ストラトフォード・アポン・エイヴォン)8月23日B&Bの朝は、何組かの他のお客様と一緒にステキな部屋で、典型的な英国の朝食を頂きました。目玉焼きとベーコン、食パン、オレンジジュース、ミルクティー、他にもあったような・・ミセス アンドリュースの朝食は、いつも卵料理があるわけではなかったので、とても豪華に感じました。それにしても、ルークの卵はいつもゆで卵でした。目玉焼きは嫌いだったのかな?ストラトフォードにはシェイクスピアゆかりの場所が沢山ありますが、どの家も庭園もとても美しいのです。ガーデニングが趣味の人でしたら、ヨダレ物だと思います! シェイクスピアの生家の天井は低く、決して広いとは言えませんが、可愛い、すてきな家でした。ここで、お土産を沢山買った記憶があります。もし、もう一度この街を訪れることができたなら、今度はゆっくりと、アンティークショップを覗いて歩きたいと思います。たぶん、夢で終わるでしょうけれど。。≪ 英国政府観光庁 ≫ホーム
2005/08/23
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若かりし頃の旅の思い出 (ヨーロッパ)イギリス(ストラトフォード・アポン・エイヴォン)8月22日友達と2人で、ストラトフォードへ1泊旅行に行きました。コーチ(長距離バス)の旅は、所々で休憩があり、ミートパイやチョコレート、そして絵葉書を買ったりしました。私は、本当に食べた物の味をよく覚えていることに、驚いています。このチョコレートが美味しかったのです! やっと、目的地に着いた時、バスの運転手さんが、私達が幼く?見えたのでしょうか。とても心配してくれて、「明日、必ずここに来るんだよ。」と言いながら、2人の肩をぎゅっと、抱いてくれました。ストラトフォードは、シェイクスピアが生まれ育った街として有名です。バースも美しい街でしたが、ストラトフォードもチューダー王朝風の家が軒を連ねるステキな街でした。最初に、今日泊まるB&Bを探しました。可愛いお家を見つけ、予約してから、ホールズ・クロフト(シェイクスピアの娘の住まい)やホーリー・トリニティ教会(シェイクスピアが埋葬された教会)を見学しました。教会の前で、アガサ・クリスティーのミスマープルのようなご婦人に出会い、教会に入る時のマナー、例えば下を向いて静かに歩くという事などを教えてくれました。この街にも、エイボン川が流れ、白鳥が泳ぎ、ボートを漕いだり、川を眺めている人々がいました。 ≪ 英国政府観光庁 ≫ホーム
2005/08/22
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若かりし頃の旅の思い出 (ヨーロッパ)イギリス(プール)ある日の事、ルークやアランとそれぞれの国のコインの話をしたり、交換し合ったりしていた時の事です。私は銀行に勤めている叔父からおみやげ用に貰った新しい50円硬貨や記念コインをプレゼントしたりしていました。穴のあいたコインは珍しいそうです!その時、おみやげ用に小さい扇を持っていた事を思い出し、2人にプレゼントしたのです。扇を広げ、ルークやアランが喜んでくれていると、ミセス アンドリュースが、最初の日に私がお土産として渡した舞扇を持って来たのです。扇は、紙のテープが巻かれたままの状態でした。私の英語力不足と説明不足のせいで、彼女は、どうやって広げたらいいのかわからなかったのだと思います。と言うか、それが何かさえ、わからなかったのかもしれません。テープを取り外し、扇を広げ、きらびやかな模様が現れた時の彼女の喜び様は、今でも忘れる事は出来ません。きっと、どうしようかとずっと悩んでいたのでしょうね。≪ 英国政府観光庁 ≫ホーム
2005/08/19
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若かりし頃の旅の思い出 (ヨーロッパ)イギリス(バース)8月18日友人と3人でバスに乗り、日帰りでバースに出掛けました。 バースの街は、本当に美しい街です!街には花が飾られ、エイボン川には白鳥が泳いでいます。 最初に、ローマンバスを見学しました。ここは、古代ローマ人が築いた浴場で、19世紀末に遺跡として発見されたそうです。 中には、博物館もあり、美味しいケーキとお茶を頂きました。最近日本でも、美術館などにカフェなどが出来てきましたが、この頃は、とても珍しく感じました。この、プチケーキが美味しかったのです。ロイヤル・クレッセントという三日月型をした建物に囲まれた場所で、写真を撮りあったり郵便ポストも昔の日本のポストに赤い色や形が似ているので、記念に撮影したりしました。街を散策している内に道に迷ったりもしましたが、小さな街なので、それも楽しかった思い出です!お昼に、サリー・ランズ・ハウスというお店で、石釜で焼いたカステラのようなパンのような有名なパンケーキを頂きました。このお店は、今もあるのでしょうか?午後からは、コスチューム博物館を見学しました。博物館で、鯨のひげで作られたコルセットや、ドレスの歴史などを見ていると、女性の美に対する努力と凄まじさを感じました。~追記~ネットで調べたら、Sally Lunns House(サリー・ランズ・ハウス)は、今でも、営業しているようです!そして、ここはイギリス一古いティールームだそうです♪≪ 英国政府観光庁 ≫ホーム
2005/08/18
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若かりし頃の旅の思い出 (ヨーロッパ)イギリス(プール)8月17日こちらに来てから、日曜日は何時もどこかに出掛けていたのですが、初めて、家でのんびりしていたので、ルーク、アラン、私の3人で、近くの教会へ行きました。比較的大きくて、綺麗な教会でした。ルークは、毎週行っていたのでしょうか?神父様のお話は、殆ど聞き取る事さえ出来ませんでしたが、赤毛のアンや大草原のローラになったような気分を味わうことができました。終りに、献金箱が私達の所に来た時、私は財布を忘れた事に気がつき、とても恥ずかしい思いをしてしまいました。アランが、気にしなくてもいいと、又、慰めてくれました。家に帰ってから、色々な話をしている内に、私が、アランに日本から持って来た緑茶のティーパックをご馳走することになりました。アランは、一口飲んで、苦そうな顔をして、お砂糖を2.3杯入れても、まだ苦そうな顔をしながら、無理して、飲んでくれました。今、アランは、どうしているのかな。日本に帰ってから、アランに手紙を出そうとしたら、レバノンは内戦の為、手紙が出せなくなったと記憶しています。≪ 英国政府観光庁 ≫ホーム
2005/08/17
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若かりし頃の旅の思い出 (ヨーロッパ)イギリス(プール)8月16日友達と3人で、プールにある公園に行きました。公園の池には、白鳥やヨットの姿が見えます。ボートがあったので、3人で乗り、交代で漕いだり、写真を撮りあったりしました。 近くの広場では、ロウボウリングという芝生の上のボウリングを、年配の方々が楽しんでいました。 私達は、ミニゴルフに挑戦してみました。もう、半袖では、少し肌寒さを感じます。バスに乗って、ホームステイ先に帰るのですが、ミセス アンドリュースの家は、「アルダーロード」というバス停で降りなければなりません。この「アルダーロード」という名前の発音が結構難しく、車掌さんに最初の頃は、2.3回聞かれ、1回で通じるようになるのは大変でした。皆のホームステイ先は、学校に歩いて行ける距離だったのに、私だけが少々遠くて、毎日バスで通学していました。今思うと、最初の日、よく1人でバスに乗って、学校に行けたものだと思います!≪ 英国政府観光庁 ≫ホーム
2005/08/16
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若かりし頃の旅の思い出 (ヨーロッパ)イギリス(ボーンマス)8月15日友達と2人で、バスでボーンマスまで行き、映画「タワーリングインフェルノ」が上映されていたので、観ることにしました。ボーンマスの街は、プールよりも大きな街で、ショッピングセンターなどもありました。映画館も、一つのビルで、色々な映画を上映していました。入場料も、日本に比べて、大分安い(約700円)と感じました。タワーリングインフェルノは、日本でも、公開されたばかりの頃だったと思います。こういった映画は、字幕がなくても結構楽しむことが出来ました。観終わった後、上の階に行ったら、違う映画を上映していて、チェックもされなかったので、他の映画も観てしまいました。本当は、又、料金を払わなければいけなかったのかどうかわかりませんが・・なんと、エマニュエル夫人を無修正で観てしまいました。でも、絶対、こちらの方が、自然で綺麗だと思います。この話、そういえば、娘達にも話したことは無かったかもしれません。まぁ、いいですよね。。≪ 英国政府観光庁 ≫ホーム
2005/08/15
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若かりし頃の旅の思い出 (ヨーロッパ)イギリス(プール)学校には、ティールームがあり、昼食は、そこでハンバーガーなどを食べることが出来ました。その部屋にはピアノが置いてあってある日、友達がそのピアノを弾きだした時、色々な国の留学生が集まって来て、皆で彼女の演奏を楽しみました。その時、音楽って世界の共通語なんだなぁ~と感激し、ピアノが上手な友達をとっても羨ましく思いました。とにかく、ここでは、恥ずかしがったりしてはいけません。自分自身を、自分の意見を間違ってもいいから、表現しなければなりません。そして、日本の事もよく聞かれました。でも、案外日本の事って、知らない事が多いのです。勿論、知っていても、英語で説明するとなると、また難しいのですが・・レバノン人のアランは、私に「これは、チャイニーズキャラクター(漢字)では、どう書くのか?」と、よく聞いてきました。でも、時々、その漢字を忘れていて、慌てて辞書を持ち出した時、「イギリス人だって、間違った英語を喋っている時だってあるよ。」と、慰めてくれました。。≪ 英国政府観光庁 ≫ホーム
2005/08/12
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若かりし頃の旅の思い出 (ヨーロッパ)イギリス(プール)思い返してみると、ミセス アンドリュースは、一緒の食卓で食事をする事は無く、給仕に徹していました。キッチンからワゴンで、料理や紅茶を、タイミングよく運んでくれました。娘さんは、すでにお嫁に行っていて、時々、可愛いお孫さんを連れて帰って来たりしていました。旦那様は、もういらっしゃらなくて、1人で、色々な国の留学生と楽しい?生活を送っているのでした。でも、毎日の食事の支度や、週に1度はベッドのシーツなどを替えてくれたり、買い物など、殆ど休みなしの生活だと思うのですが、いつも、元気でした。私は学校から帰ると、その日にあった事を彼女に話さなければなりません。どうにか頑張って、話すと、「OK!」と言って家に入れてくれるのです。彼女のような生活は、大変なこともあるでしょうが、とてもステキな生活だと思います。以前にも日本人の女性がお世話になった事があるようで、日本の事も少しは知っている様子でした。そう言えば私が、週末になると、ロンドンに出掛けてばかりいると、嘆いていました。彼女は、ロンドンがあまり好きではないようでした。≪ 英国政府観光庁 ≫ホーム
2005/08/11
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若かりし頃の旅の思い出 (ヨーロッパ)イギリス(プール)8月11日1年の時、お世話になった先生が、こちらの大学に留学中というので、数人で、ご夫婦が住んでいるお宅へお邪魔しました。奥様が、日本から送って貰ったという貴重な素麺を、皆にご馳走してくれました。醤油の味に飢えていた私達にとって、これほど嬉しい食事はありませんでした。先日、ロンドンのホテルのレストランで、奮発して注文してしまったキングサーモンのムニエルより何倍も美味しいと感じました。今では、回転寿司のお店もあると聞きます。いい時代です!本当に、日本人は醤油がないと生きていけないと思いました。食事の後、先生が「ジョンミラー」というパブに連れて行ってくれましたが、(メモに名前だけ書いてあるのですが)お店の様子などは、あまり覚えていません。でも、ビールが飲めない私でも飲めるビール+コーラの飲み物が気に入り、その後何度か、他のお店でも注文した記憶はあります。その飲み物の名前も数年前までは、覚えていたのですが、今は全く思い出せません。結構美味しいんです。≪ 英国政府観光庁 ≫ホーム
2005/08/10
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若かりし頃の旅の思い出 (ヨーロッパ)イギリス(ロンドン)8月8日~8月10日【London Hilton 泊】8月8日再び、ロンドンへ。ホテルへ到着してからは、殆ど自由行動です!8月9日ロンドン塔を友達と2人で見学しました。 血塗られた歴史のせいか、拷問用具を見たせいか気分が悪くなりそうでした。 そして、王室の宝飾品が展示されているジュエル・ハウスを見学しました。あの世界最大のダイヤモンド「アフリカの星」は、女性だったら、是非1度は見てみたい宝石です。あの輝きは、本当に目が眩みます!他の王冠も素晴らしい輝きです。あまりにすご過ぎて、本物に見えない位です!この時は、地下の金庫室のような部屋でしたが、今は、展示の仕方などが大分違っているようです。その後、テムズ川クルーズを楽しみ、ウエストミンスター寺院やバッキンガム宮殿を見学しました。 8月10日ダンヒル、ハロッズでお土産を買いました。プールに帰ると、ドイツ人の留学生が帰国し、レバノン人のアランが到着していました。ベルギー人のルークは、背が高く、外交官を目指しているだけあって、とても真面目な秀才タイプでしたが、アランは、アラブの物語に登場するちょっと太めな王様のような風貌をしていました。でも、とても優しくて面白いのです!≪ 英国政府観光庁 ≫ホーム
2005/08/09
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若かりし頃の旅の思い出 (ヨーロッパ)イギリス夕食の後、ベルギー人のルークやドイツ人の女性と一緒に英和辞典を指差してもらいながら、お喋りをしたり、テレビを見たりしました。ドイツ人の留学生の名前を、私は覚えていません。どうしてかと言うと、家にいない時が多かったのです。夜も帰ってこない時が多いらしく、ミセスアンドリュースが、時々彼女の悪口を言っていました。悪口というのは、言葉が不得意でも結構分かるのです。でも、テレビを見ている時、みんなが笑っているのに自分だけ笑えないのは、辛いものです。それでも、「ルーシーショー」(若者には分からないでしょうね)は、子どもの頃よく見ていた番組だったので、雰囲気で、一緒に笑う事が出来ました。2人とも、とても親切で、私がわからなそうな単語があると、ゆっくり話してくれたり、違う単語に言い換えたりしてくれました。それでも、理解できない時は、辞書を開いて、その単語を指さしてくれたのです。≪ 英国政府観光庁 ≫ホーム
2005/08/08
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若かりし頃の旅の思い出 (ヨーロッパ)イギリス(プール)8月7日午前中の授業が終わってから、友達と一緒にプールの街で、美味しい紅茶を飲んだり、アンティークショップを覗いたりしました。高級品ではなく、手頃な値段で買えるアクセサリーがあったので、イヤリングや、シルバーのブローチを買いました。この頃には、だいぶ買い物にも慣れて?きていました。学校や、英会話教室で勉強した内容より、中学生時代に、結構好きだった基礎英語や、続基礎英語?で丸暗記した短いフレーズがとても役に立ったように覚えています。後は、若さなのでしょうか。今だったら、恥ずかしくて出来ないような事が、出来たように思います。いえいえ、今は、おばさんパワーで、全部日本語で、買い物してしまうかもしれませんね。この時に買ったアクセサリーは、友達や姉にプレゼントしたり、自分にも少し買ったのですが、今は手元にありません。あのイヤリング、捨てちゃったのかな~≪ 英国政府観光庁 ≫ホーム
2005/08/07
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若かりし頃の旅の思い出 (ヨーロッパ)イギリス(ロンドン)8月1日~8月3日【Mount Royal Hotel(今はシスル・マーブル・アーチ?)泊】8月1日プールから電車に乗り、ロンドンへ向かいました。約3時間ほどで到着。ロンドンの街は、ビックリする程ゴミだらけの街でした。8月2日大英博物館を見学しました。入場料は無料です。 あまりよく覚えていないのですが、沢山のミイラが印象的でした。ロゼッタ・ストーンは、教科書で見た印象より大きな石でした。8月3日Grosvenor Houseを授業の一環として見学しました。ハイド・パークを散策。現在は、残念なことに、安心して乗れなくなってしまったロンドンの地下鉄ですが、この時、私をとても驚かせたものがありました。それは、自動改札です。日本はその当時、東京の国鉄では、まだ自動改札ではありませんでした。関西では、大阪万博の関係で昭和40年代に、自動改札になっている駅があったようですが。。ですから、初めて自動改札を通った時は、本当に驚いたものです!又、安心して地下鉄やバスに乗ることが出来る世の中になって欲しいと思います。≪ 英国政府観光庁 ≫ホーム
2005/08/04
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家に帰って来ました。皆さんにご心配頂き、ありがとうございました。通夜、葬儀というのは、本当に悲しむ暇もない程、大変なものですね。ここには、書けない、色々大変な事がありましたが、でも、お義父さんの思い出を書きたいと思います。私と主人は、小、中、高と一緒で、中学1年の時は、同じクラスでした。見学旅行の時、主人は、ケガをしていて、松葉杖を使っている状態だったので、お義父さんが、付き添いで一緒でした。バスの中で、お義父さんが歌を歌って、主人が恥ずかしそうな顔をしていたことを思い出しました。すっかり、忘れていたんですけれど・・そういった関係だったせいか、義父は、私に対して、本当によくしてくれました。感謝の気持ちでいっぱいです。この頃、物忘れも激しいのですが、急に、昔の事を、ハッキリと思い出す時があります。不思議ですね。シンゴも大変でした。娘達が交代で、行ったり来たりして面倒を見てはいたのですが、心細かったと思います。
2005/08/03
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