2020末法元年                   ボンゾー(竺河原凡三)の般若月法

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2007年02月02日
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カテゴリ: 仏法
十方(じっぽう)仏土中者(は)、法華の唯有(ゆいう)なり。これに十方三世一切諸仏、阿耨多羅三藐三菩提衆(あのくたらさんみゃくさんぼだいしゅ)は、転法華(てんほっけ)あり、法華転(ほっけてん)あり。これすなわち、本行菩薩道の不退不転なり、諸仏智慧甚深無量(じんじんむりょう)なり、難解難入(なんげなんにゅう)の安祥三昧(あんじょうざいまい)なり。

これを妙法蓮華経ともなづく。教菩薩法(きょうぼさつほう)なり。これを諸法となづけきたれるゆゑに、法華を国土として、霊山(りょうぜん)も虚空もあり、大海もあり、大地もあり。これはすなはち実相なり、如是なり、法住法位なり、一大事因縁なり。仏之知見なり、世相常住なり。如実なり、如来寿量(にょらいじゅりょう)なり。甚深無量なり、諸行無常なり。法華三昧なり、釈迦牟尼仏なり。転法華なり、法華転なり。
(中略)
よろこぶべし、劫(こう)より劫にいたるも法華なり、昼より夜にいたるも法華なり。法華これ従劫至劫(じゅうごうしごう)なるがゆゑに。法華これ乃昼乃夜(ないちゅうないや)なるがゆゑに。たとひ自身心を強弱すとも、さらにこれ法華なり。あらゆる如是(にょぜ)は珍宝なり、光明なり、道場なり。広大深遠なり、甚大久遠なり。心迷法華転なり、心悟転法華なる、実にこれ法華転法華(ほっけてんぼっけ)なり。
心迷えば法華に転ぜられ、心悟れば法華を転ず。究尽(くじん)すること能(よ)く是の如くなれば、法華、法華を転ず。
かくのごとく供養恭敬(くぎょう)、尊重讃歎する、法華是法華なるべし。

正法眼蔵 『法華転法華』

仁治(にんじ)二年辛丑(かのとうし)夏安居日(げあんごび)、これをかきて慧達(えだつ)禅人にさづく。(略)今日の出家は、従来の転法華の如是力の如是果報なり。いまの法華、かならず法華の法華果あらん。釈迦の法華にあらず、諸仏の法華にあらず、法華の法華なり。ひごろの転法華は、如是相も不覚不知にかかれり。しかあれども、いまの法華さらに不職不会にあらはる。昔時も出息入息(しゅっそくにっそく)なり、今時も出息入息なり。これを妙難思の法華と保任(ほうにん)すべし。



                       ◇

 以上は、道元の主著『正法眼蔵』からの省略引用である。

 後書にもあるように、道元42歳の仁治2年の夏安居に、すでに慧達禅人なる出家者が自分のもとに心も新たに参禅したのを機会に、これを書き与えたものである。42歳といえば、道元の言の葉の天才が、春の山に満開に咲き誇り、記号としての言語を道断し尽くし、言即是仏、仏即是言のうちに身心脱落(しんじんだつらく)された、いわば禅師の最大にして最深の即身是仏(そくしんぜぶつ)の有時(うじ)であった。それから44歳の『諸法実相』までの2年間が、『眼蔵』の山頂と言われている。奇しくも、最初と最後が『法華経』ネタになっているのは因縁果であろう。

(以下本文は、一定期間を経過しましたので削除いたしました)





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最終更新日  2007年06月25日 01時01分30秒


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