2020末法元年                   ボンゾー(竺河原凡三)の般若月法

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2007年04月01日
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カテゴリ: 仏法
 さても、21世紀の五種法師である。すなわち、普段着で民間に住し、折伏(しゃくぶく)ではなく、摂受(しょうじゅ)によって『法華経』を衆生に知らしめようとしている在家の居士のことである。


 現在は、直接に『法華経』を非難するものは、ほとんどいないと言っていいくらいである。最澄と日蓮のおかげで、浄土系宗派を除いては(「融通念仏宗=ゆうずうねんぶつしゅう=」では所依=しょえ=の経典の一つとして選ばれている)、各派で、宗門所依のテキストには選ばれていなくとも、一目置かれている経文なのである。謗法(ほうぼう)というよりはむしろ無智、すなわち、現代においては、日本人と非常に縁の深い経文――聖徳太子は7世紀初頭に、『法華経』の注釈書である『法華義疏(ほっけぎしょ)』を撰述され、伝教大師は8世紀終わりに、決定的に『法華経』を選び取られ、叡山(えいざん)を立てられ、9世紀初頭に成った『日本霊異記(にほんりょういき)』(景戒=きょうかい=撰)によれば当時すでに、『法華経(法花経)』と観音菩薩の霊験が広く民間に浸透していたことが分かる。また、この書には、官の許可なく私的に得度した無名の私度僧(しどそう)の説話がたくさん収められており、そのなかの、法華経の禅師が、熊野の山の断崖絶壁に身を投げて亡くなったあとも、岩につりかかって、風雨にさらされ、しゃれこうべになりながらも、舌だけが残り、法華経誦経(ずきょう)の修行を続ける怪異譚は印象的である。そして、13世紀には、文殊師利(もんじゅしり)菩薩としての「法華経の禅師」と、上行(じょうぎょう)菩薩と観世音菩薩と妙見菩薩の三身即一身(さんじんそくいっしん)としての「法華経の行者」が、前後して東粟国(とうぞっこく)に化現(けげん)され、からだは小さけれど、この国は、法華を転がす国とはなったのである。

(以下本文は、一定期間を経過しましたので削除いたしました)





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最終更新日  2007年08月17日 02時45分46秒


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