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沖縄暮らしが13年目に入りました。干支一回りしちゃいました。あっという間だったなぁ。
September 15, 2024
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2024年になりました。世界では戦争と殺戮が続いていて、心から「おめでとう」という気分になれない。とにかく早く戦争が終わってほしいです。そして目の前にある私たちの日常も平和で健全なものにしなければ。沖縄だけでなく、日本中に問題が山積みです。命を大切にして、人権を尊重して、誰もが自分らしい日常を幸せに過ごしていけるような、そんな年にしていきたいものです。みなさまの2024年が幸せでありますように🙏
January 1, 2024
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前回の日記、日付を見たら今年の1月14日だったんですね💦今日が11月16日だから、もう10ヶ月も前です。昨年末は父の大腿骨骨折でバタバタと入院騒ぎ、年が明けてからは退院後の施設探し、3月初めの退院と同時に手続き、引越し、今まで住んでいた家の後片付け等々、あっという間に時間が過ぎました。おかげさまで父は施設で元気にやっています。私はといえば、平和ガイドの仕事で忙しくしています。コロナも落ち着いたということで修学旅行や観光旅行が一気に回復、この秋は各種ガイドもバスもどこも人手が足りない状況となっています。沖縄戦から78年、現場の状況もいろいろ変わってきました。平和学習の一つの柱であるガマ体験、ガマ周囲の落石や崩落で入れなくなるところが多く、今後はガマ体験も難しくなるかもしれません。今年は大切な語り部の先輩方が次々にいなくなってしまいました。本当に残念です。また今年は台風6号がすごかった。威力よりもその滞在時間が長すぎました。一度沖縄から離れたのに、なぜかもう一度戻ってきて1週間くらい沖縄をうろうろ。わが家は停電133時間という記録を打ち立てました。太陽光発電と蓄電池、必須ですね💦ただ停電と断水のダブルパンチの地域もあったので、停電だけですんだのは幸いだったかもしれません。10ヶ月間にあったことをつらつらと思い出してみました。年々時間の過ぎるのが早くなります。あとひと月ちょっと残っている2023年、少しはゆったり過ごしたいな。そうそう。今日は仕事の後で蛍を見ました。花壇に舞う蛍。11月に蛍って本土では考えられないけど、わが家には毎年11月に蛍が飛んできます。ふわふわと舞う光がきれいです。
November 16, 2023
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すごい朝焼けでした。空が真っ赤に染まりました。昨日は悲しいニュースが入ってきました。沖縄戦時に負傷兵の看護隊として動員された白梅学徒隊の中山キクさんがお亡くなりになりました。またひとり戦争を知る方がいなくなってしまった…キクさんから託された平和のバトンをしっかりと渡していかなければとあらためて思います。ご冥福をお祈りいたします。非戦を語り続けた「軍国少女」 平和への思い託したバトン 中山きくさん死去
January 14, 2023
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雲の多い朝でしたが雲間に初日の出を見ることができました。朝日の眩しい光をたくさん浴びながら、今年が平和であることを祈りました🙏2023年を『新しい戦前』などと呼ばせる国になりませんように。一人ひとりの命が大切にされますように。平和で穏やかな日常がこれからも続いていきますように。
January 1, 2023
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Happy New Year 2023争いのない平和な世界が実現しますように。みんなが笑顔で暮らせますように。今年もよろしくお願いします。
January 1, 2023
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サトウキビの花穂が出始めました。穂が出るともうすぐ収穫時期です。サトウキビの穂が風に揺れている風景が好きです。サトウキビの花言葉は『平和』だそうです。沖縄のあちこちでたくさんの『平和』の花穂が揺れています。こちらはサトウキビではなくススキ。9月のお彼岸の時期にはススキはなくて、今頃たくさん出ています。
December 19, 2022
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康夫ちゃんが長野県知事だった頃、県内各地で開催された「車座集会」。今また横浜でそれが復活!いいな、横浜。私も参加したい♪******************「創る・護る・救う」田中康夫には答えがあります。 ~夢と希望に満ち溢れた誠実なYOKOHAMAへ~<車座集会のお知らせ>モンゴル(323万人)よりも、四国4県(365万人)よりも人口が多い日本最大の政令指定都市・横浜には数多くの不透明な問題が山積みです。団体・組合という大きな組織の都合に立脚する行政・政治を、一人ひとりの人間の希望に立脚する総合サーヴィス産業へと、良い意味での化学変化を生み出す触媒としての車座集会。車座集会 これからの開催は以下の日程です。10月22日(土)13:30から 神奈川区東神奈川駅から至近距離✽満員御礼10月29日(土)13:30から 保土ケ谷区天王町駅から至近距離11月3日(木)㊗️13:30から 戸塚区戸塚駅から至近距離11月20日(日)13:30から 磯子区杉田駅から至近距離11月23日(水)㊗️13:30から 南区弘明寺駅から至近距離11月27日(日)13:30から 鶴見区生麦駅から至近距離12月3日(土)13:30から 青葉区あざみ野駅から至近距離12月4日(日)13:30から 栄区本郷台駅から至近距離12月11日(日)13:30から 港北区菊名駅から至近距離この他にも12月中旬に中区で開催予定です。何れも駅から徒歩圏内の施設で開催します。********************<続きは康夫ちゃんのページで確認してね!> ⇓ ⇓ ⇓https://tanakayasuo.me/kurumaza*********過去の「車座集会」関連日記久々に康夫ちゃん!今日も追っかけ~車座集会~追っかけの夜♪(長い追記あり)車座集会 in 長野久々の追っかけ車座集会報告です康夫ちゃんの「車座集会 in 信州」のお知らせです!康夫ちゃんメモ
October 19, 2022
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バナナが順調に育っております。熟すのが楽しみ♪
October 19, 2022
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沖縄県知事選で玉城デニー氏が再選した本当の意味~県民は何を判断したのか?沖縄県知事選挙が終わりました。玉城デニー知事が再選されました。その意味を解説した記事です。読んでみて下さい。
September 18, 2022
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沖縄「平和の礎」名前を読み上げる集い(2022年6月22日朝撮影)いよいよ残すところ2日間となりました。**********https://ishiji-yomiage.net/ZOOMウェブミーティングURLhttps://us06web.zoom.us/j/4700161509?pwd=N2RGVDh1NGhZcUdnSi9yWERENWNmdz09・全期間を通じて同じURLです・22日を除き、毎日3:00~5:00は休止します。・22日~23日は沖縄県営平和祈念公園(バスロータリー付近)のテントで読み上げを行います。テントでの読み上げは、事前に予約していなくても参加できます。・最終日23日(木)は朝8時ころに終了予定です。6/22(水)5:00~翌日3:00 https://youtu.be/ePwTcFiS86U**********(以下の情報はFacebookの沖縄「平和の礎」名前を読み上げる集いのページより引用しました)22日午後には、向陽高校の学生グループ、午後5時半ころから具志堅隆松さん、その後、糸満の平和祈念公園の具志堅さんのテントから読み上げが続き、午後8時ころには台湾の戦没者のお名前が読まれます。23日の午前1時からアメリカ人戦死者のお名前が読まれたあと、英国人のお名前が読まれ、23日の午前中、ふたたび、具志堅さんのテントから最後の読み上げがなされ、24万余のお名前、すべての読み上げが終了いたします。
June 22, 2022
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沖縄「平和の礎」名前を読み上げる集い本日もお名前の読み上げが続いています。https://www.youtube.com/watch?v=oR6G6rlgApA明日とあさっては平和祈念公園内でお名前の読み上げが行われる予定です。
June 21, 2022
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https://ishiji-yomiage.net/沖縄慰霊の日に向けて6月23日は沖縄慰霊の日です。現地に配備された日本軍の組織的な戦闘が終結したこの日から、今年で77年目となりました。沖縄「平和の礎」は、沖縄戦などで亡くなられた民間人・軍人・軍属、24万1632名の氏名を国籍問わず刻んだ記念碑です。2022年6月、ここに刻銘されている戦没者のお名前を読み上げる集いを開催いたします。沖縄「平和の礎」名前を読み上げる実行委員会*************この企画は6月12日から始まっています。6月23日の慰霊の日まで毎日朝の5時から夜中の3時まで、沖縄県内外、国外の多くの方が参加し、礎に刻まれたお名前を読み上げています。本日6月16日のお名前読み上げはこちらでライブ中継しています。URLは毎日変わりますので、日記最初に記したリンク先で確認してください。https://www.youtube.com/watch?v=fZGJTOPcIhU
June 16, 2022
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冬の沖縄は天気が悪い。一日中雨降りということはないけれど、このところずっと曇りがちで時々雨。風が強い日は体感温度も低くなる。南国の太陽が恋しくなる。先週の火曜日は久しぶりの晴天だったので、友人と一緒に近くの海を楽しんだ。裸足になって浜辺を歩いたり、波打ち際、裸足で海に入ったり、お茶を飲んだり、おしゃべりしたり…そんなことをして過ごした数時間。沖縄のコロナ感染状況はなかなか落ち着かず、まだ昔みたいに自由に人と会ったり、どこかに出かけたりできないけれど、それでも楽しく暮らせるのはこんな海が近くにあるおかげだと思う。日常にこんな時間がある幸せ。
February 20, 2022
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梅雨の明けた沖縄ですが、ネットでこんな傘を見つけてしまいました。ミズクラゲの傘。実はクラゲが大好きな私です。ちょっとの雨なら傘をささない沖縄。台風じゃ傘のさせない沖縄。ほしいけど、使うことあるかなぁ?でも、かわいい♡
July 6, 2021
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田中康夫、横浜市長選 立候補へ 2021年7月8日(木)14:00~横浜市長選 出馬表明会見を行います!うれしい!康夫ちゃんがまた政治の世界に戻ってくる。心底うんざりの日本の政治にまた希望が見えてくる。横浜からまっとうな政治を、市民のための政治を、いのちを守る政治を、日本中に発信してほしい。康夫ちゃんを応援します!
July 6, 2021
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沖縄、梅雨が明けました。夏本番の青空が広がっています。でも沖縄はまだ緊急事態宣言下ですこれから沖縄に来られる方も多いと思うけれど、沖縄はまだ緊急事態宣言下です。県としては来県自粛をお願いしています。どうしても来なければならない方はぜひ出発地でPCR検査を済ませてきてください。先日は検査をしたのに結果を待たずに来県し、沖縄県内でコロナ陽性がわかったという観光客がいました。沖縄の医療現場は観光客の方を受け入れる余裕がありません。県内の対応だけでいっぱいいっぱいなのです。ですからお願いします。沖縄に来るという方は検査して来てください。ちゃんと結果が出てから来てください。県内では感染予防の行動をお願いします。小さな島での感染爆発は県民の命に直結します。お互いが安心して過ごせるためにも、沖縄の状況が改善してから来県していただくか、あるいは検査してから来ていただくか、ぜひご協力をお願いします!沖縄は逃げませんから、安心して楽しめるようになるまでできればもう少し待っていてください。よろしくお願いします。
July 4, 2021
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1959年6月30日、沖縄県うるま市にある宮森小学校に米軍ジェット機が墜落して炎上。死者17名(うち児童11名)、負傷者210名(うち児童156名)、住家17棟、公民館1棟、小学校の3教室を全焼、住家8棟、2教室を半焼する大惨事となった。この事故に対して米軍は「嘉手納基地所属のジェット機が訓練飛行中に突然爆発、パイロットは無事脱出したが、機体は目標をそれ、市内に落ちた」「不可抗力の事故」であるとした。奪われた幼い命ー宮森小米軍ジェット機墜落事故ーこの事故から62年たった今も沖縄の空は米軍の思うがままだ。民家の上を深夜に至るまで飛行し、ときには保育園や小学校に落下物が…小学校への落下物、米軍ヘリの窓 授業中の男児1人けが沖縄の空はいつになったら平和になるのだろうか。宮森小学校の事故を描いた映画ひまわり〜沖縄は忘れない あの日の空を〜
June 30, 2021
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今年も慰霊の日がやってきた。戦後76年目の6月23日。この日は朝から雨だった。日の出前に平和祈念公園へ行くと『平和の火』が静かに燃えていた。沖縄戦で米軍が最初に占領した慶良間諸島の阿嘉島(あかじま)、原爆が投下された広島と長崎、この3ヶ所から持ってきた火を併せてここに灯している。丸い池の中には地図が描かれている。中央の三角錐のモニュメントが沖縄の位置。そこから水が湧き出し、その波が四方へと広がっていく。『沖縄から平和の波が世界中に広がりますように』そういう願いを込めたデザインなのだ。空には雲が重く垂れ込め、雨も降っていたので、今年も久高島から登る朝日は見えなかった。76年前、この海はアメリカの軍艦で海面が見えないほど埋め尽くされていたという。そしてこの島には『鉄の暴風』と言われるほどの激しい爆弾の雨が降り注いだ。平和の広場には平和式典(沖縄戦全戦没者追悼式)の会場が設営されていた。今年はコロナのために参加者は30人ほどだった。会場の正面に見えているのが摩文仁の丘。陸軍第32軍司令部が最後に置かれた場所。向かって一番右端の中腹あたりにガマと呼ばれる自然洞窟があり、そこを司令部として使った。1945年6月23日未明、その司令部壕で牛島満司令官が自決。組織的戦闘としての沖縄戦は終わるが、『捕虜にならず最後の一人になるまで戦え』という司令官の最後の命令は軍としての戦闘をゲリラ戦へと変容させ、沖縄戦は終わりが見えなくなった。6月23日以降も戦闘は続き、玉音放送後もまだ沖縄戦は終わらなかった。沖縄戦が公式に終結したのは9月7日。嘉手納で降伏文書調印式の行われた日である。沖縄本島南部は沖縄戦終焉の地。南部には十数万人の県民が避難していた。そこへ日本軍が撤退、米軍が追ってきた。逃げる場所はもう海しかないこの場所で、軍人のみならず多くの住民が犠牲になった。彼らの遺骨は今もまだこの大地に残っている。そんな場所の土を、国はこともあろうか、軍事基地を作るために海へ投げ入れるという。辺野古の美しい海を埋め立てるために使うという。ガマフヤー(遺骨発掘人)の具志堅隆松さんが抗議のハンストを行っていた。多くの人が署名に訪れていた。各地では慰霊祭も行われていた。ひめゆりの塔でも。私もご焼香させてもらった。ひめゆりの塔が建っているのは伊原第三外科壕というガマの上。ここが攻撃されたのは1945年6月19日早朝、ひめゆり学徒たちに解散命令が出された翌日だった。解散命令というのは、壕を出て自分の身は自分で守れという命令。壕の外は爆弾の降り注ぐ戦場。学徒たちの絶望はいかばかりであったか。しかし彼女たちが壕を出るより前に米軍のガス弾攻撃を受けてしまった。当時このガマにいた100余名のうち、80名以上が犠牲になった。ひめゆり学徒は50名いたが生き延びたのは8名だけだった。そのうちの3名も壕を出た後に亡くなってしまった。南風原の陸軍病院から南部に撤退してきたあと、周辺の6つのガマに分かれて身を隠していた学徒たちだったが、それぞれのガマでも解散命令が出され、その後の数日で100名以上の学徒が亡くなった。解散命令前の犠牲者は19名だった。魂魄之塔(こんぱくのとう)にも多くの人が訪れていた。ここは沖縄戦後、最初に建てられた慰霊塔。当時の真和志(まわし)村(今の那覇市)の人々がこの地域に収容され、農作業をするように言われるが、あたりには遺骨が散乱している状態だった。そのため村長の金城和信(きんじょうわしん)氏が米軍に掛け合って遺骨を収集する許可をもらい、住民と協力して一帯からここに遺骨を運んだ。この塔に収められた遺骨は約35000柱。家族がどこで亡くなったのかわからない遺族はもしかしたらここに遺骨があるかもしれないとの思いで今も多くの人が慰霊に訪れる場所である。夕方になって少し青空が見えた。もういちど平和祈念公園に行ってみると多くの家族連れが『平和の礎』を訪れていた。『平和の礎(へいわのいしじ)』には国籍、軍人、民間人、敵・味方の区別なく、沖縄戦で亡くなったすべての人の名前が刻銘されている。亡くなった人はみんな戦争の犠牲者、命に違いはないのだ、と、そう考えるのが沖縄の平和の心なのだ。今年も41名の方が沖縄戦で亡くなったことが確認され、刻銘板に名前が追加された。現在の全刻銘者数は241623名である。礎の前にはたくさんの花が手向けられていた。そして故人が好きだったお菓子やお酒なども。241623…これだけの数の人生が戦争によって奪われた。そして生き残っても身体や心に傷が残っている。大地には不発弾、そしてまだ発掘されない遺骨も。戦争の傷は決して癒えることがない。戦争はいちど起こしてしまったら、未来永劫二度とそれ以前には戻れないのだ。だから二度と戦争を起こさないために私たちは沖縄戦を学ぶ。なぜ戦争へと進んでいってしまったのか、同じ道を再び行くことがないように日本の歴史を学ぶ。『慰霊の日』は戦争で亡くなった人を追悼し、戦争と平和を考える大切な一日。沖縄には毎年この日があるから、繰り返し繰り返し戦争を思い出し、体験が語り伝えられ、私たちはそれを受け取って考える。そうやって平和への道をみんなで作っていくのだと思う。
June 29, 2021
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ふと気がついたら 前の投稿からもう9ヶ月も経っていたんだな。 一昨年2019年はキイちゃんの介護で終わり、 去年2020年はコロナで外出自粛のうちに終わった感じ。 人と会えなくなってしまったから、 写す写真の数もがっくり減った。 キイちゃんがいなくなってしまったから、 朝日や夕日、美しい風景の写真もがっくり減った。 当たり前だと思っていた毎日は当たり前じゃなかった。 そんな当たり前のことにあらためて気がつく。 10年前のあの時にも身にしみてわかったはずなのに、 時が過ぎるとそんな思いも薄れてしまうんだな。 2021年3月11日。 あれから10年目の今日。
March 11, 2021
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今日6月23日は慰霊の日。日本軍の最高司令官・牛島満の自決により、沖縄での組織的戦闘が終了したとされる日。*********実際には司令官の自決で戦争が終わるはずもなく、その後も各地で戦闘は続き、沖縄戦が正式に終了したのは1945年9月7日。その間にも多くの人が亡くなった。**********今は戦争で亡くなった人を偲び、戦争の愚かさ、残酷さ、平和の大切さを考える大切な一日。糸満市の摩文仁にある平和祈念公園。この日、神の島と言われる久高島から昇る朝日の光が戦争で犠牲になった人々の名前を刻んだ「平和の礎」の中央通路に一直線に差し込んでくる。その瞬間を待つ人が薄暗い園内に集まっていたけれど、今日は雲が厚く垂れこめ、ついに太陽は姿を現さなかった。「平和の火」沖縄戦で一番最初に米軍が上陸した慶良間(けらま)諸島の阿嘉(あか)島、原爆が落とされた広島、長崎、その3か所から持ってきた火が燃えている。「平和の礎(いしじ)」平和の礎の中央通路。国籍を問わず、また、軍人、民間人の別なく、全ての戦没者の氏名を刻んだ礎。向かって右側の刻銘版には沖縄県の犠牲者、向かって左側は沖縄県以外の日本の犠牲者、そしてアメリカ、イギリス、台湾、韓国、北朝鮮の犠牲者の名前。今年は30名が追加され、現在は合計241,593人の名前が刻まれている。刻銘版の前には花束や故人の好きだったお酒やお菓子などが供えられている。平和祈念公園内の展示作品。持ち主のいなくなったヘルメットが散乱している。沖縄戦では至る所に死体が積みあがっていたという。おそらくヘルメットもこんなにきれいなものではなく、壊れたり、血で汚れていたはずだ。今年は戦後75年。75年という月日は記憶を薄め、忘れてしまうには十分な時間だ。でも私たちはここで戦争があったことをけっして忘れてはいけない。だから繰り返し繰り返し戦争の記憶をたどる。何があったのか、どうしてそうなったのか、それを知ろうとする努力を続けなければ。忘れてしまったらそれはもう戦後ではなく、新しい戦前になってしまうのだから。2020年6月23日(火)
June 24, 2020
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世界中が大変なことになっている。日本もこの先どうなるのか。動かない。集まらない。うつさない。自分も感染しているかもしれない、そういう意識で行動すること。生き延びよう。
March 31, 2020
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2020年2月9日(日)午後7時30分、わが家の愛犬キイちゃんが天国に行きました。19歳と11ヶ月3週間の大往生でした。20年という長い間、私たちのそばにいてくれてありがとう。たくさんの楽しい時間をありがとう。幸せな時間をありがとう。キイちゃんには感謝しかありません。もうその柔らかな毛に触れて、キイちゃんを抱っこしたり、撫でたりすることはできないけど、でも姿が見えなくなっても今もずっとそばにいてくれてるよね。友だちが言うように「ふわふわキイちゃん」になって、私たちの近くにいるんだよね。これまで本当にありがとう。これからもずっとずっと大好きだよ、キイちゃん。でもやっぱりさみしいな。
February 13, 2020
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全国比例は「山本太郎」さん!全国どこからでも名前を書けるよ!れいわ新選組の公式サイトも見てね!ここ!
July 14, 2019
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参議院選挙が始まりました。沖縄選挙区は「タカラ鉄美」さん比例区は「山本太郎」さん(れいわ新選組)を応援します!*******私たちの暮らしを壊し続ける自民党。もう彼らには退場してもらいましょう。自民党の政策で幸せになれるのはごくごく一部の富裕層だけ。多くの国民にとって自民党政治は悪夢どころか地獄です。それを変えるチャンス!比例区は「山本太郎」全国でその名前を書いてください。きっと日本が変わります。優しさに溢れた国に。投票日は7月21日(日)期日前投票はもう始まっています。
July 8, 2019
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ネットでもカリタスのこといろいろ言われているけれど、卒業生の書いたこの記事がいちばんカリタスを言い得ていると思う。愛の学校。それがカリタスだったよ。そして今も。*******カリタス学園「愛の教え」さらなる分断を生まないためにどうしてカリタスなの? カリタスは私の母校である。そして同小学校には同級生の娘さんたちも通っている。亡くなられたお嬢様、保護者のお父様、学園の子どもたち、ご家族、先生方のことを思うと今も心が痛くてたまらない。カリタスとはラテン語で「愛」を意味する。カトリックの精神に基づいた学校であるのだが、そんな難しいことはまだわからない子どもたちに「カリタス=愛の学校だよ」と今は亡きカナダ人神父がいつも言っていたことを思い出す。愛とは男女の情愛ではなく、他人を自分のことのように思う「愛」である。「他人を自分のように愛しなさい」そう教えられてきたであろう子どもたちを突き刺した刃。無辜の人々の命が突然絶たれてしまう理不尽。それは愛の精神を大切にしてきた学園そのものに突き立てられた刃のようで、打ちひしがれる思いがした。お祈りやボランティアをする暇があるのなら他人を疑い、不審者を見分ける術を身につけるべきだったのか? (中略)カリタス学園の教育は、他人を自分のように愛することで社会の分断をつくらない、生きづらさを抱えた人に寄り添う、教育であったとあらためて思う。 (後略)ノンフィクションライター飯島裕子
May 30, 2019
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久しぶりに母校の名前を聞いたのは思いもしなかった悲惨なニュースでだった。こども時代の思い出の場所で起こった衝撃的な昨日の事件。心が痛い。苦しい。多くの罪のない命が傷つけられ、かけがえのない命が失われた。こんな悲しいことがもう二度と起こりませんように。今は祈ることしかできないけれど。『平和の祈り』 アッシジの聖フランシスコああ主よ われをして おんみの平和の道具とならしめたまえ われをして 憎しみあるところに愛をもたらしめたまえ 争いあるところにゆるしを 分裂あるところに一致を 疑いあるところに信仰を 誤りあるところに真理を 絶望あるところに希望を 悲しみあるところによろこびを 闇あるところに光をもたらしめたまえああ主よ われをして 慰めらるるを求めずして 慰むることを求めしめ 理解さるることよりも理解することを 愛さるることよりも愛することを求めしめたまえ そはわれらは自ら与うるがゆえに受け ゆるすがゆえにゆるされ おのが身をすてて死するがゆえに 永遠の生命を得るものなればなり
May 29, 2019
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お時間のある時にぜひ一度聴いてみてください。朗読「沖縄の手記から」田宮虎彦
May 26, 2019
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今から74年前の今日、1945年5月25日にひめゆり学徒隊はそれまで勤務した南風原から沖縄県南部へと撤退を開始します。4月に沖縄本島に上陸した米軍は、5月下旬には日本軍司令部のある首里(現那覇市)に迫っていました。沖縄陸軍病院南風原20号壕の内部。ここが野戦病院でした。ひめゆり学徒たちはここで負傷兵の看護にあたりました。当時の手術は放っておいたら壊死してしまう手脚を切り落とすだけのものでした。麻酔も十分にない中での手術。暴れる兵隊を押さえたり、切り落とされた手脚を壕の外に運び出したり、それらも15~19歳だったひめゆり学徒たちの仕事でした。今、壕の中には何の臭いも残っていませんが、当時は血や膿、排泄物、体臭、薬品などそれらの臭いが混ざり合い、耐えられないほどの悪臭が充満していました。南部撤退時に、持っていけない薬品類は木箱に入れて埋めていきました。米軍に取られないため、あるいはあとで取りに戻ろうと思ったのかもしれません。でも南部で悲惨な最期を迎えた沖縄戦。これらの薬品は使われないまま、戦後、土の中から発見されました。南部撤退時、自分の力で歩けない重傷患者はここに取り残され彼らには青酸カリ入りのミルクが配られました。多くの兵隊がそのミルクを飲んで苦しみながら死んでいきました。「お前ら、それでも人間か!」と怒鳴る声も聞こえたそうです。たったひとり、京都から召集された兵隊がミルクを吐き出して逃げ延び、戦後、青酸カリ入りのミルクを飲まされたと証言しました。たった74年前の出来事です。忘れるにはまだ早すぎる。日本の戦後はまだ続いています。戦前に戻してはいけません。「1945年5月25日 米軍、那覇に進撃」「沖縄陸軍病院南風原壕」「糸数アブチラガマ」
May 26, 2019
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沖縄戦に動員された「白梅学徒隊」の元学徒が、絵などアートを通じて沖縄戦を伝える取り組みを行っている八重瀬町の中学校を訪れ、生徒たちに戦争体験を語りました。 八重瀬町の具志頭中学校は、「白梅学徒隊」として動員され犠牲となった学徒などを悼む「白梅之塔」の周辺に、来月、3年生が絵を展示することにしていて、これを前に23日元学徒の中山きくさん(90)が学校を訪れ、全校生徒およそ240人に当時の体験を語りました。 中山さんは野戦病院で看護にあたった時の状況について、「麻酔もなく、兵士が『切らないでくれ』と叫ぶ中で軍医が手足を切断するのを手伝い、目を背けると怒られた。二度と同じようなことがないようにしないといけない」と戦争の悲惨さを語りました。 生徒たちは、中山さんの話をもとに絵を仕上げることにしていて、来月10日から塔の周辺で展示されるほか、一部の生徒は来月23日の塔の前で行われる慰霊祭にも参加することになっています。 3年生の女子生徒の1人は「手術の場面など私だったら耐えられないと思いました。暗い記憶だからこそ未来に希望が持てる明るい絵にしたいと思う」と話していました。
May 23, 2019
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先日梅雨入りした沖縄ですが、昨日から快晴の天気が続いています。今日も朝から雲ひとつないお天気。梅雨はどこに行っちゃったのかな?さて、沖縄の5月。74年前は沖縄戦の真っ只中ですね。毎年3月頃になると1945年の今頃は…と日々考えてしまいます。今日5月22日は日本軍司令部が首里から南部(摩文仁)への撤退を決めた日です。この決断により南部は住民を巻き込んだ戦場となり、多くの犠牲者を出すことになりました。『1945年5月22日「死ぬまで戦う運命」』この時期は修学旅行や団体旅行の人が増え、平和祈念公園、ひめゆりの塔など、どこに行ってもたくさんの人。みんな、何を感じているのかな。写真は遠くに摩文仁を臨む荒崎海岸。ここはひめゆり学徒隊が最期に追い詰められた場所です。『ひめゆり学徒隊散華の跡』
May 22, 2019
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わしたー 島ぬウチナー想い 示ささぁ行こうよ投票意思を示そう
February 12, 2019
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紆余曲折を経て全県で県民投票ができるようになりました。ひとりひとりが自分の意志を表しましょう。私は辺野古新基地建設反対。だから、埋め立てにも反対。沖縄の未来にこれ以上の米軍基地はいらないし、沖縄の空にこれ以上の戦闘機はいらない。私たちは自分たちの望むものを素直に語っていいと思う。それが民意なのだから。そしてそれを形にするのが政治の役目だと思うよ。辺野古に新基地はいりません。投票では反対に◯をします!『2・24県民投票連絡会』沖縄の基地について知りたい方はこちらを。『沖縄の基地について』
February 12, 2019
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とりあえずはネットで沖縄の新聞をチェック!琉球新報沖縄タイムス
January 15, 2019
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県民投票「権利奪うな」 宜野湾市の67歳男性 爆音へ意思示したい 「転居してでも」かなわず琉球新報2019年1月15日 05:30米軍機のごう音が、室内に響き渡った。「毎日この爆音に悩まされ、事故の危険におびえて生活している。県民投票で意思表示をしたい」。宜野湾市の男性(67)は自宅で怒りをあらわにした。2月14日の告示まで1カ月を切った。宜野湾市での実施は見通せない。男性は近隣市町村への転居も真剣に考えたが、今からでは投票資格は得られない。何とか投票したいと、切実な思いを抱く。 11日午後9時すぎ、琉球新報編集局に1本の電話が入った。「宜野湾市に住んでいる。今から近隣自治体に引っ越したら、県民投票はできるのか」。男性の痛切な声だった。 県によると、県民投票条例では投票資格は公選法の規定による。これから転出しても、2月24日までに他市町村で投票権を得ることはできない。男性にそう伝えると「やっぱり難しいか…」と声を落とした。 生まれも育ちも宜野湾市。県外で働いた4年間を除き、ずっと同じ地域で暮らしている。12日、自宅で取材中、オスプレイなど米軍機の音で会話が中断された。「うり、まただよ。防音工事しても、全然効かない」とあきらめ顔。男性の妻は「子どもが小さい時は音にびっくりして震えていた」と話す。 「辺野古」県民投票の会の元山仁士郎代表(27)は宜野湾市在住。「地元の青年が頑張って、ここまで来た。心が痛まないのか、市長に聞きたい」と、不参加を表明した松川正則市長に疑問を呈する。 今回の県民投票は名護市辺野古の埋め立ての是非を問う。男性は「仮に埋め立てられても、普天間が返還される確証はない」とし、県外・国外への移設を望む。県内に新たな基地を造れば、米軍絡みの事件事故のリスクは消えないとも考える。 子や孫がおり「表立って反対したら迷惑が掛かるかも」と懸念する。1、2年前は辺野古へ抗議に行っていた。最近は体力的な衰えもあり、参加できていない。「辺野古に行けないけれど反対と示したい人は多いと思う。県民投票の意義は大きい」と話す。 「実施に反対した市議や市長は、市民のことを考えていない。権利を奪うような行為はおかしい」と強く批判する。埋め立てに賛成でも反対でも、県内のどこに住んでいても、同じ沖縄県民。全市町村で実施できるよう願い、投票日まで県や市の動きを注視するつもりだ。 (前森智香子)
January 15, 2019
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木村草太氏が緊急寄稿 「県民投票不参加は憲法違反」沖縄タイムス2019年1月10日 11:57 沖縄県名護市辺野古の新基地建設是非を問う県民投票について、下地敏彦宮古島市長が不参加を改めて表明するなど、県が全41市町村の参加を呼び掛ける一方、実施する方針の市町村は現時点で35にとどまる。県民投票の事務処理拒否は、憲法上も問題があると指摘する木村草太首都大学東京教授が本紙に寄稿した。沖縄県議会で昨年10月に成立した住民投票条例に基づき2月24日、辺野古埋め立ての賛否を問う県民投票が実施されることになった。地方自治法252条の17の2は、「都道府県知事の権限に属する事務の一部を、条例の定めるところにより、市町村が処理することとすることができる」とする。今回の住民投票条例13条は、この規定を根拠に、投票に関する事務は「市町村が処理する」こととした。 なぜそうしたのかと言えば、投票所の設置や投票人名簿の管理は、国や県よりも地元に密着した市町村が得意とする事務だからだ。つまり、今回の事務配分は、各市町村に投票実施の拒否権を与えるためではなく、あくまで県民投票を円滑に実施するためのものだ。 しかし、宜野湾市や宮古島市で、県民投票の事務処理を拒否する動きが進んでいる。この動きには、地方自治法・県条例のみならず、憲法の観点からも問題がある。 一番の問題は、憲法14条1項が定める「法の下の平等」に反することだ。一部の市町村で事務執行がなされないと、住んでいる場所によって「投票できる県民」と「投票できない県民」の区別が生じる。「たまたま特定の市や町に住んでいた」という事実は、県条例で与えられた意見表明の権利を否定するだけの「合理的な根拠」とは言えない。したがって、この区別は不合理な区別として、憲法14条1項違反だ。 この点、投票事務が配分された以上、各市町村は、その区域に居住する県民に投票権を与えるかどうかの選択権(裁量)を持つはずだとの意見もある。しかし、「県条例が、そのような選択権を認めている」という解釈は、県民の平等権侵害であり、憲法14条1項に反する。合憲的に解釈するならば、「県条例は、そのような選択を認めていない」と解さざるを得ない。 この点については、昭和33年(1958年)の最高裁判決が、「憲法が各地方公共団体の条例制定権を認める以上、地域によって差別を生ずることは当然に予期されることであるから、かかる差別は憲法みずから容認するところ」との判断を示していることから、自治体間の差異は許されるのではないか、との疑問を持つ人もいるかもしれない。 しかし、この判決は、各自治体の条例内容の差異に基づく区別についての判断だ。今回は、各市町村が自らの事務について独自の条例を定める場面ではなく、県条例で与えられた県民の権利を実現する責任を負う場面だ。最高裁判例の考え方からも、地域による差別は許容されない。 さらに、平等権以外にも、問題となる権利がある。県民投票は、県民全てに開かれた意見表明の公的な場である。県民の投票へのアクセスを否定することは、憲法21条1項で保障された「表現の自由」の侵害と認定される可能性もある。さらに、憲法92条の規定する住民自治の理念からすれば、「県政の決定に参加する権利」は、新しい権利として憲法13条によって保護されるという解釈も成り立ちうる。 このように考えると、各市町村の長や議会には、県民の憲法上の権利を実現するために、「県民投票に関わる事務を遂行する義務」がある。議会が関連する予算案を否決したり、長が地方自治法177条の原案執行を拒否したりするのは、この義務に反する。訴訟を検討する住民もいると報道されているが、市町村が事務執行を拒否した場合、裁判所も厳しい判断をする可能性がある。 もちろん、「県民投票反対の市民の声を代表しなくてはならない」との責任感を持つ市町村長や議員の方々がいるのは理解できる。しかし、宜野湾市や宮古島市にも、県民投票に参加したいと考える市民は多くいる。そうした市民の声にも耳を傾けるべきだろう。 ちなみに、県条例は棄権の自由を認めているから、県民投票反対の県民は、市長や市議会議員に代表してもらわなくても、棄権という形で抗議の意思を表明できる。市民全員に棄権を強制することは不合理だ。 前回の参議院議員選挙では、徳島県と合区選挙となった高知県で、大量に「合区反対」と書いた棄権票が投じられたことが話題となった。今回の県民投票でも、棄権票に「県民投票反対」と書いて、強い反対の意思を表示することもできる。宜野湾市で、千単位、万単位のそのような棄権票が出れば、大きな話題となるはずだ。 県民投票は、県民の重要な意見表明の機会だ。沖縄県内の市町村長・議会議員の方々には、ぜひ、県民の権利を実現する憲法上の義務のことも考えてほしい。(首都大学東京教授、憲法学者) きむら・そうた 1980年、横浜市生まれ。東京大学法学部卒業、同大助手を経て2006年から首都大学東京准教授、16年4月から教授。主な著書に「憲法の創造力」や共著「憲法の条件―戦後70年から考える」など多数。本紙に「憲法の新手」連載中。ブログは「木村草太の力戦憲法」。ツイッターは@SotaKimura。
January 15, 2019
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沖縄県では来月の24日に辺野古新基地建設についての県民投票が予定されている。これは10万筆以上の県民の署名を集め、きちんとした手続きを経て沖縄県議会で可決されたもの。県民投票の予算は県の予算、各自治体には事務手続きを依頼することになっている。それを議会にかけて判断しているんだけど、これまでに5つの自治体が県民投票に不参加と表明している。は?なんでよ?なんで市民の投票の権利を議会が奪うわけ?おかしいでしょ?ここにきてわかったこと。自民党の国会議員が「県民投票を全力で否定するように」という指南書を出していた。は?なんでよ?そもそもあなた(宮崎政久)、沖縄県民が選んでない。比例でも落ちたくせに、九州沖縄選挙区の議員がひとり亡くなったため、繰り上げで議員になってしまった。いわばゾンビ議員。沖縄県民は選んでない。民意はこの人を選んでないのに。で、今日はこんなことになっている。若者にハンガーストライキをさせる。大人は未来をどう考えてる?覚悟決めなよ。大人なら。********** 沖縄県名護市辺野古の新基地建設の賛否を問う県民投票に不参加を表明している5市に投票実施を求めようと、「『辺野古』県民投票の会」の元山仁士郎代表(27)は15日午前、宜野湾市役所前でハンガーストライキを始めた。期限は「5市が投票に参加するまで」とし、水以外を口にせず抗議の意思を示す。 15日現在で投票に不参加としているのは宜野湾、沖縄、宮古島、石垣、うるま市。元山代表の出身地でもある宜野湾市でハンスト実施を決めた。 元山代表は投票実施を求めて、市長や市議らと面談を重ねたが変わらない現状を振り返り「体を張るしかないと思った。署名してくれた10万人の思いを無駄にしたくない。自分も一市民として責任ある1票を投じたい。しっかり全県民で議論できる投票にしたい」と決意を込めた。 同会として選択肢を増やすなどの条例改正を求めることは考えておらず、5市に参加を求めていくという。 同日午前、市役所職員の出勤時間帯には「職員のみなさまへ」と題したビラを配布。県民投票を請求するまでの経緯や思いに触れ「ご迷惑をおかけしますが、ハンガーストライキを行わせて下さい」とつづった。ハンスト現場では投票参加への署名を呼び掛けているほか、一緒にアピールするボランティアも募っている。沖縄タイムス2019年1月15日 10:21
January 15, 2019
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ブライアン・メイも辺野古工事停止の署名呼びかけ「最後のチャンスだ」辺野古への新基地建設に向けた工事の停止を求める署名活動に、世界から注目が集まり始めた。イギリスのロックバンド「Queen」のギタリスト、ブライアン・メイさんが1月7日未明、TwitterとInstagramで署名への呼びかけをした。メイさんはTwitterに「緊急 !!!緊急 !!! この請願書にサインをして、アメリカ軍の基地拡張によって脅かされている美しいサンゴ礁とかけがえのない生態系を救おう」と投稿。署名は1月7日まで。期限が迫るなかで、メイさんは「緊急!沖縄のかけがえのないサンゴ礁の破壊を止めるための請願書へ署名する最後のチャンスだ」と続けた。*******追記当初、締切は1月7日と言われていましたが、この署名の発起人のロバートさんのところにホワイトハウスから回答があるまではそのまま署名を継続できる、という連絡が来たそうです。引き続き多くの人に広めて辺野古の問題を知ってもらいましょう。
January 7, 2019
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すでに6日目でありますが…あらためまして新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。2019年が沖縄にとって、苦しみや悲しみではなく喜びにあふれた日々となりますよう、心から願っております。そのためにもますます本土のみなさまとのつながりが大切になると思います。どうか沖縄に思いを馳せてくださいませ。沖縄が平和な癒やしの島となれますよう、どうぞみなさまのお力をお貸しください。まずは下記署名がまだの方はぜひご協力ください!『沖縄で県民投票が行われるまで辺野古の海の埋め立てを中止してください』というホワイトハウス宛の嘆願署名。よろしくお願いいたします。Stop the landfill of Henoko / Oura Bay until a referendum can be held in Okinawa
January 6, 2019
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いろんなことがあった2018年も残すところあと一週間あまり。時のすぎるのは早いですね。今日はクリスマス・イヴ。みんな、大切な人たちと、素敵な時間を過ごしす予定かな。私は家族と過ごします。そんなクリスマスの時間を沖縄のために少しだけ分けてもらえたら嬉しいです。沖縄の宝物、命の海が埋め立てられようとしています。しかも軍事基地のために。それを止めたいのです。どうかみんなの力を貸してください。ホワイトハウス宛の嘆願署名にご協力ください。署名はここから。あっという間にできます。ただ書き込んだメールアドレス宛に届く確認メールをクリックすることだけ忘れないでくださいね!沖縄の海を守ること。これも平和に繋がります。世界が平和になりますように。ハッピークリスマス!
December 24, 2018
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2018年12月17日(月)午後10時半現在で、署名数は85000筆を超えています。多くの方に沖縄の現状、辺野古の問題が知られるきっかけになってくれたらありがたいです。どうかみなさま、署名にご協力ください!**********「トランプさん、辺野古を止めて」 米ホワイトハウスへ嘆願 電子署名10万筆を募る2018年12月13日 08:28【平安名純代・米国特約記者】トランプ米大統領に、来年2月に予定されている県民投票まで、名護市辺野古の新基地建設作業の停止を求めた電子署名活動がホワイトハウスの請願書サイトで始まっている。8日に開始後、約7千筆(米東部時間11日午後8時時点)が集まった。30日以内(来年1月7日まで)に10万筆が集まれば、ホワイトハウスが請願内容など対応を検討する。居住地や国籍は問わず 同サイトは、オバマ前政権時に導入された民衆による米政府への直接請願書サイト「We The People(われわれ人民は)」で、30日以内に10万筆が集まれば、ホワイトハウスが検討する仕組み。氏名とメールアドレスを署名後、記入したメールアドレスに届く確認メールのリンクをクリックして署名が完了する。署名者の資格は13歳以上で、居住地や国籍は問わない。県民の反米感情を憂慮請願書を呼び掛けたのは、ハワイ在住の沖縄系4世の作曲家、ロブ・カジワラさん。同サイトで、新基地建設中止を願う沖縄県民の圧倒的支持を受けて玉城デニー知事が選出されたが、日本政府や在日米軍は沖縄の人々の意思を無視しているとし、「作業を容認すれば、沖縄県民の反米感情は確実に高まり、米国と沖縄の関係は永久に損なわれるだろう」と訴える。県民投票実施まで、トランプ大統領に14日に予定されている建設作業の停止を命じるよう求めている。署名アドレスは以下。https://petitions.whitehouse.gov/petition/stop-landfill-henoko-oura-bay-until-referendum-can-be-held-okinawa
December 17, 2018
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政府は辺野古ができれば普天間の危険性が除去されるかのようにいいますが、それも嘘です。そもそも辺野古と普天間はセットではありませんでした。それに辺野古ができても、普天間返還の条件を満たせないのです。Twitterからその説明を引用します。ご覧ください。********【重要】 辺野古新基地が完成しても普天間は返還されない①(①〜④の内) 『普天間代替施設(辺野古)では確保されない長い滑走路を用いた活動の為の緊急時における民間施設の使用の改善が普天間飛行場の返還の条件…、現時点で決まったものがない。 条件が整わなければ普天間は返還されない。』【重要】 辺野古新基地が完成しても普天間は返還されない②(①〜④の内) 『辺野古の新基地が建設されも、アメリカ側との調整が整わなければ普天間基地は返還されない。』【重要】 辺野古新基地が完成しても普天間は返還されない③(①〜④の内) 『相手(アメリカ)との調整が出来なければ、普天間が返還されないという事が確認された。5年以内の運用停止もできないという事も確認された。普天間飛行場が返還されない訳だから危険の除去もできない。』【重要】 辺野古新基地が完成しても普天間は返還されない④(①〜④の内) 『前提条件が整わなければ返還とならない。協議が整わなければ危険の除去はできません。』
December 15, 2018
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2018年12月14日。日本政府は沖縄県民の思いを無視して辺野古の海に土砂を投入しました。玉城デニー沖縄県知事が上京して、土砂投入中止を申し入れたその翌日の暴挙です。沖縄は大きな怒りに包まれています。今朝の沖縄タイムス。海に流すことが禁止されている赤土。政府はこれは赤土ではない、岩ズリの石材である、と説明しましたが、真っ赤なウソだとわかります。水が濁っています。どこまでも嘘をついて、沖縄県民の思いを踏みにじって、辺野古新基地建設を強行する日本政府。辺野古の海には生物はいない、砂地だけであると政府はいいます。 とんでもない嘘です。この海には豊かな生態系があります。確認されているだけでも5806種の生命が息づいています。そのうちの262種が絶滅危惧種です。ジュゴンも棲んでいる海です。その海を政府は埋め立てようとしています。工事のやり方も違法だと何度も通告していますが日本政府は聞く耳を持ちません。お願いです。日本政府のこの暴力を止めてください。何を言っても立ち止まろうともしない、この日本政府の暴走を止めてください。あなたのいるその場所から、沖縄を応援していただけます。ホワイトハウス宛の嘆願署名にご協力ください。1月7日までに10万筆を集めたら、ホワイトハウスは何らかの返答をせざるを得なくなります。署名方法は簡単。ここにアクセスしてこのように名字、名前、メールアドレスを記入。(これは亀石弁護士の例をお借りしています)そして「Sign Now」をクリック。その後、記入したメールアドレス宛に次のような確認メールが届きますので、「Confirm your signiture by clicking here」をクリックして署名は完了です。確認メールが迷惑メールに振り分けられてしまうこともありますので、どうぞご注意ください。辺野古の問題は沖縄県民だけの問題ではありません。どうか日本本土でも多くの人が関心をもってくださいますよう、心からお願いいたします。
December 15, 2018
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2018年10月1日 07:30 新しい沖縄県知事に前衆院議員の玉城デニー氏(58)が選ばれた。前回知事選の翁長雄志氏の得票を上回り、復帰後の知事選では過去最多得票での勝利である。 出馬表明の遅れや組織体制の不備、相手の強大な組織力をはねのけての圧勝だ。その政治的意味は極めて大きい。 大方の予想を覆して玉城氏が勝利を収めた要因は何か。 一つは、安倍政権と国政与党が前宜野湾市長の佐喜真淳氏(54)をなりふり構わず支援したことへの反発である。 菅義偉官房長官は9月に入って3度も沖縄入りし、人気者の小泉進次郎衆院議員も告示後3度沖縄に駆け付けた。水面下では二階俊博幹事長らが企業や団体へのテコ入れを徹底。党が前面に出たことで候補者の影は薄くなり、「政権丸抱え」の印象を与えた。 佐喜真氏が若者票を意識して権限のない「携帯電話利用料の4割減」を公約に掲げたのもとっぴだったが、これに菅氏が「実現したい」と応じたのに違和感を持った県民も多かった。有権者は「古い政治」の臭いをかぎつけたのではないか。 玉城氏は、翁長県政の継承と辺野古新基地反対の姿勢を明確に打ち出しつつ、名護市長選敗北の経験から経済政策や子育て支援策にも力を入れ、幅広い層の支持を得た。 米軍統治下の沖縄で、米兵を父に持ち母子家庭で育った玉城氏は、沖縄の戦後史を体現するような政治家である。自らの人生を重ねるように語った多様性の尊重や子どもの貧困対策は、女性を中心に有権者の心をつかんだ。 グローバル化が進む中、草の根運動によって二つのルーツを持つ知事が誕生したことは、「新しい政治の始まり」を予感させるものがある。■ ■ 今回の知事選では、前回自主投票だった公明党が佐喜真氏推薦に回り、翁長知事を誕生させた「オール沖縄」陣営から抜ける企業もあった。 政党の基礎票を単純に積み上げていけば、玉城氏が勝てる要素は乏しかった。組織票で圧倒的に不利だったにもかかわらず勝利したことは、安倍政権の基地政策に対する有権者の「ノー」の意思表示であり、新基地反対の民意が依然として強固なことを示すものだ。 選挙期間中、佐喜真氏が連呼したのは「対立から対話へ」のキャッチフレーズだった。しかし翁長氏との対話を拒否したのは安倍政権である。 就任後、面会を申し入れても安倍晋三首相に会えない日が続き、会談が実現したのは4カ月も後のこと。新基地建設問題を巡る係争処理手続きで総務省の第三者機関が協議を促す結論を出した際も、政府は話し合いによる解決を拒んだ。 現在、県の埋め立て承認撤回によって工事は止まっている。政府は法的な対抗措置を取るのではなく、これを受け入れ、新たな協議の場を設けるべきだ。 これ以上、政府の都合で県民同士の分断と対立を深めてはならない。従来のような強硬策では何も解決しない。■ ■ 今度の選挙は、1968年の主席公選から50年の節目の選挙である。新知事は在任中に復帰50年を迎える。 本土との格差是正を目的に、国の責務として始まった沖縄振興特別措置法に基づく沖縄振興策は、ここ数年、新基地の「踏み絵」のように使われ始めている。翁長県政になって以降、目玉の一括交付金が減額されるなど沖振法が「米軍再編特措法化」しているのだ。 究極の「アメとムチ」政策である米軍再編交付金だけでなく、沖縄関係予算まで基地維持の貢献度に応じてということになれば、沖縄の地方自治は成り立たない。 玉城氏には、佐喜真氏支援に回った経済団体とも早急に対話を進め、民間主導の自立型経済の構築に向け、一致協力して取り組んでもらいたい。 子どもの貧困対策や子育て支援、雇用の質の改善、県民所得の向上など生活に密着した課題も山積みだ。 「新時代沖縄」につながる政策を着実に進めてほしい。(沖縄タイムス 社説)
October 2, 2018
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チャンプルー・ロックデニーさん玉城デニーさんよ長い苦しい戦いはニュー沖縄が生まれる苦しみロックンロールでヌチカジリ、走り抜こう琉球のカントリー・ソングと沖縄のブルースがチャンプルー敵も味方も、右も左も、ウチナーンチュも、ヤマトンチュも、みんな一緒にチャンプルー・ロックデニーさんはヌチカジリロック魂全開だあの世の魂魄も一緒にロックンロールあの世とこの世でロックンロールこれがホントのオール沖縄ヤマトの政府の安倍チャン・ハウス閻魔様もあきれ顔安倍チャンの舌は何度抜いても抜いても舌が何枚あるのだろう安倍チャン・ハウスから来る人は巧言令色、話は旨いが心がない安倍チャン・ハウスの内緒のお話最後は金目でしょ、フクシマも沖縄も美ら海を金では売らない、汚さないこの長い苦しい戦いに勝者も敗者もない翁長雄志はそう言ったキレイなキレイな澄んだ目だった辺野古の海がサンゴと夕陽に赤く染まる沖縄も世界も、血の涙をたくさん流したドンだけ..っ 45億!爆弾が豪雨となって降ったからデニーさん、あなたの知らない父さんもその時きっと泣いたはず父の涙と母の涙をチャンプルーだから沖縄に、死の基地はもういらない琉球は竜宮、乙姫様はナミエ様ジュゴンにウミガメ、やんばるの森トロンボーンにオーボエにマグロに泡盛宝の島はチャンプルーで一つニュー沖縄は玉城デニーがヌチカジリ玉城デニーが島と命を必ず守る菅原文子***********玉城デニー特設サイトひやみかちうまんちゅの会玉城デニーホームページ
September 28, 2018
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沖縄県知事選挙に関する記事に対して、事実に基づかないコメントが書き込まれました。ひとつひとつ丁寧に反論する義理もないので削除しました。辺野古の基地反対派は県外者ばかりというよく言われるデマについては、沖縄の地元紙がきちんと統計をとって記事にしています。これは集中抗議として呼びかけをして行われたものなので、実際の比率よりも県外者が多い可能性もあります。いずれにしても沖縄県民の方がずっと多いです。お時間があればご自分で辺野古に行って確認することをおすすめします。いちゃもんつけるためだけの書き込みはご遠慮ください。よろしくお願いします。***********琉球新報 2018年5月5日 05:00 【北部】4月23~28日に実施された「辺野古ゲート前500人行動」の参加者へのアンケートを、同実行委員会が4日までに集計した。実行委のまとめでは、回答した411人中、沖縄県内からの参加が346人で84・2%、県外からの参加は64人で15・6%だった。 実行委は「県民主体の運動であることが表れた。『外国の工作員が辺野古の運動を扇動している』といったインターネット上の言説を否定するデータにもなる」と強調している。国外からの参加は1人で0・2%だった。アンケートは行動最終日の4月28日に、参加した市民ら1488人に協力を呼びかけ、実施した。 一方、参加者の年代は回答のあった413人中、60代が183人で最も多い44%を占めた。70代が134人で32%、50代が41人で10%と続いた。実行委はアンケートを採った日が土曜日だったが、参加者に現役世代が少なかった点に触れ「50代以下への呼び掛けに力を入れる必要がある。辺野古の現状を知ってもらえるよう、ネットでの発信などが重要になる」とした。 アンケートでは行動に参加した感想も尋ねた。参加者からは「停滞していたゲート前に活気を与えた」「(県警が)抗議している人を囲いの中に入れトイレにも行かさないという権力の乱用を垣間見た」といった声が寄せられた。
September 28, 2018
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事実に基づかないコメントはすべて削除させていただきました。とりあえず沖縄県知事選挙が終わるまではすべてのコメントの書き込みを禁止させていただきます。一方的な情報発信になりますが、必要な方のみご覧ください。
September 28, 2018
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女性100人に聞きました!私がデニーさんを支持する理由**********玉城デニー特設サイトひやみかちうまんちゅの会玉城デニーホームページ
September 28, 2018
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沖縄県知事選挙に立候補している玉城デニーに6つの質問をしました。ぜひご覧ください!**********玉城デニー特設サイトひやみかちうまんちゅの会玉城デニーホームページ
September 27, 2018
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女性が輝く島、つくろう ひとり親家庭に手厚い支援を 県庁を先頭に、性差別をなくす 性暴力被害者への支援 玉城デニーさんは「誰1人も取り残さない」と表明 翁長知事の遺志を継ぎ、平和、誇りある豊かな沖縄へ デニーさんを県知事にしよう**********玉城デニー特設サイトひやみかちうまんちゅの会玉城デニーホームページ
September 27, 2018
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