2-32 後輩として、男として



朝子が彼に背を向け歩き出そうとした時、有芯は言った。

「ごめん。・・・無理に抱こうとして」

朝子は有芯に背を向けたまま、ふっと笑った。

「いいわよ、済んだことは」

言いながら不意に涙がにじみ出てきて、朝子は拳を握り締めた。これでもう・・・有芯に触れることは叶わなくなる。二度と、側にはいられないし、もう二人で言葉を交わすこともないのだろう。

足元から崩れ落ちそうになりながら、朝子は必死で自分を保った。

有芯を愛してる・・・。

でも、愛しているから尚のこと、側にいちゃいけない。

愛してるから・・・尚のこと、愛しいあなたの顔を見て言うことはできない。

「・・・さよなら」

しかし、有芯は出ようとする朝子を後ろから抱き締めた。

「・・・行くな、バカ」

朝子は歯を食いしばり、こみ上げてくるものを堪えてから言った。

「バカはどっちよ?! 離して!」

「イヤだ。離したらどうせお前は帰って泣くんだろ」

「泣いたりなんかしないわ!!」

有芯は静かに言った。「・・・お前は、本当にそれでいいのか?」

朝子は有芯の顔を見ると、にこりと笑った。「当然」

「俺が・・・何の覚悟もなしにこんなことすると思うか?」

「・・・え?」

「・・・後輩として言わせてもらうけど、強がり言ってても、そんなに震えてちゃ誰も信用しませんよ、先輩」

朝子は振り返りもがいた。「・・・離してっ!!」

「あ、それから男として言うけど」

有芯は暴れる朝子を強く抱き締めながら言った。

「俺はお前を諦めない。いつまでも愛してる」

有芯の腕の中、朝子は震える声で呟いた。「そんなの、困るわ・・・!」

「どうして困るんだ?」

「私は10年前、必死であなたを諦めたのよ?! それが・・・どれだけ辛いことだったか、あなたに分かる?!」

「・・・ならどうしてあの時、俺に何も言わなかったんだよ?!」

朝子は黙ってしまった。夢で見た、何も言わず自分を見つめる有芯が思い出された。

「後悔してるんだろ?!」

「してない!! 私は息子に会えたことを、運命に感謝してるもの!!」

「じゃあどうしてはるばる九州まで俺に会いに行ったんだよ?!」

「・・・・・」

「空港でも言っただろ?! 俺は、もう絶対後悔したくない。お前にも後悔させたくない。だから俺は正直な気持ちをちゃんと言う。お前も、正直に自分の気持ちを言うんだ」

「私は・・・」

言いかけた朝子の言葉を遮り、有芯は言った。

「お前のヘタクソな嘘なんてもうたくさんだ! お前の優しさはな、いつも俺を苦しくさせる・・・なぜだか分かるか?! お前の苦しみがそこから透けて見えるからだ!!」

朝子は震える唇を両手で押さえた。

「朝子・・・俺がお前をここに連れてきたのは、お前が俺と同じように苦しんでいることが分かったからだ。俺はお前をその苦しみから救うためならなんだってする。それだけの覚悟を持って、今ここにいるんだぜ」

「有芯・・・」

「あれから、エミ・・・前カノとよりを戻して、お前を忘れようともした。でも無理だった。あいつを目の前にしても、欲情すらできない・・・。俺が欲しいのはお前だ。・・・お前だけだ」

有芯は朝子をよりいっそう強く抱き締めた後、腕を緩め彼女を見つめた。

「だから・・・頼むから、もし俺を愛しているなら・・・もう、俺のために嘘をつくのはやめてくれ」

まっすぐな有芯の瞳を見た朝子の目から、堪えきれず涙が溢れた。




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