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2017.05.10
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2016年9月は大変な月でした。
子供が食中毒になり、重症化して溶血性尿毒症症候群になりました。

お腹が痛くなり血便が出始め、薬で徐々に良くなるかと思いきやなかなか良くならず、大きな病院に紹介され入院になり、o157が検出されず食中毒ではなく違う病気の可能性が出始め、入院初日に重症だと聞かされ、入院初日に透析の手術をし、入院初日にICUに入ることになりました。

いろんな処置がされる間にも、元気がなくなっていき、それでもお腹が痛くなるたびに血便が出、そんな痛い中なのに、注射や、尿道にカテーテルを入れたり、かわいそうすぎてどうにかなりそうでした。

でもこれをいつか乗り越えられる日が来ると信じて頑張ってという思いに切り替えるしかないと自分に言い聞かせる日々が約2週間。

ICUに入っていろんな病気の可能性を考えながらの処置、この病気だとこうなる、今後の生活も変わってしまうような病気の可能性もありました。

・HUS→透析後おしっこが出てくれるようになると徐々に良くなる事が多いが、後遺症が残ることがある。(腎機能障害、脳症など)
・aHUS→難病。本当にこの病気と診断されるのだけは嫌でした。回復しても2週間に1度4時間かけて強い薬の投与、他の病気になりやすかったり、未知の難しい病気。
・TTP→難病だが処置の仕方がある程度確立されている。


毎日ICUに通い、生まれてから1度も夜を別々で寝たことがなかったのに、まだ2歳(直前)で2週間も病院で1人で眠り、しかも睡眠薬を入れられ続け(半寝状態)呼吸器を入れられたまま喋ることもできず、手足を縛られ(まだ小さいので管を抜いてしまわないように)た息子を見守る事しかできませんでした。
面会している時はできるだけ泣かないように、いつものようにして、不安にさせないように努めました。
今となっては2週間という期日が書けますが、当時はいつここから出られるのか、全然先が見えず、不安しかない日が続いていました。

透析中も何もかも無知なので、ピーピー機械音が鳴る度に怖かったのを覚えています。
透析をすればするほど管が詰まりやすくなり、その度透析を中断したりなど、外して大丈夫なの?とか思ったり。
血小板が増えて欲しいけど、管が詰まると血小板で固まりにくくするようにしないといけない、なかなか数字で血小板が増えないので、あ〜病気って本当に治すだけとかではなく、いろんな事があるんだなと感じました。

大きい病院でだけど、菌の詳しい検査はもっと詳しい所(東京?)に出さないといけないらしく、血液と当時の便を送りました。
その前にTTPかどうかを調べる為に血液だったかを検査機関に送っていました。
ICUに入って何日か後にTTPではなかったとの結果が。なので血漿交換は中止。
嬉しかったのですが、aHUSの可能性もそのぶん高まったので恐怖もやってきました。
それと同時にaHUSだった時の為に薬を半分入れました。これがネックの薬でした。これの為に髄膜炎の予防接種もしました。


薬を投与したけど劇的に良くはならなかったのでもしかしたらaHUSではなくHUSかもと。
良くなって欲しいのにこの時は劇的に良くなってほしくありませんでした。

看護師さんに「抱っこしても良いですか」と聞いたら管がたくさん付いているので抱き上げられないけど抱きしめるのはできます。と言っていただき、抱きしめると、息子も私を抱きしめ、ここから連れて行って欲しそうでした。
離してくれなくなったのでちょっと困りましたが、久々に抱っこができて嬉しかったです。

そして膀胱におしっこが溜まっているのがわかり、検査機関に出した便からo165、血液からo165の抗体が検出されました。

それからは徐々に回復しておしっこも自力で出るようになり、人工呼吸器も外され、睡眠薬もやめて、ICUから一般病室に移り、1週間ほど付き添い入院をしました。
ご飯も徐々にたくさん食べれるようになり、おしっこもたくさん出るようになり、血液の数値も徐々に回復していき、血便ももう出なくなり、もりもりうんちが出るようになり、普通だと思っていた事がとても素晴らしい事だと感じました。

ずっと寝たままだったので脚が弱くなっていて、歩く練習もしたり。本人はあまりやる気がなかったですが。汗

aHUSの薬を半分入れたので免疫力が低下しているらしく、しばらく個室でした。
そして個室のまま明日退院できそうです、との報告が!やっと、この日が!
もう9月の終わりでした。
誕生日までに退院したかったのですが、ICUを出てすぐが誕生日だったのでやはり無理でした。。
誕生日のその日は看護師さんにもお祝いしてもらい、むくみでパンパンの顔で2歳になりました。

自宅に帰り、いつもの毎日が送れるようになり、保育園はまだ先生のGOが出なかったので少しお休み、10月の2週目あたりから慣らし保育1週間ほどして、普通に通えるようになりました。

それからは月1で経過を見に病院に。
2ヶ月に1回になり、3ヶ月に1回になり、で、今に至ります。

2016年9月は自分の人生の中で一番大きな出来事でした。





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Last updated  2017.05.10 13:22:47
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