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こんにちは。バス乗車時にはクレカを、スーパーのレジではSuicaをタッチするというなんとも刺激的な日々を送っているはけれとけです。発病をきっかけに、好きなこと、やりたいことを全力で行うと決め、会社員を続けながら大好きなエレファントカシマシと宮本浩次さんの推し活を楽しんでいます。先月、東京で行われた宮本浩次さんのソロコンサートで奇跡が起きました。当初、11月に行われる予定でしたが、中止となり、会場を変更し振替公演で行われたコンサート。このチケットを手に入れるまでの道のりが長かった。当初の予定:11月28日東京国際フォーラム…2連敗のち、トレード受付に申込み、ゲット!その後、中止が発表される会場変更し振替公演決定:1月16日東京ガーデンシアター…ゲットできました!そして、チケットを発券すると、、、一桁!チケットの当選確率30%、当選しても最後列から2列目や注釈付きの席。それでも十分幸せだった私に舞い込んだ奇跡の一桁席!嬉しさと多幸感のあまり、その日から誰にでもやさしくなりたいと、奇行が続きました(笑)そして、コンサート当日、座席図を確認すると、、、なんと、、、最前列。。。会場のレイアウトの関係で最前列だったのです。。。嬉しさよりも信じられない気持ちのほうが大きかったです。ここからは、宮本さんのファンのみなさまに向けた内容となります。コンサートを生やライブ配信等でご覧になられた方はどれほどすばらしい内容であったかは言わずもがかと思いますので、私が目の当たりにした、宮本さんの素敵ポイントをお伝えさせてください。<ライトが当たっていない状況にもかかわらずの宮本さん>①廻る、廻る くるくる廻る ステージの端っこで廻る②ライトが消えてからも深いお辞儀はしばらく続く③投げキッス(もったいないので明るいところでお願いします)<その他>①嬉しい時は深々とお辞儀中(ガラケーが折りたたまれた状態)もずっと笑顔だった②「冬の花」のクライマックスに現れたカメラマンの岡田さん。背中から放たれる気迫に圧倒 され、しばし、視線が宮本さんから岡田さんに移ってしまったほど。本物は本物を本気に させる。③最後のメンバーとのハグ 小林さん・・・両足のかかとを思いっきり上げて背伸び(乙女か) 名越さん、玉田さん・・・片足をレの字にしてちょい背伸び(乙女だな) 須藤さん・・・最初は握手のみ、その後ハグをしていないことに気づき、ノーマルハグ (そういうところな♡)<配信ならではの良さ>①「恋人がサンタ」歌詞忘れからの再スタートで玉田さんに向けたあの笑顔よ・・・ カメラ切り替えの丹さん、よくわかっていらっしゃる!さすがです!②「飾りじゃ」のイントロで登場したダンサーさんに目を奪われ、宮本さんがジャケットを 着るのを諦めて放り投げる姿を見逃す(こんなお茶目な姿、生で見たかった)いかがでしたでしょうか。「でしょうね~」という内容だったかもしれませんね。来月から始まるのエレカシ35周年記念アリーナツアー。私は3月19日(日)に参戦します。節目のツアーの成功を祈るばかりです!これからも不定期にはなりますが、身体と相談しながら、本ブログを続けていきたいと思いますので、お読みいだけますと幸いです。本日も最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
2023.02.27
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こんにちは。歩道橋を上がろうと一歩踏み出しただけで、ふくらはぎの筋を伸ばしてしまい10日以上、痛みが取れないはれとけです。最後の投稿から2年以上経過してしまいました。この2年間は様々な出来事が起こり、なかなか刺激的な日々を過ごしておりました。まずは発病です。すぐに命に関わる病気ではありませんが、徐々に身体が動かしにくくなるようです。そこで、一念発起!これまで、先延ばしにしていた「やりたいこと」を全力で行うと決めました。やりたいことをリストアップし、行きたい場所に行き、やってみたかった体験を楽しむ。これらを実際にやってみると、「誰に言われたわけでもないのに、どうして今までやらなかったのだろう。」と拍子抜けするくらいにサクサクと行うことができています。やりたいことリストの中で今もこれからも最も力を注いでいきたいことは「エレカシを全力で推す!」です。その想いが通じたのか、1ヶ月前に行われた宮本浩次さんのソロライブで奇跡が起こったのです。。。そのライブについては次回に書かせていただきます。最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。みなさまにも「やりたいこと」がありますか?ひとつでも良いので是非やってみてください。
2023.02.16
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こんにちは。時代の波に抗えず、ようやくスマホデビューしましたが、スマホ画面を操作するたびに自分の指がしわだらけであることを突きつけらているはれとけです。更新が滞ってしまいました。その理由は今後のブログの方向性に迷いが生じ、スランプ状態に陥っていたためです。ブログの力を借りて、これまでずっと蓋に重しを乗せて閉じ込めていた小学生時代から中学生までの貧乏生活や自分の内面をさらけ出すことにより、重荷から解放されていく感じを覚えることができました。そして、これからも過去から現在に至るまでの心境や思い出を綴っていこうと決めていました。ですが、近ごろ、「過去を振り返るよりこれからの人生をどう生きていくかにフォーカスしたほうが良いのでは?」という考えが頭をよぎるようになりました。そういう理由で、過去を振り返るブログは今回で終了させていただき、しばらくの間、このブログの方向性を考えるお時間をいただければと存じます。そして、このようなつたないブログをフォローしてくださっている皆様へいつも貴重なお時間を費やしてくださり、本当にありがとうございます。尻切れトンボのような終わり方になってしまいましたので、現在に至るまで書こうとしていた内容をざっくりとではありますが挙げさせていただきます。○高校生時代は同級生たちに馴染めずに3年間孤立○就職先の工場ではいくら努力してもうまく作業が行えず、 ミスから会社に甚大な損害を与えてしまう○20代前半、知り合った男性になけなしの貯金50万円をだまし取られる○28歳で母を、31歳で父を病気で亡くす○就職してから40代まで、お金を使うことへの罪悪感から節約生活を送る○50代になった現在、ようやく好きなことにお金を使うことへの抵抗がなくなる他にもにも今でも思い出すと胸が締め付けられるような辛かったこと、人生を変えてくれた出会い等、様々な出来事がありました。そのすべての出来事が今の自分を作ってくれているのだと思います。これからは前向きに自分を大切にして生きていきます。皆様も豊かで幸せな時間をお過ごしになられますよう心より願っております。突然のブログ休止のお知らせとなりましたが、このご縁に心からの感謝を込めて、本日も最後までお読みいただき、本当にありがとうございました(^^)/~~~
2020.12.08
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こんにちは。宮本浩次さんの1stソロアルバムの売れ行きが好調で、その宣伝で宮本さんがメディア、雑誌等へ多数登場されているので、毎日がムフフのフ♪のはれとけです。今回は乏性が身に染みたついた結果、先日やらかしてしまった恥ずかしいエピソードをお伝えします。普段から「もったいない」精神を発動して生活しており、節水、節電はもちろんのこと、消耗品もしかり、特にティッシュは環境のことも考え、皆さんが驚かれるほど消費量が少ないと思います。記憶が定かではありませんが、5個入1パックを最後に購入したのは2年以上前だと思います。基本、ティッシュは半分にカットして使用しています。大抵はこのサイズで事足りるのです。外出先ではポケットティッシュを使いますが、口紅をおさえる時は半分に破って、といった具合です。先日、その半分に破る習慣が人前で出てしまったのです(笑職場でのランチ中、テーブルの上に少量のコーヒーをこぼした人がティッシュを持っておらず、困っていたので、私は自分のポケットティッシュを取り出し、いつものように瞬時にこぼれたコーヒーの量と必要なティッシュの量を計算し、はじき出された結果が「半分にちぎる」だったのです(笑お互い、一瞬動きが止まりましたが、もう引き返せません(笑その方は「すみません、ありがとうございます」と「半分サイズのティッシュ」で机を拭きました。やってしまった~あ~恥ずかしいでも、、、それで事足りるなら、堂々としても良かったのかな?必要以上の紙を消費することに罪悪感を覚えるのは悪いことではないですよね!?(笑本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました~
2020.11.23
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こんにちは。買おうとしていた商品が値引きされていて、得した気分で帰宅し、値引きシールを剥がして捨てようとしたところ、そのシールが自分の手の甲にピタッと張り付き、一瞬、自分の値段について考えさせられたはれとけです。お詫びがございます。前回の記事を誤って2度投稿してしまいましたので、一つは削除いたしました。申し訳ございませんでした。今回は高校受験で知った親戚の私に対する評価についてお伝えします。母方の親戚は近くに住んていましたので、よく顔を合わせており、かわいがってもらっていました。私は中3になり、高校受験で志望校を決める時期を迎えました。経済的な理由で「高校には行かせてもらえないのかな?」とも考えていましたが進学させてもらえることになりました。当時、受験する高校の数は県立1、私立2、合計3校が主流だったように記憶していますが、私の場合は…というより、はれとけ家の志望校は「必ず受かる県立高一択」でした(笑それ以上の受験料は払えなかったのでしょう。ましてや、私立に通うことなんて無理でした。そんな状況を見ていた親戚たちが動きました。「県立に落ちたらどうする!」「私立は2校受けさせろ!」・・・山が動いたのです。その時の私は心配してくれたことへの感謝よりもランクを下げた県立の志望校(県内でも最下位に近い偏差値)と「名前を書けば受かる」と言われていた私立高に落ちるのではと親戚中から思われていたことへのショックの方が大きかったのです(笑高校受験をきっかけに勉強が不得意な私が親戚中の心配のタネだったことが判明したのです(笑いとこ達は皆、そこそこの進学校に通える成績でしたので、私は異質な存在だったようです。そのことがあるまで、他のいとこ達と変わらずに接してくれ、かわいがってもらっていましたので、そのように思われていたと知り、傷つきました(笑無事に県立高に通うことになりましたが、後から聞いた話によると進学にかかる費用は親戚から借金したようです。そのおかげで最終学歴は「高卒」になりました。高校を出ていなければ今の会社に就職することはできなかったと思います。中卒の両親が借金をしてまで、私と弟を高校に行かせてくれたことを思うと年のせいでしょうか、目頭が熱くなります。本日も最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
2020.11.16
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こんにちは。パソコン(以下PC)が突然、異音とともに壊れ、四苦八苦していたはれとけです。久しぶりの更新となりました。みなさま、お変わりございませんか?タイトルのお別れしたお相手は「PC」です(笑扱いに不慣れな私のもとへ来ることになったPCさん・・・突然壊れたのは無理もないことだったのかもしれません・・・購入した当時、全てのPCにCD,DVD再生機能が付いていると謎の思い込みをしていた私は購入したPCさんにその機能が付いていないとわかった時の落胆たるや・・・ポテンシャルを発揮することもできず、DVD再生ができないことに落胆され、さぞやつらい日々を送っていたことでしょう・・・ごめんなさい・・・PCさん・・・本当によくがんばってくれました・・・ありがとう!こうして、PCの無い生活が始まり、ふと頭をよぎったのはPCの無かった頃はどんな生活を送っていたのだろう?そうだ!しばらくの間、インターネットに接続しない暮らしをしてみよう!ということでした。毎日かかさずYou Yube、ショッピングサイト、ブログ等を閲覧していましたので、始めのうちは誰とも繋がっていない状況が孤独で世の中から取り残されたようななんとも寂しい気持になりました。ですが、慣れてくるとインターネットに費やしていた時間を名も無き家事や読書に充てるようになり、充実感を覚えるようになっていました。よっしゃ!こりゃいける!前回の失敗を繰り返さぬよう、次のPCは慎重に時間をかけて選ぶことにしました。昔から人に頼ることが苦手で、分からないことは詳しい方に聞けばいいものを迷惑じゃないかな?などと頭をよぎってしまうのです。ですが今回は数名の方にアドバイスを仰ぎ、晴れて満足のいくPCさんをお迎えすることができました!(初期設定では苦労しましたが(苦笑))そういうわけで、更新が滞っておりましたがこれからもマイペースに続けて参りますのでよろしければお立ち寄りくださいませ。本日も貴重なお時間をいただき、本当にありがとうございました。
2020.11.06
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こんにちは。You Tubeに再生速度を変えられる機能があることに気づくのに3か月かかったはれとけです。今回から中学生時代の思い出をお伝えします。私は中学生時代の3年間、バスケ部に所属していました。バスケを始めたのは小学校高学年で、6年生ですでに身長が160㎝あったせいか、体育の先生からミニバスケを勧められたのがきっかけでした。私の通った中学校は隣町の小学校と合併するスタイルでした。入部したバスケ部は隣町の生徒が多く、文武両道で明るくてひょうきんな人が多く集まりました。そんな人たちに囲まれ、自身も自然と明るい性格に変わっていきました。部活が楽しかったのです。とはいえ、家の財政事情は相変わらずでしたので、部活で使用するスポーツグッズは皆と異なっていました。スポーツバッグは当時流行っていたアディダス製など買ってもらえるはずもなく、地味な従兄のお下がり。靴下も普通のハイソックス。一番嫌だったのはバスケットシューズ。どこで手に入れたのか「左右異なったバスケットシューズもどき」でした(笑それでも気にせず、履いていたのですが、困ったことが起こりました。それは3年になり、引退する時でした。部活の後輩から「はれとけ先輩のシューズを譲ってください!」とのオファーが(笑私は慌てました。まずい、知られたら恥ずかしい。考え抜いて絞り出した答えは二人の後輩に「片方ずつ渡す」でした(笑本当に苦肉の策でした(笑後輩たちは不思議そうな表情をうかべつつも「ありがとうございます!」と受け取ってくれました(笑ごめんよ~後輩たち!左右異なった靴だなんて、言えなかった~その後、バスケットシューズがどうなったのかは考えないことにしています(笑そうそう、バスケ部の夏休みの練習で思い出したことが。早朝から午後まで練習するハードな毎日でした。お弁当持参なので、母は決まってスポーツドリンクもどき?の砂糖入り麦茶と特大のおにぎりを持たせてくれました。夏の暑さでおにぎりが傷んでしまい、糸を引くこともありましたが不思議とそれを食べてもお腹を壊すことはありませんでした(笑ちょっとやそっとのことでは病気にかからない丈夫な身体に育ててもらい感謝です(笑母自身は身体が弱く、早世しましたが母からいただいた、身体を大切にしていきたいと思っています。本日も最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
2020.10.12
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こんにちは。運動会の徒競走でトラックのカーブの内側で片足を伸ばし、走者がコーナーをショートカットするのを防ぐ役割がとても恐ろしかったはれとけです。今回は小学生時代の運動会の思い出をお伝えします。私は成績表にアヒルが行進する劣等生でしたが、体育だけは得意でした。母は私が勉強が出来ないことに悩んでいる様子でしたが、運動会の日だけは娘が活躍できる姿を見ることができましたので毎年欠かさず見に来てくれました。当時の運動会は昼食を運動場で家族と一緒に食べるのがならわしでした。母は周りの目を気にしてか、その日は普段は食べられないようなごちそうを用意してくれ、私が活躍すると誇らしげに満面の笑みで褒めてくれました。母を喜ばせることができたのが運動会くらいだったことは申し訳なく思っていますが、私にとっての運動会は母の笑顔が見られ、ごちそうまで食べられる幸せなイベントでした。運動会で食べた母の手作り弁当の味は一生忘れられません。豪華なお弁当に込められた母の深い愛情に心から感謝しています。本日も最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
2020.10.05
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こんにちは。夏は熱中症、秋はそろそろ花粉が・・・と春夏秋冬ウォーキング出来ない言い訳を必死に探し続けるはれとけです。今回は父の思い出をお話しさせていただきます。父はちょっと残念な人でした。無職期間が長く続いていましたが、プロパンガスの配達員をしていた期間もありました。ですが、仕事中に飲酒したり等々、近所では悪い意味で一目置かれる存在でした(笑そんな父との小学生の頃の秘密の思い出は毎年お正月になると弟と私を連れてパチンコ屋さんに行くことでした(笑当然、儲かるはずもありません。その帰り道に決まって言う父のセリフは「お母さんには内緒だぞ」でした(笑弟も私も大人の空間に身を置くことにワクワク感を抱いていたことも事実でその罪悪感もあってか、母には言うことはありませんでした。父は多くの方にご迷惑をおかけし、母は頭を下げ続けた人生でした。母のことを想うと複雑な心境にもなりますが、今となって思う、しらふの時の父は子供や動物が好きでひょうきんな優しい人でした。私たち兄弟が生まれ、こうして生きていられることも父の存在無くしてはありえません。アルコールに振り回され続け、苦しい人生だったかもしれませんがすばらしい女性(母)と巡り会えたことは大きな救いだったと思います。今なら素直に言えます。育ててくれてありがとう。本日も最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
2020.10.02
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こんにちは。「ペプシ」より「ドクターペッパー」、「きのこの山」「たけのこの里」論争を尻目に「すぎのこ村」が好きだったはれとけです。今回は幼少期の着せ替え人形の思い出をお伝えします。私はリカちゃん世代です。近所のお友達の家にはリカちゃん人形やハウスもありました。当時、それがキラキラと眩しくてリカちゃん目当てによく遊びに行っていました(笑私の家にはもちろん、ありません。それでも、紙の着せ替え人形はありました!肩部分に付いているツメ?を折り曲げて着せ替えができるあれです(笑憧れの洋服やバッグ、着物もあって魔法のようにお姫様に変身できることに胸が高鳴り、夢中で遊びました。そんな私の家にもクリスマスの夜、ついにリカちゃんが届くことになるのですが、リカちゃんを手にした喜びより、届けてくれたのがサンタさんではなかったことへの驚きのほうが勝りました(笑小学校低学年だった私はサンタさんの存在を信じ切っていました。クリスマスには毎年、プレゼントが届けられていたからです。当時、OLをしていた母の妹である叔母がよく家に遊びに来ていました。毎月欠かすことなく「なかよし」や「りぼん」を買ってきてくれ、初めて食べたケーキ屋さんのケーキも叔母の手土産でした。そのケーキのあまりの美味しさに、その後は密かにその叔母のことを名前の前にケーキ店名を付けて「〇〇の〇〇ちゃん」と呼んでいました(笑リカちゃんが届けられたクリスマスの夜、私はプレゼントを心待ちにして布団に入りましたが興奮して寝付けずにいました。そしてついにサンタさんが登場したのです。枕元に何かを置く気配に気づき、目を開けるとそこには叔母の姿がありました(笑その時の叔母の「しまった」という表情は今でも忘れられません。そんな叔母のおかげで、学校で漫画の話題についていけましたし、無事にリカちゃんを迎えることもできました。その叔母は今も元気に暮らしています。両親にはできなかった恩返しを叔母にはできる限りしたいと思っています。本日も最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
2020.09.28
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こんにちは。帰宅途中の道で前を自転車を押しながら後部席の幼稚園児と楽しそうに話している親子を微笑ましく見ていたところ、突然その母親が道端の花壇の花をむしり取り、子供に渡しその子供がとてもうれしそうにその花を受け取った光景を目の当たりにし、子供の将来が心配になり、その日の夜はなかなか寝付けなかったはれとけです。先日の投稿「はじめて食べたグラタン」の中で少し触れましたが私はエレカシの宮本浩次さんのファンです。今回は一旦幼少期の思い出から離れて、宮本さんの呼び方についてお話しさせていただきます。私が宮本さんのファンになったきっかけは20代の頃に勤めていた会社の同僚に宮本さんのファンがいて、エレカシを知らなかった私は「そんな歌手いるんだ」程度でしたが、曲を聴くようになりすぐに夢中になりました。そのエレカシの存在を教えてくれた同僚は当時、宮本さんを「みやもっちゃん」と呼んでいました。それをすんなりと受け入れ、私も「みやもっちゃん」と呼ぶようになりました。その後、ファンの間では宮本さんを「ミヤジ」と呼んでいることを知りましたが、もはや、引き返せません(笑なぜ、この話をしようと思ったかというと、私がPC操作を学んでいるYou Yubeチャンネル『いわなくTV』で「ズック」についての投稿を観たからです。今やズックは死語のようで、店員さんには伝わらなかったそうです。ジェネレーションギャップですね(笑ちなみにズックとは学校で履く白い綿素材の運動靴で甲にゴムが付いていて、名前が書けるようになっているあれです(笑当たり前のように使ってきた言葉が伝わないとショックと驚きを覚えますが、若い世代のエレカシファンに「みやもっちゃん」と呼んでみた時の反応を確かめたい気もします(笑20代当時、「みやもっちゃん」と呼んでいたのは私たち二人だけだったのか定かではありませんが、私の中ではこれからも宮本さんは「みやもっちゃん」です(笑同じ時代に生まれただけで「人生まる儲け!」と思うほどに宮本さんとサザンの桑田さんの大ファンで、お二人の話になると止まらなくなってしまいますので、今回はここまで(笑本日も最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
2020.09.26
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こんにちは。ここ数年で髪のボリュームが減り、薄毛に怯えるようになったのはバブル期に前髪をトサカのように立て、少し垂らしてスプレーで固めていたのが原因だと疑わないはれとけです。今回は小学生時代に自意識過剰をこじらせてた結果、冬の全校朝会の度に文字通り、苦しい思いをしたエピソードをお伝えします。当時の私はとにかく目立たぬよう息をひそめて学校生活を送っていました。目立つ行為→自分のプライバシーを知られる→貧乏人の子供としていじめられるそんな思考でした。冬場の全校朝礼は寒さの中、グラウンドに整列しなければなりませんのでみんな白い息を吐いていました。その状況下で自分の吐く息の量が他の人たちより、あきらかに多いと感じたのです。息の量が多い→後ろに並んでいる生徒にそれを気づかれる→からかわれるそんな妄想が頭をよぎり、私が取った行動は鼻呼吸をやめ、おちょぼ口で細く、それはそれは細く呼吸をすることでした(笑ですが、それを数回繰り返していると呼吸が苦しくなり、どうしても我慢が出来なくなって、数回に1回は大きく呼吸をしなければなりません。大きく呼吸をするときは頭を下げ、なるべく制服に白い息が当たるようにしました。そうすることで、白い息が分散されると考えたのです(笑今思うと気のせいだったのかもしれませんが、いつも何かに怯えて生活していた私はそんなくだらない妄想にかられ、がんじがらめの毎日を送っていました。このような経験をお持ちの方はおそらくいらっしゃらないでしょうね(笑もし、いらっしゃったらコメント欄に「います」の一言だけでもいただけたら幸いです。いないか~(笑本日も最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
2020.09.24
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こんにちは。部屋着とはいえ、後ろ前と表裏の両方を間違えて着ていたことに気づき、将来への不安が爆上がりしたはれとけです。今回が10回目の投稿となります。こんなブログ書いたところで、見向きもされないだろうなと思いつつ、自分史を書くようなつもりで始めましたが、おかげさまでこのブログへのアクセス数は600を超えました。驚きと感謝の気持ちでいっぱいです。いつも貴重なお時間を費やしてくださっているる皆様、本当にありがとうございます。今回は節目を迎えたところで、ブログを始めてからの心境について、お話しさせていただきます。苦手克服のために始めたブログですが、投稿を重ねるにつれ、今まで隠して逃げてきた過去の自分と向き合えるようになり、抱えてきたトラウマが両親への感謝へと変化してきています。幼少期の私はなんでこんな家に生まれてきたんだろうと、親を恨んでばかりでしたが、亡くなった時の親の年齢と同年齢になった今、ようやく、当時の親の気持ちが理解できるようになりました。遅すぎましたね(笑これからもこのブログをご覧になってくださっている皆様の後押しを受けながら、幼少期から現在に至るまでの、思い出や感情を正直に綴っていきたいと思います。本日も最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
2020.09.23
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こんにちは。30代の職場の同僚に「はれとけさんは普段どんな曲を聴くんですか?」と聞かれ「ん~エレカシとか宇多田ヒカルが好きかな~」と好きなアーティストの中から若手をチョイスして答え、「〇〇さんは?」と聞き返したものの、その答えがアーティスト名なのか曲目なのかもわからず、会話を終わらせてしまったはれとけです。今回は母との楽しかった思い出を書かせていただきます。貧しい生活を送っていた小学生時代、外食した記憶はほとんどありません。ですが、母は料理上手で和食、中華なんでも美味しかったですし、料理のリクエストをすれば、今のような便利な調味料が無くても美味しい料理を作れる人でした。幸い、母の実家が農家ということもあり、お米や野菜はいつも分けてもらえてましたので、お腹いっぱい食べられていました。そんな母と年に1度、デパートに出かける機会がありました。もちろん、買い物をするわけではありません。激安店で買い物をした帰りに近くのデパートのレストランで外食をさせてくれたのです。私はそこで初めて食べたグラタンのおいしさに驚き、夢中で食べました。あまりにおいしそうに食べる私の姿を見た母は声を出して笑っていました。それから年に1度の母と二人きりの秘密の外食で注文したのは毎回、迷うことなくグラタンでした。今でもグラタンを食べると当時の思い出がよみがえり、その外食するためにどれほどの節約をしたのだろうと胸が詰ることもあります。大人になり、弟にそのエピソードを話すと「えっ、ずるい!」と言われましたが、当時、3人分の外食費を捻出するのは難しかったと思います。それに母はきっと、弟には別の特別な時間を与えていた思います。偉大な母に対して感謝しかありません。本日も最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
2020.09.21
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こんにちは。最もテンションの上がる曲がゼスプリCMソング「キウイ食って アゲリシャス~ アゲリシャス~ アゲアゲリシャス」のはれとけです。今回も幼少期のほろ苦い思い出を書かせていただきます。私が小学生の頃は個人情報を保護する法律はありませんでしたので、当時の生徒名簿には住所や電話番号に加え、親の職業も記載されていました。市立校でしたが、クラスメイトの中には親が医師や会社経営者の子もいました。そんな中、私の親の職業欄に記されていたのは「無職」でした。父は働いていた時期もありましたが、ちょっと残念な人でしたので、無職の期間が長く続いていました。「無職」と記された生徒名簿が配られ時は恥ずかしさと父への怒りが込み上げ、私はそれを机の下でクシャクシャに握りつぶしました。本当は破り捨てたい気持ちでしたが、子供心にも家に持ち帰らないと大変なことになると考えたのでしょう。私はそのクシャクシャにされた名簿を家に持ち帰り、母に投げ捨てるように渡しました。今となって思えば、私の気持ちをすぐに察した母はさぞや辛かったことでしょう。こうして幼少期の事を振り返ると後悔と懺悔の事ばかりが思い出されますが。次回は母との楽しかった思い出を書きたいと思います。本日も最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
2020.09.20
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こんにちは。通勤のバス車内で毎日のように見かけるおばあさんが実はおじいさんだったことが判明し、思わず二度見をしてしまったはれとけです。今回も幼少期のちょっとほろ苦い思い出話を書かせていただきます。小学校で習字の授業が始まる際、習字道具を揃えることになりました。教材は学校で取りまとめて、みんなおそろいの品を使っていましたが、私の家は教材を買う余裕がありませんでしたので、ほとんどの物がお下がりでした。習字道具もしかり、いとこのお下がりをもらい受けることになりました。そのいとこは10歳以上も年上でしかも男の子ですので、もらい受けた道具は同級生たちの物とはあきらかに色もデザインも違っていました。昭和40年代の教材の色は男子は黒、女子は赤が定番でしたが、その道具入れは黄土色でした。私は「赤じゃないからこんなの使いたくない!」と抵抗しました。そこで母がとった行動は・・・そのお下がりの道具入れを「ペンキで染める!」でした(笑今でもスプレーで真っ赤に染められるさまがよみがえります。抵抗むなしく、その不自然に赤く染められた道具を使うことになりましたが、習字の授業の度に恥ずかしくて、身を縮め、字を書くどころではありませんでした(笑当時の母にも譲れない訳があったので、仕方ありませんし、自分の子供にみじめな思いをさせることは親として何より辛い事だったろうなぁ。と今は思います。小学生だったとは言え、もっと母の気持ちに寄り添うことが出来ていればと悔やんでいますが、母への感謝を心に刻むことで少しでも許してもらえるよう願うばかりです。本日も最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
2020.09.19
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こんにちは。会社の同僚のスカートのファスナーが開いていたので、それを伝えた矢先に自分のスカートの後部に大きなシミが付いていることを知らせてもらったはれとけです。これからしばらくは幼少期の貧乏でちょっとほろ苦い思い出を書きたいと思います。小学校低学年の頃、通学のバス車内で同級生たちに「はれとけちゃんの家はどれ?」と聞かれ、「あれだよ、青い屋根の2階建ての」と指差した家はご近所の弟の同級生の家でした。ボロ家を知られるのが恥ずかしくて、すぐにバレるウソをついたのです。その時の同級生たちの「ふぅ~ん」と腑に落ちないような表情は今でも脳裏に焼き付いています。今思えば、知った上で聞いたのかもしれませんね。それからはウソの上塗りでとても苦しい思いをしました(笑当時、ありのままの自分を受け入れて正直でいられたら、もっと楽に生きられたのにと今更ながら後悔しています。お笑い芸人さんで貧乏をネタに笑いをとったり、そのネタで本を出版された方がいらっしゃいますが、弱みを強みに変えてたくましく生きる姿勢に感服します。私も弱みを恥じることなく受け入れて、もっと強くなりたいと思っていますが、このブログを書くこと自体が弱みを受け入れることになっているような気がしてきています。本日も最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
2020.09.18
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こんにちは。蒼井優と黒木華の区別がどうしてもつかないはれとけです。今回は苦手③本当の自分をさらけだすについて書かせていただきます。これが最も苦手です。小学生になりすぐに自分の家は他の人たちと違うと認識していたと思います。同級生に貧乏を知られることを恐れて、防衛手段としてとった行動が目立たず、自分を押し殺すことでした。意見を求められれば相手が望む応えを選び、二者択一を迫られれば多数派を。これらが自然と身に付き、気づけば自分の意見を持つことさえ出来なくなっていました。同級生たちは私の反応を分かり切っていましたので、話を途中でさえぎられることもしばしば(笑そんなキャラでしたから、敵も味方もいない空気のような存在でした。ある意味、作戦成功?そんな小学生から高校生時代を経て、社会人になったとき、職場で多くの方が私の話に耳を傾けてくれることにとても驚きました。私の話が終わるまで、だまって聞いてくれるのです。当たり前のことなのかもしれませんが、自分の意見を述べることに慣れていない私は焦りました。うまく伝えることができないのです。自分の語彙力の無さを突き付けられ、情けなくなりました。今でも忖度なしに話すことに抵抗を感じ、なびくこともしばしばですが、他人軸ではなく自分軸で発言や行動をできるようになりたいと思っています。このブログをきっかけに抑圧してきた感情を解放できれば、人生が変わるかもしれません。ふぅ。ここまで正直な気持ちをお伝えしたのは初めてですので、少々疲れました(笑これからも過去の自分をいたわりつつ、本当の自分をさらけ出していきたいと思います。本日も最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
2020.09.16
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こんにちは。段差も何も無い道で転びそうになり、悪いのは道だと自分に言い聞かせる心の狭いはれとけです。今回は苦手②PCなどの機械操作について書かせていただきます。いまだガラケーを使いこなせず、改行ボタンの操作がわからなくなったり、せっかく打った文字を誤って消してしまったりで、80字程度のメールに1時間半かかることもあります(笑自分はガラケーユーザーの最後の生き残りになるだろうと思っていますが、数年前にTVでマツコ・デラックスさんが同じ発言をされているのを聞き、「同志よ!」と嬉しく思ったのも束の間・・・スマホのCMに出演するマツコさんの姿を観た時はしばし言葉を失い、「マツコさんに裏切られたぁああ」とショックを受けました。PC操作はYou Yubuチャンネル「いわなくTV」で勉強中です。かわしまさんという女性がとても分かりやすく解説してくださいます。最近、そのチャンネルで紹介されておもしろいなぁと思ったのは「Ancient Earth Globe」です。7億5千年前からの地球の様子を知ることができます。ご興味のある方はご覧になってみてください。インターネットでグーグルマップを知ったときはこんな便利なものがあるのか!ととても驚きました。You Yubuも知ってはいましたが、初めて見たのはコロナ禍の数か月前でした。これまたビックリ!何年も費やしたであろうノウハウと惜しげもなく提供してくださる方に頭が下がります。これからもYou Yubuを先生にPC操作以外のことも学んでいきたいと思っています。ちなみにこの記事を書くことに費やした時間は1時間45分!(笑がんばれ自分!本日もお読みいただき、本当にありがとうございました。
2020.09.15
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こんにちは。はれとけです。これから初投稿に書いた苦手なこと3つを3回に分けて書きたいと思います。苦手なこと3つ①文章を書く②PCなど機械操作③本当の自分をさらけだすこと今回は①文章を書くです。私は勉強が出来ず、中学生時代の成績は280人中、230番あたりをうろうろする劣等生でした。特に国語は苦手でした。読書も大の苦手でお恥ずかしいのですが、生涯で読んだ本の数は30冊にも満たないですし、読書感想文は後書きを丸写ししていました(笑今でも思い出すだけで緊張するのは小学校の国語の授業で教科書を句読点の「。」までを席順に一人ずつ読み進める授業です。皆様もご記憶にありますでしょうか?人前で話すことも苦手でしたので、もう、この時はこの世の終わりかのような絶望感と緊張感で顔が真っ赤になり心臓はバックバク。自分の読む箇所を確認して、読めない漢字があろうものなら仮病で帰ろうと本気で思ったこともありました。また、読む箇所の確認を間違えてパニックになったことも(笑今も苦手なのは変わりませんが、このままでいいのか?と自分に問いただし、苦手と向き合ってみようとブログを始めました。どれだけ続けられるかわかりませんが、気張らず肩の力を抜きながら書いていきたいと思います。次回は②PCなどの機械操作について書かせていただきます。本日もお読みいただき、本当にありがとうございました。それでは、今日が皆様にとって、良き日でありますように。
2020.09.14
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こんにちは。はれとけです。先日の初投稿に50のアクセスをいただきました。自分のアクセスもカウントされているのかな?と思いましたがそれを差し引いても多くの方にお立ちよりいただきました。貴重なお時間をいただき、感謝しております。ありがとうございました。今回は自己紹介させていただきます。50代半ば、手取り14万円で家賃42,000円のアパートに一人住まいの会社員です。結婚歴はありません。両親は30年ほど前に病気で亡くしています。兄弟は弟が一人、県外で元気に暮らしています。幼少期は生活保護を受給する家庭で育ちました。父はちょっと問題のあるひとでしたが、母は今でも最も尊敬できる存在です。高卒で就職、二度の転職を経て、今の職場に20年以上お世話になっています。4737年間働き続け、定年後の人生設計を考えるようになり、苦手克服のため、ブログを書くことにチャレンジすることにしました。初投稿にもPCなどの機械操作と文章を書くことが苦手と書きましたが、たったこれだけのブログを仕上げるにも、書いては消しの繰り返しで1時間以上かかります(笑これからは日々のこと、過去の事などをマイペースで書いていきたいと思います。つたないブログですが、どうぞよろしくお願いいたします。本日もお読みいただき、ありがとうございました。
2020.09.12
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はじめまして北関東在住の50代半ばの女性です。定年後の人生を考えるようになり、今まで苦手としてきたことチャレンジしてみようとブログを書いてみることにしました。苦手なものは3つ①文章を書く②PCなど機械操作③本当の自分をさらけだすことブログはこの苦手要素3つを取り入れられる!そう考えました。不定期な雑記ブログになるかと思いますが、幼少期のこと、好きなこと、嫌いなことなど今まではできなかった、「自分をさらけだす」ことを書いていけたらと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。
2020.09.09
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