~弾丸ツーリングREPORT~

~弾丸ツーリングREPORT~

2019年09月29日
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カテゴリ: ソロツーリング
​天気もいいし、午前中の予定も思ってたよりも早く終わっ
たので、どっか行こうかな!
午後半日だから、片道150Kmくらいで設定かな。
とりあえず出発



高速を西進して、福山まで来た。

あれこれ考えてたけど、江田島行ってみよう。
前回時間切れで行けなかった海上自衛隊幹部候補生学校に
行ってみよう。
ついでに第二音戸大橋に寄ってみようっと




乗って阿賀ICで下車?
阿賀にあんな橋ってあったけ
橋のたもとのセブンで休憩。

結局、半島の反対側からのアクセスになっちゃった。
ちょっと遠回りやな~



これが第一音戸大橋。現在も、もち現役。
音戸側に渡ってから(写真右側)が、これでもか!っていう
ループ橋につながってます。
実は写真の左側の山側は山の中がループになっていて、
航空写真で見たら
両岸グルグルループでつながっています。


桁下制限があったのと、海峡部で橋脚が置けなかった
のでこんな形になりました。

塗装の朱赤は、共に平清盛と関係深い厳島神社の
大鳥居の色に合わせています



で、旧音戸大橋のループ降りたところから見た新しい




新しい音戸大橋って今後拡幅の予定ありなのね。
拡幅箇所は今は歩道になってます。



第二音戸大橋はブロック架設してます。
工場(ドック)で製作、組み立てした橋をクレーン台船で
持ってきて、そのまま「あらよっ!」って架けちゃった。
この時吊り下げた桁は3,500t(ジャンボジェット9機分
相当)もあり、国内最大級のFC船が導入され、早朝から
運び出された桁は午前11時までには全ての作業が完了
しました。早!!



この平成23年の4月の架設工事見に来たかったんだけど、
仕事で来れへんかったよね。
でもネットで中継してくれてたから、それを見ました。
上の写真は、仮設の時の位置決め用の砲弾型ロックピン。



早瀬大橋を渡って、江田島へ
ほんと、広島県って橋大国やね。橋フェチにはたまらんね。



海上自衛隊幹部候補生学校に着きました。
前回は門が閉まってたもんね
前回のブログ ​はこちら



門で受付して、バイクは入口の駐輪スペースに入れて
見学受付まで少し時間があったんだけど、中で昼食を
食べる旨を説明したら入館OKになりました。



集合場所へ



集合場所の横がレストランなんで、お昼取って
集合時間を待ちます。



昔ながらのラッパ型放送施設。
もちろんお昼は「海軍カレー」でしょうぺろり



なんで、カレーかって?
日露戦争当時、調理が手軽で肉と野菜の両方がとれる
バランスのよい食事としてカレーライスを採用し、
当時問題であった海軍内の脚気の解消に成功した。

現在も海上自衛隊では、同じ曜日に同じメニューを
食べることで、長い海上勤務中に曜日感覚を
なくさないようにするために毎週金曜日は
カレーライスを食べる習慣になっているのです。



受付を済ませて
簡単なDVDを見て、案内スタートです。

大講堂
鉄骨煉瓦石造の大講堂は大正6年(1917年)に
兵学校生徒の入校式、卒業式また精神教育の場として
建築されました。



外壁には瀬戸内海産の花崗岩を使い、内部はほぼ吹抜けと
なっており、約2000名の収容能力があります。



90年以上経った今日も、変わらぬ姿で、建っております。
現在は幹部候補生、第1術科学校の学生等の入校式、
卒業式等儀式に使用しております。
(海上自衛隊第一術科学校HPより)



演台の後ろには、一段上がった玉座スペースが用意されています。



天井から吊り下げられたシャンデリアは、
船の舵をイメージしています。



幹部候補生学校庁舎(旧海軍兵学校生徒館 通称赤レンガ)
通称「赤レンガ」と呼ばれ全国的に有名な、幹部候補生学校。
現役です。



庁舎は、日清戦争の前年、明治26年(1893)に
海軍兵学校生徒館としてその生活、教育のため
建築されました。



設計は、東京築地にあった兵学校生徒館も手がけたイギリス人
建築家によるものであります。(海上自衛隊第一術科学校HPより)



この中庭は、改装中で入れなかったんだけど、
この回廊がよく戦争映画のロケで使われてます。



坂の上の雲でもっくんが制服着て歩いていたな。



教育参考館
ギリシャ神殿風の鉄筋コンクリート造の2階建ての
この教育参考館は、先輩の偉業を偲び、「温故知新」に
よって自己修養と学術研鑽の資とするため、兵学校卒業生の
積立金及び一般企業等の寄付をもって、昭和11年(1936)
に建築されました。



 教育参考館には、戦前40,000約点の歴史的資料が
保存されておりましたが、終戦時、一部の貴重な資料を
厳島神社、大山祗神社等に奉納した他は、進駐軍による
没収を恐れ焼却処分とされました。
 現在は、返却された資料等約16,000点を保存して
おり、そのうち約1,000点を展示しています。 
(海上自衛隊第一術科学校HPより)



特殊潜航艇(甲標的)
甲標的(こうひょうてき)は日本海軍において最初に
開発された特殊潜航艇。
真珠湾攻撃で使用された。真珠湾攻撃って、航空機の
奇襲かと思ってたんだけど、海側の奇襲もあったのか!
結局、微細な戦果を残すのみで、投入された5隻は帰還
できていない。大本営発表では、大きな戦果として発表
されており、初の作為報道とされている。



海龍(竜)
海龍(かいりゅう) は日本海軍において開発された特殊潜航艇。
甲標的甲型→甲標的乙型→甲標的丙型→蚊龍(甲標的丁型)
→海龍→回天
特殊潜航艇は、それぞれの型式に小刻みな改造亜種がいるので
凄い種類がある。



蚊龍以降は戦争後期であったこともあり、特攻要素の強い
運用が行われた。
そもそも、大した機関や通信機器をもたない特殊潜航艇なので、
帰還の頻度も低く、戦果も疑わしい。



そもそも、特殊潜航艇で特攻っていう発想が、
魚雷に人間を載せる人間魚雷の回天を生んだんでしょうね。



そうでないと、なかなか砲弾に人間を乗せるなんて発想は
浮かびませんよね。



ん?
グランドの向こうに見えるのは?



戦艦陸奥の主砲(主砲第4砲塔)
この2連装砲は、かつて日本海軍戦艦「陸奥」の4番主砲
として搭載されていた40センチ砲であり、昭和10年
(1935)海軍兵学校生徒の教材としてこの地に
移設されました。(海上自衛隊第一術科学校HPより)

ちなにみ、ここは立入禁止エリアで、教育参考館が
お休みの火曜日のみ代替えで見学させてもらえます。



こんな感じで、受付時間で区切られて案内してもらえます。
ちなみに自由散策は禁止です。
本日はありがとうございました。



早瀬大橋のたもとで、往路で気になった自販機に寄り道。



もち、プレミアムの焼きあご入りの750円を買いました。
ペットボトルが出てきましたよ



復路は半島の西側を戻ります。
ここまできたら、アレイからすこじまに寄って帰るでしょ



ここは、海上自衛隊第1潜水隊群司令部のすぐそばにあり、
日本で唯一間近で潜水艦を見ることができる公園です。



「アレイ(ALLEY)」は英語で路地を意味し、
「からすこじま」は昔呉浦にあった「烏小島」が名前の由来。



ちなみに烏小島は当時周囲40m程の小島で大正時代に
魚雷発射訓練場として用いるため埋立てられて消滅しています。




海の反対側道路向かいが「昭和町れんが倉庫群」は、
旧呉海軍工廠電気部の建造物で、明治30年代(1897年~)に
作られたものです。



夜景も見たいし、少しゆっくりしますか。



せっかくなら、デッキで日が暮れるのを見ながらなんですが、
お店の人曰く、今日は夕方雨なんで・・・。って

ええ!雨なの!!びっくり



雨が行くまで、ゆっくりしよう。
もち、ご当地の呉海自バーガーをオーダー



「ガンス」って何?
魚のすり身を揚げたものなんだって!
甘辛いタレと相まっておいしかったな。



さて、通り雨も抜けて、いい感じで夕暮れ時になりました。



夕暮れと船の照明と波止場の照明がいい感じ。



スマホカメラの望遠+夜景モードでは、これくらいが限界かな?



望遠がんばると、ちょっとぼやけちゃいますね。
ここまで暮れて、クリアシールド持ってくるの忘れたことに
気づいた


無事帰着。約250kmの旅でした。
今日のお土産は、大和パイと顎だしです。
どちらも、いけたよ。





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最終更新日  2019年12月23日 00時26分04秒
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